タカヤと会話をしたあと、朝倉先生による検診が終わってシャワーも浴び、ようやく帰ってもいいと言われたので朝倉医院を出て寮へと帰る道を歩く。
タカヤはまだ朝倉先生とイズミさんに用事があるらしく、残ると言っていた。
「モコイさ──…」
モコイさんに晩御飯を何にするか聞こうとして、いなくなってしまったことを思い出し、やめた。
溜息だけを吐いて、バッグを背負いなおして歩みを進める。
せっかく買った赤いマフラーも、モコイさんがいなくなってしまっては使う意味がないし使っているとモコイさんの事を思い出してしまいそうでバッグの中にしまってある。
寮に帰ったらキャビネットの奥にしまってしまおうか、と思っているくらいだ。それくらい、今はモコイさんに関する物を使ったり見たりする気が起きなかった。しばらくは商店街も寄れないかもしれないレベルだ。
下手をすると寮の自室もダメだったりしないだろうか。もしそのときは我慢するほかない。
寮の玄関を開け、中に入る。
「おかえりー…あ! お兄ちゃんおかえりなさい! 病院に泊まったってきいたけど大丈夫だったの!?」
ラウンジで一番に自分を出迎えたのは奏子だったらしい。
いつもなら外にいる時間帯だろうに珍しい事もあるものだと頭の端で考えながら返事を返す。
「ああ、うん、大丈夫だよ。念のため、今日は検診も兼ねてってことだったみたいだから」
「そっか。でも、私たちに隠れて無茶をしちゃ駄目だよ~?」
「わかってる」
嘘だ。
けれど半分は嘘ではない。これからすることは無茶ではなく“しなければいけないこと”なのだ。
「そうだ…今日ね、夏紀ちゃんが転校することになっちゃって…」
ああ、もうそんな時期か、と思ってしまう。
残る大型シャドウは後1体。それが終わったら幾月が闇の皇子()になるとか言い出して自滅するイベントがあるのと綾時くんが転校してきて、12月と1月はタルタロスの攻略がメインになるはずだ。
あと3カ月程度で
なるべく死なないように、死なせないように。それをモットーでいかなければここまで来てパーだなんて考えたくない。
「それでね、風花ちゃんのペルソナが別のペルソナになっちゃってね、ビックリしたんだよ!」
「へぇ…そんなことあるんだ」
奏子には悪いがあくまでも初耳ですという対応をする。
そういえば、今回は天田くんのペルソナも真田くんのペルソナも覚醒していない。
いつもなら荒垣くんが離脱することにより覚悟を決めた2人が新たなペルソナに覚醒し、使用するペルソナが変わるのだが、それがないという事は荒垣くんの離脱というきっかけが無かったからだろうか。
このまま山岸以外のペルソナがだれも覚醒しなかったら。
もしかしたら、少し不味いことになるかもしれない。最悪、戦力不足で全滅、だなんて状況は避けたいところだ。
けれどペルソナの覚醒というのは無理やり誰かが促してなるものでもない。ペルソナは心の持つ力そのものだ。だからこちらとしても手出しできる内容ではない。
ただ、山岸のペルソナが“ルキア”から“ユノ”に覚醒したことを考えると皆が覚醒しない、という事は無いはずだ。
「……」
「奏子?」
不意に、奏子が黙り込んでしまう。
そのことが急すぎて、思わず呼んでみるが奏子からの反応は無い。どうしたのだろうか、としばらく待っているとようやくおずおずといった風に口を開いた。
「お兄ちゃん……悲しいの?」
「え?」
なんで、と聞き返す前に奏子がそのまま言葉を続けた。
「なんだか、そんな気がする。なにか悲しいことあったんだよね…? だから、」
「なんでもないよ。気のせい…じゃないかな。
気の所為ということにしておいて欲しい。そうでなければここで全てさらけ出してみっともなく泣いてしまいそうだったからだ。とにかく、今日くらいはもう少しだけ切り替えに時間が欲しかった。優しくされたくなかった。
