君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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蛇頭黄幡神(11/12)

11/12(木) 朝

朝食をすまし、学校へと向かう用意も出来た湊はラウンジに降りる。

今日も兄である優希は怪我をしたこともあり、まだ様子を見て休みでいるべきだと判断されて私服のまま、ラウンジのソファーに座っている。

前髪で隠れてはいるが、額に貼られたガーゼが昨日の出来事を思い出させて思わず顔を顰めてしまう。

そんな湊の内心を露知らず、優希はぼんやりとした視線を湊に向けて僅かにはにかんで口を開いた。

 

「湊、いってらっしゃい」

「うん。行ってくる」

 

いってらっしゃい、と言われれば返事をしないわけにはいかない。

まんざらでもない気分のまま昨日の事は即座に頭から消して無かったことにして、湊はイヤホンを耳にかけてプレーヤーで音楽を再生させて傘を持ち、玄関を開けて外に出た。

 

「──やあ湊くん! おはよう!」

「なんでお前がここにいるの」

 

瞬間、また雨が降り出しそうな曇天と綾時の清々しい笑顔に出迎えられるとは思っていなかったので思わず辛辣な対応をしてしまう。

この時間なら女子に囲まれながら意気揚々と登校している筈じゃないのか、とか何故順平や友近ではなく自分のところに来たんだとか色々言いたいことがあったがめんどくさくなって口をつぐんだ。

 

「や、だって()()()は“友だち”だろう? なら、学校だって一緒に行くべきだと思ってね!」

「どうでもいい…」

 

なんだ、そんなことか。と妙に気疲れした湊は歩き始める。その横を、ひよこのようにひょこひょこと綾時が着いてくる。双葉のような頭のアホ毛がひょこひょこと同じように揺れた。

 

「どうでも良くないよ! それと、話したいことがあったんだ」

「…話したいこと?」

 

またくだらない事じゃないだろうな、と綾時を見ればいつになく真剣な表情で。

イヤホンを外して襟に引っ掛け、綾時が続きを話すのを待った。

 

「昨日の影時間、湊は部屋にいた?」

「居た。けど寝てた」

 

それがいったいどうしたのか、と眉をわずかに顰める。

 

「昨日、僕の家の…あ、マンションのね! リビングに置いてたテレビが影時間中に勝手に点いたんだ」

「そんなわけないじゃん。影時間中は電化製品とか機械は全部止まるの、綾時だって知ってるだろ」

 

綾時はマンション住まいなのか、と全然話に関係なさそうな情報を頭に入れながら湊は当たり前の事を言う。

影時間内に、機械が動く筈がない。ましてや、テレビが勝手に点くなどと。

 

「で、でも、本当に点いたんだよ! で、そこにきみのお兄さんが映ってたんだ。なんだか、ノイズ塗れでよくわからなかったけど悲しげな顔で”ぜんぶ霧の中に”って。そんな感じのことを言ってたんだ」

「寝ぼけてたんじゃない? だいたい、優希はずっと寮に居たんだからテレビに出られるはずがない」

 

兄がテレビに、しかも影時間という特殊な時間に映し出されたというのはいくら綾時の話でもにわかには信じがたい。

 

「寝ぼけてなんかないよ…僕、元々シャドウだったお蔭か影時間はバッチリ眼が冴えちゃって…眠れないんだ。おかげで…ふぁーあ、毎日少し眠いんだよね」

「居眠りしちゃだめだからね」

「きみじゃないんだからしないよ! たぶん…」

 

自信なさげに返事を返した綾時はしかし、諦めていないようで再び口を開いた。

 

「そうだ、湊。今日か明日の影時間、タルタロスに行くことになっても暇を見てテレビを点けてみてよ。何か映るかもしれないし! 映ったら僕の話が本当だったって証明できるし、一石二鳥だね!」

「映らなかったらたこ焼き奢りで」

「えっ、うん。分かったよ! いいよ! たこ焼きだね!」

 

