君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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命を喰らう徒花の(おと)(11/4~11/6)

“ヒュプノス”が飛び去った後、影時間が終わりただの天文台に戻ったそこで一方的に告げられた『滅びの到来』について特別課外活動部の皆は困惑していた。

拘束を外され床に降ろされたとはいえ、それだけで聞かされた話の理解が出来るわけでもショックを呑み込めるわけでもなかった。

 

「なんなんだよ…死の宣告者とか、ニュクスとか…イキナリ聞かされて、全部来月までに決めろって無茶苦茶すぎだろ…!」

 

順平の意見はもっともだ。

突然現れた存在に、突然「この日に世界が滅びます」「滅亡は避けられません」「でもお前らが頑張ればなんとかなるかもだから頑張れ」「まあそれが嫌なら記憶を消して穏やかに滅びを待つこともできる」などと言われてどちらがいいかなど決められるはずがない。否、2人だけ聞かれるまでもなく決めている人間がそこにはいたが片方は既に精神が崩壊し、片方は聞かれるまで何も話す気はないという状況なのでそれが分かる人間はこの場にはいなかった。

 

「うん…それに…」

 

ゆかりの視線は倒れたままピクリとも動かない優希に向けられていた。

抱き上げられて上半身を起こされ他に怪我がないか確認されているようだったが、くたりと力なく落ちている手やいつも以上に血の気のない顔と口元についた血から死体と言われてもおかしくない有様に言葉が出ない。

順平もゆかりの視線を追うように目を向けた。

 

「…センパイ、幾月のクソヤローに思い出したくなくなっちまうくらいひでえこと言われて…ひでえこと、沢山されてきたんだよな。挙句にペルソナの崩壊、だっけか…こんなのって…ねえよな…」

「さっき桐条先輩のお父さんが言ってたけど…ペルソナが壊れちゃうってことはさ…つまり」

「…オレだってなんとかなるって信じてぇよ。センパイもそうだけどさ、あのままとか湊と奏子っちが可哀想すぎるだろ」

 

ゆかりが言いかけた言葉を遮った順平はじっと優希に寄り添う湊と縋りついて泣きじゃくる奏子を見る。

幾月の語ったことは聞いているだけだった順平たちでさえ、吐き気を催すような理解が出来ない領域の話だった。だというのにその全責任を被害者であるはずの、事故当時ただただ攫われただけの幼い子供だった優希に押し付ける。

その行為がどれだけ残酷なことなのかわからないほど今の順平も、他の人間も馬鹿ではなかった。

いくら『滅びを生む器』だの「全部優希のせいだ」だの言われたとしても、そうでないことは幾月自身が語っていたのだ。

「何をやっても滅びを放とうとしなかった」と。

今回そうなってしまったのは幾月が無理やり封じ込めていた記憶を呼び覚まし、正気で居られなくしたところに命の危機に陥るような暴行を加え続けたせいだ。

幾月の言葉によれば精神が崩壊してもなお“滅び”を抑え続けるほどの事をしていたという。たとえ無意識であったとしてもそれだけのことをするというのはよほど深く刻まれた決意に違いないだろう。

実際のところ、トリガーは幾月による暴行ではなく。幾月が奏子を殺そうとしたために砕かれた欠片であっても残ったごくごく僅かな滅びを抑えようとする意志が揺らぎ緩んでしまったから、というのが真相ではある。

なので砕けたと言っても完全に消えたわけではないので希望が無いわけではない。ただし、以前の状態に戻るかどうかはまた別の話だ。

 

「……わたし、は…」

 

まだ操られていた時の名残があり思考がうまくいかないアイギスは湊たちをぼんやりと見つめていた。その記録メモリの中で、フラッシュバックのように炎と瓦礫の中で倒れる血まみれの子供と死神の姿が蘇る。ただ、すぐにそれもなんだったかと思う前にメモリの奥底に消えてしまう。

 

「……」

 

目の前で何が起きているのか、何故、皆が暗い顔をしているのか。

アイギスは機械であるにもかかわらずいまだ夢の中にいるようで理解できていなかった。ただ、そこに行かなければという思考が身体を動かす。

 

