君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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避けられない戦い(11/1~11/3)

11/1(日) 朝

ぱちり、と目を覚ます。

吸い込んだ空気の匂いに、ここが寮の部屋ではなく家の自室だと気がついて息を深く吐いた。

そして記憶を遡る。

倒れたことは覚えている。なら、何故倒れたか。

アルバムを見たからだ。

アルバムの何を見たか。

自分の、『有里渚』という名前だ。そして何かを理解した、はず。

 

「……」

 

ダメだ、そこのところだけ記憶がどうしても思い出せない。かといって、もう一度確認すれば恐らく同じことの繰り返しだ。

だがこれでわかった。自分は、自分の昔の名前をトリガーに意識と記憶を失う。つまり、それに関する何かがあるはずだ。大型シャドウ戦が終わって落ち着いたらひとつずつ、ゆっくり調べていこう。二ヶ月は猶予があるのだ。恐らく、記憶を取り戻すことは無理でも、昔の自分の名前くらいは言えるようになるだろう。多分。

無理をすれば倒れるだけなので、なるべくそれは控えて。時間を無駄に消費することだけはやめたいから。

 

楽な私服に着替えて二階にあるトイレに行ってから下に降りれば養母(かあ)さんが朝食を作っていた。

 

「養母さん、おはよー」

「おはよう、今なら洗面所空いてるわよ。さっきハジメさんが出てきたばかりだから」

「ん」

 

洗面所が開いているらしいと聞いたのでそのまま洗面所に向かって洗顔と歯磨きに向かう。リビングに居なかったという事は養父(とう)さんはトイレにでも行っているのかもしれない。

それらを終えて出てくるとちょうど奏子が降りてきていたのかリビングで寝ぼけながら朝食のトーストを齧っている。湊は寝ぼけているというより半分寝ている状態でコーンスープを掬ってはスプーンから皿に落とす作業をしていた。

 

「ほひいひゃんほふぁふぉ~」

「んー…」

「おはよう」

 

口の中のトーストで殆ど発音できていないがたぶん「お兄ちゃんおはよ~」あたりだと思うので挨拶を返しておく。湊はもはや言葉になっていない唸り声なので答えないで放っておくことにした。

そんな奏子の隣の席では養父さんが新聞を読みながらコーヒーを啜っている。

 

「養父さんもおはよう」

「…ああ」

 

マーガリンをたっぷり塗ったトーストにオムレツを乗せて食べ、次にベーコンサラダを合間に挟んでサンドイッチにしてまたひと齧り。

 

「昨日の事は、どこまで覚えているんだ」

「んー…アルバム見て、気持ち悪くなって、養父さんのしてくれた養母さんとのデートに遅れた話をきいたとこまで、かな」

「まあ、ハジメさん、そんなこと話したの?」

 

不意に、養父さんにそう聞かれたので包み隠さず話せば養母さんが恥ずかしそうに顔を赤らめた。心なしか養父さんも恥ずかしそうだ。

 

「あ、あの話…は、気を紛らわせるために…しただけだ」

「うんうん。ありがとう、養父さん。あ、それと…あの家での名前だけがどうしても思い出せないのと多分あの名前を見たり聞いたりしたタイミングで自分が変になってるってのなんとなく自覚したから、ゆっくり何とかできないか試してみる。もちろん、無茶はしない方向で」

「そうか」

 

そこでその話は一旦終わり、「無気力症が増えていて怖いね」とか「冬休みには帰って来るのか」という話などを途中から起きてきた湊も含めて家族全員で話した。

冬休みの帰省については受験もあるし恐らくできないかも、と返せば少し養母さんが寂しそうだったが嘘は言っていないので何とか耐える。今まで同じような言い訳を何度も何度もしてきたので慣れっこだ。

 

夕方までには巌戸台に帰りたかったので昼には出ると伝え、物置部屋に向かって今度は三上家のアルバムを探す。

そちらのアルバムの置き場所は何度か見た事があるのですぐにわかり、手に取ってパラパラとめくれば聖エルミン学園に入学した時の自分と中学の制服を着ている湊と奏子が写っていた。この時の記憶もよく思い出せないが、きっと自分は卒業までずっとこの高校に通うと信じきっていた頃だろう。

他の写真を見てみたが特にめぼしいものは無かった。水族館だったリ海水浴だったり遊園地だったり博物館だったり。小学生の中学年くらいからだったがいろんなところに連れていってもらっている自分たち兄妹の写真ばかりだ。

アルバムを閉じて仕舞い、自分の部屋に向かう。もし、全ての周で自分の部屋の前提が変わっていなかったら自分の日記のようなノートがあるはずだ。

高校に入ってからは書かなくなったが、中学までは毎日なんでもいいから起きたことを日記に書いた方がいい、と言われていたような気がする。誰に言われたのか覚えていないが養父母ではなかった事だけは確かだ。

 

ダンボールを漁ればあっさりと纏めて束ねてあるノートが見つかる。そのうちの表紙に書いてある年月日の近いものを手に取って中身を読んだが「見かけた野良ネコが可愛かった」だの「今日は連続8回のチョーク避けに成功した」だの「早弁してもバレない方法をクラスの伊藤くんと考えた」だの「岡田がいつもの如く女子更衣室を覗いてフルボッコにされていた」だの特筆すべき内容は無いと言えば無かった。

適当にその日あったことを書いているだけだったようだ。飽きたと思われる日はひたすら晩御飯のメニューだけが書かれているときもあった。

しかも、特に仲がいい人間がいたとも書いてない。まんべんなく、クラスの全員とそれなりのつきあいがあっただけというか今とあまり変わらないというか。そんな感じだった。

手がかりは無しか、とノートをしまってベッドに寝転がる。

 

家で燻っていても何もならないか、とすぐに起き上がると上着をひっつかんで携帯電話と財布をポケットに突っ込んでから階段を降りる。

 

「ちょっと散歩に行ってくる。1時間もかからないから心配しないで」

 

