燃え盛る室内。朝倉は、よろよろと灼熱と形容するに等しいその場を歩く。
畳が焼ける匂いと煙があばら家の内を焼いていく様を見ながら、兄妹を探した。
「げほっ…ごほっ…兄貴…姉ちゃん…ケンタ……ハルカ…アイ…! どこだ…! 返事…返事してくれよ…!」
兄と姉と幼い弟妹たち。両親にネグレクトと暴力を受けながらも、自分たちが出来る限りのことをやって支え合い、これまで生きてきた大事な家族だ。
クズな両親はこのまま焼け死んでしまえばいいと思っているが大事な兄妹が死ぬのはダメだ。朝倉はその思いで肺の中に煙が入り噎せようとも声を張り上げ兄妹を探した。だが、返事は無い。
(もしかして、みんなもう逃げて…)
どうかそうでいてくれ、と朝倉は神に祈った。祈りながら、玄関を目指し炎を避けて歩く。
熱い。ただただそれだけだった。もしかしたら、玄関に行くことはできないかもしれない、と酸欠でぼやけてきた頭で死を覚悟する。瞬間、ぐい、と腕を引かれて顔を上げる。
「あに、き…」
「フミヤ、これで口を塞げ」
身体をかがめた兄が朝倉の腕を引っ張りながら薄汚れたハンカチを差し出してくる。兄自身の口を塞いでいたであろうそれを押し付けられて、朝倉は渋々それを空いている片手で口にあてた。
玄関までの距離はひどく短いというのに、兄に引っ張られるようにして歩いてもなお出口が遠い。
兄は煤だらけ火傷だらけで見ていて痛々しい。おそらく、自分と同じように他の兄妹を探しに行っていたのだろう。
ならば他の兄妹はどこに、と聞こうにも鬼気迫る兄の顔に何も言えない。
そうやって炎と熱、そして煙を回避しながらあと少しで玄関のドアだ、といったところでミシミシと嫌な音が聞こえた。
「ッ!」
ドン、と背中を押されて玄関のドアの前まで押された瞬間、爆音と衝撃が朝倉を襲う。
玄関の引き戸と共に外に投げ出され、その上を炎が撫でた。地面をなんども転がり、ようやく顔をあげた朝倉が見たものは、焼け落ちて崩壊する母屋だった。
先ほどまでいた兄はどこに、と辺りを見回すもその姿は見えない。逃げているはずと信じていた他の兄妹の姿もない。外にいるのは自分ひとりだけだ。
つまるところ、全員あの炎の中で──
──そう結論づけた朝倉の目の前で、陽炎のように炎に巻かれる兄の幻覚があの教主の姿に変わり、“祈りなど無意味だ”と嘲る様に嗤った気がした。
「──兄貴ッ!!!! いやなんでオマエがここに!? ……っつう…!」
兄を呼びながら目を覚ました朝倉の眼前に無表情な見慣れた顔があり、思わず飛び起きて折れた腕の痛みに顔を顰めた。
表情が抜け落ちている見慣れた顔──優希は飛び起きた朝倉に驚いて表情を変えることすらしない。朝倉は何故ここに学校に行っているはずの優希がいるのかと考えたが、麻希や荒垣から死の淵を彷徨ってしばらく休養していると聞いた事を寝起きのぼやけた頭で思い出した。
時計を見れば昼過ぎで荒垣がいつもバイトに来ている時間だ。
という事は荒垣に連れてこられてここに来たのか、と身体を起こしてまじまじと見つめるが何も反応が無い。いつもなら「あの、俺の顔に何かついてます…?」と恥ずかしそうに訊いてくるというのに無言。何か決定的な自分たちとのズレのような物を感じた。
麻希から様子がおかしいと聞いていたがここまでとは思っていなかった朝倉が頭に片手を置けば、そこで初めて無表情が緩んだ。
「んだよ…ちゃんと笑えるじゃねえか。いや…こりゃ笑うに入るのか…?」
うんうんと朝倉は悩む。夢見は最悪だし患者である優希は表情が抜け落ちているしでまだ悪夢が続いていたのかと思ったがそうでもないらしい。少しムカついたのでうりうりと乱暴に髪のおろしてある頭を撫でれば抵抗することなくなすがままにされている。
