君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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ニュクス教(11/10)

11/10(火) 昼

 

『先週から今週にかけて、全国で突発的に集団自殺などが相次いでいます。いずれも未遂だと報道されていますが──』

『東京地下鉄脱線事故負傷者80名以上。運転手は無気力症発症か』

『井の頭公園で変死体が発見される。獣に食い荒らされた跡が。野犬の犯行?』

『富山湾沖にある海底油田のケーブル破損か。沖合に重油流出』

「物騒だな…」

 

休みである優希以外の全員が登校するのを見送り、一通り朝の家事を済ませた荒垣はラウンジのテレビをつけながらコロマルの餌を足していた。

そんな時、たまたまつけていたテレビから流れてきたニュースに顔を顰めた。

11月の大型シャドウを倒しても、一向に無気力症患者が減ることは無く。むしろ増えていっている現状でこのニュースだ。顔を顰めない筈がない。それに突然無気力症を発症する件数も増えてきている。

無気力症とは本来影時間中にシャドウに襲われることによってなる症状だ。だというのに、日中つい先ほどまで元気だった人間が突然無気力症になるのだろうか、と荒垣は訝しむ。

今までなかった集団自殺が増えたというのも気になるところだ。無気力症だけでなく、集団自殺までと来るといよいよこの世の終わり感が出てきた気がしないでもない。これで暴動でも起こればある意味アポカリプスの要素としてはパーフェクトだな、と荒垣はガラでもないことを考える。

 

最近、巷ではなぜかニュクスの招来が実しやかに囁かれており、噂になっているほどだ。

とは言っても今はまだ噂程度でよくある“終末の予言”のようなものだ。

バラエティでも連日取り上げられてはいるがどれもこれもかすりもしていない中身のない噂程度の代物。だが、どれもこれも共通しているのは『ニュクスという存在が舞い降り滅びをもたらす』という点だ。ノストラダムスの予言にある、“恐怖の大王は1999年に空から来る、アンゴルモアの大王を甦らせる存在だ”という文面に近いものがあるがニュクスの件に関しては最近突然出てきたものだ。

まるであの死の宣告者と名乗る化け物や幾月の言っていたあの世迷い事が意図的にばらまかれているような気がして、尚更面白くない。

そして更に言われているのは、『12月31日に世界は終わってしまうのではないか』という噂だ。

これもよくあるある意味毎年恒例の噂といえばそうなのだが、今度という今度はニュクスという明確な滅びが来ることを死の宣告者からダイレクトに宣言されてしまったので荒垣たち特別課外活動部にとっては起こりうる現実でしかない。

ただ気になるのが噂でささやかれている予定の日が1月31日ではなく12月31日という点だ。

所詮噂は噂なので気にしないことにするか、と荒垣はコロマルの水入れをキッチンに運んで洗うついでに中身を入れ替えた。

 

「ほら、コロちゃん。水だぞ」

「わふ! へっへっへっ…!」

 

ラウンジに自分とコロマルとソファーに座って眠るように目を閉じている優希しかいないので、恥も外聞も気にせずコロマルを“コロちゃん”と呼んで荒垣は撫でた。

撫でられたコロマルは尻尾を振ると、水を飲み、自分でリードを咥えて持ってくる。

 

「そういや、もう昼の散歩の時間かっつーか、バイトの時間だな…」

 

時計を見て、そろそろ朝倉医院でのバイト兼手伝いに行かなければいけない時間だと荒垣は独りごちる。

いつもはコロマルの散歩がてら朝倉医院まで行き、その中でコロマルを待たせつつバイトを2~3時間程するのだが今回は優希がいる。どうしたものか、と悩んでいたが散歩できないほど体調が悪いわけではないだろうし行先はかかりつけ医の病院なのだから連れていってしまえばいいか、と荒垣は即座に思考を終わらせる。

そして静かにしている優希の元へと向かい、肩をトントンと叩く。

 

「おい、起きてるか。ちょっとした散歩にいかねえか?」

「……散歩? いく」

 

ゆっくりと目が開いて、荒垣の言った言葉を反芻する。

片手に持っていた文庫本サイズの小説がぱさりと床に落ちた。

題名は、『死を求め続ける愚かな黒山羊』。著者は神条久鷹と書かれている。見た事も聞いたこともない作家だ。

 

「落ちたぞ」

「…? ありがとう」

「面白れぇのか、それ」

「……わからない。部屋にあったから読んでるだけ」

 