リビングにそう声を投げかけて、返事を聞かずに玄関を開ければ秋の寒い風が頬を撫でた。

上着の襟に首をうずめるようにして歩き出す。金木犀の香りが鼻腔をくすぐる道を歩きながら、足は寂れた神社へと勝手に向かっていた。

アラヤ神社と呼ばれるそこは10年前までは祭りがあったりそれなりに人が来ていたらしいがいまは人気が無い。社の前で手を合わせ、賽銭を投げ入れて社に入るための階段に腰掛ける。少し罰当たりかもしれないがベンチが無いので許してほしい。

目の前を、チラチラと何かが飛んでいる。それが金色の蝶だと理解した瞬間、自然と眉が寄る。

 

「……」

 

立ち上がり、その蝶から離れるように歩き出す。散歩は終わりだ。

あの蝶には近づきたくない。絶対になにか不快になる事を言われるだけだ。そもそも、あの蝶が何なのか自分はよくわからないが“ただの良い奴”ではないのは確かだ。

逃げるように家へと帰れば、養母さんが「おかえりなさい、早かったわね」と声をかけてくる。本当はもう少し街を見て回りたかったがアレがいるとなれば話は別だ。

結局、昼食を食べてすぐに巌戸台に帰る時間になってしまい挨拶もそこそこに御影町から離れることになった。

 

 

 

 

寮に帰ってきて幾月の寒ーい「ゲン担ぎに店屋物のカツでもご馳走しようかな」というギャグをゴミを見るような目で受け流す湊を見つつ、自分もできることならそういう目をして対応してみたかった、と内心で悔しく思う。

 

「幾月さんがギャグを披露しておりますが、誰も相手にしていませんね。現にわたしの思考回路もまた、彼のギャグが入り込む余地はありません」

 

アイギスにさえも拒絶された幾月のギャグって一体何なのだろうか。いや、ここにいる皆は現状での最終決戦(最終決戦にあらず)に向けて気合いが入っていてギャグをいちいち気にしていないだけだ。

 

「最後のシャドウ…影時間の消滅…影人間のいない平和な街…そういったことで、容量が全て埋め尽くされていますので」

 

対シャドウ兵器であるアイギスにとって、戦いがなくなると言うのは初めての物なのだろう。ただ、残念ながらこの戦いは今回で終わる訳じゃない。それにこのまえタカヤが言った通りなら何らかの理由でタカヤ達ストレガの妨害にあうかもしれない。結局、こうなることは変えられないというのか。

ストレガが襲撃してくるかもしれない、というのを皆に伝えるべきなんだろう。けれど、タカヤは湊と奏子に話をする、とも言っていた。

伝えるべきか伝えざるべきか。悩む。

安全を考慮するなら襲撃に備えてあの話を伝えるべきだ。ただ、その話を本人たちから直接聞いたとなれば内通を疑われかねない。チドリに会っている伊織には秘密にするようにと頼んでいるがそれは伊織がいい意味で深く考えないお調子者だからであり、他のメンバーは真っ先に自分を疑うだろう。ちょっと伊織は惚けが漏れている気がしないでもないが。

とにかく、ここで皆の士気を下げるわけにもいかない。それにもしかしたら話し合いで何とかなるかもしれない。だからここは黙っていようとそう決めた。

 

11/2(月) 夜

 

「…いよいよ、明日で、最後の作戦ですね」

「まぁね…」

 

皆で集まった寮のラウンジのソファーの横に立ちながらその話を聞く。

 

「けど、たった半年チョイで色々あったよね…奏子ちゃんと有里くんはどう?」

「「あっという間だった」」

 

奏子と湊がぴったりと同じタイミングで同じ感想を吐いた。そのことに訊いた岳羽が目を丸くして驚く。

 

「うわ、流石双子…まあ、そうだよね」

「オレ的にゃ、ヒマしてるよりかは、全然良かったけどな。いろんな人にも会えたしさ」

 

伊織が指しているのはいろんな人というか主にチドリだろうけど、そこにツッコむ人は誰もいなかった。

 

「そうですね。僕も皆さんに会えてよかったと思っています。その、荒垣さんとも」

「…おう」

 

天田くんの言葉に照れたように荒垣くんがそっぽを向いた。素直じゃないんだからなあ、と言いたげな奏子の視線が荒垣くんを貫く。

 

「無駄なことは1つもなかったさ。“力”を得て2年半…悪くない時間だった」

「ワン!」

「2年半って長いですよね…あ、アイギスはもっと長いか」

 

真田くんの言葉を肯定するように吠えたコロマルと、2年半という言葉を聞いて納得するように呟いた山岸はアイギスの方がペルソナ能力を得てからの年月が長いことに気がついて訂正する。その声に、皆がアイギスの方を向いた。

 

「わたしは、ほとんど寝ていたので、実稼働は極めて短いであります」

「桐条先輩は、いつからやってんですか? 確か、真田サンよりもっと前からって…」

 

伊織の言葉に今度は美鶴さんへと皆の視線が向く。随分とせわしない。

 

「…ん? 私か…? …最初は、私1人だった。もっともその頃は、まだ作戦も無く、ここもただの学生寮だったがな」

「先輩も、理事長から誘われて?」

 

岳羽の疑問に美鶴さんは首を横に振った。

 

「いや…違う。私は幼い頃から影時間への適性があったんだ。以前、父の指揮するタルタロス調査の一団がシャドウに襲われたことがあってな。傍らで見ていた私に、その時、ペルソナが覚醒したんだ」

「そんなことが…」

「…私は、安定制御下でペルソナを覚醒できた最初の例だったらしい。…あの日、私に覚醒が起こらなければ、三上や人工ペルソナ使いたち…それに今日のみんなの苦労は…無かったのかもな」

「先輩…」

 

なぜか美鶴さんがこちらを見つめてくるが美鶴さんのせいではないので首を横に振っておく。

 

「遅かれ早かれ別の誰かがペルソナに目覚めて戦ってたんだろうし、美鶴さんが気負う必要はないよ」

「三上の言う通りだ。どのみち、誰かがやっただろ。敵は、放っておけないんだからな」

「……そうだな」

 

