君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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帰省(10/29~10/31)

10/29(木) 朝

 

朝食を食べ、湊と奏子に話す事があるので学校へ行く準備だけして2人が降りてくるのを待つ。しばらく待っていると2人がちょうどタイミングよく同時に降りてきたので近寄って声をかけた。

 

「俺、土曜日の夕方から御影町に帰るから」

「えっ」

「ええっ!?」

 

大きく声を上げたのは奏子で、小さく声をあげて目を見開いたのは湊だった。

少し急すぎたかもしれないが、それでも直前に言うよりかはマシだと思ったのだ。

幾月の言う通りになるというのは癪だし色々ムカつく。けれど、この先のごたごたを考えるといいタイミングだし養父母の家に帰って彼らが引き取ってくれた有里家の遺品と三上家で保存されているものを確認したかったのだ。主に、写真や手紙を。

自分の高校3年になるまでの記憶があいまいなので他に変なつながりが無いか確認したい。こっちで旧友に会って「おう久しぶりだな!」なんて言われた日には答えようがない。

…というのをなぜもっともう少し前に思い浮かばなかったのか。やるべきことはたくさんあったというのに。

 

「ほら、もうすぐ最後の大型シャドウ戦だろ? 終わったらめんどくさい後処理とかいろいろありそうだし…直前だけど今帰っておこうかなって。もしよければ着いてくる?」

「いく! 帰ってもいいなら私も小母(おば)さんと小父(おじ)さんに会いに行きたい!」

「奏子が行くなら僕も」

「じゃあ、きまりで。外泊届ちゃんと出しといてね」

 

すんなり決まってよかった、と内心で安心しながら昼休みに連絡しておこう、と考える。

もしかしたら、本当にこれで最後になるかもしれないから。

10年前から今まで愛して育ててくれた恩を返せないのは悔しい。けれど、そんなのこれまでだってずっとそうだった。

何をいまさら、と愚かな自分を嗤う自分がいる。やり直しているだけであって何度も何度も自分が死んでいることには変わりないのに。

本当に、何もかも今更過ぎる。かといって自分は器用じゃない。()()()()()()()()()()()()のだ。そうしないと歩けない。だから、そうしているだけ。

昔はもっと器用になんでもしていた気がする。気のせいだったかもしれないけど、湊が、弟がいたと思い出す前はもっと要領も察しも良かった気がするのだ。

ただそれも今となっては遠い思い出だ。

あの春の雨の日以外、全てが霞んでいると言っても過言ではない。

自分がどうやって生きてきたのか、どんな友達と交流していたのか。大学は、なんでそこに行こうと思っていたのか。

でも、それでいいのかもしれない、と今は思う。普通の生活の思い出を引きずっているときっと立ち止まってしまうから。

 

ため息を吐いて鞄を持つ。

 

「あ、お兄ちゃん溜息吐いたら幸福が逃げちゃうんだって~」

「ベタだなあ…大丈夫だよ、俺はいま幸せだから少しくらい逃げても」

 

そう、幸せだ。そのはず、なのだ。

モコイさんはいなくなってしまったが自分は生きている。救われている。湊と奏子だって生きている。荒垣くんも生きている。()調()()()()()()()()()()()()

これ以上ない幸せじゃないか。

 

「えー! じゃあお兄ちゃんが出した幸せ私が貰っちゃうもんね!」

「それなら沢山溜息吐いた方が良いかな?」

「やっぱりだめー!」

「どっちなのさ…」

 

奏子の熱い掌返しに困りながら苦笑いすれば、隣の湊がわずかに笑っていた。このやり取り、そんなに面白いのだろうか。よくわからない。

けれど結局よく分からなくていいか、と謎の納得をして駅への道を歩くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

昼休み

 

「三上くん、ちょっといいかな」

 

焼きそばパンを自分の席で齧っていると不意に声をかけられたので袋にしまってから顔を上げれば、クラスメイトの…

 

