君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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死人に山梔子(?/?)

──────

 

汚い。(きたな)い。きたない。

洗っても洗っても、とれない。

 

まるで自分自身が汚れになったかのように黒くて、暗くて、狡くて、汚くて。

血まみれの両手を見つめていたら影から死んだみんなが睨みつけてきて責めるんだ。

 

「どうして助けてくれなかったの」って。

 

──────

 

日本家屋の台所。

大きなテーブルが置いてあるそこで予期せぬ休憩となってしまった特別課外活動部の面々は冷蔵庫から言われた通りペットボトルに詰められた麦茶と色とりどりの缶ジュースをそれぞれ取り出して椅子に座って息を吐き出しリラックスしだした。

ナギサからもここは安全だとお墨付きを貰ったので張り詰めていた糸を弛めていた。

そんな面々から外れ、部屋の端へと逃げるように腰を下ろした湊の方へ順平が歩みよる。その手には、古いデザインのコーラの缶を持っている。

 

「よ、湊。ちゃんと休憩してるか?」

「別に。…どうでも…」

 

いい、と答えようとした湊に順平は険しい顔になる。

 

「良くねえっての。天文台で吐いてたし、その…色々センパイのことで取り乱してただろ? 奏子っちには風花やゆかりッチ、それにアイギスや荒垣センパイがついてるから良いけどよ。お前はほら…1人だったからさ」

「……心配、してくれてるの」

 

意外だと言いたげに湊がぶっきらぼうにそう言えば、勝気な笑みを浮かべて順平は胸を張った。

 

「ったりめーだろ。オレはお前の相棒で、親友なんだからな!」

「両方とも、なった覚えはないけど」

「こーゆーのはいつの間にかなってるモンなの! じゃなくて、とにかくリラックスしろよ」

 

そう言って順平は湊の隣にコーラの缶を持ったまましゃがみこんでおもむろに口を開いた。

 

「…まぁ、オレはさ、センパイには最初の頃にメーワクかけたし、チドリと再会させてもらった恩があるけど実質繋がりって言われたらそれだけだし、お前ら姉弟やゆかりッチとか桐条センパイと違って10年前のジコとかには全然カンケーねぇから、ある意味蚊帳の外みたいなもんじゃんか」

「…うん」

「それに、ちょっと怖かったんだわ。センパイのこと」

 

順平の顔が下がって被っているキャップの唾で見えなくなり、その表情が伺い知れなくなる。

 

「他人の不注意のせいで腕から血がドバドバ出るような怪我をしたら普通、怒るだろ? でもセンパイはさ、全部自分が悪い、みたいなこと言ってオレのこと窘めただけでさらには応援してきたじゃんか。なんてっか、あの時はやる気に満ち溢れてて、どーやって挽回しようって気持ちしかなかったんだけどな。あとから思い出して、センパイ変だったよなって」

 

順平も態度や口に出さないだけで気づいていたのか、と湊は僅かに目を見開いた。それほどまでに今回の兄は危うい。

異常さが顕著だったとも言える。

 

「だって見た目的にとんでもない怪我してるってのに…お前じゃないけどどうでもいいって言いたげだったじゃん。そっからちょっと怖くて避けてたとこもあって」

 

湊は順平の気持ちがよく分かった。

湊だって優希が兄でなければ、肉親でなければ遠巻きにしていたかとてつもない気持ち悪さを覚えていただろう。赤の他人がどうしてそこまで、という違和感と共に。

 

「でも結局不良に絡まれた時は……湊や奏子っちのおまけだったかもしんねーけど…その、助けてくれたし。チドリと関わりあいがありそうなのはセンパイしかいなかったから相談したらいつもと変わんねぇセンパイでさ。

 

──……オレ、あの人のこと誤解してたのかなって思ったンだわ」

 

ほう、と珍しく順平がため息のように息を吐いて手元のコーラの缶を握りしめる。

 

「順平の怖いって気持ちも間違ってはないと思うけどね。僕もたまに優希が怖いと思うこと、あるよ」

「弟のお前もあんのかよ…」

「そりゃあ。前までは気づかなかったけど、戦いだしてからよく分かるようになったから」

 