拾って手渡せば栞を挟んでラウンジのテーブルの上に置かれる。

見慣れない小説だ。そもそもが、元々の優希(コイツ)の趣味らしくない、と思った。

部屋に悪魔辞典なるものが2冊あるのは知っているがそれ以外は料理本だったり菓子作りの本ばかりだ。あと漫画や旅行雑誌か。このような小説は無いに等しい。

だというのに珍しく小説を持っていたということに違和感を感じる。

病院の見舞いで誰かが差し入れたのだろうかと思うも、こんな無名の著者の小説を差し入れるような人間はこの寮にいない。唯一ありそうな山岸は漫画本ばかり見ているし、湊と奏子は論外だった。あのふたりは兄に小説よりも食べ物か厳選お気に入りCDを差し入れそうなタイプだからだ。

となると両親からか、と勝手に決めつけて荒垣はのそのそと緩慢に動き出した優希の準備が終わるのを待った。

 

ダウンジャケットを着こんだ優希がコロマルのリードを持ったことを確認して、荒垣は歩き出した。コロマルも体力が回復しきっていない優希を気遣っているのか、走ることはせずにゆっくりと歩いている。

 

会話は無い。

荒垣自体も口達者というわけではなく、今の優希は全く喋らないとくれば静かなのは当然だった。

優希は自分の足で歩いているというよりコロマルに引っ張られてなんとか道を歩いている、といった様子でこれではどちらが散歩をさせているのかわからないな、と横を歩く荒垣は目を細めた。

 

視線もおぼつかず、何処を見ているのかよくわからないことが多い。

電線の上で鳴くカラスをぼんやり見つめながら引っ張られているかと思えば、のろのろと視線を下げる。少し進んで小さな川沿いの道に来た時は川を見つめながらコロマルに引っ張られて歩いていたが不意につんのめるように立ち止まったりしていた。コロマルはそんな優希に合わせるように歩き、荒垣もコロマルの横に並んでいたので止まれば同じように止まったりした。

そして商店街近くまでくると見るものすべてが珍しいのかゆっくりだがきょろきょろと街並みを見ている優希に何か思い出すことがあればいいが、どうやらそうでもなさそうだと荒垣が思っている間に朝倉医院まで着いてしまった。

いつものようにインターホンを押してから、荒垣は中に入る。

 

「とりあえずお前も入ってこい。コロマルも中の部屋に連れてくからな」

「ワン!」

 

頷いて、リードの外されたコロマルと朝倉医院に入った優希はそのまま荒垣の後ろをついていく。

 

「先生、いるか?」

 

荒垣がいつも朝倉がいる部屋のドアをノックもせずに開ける。そこは処置室ではなくもはやストレガの面子とイズミにその娘の紗耶、荒垣たちの憩いの団欒スペース兼たまり場と化してしまっているが、朝倉がいるとしたらだいたいそこなのだ。

ちなみに順平がチドリに会いに勝手に待ち合わせに使われているのもこの部屋だったりする。

 

中には、ピアスをつけた黒髪の癖ッ毛の男と黒髪ショートヘアの女性がソファーに腰掛けていた。

ふたりとも肌の見える場所に包帯や絆創膏などが巻かれていたり貼られていて痛々しい。

 

「っと、すいません」

「待って!」

 

朝倉の客かそれとも悪魔と交戦でもした患者かと思い、慌ててドアを閉じようとした荒垣を可憐な女性の声が引き留めた。

その声に、再び扉を開いて中に入れば、先ほどの女性が扉と荒垣の方をしっかりと向いていた。

 

「──バイトの荒垣くん、よね? 朝倉く…朝倉先生、ちょっと寝込んでるから、いつも通りお部屋の清掃だけでいいって」

「了解っす」

 

寝込んでいるという事は風邪でもひいているのか。それとも、彼女ら2人と同じくケガでもしたのか。荒垣にはどちらかわからなかったが、詮索するつもりは無かった。あのおしゃべりな朝倉がなにもいわないということは、そういうことなのだと誰かさんと似た思考をぐるりと頭の中で回した。

 

「ほら、てめえはコロちゃんとこっちで休んでろ。散歩で疲れただろ?」

「わからない」

「わからない、じゃねえ。病人のてめえはこの距離歩いた程度でも疲れてなきゃおかしいんだよ。おら、そこに座るか寝てろ」

「……」

 

