11/13(金)
その日は朝から雨が降っていた。
ジメジメとしていながらも肌寒い空気が妙に湊を不快にさせる。
結局コロマルにも匂いを辿らせてみたが困ったような顔でラウンジと二階の優希の部屋、テレビの前をぐるぐる回るだけにとどまり、なにも収穫が得られなかった。アイギスがコロマルに訊いて翻訳された答えも「外には出ていない」という反応が返ってきただけだった。
だが、寮内にはいない。ならばどこにいったというのか。
「やあ、湊くんおはよう!」
そんな燻っている湊の背に、聞き慣れてしまっている声が掛かる。
渋々振り向けば予想通り黄色い傘を差した綾時がそこにはいた。
黄色い傘という小学生のような持ち物を持っているにもかかわらずそれが妙に様になっているので「小学生か」という言葉を呑み込んで、湊は黙って歩く。
悪いが、今日ばかりはこの明るすぎる綾時のテンションについていけるほど元気でもなかった。
「昨日はどうだった?」
「何も映らなかった」
湊の顔を覗き込むように訊いてきた綾時に湊はぶっきらぼうに口を開いた。
正直、こうして会話している間にもどこかで兄が倒れているのではないかという焦りのようなものが思考を占める。
そんな湊の焦りが顔に出たのか、それとも察したのか。綾時の顔が真剣なものになる。
「……他に、なにかあったのかい?」
正直、今の綾時に話してなんになるのだろうか、と湊は思った。
きっと綾時は親切で優しいから、理由を知れば兄を探す事を一緒にしてくれるだろう。それこそ、放課後でも、今すぐにでも、傘を放り出してびしょびしょになっても共に探してくれるだろう。
だが、そこまでだ。
特別課外活動部全員で探しても見つからなかった。いくら街中を探したところで見つからないかもしれない、という己の行動とは矛盾した気持ちが浮かんだ。
「もしかして、お兄さん絡みかい?」
またしても沈黙していた湊の心情を読むように綾時が訊いてくる。こういう時、こうやって察してくるような長い付き合いの相手に会うのは嫌なんだ、と湊は少し忌々しく思った。が、何故綾時に知られたくないのかと考えれば、綾時も無理に手伝って来ようとするクソがつくほどのお人よしだったからだと気がついた。知れば、どこにだってついていくだろう。
「人手は多い方が良い」などと言って。
そしてそこが兄とそっくりだという事にも気がついて、思わず顔を顰める。
「僕で力になれるかどうかはわからないけれど、それでも話せば楽になるかもしれないから。それに僕なら影時間やペルソナのことを話しても大丈夫だからね!」
こういう妙なところで自信なさげなところも似ている。似ていないのは、女子に好んでアタックしに行く女たらしかそうでないかだ。
そんな綾時を何が起こっているのかわからないことに巻き込みたくなかった。湊にとって。いや、奏子にとっても恐らく綾時の存在は死なせることの出来ない大事なものだ。
この10回の繰り返しの中で、湊は1度も死の宣告者となった綾時を殺した事は無かった。だからこそ、ただの人になってしまった綾時を巻き込みたくなかったのだ。
ただの人は脆い。それは、綾時が1番知っていて1番知らないことだろうから、と。
「お生憎さま。そういうの、もう間に合ってる」
「そんなあ」
なので湊は綾時の誘いを一蹴し、情報の整理をする。
かかりつけ医である朝倉の元へは来ていないという事は確認済み。
それか、知り合いらしいストレガのアジトにいるか。
湊は場所を知らなかったが、もしそこにいたとすれば送り返しに来るか朝倉医院に連れていかれるはずだ、という荒垣の予測を信じることにしてタルタロスに何かきっかけがあって迷い込んだのかもしれないと仮定して放課後の予定を立てた。
影時間
夜になっても雨が止むことは無く。誰からも兄を保護したという連絡もなく。
優希を探しに行こうと雨ではあるが今日もタルタロスへと行く用意をしていた湊の目の前でひとりでに消したはずのテレビの電源がつく。そして、周波数を合わせるときの様なノイズの音と共に砂嵐の画面になったかと思えばすぐに鮮明な画面を映しだした。
〜未知なるカダスを求めて〜
ポップなフォントで作られたその番組タイトルらしきテロップが映し出された。
そしてそのテロップが消えると場面が変わり、霧の立ちこめる遊園地のような場所が映る画面の真ん中で、月光館学園の制服を着て黒ぶちメガネをかけた優希によく似た三つ編みの少女が立っている。と言うよりかは優希をそのまま女子にしましたと言われた方が納得出来る見た目だ。ただし、表情は全く似ていない。どちらかというとハイテンションになったときの奏子のように明るい顔つきをしていた。
『やっほ~! みんな大好き“ナギサちゃん”だよっ!