……。

何だか頭が痛い。彼とは毎日クラスで顔を合わせているはずなのに名前がすんなり出てこない。

 

「どうしたの、三上くん。体調でも悪い? 保健室にでも行く?」

「ああいや、大丈夫…それで、話って?」

 

…えっと、そう、思い出した。朔間(さくま)くんだ。

物静かでクラスであまり目立たないけど『クラスの良心』と言われている朔間くん。保健委員のように見えるけどそうじゃないらしい。

そんな彼が心配するような表情でこちらを見てくるので非常にいたたまれない。大したことは無いのだからそんなに心配しなくてもいいのに。周りのクラスメイトもなぜかこちらを見て怪訝そうな顔をしている。そんなに体調が悪そうに見えるのだろうか。

 

「大した話じゃないんだ。次の授業が何だったのか聞きたくて」

「次は数学じゃなかったかな」

「ありがとう。それとごめんね、体調悪そうなのに…」

 

そう言って短い会話を終わらせた朔間くんは去っていったがクラスメイトの名前まですぐに思い出せないのは流石に変じゃないだろうか。

いや、変だとか思うレベルではない。満月が近くなると体調が悪くなることは多々あった。けれど、現在の日常で使用する記憶まで霞んだりすることは無かった。ましてや、クラスメイトの名前までとなると他の記憶も霞んでいたりしないのだろうかと不安になって来るのと同時に気持ち悪くなってくる。

 

無言で席を立ち慌ててトイレへと向かい、胃の中身をぶちまけた。

 

「おえっ…え…はあ、はあ…」

 

洗面台で口をゆすいで蛇口を閉めた。

そのままトイレを出たが流石に昼食を食べる気になれなくて席に座ってから机に突っ伏して考える。

他に忘れていることは無いか。思い出せないことは無いか。ぐるぐると頭の中で記憶の確認をする。

 

けれど、朔間くんの名前をすぐに思い出せなかったこと以外の異常は特になさそうで。それが一層気持ち悪さを際立てた。忘れているというわけではなく今のところは記憶が霞んですぐに思い出せずにいるだけだ。

ただ、()()()()()()()()()()()()()のではないか。自分の知らない間に、自分が消えていっているのではないか。今は思い出しにくくなっているだけだがいずれは湊や奏子のことまで忘れてしまうのではないかという不安が鎌首をもたげた。

いま、2人の事すら忘れてしまったら、自分は自分でなくなってしまう。

ただし対策が無い。忘れているという確定的な情報もない。気のせいかもしれないこの違和感を誰かに相談できるはずもない。

無い無いずくめだ。一体どうしろと言うのか。

日記でもつけたほうがいいのだろうか。帰りにノートでも買おうと決めた。

 

10/31(土) 夜

御影町

 

地下鉄の駅を出て、外食に来ているだろう親子連れや飲みに出ているのであろうサラリーマンに混じりながらビルの立ち並ぶ道を御影サンモールの方向へと向かって歩く。アーケードになっているそこは今の時間だと寄っても居酒屋と、レストランやファストフード店とゲームセンター、後はバーくらいしか開いていないだろう。自分の知っている店が今も残っていれば、の話だが。

最近店の入れ替わりが激しいらしく、数カ月見ない間に別の店に変わっているなんてしょっちゅうだ。

 

「なんか、帰ってきたー! って感じがするね!」

「たしかに。僕らにとってはもうここが地元だからね」

「あっそっか、湊たちも今日が今年初の帰省になるのか」

 

色々忙しかったので仕方ないし下手をしたら1年丸々帰ってこなかっただろう。

なのである意味今回だけは幾月の提案は悪くなかったと言えるのかもしれない。ほんの少しだけ。

 

誰かの事がすぐに思い出せない、などという事は朔間くんの一件以降全くなく、何となく安心している。もしかしたらたまたま調子が悪かったとか自分が思ったよりぼーっとしていたとかそういう事なのかもしれない。でなければ、朔間君があんなに心配してくることもなかっただろう。