湊にたこ焼きを奢るという意味がどういうものになるか、綾時はいまいち自覚してなかったようで空返事のようなものを返す。ファルロスとして湊の内にいて湊が大食いだと知っていても、奢る側に回ることの無かった綾時はのちのちに悲鳴を上げると同時に「お金持ちの帰国子女って設定で良かった」、と安堵するのだった。

なお、「そのお金ってどこから出てるの?」という湊の何も考えていない一言により固まることになるとは思ってもみなかった。

 

 

 

 

 

 

 

昼休み

 

「──ってことがあって、今日はタルタロスの探索に行くけどその前にテレビが点くか見てもいい?」

 

ゆかりや順平と昼食のカツサンドをほおばりながらそんな話をする。

綾時は奏子や他の女子目当てにE組へ行っているため不在だ。

最近乙女心が芽生えたらしいアイギスはそんな綾時がこれ以上奏子や風花に手を出さないか監視するためにゴミを見るような目をしつつ着いていったのだった。このまま放置していれば修学旅行の時に美鶴からの処刑だけでなく、アイギスから綾時に向けて『不純』という動機でその指から火を噴くことになるかもしれないなと湊は遠い目をしながら見送ったのはつい5分ほど前だ。

 

「影時間、ひとりでに点くテレビ…砂嵐…そこに映るのは悲し気な三上センパイ…どう思いますよゆかりッチ!」

「そこで私に振るワケ!? そういうの、苦手って言ったじゃん!!! や、三上先輩は幽霊じゃないけどさ…!」

 

うげ、と嫌そうな顔をしたゆかりは順平の言葉を頭の中で繰り返していたのか、しばらく黙ったあと再び口を開いた。

 

「…でも、望月くんって世間知らずではあるけどそういうタチの悪い冗談言わないよね」

 

綾時がペルソナ能力のない幾月のような影時間を体験できる人間であるということは昨夜説明済みだ。そして短い付き合いの中で綾時は女たらしではあれどもそのような冗談を言わないある意味真摯な人間だという評判はゆかりや順平、そして他の人間にも知れ渡っていた。

 

「まーな。綾時のヤツはそーゆー冗談は言わねえ。オレっちが保証してもいいぜ!」

「アンタの保証ってなんか信用無いからいらない…」

「ゆかりッチ、そりゃないぜ……ま、でもいいんじゃね? オレも気になるし、なんも映んなかったら綾時がたこ焼き奢ってくれんだろ?」

 

がっくりと落ち込んだ順平はすぐに顔をいつもの表情へと戻した。

いつのまにか綾時がたこ焼きを奢る人数が湊ひとりから湊と順平に増えている事に気がつかないふりをして、湊は頷く。

まあ、なんとかなるだろうという適当な考えの元だ。

 

「おっし、じゃあ今日の影時間、タルタロス探索前にテレビがつくかチャレンジだな!」

「私はしないからね。それよりチドリちゃんとはどうなのよアンタ」

「え? チドリと? グフフ、それはですねぇ…」

「あ、やっぱいいや。めんどくさそう」

「どうでもいい…」

「そんなこと言わずに~聞いてくれよ~! 京都のお土産どうするかとかさ~!」

 

そんな順平の調子のいい声と共に、昼休みは過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

夕方

昼までに降っていた小雨は止み、すっかり晴れているさまを自室の窓からぼんやりと眺める。

本当は、修学旅行に行くかどうかの出欠と問診表を書かなければいけないのだが、それを書こうとシャーペンを握った己の手は止まっている。

正直なところ眠い。書類を書くのはおっくうだ。しかし提出期限は迫っている。今日書いてしまって桐条…ではなく美鶴さんに渡さないと提出期限である明後日までに間に合わないだろう。

 

改めて書類を見れば、『※出席する場合は体調を鑑みて保険医でもある江戸川先生と同じ部屋で泊まることになります』と書いてある。そこに不満は無い。が、記憶にあるとんでもない薬を飲まされることになることだけは勘弁したい。

いっそのこと休んでしまおうか、と思うも折角の修学旅行だ。行かなければ心配されるかもしれない。

それに、荒垣くんにお土産を頼まれてしまっている。買いに行かねばならないという義務感くらいはある。

 