それに気をよくした朝倉が撫でることを継続していれば、緩んだ顔がどんどん困惑の顔に変わっていく。どうやら長時間撫でられるのには慣れていないらしい。
不意に、優希の手が伸びてきてお返しと言わんばかりに朝倉の顔を弄った。そして頭をさわさわと遠慮がちに触り、手を離した。
「満足したか?」
無表情に戻りこくりと頷いた優希の頭をもう一度うりうりと乱暴に撫でたあと朝倉も手を離し起き上がる。
「っと…わりぃな。今日のオレは片腕臨時休業中だ」
動かないほうのだらりと垂れた片腕を見せればその腕にそっと手が添えられる。
「…痛い、のか?」
「あ? 痛ぇに決まってんだろ。折れてんだよなー腕がなあ! これはもうぼっきりとなあ! あーいてえなあマジで!」
「そうか」
あからさまに痛がるフリをしながらちらりと優希を見ればさほど心配していなさそうな無表情がお出迎えした。10月末の雨の日に来た時のような無表情っぷりに何かあったのかと心配する気持ちがありつつからかいがいのない奴、と思ったが明らかに喋り方が違うような気がして気になった。
「つーかお前なに、イメチェンでもした? クールキャラで通すつもりなの? 今更? マジ?」
「…? たくさんしゃべると疲れる。それだけ」
「あっそう。…ってそれで済ませられるか!!!! 疲れるっつー理由だけで性格まで変わるかっつーの!」
「?」
思わず朝倉はツッコんでしまった。それはもう見事なノリツッコミだった。
わからない、と言いたげに首を傾げた優希の表情は動いていない。結局何があったんだと訊けば、本人もよく分からないが死にかけたせいで記憶喪失になったのと、他者をうまく認識出来ないらしい。
「いやオレのことは認識できてんじゃん。アレか? 質の悪い冗談か?」
「嘘じゃない。触ったから、分かる」
「ほーん」
半分興味なさげにその答えを聞いた朝倉は、やはり口調の違う優希に記憶喪失になるというのはこんなものなのか?と頭の中ではてなを浮かべた。
そんな朝倉をよそに、優希は何か考えるように顔を俯かせるとぼそりと呟いた。
「性格が…違う…」
「あ? そうだよ。前のオマエはもっと愉快なやつだったぜ! なっはっは!」
「ゆかい…?」
不思議そうにする記憶喪失だと言う優希に朝倉は悪戯心が芽生える。ここで、根も葉もないありもしない情報を吹き込んだらどうなるか、とても気になったのだ。たとえば、そう──
「そうそう! オマエ、実は男じゃなくて女なんだぜ!!! ついでに学校には女の制服で通ってたぞ!」
「!??!!?!?!?」
そう言えば、あからさまに目を白黒させ動揺し始めた優希に朝倉は「でひゃひゃひゃひゃ!」と内心で
「じ、じぶんは…自分は…女…? やっぱり……自分は…つまり……兄じゃなくて…姉……? 」
「お、おい…? 冗談だからな…? パンツの中覗いてみろ? サイズはともかくマイサンがいるからな????」
混乱しているのかうわごとをぶつぶつと呟き始めた優希の様子がおかしくなってくる。呼吸が荒くなることから始まり、だんだんと目の焦点が合わなくなり、ヤバいと感じてネタばらしした朝倉のことすら認識できていないのか無視して口から言葉を垂れ流している。
「…認知、定義、存在証明、フィレモン、契約…自分は……
突如、泣き叫び始めた優希は朝倉が止める間もなくベッドの近くにあったデスクの上のペン立てからひっ掴むようにハサミをとると自らの首につき立てようとした。
「馬鹿ッ! 早まるんじゃねえ!」
そこでようやく身体が動いた朝倉が腕の痛みも気にせず優希へと突進し、押し倒して手からハサミを奪い取る。