「──アイ…ギス?」

「わたしの、たいせつは…あなたたちの傍に、いることでありますから」

 

ぼやける思考で奏子と湊の隣に腰を下ろしたアイギスはそれきり黙ってしまう。それを見た武治はおもむろに近寄ると2人に──主に湊に声をかけた。

 

「彼は桐条が責任をもって全力で治療にあたらせてもらう。…それが我々にできる唯一の償いだ」

 

 

 

 

 

 

 

11/5(木) 夜

美鶴からの「今後について話し合いたい」というメールで呼び出された特別課外活動部の面々は作戦室に集まっていた。

 

「理事長の部屋のもの、全部持っていかれちゃいましたね…」

「まあ、当然だろうな」

「ハァ…正直もう、何が何だか…三上先輩はまだ目を覚ましてないみたいだし、1月末には世界が滅ぶとか…急すぎて…」

 

ゆかりがため息を吐く。1日経っても頭の中の混乱は収まっていない。それだけ、明かされた真実が衝撃的だという事もあるのだが。

 

「新聞やニュースは、もう盛んに騒いでますね。“名門学園の理事長が天文台から転落死”…三上さんの事も表向きでは天体観測中に持病の発作を起こして倒れたことにされてるらしいですし」

「ああ…いつも、事実とは違う」

「そうだな…」

 

暗い顔で噛みしめるように言った明彦と荒垣をみつつ、順平は空いている席を見つめた。

 

「湊と奏子っち…流石に居ないっスね…」

「有里姉弟は、病院だ。三上の状態は極めて良くない…だから、彼女ら2人にはそばに居てもらっている。……私たちでは、何もできないからな」

「なんか、それツラそう…大丈夫かな…」

 

美鶴が悲痛な面持ちで2人の居場所を喋れば、ゆかりが心配するように同情した。

極めて良くない、と美鶴が言葉を濁したがそれは下手をすれば死んでしまうかもしれないという状態だということだ。

もし、優希が死んでしまったら。ふたりはそのまま看取ることになってしまう。ロクに言葉を交わせないまま、心が壊れたままの兄を取り戻すことも癒すこともできずに。

その辛さと不安を考えると同情せざるを得ない。

 

「オレらこれから、どうしたらいいんスかね…あのバケモノはタルタロスの頂上に登れだとかどうするのか決めろとか色々いってきましたけど…」

「アイギスも大丈夫かな…」

 

風花がアイギスを心配する。あの後、やってきた桐条の技師によってアイギスは回収されていったのだ。そしてそれから音沙汰がない。メンテナンスをしているだけと分かっていても幾月によるあの凶行が行われてすぐなのもあり、どうも信用できないのだ。

 

「アイギスについては幾月によって組み込まれた余分なパーツを取り除いている。お父様は今、事後処理に追われていらっしゃるから…私たちがどうなるかは…わからない」

「そっスか…結局俺ら…放置されるんスね……」

「放置、か…」

 

落胆した様子の順平に同意するように同じ言葉を繰り返した。

 

「皆、あの死の宣告者って名乗ってた化け物が言ったこと、覚えてる?」

「あの人の言ってた“滅び”がニュクスという存在で、それが到来したら世界が終わる…でしたっけ。そして、12月2日にどうするか決めてくれって…」

 

ゆかりの問いに皆が頷き、天田が答えた。

 

「わかんねえが、あいつは俺たちに選択を委ねてんだろ? なら、期日までにきっちり決めるしかねえだろ。……最終的な判断は、“リーダー”に決めてもらうかもしれねえけどな。責任は、全員で負わねぇといけねえ。そこだけは、間違っちゃいけねぇモンだ」

「影時間に関する記憶を全て消して、滅びが来るまで穏やかに過ごすか。それとも奇跡を信じて抗うか、か…」

 

沈黙が場を支配した。

それぞれに思うところがあるのだろう。考えるべきことがあるのだろう。

 