それに理由があると気づいたのはつい先程だ。

兄は、優希は、確実にニュクスの封印を自分でするために動いている。そして、前の部屋での認知上の優希の言動から、優希もどこまでかは知らないがこの1年の記憶を持っていると言ってもいい。

 

ニュクスを封印すれば魂を使うので死ぬこと。

 

それが原因で湊と奏子が死ぬ事を知っている。否、記憶を失っているので()()()()()、ととるのが正しいのかもしれない。なんとか思い出したと自己申告した今でさえ、大人しく待とうとしていたのだ。完全には記憶が甦ってないとみていいだろう。

病院で言っていた「湊と奏子を救わなくてはいけない」という言葉も、恐らくあの時の優希自身は分かっていなかったのだろうがその事を指していたのだ。

そう、湊は推理した。

 

「たぶん認知上の優希が話してた事が大体本心なんだと思う。だからあんな無茶を…いや、僕もか」

「エッ、お前も?」

 

僕も、と言った湊の言葉に順平が目を見開く。

 

「たぶん、奏子と優希が居なかったら僕も『生きてるのも死ぬのもどうでもいい』って思ってたかも。全部がどうでも良くて、リーダーとか全部成り行きで引き受けて、それで終わってたと思う」

「あー…確かに、ありそうだよな。で、オレがセンパイにやったようにお前に当たり散らしそうだわ」

「僕や奏子に当り散らした場合はしばらく尾を引くよ。12月くらいまで」

「12月ゥ!? なんだよその実際に見てきたみたいな発言!? エッオレそんなにイライラしてんの!? や、なんかゴメンな…トートツに申し訳なくなってきたわ…」

 

1回目、優希が居なかった事により実際に体験したから、とは言わない。

兄が引越し当日に亡くなってしまい多少神経がささくれ立っていたのもあったのかもしれないが、1回目で湊は順平と衝突を繰り返した。

とは言っても湊から順平に何かするという訳ではなく、絡んでくる順平をウザがったり自身や奏子に突っかかってきた順平に対し棘のある言葉や態度で返していただけだった。

それでも屋久島や夏祭りといった行事を挟んで仲を徐々に深めていけたので湊は順平が悪いヤツどころか良いヤツなのをちゃんと知っている。

 

特別な事にこれまで巻き込まれて来なかったどこにでもいるような等身大の高校生だからこそ、泣いたり笑ったり怒ったり喜怒哀楽が年相応に出ているだけの話で。

余裕があればこうも他人を気遣えて冷静に周りを見ることが出来るし、ヒステリックさでいえばゆかりの方が激しいから気にしないでいい、と言った日にはゆかりに睨まれそうなので湊はその言葉を飲み込んだ。

 

「別にいい。あのさ順平、まだやってもないことを謝るのは良くないよ。やらなきゃ謝る必要ないんだからさ」

「それもそうか? なーんかもやもやすっけど、 これ以上やんねーよーに気をつけとくな」

 

『今回』の順平は多少ポカをやらかすがそれでも以前に比べて落ち着きがあり余裕もある。そして、より良い方向へと進んでいるようにも見えた。

 

「で、センパイの話に戻るケド。オレ、なんてっかここに来てあんなセンパイを見て怖いのもあんだけどさ、安心してんだよ。『ああ、センパイもちゃんと悩んだりする人間なんだな』って。むしろなんか、手を伸ばしてやんねーと、って思っちまって……あ、怒るなよ!? 悪い意味じゃなくて…なんてっか、奏子っち見てる時みたいな…」

「それはヤラシイ目で奏子と優希を見てるってこと? 順平のエッチ」

「だーっ! 違ぇよ! オレはチドリ一筋なの! それに奏子っちはともかくセンパイはお・と・こ・だ・ろ! 間違ってもねーよ! そそっかしいとか、危なっかしいって事が言いたいんだよ! 察しろってーの!」

 

順平のその叫びに「なんだ、そんなことか」と湊は納得した。もちろん、先程の言葉は冗談だ。いくら自分や兄が中性的な顔をしていようとそこまでだ。女ではない。

ただ、湊はそう思い返して最近の優希の表情の端々にアルバムで見た母のような面影を感じるようになってきたことにひっかかりを感じていた。

ぼんやりとしている時に時折、正気に返ったように慈しむような目で湊と奏子を見てくるのだ。

それは兄妹の情と呼ぶには逸脱している。かと言って、恋慕の表情でも無い。

まさに親が子に向けるような表情だったのだ。

声をかけるかしばらくすればまたぼんやりとした表情に戻っていたので優希本人にそんなつもりは無いのだろう。あれを意識してやっていると言われたら正気を疑うレベルだ。

 