その言葉に少しだけ微笑んだ美鶴さんの顔は先ほどまでとは違い明るかった。

そのまま会話を終わらせて、最後の調整という事で疲れない程度にタルタロスに登って満月の日を迎えるのだった。

 

 

 

 

11/3(火) 影時間

影時間になった瞬間に、示し合わせたように作戦室に集まる。

そこであたらし新しく目覚めた“ユノ”を使い山岸が大型シャドウの探査をしていた。

 

「発見しました。場所は、ムーンライトブリッジ南端。12番目…最後のシャドウです」

「フンフン、いよいよだね…」

「それと、付近にペルソナ使いの反応あり。数は…4…!? ストレガの3人だけじゃなく、もう1人…反応が微弱だけど誰かいる…?」

「!?」

 

4人と言う山岸の言葉に皆が目を見開いた。チドリがこちらに捕まっていないので、3人は確定として、もうひとりとなるとだれかわからない。全く予想がつかないともいえる。

 

「4人…? だが、連中にとっても、最後の砦だからな。予想はしていたが、油断するなよ」

「あいつら…」

 

軍事基地跡での毒ガス事件が尾を引いているのだろう。天田くんが顔を顰める。

 

「フン、探す手間が省けたな」

「おいアキ、突っ走るんじゃねえぞ」

「分かっている」

 

やる気満々で鼻息荒い真田くんを荒垣くんが諫める。この調子ではイノシシの様に突撃していってしまいそうだったので抑えるストッパーたる荒垣くんがいてくれてよかった、と遠い目をする。荒垣くんが入院したり死んでいた場合こうやって突撃しようとする真田くんを止めるのは自分の役目なのだ。ついでに言えばそんなに仲良くなかったりするので酷い時は当身チョップする羽目になるのであまりしたくない。

 

「みんな…今までよく戦ってくれた。これが最後の作戦になるだろう。いつも通り、細心の注意を払っていくぞ」

 

美鶴さんの言葉に皆が頷く。大型シャドウ戦に限ればこれが最後の作戦だ。ようやく、ここまで来た。

満月の日は制御剤を飲んでいても毎回ペルソナを暴走させている気がするので、ムーンライトブリッジに向かう前に制御剤を多めに飲んでいこうといつもより多めに出して一気に呑み込んだ。

お茶か水でも持ってくれば良かった、と顔を顰めれば、いきなり肩に手を置かれて身体を跳ねさせる。振り向けば、幾月がそこに立っていた。

 

「ああ、声は掛けていたんだけど聞こえてなくて驚かせてしまったみたいだね」

「…どう、したんですか、理事…長」

「いや、作戦頑張ってくれたまえよとうら若き青少年を激励しようとおもってね! あと緊張しているようだったからここで一発、僕の厳選した連続ギャグ傑作集を…」

 

おほん、と息を吸い込んだ幾月に首を横に振る。

 

「あ、結構です」

「酷いね三上くん!? みんな聞いてくれないんだからせめて君だけでも聞いてくれたっていいじゃあないか!」

「すみません、湊が呼んでるのでこれで」

「そんなー」

 

誰が好き好んで幾月の寒々しいオヤジギャグを決戦前に聞かねばならないというのか。

適当にあしらって湊たちと合流し、ムーンライトブリッジへと向かった。

 

 

 

 

タカヤ、ジン、チドリ。そしてイズミの4人はムーンライトブリッジで特別課外活動部が来るのを今か今かと待ち構えていた。

大型シャドウである『刑死者(ハングドマン)』より随分手前の位置だがこれは刑死者(ハングドマン)からの攻撃を受けないためと“ナギサ”をそれに近づけさせないためだった。

 

「他の面々も強力ですがまずはナギサの“ヒュプノス”を出させないことに全てを賭けてください。アレは、恐らく次は無差別に邪魔をするものすべてを襲うでしょう。下手をしたら、ナギサ自身がアレに乗っ取られかねない。そうなれば我々の作戦は失敗です。刺激しないように、しかし手は抜かずに行きましょう」

「ヒュプノスて…アレか…昔とはえらい違う姿になっとったな…」

「アレは怖いものよ。昔のあのペルソナとはもう違う。だから、気をつけて」

 

ジンとチドリが顔を顰める横で、イズミが考えるように顔を伏せる。

 

「イズミ、“名無し”の調子はどうや?」

「大人しいよ。あれから、まるで従順になったみたいに…いや、こいつは元から俺の気持ちに従順だったな…」

 

少し悲しげな顔をして己の召喚器である柄に黄昏の羽が埋め込まれたナイフを撫でる。

あの1件以降、健康体になったイズミだったが影時間への適性とペルソナ能力は失っていなかった。しかも、ペルソナが暴走すらなくなったというのだからイズミとしてはうれしい限りだが少し複雑だった。

 

「ま、戦えるならそれでええわ。やっこさんら、来よったで」

 

歩いてきた10人ほどの集団に、目を向ける。

 

「今日で最後という事は、むろん知っていますね? あなた方はシャドウが災いを招くから倒すのだと言った…けれど、そのシャドウを倒すことにより、取り返しのつかないことになるかもしれなくなるとしたら?」

「どういうことだ!?」

 

美鶴がタカヤの言葉に食って掛かる。それに眉を顰めたタカヤは優希を指さした。

 

「彼、ですよ。私と彼の中にいるペルソナには特別なつながりがありましてね。大型シャドウを倒すたびにその内で気配が増すのを感じていました。最初は、砕かれたそのペルソナが元に戻ろうとしているのかと思っていましたが、どうやらそうではないらしい。…喰らっているのですよ。大型シャドウを。そして何か恐ろしいものに変貌しようとしている。さて、愚かなあなた達に質問です。最後のピースであるあのシャドウを倒せば、ナギサはどうなってしまうのでしょうね」

「……そ、れは…」

 

視線が一気に優希の方向へと向く。視線が集まった本人は、顔を伏せている。

 

「もしかしたら、変異したペルソナが内側から彼を食い破るかもしれない。もしかしたら、何も起こらないかもしれない。仲間想いのあなた方は、どちらを取りますか?」

 

