軽快な音楽と共に画面に映ったジャックフロストが氷を発射する。
湊の操るジャックザリッパーがその氷を避け、華麗なナイフコンボを叩き込んだ。
「えいっ! えいっ! あっ…もう少しだったのになあ…」
「下手糞」
「辛辣だなあ…僕、ゲーム触るの一年ぶりくらいだし、これなんかやるの初めてなんだよ?」
一旦コントローラーを置いた綾時は湊の方を向いて息を吐いた。
綾時の言う一年ぶり、は『前回』の周回の事を言っているのだろう。これまで綾時は順平や友近とよくつるんでいて、こうして湊とふたりだけで行動するのは無いに等しかった。
湊自身の認識も、そういうものだと思っていたので今回のこの行動は意外というほかないのだ。
「そもそも、こうして優希の部屋でゲームしてること自体、変じゃん」
「変って…だってこれまでは…お兄さんの部屋なんか入ったことなかったし」
声を少し顰めて目を閉じている優希を覗き見て、内緒話をするように綾時はそう答えた。
綾時は寮に来るとしても順平の部屋かラウンジくらいにしか寄り付かなかったのでそういわれればそうだとも言える。そもそも、学年が違い、順平の友だちと聞いて「そうなんだ」くらいの反応しか返さない優希と親しくなることがまずないのだ。
修学旅行の温泉云々も、優希は先に済ませてしまっていて一緒に入らないかそもそも先に逆上せてしまいあがってしまうというパターンだ。女子と鉢合わせすらしていなければ処刑されている様を見た事がないため関係自体希薄だった。
いまだって、部屋に上げてくれたのはいいがあくまでも『弟の友だち』としか見ていない。
ただ、綾時が死の宣告者だと分かった後の兄の反応はどんなものだったか。湊は思い出そうとしたがいまいちこれといったものが思い出せなかった。
それくらい、あっさりしていたような気がする。「湊と奏子の判断を尊重するよ」という反応しかしていなかった。本心を語る訳でもなく、優希自身の所感を語る訳でもなく、静かだったのだ。いや、いまいち思い出せないのはそれ以前に死んでいることが多かったので反応自体なかった事の方が多いせいかもしれない、と思考を振り切った。
「あのさ…さっきのお兄さんの言動、すごく他人事だったような、そんな気がしないかい?」
「なんで、そう思うの?」
湊にも心当たりがあったが一応訊いてみる。
「さっき…僕がこのゲーム機について訊いたときの話し方が何だか、他人の事を思い出すような言い方だったからね。自分のもののはずなのに、どれくらいゲームをしてるのか訊かれて“欲しかったら持って帰ってもいい”、“最近はさわっていないみたいだから”、だなんておかしくないかい? 記憶喪失でも、自分の物をすぐに他人にあげてしまうだなんてそうそうないだろう? ゲーム機を見てコンセントに刺さってなかったり、仕舞われてたり、埃とかが積もってたりして使っていないのだと判断したのならわかるけど、この通りこのゲーム機は出っ放しだったしソフトも中に入りっぱなし。埃もあまり積もってなかったから定期的に触ってはいたんじゃないかな。それなのに、最近は触ってないみたいだからだなんてまるで触ってないことを自覚しているような発言は矛盾してる」
おおむね自分が違和感を覚えていたところと綾時が違和感を覚えていたところが同じだったと答え合わせをした湊は思っていたことを素直に吐き出した。
「そこまでを一瞬で判断してほぼノンストップで言うのキモい。流石綾時」
「それほどでも…って酷いね!? い、一瞬じゃないよ! プレイ中、ずっと気になってたんだ。それにお兄さん、まるで僕が“死の宣告者”だったって知ってるみたいな目で僕の事、見てきたから…すこし怖くって」
「──そんなわけないじゃん」
小さく吐き出した綾時の言葉に対して咄嗟に出たのは否定の言葉だった。かかりつけの朝倉医院で僅かに記憶を思い出したらしい優希は帰ってきてからも記憶に穴があると申告してきているのだ。