「あ、洗濯物洗わないとだからごめんね、部屋に戻るね」
「うん…」
誤魔化して何とか部屋に戻る言い訳を考えたが奏子の顔は納得がいかなさそうかつ明るくない。そんなに悲しそうに見えるのだろうか。もしかして、ちゃんと笑えてなかったりするのだろうか。
「そんな顔してると逆に俺が奏子の事心配になるよ…ほんとに気の所為だから、気にしないで」
奏子に責任を押し付けるようで胸糞が悪いが仕方ない。
逃げるように言い捨てて階段へと向かう自分に奏子がこれ以上何も言ってくることはなかった。
廊下を歩き、部屋の鍵を開けて中に入る。
ただいま、と言いかけてモコイさんはもう居ない事をまた実感して無言で扉を閉めて鍵をかけた。
運悪く耐えきれなくなって泣いてしまったところを見られでもしたら大変だ。余計な心配をかけてしまう。
制服を脱いで寛ぎやすい私服に着替え、カバンにしまってあったマフラーを取り出した。
きっともう使うことはないだろうからキャビネットの奥底にしまってしまおう、とキャビネットの扉を開けて中にあるダンボールの中に畳んでしまい込んだ。ついでに、モコイさんから貰った封魔管も片付けてしまおうと思い立ったが机の上に置いてあるそれを見た瞬間、片付けることが出来なくなってしまった。
机の上のそれを手に取って握り締めながらベッドで横になる。そして固く目をつぶれば、込み上げた悲しみがなんとか我慢できるような気がして。
そしてふと、気がつく。
モコイさんはいなくなってしまったがモコイさんのいた証はここにちゃんと残っている。
嘘でも幻でもなんでもない。死んでも、無かったことになっていない。
無意味にはなっていない。なら、
(自分でも湊と奏子に、何かを遺すことはできる…?)
たとえ死ぬとしても。たとえ、繰り返すことになって無意味になったとしても。
何度だって渡せばいい。無意味だろうがなんだろうが、
自分に遺せるもの。ふたりに残せるもの。今はまだ、よく思い浮かばない。
中途半端なものではだめだ。
まだあと3カ月も猶予がある。なら、ゆっくり考えてもいいような気がした。
瞼が重くなってくる。
荒垣くんに今日の晩御飯は食べれそうにないと連絡しなきゃ、と思う間もなく意識が闇へと沈んでいった。
「三上が帰って来たらしいな」
「ああ、らしいけどな。部屋に帰ってからまったく出てきてねえ」
夜。
ダイニングでそう明彦に返した荒垣は寮に帰ってきたというのにまるでまだ帰ってきていないかのように部屋から出てこない優希を心配していた。
いつもなら晩になれば腹をすかして降りてくるものなのだ。
たまに寝ていることもあって今日もそれではないかという予測を立てるが、呼びに行った際に反応がなく部屋には鍵がかかっていた。基本的に寮にいるときは部屋に鍵をかけないようにしている優希が部屋に居ながら鍵をかけるというのは少し引っかかるところがあった。
「中で倒れていたらどうするんだ」
「まあ、それだな。心配は」
かといって、無理にこじ開けることはできない。体調が悪くて寝ているとしたら起こしてしまうのも忍びない。
「腹が空いたら起きてくるのを待つしかねえだろ」
「そうか…シンジがそう言うのなら、待つしかない…か」
そもそも、たまたま鍵をかけたまま寝てしまったという可能性もある。荒垣たちには優希が急にそんな行動に出る原因がなにかあったのか、と思い当たる原因が何もなかった。
本当に、違和感だけだ。いつもなら軽口として流せるそれに、なぜか嫌な予感がついて回っているだけで。