『……』
腕を引かれ画面の端から真ん中へと連れてこられたらしい優希は己によく似た顔の金の眼を持つ、自らをナギサだと名乗った少女に腕を引かれとても嫌そうな顔をしながらも黙っていた。
「……は…?」
それを見た湊の第一声はこれだった。
脳みそが理解することを拒絶している。頭が痛い。居なくなったはずの兄がなぜテレビに。ここはどこなのか、と色々考えたかったがまとまらない。
目の前で流れているこのテレビ番組は何なんだ、合成かしこみか何かなのかと疑問に思っている間にも番組は進んでいく。
『も~、ユーキくんは連れないなあ~…せっかくあたしたちが主役の番組なんだよ? もっとハッチャけちゃおうよ! 本心、おっぴろげでいこうよ~! その欲望、解放しちゃお!』
『けほっ…要らない。帰りたい。眠い。しんどい』
『帰りたい! 眠い! いいね! それも欲望だよ! でもしんどいのは仕方ないよね! だってここは本来ヒトが立ち入る場所じゃない』
優希のぶっきらぼうな遠慮のない短い拒絶の言葉を聞いたナギサはニッコリ、と笑みを深めて言う。
『この霧のせいでタルタロスの中以上の負荷がかかっててふつーのペルソナ使いさん達でも疲れやすくなってるもん! ペルソナも使えなくて身体が弱ってる今のユーキくんだとかなーりしんどいよね! 長居してたら死んじゃうかも!?』
兄が死んでしまうかもしれないという言葉がでた瞬間、嫌な汗が流れるのを感じたが、これは質の悪い仕込みかなにかに違いないとその思考を振り払った。
『 そ・れ・と・も…きゃっ、ヒミツ! でも、それはそれでいいよね! ハラハラドキドキデンジャラスって感じで!』
きゃぴきゃぴとしているナギサになにが「それでいい」んだと湊は言いたくなった。しかし画面に映る兄の顔色はお世辞にもいいとは言えない。心無しか疲れた様な表情もしている。
それに反して血色も良く元気がよすぎる“ナギサ”のテンションが一層場違い感と歪さをかきたてる。
『ユーキくんのことはひとまず置いといて~、えーいまは~…魅力的な“霧が立ち込める高い崖の上”に来てます! いや~絶景ですね! デートスポットにいかがでしょうか!』
場面が切り替わり、ナギサが霧深い崖の上に立っている。霧のお蔭で一寸先すら見えないようなその場所を絶景だという少女は傍から見れば狂気的だ。
そんな狂気的なリポートの背後で土のうを落とした時のような音が定期的な間隔で響いている。
『あ、そうだった! これを見ているみんなには見えないんだっけ? なら、特別出血大サービス! 見やすいようにカメラさんを寄せて~画面を鮮明に~!』
ガサゴソと物音がしながら画面が揺れ、徐々にピントが合うようにして霧が晴れて鮮明になった。鮮明になった崖の先では、月光館学園の制服を着た男子生徒が次々と飛び降りていっている。
否、それらは優希と同じ顔立ちをしていた。クローンのようにまったく姿かたちが同じそれらが、一様に虚ろな目をしてフラフラと崖の端まで歩きそこから飛び降りているのだ。
悪夢か何かか、と湊は顔をひきつらせた。
「う…」
先ほどからしている定期的な音の正体はまさか、と察したくないことまで察してしまって喉元まで込み上げてきた吐き気をこらえる。
『…あらら、向こうではたくさんの“お人形さん”たちがヒモ無しバンジーにいそしんでいるようです! 楽しそうだよね、ユーキくん! ってあれ? ユーキくんは?』
飛び降りの光景を『楽しそう』かつ飛び降りている存在を“お人形さん”だと形容したナギサはしかし、優希に話を振って見える範囲のどこにも本人がいないことに気づく。そこで初めて明るく楽し気な表情から少し焦ったような表情へと変わったナギサが辺りをキョロキョロと見回した。
『え、うそ! さっきの一瞬でどこかに行っちゃった!? そ、それとも、ヒモ無しバンジー体験したくて並んでるとか!? おーい、ユーキくーん!』
そのまま呼びかけてキョロキョロと並んでいる列を見たりして探すが徐々にその表情は焦りから「どうしよう」とでも言いたげな不安げな表情へと変わってゆく。
