君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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止まれない。止まらない。


臆病な自分はそれでも(10/19~10/20)

 

急に土砂降りの雨が降ってきたので窓でも閉めるか、と院内の窓を閉め始めた朝倉は最後に寄った玄関近くの窓から玄関の外に備えつけられた自動点灯のライトが光っている事に気がついた。

あれは訪問者があると勝手に着くタイプのもので、前を通った程度だとすぐに消える代物だ。

それが、先程からずっと点灯しっぱなしだった。

この朝倉医院は悪魔や超常の存在と戦う人間専門のような病院なので、よくぶっ倒れて力尽きた人間が玄関の前で倒れ込んでいる時がある。大体は仲間の人間か仲魔の悪魔がインターホンを鳴らすので大事には至っていないが、たまに1人でぶっ倒れている輩もいるのだ。今回もその類かと朝倉は舌打ちしながら玄関を開けた。

 

「……お前…!」

 

しかし、そこに居たのは血塗れの怪我人でも呪いを受けた大馬鹿者でも何でもなく、突っ立っているびしょ濡れの優希だった。

 

ただし、その目に驚くほど生気がない。

唇は真っ青で肌の色は白い。そして言葉も発さない。

 

「おい、どうしたんだ…とりあえず中に入れ、な?」

 

このまま雨に濡らす訳にもいかない、と手をとって無理やり院内に引き込めば、その手は酷く冷たく朝倉はゾッとすると同時に早く温めるか安静にさせないといけないと感じた。このままだと低体温症になる。

いや、もしかしたらこの様子だと軽度か中度の低体温症になっているかもしれない、と歯噛みする。一体いつからあそこに立っていたというのか。

 

「話は後で聞いてやるから、とりあえず着替えろ。……着替えれるか?」

 

奥の部屋に通してそう訊くも、うんともすんとも言わない優希に朝倉は眉をひそめ、中度の低体温症の症状によく見られる『無関心』の状態じゃないかと訝しんだ。

とにかく、着替えさせねばと制服の上着に手をかけると抵抗もなく脱がされる。いつもならあーだーこーだ恥ずかしいだの自分でやるだのなんだのと文句を言うような人間が、だ。

 

「たく、手のかかる患者だぜ…」

 

なんとか患者着に着替えさせ、ベッドに寝かせてから部屋の暖房をつけた朝倉はそう軽口を叩いてみるが、虚空を眺めてぴくりとも反応をしない優希にかなり不味いか? とまた眉を潜めたと同時に口をこじ開けて体温計を突っ込んだ。

体温を測っている間に色々と準備をする。

電子音が鳴り、口から体温計を取り出して見れば『33.6℃』とやはり低い。

軽度だが低体温症には違いなかった。

相応の対応を頭の中でシミュレートしながらなぜここに来たのか全く分からないが、どうせ寮に連絡もしていないだろう、と思い立って電話をすれば荒垣がそれに出る。

 

「お、荒垣か。ちょうどいいや。クソガキ…三上優希をこっちで1晩預かるから今日は帰らねぇって連絡伝えといてくれや」

『あいつ、夕飯は要らねぇっつって連絡してきたがどうしたってんだ?』

「雨に降られてちょっくら体調崩したみてーでな、帰らせるのが少し危なげだから泊まらせて様子を見るだけだ。安心してくれ」

 

朝倉がそう伝えるも、電話の向こうで考えるような沈黙が流れてくる。

 

『………車で送ってこねえっつーことは相当ヤバいんだな?』

「ヤバいかと言われりゃヤバいかもな。ありゃ明らかに正常じゃねえ。心当たりはねーか?」

 

沈黙の後、小声でそう聞いてきた荒垣に朝倉は観念して白状する事にした。

そもそも、優希という人間が傘を忘れるのはまだしも、軽度とは言えども低体温症になるほど外で突っ立っているというのがおかしいのだ。それにあの生気のない虚ろな目。意識が混濁しているわけでもなさそうだし、何かあったに違いないと朝倉は予想した。