誰も答えられない。

大型シャドウを倒すたびに異変が起こるのを目の当たりにしてきたメンバーには、タカヤが言っていることもあながち嘘ではないと何となく察せたからだ。

だが、

 

「どの道倒すしかないなら倒すしかないでしょ。なんでみんな悩んでるの」

「三上ッ!!!」

 

感情の乗っていない声でそう答えた優希に、明彦が食って掛かる。一体、皆がなぜ悩んでいるのかわからないと言いたげなその発言に耐えられなかったのだろう。

 

「どう考えても俺一人と日本中の人間が影人間になって滅亡するの、どっちがマシかなんてわかりきってるじゃん。それに、タカヤの言う通り何も起こらないかもしれない。…なにか起こったらその時は……湊、前に頼んだこと、覚えてるよね? タカヤ達も。俺の事殺してくれていいから。食いつぶされたんならそれはもう俺じゃない。俺の姿をした何かだ。だから、気にせず、誰かを傷つける前に」

 

殺してくれ。と、何かを覚悟したような顔で言い放った優希にジンが憤慨するような表情で叫んだ。

 

「ワシらはどうでもいい人間共とナギサを天秤にかけるまでもないわ! もうええ、交渉決裂やタカヤ! 殴ってでもこの阿呆を止めるで! 連れて帰ってあのヤブ医者の説教受けさせな!!!」

「…確かに、お前達(ストレガ)の意見に今は賛成だ。だが、我々が大型シャドウを倒さなければいけないのもまた事実。退いて貰うぞ!」

 

空気が張りつめたものになる。が、ひょい、と手を上げた優希がそこにさも名案だと言いたげに水を差した。

 

「じゃあその意見折半して、とりあえずは大型シャドウを倒してその後で俺が変になったら殴ってもらうってのはどう?」

「お兄ちゃんは黙ってて! あと私たちからも後で説教だからね! 桐条先輩に処刑してもらうんだから!」

「優希、邪魔だから下がってて。あと今日はペルソナ使用禁止だから」

「しょ、処刑!? 邪魔!? あ、はい…」

 

弟妹である奏子と湊にぴしゃりと叱られ、すごすごと縮こまって後ろで道具袋と思われる袋を持って下がる姿は情けないこと極まりない。先ほどまで何かを覚悟していた人間と同じだとは思えない。

 

「うわ…俺も人のこと言えないけどあれはな…」

「奏子っち、コエ~…」

 

思わずイズミと順平は少し同情した。発言が発言なので擁護はできないが。そんなイズミと天田が相対する。

 

「イズミ、さん…貴方もペルソナ使いだったんですね…」

「あ、ああ…(けん)君…いやその…隠してたわけじゃないんだけど…な?」

 

ごにょごにょもごもごと言い淀むイズミに、知古の中である天田は「変わらないなあこの人」と遠い目をした。イズミは隠し事がニガテというか誤魔化すことがヘタクソなのを夏のわずかな期間だけだが共に過ごした天田は良く知っていた。悪い人ではないのだ。悪い人では。

 

「俺だって納得して道具係してるけどさ~…あんないい方しなくたってさあ…というか基本的にみんな魔法でぱぱっと傷治すじゃんか…これ実質的な補欠じゃ…あ、やめよ…考えてたら情けなくなってきた…落ち込みそう…」

 

天田はイズミについてそう思いながら背後でぶつぶつイジイジといじけている優希の言葉を聞かなかったことにした。ここまで来てしまえば先ほどまでの緊迫した空気が弾け飛んでしまいそうで。一体誰の為にこうやって争っているんだっけ? と不思議な気分になって来る。

 

「なんや、思ったよりナギサ平気そうやないか? どうや、チドリ」

「変なところは無い。けど、タカヤがああ言うのなら急に変になる事も、ある」

 

チドリの顔は険しい。イズミがいるお蔭で戦闘に直接参加はしていないが常に気を張っているのだろう。横を見れば、胸元を抉る様に召喚器で切りつけたイズミが“名無し”を召喚しようとしていた。

赤黒い光と力の奔流が渦巻く。そうして黒い霧のようなものが出てこようとした瞬間、

 

「来い、“名無──」

「止めて! いま、ナギサの気配が乱れた…!」

「!?」

 

そのチドリの声に、イズミが召喚を止めようとするももう遅い。

 

「あ、ぐ…あああああああああああああああ!!!!!」

 

絶叫。腹を抱えて大きく目を見開いた優希が必死に何かに耐えるように膝をついている。

イズミから噴出した黒い靄が巨人の形を造ろうとして、弾けた。

そして、イズミの頭の中に声が響く。

 

──我は汝。汝は我。

 

──我は汝の心の海より出でし者…選択する運命の女神“ケーレス”なり。

 

弾けた靄がひとつの形を作る。“名無し”と同じ真っ黒な体躯に鋭い爪。翼の生えた真っ黒な女性の姿をしたそれが、青い光と力の奔流を纏い現れる。

 

「“ケーレス”…? “名無し”、お前…なのか…?」

「ペルソナの覚醒…!? 微弱だった反応が変わってはっきりとしたものになってる…相性は…え、全ての属性に耐性があります! 皆さん、気をつけて!」

 

驚きに呆然と“ケーレス”を見上げるイズミと弱点が無いペルソナに驚く風花。

突然のペルソナの覚醒に皆が皆、理解が出来ないでいる様だった。ただ、絶叫して苦しんでいた優希に目をやらねば、とイズミが気づいた時には優希はぬらりと立ち上がっていた。

 

「三上先輩、だいじょ…ひっ…」

 

声をかけようとした岳羽の声を無視して、前へ一歩でた優希は嗤っていた。その目は、ギラギラと金色に輝いている。

その異様な雰囲気を感じ取ったチドリが顔を顰めた。

 

「出てきたわ。…アレはナギサじゃない」

「あ、そっか。きみと山岸って子にはわかるのか。ほんとに邪魔だなあ、ふふふ…」

 

心底忌々しい、という顔をした優希から、赤黒い光と力の奔流が噴出する。

そして現れたのはボロ布と鎖のペルソナである“ヒュプノス”だった。ニィ、と優希が邪悪な笑みを浮かべる。

 