『ここで想定外のトラブル! ユーキくん、勝手にどこかに行っちゃったみたい! ま、なるようになるか! もう放送終了時間だし、ひとまず今日の“忘れ去られたカダス”の案内はここまで! 『〜未知なるカダスを求めて~』はまた明日の影時間から! 見てるみんなは明日の放送までにユーキくんが死なないかお祈りしててね! チャオ!』
てへぺろ☆と兄にそっくりな顔でムカつく表情をしたナギサが手を振って番組が終了する。
それと同時にテレビの電源も落ち、部屋に静寂が戻った。
慌てていたにもかかわらず「なるようになる」と結局は軽く流した少女の言葉にぽかん、と湊が口を開けたまま茫然としていると少しの間をおいてドタドタと慌てて上から廊下を駆け抜けるような足音が聞こえてくる。そして近くの部屋からはドタバタと五月蝿い物音がしていた。恐らく、寮にいる全員がこれを見たのだろう。
「湊ッ!!! おい! い、いまの! いまの見たよな!?」
1番初めに湊の自室のドアを蹴破る勢いで開けたのは隣の部屋の順平だった。
その顔には驚愕の感情が浮かんでいる。
「……いまの?」
「おっまえ、見てなかったのかよ! 三上センパイと…センパイにそっくりな女の子の番組だっての!!!! つーか、綾時が言ってたの、これなんじゃねーの!?」
喧しい順平に半分耳を塞ぎながら湊がとぼけて首を傾げれば、更に喧しくなった。
どうやら順平も同じものをみていたらしい。
あの綾時の言っていたことが本当だったとはいえ、既に放課後無理やりたこ焼き屋に連れていかれて「僕は賭けに負けたから」と言った綾時に潔く奢られた湊からすれば、同じくたこ焼きを奢られた順平の言ったようにそれを認められるわけでも──
「……そうかも」
意外とあった。
綾時の与太話を認めるのは癪だが、それは今、目の前で与太話では無いと証明されてしまったのだ。
一昨日の夜も雨が降っていたな、と思い出せば奏子の言っていた“マヨナカテレビ”というおまじないのようなものもついでに思い出す。
その話の通りなら、湊や順平、そしてこの寮に居るこのテレビを見た人間の想い人が兄またはあの兄そっくりな少女だと言うのか。
冗談も大概にしてくれ、と湊は頭をまた抱えたくなった。
自分ですら男女問わず寮内の全員攻略などやったことは無いぞと
「みなとみなとみなとみなとっ!!!! たたた、たいへん!!!!! テレビにお兄ちゃんが映って!!! それで、それで!!!!」
階段を駆け下りてきたらしい奏子が弾丸の様に部屋に突っ込んでくる。
はあはあと荒い息で起こった出来事を興奮気味に話そうとしているらしいがパニックになっているのか話がまとまらない。
「ちょ、落ち着けって奏子っち!」
「順平の言う通りだ。深呼吸してゆっくり話してみなよ」
そんな奏子の勢いに気圧された順平と、あまりにも慌てている奏子を見て逆に冷静になった湊が落ち着かせようと言葉をかけた。
「ひっひっふー、ひっひっふー! よし、落ち着いた!」
「それ深呼吸じゃなくてラマーズ法だっつの!」
「あとちょっとでアバドンが何か産みそうだったから、つい〜」
「産まれそうになったら言って」
「イヤ、そーゆーのいいからな!? オレっちいっつも思うけどサ、奏子っちのペルソナ、なんかチョイスがゲテモノばっかだよな…」
げっそりとツッコミをするのに疲れた順平はそれを放棄した。
湊と奏子のボケしかいない漫才のツッコミをし続けるのは至難の技だ。
どちらか片方なら問題は無い、というのがここにいない優希の談ではあるが。
「えーなんでー! 可愛いよアバドン!」
「どうでもいい…それで、奏子。話の続きは?」
「あっ、そうだった!」
今思い出しました、と言わんばかりに拳を作って手のひらを叩いた奏子は緊張感が無い。
否、あまりにも現実感がない現象を見たせいで未だ半分パニック状態なのだろうなと湊は分かっていた。だからこそ、何も言わずに話の続きを促した。
「えと、それでね! ビックリしてテレビの画面にバーーーンって手を突いたら……な、なんと! テレビの中に手が吸い込まれちゃったの!!!!」
