君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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その理由(11/14)

11/14(土) 朝

ぱちり。

目を覚ます。そう、()()()()()に。

カーテンをあけ、まだ薄暗い外を見ながらカレンダー付きの時計を確認した。

11月14日。午前6時ちょうど。

それを確認しながら朝の準備を始める。

いつも通り髪を結ぼうと鏡の前に立てば、伸びてしまった髪が目につく。

定期的に髪を切りにいっていたがそれを最近怠っていたせいで肩につくかつかないかくらいだったのが完全に肩についてしまっている。ちょっと余ってるレベルである。

この際、心機一転にバッサリ切ってしまった方がいいかと悩みながら10分とかからずにもう慣れたそのルーティンを終え、寮の自室を出た。

眠気は無い。欠伸を噛みしめることもないな、と思いながら階段を降りる。

 

寮のラウンジにはまだ誰も居ないようだ。

恐らく皆まだ寝ているのだろう。

朝とはいえ、朝食にはまだ少し早い時間だ。もしかすると、真田くんはこの暗い中毎朝の走り込みに行っているのかもしれないが。

キッチンを覗けば、荒垣くんが朝食を作っている最中だった。

 

「おはよう」

 

いつもと変わらない声色を装いながら挨拶をすれば、荒垣くんは目を見開いてこちらを見つめてくる。

 

「どうしたの?」

 

それに、とぼける。何の問題もないのだからこう言ったって不自然ではない。

 

「あ、ああいや…変なとこはねえか?」

「…? ないけど、どうかした?」

 

直接訊いてこない、という事は()()()()()()だ。自分から尻尾を出す必要はない。

冷蔵庫の扉にフックで引っ掛けてあるエプロンを手に取り、脱いだ制服の上着をダイニングの椅子の背もたれにかけてから被って袖を捲った。

 

「手伝うよ」

 

そうやって、しれっと横に並ぶ。

本当はうれしくて小躍りしたいくらいだけれど、ここで突然笑い出しても怪しまれるだけだ。

はっきりと、なにからなにまで全部思い出したお蔭で最後のピースがかっちりとはまった。あと少しの辛抱だ。もう少ししたら、全部終わる。湊たちの手を煩わせることなく。

よくわからないところに放り込まれたのは癪だったが、あそこも自分の勝手知ったる領域と言えばそうだ。その自覚もなく、忘れていた自分が悪い。

 

「聞かねえのか」

 

無言で差し出された調味料と卵の入ったボウルを受け取り、それを菜箸でかき混ぜていると、ぽつりと荒垣くんがそう言ってくる。

 

「なにを?」

 

正直、何を訊くべきなのかわからないし訊きたいことも特にないのでまたとぼける。

思い出すべき記憶も得るべき情報も総て得た。

“モルフェ”が居なくなったことも、居なくなったその理由も。だからきっと訊く必要はない、はずだ。たぶん。

 

「…いや、わからねぇってんならなんでもねえ」

「ん」

 

軽く返事すれば荒垣くんは苦虫をかみつぶしたような顔になった。

自分が薄情なのは今に始まったわけではないがこうもあからさまに罪悪感があるような顔をされるとこちらも良心の呵責が起ころうというものである。

混ぜ終わった卵液を油をひいて熱されたフライパンに落としていく。

 

「身体の調子はどうなんだ」

 

言われて、卵の焼き加減を見ながら確かめる。

怠さは無いしどこか痛いという事もない。熱もない。変な動悸もしない。身体の冷えはあるが健康そのものだ。

 

「悪くないよ」

 

くるり、と焼けた卵を丸める。少し箸で押さえながら焼き目をつけてまた丸めた。

 

「……どこまで覚えてやがる?」

 

その問いに、一瞬ぴたりと箸を止める。

どこまで。どこまで話せばいいのか。たしかに、そこは悩みどころだ。

なので無言で首を傾げた。さも分かりませんよと言うかの如く。

 

「朝起きて、1日過ぎてたっつーのに疑問を覚えなかったってのか?」

「いや、また俺、倒れたりしたのかなって…」

「てめぇは……いや、いい」

 