「でも、もし…三上先輩が元に戻らなかったら…記憶を消した方が…」

 

いいのではないか、というゆかりの言葉は最後まで吐き出されなかった。それが間違っていることもわかっている。だが、もし影時間関連の記憶が無ければ、という淡い望みのようなものが鎌首をもたげるのだ。

しかしそれを美鶴が首を横に振って否定した。

 

「いや…記憶が戻る前ならともかく、今の三上は記憶が戻ってもう心が壊れた後だ。今更記憶を消したところで壊れたものは元には戻らない。…帰っては、こない」

「桐条先輩…ごめんなさい。軽率でした…」

「クゥーン…」

 

ゆかりは即座に謝った。美鶴の顔があまりにも悲痛すぎてみていられなかったのだ。

コロマルも、不安げに鼻を鳴らした。コロマルはコロマルで倒れた後の優希を直接見てはいないが皆の雰囲気と湊と奏子がいないという事でなにか感じるものがあるのだろう。

 

「……結局のところ、すぐには決められないな。ならば、あの化け物が言っていたタルタロスの頂上を目指すのが目下の目標、といったところか」

「でも、奏子ちゃんたちが戻ってきてからになりますよね。リーダーが居ないと始まらないって感じですし…」

 

真田の言葉に風花が同意する。探索をするにしても、選択を決めるにしても、優希はともかくリーダーである2人がいないと始まらないのだ。3兄妹のうち、誰か一人でも残っていたのならここでの話し合いも何か変わったのかもしれないが実際はそうではない。

 

「でもま、今すぐ決めなきゃってことじゃねーし、オレたちはいつも通り過ごして三上センパイや奏子っちや湊が帰ってくるの待つしかないっしょ」

「…そうだな」

 

その言葉を最後に、無言で解散となる。

それぞれ部屋から出てゆかりも席を立とうとしたとき、風花から声が掛かる。

 

「あ、そうだ、ゆかりちゃん」

「?」

 

ゆかりが足を止めて風花の方を向く。一体何の用なのか。

 

「あのね…理事長の私物のハードに映像が残ってて…殆ど消されかかってたけど、なんとか復元してみたの。きっと…ゆかりちゃんの、大切なものだと思う」

「ありがと…後で見てみるね」

 

風花から受け取ったDVDを落とさないようにしっかり持つと、ゆかりも部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

規則的な電子音が響く病室で、湊と奏子はひたすらベッドの上で眠る優希を見つめていた。

桐条が用意してくれた医者からは「全力を尽くすが今夜が峠かもしれない」と言われる程に兄は衰弱し、数時間の間で何度も発作を起こして死の淵をゆらゆらと彷徨っていた。

心電図がおかしくなったり呼吸が止まってナースコールを押した回数も夕方から今まで5回は超えている。その度になんとかこちら側に引き戻されているがこれもいつまで耐えられるか分からないほどに弱っているのだと言われた。

次に発作が起きたら終わり。次に呼吸が止まってしまえば終わり。

そんな嫌な覚悟をこの数時間でなにか異変が起こる度に何度もしている。

夕方には三上夫妻にも連絡が行ったらしく「急いで行く」との返事があったが運悪く渋滞に捕まってしまい、遅れるらしい。

ベッドの横でパイプ椅子に座りながら優希の片手を握っている奏子が、震える声でもう何度目になるかの確認をするために口を開いた。

 

「お兄ちゃん、死なないよね…? だいじょうぶ、だよね…?」

「……わからない。いつまで耐えられるか、って話だからこのペースだと小父さんと小母さんが着くまで頑張れれば…」

 

なんとか持ち直してくれるかもしれない、と柄にも無いことを湊は思った。

湊から見て今の兄は殆ど死んでいるに等しい。棺桶に片足どころかほぼほぼ全身を入れて片手だけ辛うじて出ている、程度である。

血の気のない顔にいくら温める措置をしても上がらない体温。非常にゆっくりとした脈拍。酸素を吸えているのか分からないほどに浅い呼吸。

4月に倒れた時の比では無い。あの時も心臓と呼吸が止まったがごく短時間。一時的にだ。こんなに連続して発作を起こして何度も何度も死の淵を彷徨ったりしていない。

 