こればかりは早とちりの気にしすぎだったかも、と考える。

 

「小母さんと小父さんには電話してるけどやっぱり直接会うのとは違うから楽しみだよね! それと小母さんがご馳走作ってくれてるって!」

養母(かあ)さんのご飯おいしいもんね」

 

奏子の言葉に賛同すれば、隣の湊もうんうんと頷いて僅かに笑顔になった。

 

「荒垣先輩に負けないくらいじゃない? 僕も好きだよ。…小母さんの唐揚げ」

「唐揚げはずっと取り合いだもんね~」

「俺が居なくなってからも取り合いしてるのか…」

 

その光景を想像して苦笑いする。

自分たちもよく食べるが養父(とう)さんもよく食べるのだ。我が家のエンゲル係数が気にならないと言えばウソだが確実にやばいとは思っている。

それを支えている養母さんはすごい。おっとりしていて穏やかなひとなのに、いざというときは養父さんの尻を叩くしきつく叱るしで人は見た目によらないを文字通り体現している人だ。

養父さんは養父さんで、あまりしゃべることは得意ではないが行動で愛情を示してくれる親として尊敬できる人だ。出来損ないに近い自分なんかが彼らの子供として本当に情けないが、それでも愛してもらっていることはひしひしと感じている。そもそも実の子ではないので血を引いてないから似るわけがないと言われれば確かだ。

いや、こんなことで落ち込んでいるわけにもいかないし、考え事をしながら歩いていると危ないからやめておこう。

 

「あ~家が見えてきた~~~~! つかれた~~~~!!!」

 

奏子が見えてきた一軒家の玄関に向かって走り出す。

 

「あんまり走るとコケちゃうよ」

「コケませ~~~ん! わっ、とと!」

 

調子よく返事をした奏子がさっそく地面に蹴躓いてよろめいた。ほら、言わんこっちゃない、と思ったがすぐに体勢を立て直し玄関までたどり着いていた。ここでタルタロスでの戦いが活きてくるとは思いもよらなかった。

 

「へっへ~ん、私が一番乗り~! ただいま~~~~!!!!」

 

勢いよく玄関に飛び込んだ奏子の後に少し遅れて湊と一緒に家の中に入る。

そこには奏子とハグをしている養母さんが居た。養父さんは恐らくリビングでテレビでもみているのだろう。

 

「湊くんと優希もお帰りなさい! 待ってたわよ!」

「ただいま、養母さん」

「…ただいま」

 

満面の笑顔で迎えられ、挨拶もそこそこにリビングへと入る。

予想通りリビングのソファーに座りながらテレビを見ながらこちらに振り向いた養父さんは僅かにほほ笑むと一言。

 

「おかえり」

「わー! 小父さん、ただいま~!」

 

そこにまたしても奏子が飛んでいく。あれでも養父さんは奏子にデレデレなので問題なく受け止める。

奏子を受け止めながら、養父さんの視線がこちらへと向いた。正確に言えば、自分に。

 

「優希、首の包帯はどうした」

 

首に巻いている包帯が気になるらしい。

しまった、言い訳が思い浮かばない。かといって、素直に話すわけにも…いくか。

素直に話していいものだ。だってこの怪我自体にやましいことは無い。

 

「怪我してて痣になってるから巻いてるだけ。もう少ししたら治りそうなんだ」

「…そうか。あまり無茶はするなよ」

「うん。分かってる」

 

そのあとは少し遅めの夕食になり、久しぶりの養母さんのご飯を堪能した。

なんというか、荒垣くんのごはんも美味しいのだがやっぱり養母さんの作るごはんが好きだ。

 

「そうだ、養母さん、有里家の遺品ってどこにしまってあるかわかる? 俺、写真のアルバムが見たくて…」

「写真のアルバムなら…二階にある物置部屋に整理して置いてあるはずよ? そうよね、ハジメさん」

「…ああ。ダンボールに纏めてある。ラベルが貼ってあるからわかるはずだ」

「ありがとう」

 