用紙の「出席」に丸をつけ、一息吐けば唐突に昨日殴られた額が今になってじくじくと痛むのであの老人を恨めしく思いながらも、なぜあの老人も声と姿が何もせずにわかったのかと疑問に思う。

アイギス、綾時、そしてあの老人…あとはプリントなどを届けに来てくれた朔間というクラスメイトも。

この4人は何もせずともその人だとわかった。ハッキリと聞こえ、見えた。

だからこそこの怪我を負う羽目になったと言うべきかもしれない。

どうしてこうもままならないのか。正直な話、共通点など何もわからない。湊と奏子は唯一記憶が無いながらも認識できたのは『前回』の自分とのやり取りのせいだろう。

記憶を読み取った今でさえ、『前回』の自分が言っていた言葉の意味の殆どは分からない。『前回』の記憶だけどうしても読み取ることが出来ない。なのでなにがあったか全くわからないのだ。

 

辛うじて、自分が湊や奏子そしてほかのみんなに土壇場で甘えてしまったせいで世界が滅んだということだけ分かったが、自分が甘えて世界が滅んでしまうなどあるのだろうか。

もしかして、土壇場で死にたくなくなったとかなのだろうか。だが、それなら湊や奏子が()()()()()()ニュクスの封印をするはずだ。狡い考えだが、()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ、けほっ…けほけほっ…さむ…」

 

正直な話、常に寒いのだがここ数日は更に寒い気がする。

咳き込んだ後に冷えた指先を撫でて、シャーペンをしまった。

食事をとったり風呂に入ってもあまり体温が上がらないのはやはり持病のせいなのか、それとも今月の初めまで飲んでいたというペルソナの制御剤の副作用なのか。どちらかはわからないが元気ではあれども健康とは言い難いのは確かだ。

自分の感覚としてはしんどくないが、身体は明らかに異常を訴えてきている。

よく以前の自分はこれを耐えられたな、と感心したいが最後の大型シャドウを倒した次の日は今の比ではないくらいに体調が悪かったようなのでこれでも回復しているということなのか。

そうなればきっといい。元気になれば、出来ることが増える。皆の役に立てる。

そのはずなのに、

 

(──どうして、嬉しくないんだろう)

 

 

 

 

 

 

 

影時間

タルタロスに行くと伝えたが、出る前に綾時が言っていた事の確認をしようと湊はテレビの前に立った。

 

「……」

 

1分。2分、3分…5分経ってもテレビは一向に動かない。

それどころか、湊が電源ボタンを押してもうんともすんとも言わないのだ。やはり、綾時が寝ぼけて見ていた夢のようなものだったのだろう、と結論付けて立ち上がり、ラウンジまで下りた。

ラウンジでは湊以外の全員が準備を終えてそこにおり、優希も湊と約束した“できること”である見送りの為か眠たげにラウンジのソファーに座ってぼーっと何もない場所を眺めて、髪を弄る奏子のなすがままにされている。

 

「よーっす! その顔じゃ、湊の方もテレビは点かなかったっポイな」

 

順平が片手をあげて出迎える。順平の口ぶりからすると順平の方もダメだったらしい。

 

「え、なになに? テレビがつく? 影時間なんだから動くわけないのになんで確かめてるの?」

 

優希の髪を弄っていた奏子が手を止めて不思議そうに近寄り、話を訊こうと輪に入る。

 

「あー…綾時の野郎がさ、影時間にテレビが点いて三上センパイが映ったっつってたから、確かめてやろうと思ったワケよ! 結果はこの通り惨敗…まさしくお手上げ侍ですわ…」

「ふーん…」

 

興味ありげに呟いた奏子はそれでも『テレビが映らなかった』という結果が出てしまっているためかそれ以上の反応を返すことは無かった。

だが、深夜のテレビに知人が映る、という現象に奏子は「あ」と声を出した。

 

「……そういえば、合宿に行った八十稲羽ってとこで『雨の日の深夜12時ぴったりにひとりでテレビを見ると運命の人が見える』って話は聞いたよ。“マヨナカテレビ”っていったかな…おまじないみたいなもので昔はラジオとかで運命のヒトの声が聞こえるってやつだったらしいけど。もしかして、綾時くんの見たのってそれじゃない?」