朝倉とてまさかあんな100%冗談で言ったあからさまな嘘の発言がこんな行動のトリガーになってしまうなど思いもよらなかったのだ。医者としても人間としても、やってはいけない選択であったし浅慮だったと自分に対し舌打ちした。
「おい、大丈夫か…!? 悪かった、悪かったって! ありゃ嘘だしオマエはれっきとした男だからよ、忘れろ。な? あとマイサンがちゃんとついてるかの確認もしとくんだぞ!?」
「………」
抱き起こして呼びかけるが返事がない。
まさか、こちらが突進した際に頭でも打ったのか、と青い顔になった朝倉の耳に遅れて返事が返ってくる。
「……眠、い」
「え? あ? 眠いだけか…心配させんじゃねえっつーの…」
朝倉の服をぐい、と掴んで甘えるように首筋に顔を埋めてくるその行動に酷く幼さを感じて朝倉はあんな夢を見たこともあり火事で亡くなった年端もいかない弟を思い出して小さく息を吐いた。
錯乱したのは一瞬だった事への安堵と、覚えた懐かしさにぽんぽんと背中を優しく叩きつつベッドまで片腕で誘導して寝かせてやればすぐに夢の中へ行ってしまったようで、弟が生きていれば丁度こいつくらいだったのかと哀愁に浸りながら一通り異常がないか確認した朝倉も横で寝ることにして目を閉じた。
(…ま、ぜんっぜんこれっぽっちも似てねえけどな)
そもそもただの患者で大した付き合いがない優希と、生まれてからずっと面倒を見ていた弟を比べるのは些か酷だろう。目が離せないという点では似たようなものかもしれないが。
弟はとんでもないいたずらっ子なガキんちょだったし、とそんな皮肉のような言い訳を浮かべた朝倉は、先程まで気にしていなかった優希の言動のある一言が頭に引っかかった。
(そういや…こいつ…さっき取り乱しながらフィレモンっつって無かったか…?)
朝倉の聞き間違いでなければそう言っていたはずだ。だが荒垣やストレガの面々からはフィレモンと会話してペルソナを覚醒させたという話は聞いていない。そもそも、何もきっかけがなく自然に覚醒した荒垣と、桐条によって人工的に覚醒させられたらしいストレガの話を聞く限り、今のペルソナ使いは『ペルソナ様遊び』もせず、フィレモンに名を告げないものなのだと思っていたのだ。
だが、優希に限りそうではないなると初めて朝倉がペルソナ使いだと暴露した日に言った『ペルソナさま遊び』についてまるで知らないような反応をしたことに合点がいかない。
一体どうなってるんだか、起きたらまたちゃんと話を聞かなきゃならないな、と考えて朝倉は再び寝ることにした。
「うわーーーーーー!!! オレのマイサンがフライアウェイしやがったーーーー!!!!!!」
そう叫んで飛び起きた朝倉はじっとりと嫌な汗をかいていた。
とんでもない夢をみた気がする。自らの股間のご立派なマーラ様がちょっきんされる夢だ。正直火事の時の夢よりも酷い。拷問かよ、となんとなしに身体を起こせば折れていたはずの片腕の痛みがない。
どうなってるんだと動かせば、ちゃんと動く。
まるで、
「あさくら…せん、せ…い…?」
その声の出し方が、以前と同じ感情のあるものに聞こえた。
先ほどまでの優希の声はひたすらに平坦だったのだ。だが、いまは困惑するような声色が戻ってきている。
「おれ…俺…なんだか、ながい夢を、みてた気がするんです。ながい、ながい、こわい、夢を。誰かに手を引かれて、歩いて、歩いて、沈んで、いきたく、ないのに。でも、おれのからだは、いうこと、きいてくれない。おれのからだ、なのに」
怖い、と言いたげに震える声で朝倉の服を掴んだ優希はそのままぽろぽろと泣き始めた。
「俺じゃなくなっちゃうみたいで…こわかった…! せんせい、せんせい、いま、せんせいはゆめじゃ、ない、ですよね…? おれは、ちゃんと、おれですよね…?」
「おーよしよし、そうか。怖かったな。オマエはオマエだしオレは夢じゃねえからな」