生と死の狭間を行ったり来たりしている兄が、今度こそ死に足を踏み入れることになったらもう帰ってこないかもしれないという不安は湊も抱えていた。

そもそも、養父母が来たからといって完全に心の壊れてしまった兄が反応して持ち直すかどうかすら怪しいのだ。湊と奏子の事でさえ、あの時の兄は分かっていないようだった。そして今も、これだけ奏子が呼びかけているのになんの反応も返さない。なら、望みは薄いのでは、と嫌な想像をする。

 

「はやく小父さんと小母さん…着かないかな…」

「渋滞、抜けられてるといいね」

「うん…」

 

それきり沈黙する。

いつものように明るく軽口を叩いて雰囲気を明るくできるほどの余裕は無かった。

 

 

 

 

何分、何時間経ったのだろうか。

じっと下を向いて養父母の到着を待つだけだった湊と、疲れてうつらうつらしだした奏子の耳に何度目かわからない異常を知らせる音が聞こえた。その声にハッと顔を上げれば心電図はミミズがのたくったような線を描いており、明らかに異常だと一目でわかった。

ナースコールを押そうと手を伸ばせば、押す前に部屋に慌てた様子で医師と看護師がなだれ込んでくる。

湊と奏子を優しく押しのけ、処置を施していくがのたくっていた心電図の線がまっすぐ伸びてそれきりになった。

5分。10分。30分。

必死に蘇生させようと医師と看護師たちが手を尽くすが状況がよくなることもその心臓が再び鼓動を刻むこともなく。

瞳孔の反応を確認するためにライトを当てた医師が無言で首を横に振った。

 

「……残念だが、君たちのお兄さんは…もう…」

 

看護師たちが手際よく勝手に身体につながれているコードを外していく。それを見た奏子がゆらゆらと揺れる不安定な視線で生命活動の止まった優希の身体を見る。

 

「あ、あの…まだ…まだ…なんとか…なんとかならないんですか…だって、お兄ちゃんは、死んでなんか…」

「奏子」

「お兄ちゃんはまだ生きて…! きっと、寝てるだけだから…!」

「奏子!!!」

 

湊が叫ぶように名前を呼ぶと奏子はびくりと肩を跳ねさせて沈黙した。

そしてぼろぼろと大粒の涙を流し始める。

 

「うっひぐっ…お兄ちゃん、やだよ…やだよぉ…! 一昨日まで、あんなに元気だったのに、こんな…こんなのってないよ…!」

 

しゃくりあげ、制服の袖で涙をぬぐう奏子の肩を湊はそっと抱いた。

 

「なんで、なんでお兄ちゃんばっかり…!」

「どうして、なんだろう…」

 

湊は奏子の言いたいことが痛いほどにわかった。

今回もまた、兄を救えなかった。こんな死に方になるなどと誰が予測しただろうか。殺されるのはいつも誰かによってだと思っていた。

ある意味、間接的に幾月が殺したことになるのかもしれないが、直接的な原因は持病の発作だと言われている。さすがに病気までは湊に何とかすることが出来ない。

どうして兄は2010年の2月を迎えるまでに死んでいくのか。高校を卒業することが出来ないのか。呪いのようなそれに、湊は歯噛みした。

 

 

 

 

 

 

 

11/6(金) 深夜

11月5日の影時間を終えて11月6日の午前1時に差し掛かったころ。ようやく三上夫妻が息を切らしながら病室へと入ってきた。

既に機械はすべて仕舞われており、ベッドの上では両手を胸の上で組むように置かれた優希の躰が静かに横たわっていた。

 

「…頑張ったのね」

 