荒垣が心配しているのは夕食の時に奏子から聞いた「お兄ちゃんに絶対に何かあった」という半分駄々をこねる様な叫びを含んだ意見だった。それを聞いていたのは湊だったが何を考えているのかわからないいつものポーカーフェイスが少し崩れて真剣な表情になっていたのが印象に残る。ただ、何もできないのもまた事実で。
誰だって、他人の傷口に指を突っ込んで抉るような真似をしたくはないのだ。もしその傷口が本当にあれば、の話だが。
影時間
ぱちり。目が覚める。
「起こしちゃった?」
聞こえた声にそちらを向けばベッドに腰掛けるモルフェがそこにいた。いつものように患者着を着て、切り揃えられた白い前髪が両目にかかっている。
「ごめんね、ほんとは今日は起こさないようにって思ってたのに…」
心底申し訳なさそうな顔をするモルフェは前のような狂気が全く見当たらない。そのことに少し安堵する。やはり、前のモルフェは少しおかしかったのだ。
「大丈夫だよ。ああ、そうだ…」
起き上がり、机の引き出しに入れている小瓶を手に取る。ラベルには『オナカヨクスール』と書いてある。すなわち、整腸剤だ。
“青ひげファーマシー”で買ってきたそれをモルフェに渡そうと差し出す。
「これ。モルフェに。お腹壊してるって聞いたから」
「だれに…?」
「……えと、ひみつ…?」
もうひとりの自分、だなんて流石にモルフェには言えない。
困惑しているようだが腹を壊しているのなら飲むべきだと思う。痛いのは誰だっていやだ。
「…そっか、ヒトはお腹が痛いとそういうものを飲むんだね。でもぼくは痛くないから優希が持っていてほしいな」
「本当に?」
「うん。ほんとう。それよりも、優希のことがぼくはしんぱいだよ」
ならいいか、と薬をしまって同じようにベッドに腰掛ける。
「…優希はこのまえ、大切なともだちを亡くしちゃったよね。死は誰にも平等だけれど、それがやってくるタイミングは誰にもわからない。つらかったよね、くるしかったよね、かなしかったよね…」
そう言って、モルフェは自分よりも辛そうな顔をしたまま冷たい手でこちらの頭を撫でてくる。どこで知ったのかは知らないがきっと言っているのはモコイさんの事だろう。
優しくされたくなかったのに、なぜかモルフェにならいいだろう、という軟弱な思考が湧いてくる。ダメなのに、泣いてしまったらもう、戻れないのに。
涙が、ぽろぽろと零れる。
「ふっ…う…ぐ…うん…うん…! 辛かった…! 悲しかった…! なんで、どうして…モコイさん…嫌だよ…俺、おれ…さよならなんてしたくなかった…! 俺のせいで、殺してしまった…! うああ、あああ…ごめんなさい…おれが、よわくて…ごめんなさい…」
一度流れてしまえばもう止まらない。子供のように嗚咽を繰り返す自分の涙はとめどなくあふれてきてとどまることを知らない。それでもなお、撫でてくれているモルフェの手が余計に優しく感じて、他の事も吐き出してしまおうかと思ってしまう。
「うん。つらいよね…もっと、ないていいんだよ。つよがらなくていいんだよ…ほら、全部吐き出してもいいんだ」
「ほんとは、たたかいたくなんか、ない…! 痛いのは嫌だ…苦しいのも…死ぬのももういやだ…! 怖いよ…怖いんだよ…どのみち、俺が、死なないといけないけど、そんなの死にたくないに決まってる…俺だって、死にたくない…湊と奏子にあえなくなるのは、いやだ…! でも、でも…奏子や湊が死ぬのはもっと嫌だし…これは、俺の決めたことだから…頑張らなくちゃ、いけないから…! おれ、は…おれは、がんばら、ないと…」
「うん、でももうがんばらなくて、いいんだよ。もどれなくても、救えなくても、いいんだよ。ぼくが、ぜんぶ、ぜんぶ、優希のくるしいこと、かなしいこと、つらいこと、食べてあげるから。あといっかいでおわりなんだ。だから、」