 

『いや…特に何も無かった。少なくとも朝まではな』

「そうか…じゃあ昼以降になにかあったかもしれねぇな。悪ぃな、こんな夜遅くに」

『構わねぇよ。三上のこと、頼んだぜ。朝倉センセ』

「まあ任せとけって」

 

電話を切る。

ただ、明日になって体調がマシになってから話を聞かないと判断できそうにないな、と朝倉は珍しく弱気になっていた。もしこれが、精神的な問題だとしたら。

 

(オレにゃ無理かもなぁ…)

 

朝倉は管轄外だった。

ぽりぽりと頭をかいて、コーヒーでも入れに行くかと給湯室へと向かった。

 

コーヒーを入れて戻ってきた朝倉はベッドから優希が起き上がっているのが目に入りギョッとしつつも近寄った。

 

「おい、喋れるか? 喋れなくてもオレの言ってることが分かるか? わかるなら、頷いてくれよ」

「え、わ…わかり、ますけど…なんで俺、ここに…?」

 

声をかけてみれば先ほどとは違いちゃんと返答が返って来る。どうやらちゃんと話が出来そうだ。

わけが分かりません、と言いたげな様子の優希の目は先程までの虚ろな目では無かった。が、朝倉はなにか違和感を感じる。

 

「オレの名前、言ってみろ」

「………」

 

沈黙。

しばらくした後に優希はおずおず、といった感じで口を開いた。

 

「…まさか今日はフルネームの気分ですか…?」

「違ぇよバカ! どうしてそういう思考になんだよ! いつも呼んでる呼び名でいいに決まってんだろ!」

「あ、そうなんですね」

 

朝倉はこの会話の中でもなにか言いようのない違和感を感じていた。

なにか大きなズレがあるような、なにか見逃しているような。そんな違和感だ。

 

「ほら、スーパーカッコイイオレの名前を言ってみろ」

「……えと…朝倉先生…?」

 

何故そこで疑問形なんだ、と朝倉は憤りそうになったがいつもの事なので堪えた。

 

「よし。一応及第点って事にしといてやるよ。オマエ、ウチの玄関にずっと立ってたのは覚えてるか?」

 

そう言えば、数拍遅れて僅かに目が見開かれる。微妙に反応が鈍い様な気がするのは気のせいだろうか。単純に、体力が落ちているせいか。朝倉は判断しかねていた。

 

「いえ…俺、寮に帰ろうとして…急に雨が降ってきて…それで…どうしたんだっけ…」

 

考え込むようなその表情は、真剣そのものに見える。

駅からだと仮定するとこちらと寮の方向は反対と言っても過言ではない方向にある。

 

「……すみません、ちょっとそこからは覚えてないです」

 

しばらく考え込んでいたが思い当たるような記憶が無いようで、困ったように眉を顰めるその顔は嘘をついていないようにも見える。だが、先ほどと同じように朝倉は妙に拭えない違和感を感じ続けていた。

 

「あの、よくわからないですけど俺はもう大丈夫なので帰ります…」

「ちょい待てって」

 

慌てて冷えた肩を掴んで、立ち上がろうとする優希をベッドの上に押し戻した朝倉は苦い顔になる。まだ体温が上がりきってもいない危ない状態であるのになぜそんなに焦って帰ろうとするのか。何かを隠しているような、話をしたくないとでもいうかのようなその対応を訝しんだ。これは、明日になっても話を聞けそうにないか、と内心で舌打ちする。

 

「いいか、お前は今低体温で危ない状態だ。こんな土砂降りの雨の中、傘を持っていたとしてもこれから寮に歩いて帰るなんてもってのほかなんだよ。お前が普通の健康優良児なら体温めて乾いた服渡してハイ帰れっつって帰すがな、お前の身体は持病持ちかつ制御剤の副作用で普通の人間よりも体力が落ちてるんだぞ。そんなのから目を離したらコロっと死んじまうから帰せるわけねーだろ」