養母である三上ヒロコが優しくその冷たくなった頬を撫でる。

病気の事は高校に入った時にヒロコ自身が気がついたことだ。

「なんか胸がずっと気持ち悪い。背中の方から刺されてるみたいに痛くなる」と珍しく不調を訴えた優希を病院に連れていき、原因不明の不整脈の発作が起こることがあるが病名はつけられないと診断された時の「湊と奏子には心配をかけたくないから秘密にして欲しい」という願いを叶え、今まで黙っていたがそれがこんな結末になってしまうとは微塵も思っていなかった。

今年に入ってから体調が悪化していたとは聞いていた。だが、電話越しでも先日帰省した時も元気そうだったので油断していたのだ。

 

「でも、ごめんなさい…私たち、あなたがこんなに弱っているなんて気がつけなくて…」

 

夫である三上ハジメは湊と奏子に寄り添うようにしてじっと黙っている。10年だ。その短いような長いような期間の中で、優希は不器用ながらも2人の息子であり続けた。2人の愛にこたえようとしていた。

それだけは間違いようのない事実だった。数日前まで確かに笑ったり泣いたり拗ねたり怒ったりしていたごく普通──とは少し違うかもしれないが生きた人間だったのだ。

ベッドの上で静かに眠っているだけとなった存在が湊と奏子であろうとヒロコとハジメは同じように悲しんだだろう。3人共、今は三上夫妻という夫婦にとってはかけがえのない子供なのだから。

 

「小父さん…あの、ね…お兄ちゃんの昔のこと、全部じゃないけどわかったの。お兄ちゃん、悪い人に沢山ひどいことされて…それで、昨日…ううん、もう一昨日になるのかな…その悪い人に無理やりそれを思い出させられて…動かなくなっちゃって…無事に目が覚めてもどうなるかわからないっていわれてたのに…結局目も覚ましてくれなくなっちゃった…」

 

涙目で肩を震わせながら何があったかを伝えようとしている奏子の頭を撫でる。

奏子の話を噛み砕けば、強烈な精神的ショックによるストレスで体力や免疫が急激に低下したせいで死に至ったに近いのだろう。悪い人、というのがどこか引っかかるが直接的な死因は衰弱したせいで頻発してしまった持病の発作だ。

 

「その悪い人は今どこにいるんだ」

「死んだ」

 

奏子にそう聞けば、奏子ではなく湊から返事が返って来る。湊の顔もいつもの無表情に近いそれとは違い酷く暗く、何かを決意したような表情だった。

兄の死というものはこの姉弟に響き過ぎている、とハジメは感じた。

だが、それも仕方ないだろう。

実の両親が事故に巻き込まれて死に、血のつながった兄は目の前で衰弱死。彼らの血のつながった家族はそれぞれの片割れだけになってしまったのだから。

いくらハジメやヒロコが彼らと一緒に住んでいようと、優希はともかく湊と奏子にとっては養父母ではなく血のつながらない小父小母だ。親戚ですらない。

未だに距離があるのはそういうことなのだろう。別の意味でこの双子は自分たちを家族としては見ていない。

 

自分たちが2人を引き取るまでの間、それはもうひどい扱いを親戚から受けていたらしいことは調査結果から知っている。

葬式で「忌み子」と罵られたことも、両親の遺産を食いつぶされたあげく遺品まで捨てられそうになっていたこと。「引き取ると必ず不幸が起こる」と罵られ暴力を振るわれネグレクトをされ、親戚中をたらいまわしにされたこと。果てに双子がそれぞれ引き離されようとしていたこと。

 

自分たちが双子を引き取れたのは優希が『有里渚』本人であるとDNA鑑定で判明したからだ。本人も有里湊と有里奏子という名前の双子の弟と妹がいると言っていたのもあり、正直引き取りたくなかったのだろう彼らの親戚から押し付けられるように無理やり引き取ることが出来た。

その時、あちらが一見有利に見えるような接触禁止の宣誓書を書かせ手切れ金代わりに少なくない額を払った。それもこれも我が子になった優希の精神と、双子の精神を守る為だった。その為なら何でもする、とハジメは思っている。