優希は兄であって親ではない。

アルバムを見たせいだろう、とこれまで誤魔化していたが、思い返せば思い返すほど違和感は膨らんでいく。

なにか、兄のあのがらんどうになった精神を別の何かに上から塗りつぶされていっているような。芽生え始めた芽を傍からむしり取られているような。

そんなイメージを抱いたのだった。

 

(でも、もし全部思い出してしまったていたら)

 

どうすればいい、と湊はぬるくなったコーラの缶のプルタブを開ける。

そして中身を喉へ流し込めば、なまぬるいというのに痛いほどの炭酸が喉をチクチクと刺激した。

 

もし、優希が全てを思い出してしまったら。

そんな湊の心配は実は手遅れであることを湊は知らない。かつ、全て思い出したと申告してきてもペルソナがない今の優希には何も出来ないことを知らない。

 

そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

兄を救いたいと思いつつもこのループの出口が分からない湊は原因が優希であることを知らない。

『湊を救いたい』と願ったことが始まりだとは露ほども知らない。

だが、それを知るのも時間の問題。あと少しといったところだった。

 

──────

 

ごめんなさい。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

許してなんて言わないから。

こんなこと、許されることだとは思わないから。

 

だって、俺には力なんてない。才能もない。

 

助けられるいのちには限りがある。だから俺は取捨選択をした。

 

それで分かったんだ。

いちばん要らないのは、自分だったんだって。

 

──────

 

時間にして15分ほど。

真の姿はなんの悪魔なのか分からないが般若の面の男がアザミに連れられてやってきた。

少し疲弊しているようにも見えるその姿は哀れみすら覚えるほどだ。

恐らく、こってりとアザミに絞られながら鍵を探したのだろう。

それを見るに力関係はアザミの方が上か、と湊は思いかけるも明らかにビリビリと伝わってくる気配の質のようなものが男の方が上だった。

単純に、師とも呼んでいたので頭が上がらないだけか。

 

「鍵を見つけてきた。だが…」

「何を悩んでるんだい! 待たせたのはアンタだろ? ほら、さっさと渡してやりな」

 

男はやはり、前の部屋で会った認知上の優希の言った通り鍵を渡すのを渋っていた。が、戦闘になるほどでは無い。

それをせっついているのはアザミだ。

そこに、違和感を感じる。

普通、認知上の優希と同じく優希が作り出した存在であるなら、先ほどの部屋にいた認知上の優希が言ったように優希本人の意志をくんで邪魔をするはずだ。だと言うのに何故鍵をこちらに渡そうと促すのか。

そんな湊の疑問は同じ違和感を感じたらしいナギサが零した呟きによって解消される。

 

「あれ…? このアザミさん…認知上の存在じゃなくて…現実にいるアザミさん自身のシャドウ…?」

 

認知上の存在とどう違うのか分からなかったが、湊は何の変哲もない他人のシャドウが人の形を保っているということ自体に驚いた。

綾時だけが特別だと思っていた。それ以外は、みんなよく見る化け物のような姿をしているのだとさえ思っていた。

 

「あ、そっか…強い“後悔”をもってたから…心の海を通じてここに引き寄せられて……彼も彼で拒絶できなくて…でももう、先代くんは…」

 

ぶつぶつとナギサが何かを確かめる様に呟いているが湊にはあまり聞き取れなかった。

聞き取れたとしても、湊には理解が出来ない範疇の事なのだろう、と耳を澄ますことをあきらめる。

 

「渡すことに抵抗や不満はない。全てはなるべくしてなるのだから」

「なら渡せばいいだろう?」

「…渡す前に言うべきことがあるだけだ」

 

男は奏子に鍵を差し出す。

 

「目覚めの時は近い。じきに全て溶けあう。道化と月が視えぬ時に現れる()()()()()に気をつけよ」

「???」

 