そう言って両腕を使って抱きしめるようにして慰めてやれば子供の様に泣きじゃくる。
無表情だった先ほどよりもさらに幼いイメージを朝倉は抱いて、本来は遠慮がちでも何でもなくこんな風の甘えん坊なのか? と思いながらタカヤの話を思い出して、本来甘えたい盛りだった頃に両親と死別し凄惨な実験に参加させられていたらそりゃこうもなるか、と勝手に納得した。
「落ち着いたか? クソガキ?」
「…う…はい…」
泣き止んだのを確認してから座ってまた頭を撫でれば恥ずかしそうに優希は顔を俯かせた。
「……しゃべるの…疲れる…」
「あ? なんか言ったか?」
「……」
目を逸らした優希を気に留めることなくボリボリと頭の後ろを掻いた朝倉は今まで気になっていた事を訊こうと口を開いた。
「オマエ、さっきのこと覚えてるか?」
「さっき…?」
考えるように目も下に向けた優希はしかし、数秒ほど黙るとわなわなとまた震え始めた。
「あ…あれ…? あれ? な、んで…あたまのなか、まっしろで、なんでおれ、なにも、おもいだせないんだ…? おれ、いままで、なにを…」
「おいおい、大丈夫かよ?」
心配しながら肩を竦めた朝倉を見た優希はびくりと身体をひときわ大きく震わせ、またボロボロと涙を流して泣き始める。
「ちょっと、待って、おねがい、おれ、ちゃんと、おもいだしますから、まって、ください、おねがい、おねがい、します…!」
それはもう、お願いというよりかは“懇願”だった。
また様子がおかしくなり始めたのか、パニックになりかけてるかのどちらかだ、と即座に判断した朝倉はストップをかけることにした。こういうものは忘れているのなら無理に思い出させても悪影響を引き起こすことの方が多い。
「あー、ストップだ。クソガキ。わかんねえんなら無理して今思い出さなくていい。さほど大事なことじゃねえし、しんどいなら寝とけ。混乱してるだけだろーからもっぺん寝たら多少は頭ン中、整理つくかもしんねーだろ」
「で、でも…」
「ダ・メ・だ。スーパーウルトラ天才医なオレのいう事聞けないワケ?」
「…う」
そこまで言って漸く渋々、といった様子で頷いて、また朝倉のベッドで横になった優希は不安げな顔のままふわふわとした毛布と羽毛布団に顔を埋めた。
「荒垣のバイトにオマエはついてきたっぽいし、アイツのバイトが終わるころにゃ起こしてやるから安心して寝とくんだぞ。あと、怖い夢をみたら…あー…そうだな、フェザーマンでも呼んどけ。多分駆けつけてくれんだろ。知らねえけど」
朝倉は亡くなった弟や妹の年頃くらいの幼い子供ならともかく高校生の見る悪夢の対処法なんて知らない。なので適当に頭をまたわしわしと撫でてながらそう言ってやればおずおずと無言で頷かれる。
フィレモンと呟いた事については覚えていないようだったのでまた思い出した時にでも訊くしかない、と朝倉は諦めて立ち上がろうとした。が、引き留められる。
「……眠くない。寝たくない」
「マジのガキみたいな我儘言うんじゃねーの。なら、いつもの部屋にでも行くか? 今日の俺は臨時休業、しようと思ってたが営業再開だしその説明もしねーとなんねーし」
「行く! 行きます! 行かせてください!」
『行く』の三段活用をした優希は布団を勢いよく折り畳んで起き上がり、ふらついてまたベッドに倒れ込んだ。
「オマエ、病み上がりらしいからな。あんまし激しく動くんじゃねーぞ。じゃねーと、また病院に逆戻りかもなあ?」
そう朝倉が意地悪く笑いながら伝えれば、目をぱちくりとさせて小さく嫌そうに「う…はい…」と頷いた優希はゆっくりと身体を起こしてベッドから立ち上がった。
記憶が無い。何も覚えていない。元に戻った。
──全部嘘だ。