それほどまでに、ふたりは優希という子供を実の子供のように可愛がったし湊と奏子を愛した。

最初に双子も引き取ると決めたときは妻であるヒロコの「優希もいい子なんだからそんないい子の弟と妹なら絶対にいい子よ」というにこやかな笑顔に負けたというのもあるが彼女の予測は何も間違っていなかった。

しかしそれとこれとは別だ。双子は確かに自分たちに懐いてはくれている。だが、彼らにとっての家族はそれぞれの片割れと死んでしまった両親とここでこうして冷たくなっている兄だけなのだと思うと、無力感を感じた。

 

「ふたりとも、泣きたくなったら泣いていい。いまは、そういう時だ」

「……うん、ありがとう、小父さん」

 

それでも奏子は先ほどまで泣きはらしていただろう目から涙を流すことはしなかった。その顔は憔悴しきっていると言えばいいのか、もう涙が枯れてしまったというべきなのか。

無理やり笑顔を作り出した奏子は酷く痛々しかった。かといって、口下手なハジメはこれ以上の慰めが思いつかない。

 

「葬儀場は病院が手配してくれるって話…なのよね。家に連れて帰ってあげたいけれど、ここからは遠いし、無理よね…」

 

ヒロコが残念そうに呟いた。港区から御影町へはたとえ渋滞に捕まっていない状態で高速道路に乗って飛ばしても車で2時間はかかる。

 

「そうだな…」

 

病院が手配してくれる葬儀場となれば港区のどこかだろう。ならば往復四時間の旅をさせるわけにもいかない。

実際の所、手配をするのは桐条グループなので言えば御影町の葬儀場に手配してくれるだろうという事は想像に難くないが夫妻はそのことを知らない。

 

「…失礼します」

「桐条、せんぱい…」

 

沈黙が支配した部屋に、美鶴が飛び込むように入ってきた。

入ってきたときの夫妻と同じく息を切らし、僅かに汗ばんでいる彼女は恐らくバイクを飛ばしてきたのだろう、と湊はぼんやり思った。

病院側から勝手に連絡がいったのだろう。

湊も、奏子もメールや電話をすることはおろか他の何かをする気力すらなくなっていたのだから。

 

「きみは?」

「わ、私は…」

 

美鶴を見やったハジメがお前は誰だと問う。

その鋭い視線にたじろぐも、一度深く息を吸って吐いて。美鶴は口を開いた。

 

「桐条美鶴です。彼の…三上の……──、…友人、です」

「そうか…」

 

友人だ、と名乗る時に躊躇いと戸惑いが見られた。

その様子になにか複雑なものがあるのだろうと察したハジメは小さく頷くだけにとどめた。

 

「彼がこうなった原因は…我々桐条グループにあります。謝ったところで許されるわけではないのは…重々承知の上です。ですが…謝罪させてください」

「先輩!!!」

 

頭を下げた美鶴に奏子が勢いよく立ち上がって涙目のまま叫んだ。

 

「先輩だって…先輩のお父さんだって、お兄ちゃんがあんなことされてたなんて知らなかった!!! 謝るべきなのはあの人(幾月)の方でしょ!? 桐条先輩だって…お兄ちゃんの事…!」

「有里…皆まで言わないでくれ…私は加害者側の立場だ。幾月の本性を見抜けず、彼を苦しめた挙句こうして死なせてしまったのだから」

「そんなことない!!! 先輩だって叔母さんを殺されてたって分かったのに…そんなこと言ったら私たち全員があの人の本性なんて見抜けてなかったもん!!! だから、だから…」

「ありがとう。だが…」

 

美鶴は複雑そうな表情でベッドの上の優希を見やる。その顔は許されてはならない、と思っているような表情にハジメは見えた。

だが、話を総合すると『幾月』という人間が息子を死ぬまで追い詰めた『悪い人』という事になる。確か息子が無理やり入学したばかりの聖エルミン学園から寮付きの月光館学園に転校した時の理事長からの推薦書にそんな名前があったな、と思いだした。