かけられた言葉は何ひとつ意味が分からないちんぷんかんぷんなものだった。辛うじて、道化と呼ばれる存在と黒い仔山羊に気をつけなくてはならない、という事だけわかる。

 

「あ、ありがとうございます? でも、」

 

躊躇した奏子に男が首を横に振る。

 

「いい。これは()()()()()だ。先へ行け」

「もし現実のアタシにあったらここの事は秘密にしておいてくれよ。アタシだけバカ息子と一緒だなんて現実のアタシに知られたら大喧嘩になっちまうからね! 現実のアタシなら気合いでここに来ちまいそうだしさ!」

 

ナッハッハ! と豪快に笑うアザミは唐突に笑いを止めて声を潜めた。

 

「アタシは最後まであの子のことを信じてやれなかったからね。アンタたちはちゃんと信じてやるんだよ。絶対に、手を離しちゃいけないよ」

 

白んでいく景色の中で、そんな後悔の滲む声だけが響いた。

 

 

 

 

 

 

 

扉から出てきたと思ったら無惨にも桜は雨に降られ散っていた。

閉じられた空間の中だというのに豪雨が身体を叩く。これはどこかへ移動しないと休んで回復した体力まで削られていってしまうと判断した奏子は慌てて残った最後の小さな扉のノブを回した。

 

景色が塗り替わると同時に声が聞こえてくる。

 

『たすけて』

 

『だれか、たすけて』

 

それは短く、助けを呼ぶ声だった。3つ目の部屋を除く前ふたつの部屋で聞いた声よりもそれは幼く、か弱かった。

声はそこで終わり、聞こえなくなる。

 

最後の部屋は白い、無機質な部屋だった。あまり広くはないが、ぬいぐるみや積み木といった玩具や落書きの描かれた紙。毛布などが散乱している。

 

「子供部屋…?」

 

思わず風花がぽつりと感想を零せば、部屋の奥に落ちていた毛布がもぞりと動いた。

 

「…だれ…?」

 

舌足らずな寝起きの幼い声。

毛布がずるりと下に落ち、それを被っていた存在の姿が露わになる。

 

まんまるとした金の目に、無表情に近いぼんやりとした顔。

湊の髪型に近い短さで切りそろえられている藍色の髪。毛布にすっぽりと収まってしまうほどの小さい体躯。薄緑色の患者衣。

その姿は目の色以外は屋久島で見た書類にあった幼い優希そのもの──否、湊と奏子の記憶にある誘拐された当時の姿そのままだった。

 

「み、三上…か?」

「みかみ…? わかんない。ぼくは…ぼくはなんだっけ?」

 

美鶴が問うも、幼い子供は分からない、と言いたげに視線を落とす。

 

「お兄ちゃん、私たちの事は…わかる?」

「……? えっと、まってね」

 

うーん、と暫しの間考え込んだ幼い子供は、「あ!」と声を上げる。

 

「おとうさんとおかあさん!」

「惜しい」

「うん、惜しいね」

 

幼く無邪気な子供に違う、とはっきり否定することが出来なかった。

惜しいと言えばまた悩み始め、再び答えを出したらしい子供は今度は自信満々に鼻息をぷすー、と出した。

 

「おにーちゃんとおねーちゃん!」

「とっっっても惜しい! むしろアリでは?」

「ダメだって」

 

奏子が幼子可愛さに流されかける。

そして子供に近づいて毛布から出して抱き上げ、頬ずりをした。

 

「小さい頃のお兄ちゃん、とってももちもち…! 魅惑の柔肌だよ~!」

「ぼくが、おにーちゃん?」

「そうだよ~! 私と湊のお兄ちゃんだよ」

「えへへ、ぼく、おにーちゃん!」

 

奏子と幼い子供の微笑ましいやり取りを見ながら、ナギサがそっと子供に近寄った。

 

「“(なぎさ)くん”、あたしがだれか、わかるかな?」

「うん! わかるよ! ノーちゃんはノーちゃんだよね!」

「せいかい。良かった。まだそこまで消えてなくて」

 

安堵したように悲し気に笑ったナギサは面々に向き直る。

 

「…最後の鍵はこの子自身。ユーキくんのシャドウだよ」

 