まったく、世話の焼けるやつだ。と表情が変わることのない優希を部屋に押し込んで半ば倒れたとき専用になっているいつものベッドの淵に座らせれば、コロマルが後ろからついてきてわざわざ朝倉に用意してもらったペット用のクッションの上に寝そべる。

水入れ・エサ入れ・トイレ・おもちゃ完備の至れりつくせりな環境だ。

コロマルもいつもの位置についたことを確認した荒垣は、頼まれた掃除をさっさとやってしまおうか、と別の部屋のロッカーに入れておいた清掃用エプロンと道具をもって部屋を回り始めた。

 

 

 

 

黒山羊の足からは歩くたびに汚く醜い泥が溢れ、触れるものすべてを蝕んでしまう。

周りに誰も、近寄らず。近寄るものすべてを侵してしまう。

それが通った後には何も残らない。黒山羊自身の願いすらも、残さない。

 

「どうして自分は生きているのだろう。誰も救えやしないのに」

 

黒山羊は慟哭する。

周りはみんな真っ白で綺麗なのに、自分だけが黒く汚れて染まっている。

救おうと手を伸ばせば黒く穢し、そして失う。願いを叶える黄金でできた器でさえも、汚して壊した。そんな全てを穢すことしかできない自分に嫌気がさして黒山羊は崖から飛び降りた。

けれどそこに終わりはなく。飛び降りた先の海の中で黒山羊は溺れながら尚も死ねない。

視線の先には黒い雲。もうもうと音を立てて飛んでいる。

パンが濁流のなかを流れてきた。黒山羊はそれを齧り、味がしないと吐きだした。

飛んでいた雲が月に吸い込まれて黒山羊は眠くなってくる。荒れ狂う濁流の中、温度も音も感じなくなった黒山羊は、そっと目を閉じる。

「ああ、こんどこそ安らかに死ねますように」と願いながら。

だが現実は非情だ。黒山羊の願いを叶える存在はいない。それでもなお、愚かにも黒山羊は死を求め続ける。届かぬ月に手を伸ばす。

本心では「皆に認められたい」と、「生きていたい」と願っているのに。濁流がそれを許さない。深淵から見つめる目。沢山の目がそれを許さない。

生きることも死ぬことも許されず、崖から落ちた罪を嘲笑われ、存在自体が罪なのだと弄ばれ、黒山羊は海の上を彷徨う。

流されていくうちに、大きな丘が見えて黒山羊は瞬きをした。その丘の上に、巨大な塔と見紛うばかりの大きな鉄塔が立っている。そしてその塔には沢山の鏡と凸レンズがあった。

それらが丸く大きな月を映した時、黒山羊は自分が呼ばれていると感じた。自分が自分を呼んだのだと自覚した。

黒山羊の躰が溶けた。黒山羊が海とひとつになった。黒山羊は、千の顔を持つ月を映した。捩れた蹄と触手を伸ばした。

 

「嗚呼、あそこに自分の本当の躰があるのか。きっとそうにちがいない」

 

海になった黒山羊が笑顔で囁いた。

遠い遠い昔、月の内に昏き星をもってして黒山羊の身体は閉じ込められてしまったのをようやく理解したからだ。

今まで死ねなかったのは自分に躰が無かったからに違いないと黒山羊は嗤って、星々瞬く宙へどろりと堕ちた。

 

 

 

 

──以上が、自分の読んでいた小説『死を求め続ける愚かな黒山羊』の内容だった。

前半はどうでもいい描写ばかりだったので省いたし、読んでいると酷く眠くなる代物だったので最後まで読めていないのでこれからどうなったのかはわからない。面白さも自分にはいまいちわからなかったのでしおりを挟んでは置いたがこれ以上の興味もない。

記憶を失う前の自分はこれを好んで読んでいたのだろうか。文字が目から滑り、意味がないような描写ばかり続くこの小説を。

だとしたら相当な物好きなのだろう。やっぱり記憶を失う前の自分は変人だったようだ。

それとも、あの文章たちには自分が解らないだけで何か意味があるのだろうか。

らちが明かないのでいつものように寝ようと思い、ここは自室ではないのだったと思い出す。

朝倉医院、と看板には書いてあったが散歩がてらに何故病院に連れてこられたのか。

あらがきくんは自分とコロマルを置いて何処へ行ってしまったのか。さっぱりわからない。体調でも悪いのだろうか。

ソファーに座っている誰だかわからないふたりに訊けばなにか分かりそうだが、関係なさそうな人の顔を急に触るというのはどうなのだろうか。どう考えてもダメだと思う。

そう考えたらやることが無い。やっぱり眠ってしまおう、とマットレスに体を横たえ目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