「なら、綾時の運命の相手が優希だっていうわけ? ええ…」

 

奏子の言葉に、湊は頭を抱えた。

まさかの綾時が兄の運命の相手だとは思いたくもない。いや、ある意味で元々は死の宣告者だったので運命といえば運命だがそれは恋愛的な方面ではないしここにいる全員の運命の相手ともいえるだろう。

とにかく考えるのはやめよう、とため息を吐いた。それか、(じぶん)と兄を見間違えたのだと言われる方がまだましだ。

自分がたとえ綾時の運命の相手になるとしても。それはそれで不可抗力である。なんせ綾時(デス)を宿していたのは奏子もだが主に自分なのだから。

ふと、頭の中を“ご~こんきっさ”という単語と灰色の髪の学ランを着た少年の姿がよぎった気がするが気のせいだと湊は頭を振った。

 

「それじゃあ、優希、行ってくるね」

「ああ、行ってらっしゃい。みんな気をつけて。怪我の無いように」

 

ぼんやりとした表情から微笑みに変わる兄の顔を見ながら、今日帰ってきたら兄の「おかえり」が待っているのだと思うと、少し浮足立つような気分になった。

 

 

 

 

 

 

 

タルタロスへとついた一行を待っていたのはいつもの静寂なエントランス、ではなくタルタロスの玄関前で立つサングラスをかけた神父の男だった。

 

「何者だッ!?」

「誰…? いままで、反応なんて何も…!」

 

風花が怯え、後ずさる。

風花のペルソナが進化したことにより強化された探知能力をもってしてもそこに誰かがいるなどという事が探知できなかったのだ。

強力なジャミング能力を持つペルソナ使いか。それとも、と身構える一向に男──神取が口を開いた。

 

「お初にお目にかかる。私の名前は神取鷹久。“ニュクス教”というしがない宗教の神父をしている者だ」

「ニュクス教だと…?」

 

訝しむような荒垣の呟きに、神取が頷く。

 

「ああ。ニュクスの招来を目的とし、それによりもたらされる滅びを至上としている。さて、私がここに来た目的が何か、きみ達にはわかるかね?」

 

問うような神取のサングラスの奥の眼は笑っておらず、空虚な眼窩だけがのぞいている。

ニュクスの招来によって起こる滅びを目的としているというのなら、それを阻止しようとしている特別課外活動部は目の上のたんこぶのようなものだ。

もっとも、何故特別課外活動部の目的を知っているのか、という疑問が残るが目の前の男は間違いなく味方ではないと全員が何となく感じ取っていた。

 

「神取…?」

 

ただ、美鶴ひとりだけは神取の名前に思うところがあるようで、ひとりその名前を小さく呟いた。

どこかで聞いたことがあるのだが、どうにもおもいだせない。

 

「…たったひとりで僕らの邪魔をするっていうの!?」

「そーだぜ! オッサンは1人、こっちは10人も戦えるやつがいるんだ。なに企んでるのか知らねーけど鍛えてきたオレっちたちが早々負けるはずねーって!」

 

天田と順平の言葉に神取は口角をあげる。

 

「誰がひとりなどと言ったのかね? 宗教には、神父だけでなく人を導く教主が必要だ」

 

その神取の言葉と同時にタルタロスの影からぬらりと暗い色のローブを纏う人物と、ひとりの杖を持つ老人が現れた。

 

「あーーーっ! あ、あのひと! 昨日お兄ちゃんを殴った…おじいさん!」

 

思わず叫んだ奏子の視線の先で老人──倉橋翁が苦虫をかみつぶしたような顔をした。

 

「まさか、教主たる主の邪魔をするモノが居ると聞いて来てみれば…我が血を継いだ孫がそれだとは…だが、しかし…ううむ…あの悪魔ならばこうも躊躇わずに済んだというものを」

 

悪魔。

それは兄の事を指していると瞬時に判断した奏子は顔を顰めた。

祖父であるという倉橋翁は兄を傷つけることに何のためらいもない、と分かり、余計に腹が立ったのだ。

 