声を低くした荒垣くんにそう答える。

なんら間違っていない。嘘でもない。あの日、自分は倒れた。それに間違いはないし実際に今回は倒れまくってる。

そして荒垣くんの口ぶりから、荒垣くんはこちらがそのまま一昨日からの続きだと思っているのだろうから、その言葉に乗らせてもらう。

もうあの堅物じみた『自分』は居ないけれど。

 

あれは、自分という散らばった欠片を集めるために、過去の事実を事実として客観的に受け止められるよう、『前回』の自分か恐らくフィレモンのどちらかが保険としてフィルターをかけた物と言うべきか、なんというか。今となってはもう必要ないものだが。

普通の人間が住む場所と座標をひとつずらすことによって、感覚をズラすフィルターをかけ、客観的に物事を見られるようにということらしいが、客観的に物事を受け止めるどころかほぼ廃人状態だったのはどうにかならなかったのだろうか。おかげで多方面に余計な心配をかけてしまったし黒歴史を量産したような気がする。

なにか変な事を口走ってないことを祈ろう。

 

そこまで考えて、廃人状態だったのはフィルターのせいではなく精神的ショックのせいもあったんではないかと思い当たる。

フィルターと言っても見たいものがあるなら座標を合わすだけでいい。つまるところ、触ってたアレコレのような確認作業がそれだ。チューニングと言ってもいいかもしれない。

それをしていてもなお、ぼんやりとしていたのは精神がぐずぐずに崩れていたからなのだろう。憎むべきは幾月のあん畜生という訳だ。

 

綺麗に焼けた卵焼きをまな板の上に置き、冷めるのを待つ。

先程の問答から荒垣くんは黙ったままなので、話題を変えるべきか、それともこのまま黙ったままにしておくか悩んだ。

が、自分は別にめちゃくちゃおしゃべりという訳でもないし純粋に話題がない。

「ヘイ荒垣くん! 最近奏子とはどう?」なんて訊けるわけなければ言えるわけもない。

自分にはそこまでの度胸もない。

なので沈黙を貫きつつ冷えてきた卵焼きを包丁で切って皿に乗せていく。

 

さっきの思考の続きをしよう。

散らばった欠片を集める云々は結局カダスで無意識にフラフラと歩いている間に完了してしまったみたいで納得がいかないがフラフラと歩くような精神的な『隙間』。いや、『それが入り込む余白』がどうやら必要だったらしい。

だから結果としてあの堅物じみたなんにもない空きの多い素直な…素直か? いや、素直なんだろう。とにかく素直な性格で良かったらしい。

変に個性に芽生えていたら元の自分の個性と新しい自分の個性がぶつかり合って大変な事になっていたに違いない。おーくわばらくわばら。

ちょっと芽生えかけてたので影響を受けてないとは言えないが、大したものでは無い。はず。

 

本来なら周りの手を借りながらゆっくり時間をかけて記憶を取り戻したり、傷を癒していくところだったのだろう。が、些か時間が足りなかったようでこのような強行手段に出たらしい。まあなんというか色々と不便だったのだと思う()()()にしても、こちらにしても。

このあちら、と言うのは誰なのか知らないが恐らくあのローブを着た奴なんだろう。

道中で変な奴に口の中と喉を舐め回すようにかき混ぜられた気もするがアレは正直な話無かったことにしたい。アレはノーカンだと思う。というか()()()()()()()()()()()()()()()()()()。カダスに迷い込んだはぐれ悪魔だったのだろうか。

 

というか、その後のグラグラ揺れてた自分の決心も元に戻り、臨時のプランも失敗したのだからもうどうでもいい。

落ち込んだり元気になったり忙しいやつだと思われるかもしれないが、切り替えくらいはすぐにしないと間に合わない。

だから結局のところ、千鶴さんのことも色々明かされた衝撃の事実も引きずってるっちゃ引きずってるが、過ぎたことは過ぎたことだ。一晩寝て、つつかれなければ意識しない。

刺激されなければ別に耐えることは出来る。きっと。

刺激されたその時は──女々しいが、ちょっと泣いてしまうかもれない。鍛え上げられた(はずの)表情筋は実はまだ熟練度が足りないのか湊並みのポーカーフェイスは披露してくれないのだ。

まあ、湊がああなってしまった経緯と原因を考えると喜べるものでは無い。自分が原因なら尚更。

 