そして、綾時が元・死の宣告者などというのを現時点で知るのは湊だけだ。アイギスですら、綾時に「貴方はダメであります」とも言っていないのだ。今日の授業中も、休憩中も放課後も、湊や奏子に絡みにいった綾時を冷めた目では見ていたがそれは綾時が朝に性懲りもなく奏子をナンパしたからであって軽蔑以上の感情はなかった。
兄が綾時が死の宣告者だったと知れるはずがないしそもそもわかるはずがないのだ。
かと言って、怖いと言っている綾時の言葉を完全に切り捨てることが出来ないことも、湊は自覚していた。
「ところで、タルタロスの探索はしてる?」
「してる。一応、全部伝えられて登れって言われてるから」
「そっか、じゃあ僕の出番はなさそうかなあ」
話題を変え、背伸びをした綾時はえへへと困ったように笑いまたゲームのコントローラーを手に取り、使うキャラクターを選び始める。
「綾時の出番って…お前、なにかするつもりだったの」
「なにかっていうか……いろいろ、助言とか?」
「…役に立たなさそう」
「そんなあ。まあ今の僕は影時間を体感できるってだけでペルソナも使えない非力な人間そのものなんだけどさ…そんなに言わなくったって…」
なぜか綾時にだけは辛辣な湊の冷めた目が綾時を射抜く。
その時、コンコン、と控えめなノックの音が響いて外から声がかけられた。
「こんにちは、えと、同じクラスの朔間です。三上くん…先生から頼まれた配布物とか持ってきたよ」
その声が聞こえたのか、ぱちりと目を開けた優希が体を起こしてのろのろと緩慢な動きでドアへと向かう。その顔は表情が抜け落ちており、倒れてから今日の朝までの物と同じように見えて湊は顔を顰めた。端々から感じる違和感から、兄は無理をして以前の兄を装っているのではないかという疑念を抱いていたが短時間で疑念は確信へと変わった。
湊と綾時を気にすることなくドアを開けた優希はドアの眼前にいた小柄な生徒を見下ろした。
「あの、これ…先生から。修学旅行に来れるかどうかの問診表とかだって。それでこれは僕が…その、勝手にまとめたものだけど、先週からの授業のノート。もし良ければ使って欲しいな」
「ありがとう」
礼を言って朔間からプリントとノートを受け取る。
「…うん、あの…その、体調、あまりよくないってきいたから…えと…ゆ、ゆっくり! 休んでね! そ、それと! これ、僕の電話番号! 何か欲しいものがあったら買ってくるから、だから、連絡してくれるとうれしいな…!」
「…?」
不思議そうな顔をして電話番号の書かれたメモを受け取った優希はそれをぼんやりと見つめる。
部屋の中から話を聞いているだけの湊からしたら、ただのクラスメイトであるのに随分と親切なんだなと思うと同時に風花と似たようなおどおどとした印象を抱いた。
恐らく、あまり気は強くないのだろう。そういう性格だからこそ、教師にこんなおつかいのようなことをさせられているのかもしれないが。
ふと、ドアの隙間から見えた朔間の左の手首に包帯が巻かれているのが目に付く。受験シーズンだというのに腕を怪我するとは大変だな、と湊はそれを即座に意識から追いやり、テレビの画面へと顔を向けた。
「またプリントとかあれば持ってくるね。それじゃあ、さよなら…」
その会話を最後にぱたんとドアが閉じられ、優希は勉強机の上にプリントやノートを纏めて置くとのろのろと歩きまたベッドに潜り込んで目を閉じた。
「……ねぇ、お兄さんが寝てるのにこのままゲームしてていいのかな…」
「さあ。けど、優希はうるさくしなければいいって言ってたし別にいいんじゃない? ダメだったら起きてくるよ。きっと」
「ずっと起きてるよ。寝てない」
「!?」
割り込んできた優希の声に、ぎょっとふたりの視線がそちらを向く。そこにはしっかりと目を開いている優希がじっとふたりを見返していた。
ずっと起きていた。つまり、先ほどの会話は全部──
「もしかして、会話、ぜんぶ聞いて…」
「ああ、うん。聞こえてた。あのさ、死の宣告者ってもしかして──」
その言葉に湊と綾時はゴクリと生唾を飲んだ。