「あの人…お兄ちゃんを傷つけることに何の躊躇いもないの…?」

「奏子、クールに。怒り散らしたら相手の思う壺だよ」

「分かってる。それにいまここにいるってことは──敵、なんだよね…」

 

奏子の言葉に小さく頷いた湊は倉橋翁ではなく、その横にいるローブを着た人物にぞわぞわとしたものを感じていた。

第六感か、それとも別の何かか。

わからないが間違いなくこの中で一番危険なのはあの人物だ、と使えなかったはずの己の内のペルソナである“メサイア”がぶるぶると共鳴するように反応しているのが分かった。

 

「躊躇うというのか?」

 

そんな危険人物である教主が嘲るような、試すような口調で倉橋翁に向かって口を開いた。

その言葉に倉橋翁は顔色をさあっと青くして震え始める。あれは(おそ)れだ、と湊は感じ取った。

倉橋翁など、あのローブの人物は指先すら動かさずに消すことが出来るだろう。それこそ、言葉でもってして「死ね」と一言いうだけで、あの老人は怯えながらも喜んで死ぬ。そんな確証が湊にはあった。

 

「滅相もございません! 奴らを排除した暁には永遠が手に入る! 血筋も跡継ぎも、何ら必要ない永遠が! そう約束してくださったのは教主様でしょう!」

 

到底信じられそうにない言葉を吐きながら、倉橋翁は必死に教主と呼んだ存在に向かって弁明する。この哀れな老人は彼らに騙されているのだ。そうでないと、滅びを至上とする教えと正反対の事である永遠を約束するはずがない。

しかしもう後戻りが出来ない場所まで来てしまっている。全く会わなかった孫と、信じ切っている教主。そのどちらの言葉を聴くと言われれば、間違いなく後者だろう。

倉橋翁の弁明を聞いた教主の唯一見える部分である口元は、微笑んだ。それはもう、綺麗な笑みで。

 

「──なら、いまお前がすべきことは何か。分かるだろう? 倉橋」

 

教主はまるで鈴を転がすような声で倉橋翁の頬に手を優しく添えながらそう囁く。

その瞬間、湊は何か引っかかった。だが、それもすぐに倉橋翁の叫びによってかき消される。

 

「ああ、ああ! 全ては主の仰せの通りにィイ!」

 

それに答えるように天を仰ぎながら叫び小瓶を取り出して倉橋翁は中身の錠剤を全て口の中へ流し込んだ。

 

「う…ぐぐ…ぐぎききい……今! わたしは! 人の身を超えるのだァアア!!!!!」

 

薬を多少に摂取した倉橋翁の身体から黒いモヤの様なMAG(マグネタイト)が吹き出し、目鼻口を含めた身体中からどす黒い泥のような液体が流れ、地面に落ちる。

そしてその地面へと流れた泥は瞬く間に広がっていき、倉橋翁を頭の先まで呑み込んで一瞬だけ静かになった。

しかしすぐにごぼごぼと音を立てて泡立ち、その中から山が盛り上がるように多頭の巨大な蛇が姿を現す。

 

「は、ははは…これが力! これが永遠! これが真に“悪魔になる”という事か!!! なんと、気分のいい事か!!!」

 

それは空気を震わせるほどの咆哮をあげ、歓喜に打ち震えるように身体をくねらせた。

その様子をみた教主は満足そうに微笑んで姿を消す。自分はもう帰っても大丈夫だといわんばかりに。

 

「再誕せし我が名は蛇頭黄幡神(じゃとうおうはんしん)!!! 主の邪魔をする貴様らを踏み潰し、食らうものォォオ!!! げきゃギャギャきゃ!」

 