最後の鍵。

ナギサのその言葉に面々は息を飲んだ。

先ほどまでに手に入れた3つの鍵とは違い鍵の形をしてないじゃないか、という気持ちと共に優希のシャドウと聞いて疑問が湧く。

 

「三上先輩の、シャドウ? 認知上の三上先輩とは違うの?」

「違うよ。この子はもうひとりのユーキくん自身。このカダスを構成してる『核』だからこんなところに追い出されてるのは普通ならおかしい事なんだけど、ここを構成してる『核』がこの子からユーキくん本人に変わったと考えるとおかしなことじゃないの」

 

ナギサの説明によると、こうだ。

このカダスは優希自身がうち捨てたり忘れたもので構成されているが、それを制御しているのはこの幼子(シャドウ)なのだ、と。

だがそれは優希自身がこの空間に足を踏み入れ、奥まで進んでしまい主導権が変わったせいでそうもいかなくなったらしい。

 

「ですが、この子は…自分のことすら良くわかっていないようですが、本当に優希さんのシャドウなんでしょうか」

「間違いないよ。これが()()ユーキくんの認めたくない“自分”だから」

「どうして…こんな幼い子供が…」

 

アイギスには何故優希がこんな純真無垢だった子供の頃を認めたくないのかわからなかった。

ひとつ、思い当たるとすれば誘拐された後のころくらいか。

 

「やはり、優希さんは桐条で行われた実験が辛くて…」

「ちがう、違うの。ユーキくんが認めたくないことは、それじゃない」

 

優希自身は、この頃の記憶が認めたくないわけではない。思い出したくないと思っていたのと酷い拒絶反応があったのはヒュプノスが思い出さないようにとわざわざ記憶を封じ込めていたせいだ。

まだ記憶を失っていなかった事故後に被験者扱いされていたころも、正常とは言えなかったが精神は崩壊しきってはいなかった。

あの日、幾月によって逃げ道を防がれた状態でカミングアウトされたせいで今まで抑えていたものが濁流の様になだれ込んできて耐え切れずに崩壊しただけで。

エピソード自体はショッキングなものだったがゆっくり呑み込めば優希は折れずに済んだはずだった。

『前回』の優希が『これまで』の優希の与り知らぬところで歩んだ一年で、同じように記憶を取り戻しても精神が崩壊し『かけた』だけで済んだのはそのせいだ。

そんなことは知らないが、とにかく違うのだとその”見たくないモノ”の正体を知るナギサは首を横に振る。

 

「?」

 

そんなナギサを子供は不思議そうな顔で見ていた。

現状をなにひとつ理解できていないのは、この幼い兄のシャドウもだ、と何となく湊は思った。きっと、自分が鍵であることすらよくわかっていないんだろう。

 

「この子と一緒に外に出ればいいよ。ここには…いまなら悪魔もいないし、アイツもわざわざ邪魔はしてこないだろうから」

 

これ以上ここにとどまる必要もない、と外に出ることを促すナギサの声と共にぞろぞろと面々は出口の扉へと歩き出す。

その途中、湊は壁に貼り付けられている一枚の絵にふと視線が向いて立ち止まった。

 

(……?)

 

それを手に取る。

『ともださ』という文字と縞々の服の子供と患者着を着た子供とネズミとクマが描いてあった。恐らく『ともだち』、と書きたかったのだろう。そんな幼い子供特有の下手糞な字と共に書いてある縞々の服の子供に湊は既視感があった。

 

「ファルロス…?」

 

子供の落書きなので正解かどうかわからなかったが、縞々の服の子供の目は青いクレヨンでぐるぐると描かれていた。

どうして幼い兄の描いた落書きにファルロスらしき子供が描かれているのか。ファルロスは幼い兄と共にいた誰かをモデルにしていたのか。そして、隣に描かれている白い子供は誰なのか。

湊の中で疑問が渦巻いた。

 

「ねえ、知りたい?」

 

そんな湊の背後から少女の無邪気な声が問いかける。

 

「!?」

「ミナトおにいちゃんっていうのね。ユーキおにいちゃんについて、知りたいんでしょう?」

 

湊が振り向けば、赤と黒の人形を抱え、くすくすと鈴を転がしたように笑う西洋人形のような少女がそこにいた。

湊はその少女に見覚えがあった。

 