「──フェザーマンの悪役とかそういうの? ほら、小さい子は好きだろ。天田…くんも好きみたいだから、もしよければ話し相手になってあげてよ」
2人は揃って安堵のため息を吐いた。全く違う話題だった、と。
「…うん。綾時は好きなんだ、悪役」
「ちょっと湊くん!? 僕の事裏切るのかい!?」
「裏切るも何も僕は元からレッドイーグル派だったけど?」
「そんなのアリ!? 初耳なんだけど!?」
いけしゃあしゃあと綾時に対してそう言いきった湊は話題を変えて話をこれ以上追及されないように有耶無耶にした。
湊にとっても、デスやニュクスについて兄が知り「着いていく」と言われてしまうのを何としても避けたかったからだ。勘違いしてくれて良かった、と内心で再度安心した。
立ち上がり、テレビとゲーム機の電源を消す。
「あっ、もうすこしやりたかったのに!」
「さっきは続けていいか迷ってたくせに」
「それとこれは別だよ! ひどいよ!」
その言い争いは止める者が誰ひとりいなかったので荒垣が夕飯の時間だと呼びに来るまで続いたのだった。
11/11(水) 放課後
「なんだか、お兄ちゃんと湊と私の3人だけで買い物って久しぶりだね!」
「そうかな…」
夕暮れ時の薄暗い街中を歩きながら、奏子が湊と優希に呼びかければ優希の不思議そうな声が帰って来る。
たまたま用事がなく同じタイミングで帰ってきた湊と奏子、そしてラウンジでまたぼーっと何もない場所を眺めていた優希に荒垣が「ヒマなら晩飯の足りない材料を買ってきてくれ」と財布を投げて寄越して買い出しを頼んできたのだ。本当なら優希だけに頼みたかったらしいのだが、記憶が僅かに戻ったと言ってもぼーっとしていることが多かったので誰か付き添いが居た方がいいだろうと考え、踏み切ることができなかったらしい。
そこへ丁度何も用事がなかった湊と奏子が天田より先に帰宅したことにより、この面子になったというわけだ。
「そうだよ!」
「…そうかも…?」
奏子が肯定すれば、優希はまた不思議そうな声色で首をわずかに傾げる。
そうやって、帰り道の茜射す澄んだ空気の中を歩く。湊がほう、と息を吐けば、白い靄となって宙へと浮かんだ。
「昔はね、お母さんとお兄ちゃんと、湊と私でよくお買い物に行ったんだよ。帰りにチョコ買ってもらったりしてた!」
奏子が幼少の頃の話を始める。
そういえば、湊にも朧気だがその記憶がある。毎週、水曜日の夕方は母親と共に4人でスーパーへ行き、1人ひとつ、100円までの好きなお菓子をひとつだけ買ってもらっていた。
奏子はチョコ。湊はスナック菓子。兄である優希はよく音の鳴るラムネを買ってもらって気分よくぴゅーぴゅー帰り道に吹いていたのをなんとなくだが覚えている。
「あの音の鳴るラムネ、まだ売ってるのかな」
「売ってるよ! この前コンビニでみたもん! あずきミント味になってた!」
思い出し、呟けば奏子が即座に反応する。
あずきミント味とは一体…と湊が好奇心をそそられながらも戦々恐々としていると、懐をがさごそと弄る優希がコートのポケットから何かを取り出した。
お買い上げありがとうございますと書かれた橙色のシールの貼られた薄いパッケージの中に、ほんのりと紫色に染まる白いドーナツ型のラムネが7個ほど収まっている。ひとつ少ないのは食べてなくなってしまったからだろう。
「……もしかして、これ? 昨日、夕食後に伊織から貰った。罰ゲームかなにかで買ったけど、不味…口に合わなかったからって…」
言い直しているが要はぼんやりしている兄に、順平が思ったより不味かったらしいあずきミント味のラムネを押し付けたのは明白で。
「順平…」
思わず、奏子も湊も遠い目になる。
順平にしては気を遣っての事だったのかもしれないし、実は美味しいのかもしれないが理由が理由だ。
兄はまだ食べていないようだし順平のその行動を何ら気にしていないようだったので、奏子も湊も何も言うまいと決めた。
ただ、あまりなんでもかんでも今の兄に渡さないように、と言い含めておかないといけないという意見は一致したので顔を見合わせて頷き合う。