「は…? え…? いやいやいや、ジョーダンだよな?」
「寝ぼけてる?」
「ちーがーうーもーんー!!! ほんとだもん! 私、寝ぼけてないし嘘もついてないもん!」
あまりに突拍子が無い話だからか、信じようとしない湊と順平にもんもんと鳴きながら拗ねた奏子が湊の部屋の奥まで入る。
「ほんとだってこと証明してあげるから! 見ててね!」
そして、ベットのそばにあるテレビの画面へと勢いよく右手を突きだした。
瞬間、画面に弾かれるはずの奏子の手はテレビの画面にすっぽりとなんの抵抗もなく入ってしまった。
「う、うぇええええーーー!?」
「おい、よくわかんねー番組見せられてパニックになる気持ちもわかるが少しは静かにしやが………れ………」
叫んだ順平の後ろからひょっこりと顔を出した荒垣が、テレビの画面に片手を突っ込んでふんすと鼻息荒く「ほら見た事か」と言いたげに得意げな顔をした奏子を見て絶句する。
テレビの画面は奏子の手を受け入れ、水面のような波紋を描いている。
「あ、新手の…マジック…か?」
困ったような視線を荒垣から送られても湊はブンブンと首を横に振ることしか出来なかった。
「ひとまず、情報を整理しよう」
頭が痛そうな美鶴がラウンジでふう、と息を吐いた。
あのあと、とりあえず作戦室ではなくラウンジに集まろうということで招集がかけられたのだ。
だが皆の顔は困惑に近いものばかりだ。恐らくここにいる全員が頭を悩ませていることだろう。それくらい、先ほど起こったことは突拍子もなかった。
「まず、昨夜の影時間に三上は失踪した。コロマルの嗅覚と言葉が確実なら彼は寮から出ていないことになる。これは間違いないな?」
「ワンワン!」
「はい。コロマルさんも『間違いない』とおっしゃっています」
「そうか…」
コロマルとアイギスの言葉に美鶴が頷く。
「では次に……にわかには信じがたい事だが、影時間であるにもかかわらずテレビの電源が入り三上と三上によく似た女子生徒がテレビに映っていてここにいる全員が視聴した。ここまではいいか?」
美鶴の言葉に今度は全員が頷いた。
「あの女子生徒は“ナギサ”と名乗っていたがナギサという名前は三上の本来の名前じゃなかったか?」
「うん。お兄ちゃんのホントの名前は有里渚だよ。でも、なんであの女の子が名乗ってるのかはよくわかんない…」
「知り合いじゃないんですか?」
「「知らない」」
明彦の質問に答えはしたが不思議そうにする奏子が気になったのか、天田が問いただす。
しかし湊にしても奏子にしてもあんな少女、これまでに見た事も聞いたこともない。
「じゃあ、生き別れのお姉さんだったりしないかな? ほら、三上先輩も双子だったとか…」
「それにしたって同じ名前はねーんじゃねえか?」
「前に小さい頃のアルバムを見たけど優希は…双子じゃない」
そう断言した湊に視線が集まる。
双子ではないと言ったが、かといって湊にもあの少女が何か全く分からないでいたのだ。
「なんだか、難しい話ですね…」
天田が湊の心情を代弁するようにぼそりと呟いた。
「ああ。難しい話だ。だからこそこうして情報を整理してなんとか手がかりを得ないといけない。
──話を戻すが、ナギサと名乗った女子生徒はあの場所を“忘れ去られたカダス”と言っていた。そしてそこには三上もいて、長居すれば三上の命が危ない」
「実際にあの女の子もそう言ってましたもんね。ペルソナ使いなら疲れるだけで大丈夫、みたいなことも言ってましたけど」
「ああ。そしてもしそこがタルタロスと同じように常世と隔絶された通常ではたどり着けない場所だと考えると次はどうやってそこに行くか、が問題になって来る。そこでだ、有里」
美鶴は奏子の方を見る。この場合の『有里』は
「なんですか先輩?」
「あの奇妙な番組と、きみの手がテレビに入るようになってしまったことは何か関係があるのではないか、と私は見ている。皆の前でもう一度、試してみてはくれないだろうか」
「えっ、わ、わかりました!」