二階の物置部屋は物置とは名ばかりの書斎のような部屋だ。養父さんが集めた蔵書や変な品や模造刀みたいな本物と見紛うばかりの品が置いてある。

 

「それ、僕も見たい。アルバムとか、あんまりみたことなかったし」

「私も私も!」

「でもどうして突然? 今まで見たいだなんて一言も…」

 

不思議がる養母さんに、枝豆のサラダを箸でつまみながら答える。

 

「いや、何となく…もうすぐ高校生活も終わるし、大学に行く前に見ておきたくなって。俺が生まれた家で、俺がどんな風に過ごしてきたのか今まで知ろうとも思わなかったから」

「……無茶だけはしちゃ駄目よ。少しでも気持ち悪かったり、ダメだと思ったらすぐに見るのをやめなさい」

 

いつになく、真剣な顔でそう自分に言い含める養母さんに嫌な予感がする。やはり、自分の失った記憶はあまり良くないものなんだろうか。

横に座る養父さんを見れば、養父さんまで険しい顔をしている。

 

「俺も着いていこう。部屋の外で待っているから、何かあったらすぐに呼びなさい」

「……、うん…」

 

これはかなり不味いんじゃないか。

養父さんまでこんな事を言いだすという事は、絶対に何か起こる気しかしない。

主に、自分に。

ただ、ここまで来てアルバムを確認しないという道は無い。今逃したら二度と確認できなくなりそうなそんな予感がする。

なら、ここは養父さんの好意に甘えてごり押しで見るしかない。毒を喰らわばなんとやら、だ。こういう時に思い切りの良さは使っていきたい。

 

食事を食べ終え、片付けと皿洗いも終えてから養父さんと湊と奏子の4人で二階へと上がる。そして物置部屋の電気をつけ、ダンボールを探せば意外とすぐに見つかった。

中を開ければ綺麗に整頓されており、目当てのアルバムも一目でわかった。

中をパラパラとめくれば書いてある文字までは判断できないが自分と湊と奏子が写っている写真が見えたのでこれに間違いないだろう。

 

「どこから見る?」

「やっぱり最初からでしょ! お兄ちゃんの赤ちゃんだった頃の写真見たい見たい! あ、でも無理しないでね」

「うん、湊は?」

「僕はどこからでもいい」

 

と、いう事なので最初のページをめくる。

最初のページは幸せそうに微笑む腹が膨れた藍色の髪を持つ母さんと思わしき人物が写っている写真だった。

 

「わ、お母さんだ。若ーい!」

「ほんとだ」

 

2人の反応を見るに母さんで間違いないらしい。その顔は奏子と湊を足して割ったような美人な顔立ちだった。

写真の下には、『初めての私たちの子供。名前はまだ決めていないけれど、今は妊娠8ヶ月目。すくすく育っていってね』と書いてある。

 

「よくみたらさ、ちょっとお兄ちゃんに似てるよね。お兄ちゃん、お母さん似なのかな?」

「え、奏子の方が似てない?」

「僕らみんな似てるんじゃない? 家族だし」

「あっ、そっかー」

 

雑談もそこそこに、次のページをめくる。

次のページには写真が無い。文字も何もなく、ただ空白だけが残っている。

 

「あれ?」

 

奏子が不思議そうに首を傾げる。ページがたまたま抜けただけかもしれない、と次のページをめくればまた腹の大きく膨らんだ母さんの写真が。

『妊娠7ヶ月目。今度は双子だってお医者さんに言われた。あの子の弟かな、妹になるのかな。それともどっちもだったりして。どちらにせよ、無事に何事も無く生まれることを願ってる』と書いてある。

あの子、とはもちろん自分だろう。つまりこれは湊と奏子を妊娠している最中の母さんの写真という事だ。

 

さらに次のページをめくる。

おくるみにくるまれた双子の赤ん坊を抱いて笑う母さんの写真だ。

『無事に生まれてきてくれて本当に良かった。湊と奏子。パパとふたりで考えたこの子たちの名前』と写真の下に書いてある。つまりこれは…

 