「汁物は味噌汁でいい? …あ、冷凍庫に入ってるカット大根使うね」

「ああ」

 

素知らぬ顔でガサゴソと台所に備え付けられている業務用冷凍庫の冷凍庫部分を上半身を突っ込みかねない姿勢でまさぐりながら訊けば、短い返事が帰ってくる。

とりあえず目についた大根と油揚げは確定として、鮭を入れたい気分ではある。

食欲が出てきたら途端にこれだ。酒粕があるならそれを使って粕汁でも良かったかもしれないと考えつつ、しかし如何せんものぐさなので鮭フレークでいいか、と冷蔵庫部分の扉を片手で開け、味噌とビンに入ったそれを出してお湯を沸かす。

出汁入り味噌でよかった、と安堵しながら沸いたお湯を一旦止めて味噌を投入する。一人暮らしだったなら火を止めずにそのまま味噌も材料も全部投入してたかもしれないがこれは美鶴さんやみんなも食べるものだ。少しくらい気は使わないといけない。

この際、鮭フレーク使ってるとかのツッコミは抜きで。冷凍庫と冷蔵庫に鮭の切り身が無かったのが悪い。

 

そういえば、荒垣くんは朝に弱く、とんでもない音の目覚ましを使っているらしいが隣の部屋であるにも関わらず自分はその時計の音で目を覚ましたことがないな、と思った。

真田くんはおそらくその前かちょうど同じくらいに起きるようにしているんだろうけど、寝ていて音が聞こえないという事はこの寮の壁が分厚いか噂に聞くような目覚ましでもないんでは無いか、とも思ってしまう。

それか、今の自分がとんでもなく寝つきがいいかのどちらかだ。

実は今月までは寝ているんじゃなくて“ヒュプノス”──モルフェに夢を見て記憶を思い出したりしないよう、強制的に意識を落とされていたというのがオチだった。

昼寝や自分の意思で寝入った時も寝入った後にかなり深い眠りに落とされていたらしい。相当な念の入りようだ。

どうりでモルフェや影時間に関すること以外殆ど途中で目を覚ますこともなければ意識が途切れたみたいにスッキリ眠れるわけだと思ったらそういうことだったらしい。

ある意味で、快適な最強の睡眠だった。

ただ今日も鳴っていると思われる目覚ましの音で途中で目を覚まさずに、6時ちょうどに起きたという事は自分本来の寝つきも良いのかもしれない。

それとも、身体が習慣化されすぎて勝手に深い眠りに落ちるようになってしまったとかだろうか。

 

(うーん)

 

わからない。わからないので考えるのをやめよう。

 

荒垣くんの方を見れば朝食のメインディッシュである鯖が焼けたらしく、大きなオーブンからそれらを取り出していた。ご丁寧に大根おろし付きだ。他にもきんぴらとおひたしの小鉢つきだったりする。

こんな品数の多い毎日の食事を荒垣くんひとりで作ってると思うと尊敬に値するとともに10月の自分グッジョブと言わざるを得ない。勿論、荒垣くんが生きることを諦めなかったことと朝倉先生の尽力、そして真田くんに天田くんと奏子の存在が大きかったのがある。むしろそっちが主な理由だろう。

そう考えると自分が自画自賛するほどの事をしたか? となって来る。してない気がしてきた。

 

「できたぞ」

 

荒垣くんのその声で、出来た朝食を2人分をダイニングテーブルまで運んで席について両手を合わせ、「いただきます」と一言。

のんびりと焼き鯖をほぐしていると階段を降りる音が聞こえ、反射的にそっちを見てしまう。

 

「…起きていたのか」

 

──美鶴さんだ。

大体朝食が出来た頃ぐらいに起きてくるのはいつものことなのでそこは気にならない。

 

「おはよう、美鶴さん」

「ああ…おはよう、三上」

 

挨拶をすれば、荒垣くんと似たような戸惑いがちな反応が返って来る。

それもそうか。今までまともじゃなかった奴が突然まともに戻れば戸惑うくらいはするか。

あまり自分も美鶴さんも騒がしくしゃべるタイプではなかった事に安堵しつつ、箸を進める。

美鶴さんはコチラを伺うようにちらちらと見てきていたが、その視線もすぐに手元の料理へと向けられる。そうなってしまえば美鶴さんも自分もあとは黙々と食べるだけだ。

 