不意に、頭を撫でていた冷たく小さな手が肩へと移動した。
そしてベッドの上に押し倒された。モルフェはそのままこちらの腹の上に乗ると首へと両手を持ってくる。その行動に違和感を感じた瞬間、モルフェが見た事もないうっそりとしたような笑顔でこちらへと語り掛けてきた。
「……え?」
「──ぼくに、優希の身体をすこしだけちょうだい?」
首に添えられた手に力が籠る。
子供の力だとは思えないほどの力で、首を絞めてきたモルフェに思考回路が混乱する。どうして、どうして、と思う間に息ができなくなってバタバタと手足をばたつかせるも、余計に酸素が失われているだけのようで心臓が空回りするかのように早鐘を打っている。
「か…は…ぁ…や…め……」
「まだ、わたしてくれないの? どうして? ぜんぶぜんぶぼくにゆだねてくれれば、すぐなのに…!」
困惑するモルフェの姿がブレる。
ボロ布と鎖。そして頭骨のついた化け物の姿に変わる。この姿は以前暴走したペルソナと同じもので。よくよく見てみると
ぞわり、とここで初めて恐怖が背筋を撫でる。どうして、モルフェが。
「ちがうちがうちがうちがうちがう!!!! どうして、どうしてどうしてどうして! なんでそんなにおびえた目でぼくを見るの!!! ああああああ! ぼくは優希の、“ナギサ”の力になりたいだけなのに!!!! どうしてわたしてくれないの!!!! じゃまするの!!!!」
それは、慟哭に近い叫びだった。
一層、首にかかった手に力が籠り視界が暗くなってくる。苦しさの中に、力が抜けるような感覚が襲ってきてそのままぷつりと意識を手放した。
10/21(水) 朝
ぱちり、と目を覚ます。
昨日は結局モコイさんから貰った封魔管を持って寝てしまったんだっけ、と考えて妙に息がしづらいことに気がついた。
乾燥していたから風邪でもひいたんだろうか、と頭を掻きながら顔を洗うために部屋に備え付けの簡易洗面台の前に立ってようやく正体に気がついた。
「なんだ、これ…」
また、首に絞められたような跡があるのだ。痣になってしまっているそれに指を這わせれば、なんだかぞわぞわしてしまって気持ち悪くなる。
一体誰がこんなことを、と思うも自分では無理だし部屋の扉は鍵がかかっているので外からの侵入は無理。掻きむしったわけでもないその痣をつけた犯人に思い当たるところが全くない。
ただ、もしかしたら7月の痣が今になってまた出てきた? という可能性がある。たぶん。
医療についてはよくわからないのでそういう事もあるんだろう、という事で自分をごまかして、薬箱から包帯を取り出してぐるぐると巻く。
「……俺、包帯巻くのヘタクソすぎか」
中々上手くいかなくて自嘲する。
少し巻き過ぎかもしれないがまあ隠れているからいいかと妥協した。人間、妥協が大事なのだ。
何度も何度も包帯を巻いたり自分で治療などをしてきてはいるが包帯を巻くことだけはずっと慣れないし上手にならない。不器用なのがこういうところで出ているのかもしれない。もし、器用さが必要とされることがタルタロスの探索であったら自分は間違いなくお荷物だろう。ちなみに、料理の盛り付けも実は得意じゃなかったりする。なぜか菓子類は上手くできるのだけなぞだ。菓子作りは料理じゃないというのか。
溜息を吐きながら洗顔と歯磨きを済ませ、髪をくくってから制服に着替えて下へと降りる。
「おはよう、荒垣くん」
「おう」
「昨日はごめんね、なんか寝ちゃってたみたいで…やっぱり検診で疲れてたのかも」
キッチンに顔を出せば、荒垣くんが朝食を作っていたので手伝うためにエプロンをとりながら言い訳を並べる。実際、疲れていたのだろう。寝ていた、と言っても朝倉先生のペルソナに強制的に昏倒させられただけだ。あれを睡眠ととって良いのか正直わからない。使われたのは