「わ! これ赤ちゃんの時の私たちだよ!? すっごい!」

「……」

 

驚いてハイテンションで写真を眺める奏子と、無言でしげしげと眺める湊。2人とも自分が赤子だった頃の写真を見るのは初めてなのだろう。

 

「お兄ちゃん、次のページ!」

「はいはい」

 

奏子に急かされ、次のページをめくる。

今のところ、気持ち悪さや不快感といったものは何も感じていない。これならいけそうかもしれない、と写真を先に見る。

赤ちゃん用の服を着て、ひよひよとした産毛のように柔らかい藍色の髪の生えた可愛らしい赤子が何かにつかまり立ちしている写真だ。湊だろうか。

文字は『1歳とお兄ちゃんになった渚、つかまり立ちをする。初めてじゃないけどやっと写真に映せた。撮影はパパ』と書いてある。この文字は、恐らく名前だ。

 

渚。なぎさ。“ナギサ”…?

それに、お兄ちゃんと書いてある。湊と奏子の兄は、自分だ。つまり、自分は、有里渚ということになる…?

ナギサは、タカヤの知り合いで、人工ペルソナ使いで、桐条の監視下にいた、人間で。

つまり、タカヤ達は最初から居もしない“ナギサくん”ではなく、俺のことを、指していた?

俺だけが、理解を拒んでいた?

 

「……」

 

頭が痛い。この『名前』を見ていたくない。気持ち悪い。早く、忘れないと。

 

「ごめん、ちょっと、俺…ダメかもしれない。あとは、ふたりで…」

 

吐き気とちかちかと明滅する視界を抑えてなんとか声を絞り出す。

知ってしまったことを脳から追い出したい。吐き出してしまいたい。

目の前で切り替わる血みどろの光景を、両手にべっとりとついた血を、直視したくない。

 

返事も聞かずになんとか立ち上がって部屋を出る。そこで力尽きて倒れそうになったところを養父さんが支えてくれる。そしてそのままふたりで廊下のフローリングに座った。

 

「…しんどいか?」

「……かなり。ねえ、養父さん…関係ない、話して…ちょっと、嫌なものが見えるんだ。だから、」

「わかった」

 

少しでも気を紛らわせたい。どちらが夢か現実かわからない切り替わる凄惨な光景ではなく、こちらがちゃんとした現実なのだと自覚したい。

 

「っ、けほっ…」

 

咳き込む。養父さんが背中をさすってくれているのを感じて、少し力を抜いて大きく息を吸った。

 

「そうだな、これは父さんが母さんと結婚する前の話だ。母さんはいまとは似ても似つかないくらいやんちゃで、おてんばで、負けん気が強くて、跳ねっかえりで、男よりも腕っぷしが立ってるんじゃないかと言われていた」

 

衝撃の事実だ。

その話に、明滅していた視界が和らいだ気がした。少しだけ、自分が『有里渚』であるという事を受け入れられそうな、そんな感じがしてくる。

相変わらず気持ち悪いし吐きそうではあるけれど。

 

「ある日、俺はデートの予定を…その、遅刻…した。理由はもちろん、あった。だが、母さんには…ヒロコには関係なかった。連絡も…忘れていた、から。それで、ボコボコにされた。とんでもなく泣かれた。心配した、事故に遭ったのではないか、と。だから俺は二度と遅れまいと誓った」

 

養父さんが尻に敷かれているのはそういう事だったのかと妙に納得が出来た。力関係は元から養母さん>養父さんだったわけだ。

良い感じに思考が逸れてきている。このまま、楽になってしまえば、事実を持って行ったまま正気を保てるのではないかと思ったのだ。

 

「…どうだ」

「ちょっと、楽になってきた…ありがとう、養父さん」

 

養父さんの黒い瞳がのぞき込んでくる。そのことに安心して、もう一度深く息を吐いた。

 