「……」

 

まただ。また、一瞬目が虚ろになった。

すぐに元の目に戻るが、一体どうしてしまったというのか。まるで乗った糸の上でぐらぐらと揺れて、今にも落ちそうなのを必死に耐えているようにも見える。

 

「……でも、これ以上迷惑かけるわけにも…」

「“迷惑”だあ!? 医者の仕事は患者の命を救い・健康を守る事だぞ? 迷惑じゃなくてこれも仕事の内に決まってんだろ。どのみち乾燥機にかけても服が渇くのは1、2時間後だからもう今日は泊まっとけ」

 

「ほら、寝た寝た!」とベッドの上に再び寝かせ、薄手の毛布を掛けてやる。

暖房もかけているので一晩寝たら体温は回復するだろう、と考えた朝倉は部屋の電気を消した。

 

「良い夢見ろよ」

 

 

 

 

 

 

 

「良い夢見ろよ」と、そう言って朝倉先生は部屋のドアを閉めた。

残念ながらとてもじゃないがいい夢は見られなさそうだ。そもそも、自分は眠っているときに夢を滅多に見たりしない。

 

「……」

 

何故、自分は朝倉医院にいるのだろう。と真っ暗な部屋の中ベッドの上でぼんやり考える。

ここに来るつもりは全くなかった。あの後、まっすぐ寮へ帰ろうと土砂降りの雨の中を歩いていたはずなのだ。

これ以上誰にも頼る事の無いように。甘えることのないように。

何ら変わらないいつも通りの自分を演じようと、そう思い直したはずなのに。

雨の中を歩いている途中から記憶がない。そして気がついたらこのベッドの上だ。朝倉先生の話によるとここの玄関に突っ立っていたらしい。

そんなつもりも予定も全くなかったのに、どうしてここへきてしまったのか。本当に意味が分からないし我ながらまだ誰かに頼ろうとするのかと忌々しく思ってしまう。

 

かといっておめおめと死ぬわけにはいかない。

モコイさんに救われた命だ。先生の言う通り、無理やり土砂降りの中を帰って発作を起こして誰にも知られぬまま死んだとなると顔向けできない。情けないし恥ずかしすぎる。

ただ、ちゃんと明日からはいつもの自分でないといけない。誰にも弱みを見せずに、誰にも頼らずに、少しだけ頼るようなそぶりを見せて安心させることも忘れずに。ただし、全力で甘えたり頼ってはいけない。あくまでも「誰かに頼っているところを見せて安心させる」ためのパフォーマンスなだけだ。

そしてこれからはもうグダグダ考えずに本気で隠れてタルタロスへと行って鍛錬をすべきなのも忘れずに。

ひとりでやって、ひとりで終わらせる。

 

最初からそうすれば良かった。ただ、それだけだ。

今回、知り合いが増えたからと調子に乗ったツケがこのザマだ。愚かだとしか言いようがない。自分は泣いてはいけない。悲しんではいけない。やることは反省と対策を練る事だけだ。

故人を悼むのと、自分が悲しいから悲しむのは違う。

ただ泣くだけならいつでもできる。

悲しみに溺れて死のうと思って死ぬことだってやろうと思えばいつでも死ねる。けれど、まだ死ぬわけにはいかない。

 

矛盾していると言われてもいい。元から、自分は死ぬべきだと思っているのに死ぬことに対し価値を求めすぎるきらいがある。価値が無ければ死ねない。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()と思っているのだ。

 

なんて傲慢なんだろうか。

 

なんて汚れているのだろうか。

 

薄々、なんとなくだが自分なんかに救われても皆は良い気がしないだろう、という気持ちはあった。だって、庇って目の前で死なれたら余計なトラウマになる可能性だってある。人の死を間近でみるというのはそれだけでしんどい事だ。けれど自分には『自分の死を見せるという不快感』を与えずに救う方法をあまり知らない。というか庇う時点でケガをするもしくは死ぬの二択なのだからそれはそうだと言われたら何も言えない。自分はモコイさんのように優しく清く、正しい存在じゃない。だから、惜しまれる価値は無い。