突然話を振られ、皆の前でテレビに腕を突っ込めと美鶴に言われた奏子は緊張しながらもテレビの前に立つ。
湊と順平の前では成功したが今回も成功するとは限らない。もし入らなかったらどうしよう、と不安になりつつも手掛かりは自分しかないので気をしっかり持たないと、と奏子は深呼吸をする。
「すー…はー……よし! 入れます!」
テレビの画面に手を突っ込む。
すると抵抗なく奏子の腕は肘まで入ってしまった。
「なっ、腕がテレビの中に入っている!?」
「一度見たけどやっぱヤべーよなこれ」
「私、目の前で起こってるのが夢なんじゃないかなって思えてきた…」
「わ、私も…」
「テレビの中に物理的に腕を入れることは不可能です。ですが実際に入っている。まったくもって謎です」
奏子の手がテレビに入る様を見た特別課外活動部の面々の反応は様々だった。
そんな他の面子の会話を横で聞きながら、奏子はテレビの画面を凝視した。
そして、
「あ、なんかいけそう」
そう言って奏子はテレビの画面に手だけでなく上半身を突っ込んだ。
「ちょ、え、奏子ちゃん!?!?」
風花が突然の行動に困惑し、声をかけるもすぐに上半身だけではなく下半身もすっぽりとテレビの中に入ってしまい、姿を消した。
「そんな…奏子ちゃんがテレビの中に…!?」
「くそ! どうなってやがる!?」
慌てて駆け寄り荒垣がバンバンとテレビの画面を叩くが奏子の様に手が画面の中に入るなどということは無く。
「──破壊しますか?」
「ダメだってアイギス! こ、壊したら奏子さんが帰ってこれなくなるかもしれないし…」
「了解しました」
指をテレビへと向けて発砲しかねないアイギスを天田が止める。
もしテレビを壊して奏子が帰って来れなくなってしまったらそれこそ終わりだ。優希を助けられないどころか奏子も失うことになる。
全員、何としてでもそれだけは避けたかった。
「みんなー!」
「ぎゃあああああああああああ!!!!!!」
「きゃあああああああああ!?!?!?!?」
「わあああああああああああああああ!?!?!?」
唐突に、ひょいとテレビの中に消えたはずの奏子が帰ってきた。
同じようにテレビの画面から上半身だけを出して、だ。
その姿は某有名ジャパニーズホラーを彷彿とさせ、ゆかりと順平、そして風花を絶叫させる。否、いつもは叫ばないであろう天田と明彦も絶叫している。他の面子は思考停止し固まっていて言葉も出ないようだった。
そんな面々にお構いなし、といった感じで上半身を出したままの奏子が喋り出す。
「テレビの向こうに変な世界があったよ! たぶん、あそこにお兄ちゃんがいると思う!」
「どうなってるのそれ!?」
「わかんない! けど、すぐ後ろに『お帰りはコチラ☆ ↓』って書かれた看板のついたおっきなテレビがあったからそこに入ったら帰ってこれたの!」
よっこいしょ、とテレビの画面から這い出てきた奏子はピンピンしているようだった。
「うーんでも、このテレビだと出入りしにくいなー…」
「そういう問題じゃねえだろ。ったく、焦らせやがって…」
テレビの横に立つ荒垣が頬を掻きながらため息を開いた。何もなくてよかったという安堵とあまりにもこちらの事を気にしていないマイペースさに呆れてのふたつの感情からだった。
「荒垣先輩、もしかして心配してくれたんですか!? えへへ―嬉しいなあ…」
「…んなことよりなんともねえか。怪我は?」
「ないです! あ、でもこのテレビからだとひとりひとり入るしかないのかな」
荒垣が手を差し出し、その手を取って立ち上がった奏子は困ったような顔をする。
「テレビの向こうが例の場所に繋がっている、もしくは似たような場所に繋がっている…かもしれないというわけか」
「はい。けどさっき言ったようにラウンジのテレビだとちょっと…みんな入れなさそうだし…出入りが大変過ぎて武器とかを持ちながらだと駄目かもしれないです」
困ったような顔のまま、奏子が美鶴の言葉に答えた。
そんな奏子の言葉に美鶴は思案する。たしかにラウンジのテレビは小さすぎて1人がようやく入れる程度だ。