これで雛鳥のように餌付けされても困る。
ごそごそと歩きながら優希がラムネのパッケージを開け、中身を取り出して噛み砕く。一応、口の中で音を鳴らせる仕組みになっているが、今の兄には関係なかったらしい。
ぼんやりとした表情が、一瞬で顰められる。そしてはひはひと息を吐いて、口元を抑えた。
「どうしたのお兄ちゃん!?」
その様子に奏子が驚いて詰めよれば、はひはひと息を吐きながら、優希は絶え絶えに話し出す。
「す、ごい……つーんってする…!」
「う、うそだあ! そんなわけ…ひゃい!」
優希の言ったことを否定して、差し出されたラムネを口に含んだ奏子が悲鳴を上げた。
そして同じようにはひはひと息をして、湊の肩を叩いた。
「すっっっごい、つーんってする…!!!」
全く同じ感想を言って、涙目でぷるぷると震えている奏子の想像以上にそのラムネには多量のメントールが含まれていたらしい。
「ううん、これ、つーんってより、南極…! 小豆の味がほんのりとしかしない…! 詐欺だよこんなの!」
「そんなに…?」
こんなことを言われてしまうと湊も気になってしまう。
子供向けのお菓子であるはずのそれが、高校生でも涙目になる悶絶モノと来れば興味がそそられない訳がない。
物によっては順平が押し付けた理由も許せるかもしれないそれを、口にするかどうか、湊は考えあぐねていた。
が、結局は怖いもの見たさにそのラムネを食べることに決める。
「優希、僕にもひとつ頂戴」
「……ん」
差し出されたラムネを手に取り、意を決して口に入れる。瞬間、とんでもない衝撃が口内を駆け巡り、思わず湊は悶絶した。
「なっ…にこれ…! いやいやいやいや、だめでしょ! だめでしょこんなの!?」
思わずポーカーフェイスを崩して感想を叫んだ。ミントでもあずきでもなく、痛みにも等しいメントールが口の中を刺激し、ひんやりとする。
なるほど、これが奏子の言っていた『南極』か。と湊は合点がいった。そして、これはあずきミント味ではなく激烈ミント味に改名しろと内心で憤った。
これでは、音を鳴らそうと口内に外気をいれた瞬間にメントールが反応してキンキンに口内が冷えること間違いなしだろう。なぜこれを夏ではなく寒くなってきた秋に出そうとおもったのか。あずき味はどこにいったのか。子供向けのパッケージにしたら子供号泣でダメだろ。味のチェックをした担当者はミント中毒だったのだろうかなどという正直どうでもいいことが頭の中で浮かんでは消えた。これは順平が誰かにあげても仕方ないと思える味だったが、それと同時にこんなものを何も知らない兄に押し付けるなバカ、という感情も湧いてきた。
「あー…とんでもないもの食べちゃった…味わって音を鳴らすってレベルじゃないよー…」
げんなりとした表情の奏子が肩を落としてとぼとぼと歩く。湊もその意見には同感だった。
とんでもない劇物に当たってしまい、思い出話どころではなくなってしまったのでそこで話がいったん止まる。
そうして歩いてあともう少しで寮か、といったところで怒鳴り声が聞こえたかと思えば、眼前に1人の男性がつかつかと歩み寄ってきた。
「悪魔め! なぜだ! なぜ生きている!? お前の存在がわたしの人生を狂わせたというのに!!!」
70代ほどのその老人はボケが来ているのか、驚きに固まっている優希に向かって延々と暴言を吐いている。湊と奏子も、突然の事に思考をピタリと止め、動けずにいた。
「貴様は盗っ人だ…! わたしは知っているぞ…知っているんだ! お前が偽物だということをな! 天啓が教えてくれたんだ!」
「なに…この人……」
怯える様にじり、と後ずさった奏子を庇うように優希が移動し、無表情で老人の言い分を黙ってきいている。だが、それがいけなかったのか、老人はさらにヒートアップし始めた。
「その目…その目だ…! お前はいつもそうだ…その目でわたしを見る! 若き日に来た葛葉の女が連れていたあのガキもそうだった! …年端も行かない子供だと言うのに、その目が! わたしを! お前が居るせいでわたしの人生も娘の人生も、そこにいる双子の人生もめちゃくちゃだ!!!」