朝倉先生に自分が女だと言われ(どう考えても大嘘だったが)、『前回』の自分と同調した際の事がまるで稲妻のように脳裏を駆け巡って混乱しながらも知ることが出来た。
いま、殆どの記憶は情報として得ている。三上優希は誰なのか。記憶を失う前の三上優希とはなんだったのか。どんな風に喋って、どんな風に行動したか。
それをエミュレートして、演じて、心配をかけさせつつ他者を安心させる。
それが、情報として自身の記憶を得た“自分”にできる限界だった。
以前の自分に戻ったわけではない。ただ、『前回』の自分と同調した際の内容を思い出しただけ。三上優希という個人における人間性が限界まで吹き飛んでいってしまったのだと自覚しただけ。自分がどうやって壊れ、一時的な死に至ったのかを自覚しただけ。忘れている、と言った方が都合が良かったのでそうしているだけ。
もう少し強い衝撃でも加えられればショック療法的な勢いで戻って来るかもしれないが、今の自分にはこれが精いっぱいだ。いや、今回の記憶が戻るトリガーがまさかの朝倉先生による嘘だというのがなんとも言えないが。『前回』の自分に感謝すべきなのかそれとも朝倉先生に感謝すべきなのかわからない。
…どちらにも感謝しなくていい気がしてきた。
ただ、夢をみていたというのは本当だ。
あれだけは本心から──今の自分に本心と呼べるような心があるとは到底思えないが──『怖かった』。
あとは、“フィレモン”と“ニャルラトホテプ”というふたつの存在に対する強烈な『怒り』も内から湧き上がってくるような気がしている。あれらがどう自分に関わってきているのかは同調した『前回』の自分の記憶になるらしいのでさっぱりだが、確実に良い事ではないだろう。
結局、思い出したと言っても以前の自分の感知の外の記憶は無いのであまり変わりはないという有様だ。
ただ、記憶を読み取ってしまったせいで自分の目的である『ドキドキ☆ニュクス封印に割り込んで自分だけで封印するぞ~作戦』を思い出してしまったが、ペルソナが使えないとなるとどうやっても割り込めやしないだろう。湊や奏子が最終決戦に戦えない自分をタルタロスに連れていくとは思えない。
あと、以前の自分にどうしてそんな名前で記憶したのか小一時間問い詰めたい。記憶を読み取っても全く持ってこのようなふざけた名前の作戦名にしたのかわからない。なにがドキドキ☆だ。あんなもの、ドキドキというよりハラハラだ。
「どうしたの、三上くん? まだ体調悪い?」
「あ、あはは…いえ、そうじゃなくてちょっと考え事を…いろんなこと、早く思い出せないかなーって…あと心配をおかけしたので何と言って良いのやら」
「そんなこと、いいのよ! 無理はしないでね」
「ありがとうございます」
記憶が戻っても相変わらず他者の存在をいまいち上手く認識できなかったので朝倉先生を通して通訳してもらい触らせてもらったのでいまじゃ藤堂さんも園村さんもちゃんと顔が判る。
なので園村さんに愛想笑いで答えて思考を再開する。
そう、なんであんなふざけた作戦名にしたのか。……ではなく。
ニュクスの封印というのをどうやってするか、だ。
このままなにもしらない兄のフリを続けてもいいがペルソナが戻ってこない事には八方ふさがりだ。自分が想定している封印の仕方はベルベットルームで“
それか、自力で“いのちのこたえ”とやらにたどり着くことくらいなのだが、そんなものわかるはずがない。いのちにこたえなどそもそもあるのか。いきるからいのちなのだ。生きている間にその答えを探すから、答えにたどり着くということは──まさか、
(その答えにたどり着いたから、湊も奏子も死んだのだろうか)