「…待て、ひとり? 確か三上の匂いはテレビの前で途切れていたと…」
美鶴は浮かんだ答えに嫌な予感がした。
「いやいやそんなお兄ちゃんがテレビに身体突っ込むなんてないですよやだなー! いくらお兄ちゃんでも…ねえ?」
「流石に突飛な行動をする優希でもテレビに身体突っ込むのは無い…ない…いや…ある…かも…?」
「何故そこで悩む有里!?」
思わずツッコんでしまう。
何故この姉弟はこうも己の兄に対する信用がガタ落ちしているのか。美鶴にも思うところがないと言えばウソだが優希に対する信用の無さはここまでではなかっただろう。
だが、次に口を開いた湊の言葉で美鶴は頷くことになってしまう。
「いや…なんか…躓いてバランス崩した拍子に…とか」
そのとおりだった。
最近の優希はこちらが見ていてハラハラするくらい危なっかしかったのだ。
寮内をひとりでぼんやり歩いているときもズボンのすそを踏みつけてこけかけたり、よくふらふらとおぼつかない足取りで歩いているのは記憶に新しい。
しっかりとした足取りで歩いていると言っても入院中に比べればの話だ。入院中のあれはもう歩いていたというよりかは点滴に捕まってなんとかずるずるとあるいていただけだ。
なら、何かの拍子にこけてテレビに上半身を突っ込んでしまった可能性だって大いにあり得る、ということだ。美鶴としてはそんな事故のような情けない失踪理由だと信じたくないが。
「もし、テレビの中に三上も入ってしまったと仮定して、だ。出入りをどうするかだな」
「先輩の部屋のテレビとかどうですか? おっきいし、迫力あるし!」
「…私のか?」
幾月の起こした事件以降美鶴も叔母という肉親を殺されていた事が判り和解し、たまに美鶴の部屋に出入りするようになっていたゆかりがそこにあるテレビの存在を思い出す。
「確かに、私の部屋のテレビは大きいが…いや、恥を忍んでいては三上を助けることなどできないな。わかった。各自準備を整えて私の部屋に来てくれ」
一瞬何かを躊躇した美鶴だったが人助けのためなら仕方ないと腹をくくったのだった。
「それじゃあ、画面に触れるのでこの中にバーッと飛びこんじゃってください!」
美鶴の部屋。
そこにあるテレビ触れた奏子の手から画面が揺れ、水面の様になっている。
「マジでこの中に飛び込むんだよな…ごくり…」
「ほら、行くよ順平」
「ちょ、まっ、まだ心の準備がっ!?!?!?」
そんな戸惑いも首ねっこを掴んで順平をテレビの中へ放り込んだ湊の行動により無理やり吹き飛ばされる。
テレビの中に順平を放り込んだ湊は続いてさも平気そうにテレビの中へと入っていった。
「有里くんも順平君も…ほ、ホントに入って行っちゃった…!」
「ね、風花。私たちもいくよっ!」
「えっ、ええ!? 待ってよゆかりちゃん!!!」
テレビの中にすいすいと入っていくゆかりを追いかけて風花が目をつぶりながら飛び込んだ。
「女子に負けてられないな。行くぞシンジ、天田、コロマル!」
「ああ」
「はい!」
「ワン!」
そして明彦、荒垣、天田、コロマルがテレビの画面へと飛び込む。
残るは奏子とアイギス、そして美鶴だった。
「では、美鶴さん。私と共にいきましょう」
「…わかった」
はい、とアイギスに手を差し出された美鶴はその手を掴んでゆっくりとテレビの画面の中へと入ろうとした、瞬間。
「あっ、置いてかないで! 私も入りますー!」
「ま、待て、いま飛び込めば私たちは──」
美鶴の言葉は最後まで発されることなく、奏子が突っ込んできて雪崩る様にテレビの中へ落ちていった。
?月 ?日(?) 霧 影時間
忘れられたカダス
「ここが…テレビの中…?」
「一面霧だらけで何も見えんな…これじゃあシャドウが出ても満足に戦えない」
テレビの中へと入った特別課外活動部を出迎えたのは視界一面を覆い尽くす霧だった。
気を抜いてしまえばすぐ近くの皆を見失ってしまいそうな濃い霧の前では闇雲に探索することもできない。
「あれ? あれあれ!? なんでヒトが居るの!? とゆーか、ヒトはヒトでも
と、そこへ少女の馴れ馴れしい声がかかる。