「まずい──」

「【アンティクトン】」

 

瞬間、即死レベルの禍々しい魔力の爆発が全員を襲う。それも、ストレガと特別課外活動部に関係なく、全員に。

しかし、

 

「……へえ」

 

煙が晴れ、その光景を見た優希はまた忌々しそうに薄く笑う。

全員がほぼ無傷でそこに立っていたのだ。

 

「何をやったのかは知らないけど──っと、アイギス、きみは少し人の話を聞いた方が良いよ」

「貴方は、ダメであります! …優希さんから出ていってくださいッ!!!」

 

話をしようと嗤った優希に、アイギスが跳びかかる。

その顔は鬼気迫るもので、誰も手出しができないようだった。

しかしひらりとそれを避けた優希は数歩下がってまた嗤いながら口を開く。

 

「それはまだ駄目だっていったはずだよ? 覚えていないだろうけど僕らはまだ()()()()()()()()()()()。やりたいなら、あの大型シャドウを食べてからじゃないと。それに僕と優希は一心同体だ。離れるなんて……いや、それもいいかもね。名案だ。きみたち全員を、殺してから離れることにするよ!」

 

目がぎらりと光る。そして、取り乱したように頭を振って叫びだす。

 

「お前達さえいなければ、優希が苦しむことも無かったのに!!! お前たちのせいだ!!! お前たちが生きているから!!! 消えてしまえ、消えてしまえ、消えてしまえ!!!」

「勝手なこと言わないで! お兄ちゃんがそんなこと望んでるはずがない!」

「あははははは! 妹の癖になーんにもしらないんだあ、どれだけ優希が苦しんでぐちゃぐちゃになってるのかも!」

 

嘲笑う。兄の顔をしてそれは奏子をバカにするように叫んだ。その表情は侮蔑が含まれていた。

兄がいつもなら絶対にしないその表情に奏子はたじろぐも、負けじと言い返そうとする。

 

「そんなことないもん! お兄ちゃんが私たちを大事に思っててそんなこと言わないことぐらい知ってるもん!!! お兄ちゃんの身体を使ってそんなこと言わないで!!!」

「あーあーあー!!! もうごちゃごちゃうるさいなあ!!! もういいよ!!! お前の言葉なんか聞きたくもない!!! ぼくには、僕には優希がいればそれでいい!!! 他になにもいらないんだ!!!! もう消えちゃえよ!!!!」

 

駄々をこねる子供のように叫んだ優希の背後に再び“ヒュプノス”が現れた。そして大口を開けて力を溜め始める。

 

「いけません、全力で止めますよ! さすがに2度目はイズミのペルソナでも防御しきれないでしょう」

「せやかてどうやって…」

「全員なら、あるいは…!」

 

力をもう一度溜め、放出しようとする“ヒュプノス”に敵味方関係なく皆が召喚器を構え、引き金を引こうとした。しかし、

 

「【アンティク──」

 

突如力を溜めていた“ヒュプノス”が霧散する。そしてがくりと膝をついて地面へと倒れ込んだ優希が意味が分からない、という表情でうろたえている。

 

「ああああああああ!!! どうして…どうして!!! なんで止めるの!!! 優希…! きみまで、ぼくのこと、否定するの!? だってぼくは…優希のためを思って…! アッ痛!?」

 

狂気混じりに叫んだかと思えば突如、自分で地面に頭を打ち付け始めた優希に皆がぽかんとする。

 

「うえっ、ごめんなさ…っ! 怒らな、いでっ!? 痛い! わかった、わかったから! 頭を地面で打つのをやめて! 血が出ちゃうよ!!! え? もう出てるだろって? そ、そうだけどっいだた!?」

 

先ほどまでの狂気はどこへやら、半分涙目でおろおろとしながらひたすら地面に頭を打ち付けようとしているその姿はひどくちぐはぐで。いや、ある意味これはこれで狂気的なのだが先ほどとは大違いだ。

しばらくそうやってうろたえながら地面へと頭を打ち付けていた優希が不意に静かになりボタボタと額から血を垂れ流しながら立ち上がる。

 

「…ごめん、ちょっと時間かかったけど“あの子”には引っ込んでもらった。いっぱいお話したおかげで多分今日はもう無理やり出てこないと思うし安心してもらっていい」

 

バツの悪そうなその顔のまま、乱暴に手で血を拭ってそう答えるのは正気に戻ったらしい優希だった。その目はギラギラと輝く金色から元の灰色に戻っている。

 

「お、お兄ちゃん…本物だよね!?」

「ああ、うん。そうだよ。さっきは怖がらせてごめん」 【メディアラハン】

 

奏子に答えながら優希が召喚器を取り出し、眉間を打ち抜けば“ポベートール”が現れくるくると回転しながら全員の傷を癒す。

 

「タカヤ、あの子はもう俺を乗っ取ったりとかもたぶんもうしないからさ。大型シャドウ、倒しちゃ駄目かな」

「……」

「まあ、信じてくれないならここでタカヤ達にはぐっすり寝てもらうことになるけど」

 

もう一度召喚器を構えたのを見て、タカヤが観念したように溜息を吐く。その表情は本当に仕方がない人だ、と言いたげなジト目だ。

 

「…わかりました。我々はここで待ちましょう。ですが、」

「全部言わなくても分かってる。死ぬ気はないし…さっきはごめん」

「タカヤ、ナギサはもう大丈夫。揺らぎも兆候も何もない…凪いでいるだけ。ねえ、何したの」

 

タカヤと優希にぬっと近づいてきたチドリが補足する。そしてどうやってアレをひっこめさせたのかと聞けば、優希は困った顔で頬を掻く。

 

「…ちょっと肉体言語で語り合っただけだよ」

「…野蛮ね」

「そう言われると何も否定できない」

 

バツが悪そうにそそくさと特別課外活動部の方へと戻っていく優希を見つめたあと、チドリは視線を順平の方に移した。順平と刃を交わす事が無くてよかった、と安堵している自分に、数カ月前までだったらあり得ない事だと頭を振った。良くも悪くも変わってしまった自分に対して。

 

 

 

 