 

自分は完璧じゃない。神様でもない。ただの無力な人間だ。

 

ペルソナだって最初から持っていたわけじゃない。影時間のことだって、タルタロスのことだって、最初から知っていたわけじゃない。

 

それらの存在を知るようになったのは周回を始めてから10周くらい経った後のことだ。

最初はわけもわからずに弟や妹が死ぬのを何度も見てきた。何故死ぬのかと、意味もわからなかった。

それらの存在を知ってから、特別課外活動部というものがあると知るまでさらに30周ほどかかった。何度も死んだ。

そりゃそうだ。ペルソナを持っていないのに影時間には入れるようになって、そこでシャドウに襲われたら何もなすすべがない。

ペルソナに目覚めたのはそこから20周ほど後だ。そこからは1人でタルタロスに登って特別課外活動部とバッティングして追いかけられたり、ひとりなのでシャドウに袋叩きにされて死んだり普通に事故死したりと色々あった。暴走車両許すまじ。

 

まともに特別課外活動部(彼ら)とかかわるようになったのは100周を越えたあたりだ。正直、自分でもどうかしてると思う。100回近くは死んだか、弟(もしくは妹)の死を知ったことになるのだから。

自分か湊と奏子、もしくはその両方が死んだときに強制的にリセットされるのは楽といえば楽なのかもしれないが積み上げてきたものがパーになるのは些か不満だった。

知識ばかり積み上がり、成長度合いは4月に戻った時点でリセット。湊や奏子のようにベルベットルームがあるわけでもなく。湊や奏子のいう『コミュ』とかいう代物も自分にはないので繋がりを持つのも無意味と言われているようなものだろう。

 

“ポベートール”と“パンタソス”だって最初から使えたわけじゃないしモルフェだって影時間を知って初めてそこで現れるようになったのだ。

いや、恐らくは10周程度で精神的に参ってしまった自分が生み出したもうひとりの自分だったりしないだろうか、という疑念は今でもある。そうでなければ都合よく記憶の持越しなどしているものなのだろうか。

モルフェが自分自身だというのなら、納得がいくのだ。が、それはそれで今回のモルフェの言動は納得がいかないこともある。しかも明らかに言動が自分自身のものではないものも含まれているのが気になる。

自分は大型シャドウを倒すべきだと思っているし、近づきたくないなどとは()()()()()()()()

 

シャドウとの戦いを始めたすぐは大型シャドウなんて化け物に立ち向かうどころか、シャドウですら怖いと思ったものだ。湊や奏子、特別課外活動部の皆はよく初めからあんなに戦えるな、と思ってしまう。

自分なんか初陣は金属バットを持ってへっぴり腰になりながらなんとか臆病のマーヤを10分以上かけて倒したくらいなのだ。多分情けない悲鳴を上げていたと思う。

ただ、土壇場で身体が勝手に動いて避けたりして攻撃を喰らうことはなかったのが謎だ。普通にビビってヒット&アウェイ方式で殴っていたからだろうか。まあどうでもいいか。

 

大型シャドウを倒さなければいけないということを知ったのも100周を越えてからで、ニュクスがやべーぞという認識になったのは更にその300周後だ。自分死に過ぎじゃないかと思うけど周りが強すぎるのだ。周りが。あと結構な頻度でバックアタックを喰らって湊と奏子もシャドウにやられたりしていた。

さらに、湊と奏子の死因がニュクスの封印によるものだと気がついたのは…何回目だったか。よく覚えていない。

ただ、死因を知ったとしても邪魔をするとか一緒にやるとか色々ためしはしてみた。けれど世界が滅んだり3月のあの日に必ず湊と奏子は死んでしまったりするので手づまりだったのだ。