「アリス…?」

「そう、ありすはアリス。ユーキおにいちゃんのともだちよ!」

「友だち…?」

 

死神のアルカナに属するペルソナの“アリス”に瓜二つな少女は己をアリスだと名乗った。

まさか、優希のペルソナにもアリスがいたというのか、と眉を顰めた湊にアリスは笑みを深める。

 

「ちがうよ? アリスはね、ユーキおにいちゃんに殺されたの」

 

優希に殺された。

その言葉の意味に湊は息を飲む。ペルソナでないのなら、兄はよく似た同じ名前の少女を殺したことになる。

一体何の理由があって、と引くりと口の端をひきつらせた湊は、ひとり部屋に取り残されていることに気がついていない。

 

「ミナトおにいちゃんもユーキおにいちゃんみたいな勘違いしてるのね! いいわ! 教えてあげる! いまのアリスはとっても気分がいいの!」

 

湊の心の内を呼んだように笑う少女は明らかに人ではない。どちらかといえば──そう、ふたつ目の扉であった認知上の優希に近い異質さを感じる。

 

「ワタシはね、ユーキおにいちゃんをオトモダチにしようとしてー…ユーキおにいちゃんのお友だちも殺したから、怒っちゃって。それで殺されたの! 赤おじさんと黒おじさんもよ!」

 

そこまで言って、アリスは急に無表情になった。

 

「その絵の子はね、ユーキおにいちゃんとずっと一緒にいた子よ。でもね、ミナトおにいちゃん。ユーキおにいちゃんから、目を離しちゃだめよ? もしかしたら、ママにぺろりと食べられちゃうかも!」

 

また、意味の分からない事だ。

先ほどの般若の面の男と言い、このアリスといい、湊たちにはわからない抽象的な言葉で忠告してくる。

はっきり言えないのか、はっきり言う必要がないのか。いずれにせよ、アリスという少女はまた面白がるようにくすくすと笑っている。

 

「“ママ”…?」

「そうよ。ママ。ミナトおにいちゃんもみたらわかるよ。アリスはユーキおにいちゃんがこのままママに食べられちゃうのは嫌なのよ? だから、教えてあげたの。だって、アリスが欲しいのはユーキおにいちゃんだけなんですもの。あんな怖いモノ、要らないわ」

 

訊き返してみたがアリスにしか理解できない事柄だったようで、湊には理解できない内容だった。

分かったことは、絵に描かれている2人の子供は優希とずっと一緒にいたこと。

この少女はただの人間ではないこと。もしくは悪魔だということ。そして、兄の友人が巻き込まれ、死んでしまったこと。それに対し激昂した優希がこの少女を殺したこと。

それだけだった。

もうこれ以上付き合ってられない、と湊は扉へと急ぐ。幸い、アリスには湊を妨害したり殺そうとする意志は無いらしい。

ここで時間を食わなくて済むのはありがたい、と思いながらドアノブに手をかければ、くすくすとまた笑い声が聞こえてきた。

 

「──ユーキおにいちゃんに、よろしくね?」

 

ねっとりとしがみつくような執着をにじませたその声に、湊はぞわりと悪寒を感じた。

兄は一体何に執着されているというのか。黒い靄といい、あの少女といい、誘蛾灯のように”よくないもの”を引き寄せる兄は一体何なのか。

湊の中でじわりと疑念が鎌首をもたげた。

 

 

 

 

 

 

 

時は2日程前に遡り、港区から離れた某所の産院にて。

朝倉の元で休んで怪我を回復させた藤堂尚也は神取や謎の教主についての調査を一旦止め、別の事について調べていた。

影時間やシャドウなど、桐条のやらかしたことについては既に纏めて雇い主である南条圭──なんじょうくんに送ってある。書類を送ったと連絡した電話の向こうで疲れたような声をだして答えたなんじょうくんのふかーい溜息はまだ耳にこびりついていた。

しかしこの調査は依頼されたものではなく、あくまで個人的なものだ。

 

有里渚(三上優希)

ペルソナ使いであり桐条の実験を受け、心に酷い傷とトラウマを負ったという少年。

そして、麻希曰く神取に魅入られているという存在。ひとめみたときから危うさを感じていたが先日朝倉医院で見た時の優希の様子は尚也の『桐条のこと以外にもなにかある』という疑念のようなものを酷く刺激した。