「別にいい。てめぇの妹がえらく心配してたぞ、あとで声かけてやれよ」
「うん」
やはり昨日言い逃げをするように上にあがったのは不味かったか、と思いつつも何故だか心が軽いことに気がついた。誰かに辛いことを打ち明けた後のような、ひとしきり泣いた後のような、そんな感じだった。けれど、泣いた覚えも誰かに打ち明けた覚えもない。ずっと寝ていたのでもしかしたら睡眠が良かったのかもしれない、と的外れなことを考えながらエプロンを着て荒垣くんの手元を横から覗き込む。
なるほど、今日の朝食はウインナーとオムレツの様だ。
何本かタコさんウインナーになっている。細かい。
汁物はまだ作っていなかったようなので冷蔵庫を開けてカットキャベツとコンソメを取り出してドアを閉めた。
「汁物まだだよね?」
「まだだな。今日は無くてもいいんじゃねえか?」
「寒いしコンソメスープにしようよ」
「…俺にゃわかんねえからな」
「俺も自分の感じる温度が正確なのかわかんないよ。でもスープあった方がいいよ、たぶん」
正直、最近ずっと寒いのだ。
皆が暖かい、という日でも寒くて寒くて仕方ない。だからこそ、カイロとマフラーを買ったのだが後者は精神的な理由でもう使えない。
ただ、温度計で示されている温度と体感温度がかなり違うので制御剤の副作用で既に体温調節が狂ってきている可能性の方が高い。
つまり、自分も荒垣くんも「今日は寒い」とか「今日は暑い」とかの話題には弱い。まったくもってダメダメである。
とにかく、コンソメスープを作ろうと沸かした湯の中にキャベツとコンソメを入れる。
コンソメスープは自分のようなズボラでも手軽に美味しく作れるのでいいと思う。具がキャベツだけなのはめんどくさいのと時間がないからだ。これでも美味しいのでコンソメ様様だ。
火が通ったことを確認して、少し味見をすれば予想通りの味になっていて満足した。不味くはない、と思う。
そろそろ、他のメンバーも起きてくるはずだ。特に美鶴さんはもう準備を終えて降りてくる頃だろう。ちらりと横目で見れば荒垣くんはポテトサラダを作っていたようで、手際が良いなといつもながらに感心する。
「なあ、」
「なに?」
「その首の、どうした」
聞かれて「ああ」と思いながら少し手でなぞる。これは別に正直に言ってもいいだろう。
「なんか起きてたら痣になってて、見てていいものじゃないし気持ち悪いから隠したんだ。たぶん、寝違えたかかゆくて掻きむしったかなにかしたのかも…部屋の鍵は閉めてたみたいから誰かのせいじゃないし…」
7月の痣については話さないことにした。ので、思いつく限りの理由を述べてみたが荒垣くんの反応はよろしくない。なにか不味い事でも言ったのだろうか。
「痣…なあ、それ、絞められた跡じゃねえのか」
しばらく考え込むように黙り込んだ荒垣くんがそう訊いてくる。その言葉に、どうしてわかったのだろうかと戸惑いながらも返事を返した。
「え…あ、うん」
「ちゃんと制御剤は飲んでたんだな?」
「うん。忘れずにちゃんと飲んでたよ…あ…まさか、ペルソナが暴走した…とか…?」
荒垣くんに訊かれたその確認で、まさかペルソナの暴走では、と考えるが、普通痣が残るほどに首を絞められて寝続けることはできるのだろうかと思い立った。昨日の自分は、
「うーん、でも昨日の俺はちゃんと寝てたよ。夕方ベッドに寝転んでから朝までの記憶がないし外にも出てないんなら俺の記憶が無いんじゃなくて本当に寝てたと思う。だからペルソナの暴走じゃないのかも…」
「…そうか、悪かったな。ヘンなこときいちまってよ」
「あーいや、ペルソナの暴走って線を無くせただけでもありがたいよ」