結構最近までヤケクソになっていたのを覚えている。

結局ヤケクソになってしたこと全て、どれもこれもをした瞬間に死んだり失敗したり後で殺されたり色々あったのでもうしない事にしている。

クッソしょうもないことで死んだりもしていたので最速記録は4月6日の夜だったりする。夜、湊(or奏子)を迎えに行ってそのまま影時間に入ってイレギュラーシャドウに襲われて死ぬとか、迎えに行く途中でなぜかブレーキの利かなくなった車に撥ねられたりとか、通り魔にぶっ刺されて死ぬとか。

 

おお俺よ 迎えに行って 死んでしまうとは 情けない!

 

いや本当にその通りだと思う。

なんなんだ。迎えに行っちゃだめだというのか。

普通兄は弟や妹が遠くから来たら迎えに行くもんだろう。兄じゃなくとも家族や親しい人間ならそうするはずだ。長旅かつ深夜に着いた家族を迎えに行かないとかどうかしていると思う。わざわざ迎えに行かないというのは薄情ではないのだろうか。結局、迎えに行かないということで今も我慢をしているが納得がいったためしがない。

 

「……」

 

毛布を少しだけ握りしめる。

 

──嫌になる。なにもかも。

ただ、何度も何度も繰り返し、絶対に忘れてはいけないと思うのは自分がなぜこうして繰り返しているかだ。それは今も変わらない。

湊と奏子を救うため。それ以外に目的は無い。

皆を救うのは、そのついで。自分がそうしたいと思うからだ。

高尚なんかじゃない。優しくもない。どこまでいっても汚い欲にまみれた自己中心的な考えを持っている。それが俺だ。

だから、身の丈に合わない評価やイメージを抱かれるとひどく罪悪感に苛まれる。それを利用しているのは自分だというのに、何を一丁前に罪悪感を感じているというのか。悲しんだり罪悪感を感じる行為そのものが、自分にとってはしてはいけない事のように思えてならない。

 

そんな資格は自分にはないのだと、目的のためだけにただ無心で動いていればいいという意識が端の方から自分を急かすのだ。

諦めてしまおうと思った時だってある。何もかも見て見ぬフリをして、平穏に一年を過ごそうと逃避したことだってある。けれどそれをしてもこの繰り返しは終わらないばかりか、いろんな人の知らない一面を知ったりするばかりで尚更やめることなどできなくなってしまう。止まれなくなってしまう。

築きあげた絆はなくなるが、そこで得たものはずっと自分の中に残っている。感情が、受けた思いが、ずっとしこりのように。だからこそ救わないとと、守らないとと思ってしまうのだ。

 

死んで無意味になる、と自分はよく思う。遺るものなど無いと思っている。

けれど、自分が自分としてこの繰り返しの記憶を持っているうちは、まだ立ち向かう意志が残っているうちは、自分の中だけには確かに遺っているのだ。自分の死んだ意味も、みんなの死んだ意味も。

 

無意味なんかじゃない。無意味なんかにしてたまるか。

そんな感情が鎌首をもたげるときがある。

 

いったいどちらが自分の本心なのだろうか。

 

わからない。

わからない。

わからない。

 

わかるわけが、ない。

深く息を吸って、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

10/20(火) 朝

目が覚める。

起き上がり、ここが寮の自室ではないことを思い出し時計を探した。

シンプルな壁掛け時計が8時半ちょうどを指していた。

明らかな寝坊だが高校へは今からここを出れば何とかギリギリ間に合うだろう。

 

少し離れた革張りの椅子の上で朝倉先生がぐっすりと眠っているようだった。

枕元を見やれば、昨日着ていた制服が置いてあった。器用に畳まれている制服は恐らく朝倉先生が乾かして畳んでおいてくれたんだろう。こういうところはあの口の悪さとガサツさからは考え付かないほどに丁寧だ。

 