「……っ!」
「悪魔めが! そんな表情をしても人になどなれぬわ! 貴様は人間ではないのだと自覚しろ!」
双子、と湊と奏子をみてハッキリと言った老人の言葉に優希の無表情が崩れ、動揺が走る。その動揺を隙とみたからなのか、老人が杖を振り上げ「あっ」と誰が言う間も無く優希の頭へと振り下ろされる。
がっ、と鈍い音がして赤い飛沫が飛んだ。
「お兄ちゃん!」
「優希!」
悲鳴じみた奏子と湊の声が人気のない道に響く。
殴り抜かれたままだった姿勢から、ゆっくりと優希が無言で元の姿勢に戻して老人を睨みつける。その間にも、額から血が流れ、ぼたぼたと顔を伝いながら地面へと落ちた。
「……」
「…な、なんだその目は…そんな目でわたしを見るな…! 誰だお前は…! なんなんだ、おまえは…!」
「知るか」
短い答え。しかしそれを聞いた老人の顔に怯えが浮かぶ。
1歩、前へ優希が足を踏み出した。
「ひっ、悪魔め! 近づくな! わたしに近づくんじゃあない! それ以上近づくな!!!」
後退りながら老人の口から盛れたそれはもはや悲鳴に近い叫びだった。
優希は奏子や湊を庇うように背を向けているため、その表情は伺い知れない。
「…なら、お前の方こそ湊と奏子に2度と近づくな。今すぐどこかへ行ってしまえ。なんの用でこっちに来たのか知らないけど、お前みたいな孫に理不尽な暴力を振るうような“祖父”はこちらから願い下げだ」
今まで聞いた事のないような、ハッキリとした怒りを含む拒絶の言葉に湊は本気で優希が怒っているのだとわかった。
それに、ただの気狂いの老人だと思っていた存在がこれまであったことも無い祖父だとわかってなおさら血の気が引いた。恐らく、顔も覚えていないということは、両親の葬式の時に絶縁したと聞いていた母方の祖父なのだろう。思い出した記憶の中にその顔があったのか。それとも湊と奏子のように老人の言葉から推測したのか。どちらかは分からないが、優希に祖父と言われた老人が顔を顰めた。
「理不尽なものか! お前はわたしの孫じゃない、悪魔だ! 悪魔を殴って何が悪い! お前の存在をわたしは認知しない! わたしの…由緒正しき倉橋の血を継いでるのはそこの双子だけだ!!! お前は…いや…渚は…私の孫は…死んだはずなのだ…! だからわたしはなにも…なにも間違ってなどいない…!」
頭を掻きむしり、血反吐を吐くような声で妄言のようなものを叫んだ老人の目から優希に対する怯えは消えない。
そんな取り乱している老人を、優希は酷く冷めた目で見ていた。
「聞こえなかったのか。失せろ、といったんだ。それとも、聞こえる耳も無くしたか?」
「……っ、そういうところも…貴様はあの鬼子そっくりだ…! わが父があの裏切り者のせいで没落した倉橋家を持ち直させたというのに! 葛葉の女とあの鬼子が来てからというもの、我が家はまた没落の一途をたどっている!!! 貴様の現れも、あの女のせ──」
「黙れ。他人をこき下ろす事がそんなに楽しいならずっとひとりで他人のせいにし続けて
底冷えするような声と、普段の兄らしくないきつい語気と口調に湊と奏子はまるで兄が知らない誰かになってしまったようで恐怖を覚える。だが、言うだけ言った優希はため息を吐いて老人へと背を向けて額から流れる血をぬぐうこともせずに湊と奏子に向き合った。
「…帰ろう。湊、奏子」
いつもの困ったような顔を湊と奏子に向けながら、買ったものが入ったスーパーの袋を持ち直し老人を無視して優希は帰り道を歩こうとする。
困惑しながらも湊と奏子はその横に並んで老人を伺うようにみながら徐々に離れていく。それでもなお、老人は喚き散らしていたようだったが3人はひたすら無言だった。
奏子は頭の中で「止血しなきゃ」という思いがぐるぐる渦巻くが行動に移すことが出来ず、湊は湊で老人の話が頭からこびりついて離れず、何も話す事が出来なかったのだ。
「おかえ……どうしたんだ三上!?」