そして“ツキコー”と訊き慣れない呼び方で特別課外活動部を呼んだ少女が霧の中から姿を現し、首を傾げている。
「お前は…!」
「あーーーーっ! お兄ちゃんと一緒にいた女の子!」
全員が身構え、奏子が少女──ナギサを指さした。
「え? え? なに? ナギサちゃんになにか用!? じゃなくて、なんでいまここにいるの!? ホントなら明日の影時間に『テレビの中に入るならコチラ♡』ってする予定だったのに! 居なくなっちゃったユーキくんといい、今日来ちゃうみんなといい、番狂わせすぎるよう…!」
困ったように眉を顰めたナギサはしかし、すぐに顔を笑みの形に変える。が、そんなナギサにアイギスが跳びかかり手刀を浴びせかける。
「優希さんを返してください!」
「そーだそーだ、誘拐犯~!」
「ちょ、あぶなっ、ユーカイハンとか知らないよ~! あたしの役目はただ、ここをみんなに案内するだけなんだから! ユーキくんをテレビに突っ込んだのは別のやつの仕業なの!」
アイギスの手刀を器用に避け、そう叫んだナギサの言葉にぴたりとアイギスが止まった。
「あ…いや、ユーキくんのあれは自爆というかなんというか…足を滑らせたようなものだったかな……でも滑らせなかったらアイツが無理やり入れてただろうし…ひとまず休戦! というかあたしキミたちの敵じゃないし! ピースフルでいこ! ね!? 何事もヘーワテキカイケツが大事なのです!」
お手上げ侍~! と手を挙げたナギサの前半部分はぶつぶつと言っていて誰にも聞き取れなかった。
「あ、あれ? あの人…なんだろう…不思議な感じ……ここにいるようで、いないような…」
“ユノ”を出してナギサを視ていたらしい風花が首を傾げた。
しかしこの霧のせいでうまくアナライズ出来ないのかもしれないとすぐに振り払い、ユノを消す。
対するナギサもまた、不思議そうに首を傾げている。
「あれー? ってことはみんなにはヤソガミこーこーの記憶はないんだっけ。あーあそこはクロちゃんの…ええと、ちょっと特殊な場所だったから記憶が無くても仕方ないかー…でもそのせいであの
ぷんぷん! とわざとらしく三つ編みを振りながら怒るナギサは湊たちには分からない話をしている。
それが嘘か真か、敵か味方か。それすらも、湊たちには判断できないでいた。だがナギサの口ぶりが本当なら、以前に自分たちとこの何処までも自由奔放な少女は会ったことがあるという。
にわかには信じがたい話だ。
「信用できないね。だいたい、お前はなんなんだ! ここでなにしてるんだ!」
槍を構えた天田の噛みつくような言葉に笑みを深めたナギサは天田や他の面々から向けられる敵意を意に介していない。それどころかどこか楽しんでいる風にすら見える。
「えー…じゃあ改めて自己紹介! あたしはナギサ! この“忘れ去られたカダス”の案内人兼花のジョシコーセーだよっ! なにしてるって言われたらここはあたしの住んでる場所だから、住んでる場所にいるのはおかしなことかな? って返すことしかできないよ~!」
改めてナギサの口から語られた自己紹介はあまり意味のない言葉の羅列のように感じた。
だが、そんなナギサの自己紹介に思わず順平がツッコむ。
「分かってたことだけどよ、センパイと同じ名前とか呼びにくッ!!!」
「ジュンペーく~ん、ナギサちゃんって呼ぶのが嫌ならあたしのことはノーちゃんって呼んでくれてもいいんだぞ〜? あ、でもでも! ホントの姿はオフレコで! 髭モジャのオジーさんが案内人とかイマドキ地球では流行ってないからー!」
電波のようなナギサの言動に誰も何かを言うことが出来ない。
のらりくらりと特別課外活動部を弄んでいるようにも思えるちゃらんぽらんな言動はしかし、訊けばちゃんと答えてくれてはいる。
そこだけが救いに思えて、湊は口を開いた。
「じゃあここはなんなの」
「おっ、湊くん良い質問だね! すごくいいよ! ブアイソーな今のユーキくんとは大違い! そういうの待ってた! ここはね、」
一度言葉を止めたナギサが不意に笑みを消し、真顔になる。
「────ユーキくんが作り上げた