蛇頭黄幡神──元々はインド神話に登場する“ラーフ”と呼ばれる蛇神であり、災害・日食・月蝕を引き起こすものとも呼ばれ恐れられている。

日本ではスサノオと同一視され、九曜の羅睺(らごう)としても奉られている者だ。

道祖神としても身近に感じられる蛇神であるそれは、その身近さなどを微塵も感じさせない禍々しい黒の光輪を湛えた八又の蛇と化していた。

そしてその体躯はタルタロスに巻きついても尚有り余るほど大きく、今まで見たどんな敵よりも強大に思えた。

その8つの頭にある口がノイズがかった倉橋翁の下卑た嗤い声とともにガチガチと音を鳴らし、怪しい光を湛える瞳孔の開き切った蛇眼は特別課外活動部の面々を睨み付ける。

 

「うそ…人が化け物…ううん、悪魔になったの…!?」

 

奏子はその光景に慄く。一応とはいえ血のつながった祖父が、目の前で異形の化け物と化したのだ。

 

いままで奏子や特別課外活動部が戦ってきた相手はすべて最初から異形であるシャドウだ。なんとなくゲームの敵のようにすら思えていた現実感のない相手とは違い、目の前の“蛇頭黄幡神”は人間が変化したものだ。

『人が化け物になるなんて』という戸惑いと、倉橋翁本人の心の弱さがあったとはいえ、こんな簡単に人間を異形の化け物へと堕とした教主という存在がどれだけ奏子たち特別課外活動部を潰すことに対し手段を選ばないのか、突きつけられたような気がしたのだ。

 

「あんなの、反則でしょ!!!」

『反応はシャドウのものとよく似ています。でも…少し違う…? タイプがアルカナじゃなくて“邪神”…? どういうことなんだろう…? と、とにかく皆さん、気をつけてください!』

「どの道やることはシャドウ相手の時と変わらないんだ。やるしかないだろう! むしろ俺は、こういう大物の方が燃えるがな!」

 

風花の言葉に全員が身構える中、アイギスが蛇頭黄幡神を睨みつけた。

 

「あの反応は…モコイさんのものと似ていますが決定的に違うところがあります。モコイさん的に言うなればワルワルさん、であります!」

「ワン! ウゥ〜…!」

 

あれは悪しきものだと断定したアイギスのそれに同意するようにコロマルも吠えてから唸り、口にくわえたアセイミナイフを咥えなおした。

 

「──だとしても、それは悪魔となったと言えども元は人だ。きみ達は己の目的の為に人を殺せるというのか? まだ救えるかもしれないというのに?」

 

嘲るような神取の言葉が横から聞こえ、反射的にアイギスとコロマルは跳び退いた。

元居た場所のすぐ横で、サングラスの向こうから虚ろな眼窩を覗かせながら神取が刀の刃先を下して立っていた。避けなければ一太刀の元に切り捨てられていただろう。

 

「な、なに言ってんのよアンタ…あんなになって、人間に戻れるワケがないじゃない! なら倒すしかないでしょ!」

 

ゆかりが咄嗟に神取の言葉を否定するも、神取は愉快そうにくつくつと喉奥を鳴らすだけだ。

 

「何がおかしいのよッ!」

「いやなに、きみ達があれを倒せると信じ切っているのが面白くてね。…シャドウと違って“悪魔”は影時間外であっても活動できる。精々、頑張って倒すと良い。もっとも、それが成された時にはきみたちは人殺しだが」

 

それだけ言うと神取は夜の闇に溶ける様にして消える。

鞭の様にしなりながら暴れる蛇頭黄幡神の身体を避けながら、その言葉の真意にたどり着いた美鶴が叫んだ。

 

「…不味い! 奴のいう事が本当なら、ここで奴を止められなければ…大型シャドウをとり逃す以上に街に被害が行ってしまう! …下手をすれば、寮にいる三上も…!」

 

もし蛇頭黄幡神が特別課外活動部を倒したとしても、それで止まるとは思えない。

教主がそれを止めるのはもっとあり得ない。なにせ、ニュクス教の教えは“滅びこそ救い”なのだから。むしろ多くの人に死を与えるそれを、喜んでほったらかしにするに違いない。

そしてここで蛇頭黄幡神を逃せば、影時間内にしか影響を及ぼせないシャドウとは違い現実の時間でも動けるという蛇頭黄幡神はそのまま街へ出て巨体をもってして大暴れするだろう。