11月9日。21時ごろ。

冬の寒さが分かる様になってきた空気の中で朝倉、尚也、麻希の3人はなにか知っているであろう神条こと神取の足取りを追っていた。

そしてたどり着いた寂れた教会で見たものは、壇上に立って演説する神取の姿だった。どうやらニュクス教と呼ばれる宗教の元締めのようなことをしているらしい。

 

「ケッ、元社長サマが神父の真似事かよ…似合わねえことこの上ねえぜ」

「ねえ、朝倉君。わかる? あの奥の…ローブの…」

 

教会の後ろのさらに隅で顔を顰めた朝倉に話しかけた麻希の顔は青い。視線は神取の横で座っている暗い色のローブで身を隠す存在に向けられている。

 

「……アレ、どうみても人間じゃねえな」

「うん…すごく嫌な感じがする」

「悪魔…にしてもあんな奴滅多に居ねえよ。きなくせえとは思ったが、ここまで来るとあからさま過ぎるぜ」

 

顰めた顔から一転。朝倉までもが怖気づいたような顔へと変わるのを見て、尚也もそのローブ姿の“教主”と呼ばれた存在に目を向ける。人間ではないような妖艶な雰囲気を感じはするが、ふたりのように異様な雰囲気を感じるという事は特には無かった。しいて言うならば、()()()()()()()()()()()()。ただそれだけだ。

どこかで嗅いだことのある香り。それが漂っているような気がして、尚也は記憶を手繰り寄せようとしていた。

 

「──そろそろ集会も終わりか?」

「そうみたいだ」

 

ぞろぞろと教会を出ていく虚ろな目の人々を見送り、壇上へと再び目をやれば、先ほどまでいた神父の真似事をする神取と教主が居ない。

あの一瞬でどこへ──と尚也が考えた瞬間、入り口近くに移動した朝倉が何者かに外へ吹き飛ばされ塀の1部を破壊する。

 

「朝倉くんッ!」

「ブンヤ!!!」

 

麻希と尚也が叫んで朝倉を呼ぶ。土煙がもうもうと立ち込める中、瓦礫から身を起こした朝倉はふらついている。

何が起こったのかわからない。それだけが3人の共通の認識だった。

 

「げほっ…んだ…いまのは…!」

「──奇襲を喰らっても尚、動けるとは。流石私の野望を止めてみせたペルソナ使いのひとりといったところか」

 

ぱちぱちぱち、と神取が神父の服装のまま、土煙の向こうから拍手をしながら歩み寄ってきて姿を現す。そんな神取の姿を見た朝倉はその顔を怒りの表情に染めた。

 

「神…取…ッ!」

「ふむ。あれから10年以上経つが鈍ってはいないようだな。朝倉文矢(あさくらふみや)

「こちとらてめえが起こしたセベク・ショックから今までほぼ毎日悪魔がらみの事に巻き込まれまくってんだよ…! 鈍るわきゃねーだろーが…!」

 

ぺっ、と血反吐を吐きだし、鼻血をぬぐった朝倉を麻希と尚也が庇う。今日は戦闘をしに来たわけではない。あくまでも情報収集だ。

ペルソナだけでも戦えはするが、それで神取に勝てるほど相手は甘くない。

 

「君たち旧世代のペルソナ使いはこれからの事に邪魔なのでね。お引き取り願おうか」

「古いモノ扱いだなんて随分な言い方だな…」

「実際そうだろう? 舞台の主役は既に君たちではなく彼らに移っている。だからこそ、きみたちにはその“資格”がない」

「チッ…」

 

神取の言葉に、尚也と朝倉が歯噛みする。

資格というのは十中八九“影時間への適性”の事だろう。それが無いという事は自分たちは蚊帳の外だという事に他ならない。そして、その言葉は神取が影時間を使ってなにかしようとしていることも同時に表していた。

 

「今度は何を企んでやがる…!」

「何も。ただ、私は代役をしているだけだ。役者はきちんと役を演じなければいけない。だというのに欠員がでてしまうから誰かが代わりなるしかないのだよ」

 

あくまで自分は演じる側だとはぐらかし、何も話そうとしない神取はこれ以上語ることはしたくないとでも言いたげだ。

 