微妙な空気になる。気まずい、訳ではないが結局この痣の謎について解決したわけではないので謎が謎のままだ。薬がちゃんと効いていることにも安堵しつつ、話題を変えることにした。
「そういえば荒垣くんは11月の修学旅行来ないの? たしか京都だって…」
「行かねえよ。三上、土産はすぐきと柴漬と千枚漬けで頼むぞ」
「あっそう」
断固として行かないらしい。
普通に漬物のお土産をリクエストされてしまったので買って来ようと頭の隅にメモした。
「俺は天田やコロマルとここに残る。つーか、ここに残らねえと誰があのふたりの飯をつくんだ」
「それもそう…なのかな…」
そもそも荒垣くんはこの前の満月の日に死んでも死ななくても離脱しているので修学旅行の間の天田くんとコロマルに関しては各自で何とかしていた記憶しかない。
自分が楽だったときはできるだけ作り置きできるものを残していたりはしていたが、どうしていたのかはその時の彼らに訊くしかないのでできないし予想するしかない。なのでそういうことにしておこう。
それに、確かに荒垣くんがここに残ってくれたほうが安心できる。あの頃にはもう幾月のあん畜生は天文台からヒモ無しバンジーしているのである程度年長がいた方がいいだろう。
本当に肝心な時には役に立たない幾月だと思う。
「つーことで、頼んだぞ、土産」
「頼まれた。他によさそうなものがあったら買ってくるよ。でも、奏子や真田くんからの土産も覚悟しておいた方が良いよ」
確実に奏子はバナナ八ツ橋を買ってくるだろう。あと真田くんは毎回毎回絶対になぜか土産だというのに抹茶プロテインを探し当てて買ってくるのでプロテインの神にでも呼ばれているのかと思ってしまう。ある意味恐ろしい。
「お、おう…アイツから、か…」
奏子の名前を出せばわかりやすく赤面するのでお熱だなあ、と思いながらもあんまり期待しない方がいいと釘を刺したい気分だ。
いや、何かの奇跡が起こってすごくいいお土産を買ってくる予感もなんとなくあるのでそちらになる様に祈りたいと思う。恋愛成就の神に自分が祈っても意味ないし相手はいないけど。
そんな話をグダグダとしながら、朝食の用意を済ませ荒垣くんと同時に席についていただきますと手を合わせれば丁度美鶴さんも降りてくる。
「おはよう、美鶴さん」
「ああ、おはよう。体調の方は大丈夫か? …なんだその包帯は」
「体調は調子いいくらいだよ。包帯は…朝起きたら痣が出来てて。原因が分かんないし見てていいものじゃないから隠してるんだ。あ、ペルソナの暴走とかじゃないから安心してね」
「……そうか」
「ホントになにかあったわけじゃないと思うんだ。だから心配しないで。俺もよくわかんなくて困ってるし原因が分かったらしっかり報告するよ。もう隠さないから」
「ちゃんと報告してくれるんだな?」
「するよ。もう隠しても意味がないし隠すこともないし」
嘘に嘘を積み重ねているがこういうリップサービスも大事なのだと学んだ。
隠さないなんて嘘だ。原因が分かったら報告するつもりではあるがそれはそれが話しても問題がない事だった場合だ。
話すと余計な気を遣わせそうなことだったり戦えなくなるなら言わない。別のそれらしい理由に変えるかまだわからないを貫く。
「冷めちゃうし、早く朝ごはん食べちゃおう」
促して、自分も箸を持ってポテトサラダを食べる。
程よくほぐれたジャガイモと、マヨネーズの味が甘くておいしい。
そうやって箸を伸ばして朝食を黙々と食べ続けた。
夜
今日は水曜日なので久しぶりに神条さんに会いにエスカペイドに行こうと思い、向かえば既に神条さんはカクテルグラスを傾けながらそこに立っていた。
「神条さん、こんばんは」
「ああ、きみか」
今日の神条さんはまた一段と陰があるように見える。