そんな馬鹿な。自分の命のある意味を、答えを知ったからといって死ぬというのは理不尽ではないのだろうか。しかも、その答えがあっているのか間違っているのかもわからないというのに、勝手にだなんて。
身勝手だ。
自分のいのちのこたえなんて生きているうちにコロコロ変わっていくものだ。だというのに、自分はともかくあのふたりにだなんて酷すぎると思ってしまった。
それとも、いのちのこたえというものはただの覚悟完了みたいなもので、そのものに意味は無いとか、そういう事なのだろうか。なんだか、その方が近い気がする。
だとすると、やはり
…分からない。
「ワン!」
「コロマルにも心配かけてるよね、ごめんね」
嘯いて、近づいてきたコロマルの頭を撫でる。
いのちのこたえ云々も封印のやり方も解らないので一旦置いておくことにして(置いておくものが些か多すぎるかもしれないが)、目下の不安定要因は朝倉先生や園村さん、藤堂さんから聞いた“ニュクス教”の教主と神父のことだ。色々はぐらかされたが、とても強いペルソナ使いだとということと限定的にだが適性のない朝倉先生たちが“影時間”を体感したらしいこと。あとその2人が特別課外活動部やストレガの面々を利用して何かしようとしていること。
はっきり言って何をしてくるかわからないから気をつけろ、ということらしい。
正直、ニュクス教が出てくること自体は以前の自分が予想はしていた。そしてそれの教主をタカヤがしないであろうことも。
かと言ってここで朝倉先生たちのような大人でさえ歯が立たないような相手が出てきて特別課外活動部が余裕で勝てるかと言われればNOだ。なぜか平均より強い湊がいたとしても、それよりも強いであろう藤堂さんを含めた3人がかりでたった1人に手も足も出なかったらしいのだ。
自分はそのふたりを見ていないので正確には判断できないが、厳しい戦いになるのは間違いないだろう。そして自分がタルタロスに登れない今、一番タルタロスの中で厳しい階層である“深層モナド”に潜る訳にもいかず、それとなく誘導することもできない。そもそもそれがいまあるのかすらわからないし、よくよく考えたらいきなりモナドに行くというのも危ないだろう。
どのみち楽な戦力強化は無理という事だ。出来ないものはできないので諦めよう。
思考を止めてぼんやりしていれば、掃除を終えたらしい荒垣くんが部屋に戻ってきた。
いったん休憩だと戻ってきたときに説明はしていたし、微妙な顔はされたが、とりあえず色々思い出せない穴だらけの記憶喪失程度になったくらいに言っておくことにしたのだ。
全部嘘だが。
「そろそろ放課後になんだろ。帰るか。今日はお前に渡すもんがあるっつってクラスメイトがくるらしいぜ。あと有里の知り合いだとか幼なじみだとかいうやつもだな。美鶴が俺にその予定だから寮に居とけっつってたからな」
「…誰だろう」
「さあな」
わからない。
そんなに親しいクラスメイトは自分に居ただろうか。それとも、ただ単に先生から面倒な役を預かったそんなに親しくないただのクラスメイトだったりしないだろうか。その方が可能性が高い気がする。
そう考えながら朝倉医院を出て、コロマルのリードを持ちながら荒垣くんと帰り道を歩いていたが、自分の見ていたものの正体がやっとわかってそれらから視線を逸らし続けることを繰り返している。
自分がはっきりと見聞きしているものは“悪魔”だ。
目を合わせて、『視えている』と知られたら最後、跳びかかって来られそうで知るんじゃなかったと思いながら彼らの行きかう世界を歩く。こんなことならある意味何も知らない白痴のままでいた方が楽だっただろう。
ただ、もしかしたらモコイという自分と親しかった悪魔が見ていた景色もこうだったのかもしれないと思うと、なぜか悪い気はしなかった。
「…ただいま、でいいのか?」