そうなれば、美鶴たちにはどうすることもできないほどの甚大な被害が出る。下手をしたら港区は壊滅するかもしれないのだ。

そして、寮で待つなにも戦える手段の無い優希はそのまま──

 

「そんなこと、させるわけにはいきません!」

 

最悪が全員の頭をよぎる。

キッ、と表情をきつくしたアイギスが指先からマシンガンの様に銃弾を発射した。

だが、蛇頭黄幡神の黒い靄の集まりのような体表はそれを難なく弾き、傷一つない。

その様子に生半可な攻撃では効かないと悟った明彦が“ユノ”の中にいる風花へと呼びかけた。

 

「山岸ッ! アナライズはまだか!?」

『いま、解析中です! でも、シャドウと少し違うので…時間がかかるかもしれません』

「それまで持ちこたえてりゃ良いわけだ。ついでに倒せりゃ文句ねえだろ」

 

焦る明彦を落ち着かせるように首薙ぎの斧を持った荒垣が明彦の肩にポンと手を置いて前に出る。

 

「こう首が多いとこの斧も役に立てるってもんだ」

 

首薙ぎ、と称されるそれを満足そうに持ち、蛇頭黄幡神の首をぶった切るつもりでいる荒垣はやる気満々だ。

刃自体は暴れまわる巨体に弾かれながら、それを滑らせて片手で召喚器を構える。

 

「突っ込め! “カストール”!」 【デスバウンド】

 

引き金を引けば、“カストール”が蹄を振り上げて蛇頭黄幡神へと突っ込んだ。

巨体といえども流石にペルソナの物理的な体当たりは堪えたようで僅かにその姿勢をぐらつかせた。が、それも数ある首のひとつだけだ。すぐに別の首が荒垣へと迫り、弾き飛ばした。

 

「ぐあっ!」

「シンジ!?」

「チッ大丈夫だ…こんなもん、唾付けときゃ治る」

 

フラフラと立ち上がり、血反吐を地面へと吐いた荒垣は斧を構えなおした。

だが、荒垣を弾き飛ばした首はそのまま口を大きく開く。

 

「ふしゅるるる…愚かな…このわたしに刃向かうというのか…? 人を超えた、このわたしに? ならばそうだな…こうしよう」

 

その目が向いたのは──天田だった。

目にもとまらぬ速度でさらに別の首が天田へと迫り、その小さな体を締め上げた。

 

「ぐあああっ!!!」

 

「天田ッ!!!!」

「くそ、天田!」

「天田くん!!!」

 

それを見て悲鳴を聞きつけた面々が天田を呼ぶが、他の首に分断され、それぞれ対処で手一杯でそちらに向かうことが出来ずにいた。

いま、天田を救うことが出来るとすればそれは目の前で首に身体を締め上げられているのを見ている明彦と荒垣だった。

 

「貴様らがいま武器を捨てるというのならコレは解放してやろう。そしてその後でひとりひとり嬲り、縊り殺してやろうではないか。なあに、苦しみは一瞬だ。グキキキキ…」

 

そんなこと、できるはずがない。どのみち殺すと言われているのだ。

だが、天田の命を失うわけにもいかない。

 

(どうすれば。どうすればいいんだ…! 俺はまた、失うのか!? 妹の…美紀のときのように…!?)

 

歯ぎしりしながら、明彦は拳を握り締める。

また、失うのか。また、守れないのか。

何度も同じことを繰り返していていいのか。

 

──力を欲したのは、何のためだ?

 

「!?」

 

一瞬、時が止まったようになり、目の前に金色の眼をした明彦自身が立っていた。

 

『──お前は、何のために力を求めた? 思い出せ。そして欲しろ。それが、欲望だ。受け入れるべき、お前の一部だ』

「思い出す…? 欲する…?」

『お前は己惚れているんだ。誰も死者が出ていないことに安堵していた。だが、その裏で誰が傷ついていた? 誰も死ななかったのは誰がそれをおっかぶさっていたからだった?』

 