そのルーツを探すためにまずは産院を訪れていたのだ。

 

「有里さん? ええ、ここの産院で出産されてますよ。男の子と──男女の双子ちゃんですね」

 

受付にいたスタッフに話を聞けばまだ書類が残っていたようでスラスラと答えてくれた。

が、

 

「あ、でも…」

 

と女性のスタッフは言い淀む。

 

「何か問題でも?」

「いえ、一番最初の男の子の欄が…“死産”、となってますね」

「死産…?」

 

尚也は眉を顰め訝しんだ。

どういうことだ。三上優希こと有里渚はちゃんと存在している。養父母である三上夫妻が行った遺伝子検査の結果でも間違いなく双子の姉弟との繋がりが確認されたと書いてあった。

そして兄妹の数は3人。もしかすると、有里渚の前にもうひとり死産した子がいたのかもしれない。たまたま、長男だけ別の病院で出産したのかもしれない。

どうかそうであってくれ、と尚也は祈りながらあることを聞いた。

 

「その死産した子供の出産日は…分かりますか」

「えーっと、1991年4月4日ですね」

 

書類をめくりながらそう事実を淡々と告げたスタッフに、尚也は頭がおかしくなってしまいそうだった。

開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったかのような、触ってはいけない藪をつついてしまったような。そんな気持ちになったのだ。

 

1991年4月4日。

それは、間違いなく戸籍上の有里渚(三上優希)の生年月日と一致している。

これで有里渚と言う存在が生まれる前にいた死産した兄妹、という線は完全になくなった。だがまだそれが本当かわからない。何かの手違いで書類上そうなっているだけかもしれない。

尚也はまだ()()()()可能性に縋りたかった。

 

「当時の事を知る医師か助産師がいたら教えてほしい」

「…そういうのはちょっと…あ、でもベテランのユキエさんならもしかすると…今お昼だから、ってちょうどいいところに! おーい、ユキエさ~ん!」

 

スタッフが手を振ってひとりの女性を呼べば、白衣のまま年配の女性が歩み寄って来る。

白髪混じりの灰色の髪を纏めたふくよかで優しそうな女性だった。

 

「なーに? 山本さん」

「この人が18年前に息子さんを亡くされた有里琴音(ありさとことね)さんの事について知りたいっておっしゃってて…」

 

有里琴音。

その名前を聞いた助産師は即座に険しい顔になったが悟られまいとすぐにその表情を元の物に戻した。

 

「……わかったわ。ちょっと外にでてくるわね」

「はーい」

 

ガサゴソと白衣を脱ぎだした助産師──ユキエに、尚也は話を聞けるのだと確信した。

それと同時に、それが良くない話題であることも、ユキエという人物に即座に18年前の記憶を思い出させるほどの案件であることも想像に難くなかった。

 

「さて、どこから話せばいいのかしら? 探偵さん」

「俺は探偵じゃなくて、」

 

人気のない喫茶店。

ジャズが流れるそこで、尚也とユキエは向き合っていた。

探偵ではないと否定した尚也に「人の事情を嗅ぎまわっているのだからどちらでも変わらないでしょう?」と笑ってコーヒーを飲んだユキエは強かだった。

 

「……当時の事を」

「良いわよ。どこから話せばいいのかしらね」

 

そう言いながらユキエは話し始めた。

 

「そうね…彼女は毎日毎日、大きくなるお腹を慈しんで、旦那さんも素敵な人だったわ」

 

語られたのは有里琴音という女性がどれだけ生まれてくる長男を楽しみにしていたか、という話だった。

 

「元から琴音さんはあまり身体が強くなかったそうなの。だから、あの産院に出産前から入院して経過を見ていたのよ」

 

兄妹の実の母親である有里琴音の身体があまり強くないことは調査で分かっていた。

旧姓・倉橋琴音は名家倉橋家の出身であり、現役当主が可愛がっていた一人娘だったと聞く。

結婚相手の有里朔也(ありさとさくや)はしがないミュージシャンだったがあの偏屈爺で有名な倉橋翁にも認められたほどできた人間だったらしい。ただし、本心であの狡猾な倉橋翁が有里朔也を認めていたかどうかは知らない。ただ利用価値があったと判断したのか。それとも別の理由があったのか。