「…ん、ああ。良いに決まってんだろ。手洗いでもしてラウンジで待ってりゃあいつらも帰って来るだろうし、さっさと済ましちまえよ」
頷いて、手洗いに行って色々済ませてからラウンジのソファーに座り、コロマルを撫でて帰りを待つ。
有里──すなわち湊か奏子の幼なじみらしい子も来るというので考えてみるが、月光館学園に彼らの幼なじみなんて居ただろうか。頭の中で情報をひっかきまわしてみるも幼なじみに関することはなにも出てこない。
しかも、自分の見舞いに来るくらい自分の事を知っていて、かつ、湊か奏子と親しい。
「……」
わからない。思い当たる人物が全くいない。
間違いなく、湊と同じクラスの友近くんではないだろう。だとすれば、一体誰が──と考え込んでいると、不意に玄関の開く音がして反射的に顔を上げた。
「たっだいま~!」
「……ただいま」
「お邪魔します、でいいのかな? やっぱりここは落ち着くね」
「あれ? 綾時くん、寮に来るの初めてじゃなかったっけ?」
「あ、あはは、湊くんから話を聞いて落ち着くんじゃないかな~って想像してたからね!」
「へえ~そうなんだ!」
……。
なんだろう、声を盗み聞いている限りすごく面倒な人物が湊たちと一緒にいる気がする。いや、今日の日付を考えるといてもおかしくないと思うのだが、なんというか、想像している彼が湊と一緒にいる人物だとするとなぜ自分の見舞いなぞにくるのかという疑問が浮かんでくる。
「……おかえり」
とにかく、考えていても仕方ないので顔を上げて迎える。気が抜けて無表情になっていないだろうか。いまいち上手く表情筋が動いていることを自覚できていないのでうまく以前の自分を演じられているのか解らないがなんとかなっていると信じよう。
「お…お兄ちゃんが…笑顔で…お、おかえりって…」
「なにか、変だった…かな」
「変じゃない! けど、ぜ、ぜんぶ、思い出した…の?」
奏子がまるでお化けでも見たような顔をするので変じゃないか訊いてみたが変ではなかったようなので上手く装えていたかと安心する。
ただ全部思い出したかと訊かれれば答えはNoだ。思い出した訳では無いし全部でもないので物憂えげな顔をしておく。
「……ごめん、まだ全部は」
「そっか…」
しんみりさせるのはあまり良くないので、話をさっさと変えてしまおうと湊の横に並ぶ件の人物──望月綾時を見やった。
何故かはっきりとわかる黄色いマフラーと泣き黒子のある顔が見間違いでなければ、どこからどうみても望月綾時だ。
「えっと、そこの彼は湊と奏子のお友達…でいいのかな?」
「望月綾時って言います。奏子ちゃんと湊くんの幼なじみです!」
「あっおいコラ綾時!」
転校生である彼は幼なじみでは無いだろうし、荒垣くんの聞き間違いだと思うことにして訊けば、幼なじみという返答が本人から返って来て混乱する。
「あはは、綾時くん、こんなこと言って口説いてくるんだよ? 私にはもう荒垣先輩っていう旦那サマがいるのに!」
「おい、俺はお前と付き合っちゃいるが結婚したつもりはねえぞ!」
「同じことじゃないですかー! ぶー!」
「違ぇ! そ、そういうのは…親御さんに挨拶…してからとかじゃねぇのか…」
口説き文句だと言った奏子の声を耳聡く聞きつけ、キッチンから荒垣くんの声が飛んでくる。最後の方はなんて言っていたのかよく分からなかったが、結婚と交際することは別だと思うのでここは荒垣くんの肩を持ちたい。
「…優希、綾時のアレは冗談だから気にしなくていいよ」
湊と奏子の口ぶりからすると幼なじみというのは冗談らしい。いや、彼の正体を考えるとあながち間違いでも無いかもしれない。それを奏子と湊がわかっているかどうかは別として。