もうひとりの自分にそう語りかけられ、明彦は考えた。

力を欲するようになったのは、妹の美紀を守りたかったから。そしてなにより、美紀の様に誰も死なせないために。大切な誰かを守れるようにだ。

そして、弛んでいる・己惚れていると言われてハッとした。

確かに明彦は誰も死んでいない現状に甘え、今回も大丈夫だろうという気の緩みがあった。

否、それは明彦だけではなく特別課外活動部の全員にも言えることだったが、今の明彦にとっては自分が一番緩んでいたのだと本心で自覚するほどには弛んでいたのだ。

その油断が、今回の事を引き起こしたのだと金色の眼は責める。

さらに誰のお蔭で誰も死ななかったのか・誰が一番ボロボロになっていたのかと言われれば、間違いなく思い当たる人物がひとり。

 

「三上…か…?」

 

5月のモノレールの時は明彦が参加していなかったとはいえ、順平を庇い、軽くは無い怪我を負い、7月の時には洗脳されつつもそれに耐えようとしていた。

それ以降、暴走したペルソナを抑えるために決して副作用が軽いとは言えない制御剤を飲みながらもタルタロスの探索に変わらず参加し、9月は幼なじみである荒垣のペルソナの暴走を止めようとした。その後の10月も優希は身を呈して天田を庇った。

そのある意味病的な自己犠牲に等しい行動のお蔭とまではいわないがその先に、死人が出ていないという現状があったのだ。

だがもし、ボタンをひとつかけ間違えていたら。優希や荒垣、そして天田が死んでいたかもしれない。否、順平だって美鶴だって、他の誰もが死んでいたかもしれないのだ。

そんな明彦の考えを読んだもうひとりの明彦は、さらに問いかける。

 

『お前がそう思うのならそうなんだろう。で、お前はその三上になにをしてやれた? どうにかしてやりたいと、制御剤を飲んでいると知った時に決意したんじゃないのか?』

「ああ、そうだ。けど俺にはなにも…!」

『できない、と? なら、このまま諦めて目の前で天田が死ぬところを黙ってみているんだな。このまま負けて、全て失うと良い』

 

目の前のもうひとりの明彦の目は冷徹だった。

「何もできないと諦めるのならこのまま死ね」とでも言いたげだ。

 

考えてみれば幼なじみの荒垣だってそうだった。

8月には特別課外活動部の命を救い、罪の清算をする覚悟をし、10月は優希が倒れたあとに荒垣自身も身を呈して天田を守ったらしい。だが、自分はどうだ? 何が出来た?

まだ何もできていないじゃないか。と歯噛みする。

 

いつも、大事なところで踏み込めずにいたのだ。

 

お世辞にも強いとは言えない弱いままの自分。ペルソナという力を得たが、ただ得ただけであって明彦自身はそれを得る前と何ら変わらず、“守る”覚悟が出来ていなかったのを自覚した。

 

ただ美紀(いもうと)の死から逃れるために、力さえあれば妹のような犠牲者を出さずに済むと、そう思っていただけだったのだ。

だが、それは違った。力を持っていたとしても、力がなくても。必要なのは覚悟だったのだ。簡単なことだった。その、簡単で難しいことが明彦にはできないでいたのだ。

 

だから、明彦は今もこうして妹を失ったときと変わらない無力感を感じていた。

ならばどうすればいいのか。明彦の答えは既に出ていた。

 

「…こせ…」

 

震える息を吐きながら、明彦は目つきをきつくする。

その目には、覚悟の光が宿っていた。

 

「──俺に力を寄越せ! 守れるだけの力を! 例え、この身が砕けてもいい! もう俺は自分自身の弱さから目を背けたりなどしない!」

『嘘じゃ、ないようだな』

 

血を吐きそうな声でそう叫んだ真田を見やり、満足げに、しかし穏やかに目の前のもうひとりの明彦が笑う。

 

『なら、引き金を引け。その覚悟があるのなら、もう大丈夫だ』

 

明彦は召喚器を持ち、引き金に指をかけた。

大丈夫だと、そう言った己に応える様に頷けばその姿が幻の様に霧散した。

 

そして、その名を呼んだ。

 

「──来い、“カエサル”!!!!」

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