それらに袖を通し、共に置いておいてくれたらしい自分の鞄の中からメモ帳とペンを取り出す。

それに『昨夜はお世話になりました。体調もいいので学校へ行ってきます』と書いて枕の上に置いてから着ていた患者着を畳んでバッグを持った。

ふと思い立ってベッドの上の薄手の毛布を朝倉先生にそっとかける。疲れていただろうに急に自分を看ることになってしまったのだ。寝てしまっても仕方ない。

 

そのまま静かに部屋を出て、玄関を開けて外へと出た。

瞬間、目の前にイズミさんが立っていた。相変わらず、前髪が長い。

 

「お、おはよう、ございます…」

「おはよう? ナギサがここに泊まってるなんて珍しいな。どこか体調が悪いのか?」

 

首を傾げて朝の挨拶を返してきたイズミさんに首を横に振る。

 

「昨日の夜、帰りに急に雨が降ってきて…あれで帰れなくなってお世話になってたんです」

「あー昨日酷かったもんな。じゃあ今から学校か。頑張れよ!」

「はい。ありがとうございます」

 

嘘は言っていない。

敬語じゃなくていい、といつも言われるがイズミさんは恐らくタカヤよりも年上だろうし、一応『大人』の部類に入る人だと…思う。たぶん。そんな人に敬語を使わないのはどうかと思うのが自分の考えだ。大人には敬語を使う。

自分が大人になったら? その時はその時で考えることにした。生憎、『大人』になれそうにもないが。

それよりも、今日も自分は“ナギサくん”ではないと訂正し損ねてしまった。タカヤ達もさも当然と言いたげに呼んでいるしもう訂正する必要もないかと諦めそうな自分がいるのもまた事実。

 

そんな考え事をしながら青空を見上げて住宅街から駅までの道を歩く。

10分ほど歩いて、もうすぐ商店街といったところで不意に眩暈と血の気が引くような感覚がした。

 

「…っ」

 

頭を押さえて目を閉じて蹲る。ここで倒れるわけにはいかない。

少し太陽を見つめ過ぎたせいかもしれない。昨日と打って変わって晴天の青空は憎らしい程に澄み渡っていたから、つい。

それか朝食を食べずに出てきてしまったからか。まあ、理由なんてどうでもいい。

こういうのは治まるまで待つしかないのだ。

 

しばらく深く息を吐いたり吸ったりしてぐらぐらと揺れる視界が治まるのを待つ。

そうしてなんとか立ち上がろうとした瞬間、不意に肩を掴まれて反射的に振り払ってしまう。

 

「あ、わ、悪い。驚かせちまったか?」

「え…あ…い、イズミ、さん……」

 

先ほど朝倉医院に出勤したはずのイズミさんが息を切らしてそこにいた。

一体どうして、と思う間もなく手を引かれる。

 

「朝倉先生さ、俺が起こしたら大慌てで飛び起きてもぬけの殻のベッド見てブチギレてたぞ。だめじゃないか、体調悪いのに体調が良いって言うなんて」

「いや、体調が良いのは本当なので…」

 

どうやら、イズミさんは朝倉先生の命令で自分を探しに来たらしい。

こちらとしてはあのメモで十分だと思っていたのにブチギレられるとは思ってもいなかったので意外だ。が、自分のそんな言い分もぷりぷりと怒るイズミさんには信じてもらえないようで。

 

「そんな青い顔して蹲ってたやつが元気なわけないだろ? ほら、早く戻らないと倒れちまうぞ」

「た、倒れはしないです。たぶん…」

 

強制送還ルートしか自分にはないらしい。

諦めて、学校に休みの連絡を入れようかと思いながら先ほど通ったばかりの道をゆっくりと駅へと向かう人の流れに逆らって歩く。というか、自分はそんなに青い顔をしているのだろうか。個人的にはすごく元気だと思うのだが。

 

「……何か言い残すことはあるかクソガキ」

「まさかの辞世の句!? いや俺まだ死ねないので無理です!」

 