「ごちそうさまでした。美鶴さん、お先です」

「あ、ああ…夜に話がある。予定を開けておいてくれないか?」

「わかった」

 

そう言って席を立ってシンクへと自分の分の食器を運べば、入れ替わりで調理に使った器具を洗い今から朝食を食べるためにエプロンを外した荒垣くんがキッチンから出ていった。お互い言葉は無い。

 

自分の分の食器を洗い、上着を着なおして階段を上っている途中で真田くんが帰ってきたようでバタバタという忙しない足音がする。が、自分はそれに立ち止まることなくそのまま2階へとあがった。

部屋に入ってもう一度歯を磨いて本当に通学するための準備を終え、時計を確認すれば出るにはまだ少し早い時間だったので鞄を持ってラウンジに降りることにした。

 

ラウンジに降りても真田くんの姿が無かったので風呂場にシャワーを浴びにでも行っているのだろう。冬場の朝はあそこ、お湯が張られていないせいで底冷えするんだよな、などとどうでもいい事を考えつつテレビを点けた。

 

『今日は平崎市にある矢来銀座の商店街に来ています! いやー風情のある旧き良きアーケードですね!』

 

テレビを点けるとちょうど朝のニュース番組でお天気お姉さんが商店街のリポートをしている場面だった。残念ながら夜の番組に出ているぼったくり素晴らしい回復施設を営んでいそうな人気リポーターのお姉さんではなかったが、別に気にするほどでもない。

 

『あっ! あそこに髪の毛をバッチリ決めた白いスーツのお兄さんが居ますね! ちょっと話を聞いてみましょう! おはようございます~!』

 

ソファーに座って目を閉じる。テレビを点けたが真面目に見る気もないのでBGM代わりにすることにした。電気代の無駄とかはこの際気にしない。

 

『へ!? 俺!?』

『お兄さん、お仕事なにされてるんですか~?』

『探偵やってます! ちょうどそこに事務所が──』

 

「──お兄ちゃん?」

 

ぱちり。

突然聞こえてきた声に目を開ければ、奏子が心配そうにこちらを覗き込んでいた。

 

「……、…おはよう」

 

挨拶を一言発してテレビを見れば先ほど見ていたお天気お姉さんのコーナーは既に終わっており、一瞬寝ていたのかと思ったが眠気は無かったはずだ。となると、考え事に没頭しすぎていただけか。

テレビに映し出されている時間も登校するにはちょうどいい時間になっている。

自分も登校しよう、と立ち上がろうとした瞬間、肩を掴んでソファーに引き戻された。

ソファーに自分を引き戻したのは後ろからこちらを覗き込んでいた奏子だ。

問うように見つめ返せば少しだけ、視線がずらされてまた戻る。

 

「おはよ! お兄ちゃん、今日は…朝倉医院だっけ? 学校に行くならそこで検査してもらってOK貰ってからだって」

「だれから?」

「桐条先輩。荒垣先輩やコロマルと一緒に行ってねって。ぜっっっったいに、1人でいっちゃ駄目だよ?」

「わかった」

 

奏子の様子も少しおかしい気がするがすぐになりを潜めたのでそれも気のせいだと流すことにする。

明らかにおかしい様子が続くなら訊いたり相談に乗ったりすることもやぶさかではないが、今のままならまだ静観していても許されるのではなかろうか。

内容にもよるが。たとえば自分が原因とか自分が原因とか。

 

「それじゃあ、いってきまーす!」

「いってらっしゃい」

 

結局、学校に行くという予定はキャンセルされてしまったので手持ち無沙汰になってしまった。

なので一旦荷物を置いて着替え、適当に部屋で時間を潰すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちはー」

 

朝倉医院に着いて、インターホンを押して声をかけながら荒垣くんやコロマルと一緒に中に入れば、ちょうど玄関で()()()()()が掃き掃除をしていた。

 

「いらっしゃいませー! お、ナギサ、何しに来たんだ?」

「学校に復帰したいから検診受けに来た。荒垣くんはいつものバイト」

「先生はいつもの部屋にいるぜ」

「ん。ありがとう、イズミくん」

 