寮に帰り、玄関から中に入れば、出迎えた美鶴がぎょっとした顔で立ち上がり駆け寄ってくる。
「……転けてぶつけただけだよ」
「有里姉弟、本当か?」
優希の言葉を信用していないらしい美鶴が2人を問いつめれば、困惑したような表情で美鶴から顔を逸らす。それは、優希の言葉が嘘だと言っているようなものだった。
止血もしていないようだし、治療もされていない様子に何かあったのだな、と美鶴は察するが訊かれた2人は「突然絡んできた十数年ぶりに会う実の祖父に殴られました」だなんて荒唐無稽なことを言っていいものか、考えあぐねていたのだ。
そんな珍しく困った様な顔の2人を問い詰めるよりも先にすべきことがある、と感じた美鶴はすぐに思考を切り替えた。
「…話は後できっちり聞かせてもらおう。三上、きみは荷物を弟に渡して治療をすべきだ」
「………わかった。湊、頼んだ」
渋々、といった様子でスーパーの袋を湊に渡した優希が美鶴に連れられてラウンジのソファーに座らせられる。
「…きみは、いつもこうして無茶をするのだな」
「無茶じゃない。あっちが勝手に…それに、もう寮に近かったし帰った方が早いかと」
「せめて止血ぐらいはしてくれ…」
「…すま…ごめん」
美鶴に濡らしたタオルで血をぬぐわれ、消毒し、ガーゼで止血される己の額にかかる長い前髪をあげながら優希が居心地悪そうに謝った。
対する美鶴はどうして病み上がりかつペルソナを持っていないのにこの友はこう性懲りもなく怪我をしてくるのかと苦虫をかみつぶしたような表情をした。
ただ喧嘩をした、というわけではないのだろう。
「お兄ちゃん、痛い…?」
「痛くない」
「ほんと?」
「本当だよ。大丈夫だから」
荒垣に買い物の品を渡してきたらしい奏子と湊が心配そうにラウンジのソファーに座る。
「それで、何があったか教えてくれるか?」
美鶴がそんなふたりに向き、何があったのかを訊いてくる。
こういう時の優希本人の言葉は信用がないためだ。湊と奏子は美鶴がそうやって確認してくるのも仕方ない、と半ばあきらめている。悪いのはすぐに誤魔化したり隠し事をする兄なのだから。
「優希はこけたんじゃなくていきなりボケたお爺さんに絡まれて殴られた」
「湊の言うこと……間違って無い、けど…すごく怒鳴ってて…あのひと…言ってること、ぜんぜんわかんなかったもん…こわかった…」
「ボケ…痴呆か…? 御歳を召された方だったのか」
思案する美鶴に、湊と奏子が頷いた。
「うん。あのお爺さん、私たちのお祖父ちゃんだって言ってたけど、お兄ちゃんの事をなんで生きてるんだ~! 悪魔だ! 悪魔だ~! って…お兄ちゃんを勝手に殺さないでほしいし悪魔なんかじゃ、ないのに」
「言ってたことも殆ど妄言だと思うし、あの様子じゃもう僕らに──優希に近づいては来ないだろうけど…ほんと、悪魔はどっちだか」
あの老人の方が兄よりもよっぽど悪魔憑きのような言動をしていた、と双子は顔を顰めた。
片方は恐怖から、もう片方は嫌悪からだったが浮かべた表情はそっくりで。
ただ、美鶴はふたりの発した「優希を殴ったのは祖父だ」という発言に目を見開く。
「その御老人は君たちの…祖父だと…!? つまり、三上の…」
「そうなる。ずっと会ったこともなかったけど、由緒正しい倉橋だとかなんとかって言ってた。傲慢そうなおじいさんだったよ。優希が珍しく怒るくらいには」
「……あの人が、あのまま湊と奏子に殴りかかるんじゃないかって、そう思ったから」
「…そうか」
道理で、先ほど訊いたときに複雑そうな表情をしていたのかと美鶴は合点がいった。
恐らく美鶴がその場にいたらあまりの言葉に怒りを覚えていたか絶句していただろうその言動を予測して、ため息を吐いた。美鶴とて、好意を寄せている友人に危害を加えられたあげく悪魔呼ばわりされて黙っていられるはずがない。
自分が、自分の祖父がその想い人の心を壊す原因になっていたとしても、それでも美鶴は友人として居たかった。
今の優希本人は全く気にしていないのでいらぬ心配だということを知らないまま。