朝倉医院の玄関で仁王立ちする怒髪天の白衣を目に入れた途端、自分は踵を返してダッシュで逃げ出そうとした。それはもう、脱兎のごとく。

しかしそれはイズミさんが首根っこを掴んだせいで失敗に終わり、「ほら、観念するんだぞー」と親に運ばれる子猫のように大人しく院内に引き込まれてしまったというわけだ。

そして医者にあるまじき言葉を吐かれて、今から死ぬことになるのかと戦々恐々している状態だ。正直言って死因が朝倉先生がキレたからとかいやだ。別の意味で死にたくない。

仁王立ちする朝倉先生の背後にうっすらとペルソナのようなものが見えたのも気のせいだと思いたい。

 

「殺すわけねーだろボケ。で、なんで勝手にでてったんだ?」

「元気に…なったかなーって思ったから…です…」

「バーカ! 患者が自己判断で勝手に帰れたら病院も医者も要らねーんだよバーカバーカ!」

 

子供の癇癪のように『バカ』を連発する朝倉先生の理論は言動に反して筋が通っている。

確かに自己判断で勝手にここを出たのは悪かったかもしれない。ただ、メモを残していたのでそんなに怒られるほどの事でもないと思うのだ。

 

「でも…授業に出ないと…」

「てめーは自分の命と授業、どっちが大事なんだ? え? 言ってみろ」

「い…命です…」

 

そういう問いは狡いと思う。

選ぶとするならば命一択しかないだろう。

…いや、もし自分がこんな周回なぞしていなくて、いざ単位がヤバいとなったら体調が悪くとも授業(そっち)をとっていたかもしれない。

 

「だろう? だっていうのに勝手に病院から抜け出した大バカ者は、誰だったかなー?」

「お、俺でーす…」

 

手を煩わせないように黙って出たらかえって手を煩わせてしまった。こういうところが自分はスマートではないのでボロが出る。

もっとうまくならないと。自分の悲しみさえ覆い隠せるように、不調でさえ、無かったことにできるように。

 

「反省してるってんならオレとしっかり目を合わせろクソガキ」

「はい…」

 

出来れば目を合わせたくないが、合わせないと終わらない。渋々目を合わせるとニヤリと朝倉先生が笑ったような気がした。

 

「オレと目を合わせたな? “モスマン”、【ドルミナー】」

 

やられた、と思ったときにはもう遅い。可愛い蛾のマスコットのようなペルソナ“モスマン”がこちらを眠らせる魔法を放つ。

「患者にペルソナ使うのは反則だろ」という思考と共に意識がぷつりと途切れた。

 

 

 

 

次に目が覚めたときはベッドの上でなおかつ夕方だった。朝見たものと同じ壁掛け時計は5時を指しているのがぼんやりと霞んでみえる。

 

「起きましたか」

 

不意に、声が掛かってのろのろと寝ぼけ眼の視線を動かせばタカヤがパイプ椅子に腰かけてこちら見ていた。

 

「どうして…」

「ここに、ですか? あの医者から薬を貰いに、少々。…ところでナギサ」

 

タカヤが足を組みなおす。そしてその目つきを鋭くした。

 

「──あなたから、“大型シャドウをこれ以上倒さないでほしい”とお仲間に打診してくれませんか?」

「は…?」

 

ラスト1体に差し迫り、前回などは「もう邪魔はしない」とまで言っていたタカヤが何故そんな事をいきなりいうのか。意味が分からない。

 

「これはあなたのためでもあるのです。これ以上、大型シャドウを倒せばどうなるか……いえ、あなたに言うよりもあなたの弟妹に言う方が確実ですね」

「っ、湊と奏子に何かするつもりなのか…!?」

 

身構えて身体を起こした自分を笑うように軽くタカヤは微笑んだ。

 

「いいえ、しませんよ。断られた場合は当日、邪魔をするだけです。あなたがたは最後の1体を倒してはいけない。影時間が終わるという意味ではなく、別の意味で」

「…べつの、意味…?」

 