「……そんなに気になるというのなら、我らが教主に訊けばいい。もっとも、応えはしないだろうがな」

 

そんな神取の声と共に、闇の中からぬらりとローブの裾と袖を風に揺らしながら“教主”と呼ばれた存在が現れる。瞬間、空気がピリピリとした張り詰めたものに変わる。

それはハイヒールを履いているのか、一歩あゆみを進めるごとにカツリカツリと足音を立てた。

 

「ナオりん、さっきも言ったがアレは人間じゃねえし悪魔にしてもまともな存在じゃねえ。オレからみたアイツは黒い靄が辛うじて人の形をしてるだけのバケモノだ。もし攻撃されそうになったら尻尾巻いてでも逃げるぞ。……悔しいけど、今のオレらの敵う相手じゃねえ」

「ああ、わかった」

 

尚也はソレが近くに来てようやく、先ほど感じたなつかしさと香りの正体に気がついた。

“死臭”がするのだ。

 

──お前が死ねば良かったのに。

 

消えたはずの幻聴が、尚也の頭の中で木霊した。教主の姿がブレ、尚也そっくりの姿になる。

 

「……和…也、」

 

尚也そっくりの顔。聖エルミン学園の制服。金色の瞳。ピアスをつけていないその姿に、尚也はたじろいだ。

藤堂和也。

幼少の頃に交通事故で死んだ双子の兄であり──その姿を模した尚也自身の自分自身への悪意(シャドウ)そのものだった。だが、それはセベク・ショック事件の時に尚也自身が受け入れ一体化したはずだった。そこに、いるはずがないのだ。

 

「ナオりん、アイツが和也って…どういうこったよ…!」

「和也に…いや、違う…わからない…! 違う気がするのに、似てるんだ…気配も、雰囲気も、何もかも…!」

「私たちにはあの人が和也くんには見えないわ…! もしかして、尚也くんにだけ…見えてるんじゃ…」

 

混乱する3人の前で沈黙していた和也の姿を模したと思われる教主が、口を開く。

 

「──、──」

 

何を言ったか3人にはわからない。ただ口を開いただけかもしれなかった。

だがその瞬間、教主の足元で沸騰するようにごぼごぼと黒い泥が粟立ち、中から青黒い煙が沸き立つ。

そして現れたのは4匹ほどの狼の様な奇妙な生物だった。身体からは黒い触手が生え、口からは鋭い舌をだらりと垂らし、全身からは悪臭を放つ液体を垂れ流している。そしてその目は燃える炎のように赤く光っていた。

 

「これって…!」

「ああ、確かにこりゃあ…マガツヒの匂いだ。となるとあいつら自体は悪魔か…!」

 

麻希と朝倉が身構える。

尚也があまりの悪臭に顔を顰めて目を一瞬閉じ、再び開いたときには教主の姿は死んだ双子の兄でも自分のシャドウでもなく元のローブ姿に戻っていた。

あれは、教主が何かしたわけではなく自分が勝手に見た幻覚なのか、と尚也は小さく震えた息を吐き、同じように身構えた。

 

──ブラックドッグまたはヘルハウンド。それが泥から呼び出された彼らの名前だった。

イギリス全土で昔から言い伝えられている死の先触れともされる犬の姿をした不吉な妖精。悪魔としては毛むくじゃらのヘアリージャックという魔獣が同じブラックドッグの1体として数えられるが、これはヘアリージャックの愛くるしい姿と到底同じものとは思えないほどに醜悪でおぞましく不浄な生き物だった。

ぐちゅぐちゅと粘液がくぐもるような音と共に聞くに堪えがたい声で唸り、吠えた獣が飛びかかって来る。

 

【肉断ちの鋭爪】

【狂いかみつき】

 

「ッ、逃げろ! 全速力で走れ!」

 

鋭い爪と悪臭を放つ牙が迫る中、咄嗟に叫んだ朝倉の言葉に麻希も尚也も応戦することなく駆けだした。一般人に被害を出すわけにはいかないので街中は走れない。その意見は言葉を交わさずとも3人の中で共通だった。

しばらく走り、わざと遠回りをして人気のない場所で交戦しようという意見が満場一致したその時、違和感に気がつく。

獣は相変わらず追って来てはいるようだったが、人の気配が全くしないのだ。それどころか、周りには奇妙な棺桶のオブジェが乱立し、月が緑の光をもって夜の街を照らしていた。