何気ない返事をしたつもりが、イズミくんが小さく目を見開いた。そして、太陽の様に明るい笑顔になる。

 

「やっと敬語じゃなくなったんだな! なんか、昔に戻ったみたいだ」

 

止める間もなく、「タカヤ達に知らせてこなきゃな!」と箒を立てかけて奥へとドタドタと走っていったイズミくんに置いていかれ、ぽかんとしたまま立ち尽くす自分とため息をはいてコロマルの足をウェットティシュで拭う荒垣くんがそこに残された。

いや、元から案内無しでいつもの部屋に向かうつもりだったので関係ないと言えばないのだが、記憶を思い出したせいで無意識に被験者時代と同じような馴れ馴れしい話しかたをしてしまったのは失敗だった気がする。荒垣くんの向けてくる訝しむようなジト目が痛い。

 

「…奥、いこっか」

「ワン!」

 

このいたたまれない空気の中、コロマルの元気の良い返事だけが救いだった。

 

注射器の中へと抜かれていく血をぼんやりと見やる。

あのあとタカヤ達がたむろしているであろう部屋には寄らず、荒垣くんとコロマルとは別れ、直接朝倉先生を訪ねればそのまま診察室へと連行されてから問診を経た後様々な検査をして最後に採血ということになったのだ。

 

「気持ち悪くなったら言えよ」

「大丈夫です」

 

しばらく見つめていると必要な分の血を抜いたのか、注射の針が抜かれる。

そして、小さくたたんだガーゼを傷口に当てられ、テープが貼られた。

 

「おし、終わりだ。しばらく押さえとくんだぞー」

「はーい」

 

立ち上がり、少し離れた場所に採った血液の入ったシリンダーを置いた朝倉先生の声が飛んでくる。

それに適当に返事をしながら、考えることもないので沈黙を貫いていると朝倉先生が戻って来る。

 

「血液検査の結果は一週間後ぐらいにでるだろうからまたそん時来いよ」

 

そう言って、特に怒っている様子でも心配している様子でもない朝倉先生に大事なことを訊いてみる。

 

「あの、来週火曜から修学旅行なんですけど、行ってもオッケーですか?」

「あー…修学旅行、なあ…行ってもいいんじゃね? 検査結果も血液検査以外はなーんも悪いとこがねえ。()()()()()()だからな。けど、無理はすんじゃねえぞ。戦闘なんてもってのほかだからな!」

「はい」

 

口酸っぱく釘を刺してくる先生に苦笑いし、返事をすればぐい、と前髪を上げられた。

突然のことに思わず身を固めれば、「あー…」と唸りながら朝倉先生は顔を寄せてくる。そして、顔を顰めた。

 

「…やっぱ見間違いじゃねえな。この額の。どうしたんだ。コケたのか?」

 

忘れていた。

倉橋と名乗る変な爺さん──その実、血のつながった祖父だった男に殴られた傷だ。朝見たときにはもうカサブタを通り過ぎて治りかけていたのでバレないと思っていたのだが、ダメだったらしい。

 

「そんなとこ、ですね…なんていうか…ぶつけた?」

「ああ…」

 

詳しく話せばめんどくさいことになるのでぶつけたことにすれば、遠い目をして朝倉先生は納得してくれた。ある意味、杖に頭をぶつけたという事は間違いない。自分の頭が杖にぶつかるか、杖が自分の頭にぶつかるかの違いだ。うん。

 

「治りかけだからオレにできることはなんもねーがな、気をつけろよ?」

「はい。あ、タカヤ達が来てるって…」

「ああ、来てんぞ。検査もこれで終わりだし、ゆっくりしてってもいいからな。ただし、はしゃぎ過ぎるなよ?」

 

そこで会話が終わり、礼を言って診察室から出た。

 

 

 

 

「ナギサ、貴方変わりましたね。いや、“戻った”というべきか」

 

部屋に入り、コロマルを撫でながらたわいもない話をタカヤとしていれば唐突にそう言われた。たわいない、というか身体の調子はどうかとか幾月死んだぞとか影時間終わらなかったなとか。