なるほど、そもそもの目的は息子である優希を己の手元に置くことだったのか、とハジメの表情は険しくなった。その果てにこうして壊して命を奪ったと。

だが、その目的の内容が分からない。独占欲? それとも、名前の付けられない欲だとでもいうのか。

人知の及ばないような何かがあるような気がして、ハジメはそれを聞くために口を開こうとした。瞬間、

 

「ぅ…」

 

小さなうめき声が聞こえ、誰のものと分からない息を呑むような音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

──自分は、誰だったか。

バラバラに砕けて、ふわふわと散らばって、どろどろに溶けて。

輪郭すらもわからなくなった自分は、なんだったのか。

 

ごうごうと、炎が燃えている。

身体の半分が吹き飛んでいる小さな子供を、焼いている。

 

「……」

 

ああ、あれは()()だ。何となく、そう感じた。

あれはもう、死んでいる。自分はもう、死んでいる。

だからあとはただ、焼かれて灰になるだけだ。

 

何か大事なことを忘れている気がする。

何か大事なことをしなければいけなかった気がする。

何か大事な願いを忘れている気がする。

 

自分は、願われた。望まれた。だから、こうして存在していた。

たとえ自分がどんなに悪しき物であろうと、得てしまった善性までは失えない。

 

──否、自分が最初に得たのは負の感情ではなく()だ。

ならば自分は負の存在だとは定義できない。しかしそれすらも揺らいでいる。

願われた者なら、何故そう願われたのか意識しているべきだ。覚えているべきだ。

それを忘れた願望器(じぶん)は役目を果たせない役立たずにも等しく、存在価値が無い。

 

月が、呼んでいる。

人が、呼んでいる。

滅びを、と呼んでいる。

願いを叶えろと叫んでいる。

自分は、それを聞き逃してはならない。この身は人類の総意たる願いを叶えるためにある。

ならば、代行者たる自分に人間性(かんじょう)は要らない。ただただ願いを聞く機能だけがあればいい。

 

目の前で炎に焼かれていた子供が灰になって消える。

残っていた最後の人間性が、焼き尽くされた。

 

「──とでも、思ってる?」

 

誰かが、目の前に立っている。けれどそれが誰なのか認識できない。

 

「あー…ああー…ほとんど消えかけか…俺の時よりヤバいかな。まさかほぼほぼ同じ道をたどっているとはいえここに来てこうなるなんて思わなくて。起きてくるのが遅れたし正直甘く見てた。ごめん…」

 

音がしないはずの空間にどこか聞き覚えのあるような声が響く。

 

「4月までは一緒の存在だったんだ。なら、いま“同調”しても変わりはないよね。予定より少し早いけど、やるなら今しかない」

 

いましかない、と断言する声は断言しているにもかかわらずどこか戸惑うような雰囲気が感じられる。

 

「ああ、成程。だから()()()()()()()()()()()()()()()()のか。……こうなることを予測済みだったと。本当に、ムカツクやつ。全部知っているのに言おうともしない。結局はあいつと表裏一体に変わりないか。だいたい、『この』俺が今までの俺と同調をすればどうなるかわかって…ああごめん、お前が消えないうちに早くした方がいいよね」

 

誰かが話すその言葉の殆どが自分には必要の無いものだ。

 

「どちらにどちらが上書きされるのかはわからない。俺たちが何の代償もなくひとつに戻れるとも思わない。けれど、今しなきゃ共倒れ。『世界はこのまま滅んでしまいました』か『救世主(メシア)になった双子は避けられぬ滅びを回避しましたが永遠の眠りにつきました』のどっちかだ。俺は、そのどちらも認めない。『前回』は俺が…俺が最後に皆に甘えたから、()()()()()()。俺が…俺たちが最後までやるしかないんだ」

 

世界が滅ぶ。

それは、駄目だ。自分に与えられた願いはそれではない。

滅びの声を聴いた。だがむしろ真逆の方向性の物だ。

──ああ、朧気だがなんとなく思い出してきた。

 

「うんうん、その調子で頑張って自分を保って。まあ、お前は既に優希(おれ)じゃなくて無理やり決めつけられた“聖杯”としての機能寄りの思考に寄ってるっぽいけど、願いを叶えるだけの道具じゃないし人間であることやめちゃ駄目だから。ほら、定義定義。俺は奏子と湊の兄です。ハイせーの、復唱」