頷いて、次の言葉を待てば綾時の──いや、以前の自分は彼のことを綾時くんと呼んでいたのでそう呼ぶことにする。
そう、綾時くんが口を開いた。
「せっかくだし、お兄さんの部屋にお邪魔してみたいな。僕、年上の部屋ってどんなのか気になってて! ね、お願いします!」
「……綾時はこういうやつだから。帰国子女で色々抜けてるんだ。嫌なら嫌ってガツンと言ってやった方がいいよ」
普通、こういうものは女子の部屋に行きたがるものなのでは無いのだろうか。
何故自分の部屋なのか。これがわからない。が、ラウンジでこのまま騒ぐのもあまり好きではないし疲れるので湊の提案は選ばず部屋に上げることにする。
「……いいよ。あと、敬語は無しでいい」
「じゃあ、お言葉に甘えて!」
湊と声が似ているので湊に敬語を使われているみたいでぞわぞわするので敬語をやめてもらう。
後ろを向けばじっと湊がこちらを見つめていたがやがてため息を吐いて後ろを着いて来たので特に何も無かったのだと判断した。
奏子はそのままラウンジに残って荒垣くんとお喋りを続けるようなので、自分のクラスメイトが来たら部屋に上がるよう伝えてくれと伝言を頼んでから階段をあがった。
「…どうぞ」
「お邪魔します! わあ、初めて入るかも」
「優希はまだ病み上がりなんだから無茶させるようなことしたり、あんまりはしゃいじゃだめだからね」
「わかってるよ。お兄さんに無茶はさせないから」
綾時くんを部屋に入れれば湊が彼の兄のような事を言うしそれに綾時くんが元気に返事をするしで居心地が何となく悪くなる。正直、兄らしいことをなにひとつ湊や奏子に出来ていないので兄と名乗っていいものかと、記憶を読み取ってからは自信をなくしてしまいそうではある。
こう思うということは、もしかしなくとも読み取った記憶に自身が引っ張られているのかもしれない。朝倉医院で目覚めたときに自分の意志とは関係なく『寂しい』と泣いたことも、別に自分の意志で泣きたかったわけではない。たぶん。
これはこれで、いい事なのだろうか。
「わ、ゲーム機だ! お兄さんは結構ゲームするの?」
「……?」
「お兄さん?」
そんなことを考えていたせいか、テレビの下に置かれていたゲーム機を見やった綾時くんの質問に咄嗟に答えることが出来ず首を傾げられてしまう。
「綾時、優希は病み上がりだってさっき言ったでしょ。ぼーっとしてる事が多いから、すぐには答えられないと思う。……どのくらいゲームはするの? だって」
「どのくらい…? ……、…欲しかったら持って帰ってもいい」
「ええっ! 良いの?」
「最近はぜんぜん触ってないみたいだから。別にいいと思う」
そう答えれば、綾時くんと湊が困った様な顔をした。
何か変なことをいっただろうか。自分の返答に間違いは無いはずだ。
そういえば、綾時くんは顔を触っていないのに最初から存在を認知出来ている。アイギスといい、綾時くんといい、なんの共通点があるのか。
考えながらベッドに腰掛けると、綾時くんが困った様な顔のまま口を開いた。
「やっぱり、遠慮しとくよ。それよりも僕はお兄さんの部屋でやりたいかな!」
家にテレビとか無いんだろうか。というか彼に家とかあるのだろうか。
「…うるさくしなければ」
分からないがベッドの脇からクッションを出してふたりを座らせ、自分はベッドに潜り込む。
「クラスメイトが来る予定だから、すぐ起きる。…おやすみ」
正直、自分が彼らのゲームプレイや会話についていけるとは思えなかったので僅かな時間だけでも目を閉じて寝るふりをすることに決めた。
起きているとどうしても喋らないといけなくなるし気を遣って話をあちらも振って来るだろうし。
要はめんどくさいということなのだが、色々理由をつけて少し目を閉じたかった。それだけだ。