紗耶ちゃんはお昼寝中。チドリは何かを描いているしジンはジンでノートパソコンを触っていて画面からこちらを離していないので話を聞いていないようだった。つまるところ、その感想を抱いたのはタカヤだけらしい。

 

「そう見える?」

「ええ。()()()()()のでしょう? 全て」

 

どうやら、よくわからないがタカヤには筒抜けらしい。

だがもう『繋がり』である“ヒュプノス”は自分の中にいないのに何故分かったのか。不思議に思って黙っていると、それを察してくれたのかタカヤが口を開く。

 

「あなたがあの日、あの男に害されたことも、過去実際になにがあったのかも調査済みです。あの男が死んだことにより遺された資料もこちらの手に渡りました。今は、あの南条から派遣されたという男の手にあります。我々にはもう不要ですからね」

 

なるほど、そっちにも自分の情報が纏められていたのか。納得がいった。

確かに、あれだけこちらを利用しようとしてベタベタ観察してきた幾月がそういったものを残していないわけがなかったのだ。

 

「…書類に書いてあるかどうかは知らないけど、あのクソ野郎が言ってたみたいに願い事を叶えるとか云々はできないからね。今はムリ」

「クソ…こほん。分かっています。そもそも、あなたは人間でしょう」

「ありがと。なんていうか、そういうこと言ってもらえると気が楽になる」

 

まったく、幾月のあん畜生は無茶ぶりが過ぎるのだ。

色々むちゃくちゃされたが自分はまだ人間だ。

それ以上でも以下でもない。だというのに願いを叶えろだの世界を滅ぼせだの、できるわけがない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

「あのクソ野郎の話はやめよう…気が滅入る…」

「あなたにとっては良い記憶ではないでしょうね。では、お望み通り話題を変えましょう。これから、“避けようのない滅び”が来るようですがどうするおつもりか、伺っても? まさか、何も手がないとは言わないでしょう?」

 

これまたざっくりと切り込んできたことに少し驚く。

タカヤはいつも抽象的な言葉で暗に匂わすだけかと思っていたからだ。こんなに直接的に訊かれたのはいつぶりだろうか。

ただ、残念ながら自分は誰かに話せる答えを持ち合わせていない。

 

「……ノーコメントで」

 

俺がペルソナを使えないことも知ってるだろ、と言う気持ちも込めて抗議の視線を送ればタカヤはやれやれと肩を竦めた。

 

「ええ、あなたはいま戦えない状態だとか。それも知っていますよ」

「ほんとになんでも知ってるんだなぁ…」

 

謎の情報収集能力に驚くばかりだ。チドリのメーディアの能力か、それとも寮に盗聴器でもあるのか。どっちにしろプライベートはガバガバの筒向けだという事だ。

じゃなくて。

 

「とにかく、なんとかするよ。なんとか、ね。だから、タカヤ達は何にも気にしなくていいよ。ただ、春になったらどうするとか元気になったらどうしようかとか考えといてよ」

 

そうやって、笑いかければ今度はタカヤが睨み付けるようにこちらを見てきた。

 

「そら…また難儀なこというなぁ…」

 

睨み付けてきたタカヤの代わりにぼやいたのはジンだ。パソコンの画面を見たままだったが、こちらの話を聞いていたらしい。

 

「──我々には生きろと言う割に、ひとりで死ぬおつもりですか」

 

底冷えするように低いタカヤの声がジンのぼやきの後に発される。

いま、タカヤは怒っている。それだけはありありと伝わってきた。

 

「そんなこと…」

 

言ってない。

 

「勝手に救って、勝手に生きる希望を見出させておきながら、自分だけ死に逃げようというのですか?」

「す、救ってない!俺はなにも…なにもしてない! だって、これは…タカヤ達が自分で掴み取ったものだろ!?」

「んうぅ…」

 

思わず叫んで立ち上がれば、紗耶ちゃんがベッドの上で身じろぎし、連鎖的に横でスケッチブックから顔を上げたチドリに睨み付けられる。

 

「ナギサうるさい。紗耶が起きちゃうでしょ」

「…ごめん」

 

そのまま大人しく座る。紗耶ちゃんを起こしてしまうのはこちらとしても不本意だ。

 