ただ、倉橋といえば三上や有里姉弟の調査をした際に産みの母方の姓がそんなものだったな、と美鶴は思い出す。あの大手商社である倉橋商事の娘が駆け落ちしたという話も桐条も出席する重役の集まりでは有名なものだが、まさかな、と出かけた正解を呑み込んだ。
実際、そのまさかのまさかである。本来は駆け落ちではなく祝福された結婚であったが、“あること”が諍いとなり、娘本人が父である倉橋翁と接触を断ち絶縁したのだ。
湊と奏子、そして優希はもうあの老人のことに触れたくないのか全員口をつぐんでいる。
湊と奏子からすれば『理不尽に兄が殴られ、罵倒された怖い相手』で、優希からすれば『意味不明なことを喚いている、いつ弟と妹に手を出すかわからない危険人物』といった印象だろうか。
祖父としても、関わりのない他人だとしても良い感情が微塵もない事は明白だった。
「言いにくい事を訊いてすまなかった」
「いいんです。誰かに説明する必要はあったと思いますし、桐条先輩で良かったと思います。順平やゆかりちゃんだったら多分、怒りまくってたと思うし…アイギスは…『排除してくるであります!』って言って銃弾撃ちこみそうだし…」
「…そうか。それなら、いいんだが」
アイギスは意味無く人に発砲しないだろうがこれは奏子が件の老人を人間扱いしていないことになるのか、それともアイギスに対する認識がそうなのか、どちらなのかという疑問を覚えつつも美鶴は遠慮がちに笑う。
すると、それを見た奏子がぷりぷりと怒り始めた。
「もう! もっと先輩は自信持ってもいいんですよ? ね、お兄ちゃん!」
「ああ。きりじょ…美鶴さんはもっと自信を持っていいと思う。容姿端麗、文武両道で努力家。バイクにも乗れて両親を大事にし、優しく責任感が強い。そしてお茶目で可愛いというギャップがある。…褒めるとこしかないな」
奏子に話題を振られた優希が急に饒舌になる。
突然の褒め殺しに美鶴は思考回路がショートした。可愛い。あの三上から直接可愛いと言われた。
頭の中はそればっかりが埋め尽くす。これが有象無象の他人から言われたのならこうはならなかっただろう。「だが相手は三上なのだから仕方ない」、と美鶴は自分で自分に言い訳をした。
「そ、そそそ、そうか!?」
「ああ、可愛いよ。美鶴さんは可愛い。…いや、美しい、と表現すべきなのだろうか」
芸術家のように思案しだした優希と、褒め殺しに声が上ずる美鶴。
そんな初心な2人を見て奏子はニヤニヤした。
「湊ぉ~、ようやくお兄ちゃんにも春ですかね~!」
「なに順平みたいなこと言ってるの。それに今は秋だよ」
「湊はわかっててそーゆーこという!」
奏子の順平のような軽い言葉を受け流し、湊は2人を観察する。
兄が直接可愛いなどと奏子以外に言うのは珍しい。いつもは曖昧な言葉でのらりくらりと直接的に言うのを受け流しているのだ。
奏子には可愛い可愛いと「あーはいはい」と受け流せる程度には言っているが、こうして他者に何度も言うとなれば明日槍でも降るのではないかと湊はテレビをつけて天気予報をチェックした。
しばらくニュースが流れ、出てきたお天気番組のお姉さんが言うには今日の深夜から明日にかけては雨。どうやら槍は降らないらしい。
それでも雨が降るとなれば今日のタルタロス探索は無しだな、と頭にメモをしておいて、テレビをつけたまま湊は意識の集中を2人のやりとりに戻した。
「可愛いや美しいという表現では間違ってはないが自分が抱いている美鶴さんへの感情を表せない。なら…適切な言葉は何だ…?」
「お兄ちゃん、そういう時は“好き”、とか“愛してる”っていうんだよ!」
「そうか」
「ちょ、」
「何を横から優希に吹き込んでいるんだ奏子」と、ついツッコんでしまいそうになったのを湊は寸でのところで我慢した。
他人に「好き」や「愛してる」と囁く兄はこれまで見た事がない。つまり、ここで湊が余計な事を言わなければそんなレアな兄が見られるというわけだ。
これを逃さない手はない。
「美鶴さん」
「な、なんだ…?」