皆の方へと戻れば湊と美鶴さんが今までにないくらい怒っているような気配がして、あのままタカヤ達といればよかったかなあ、とぼんやり考えながら先ほどの事を頭の中でもう一度思い出す。

イズミさんがペルソナを召喚しようとした瞬間腹に激痛が走って蹲った。そのとき、身体の主導権が誰かに奪われたのをはっきり感じてそれが誰かもわかってしまった。

 

──自分の体を使い、喚いて怒ってしていたのはモルフェだ。

 

半分狂気に落ちているモルフェに自分の言葉は届かないようだったので、2発目の【アンティクトン】を撃たせないために奏子の言葉で錯乱した隙を狙って思いっきり自分の顔をしたモルフェに飛び膝蹴りするイメージをすればあら不思議、体の動きだけを奪い取ることが出来たのでひたすら頭突きをしていたら現実では地面に頭をぶつけていたことになっていたらしい。やはりペルソナでの戦いは精神的に強い方が勝つ。今ならムキムキマッチョの雷神である“トール”でも出せそうなくらいだ。

ついでに古事記にもそうかいてあるので間違いないだろう。嘘だけど。

 

あの少年の姿のモルフェだったら躊躇していたかもしれないが自分の姿になってるのならためらいは無かった。それはもう遠慮なく頭突きしまくった。

けれど、モルフェは狂ってはいたがアレは善意100%だったのでもし今度会える時があるならもう一度よくよく言い聞かせておかねばならないと思う。ああいう思想はだめだ。全くもってうれしくない。と思っていたらなんだかすこし落ち込んだ気配がした。

 

……もしかして、モルフェは自分の中にずっといた?

つまりモルフェは俺のペルソナで、その中でまだいう事をきかないというか制御ができてないのは一体だけだ。

 

「……」

 

やっぱりモルフェは自分が10周程度で精神的に参ってしまって生み出したもう一人の自分だったらしい。それが今回、力を付けてあんなペルソナになった? と考えればつじつまが合うんじゃなかろうか。

 

「ああ、えと、みんな、ごめん。一応タカヤ達には静観してもらうことになったし俺も大丈夫だから…」

「大丈夫なわけがあるか! それになんださっきの言動は! 殺せだと!? そんなことできるわけがないから私たちはああして…」

「ごめんって! だからあとで殴るに訂正したじゃんか!」

「意味があまり変わっていないだろう! ~~~~~っ! 処刑する!」

 

やばい。説得に失敗した。

召喚器を構えた美鶴さんに慌ててペルソナをブラックライダーに切り替えて逃げる準備をする。が、そうは問屋が卸さない。肩をがしっと掴まれて振り向けばとてもいい笑顔の湊がそこにはいた。

 

「優希」

「はい」

「正座」

「はい! ありがたくさせていただきます!」

 

観念するしかないので顔を引きつらせながらコンクリートの道路の上に正座する。

 

「見ちゃ駄目だよ天田くん」

 

天田くんの目を隠すジト目の岳羽の言葉が痛い。美鶴さんの処刑は氷結属性なのでブラックライダーが吸収してくれているから全く効いてないがコンクリートの上に正座しているのと精神ダメージが本当に痛い。

 

「…処刑された割にむしろ元気になってねぇか…?」

「はっはっは、気のせいだよ気のせい! ほら、もう時間が無いし最後の大型シャドウもぱぱっと倒しちゃおう!」

 

荒垣くんの言葉に強がりながら急かせば真田くんがため息を吐いた。

 

「誰のせいだと思ってるんだか…というかあいつら、影時間が消えることについては良いと言っていっていたのか?」

「えっ、あ…うんまあ、気が変わったんじゃないかな…うん」

 

そこについては聞くのを忘れていたというかタカヤ達は曖昧に返事を濁していたのでそういう事なんだろうという事にしておく。緑の夜空に満月を背にして浮かぶ刑死者(ハングドマン)の姿を見つめる。あれを倒せばあとはニュクスまで突っ走るだけだ。

 

「前方上空を浮遊するシャドウに今の所、動きはありません。あれを倒せばすべて終わりです」

 

山岸の言葉に頷いて、確かに全て終わりだなあ、と考える。

言い得ているというか、嵌められているというかなんというか。刑死者(ハングドマン)自体はタカヤ達と比べてクソ雑魚にも等しいシャドウなので苦戦は全くしないだろう。

ある意味浮いてるしか能のないシャドウというか、トリがこれでいいのかという不安というか。

 

湊と奏子が準備を整えている間にくるくると回る刑死者(ハングドマン)の天使の輪のようなそれを眺めていると、不意に頭痛がして顔を顰める。一瞬、赤い空間に安置されている金色の杯のようなものが見えたような、見えなかったような。幻覚だろうか。

 

「準備できたよ。行こう」

 

湊にそう声をかけられたので武器を手に刑死者(ハングドマン)へと向かう。

近くまで来れば地面に置かれた3体の白い聖母像がそこにはあった。そして、空に浮かんで居た刑死者(ハングドマン)が顔を上げなくとも見える距離まで降りてきた。

 

『最後の戦いです…私も全力でバックアップします。皆さん、どうか、お気をつけて!』

 

とは言ってもこの戦況はあまり激しく動くものでもない。変わったギミックがあるわけでも…あるか。この白い聖母像をすべて倒せば刑死者(ハングドマン)が落ちてくる仕掛けになっている、はずだ。

 

『あの浮いているのが、シャドウの本体だと思うんですが…あんなところに居られちゃ、攻撃が届きませんね…少しだけ待ってください、ちょっと、調べてみます』

 

届かせようと思えば気合いでなんとかなりそうなショボい高度ではある。

けどそれをするのも野暮と言うものだろう。なのであくまでも正攻法で行こう。

 

刑死者(ハングドマン)自体は天使の輪のような2連プロペラの下にある十字架に吊り下げられているムキムキマッチョマンだが先ほども言ったように白い聖母像を倒さなければ意味がない。ここは纏めて倒すのが吉だ。