 

────……。

 

「ふ・く・しょ・う! 定義が揺らいだら俺はすぐ飲まれちゃうんだからさ。今はそういう曖昧な状態って理解して!」

 

奏子と湊、というのは誰なのか。わからないものは定義できない。

聖杯(じぶん)に必要なのは『滅びを阻止するという願いを叶える』という目的だけだ。

それ以外に、なにがいるのか。それが、自分に願われた『大衆(だれか)の望み』だったはずだ。

 

「うわぁ、思ったより重症かな…本当にそこ以外全部砕け散っちって混じったのか。冗談抜きで人間性吹き飛んでたの…というか最後に残ったそれすら吹き飛びかけてたって…幾月のクソ野郎め…今度会ったらガムテープでヒゲ引っこ抜いて眼鏡割ってやろっと。

 

…ほら、俺が願われたのはそんな無責任な大衆(だれか)の願いじゃない。意味があるとかないとかどうでもいいから思い出すか定義して。“俺は奏子と湊の兄で、2人を救うためにいる”んだと」

 

──自分は、奏子と湊の兄で、2人を救うためにいる。

 

「そう。この決意が俺たちの核。俺を俺たらしめる存在証明(ねがい)。他の全部は吹き飛んでも、これさえあれば俺は三上優希(おれ)で在れるんだ。まあ…兄じゃなくて2人の姉でもあんまり変わんないと思うけど…まさかそう定義したらホントに女になったりしないよね…怖いから遊び半分で試すのはやめとこ…」

 

誰かがそう落ち込みながら近づいて来たような気がした。

相も変わらず自分はその誰かを認識できない。けれど、ひどく懐かしい匂いがした気がした。ここには匂いなんてないのに。そもそも自分には匂いというものを知覚する感覚はもうないはずなのに。

とくとく、と小さく心臓の音が聞こえる。

自分は死んだはずだ。なら、この音が聞こえるはずがない。自分は死人であり、思考するだけの物だ。

滅びを防ぐために時間を、()()()()()()()()()()()

 

「まだ生きてる。まだ死んでない。まだ滅んでない。まだ“その力”は使っちゃ駄目だ。思い出して。忘れないで。僕が、俺が、何者(だれ)だったのかを。

──そして、今度こそ救おう」

 

誰かの呼ぶ声がする。自分は目を覚ますべきだと誰かが呼んでいる。

行かなくては。戻らなくては。

 

「ああ、そうだ。その通りだ。だから俺たちは1つに戻らなくちゃいけない」

 

『俺』が笑う。

──その顔はひどく優し気で哀しそうでもあった。

 

目を開く。

自分は、奏子と湊の兄。2人を救わなくてはならない。

それ以外の情報が無い。どこかに散らばっているような、手を伸ばして手繰り寄せないと届かないような、そんな気配はするが何もわからない。

 

頭が酷くふわふわする。

何か大事なことを忘れている気がする。目の前で驚いている人たちの事が何も思い出せない。ただ、奏子と湊が誰かというのはすぐにわかった。

 

「お、にいちゃ…」

「……」

 

上手く喉が動かない。喋る、とはどうすればいいんだったか。

そうしてぐるぐると無意味に思考を回している間にいろんな人が入ってきた。いろんな事をきかれたり、されたりしたがよくわからない。

何もかもが、自分には理解できない。

 

入ってきた人たちが居なくなって、奏子と湊。それと3人の誰か。はっきり判別できる奏子と湊以外、顔も声もよくわからない。

手を握られるが3人いるうちの顔のわからないだれかだ、という判断しかできない。

 

「三上、良かった…本当に良かった…」

「……」

「無理はしなくていい。ゆっくりでいい」

「……、…」

 

答えられない。何を言っているのかよく聞き取れない。

眠い。起きたばかりだというのにひどく疲れている。ぼんやりする。

ゆっくりと、再び目を閉じた。

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