 

「なんだ…?」

「この感じ…悪魔の巣に近いモンがあるが…町全体となると別物だな」

 

朝倉は思案する。棺桶のオブジェに自ら発光する月。そしてこの人っ子一人いない街。

まさか、と当たってほしくない予想が脳裏をよぎるが、どう考えても()()()()()()()()()()()()()()()に当てはまっていた。

となると、ポートアイランドの方角には塔があるはずだ、とそちらを向けば予想通りタルタロスが月光に照らされそびえ立っている。

自分たちは“影時間”を認識できないのではなかったのか。何故いきなり認識できるようになったのか。そして、影時間は深夜12時からではなかったのか、などと様々な疑問が浮かんだ。だが、人がいないのなら好都合だった。これなら人目を気にせず暴れられるし応戦できる。

くるりと反転し、あの醜悪な獣を迎え撃とうとした朝倉達が見たのは眼前で跳躍する本体(教主)だった。

 

「──ッ!」

 

獣は何処にも居ない。ハイヒールの特徴的な音も今までしなかった。

あれらの1連の行動はブラフだったのか、と気づいた時にはもう遅い。

 

空を跳ぶ教主が足を後ろへと引き、朝倉へと叩きつけた。

 

「がッ!?」

 

咄嗟に腕で体を庇い受け身を取ったものの、吹き飛ばされた朝倉は腕からばきりと嫌な音が聞こえたのを自覚して続いて襲って来た激痛に呻く。軽い蹴りの一撃だけでそれなりに鍛えている成人男性(ペルソナによる身体能力補正込み)の腕の骨を折るとは、なんて馬鹿力なのか。

 

「ぐ…うう…“カラドリウス”…!」 【ディアラハン】

 

痛みに呻きながら己のペルソナである“カラドリウス”を呼び出せば、水色の小鳥が羽ばたいて朝倉の身体に癒しの光を降らせる。

そしてのろのろと視線をあげて元いた場所を見ると蠅の王(ベルゼブブ)(いかづち)をもってして麻希と尚也を薙ぎ払っていた。

その姿はペルソナのように光に包まれている。もっとも、色は青ではなく赤く禍々しいものだったが。

 

不意に、“ベルゼブブ”の姿が消え新たなペルソナのような存在がぶわりと現れる。

黒い色の体躯をした天魔──“デヴァ・マーラ”はその片方の手に円盤を持ち、もう片方の手には弓を携えていた。マーラといえば緑色の男根の煩悩大王なアレをイメージするがこのデヴァ・マーラはそちらのイメージよりも天魔、釈迦を誘惑したものとしての姿、または死そのものである「殺す者」としての側面が強いのだろう。

つまり、それだけ相手の人格は殺意に塗れていると言っても過言ではない。でなければこんな『死』そのもののような存在をペルソナとして人に向け、召喚できるはずがないのだ。

 

デヴァ・マーラが手に持っていた円盤を天高く放り投げ、弓に矢を番えた。そしてそれを天に向ける。徐々に天高く放り投げられた円盤に光が集まりその力の余波で一帯がビリビリと震えた。

 

限界まで引き絞られたそれが放たれようとした瞬間、不意に世界自体がブレた。

景色が影時間独特のものから一瞬にして元のものに戻り、デヴァ・マーラもかき消える。

デヴァ・マーラを消した教主は朝倉達に目もくれずローブを風に揺らめかせながらゆるりと踵を返した。

──まるで、全力を出す価値も意味もないと言わんばかりに。

その行動を見ていた朝倉は、「わざと見逃された」と感じたのだ。朝倉達は煩い羽音を立てる羽虫以下の存在だと思われたらしい。

癪に障る。が、見逃されずにあの一撃が放たれていたら、朝倉も尚也も麻希もどうなっていたか分からない。否、確実に死んでいただろう。

 

手も足も出なかった。

武器が無いという不利があったが相手はそんな次元ではない。例えちゃんと用意をして戦えるペルソナ使いを全員呼び、作戦を立て、万全の体制で挑んだとしても勝てるかどうかはそれこそ賭けになるだろう。それに加えて神取もいるとなれば勝率はさらに下がる。

静かに夜の闇へと紛れ、消える教主を睨みつけながら朝倉は意識を失った。

 

そして今日。11月10日。

 

「ぅ…ぐ…いっ…てぇ…!」

 