召喚器をこめかみに当てて引き金を引く。思い浮かべるのはモルフェの──いや、“ヒュプノス”の姿だ。狡いかもしれないがさっきのあの力を貸してほしい。

 

「頼んだよ」

 

そう呼びかければ青い光と力の奔流の中からボロ布と鎖を纏ったヒュプノスが姿を現す。

その手には、見た事もない真紅の大鎌が握られている。

 

「!?」

 

驚いた皆の視線を集めながら、今回はちゃんという事をきいてくれるらしい“ヒュプノス”に良い子にしててくれよと願いを込めて微笑んで一言。

 

「【アンティクトン】」

 

ヒュプノスはそのまま力を溜めて一気に放出し、聖母像を纏めて全て木っ端微塵にする。

なるほど、これは納得の威力だ。力を放ち終わったヒュプノスはそのまましゅん…とうなだれたまま少し元気がなさそうな様子で姿を消していく。

…少し怒りすぎたかもしれない。

確かめて見たらヒュプノスは他にもいろんなスキルを持っているらしいので出来るなら使ってあげよう。そうすれば多分自分も慣れるし機嫌も直るはずだ。たぶん。きっと。めいびー。

 

「──ッ!?」

「体勢を崩して地面に落ちてきた! 皆、総攻撃だ!」

 

金属の軋むような音を立てて、刑死者(ハングドマン)が空中から地面へと落ちてくる。

体勢を崩して地面に突っ伏した刑死者(ハングドマン)を取り囲み、全員でボコボコに蹴りつけたり切りつけたり殴ったり銃と弓で撃ったりした。誤射があるのはご愛嬌といったところか。自分はというと総攻撃には参加せずにくるくると召喚器を回してこめかみに当てた。

 

「“パンタソス”」【ラスタキャンディ】

 

彼女が虹色の光を落とし皆の能力を底上げする。そして彼女が消え去るのを見送ろうとした瞬間、不意に視界が切り替わる。

リノリウムの床に倒れる白衣の女性。

そこから流れる血。

満月。

爆発。

燃える車とムーンライトブリッジ。

 

──あのとき、彼女は何と言っていた?

 

「っ…!」

 

ぞわぞわと得体のしれない悪寒が背筋を駆け上がる。

気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 

「おえっ…」

「優希さん!!」

 

げえげえと地面に胃の中身をぶちまけていると、アイギスが叫ぶような声で名前を呼んでいるのが聞こえて顔を上げれば刑死者(ハングドマン)の黒い手がなぜか自分に迫ってきているのが見えた。

驚きに声を上げることもなく身体をこわばらせれば、乱暴に掴まれてそのまま空中へと拉致される。いや、なんでだ。このシャドウにこんな知恵、なかったはずだ。というか力加減が絶妙過ぎて逆に気持ち悪い。握りつぶすのならいっそのこと一瞬で終わらせてほしい。

 

『大変! 三上先輩がシャドウに捕まって…! これじゃシャドウを落とせても先輩が危ないです! どうにかしないと…!』

「俺は俺で何とかするから! うええ気持ち悪い…肌触りはなんかざりざりしてるのにどこかヌメっとしてる…」

 

触り心地は全く嬉しくない感じだ。モフモフしていたらそれはそれで複雑になるが。

というかそんなことを気にしている場合ではない。握りつぶされない間にここからどうやって抜け出すか考えなくてはいけない。両手が空いているのはいいが胸から太ももにかけてを掴まれているので召喚器は取り出せない。ナイフも地面に落としてしまっている。

やれることといえば殴りつけることと手を振ることくらいかもしれない、と思っていたが召喚器無しでも召喚はできるんだった、と思い出し──かけてぞわりとした感覚を感じ、慌てて顔を逸らせば顔ギリギリを“タナトス”の一閃が通り過ぎた。

 

「ぅわっ!? あ、あ、あ、危なっ!? なんとかするとは言ったけど俺に攻撃当てていいとは言ってないからね!? ちょっと前髪切れたかもじゃん!!!」

「優希は元気そうだから落としていいよね、アレ」

『え、ええっ!? だ、駄目ですよ! たぶん…』

 

下を見ればこっちを指さす湊が見えた。恐らくその顔は呆れに染まっているんだろう。

けれど確かに湊の意見も一理ある。一度落としてみて何かの拍子でこちらを手放すかもしれないし。

 

「落としても良いよ」と返事をしようとした瞬間、掴んでいる腕が動いた。

仮面のを着けている顔の方へとドンドン寄せられていくのだ。

 

「ひっ…さ、流石に俺は…美味しくない…ぞ…!」

 

そう言ってみるみるものの、止まる気配はない。こうなればヤケクソだ。誰か適当に喚んでぶん殴ってでも止めるしかない。

「出来ればテラーソードで腕ごとぶった切れそうなレッドライダー来いできればレッドライダー来い」と、祈りながら集中すれば青い光と力の奔流が巻き起こる。

そして現れたのは、

 

(は、ハズレだ…!)

 

──“トランぺッター”だった。

よくわからないそのペルソナに、ガチャガチャでハズレを引いた気分になる。どうしてあの中でハズレ枠に近いこのよくわからないペルソナを引いたというのか。こういうところで不運を発揮しなくてもいいと思うのだ。

ふわふわとその白い羽で空中に浮かぶトランぺッターは天高くラッパを挙げると、高らかに吹き鳴らした。

 

【悪魔の産声】

 

あまりいい音ではないそれに眉を顰めていると、突如として刑死者(ハングドマン)が苦しみだし始めた。そして、自分を手から離す。

かなり高い高度に上がっているのにもかかわらず、だ。やっぱりあのペルソナはハズレだ。

 

「は、話が違うーーーーーッ!!!」

 

叫びながら無意識でくるりと1回転して足から着地した。これは前世、猫だったかもしれない。

 

「……生きてる? ねえ俺、いまちゃんと地に足つけてる? 死んでない?」

 

足に伝わる地面の感触があるにもかかわらず、笑う膝にまだ浮いているような感覚を覚えて平泳ぎのように手をバタバタしながら思わず振り向いて聞けば、目の前にアイギスが。

 