何かあったのだろうか。
「さて、いつもの話は無しにして、今日の私はきみに大事なことを伝えなくてはならなくてね」
「…?」
「別の仕事が入ってね、今までのようにここには来れなくなってしまうのだよ」
「そ、う…なんですか…」
かなりショックだ。
ライドウくんは都心に帰り、モコイさんがいなくなり、アリスはこの手で殺し、ここに来て神条さんまで、と思うと寂しくなってくる。かといって、引き留めるわけにもいかない。神条さんも仕事なのだ。
余計に外に出る理由がなくなって来る。けれど、ちょうどいいのかもしれない。神条さんは死ぬわけじゃない。仕事が忙しくなるだけだ。
「今日が最後の逢瀬といったところか。いや、もしかするとたまたま巡り合えるかもしれない。そんな奇跡でも願ってみるかね?」
「それもいいかもしれませんね」
シニカルに笑う神条さんに思ってもない事を愛想笑いと共に返す。
奇跡には願いたくはないがたまたまくらいはあってもいいと思う。それは本心だ。
「フッ、ならば祈っていてくれ」
ガラにもなさそうなことも言うんだな、となんとなく思った。
神条さんは神様とか嫌いそうな感じだったのだ。別に、非科学的だといって否定するのではなく、自分のように純粋にあまり神といった存在が好きではない感じがする。もしかして、安心感を感じるのはそういう親近感を勝手に覚えているせいかもしれない。
「でも、今日が最後だなんて悲しいですね」
「そうか。寂しいときみは言ってくれるというのか。こんな私に。だというのなら、きみと交流を深めたことは無意味ではなかったという事だ」
無意味などでは決してない。
こうして、いなくなっても自分が覚えていられる。記憶の続く限り。魂が朽ちぬ限り。この繰り返しが続く限り。きっと。
「きみさえ良ければなのだが、最後にこの本を受け取ってほしい。私の自著でね。いつか渡そうと思っていた」
「ありがとうございます」
礼を言って差し出されたハードカバーの文庫本サイズの本を受け取る。厳かな装丁のされている黒一色の表紙に白い字で『死を求め続ける愚かな黒山羊』と書かれたタイトルが印字されている。
暗いタイトルだな、と的外れな感想を抱きながらそれを丁寧にカバンの中にしまった。こんど、ブックカバーでもかけてから読もう。
「まだ時間には早い。今日はもう少しだけ最後の逢瀬を楽しもうじゃないか」
こちらが本を受け取ったのを満足そうに見た神条さんはそう言ってまた笑った。
結局神条さんと帰る時間になるまでたわいもない話をしながらすごし、さらに駅まで送ってもらい円満に別れを告げた。
「種は蒔かれた。あとは芽吹くのを待つだけ、か」
神条は去っていく後ろ姿を見ながらそう呟く。
「なに、文句はないだろう。私はちゃんと言われた分の仕事をしたはずだ」
誰かに話しかけるようにひとりでぶつぶつとしゃべる姿は異様他ならない。
だが、その場にはだれもいない。それを咎めるような人間すらいないのだ。
「気は進まないが、やれと言われているのなら遂げてみせよう。何分、仕事は手が抜けないクチでね。知っているだろう?」
神条は目を不意に細める。
「…10年前の海底遺跡の件はわざと負けたわけではない。私とて、アレが全力だった。石神くんとふたりであったとしてもね。彼らが私を超えただけの話だ」
むしろ、と神条は続けた。
「なぜあのままあそこで眠らせてくれなかったのか、と文句を言っても許されるだろうな。それくらいの権利はあってしかるべきだ。今の私とて、お前なのだから。お前がそう、『自覚』させたのだから」
地面に映る影が嗤う。神条も、嗤う。
「そうだろう? ──“ニャルラトホテプ”よ」
闇夜の中で、サングラスの奥の黒い結膜に浮かぶ金色の目がギラギラと輝いていた。