別の意味。影時間が終わる(実際には終わらない)以外の意味を持つと言えば、死の宣告者(デス)の完成だ。それくらいしか思い浮かばない。ただ、タカヤ達がそれに行き着くとは思わない。もし幾月から情報が流れているとしても幾月がそれを教えるという事もないだろう。

だとしたら、一体何の理由があってそんなことを言い出したのか皆目見当がつかない。

 

「……あなたの中で渦巻く『それ』はもはやかつての『それ』とは大きく性質を変えようとしています。そのせいか、私のペルソナがひどく怯えていましてね。以前は惹かれ合うように呼応し合っていたというのに」

「は…? え…?」

 

本当に言っている意味が分からない。これが理由、でいいのだろうか。

こちらからすれば突然話題が変わったかのように思えて仕方がない。

 

「眠りの神はどうひっくり返っても死神にはなれません。彼が与えるのは最後の眠りだとは言いますが実際に魂を刈り取るのはその兄だ。その性質を大きく変えるとなれば、どれほどの負荷がかかるというのでしょうね。想像もしたくない」

 

心底、理解できないといった表情でタカヤが言う言葉の意味の大半が抽象的だ。

一体何を指しているのかは分からないが何かを心配しているようにも見える。

 

「そもそも、我々がもう少し早めに気づいていれば良かったのかもしれませんね。最初は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のかと思っていましたが。どうやら違うらしい」

 

ス、とタカヤの目が細くなる。

 

「あなたは元々普通ではないとあの頃から思っていましたが、これはもう一度情報を洗い出す必要がありそうですね」

「???」

 

頭がはてなで埋まる。

一体何を納得してそう結論付けて動こうとしているのか。自分としてはタカヤ達が危ない橋を渡らなければどうでもいいのだが、と心配になる。

 

「よくわからないけど、危ないことはしちゃ駄目だよ」

「ええ、分かっています」

 

自分の事を棚に上げて、釘を刺しておく。だが、タカヤはそのままこちらを気遣うような視線を向けて口を再び開いた。

 

「あなたも、悪食は大概にしておいた方が良いですよ。たとえそれが誰かを救うためであっても澱みが溜まればいずれその身を蝕み、穢れる。清潔な水の中に一滴でも血が混じれば、それは水ではなく薄まった血になるのと同義…ですが、随分と遅れましたがイズミの事は私からも礼を言っておきましょう。ジンが喜んでいましたから」

「いや、俺は何もしてないけど…イズミさんのことで感謝されるようなこと、何かしたっけ?」

「ああ、覚えていない、と。なら結構。聞かなかったことにしておいてください」

「うん…」

 

今日はまた、一段と不思議なタカヤにさっきから戸惑いっぱなしだ。

悪食といえば、もうひとりの『俺』にも同じ事を言われた気がする。やっぱりそんなに食生活が悪いのだろうか。

 

ただ、しばらくは食欲が湧きそうになかった。どこかに食べに行けばその度にモコイさんとの思い出が蘇って気が滅入りそうになるだろう。下手をしたら、泣いてしまうかもしれない。

そんなことは許されてはならないというのに。

ギリギリ、心のダムは決壊しないで耐えてくれている。

けれど、これが一回壊れてしまったら。誰かに「泣いてもいい」のだと「悲しんでもいい」のだと言われたらもう立ち上がれなくなってしまいそうで怖い。

できることならずっと自分の部屋に籠ってみっともなく泣きわめきながら思い出に浸っていたい。モコイさんが居なくなってしまったという現実を受け止めたくない。ずっと、逃げてしまいたい。

 

それが出来ないから板挟みになってこうして苦しんでいるわけで。

悲しみに浸りたいがそんなことは許されないし立ち止まることも許されない。なら、歩き続けるしかない。ただそれだけのことだ。

 

「行き過ぎた偽善は身を滅ぼすだけです」

「あはは…気をつける」

 

──今の自分は、上手く笑えているのだろうか。

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