今となっては既に分からない。

 

「旦那さんも旦那さんで毎日奥さんである琴音さんの元に通ってふたりで産まれる子供を楽しみにしていてね。院内でもおしどり夫婦として有名だったの! それこそ、私たちがこうして覚えているくらいにはね」

 

当時の事を思い出し、思わず笑みがこぼれたらしいユキエはしかし、次の瞬間には暗く悲しげな顔になる。

 

「……出産の日だったわ。出産前の事前検診では琴音さんも産まれてくる予定だった赤ちゃんも健康体そのもので問題なんかなくてね。出産は無事にいくんだとみんな信じ切っていたわ」

 

でも、そうはならなかった。

 

「ダメだった。琴音さんは頑張ったわ。でも、産まれてきた赤ちゃんはピクリとも動かなかったし泣かなかったの。…懸命に息を吹き返そうとみんな手を尽くしたけど…ね。それからよ。琴音さんがおかしくなってしまったのは」

 

「よくある話なんだけどね」とユキエは続けた。

ユキエが言わんとしていることは尚也にもわかった。子を失った親というのは一瞬にしてその精神のバランスを欠く。

産まれてくることを望み、楽しみにしていた第一子を失い、気が狂ってしまったと言われるのも仕方ないだろう。

 

「琴音さんは赤ちゃんを…渚くんを失ってから塞ぎこんで、退院の日も渚くんが死んだことを受け入れられなかったの。ここまではほんとうによくある話よ。まだ、ね。ご遺体は琴音さんがまだ入院している間に旦那さんがひとりで火葬場に持って行ったっていうのはきいたんだけれど…本当におかしかったのはその後よ」

 

ユキエはコーヒーを口に含んだ。

 

「…おかしかった?」

「一年後、くらいかしら。琴音さんが双子を妊娠してまたうちにやってきたの。そしたら、居たのよ」

 

なにが、と訊くための尚也の喉は張り付いていた。つ、と冷や汗を流しながらミルクを入れたコーヒーを一口無理やり喉へ流し込む。

ユキエはまるで怪談でも話すように声を潜めた。

 

「──死んだはずの渚くんが」

 

尚也は即座に疑問を覚え、口を開く。

 

「赤子が息を吹き返した、ということは」

「あるわけないでしょ。色々処置をしてご遺体を引き渡したのは産後2日ほど経ったときよ。死後数日たった遺体が生き返るなんて…怪談でもないんだから」

 

それもそうだ、と尚也は納得した。そして、この助産師や医者の死亡確認に“間違い”が無かったことも。

 

「私、あの子を見たときに死んでしまった渚くんそっくりな子を渚くんの代わりとして病んでしまった琴音さんがどこからか攫ってきてしまったのかと思ったわ。でも目鼻立ちが琴音さんや旦那さんそっくりだったの。怖いくらいに。元通り明るくなった琴音さんや旦那さんにそれとなく聞いても、『息子は死んでませんけど』って怪訝な顔をされちゃったし、私たちの頭がおかしいのかと思ったくらいよ」

 

明らかに有里渚の出生に関することでなにか異常なことが起こっている。

遺体を渡したことから生きていたのに死んでいたことにするメリットが産院にもないためその線は無いとみて良いだろう。確実に、生まれた赤子は死んでいた。取り替え、という線も考えたがそれでは1年後に現れた有里渚だと言われている存在の説明がつかない。

ただ、遺体を火葬したのは夫だというが有里家の墓にも倉橋家の墓にも渚の文字はなかった。ならば骨壺は、“死産した本当の有里渚”の遺体はどこに消えたというのか。

現れた有里渚──三上優希は一体どこの誰なのか。なぜ、遺伝子検査の結果で血のつながりのないはずの有里湊と有里奏子との血縁を、そして実の両親とされる2人との血縁が証明されたのか。

夫である有里朔也は遺体をどうしたのか。

 

神取との関係性を調べるつもりが、とんでもないものが出てきてしまったと尚也は夏でもないのにじっとりとした空気と寒気を感じてゾッとした。

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