折れた腕の痛みにベッドの上で目を覚ました朝倉はここが自分の家兼診療所の朝倉医院の自室であることに気がつく。

今は何時だと時計を見れば昼前だったので折れた腕を無理に動かさないように立ち上がると、他のふたりを探しに院内を歩き回ればたまり場と化している部屋のソファーとベッドであの後自力で治療を行って寝たと思われる2人が眠っていた。思ったより軽症で朝倉はほっと胸をなでおろした。それはそうと今日は昼から荒垣がバイトに来る時間だったなと思い出して机の上にメモを置いておく。起きた2人のうちどちらかが見て伝言してくれても良し。荒垣自身がそれを見ても良し。とにかく部屋に帰るかと動く方の腕で頭の後ろをぼりぼりとかいた。

いくらペルソナで怪我がある程度治せるとは言っても骨折した骨はくっつけられない。治癒魔法のお蔭で再生力があがるため多少は早く治るだろうが最低でも1、2週間はこのままだ。これがマグネタイトやマガツヒの濃い異界ならもっと治りは早くなる。だがここは現実世界だ。悪魔の巣を見つけて殴り込みに行けば楽に治せるかもしれないが余計に怪我をするかもしれない危険も孕んでいるのでそういうわけにもいかない。

しばらく休診か、片手で診られる人間だけ受けてあとはヤタガラスにでも押し付けるか、と脳内でこれからの予定を立てた朝倉は痛み止めの薬を呑み込むと昨日の事について整理し始めた。

 

まず、“ニュクス教”というカルト宗教を神取が取りまとめている。そしてそのバックには“教主”と呼ばれる謎の存在が居た。

神取自身は代役だとかなんとか言っていたが、ニュクス教の目的は『滅びを得ること』だ。これは、4日以降にタカヤ達が持ってきた幾月という男が隠し持っていた資料の内容に近いものだった。が、それを民草に求めさせてなんになるというのか。朝倉にはいまいちわからない。

確かに、神が信仰を得ることにより力を増すというのは古来からある手法だ。その為、悪魔の中には自分を讃えさせるように人間を洗脳する者もいた。そういうものがヤタガラスに見つかり、歴代の葛葉ライドウだったりゲイリンだったりキョウジなどデビルサマナーに征伐されているのだが、ニュクス教がそれに当てはまるかといわれると微妙だ。

そもそも本来祀られているべきかつ神輿であるニュクスが、『滅びを得る手段』としてしか扱われていないような、ないがしろにされているような雰囲気をあの演説から感じたのだ。

『ニュクスの声を聴く者』として神取に祀り上げられていた教主も神取からして敬うべき存在なのかと言われれば、あの口ぶりからしてそうだとは思えなかった。

とはいえ、神取自身があの性格であるため教主と対等な関係を築いているという可能性もある。神性、またはあの邪悪さを持った存在と対等という意味では蘇った神取も人間ではないということなのかもしれないが。

 

朝倉から見てあの教主と呼ばれていた存在は人の形をした渦巻く黒い靄だ。それが辛うじてローブの隙間から見えている、といった感じか。

尚也が見たという藤堂和也の姿には見えなかったし、アレが人間だとも思いたくなかった。あんな高濃度の負の感情を纏わせた存在が人間なはずがない、と。

悪魔ですら高位の存在──それも邪神に近いものでなければあんなものは受けきれないだろう。一体何を神取は()んだというのか。あのペルソナに酷似した力は魔王かそれに近しい悪魔を従える者かもしれない。それとも、邪悪なれども神性を持つ存在がペルソナを得ているとでもいうのか。いや、これならば最初にけしかけてきた四足歩行の獣と同じく悪魔と見た方が正解に近いか、と朝倉は結論づけた。

それと、神取の言っていた『演者』というのは間違いなく荒垣や優希たち特別課外活動部とタカヤ達ストレガだろう。

神取は彼らと影時間、そしてシャドウとニュクスを使いなにかするつもりらしい。なにかといっても『滅びの招来』なのだろうが、神取は新世界の神(意訳)になりたいだけであって世界を滅ぼしたいわけではなかったはずだ。

何か違和感を感じる。が、朝倉にはその違和感の正体がわからなかった。

 

「チッ…寝るか…」

 

考えても仕方ない。

ごろりと折れた腕を上にして寝転んだ朝倉は目を閉じた。

 

次に目を覚ました時、眼前に無表情の優希の顔があって飛び起きるなどとは思いもせずに。

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