「先ほど、“自分は何もしていない”と言っていましたが…あなたはしていますよ。良いことも、悪いことも。全て思い出したのなら、御自分が夜な夜なシャドウを喰らうために彷徨っていたことも分かっているでしょう? “シャドウ喰らい”はふたりいた。あなたは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。違いますか」

 

お手上げだ。

そこまでバレてしまっていたのなら仕方ない。もう、隠す必要もない。

上手く笑えているのかはわからないが、笑みの表情を作る。

 

「……そうだよ。俺がおかしくなっていたのは、今年からじゃない。()()()()()だ」

 

『12時前には寝ている』なんて嘘だった。自分は、自分すらも欺いていた。記憶を書き換え、監視の目を掻い潜り、改竄した。

天田くんの母親が死んだその日も、自分は満たされない飢えと喉の渇きに“代わり”を求めてさまよっていた。そこで、荒垣くんのカストールと天田くんの母親から出てきてしまったシャドウが暴れているところに引き寄せられ──あとは天田くんが語った通りのことが起こった。ただ、それだけだ。

 

「自覚があるようで結構。それで、あなたはシャドウを喰らって一体何になるつもりですか」

 

「イズミは延命のためでしたが」とタカヤは付け足した。なるほど、もうひとりの“シャドウ喰らい”はイズミくんというわけか。だから8月、あの檻のような部屋にいたのか。

しかし何になるつもり、か。これもまた、返答するには難しい問いだ。

 

「うーん、やっぱり神様かな~! 崇められて供物も食べられる快適ニートライフ楽しそう」

「ふざけないでください」

「あ、やっぱダメ? じゃあ金持ちになってさ、こう…両手に花とかもいいよね!」

「意外と俗物的なのですね。ですが、訊いているのは稚児が垂れ流す将来の夢じゃないんですよ…」

 

はあ、とタカヤがため息を吐く。が、しみったれた空気をリセットすることはできたようだ。

そもそも、自分には湊と奏子とついでに世界を救うという目的以外ないのだから何になるんだと言われてもわからないし答えようがない。ついつい困ってしまって、頭の後ろを掻く。

 

「やー…わかんないな。いきなり何になりたいんだって言われてもさー…」

「なら、なぜあなたはシャドウを喰らっていたのです」

「さあ、飢えてたから、としか……ああでも、今はもうないのか。じゃあ、多分俺の中に残ってたデスの欠片──じゃなくてヒュプノスのせいじゃないかな。えーっと、デスの事は知ってるよね?」

 

訊けば、タカヤは頷いた。

 

「ええ。資料にも記載がありましたからね。成程、それのせいと言いたいのですね」

「そうなる。だから俺は、もうシャドウを食べることはないし安心してよ」

 

そして、その必要もない。

完成した物に余分なものは必要ないからだ。

死の宣告者(デス)は既に完成し、この世界に君臨している。なら、それ以上飢えを満たすためにシャドウを食べる必要はない。元々砕け散った12のシャドウを求めて飢えを感じ、それを補うためにイレギュラーシャドウを喰らっていたのだから。

 

「…そうですか。そうだといいのですが、ね」

 

心底、納得がいっていませんと言いたげなタカヤは不満げだ。

なら自分なり答えを言うしかない。納得するかどうかは別として。

 

「でもさ、俺は湊と奏子を救うためだったら神様だろうが悪魔だろうが、何にでもなるよ」

 

そう、何にでも。

 

だからこそ、邪魔はされたくない。

大人たちにも、ストレガにも、特別課外活動部にも。他の存在にも。

 

 

 

 

 

 

 

夕食を食べた後に「話がある」と美鶴さんから言われた通り待っていれば、全員がラウンジに集まって来る。

いつも通りと言われればそれまでかもしれないが、纏う空気が違う。

テレビさえつけず、誰も言葉を発することなく。ただただひたすら重い空気だけが流れている。

 

「単刀直入に聞く」

 

しばらくの沈黙のあと、意を決したような美鶴さんが口を開いた。

 

「…三上、きみがこの1年を繰り返しているというのは、本当か?」

 

ああ、なるほど。どこで知ったかはしらないが、ついに。

 

「──バレちゃったか」

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