「とは言ってもまだ辛そうだな。部屋に帰るか?」

「……どう、しよう…でも、ひとりになりたくない。怖い」

「わかった」

 

養父さんはそのままでいてくれるようで、すごくありがたかった。

けれど代わりに胸がぐるぐると気持ち悪くなってきて、服の上から掴むように抑える。

 

「けほ、けほっ…」

 

咳が止まらない。あの部屋はあんなに埃っぽかっただろうか。

相変わらず、養父さんは背中をさすってくれているがそれに反して息がだんだんしづらくなってきて咳き込む回数も増える。

 

「ひゅっ、ひゅっ、けほっ…げほっ…」

「落ち着くんだ。大きく、ゆっくり息をしてみろ」

「う、ん…」

 

言われた通り、落ち着いていて息をしようと大きく息を吸い込んだ。

瞬間、目の前に、男が、()()()が立っていた。冷たい目で、自分を、舐めまわすように見ている。

ひゅ、と息を引きつらせた。

 

「あ、あ…嫌だ…いやだいやだいやだいやだ!!!!!! ちがうちがうちがうちがう!!!!! たすけて、たすけて!!!! いたいのはやだ!!!! ぼく、いいこにするから、なかないから…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ──」

 

 

 

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

 

怯えたように身体を縮こませながら錯乱している優希を優しく抱きしめつつ、三上ハジメは我が子である血のつながらない子供のトラウマの原因に対して顔を顰めた。

善戦はしていたが『今回』もダメだったか、と思いながら頭を撫でて声をかける。

 

「大丈夫だ。ここには“ナギサ”を怖がらせたり傷つけるやつはいない。そんなやつがいるなら、父さんがどこかにやってやる。だから、大丈夫だ」

 

過去に数度、こうして不意に記憶のフラッシュバックをしてしまった際の息子は、記憶を失う前まで退行しているようで。

『優希』と呼びかけても何の反応もなかったが、こうして“ナギサ”と呼んで抱きしめると驚くぐらいすぐに落ち着いてそのまま意識を失うことが多い。そして次の日には目が覚める。何もしないよりかは回復速度が全く違うのだ。

 

「あ…お、とう、さ……きて、くれ…た……」

 

引き攣らせた呼吸のまま、安心するように涙目で僅かにはにかんで意識を失う。

恐らく、これはこの時の“ナギサ”が求めていた助けだったのだろう。だが、現実はそうではなかった。だからこそ、こうしてトラウマを抱えているわけだ。

三上ハジメは、息子の過去を詮索するつもりはない。だからこそ、何も知らない。

しかし、これでは根本的な解決にならないのでは、と今の様子を見て思い始めていた。

なにが、「時間が解決してくれるだろう」だ。高校生にもなって、もうすぐ大学生だというのに息子の傷は何ひとつ癒えていない。息子はいまだ、本当の意味で『三上優希』にはなれていないのだ。

ずっと、幼少の『有里渚』の影がついて回っている。ハジメとて、それを受け入れて『三上優希』ではなく『有里渚』に戻るのならそれでもいいと思っていた。

『三上優希』という名は、子供に恵まれない自分たちが降って湧いてきた天の恵みのようなこの子に押し付けた名前なのだから、と。

完全に跳ねのけるのならそれでまた良かった。『三上優希』であることだけに目を向ければいいのだから。

しかし受け入れることも否定もできていない今のままではどっちつかずだ。ふたつの存在の間で、不規則に揺れているような、何者にもなれないそんな中途半端な存在。

 

「優希はもう大丈夫だ。後でベッドに寝かせるからもう出てきていい」

 

ハジメは物置にしている部屋のドアにそう語りかける。

僅かに開いたそのドアの隙間がさらに大きくなり、ふたつの頭がひょっこりと出てきた。

 

「う…バレてた?」

「気配が丸わかりだ。心配なんだろうが、俺から隠れようと思っているのならそわそわしているのをやめた方が良い」

 