顔を赤らめながらも満更ではなさそうな美鶴が姿勢を正して言葉を待つ。
「俺はどうやら美鶴さんのことが──」
「帰ったぞ!!!」
ただ、残念ながらその告白は上手くいかないのがセオリーである。
タイミング悪く大声で帰寮を知らせた明彦に、優希の言葉が止まる。
「おかえり、真田…くん」
「ああ、三上…どうしたんだその怪我は。誰かにやられたのか?」
「…こけたってことにしといて」
曖昧にはぐらかした優希はどうやら美鶴以外に正確な理由を話すつもりはないらしい。それか、面倒がったか。恐らくは後者だろう。
ついでに優希から告白されて関係が『ただの友人』から別の何かにランクアップするかもしれないという千載一遇のチャンスを逃した美鶴は、意気消沈していた。
『好き』なのか『愛してる』なのか、それとも別の言葉だったのか。頭の中で「どれだったんだ!?」と美鶴は歯痒くなっていた。
しかし話題が変わってしまったので恐らく次は無いだろう。
優希本人の頭からもその話題は吹き飛んで、すっかりなくなってしまったようでまたぼんやりとしている。
「こけたって…お前な……ん? どうした美鶴? 落ち込んでいるようだが」
そんな落ち込んでいる美鶴を見やり、明彦は不思議そうに首を傾げたが、咄嗟に奏子がフォローに入る。
「真田先輩、理由は訊かずにそっとしておいてあげて…乙女心って色々あるんです…」
「あ、ああ…? そうか、頑張るんだぞ」
不思議そうなまま、タオルで首筋の汗を拭いてシャワーを浴びに共同浴場のある裏口へと向かった明彦を半分ジト目で見ながら美鶴は決意した。
(今度は絶対に誰にも邪魔されないような場所で彼の真意を問おう…! もしくは、私の気持ちを伝える…!絶対にだ!)
ただ少し喋り方に違和感があったのは何故だろうか、となにか引っかかったがまだ全快では無いのだから仕方がないんだろうと美鶴は違和感をごまかした。
そんな美鶴の決意を他所に湊と奏子のふたりはぼんやりとする兄を見つめながら、怪我をしてまで自分たちを庇おうとしてくれたことに記憶を失ってもそこだけは変わっていなかったんだなと確かなものを感じた。
その瞬間、バキン、と湊と奏子の脳内で音がしてカードが浮かび上がってくる。
──Rank UP!
Ⅺ “谺イ譛”
三上優希 Rank2→Rank3
“谺イ譛”のペルソナを生み出す力が増幅された!
「わ! うそ、上がった!?」
今まで進展しなかったコミュのランクが上がったことに奏子が思わず叫んでソファーから立ち上がれば、不思議そうな美鶴の視線が視線が奏子へと向く。
「有里、いきなり叫んで立ち上がって…どうかしたのか?」
「あ、あはは…なんでもないです…」
それに苦笑いを返して静かに席に着いた。
実を言えばこの時の奏子はコミュランクが上がったことだけに注目しており、既にランクが3になっていることに気がついていなかった。他のコミュは姉弟で別々だというのに兄に対してだけは同じものを2人で共有しているということ自体が異常なのだが、湊は湊で「まあそういうこともあるか」と受け入れ、奏子は気づいていなかったという。気づいても不利益があるわけではないのでなにもできるわけでもなく、上がる条件も親睦を深めるだけでもなく、このようなタイミングだったりしていまいちわかっていないので気づいている湊としても受け入れるしかないのが現状だった。
影時間
雨が降りしきる音が響く誰もいないラウンジで、影時間中は動かないはずのテレビが勝手に点きノイズと共に砂嵐を映す。
発光するその画面が徐々に鮮明になり、濃霧のようなエフェクトに遮られながらも砂嵐のノイズ以外の人型のシルエットを映しだした。
ガッ、ザザ…
『──真実も、生きる意味も、その答えも。全ては深き霧の中へ』
その言葉は誰にも聴きとられることはなく。気づかれることもなく。
テレビに映った人影はただ静かに腰ほどの深さのある暗い水の中で立っていた。
それを数分ほど映したテレビは不意にその電源を落とし、最初から何もなかったかのように沈黙したのだった。