「はい。バイタルに何ら問題はありません。わたしが向かう前に高所から1回転して着地された方は初めてです。優希さんには驚かされてばかりであります」

「あ、ありがとう?」

「ですが、わたしの行動が遅かったのもまた事実。精進します」

 

助けに行こうとしていたらしいアイギスに、そう言われてちゃんと自分が生きていることを再確認する。死んでなくてよかった。あんな間抜けな死に方だけは絶対にいやだ。ほぼほぼ自滅のようなものじゃないか。雑魚だと思って油断したのもダメだった。油断大敵ダメ絶対。

そうしてげんなりしながら地面に落としたダガーナイフを拾って、皆の元へ戻れば伊織が声をかけてくる。

 

「センパイ、さっきの…召喚器使ってなかったっスよね? アレ、どしたんスか」

「気合い…とか…? こう、あれだよ…出ろ~~~! って念じた系?」

「気合いで出たら苦労はしないんじゃないスかね…」

「まああの時は死にそうだったし、ペルソナの召喚条件は満たしてるんじゃないかな…」

 

誤魔化したが実際念じたら出てくるので伊織も試したらいいと思う。

 

「来て、“セト”!」【マハラギダイン】

 

奏子の召喚した兄殺しの神である漆黒の竜が業火で聖母像を焼き尽くした。

そして地面に落ちてきた刑死者(ハングドマン)を再び取り囲んでボコボコにする。

 

「今度こそ、これで終わりだ!」

 

美鶴さんのレイピアの一撃が刑死者(ハングドマン)の仮面を砕いて顔面を貫けば、そのまま刑死者(ハングドマン)は力尽きて黒い靄になって消えていった。

 

「……」

「終わった…のか?」

 

とんでもない刑死者(ハングドマン)戦だった。

この1時間で3日分くらい疲れた気がする。主に自爆で。

 

「作戦終了といいますか、“任務完了”でありますね」

「ああ…終わったな…」

「こういう時、現場リーダーの“とっさの一言”が、必要かと思います」

 

アイギスのその声に視線が湊へと集まった。

 

「“勝利宣言”をお願いするであります」

「じゃあ、腹減った」

「せーの…腹減ったー!」

「腹減ったー!」

「へったー!」

 

湊に続きアイギス、奏子、自分の順番でやまびこのようにそう叫べば皆が一瞬で笑顔になる。

 

「プッ…アハハ、なにそれ」

「ハッ…流石兄妹、って言やあいいのか?」

 

笑う岳羽にまんざらでもなさそうな荒垣くん。中々にこのやり取りはウケたらしい。

場の雰囲気が和んでてよかったよかったと思っていると、その横でそわそわとしている伊織が美鶴さんに問いかけた。

 

「あ、あの、桐条先輩…明日の夜は“祝勝会”するんスよね…」

「なんだ、気が早いな。もちろん、その予定だが、どうした?」

「その…美味いスシとか喰いたいな…なんつって…」

 

そんな伊織の言葉に真田くんの顔が嬉しそうになる。

 

「寿司か…いつ以来かな…」

 

すみません自分は8月ごろに回らない寿司を理事長の奢りで食べに行きました、とはいえずに無言で黙っておく。

 

「俺はヒラメだ。あと、ウニも予約だ」

「わわ、ええと、じゃ私、中トロ」

「はいはいはい! 私は大トロとビンチョウとタコとエビとバナナ!」

「え、え、言わないと駄目? ええと、じゃあイクラ予約で」

「あ、俺はエンガワがいいな」

「俺ァ……そうだな、タマゴとカッパにするか…」

 

次々と欲しい寿司ネタをあげていく面々に伊織が焦り出す。

 

「ちょ、待ってよ…予約とかって、おかしいだろ!?」

「わたしは、大トロ、マグロ、エビ、イカ、ホタテ、鉄火…あと、アナゴも確保であります」

「僕もアイギスと同じので」

「取りすぎだーっ!! つか、湊はともかくお前は食わなくてもいいだろがっ!!」

「わたしだって、食事を構成する成分や味を分析するという大事な仕事があります。お寿司というレアな食事ならなおさらであります」

「みにくい争いだ…」

 

そんな言い合いを見つめる天田くんがため息を吐く。

 

「桐条先輩、一応、タマゴも頼みます。寿司屋の実力はタマゴで分かるって言うから…」

「ほぉ、分かってんじゃねーか天田」

「えへへ、荒垣さんもタマゴを頼むなんて流石です!」

「寿司屋の実力? ったく、子供のくせに、かわいくないなー」

「わかったわかった。それじゃあ明日は、特上品を運ばせよう」

 

そんな話を横耳にいれつつ、皆の元を離れて1人でタカヤ達が待っている場所に向かう。

が、何処にも居ない。もう帰ったのかもしれない。せめて、別れの挨拶くらいしたかったが居ないとなるとしようがないので諦めて皆の元に戻る。

 

「この景色も…もう見納めなんだな。忌まわしいと思ったことしかないが、不思議と名残惜しい気持ちになる」

「そうだな…」

 

戻ってくるとちょうど皆で月を眺めて黄昏ているようだった。

 

「守ったんですよね、私たち」

「ああ。私たちのすべき事を、ちゃんと果たしたんだ。たとえ、誰かの記憶に残らなくてもな」

 

自分も、誰かの記憶に残らなくても頑張らないといけないと考えながら帰路について汗を流した後布団に入る。

 

 

 

 

その日、久しぶりに夢を見た。

黒い液体に溺れる夢だ。息が出来なくなって、肺に胃に、全身の穴という穴からその液体が入ってきて、苦しいと叫ぶこともままならない間に身体まで融かされて自分の輪郭すらわからなくなる。そんな夢。

飛び起きればべっとりと嫌な汗をかいているし心臓はどくどくと不規則に音を立てているしで枕元の小物入れに入れている不整脈の発作が起きたときの薬を取り出して口に入れた。

少し落ち着いたのを見計らい、時計を見たら寝に入って1時間も経っていない。

刑死者(ハングドマン)に掴まれたせいでこんな夢をみたのかもしれない。

 

最悪だ、と思いながら再び布団に潜り込んだ。

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