奏子の言葉にハジメは淡々と答える。

その答えに奏子は「うーん」と唸り、代わりに湊が口を開いた。

 

「小父さん、なんでわかるの」

「……職業柄だ」

 

顔を逸らす。そしてそのまま優希の身体を持ち上げれば、2年の冬休みに帰ってきた時より軽くなっているように感じて。

2年の冬休みの時はたまたまこちらに来ていた兄妹たちの親戚──すなわち湊と奏子がこの家に引き取られるまで家に置いてもらっていた有里の血筋の人間──に名前を呼ばれ、体を触られした結果、その場で錯乱することは無かったが逃げ込んだ先のトイレで嘔吐し続け、最終的に意識を失う事態にまで陥った。もちろん、すぐに急用ができたともともと好かない縁もゆかりもないその親戚を追い出し、妻と共に介抱したがあの時寝かせに持ち上げたときよりも軽いとはどういうことなんだ、と今度は眉だけをハジメはひそめた。

 

「もし、まだアルバムや遺品を見たければ好きにすればいい。けど深夜12時前には寝ること。いいな」

「うん」

「…うん」

 

そう告げて、立ち去ったハジメの後ろ姿を見てから、ふたりはすぐに物置に引っ込んだ。

 

「お兄ちゃん、途中まで頑張ってたのに…」

「何がダメだったんだろう。名前を見たところまではまだ耐えてるみたいだった」

「うん。小父さんに話をせがんでたよね」

「ちょっと持ち直した感じだった」

 

双子はふたりで考えながら遺品を漁る。すると、遺品の中に一枚の手紙があることに気がついた。

 

「これ…手紙…?」

「奏子…裏…! 差出人…!」

 

封筒の裏に書いてある名前に気がついた湊が眉を顰めた。

その顔と声に、奏子が封筒を裏返せば、差出人の名前に『幾月修司』と書かれているのに気がついた。消印は1999年の8月の終わりだった。

 

「え…理事長…? なんで? だってこれ、ウチに…有里に出された手紙で…いつの…!?」

 

慌てて中身を取り出して読めば、要約すると『行方不明になった息子さんが見つかったので辰巳ポートアイランドまで来てほしい』という内容だった。

 

「ねえ、この指定された日付…事故の、次の日…だよね…行方不明になった息子って、これ…これ…お兄ちゃん、だよね…なんで…どうして、理事長の手紙に、お兄ちゃんが…?」

「……わからない。たまたま、保護されただけかもしれない」

 

そう結論づけた湊だったが、実のところあの日の両親がなぜ自分たちを乗せて車でムーンライトブリッジをわたっていたのかはっきりと思い出したのだ。

 

『明日、きっとお兄ちゃんに会えるから、今日は海の見えるホテルに泊まろうね』

 

そう母に言われたことを。

ポートアイランドにある、海沿いのホテル。白河通りではなく、立派な、桐条グループが管理するそのホテルに向かう途中で影時間になりあの事故に巻き込まれた。

湊と奏子は母親に投げ出される形で、炎上し爆発する車から出ることが出来た。そうして命をつないだ先で、デスと戦うアイギスを目撃し、その身にデスを封印されたのだ。

兄を餌に自分たちは誘き寄せられた? と思うもそれは違う気がした。あくまでも、それは付属するおまけのような、そんな気が。

それに幾月は基本的に嘘つきではない。必要なことを言わないだけであって、あの言動に嘘偽りはない、筈だ。たとえ当時エルゴ研の研究員だったとしても。

引っかかるがこれだけでは判断材料が少なすぎる。

 

「そっか、理事長、優しい人だもんね。昔もきっと優しかったんだろうなあ」

 

奏子は知らないからそんな能天気なことが言えるのだ、と湊は思ったがアレは初めての湊も胡散臭いと思いつつも騙されたので人の事を言えない。

しかも、あと数日でその本性は嫌でも明らかになるのだ。

湊は溜息をひとつだけ吐いた。

 

 

 

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