好きだ、と言ってくれた美鶴さんに対し舞い上がりそうな自分がいる。
今すぐ抱きしめて、喜んで、「俺もだ」って言いたい。言ってしまいたい。けれど、表情を動かすことが出来ない。喜びの色を表すことが、できない。
「友達でも、仲間としてでもなく、私個人の気持ちとして、きみのことが好きなんだ」
だというのに美鶴さんはこんなにも自分を想ってくれている。
好きだ、という事は勇気がいることだ。先ほどわだかまりを解くようなことをした後とはいえ、こんな空気の中でそう言ってくれたという事は嘘偽りない気持ちなんだろう。
「嬉しい」と「どうして俺なんかを」という気持ちがぐるぐる回る。だって、つり合わない。俺と美鶴さんじゃ、つり合わないんだ。
「……秘めようと思っていた。許嫁がいる私が持つべきではない感情だから、と。だが、いま言わなければ…きっと、もう伝える機会は二度と来ないと思ってしまった」
美鶴さんの中でも、葛藤はあったらしい。そりゃそうだ。美鶴さんには許嫁がいる。
そして許嫁との結婚というのは家同士の取り決めのようなものだ。そこに個人の感情は含まれない。
できるなら、今すぐ許嫁から美鶴さんを奪って誰の目も届かない場所に閉じ込めてしまいたい。心だけじゃなく、身も。独り占めして、俺だけを見て欲しい。その全てを俺だけに向けて欲しいと思ってしまう。そんな感情がぐるぐると渦巻く。
でもそんなこと許されないしできやしない。俺には、どちらが美鶴さんの幸福なのかわからない。
いや、俺と一緒になれば確実に美鶴さんは不幸になる。それだけは確実だ。
だから、俺の答えは──
「…ごめん。俺は、美鶴さんの気持ちに応えることはできない」
目を逸らして爪が食い込むぐらいに拳を握り締めながらそう言えば、美鶴さんが大きく目を見開きそして目を閉じた。
落胆するような、諦めともつかない表情で彩られたその顔を一筋の涙が伝う。
「そう、か…」
泣かせてしまった。そのことが罪悪感となって襲い掛かって来る。
けれどきっとこれで良かったのだ。
「その理由は、私に許嫁がいるから…か?」
「……」
返事を返すことはできなかった。
そうだと肯定することも、そうじゃないと否定することも、今の自分にはできない。
「それとも、きみが……1月31日には、死んでしまうつもりでいるからか?」
「…っ」
どうして、なんて言葉も吐けない。
喉が張り付いて息が上手くできない。なんでそのことを知っているんだろう。そんなこと、『日付も決まりきった確定事項として』は言っていないというのに。
「私がきみに生きてほしいと思うのは…っ、傲慢なことなのか!? 私はきみが好きだっ! だから生きていてほしいと願うのもダメなのか? 私とて、君が私に私と同じような好意を抱くことを強要できないことくらいわかっている! 否定されることも予想していた…だが、私の隣でなくとも…生きてくれたっていいじゃないか…私は…もう、それだけでいい…!」
「…それは、無理だよ」
それ以外、何も言えなかった。
上っ面だけの「そんなことないよ」という言葉すら言えず、美鶴さんの不安を払しょくすることもできず。無能なまま。自分の意見だけを押し付けた。
美鶴さんの好意に応えるよりも、美鶴さんの「生きて欲しい」という願いを受け入れる方が自分には難題だった。
立ち上がって、部屋から出ていこうとする自分を美鶴さんは引き留めようとはしない。俯いて、ただただ沈黙していた。もしかしたら、泣いてしまっているのかもしれない。
けど、それでいい。これでいい。いっそのこと嫌ってくれ。恨んでくれ。暖簾に腕押しだと、俺に向ける好意すべてが無駄なのだと諦めて欲しい。
そうすれば、負うかもしれない傷は少しでも浅くなるはずだから。
11月15日(日) 昼
(寒い…)
寒さで目が覚めた。もぞもぞとズレていた布団を引き寄せ、くるまる様に再び潜り込む。
なんとなく、朝ちゃんと起きて朝食を食べる気になれなくて二度寝を決め込んでしまったのだったっけと思い出す。
布団から腕だけを出して枕元の時計をひっつかみ、布団の中に引きずり込むようにして見れば13時を過ぎている。寝坊にもほどがある時刻だった。
布団から出たくない。今出てしまえば冷えた部屋の空気に一気に体温がうばわれることこの上ない。ただでさえ低いのに、これ以上冷えて貰ったら困る。
何をするにもおっくうだ。外出をする気力もなければ読書をする気にもなれなかった。
なので、思考をぐるぐると回すことにした。予定の確認でもいいかもしれない。
昨日の自分は美鶴さんの告白を断って傷つけた。はっきり言って最低だと思うし謝らなければいけないのはわかっている。けれど、出来そうにない。顔を合わせることすら気まずいだろう。
夏に美鶴さんと観たロマンス映画なら、あそこで告白を了承し晴れて結ばれて問題が何もかもとんとん拍子に解決してハッピーエンドだったのだろう。
だが、そうはならない。これは現実だ。そんなわけにもいかない。
だから仕方がなかったんだ。許嫁から美鶴さんを奪ったあげく、その後すぐに死ぬ彼氏なんていらないだろう。他人の御家の事情をかき回すだけかき回して死ぬなんて許されない。例え、両想いだとしても美鶴さんは勘違いしているだけなのだ。
自分は美鶴さんに想われるほど出来た人間じゃない。狡く、汚い存在だ。だからこうして逃げ続けている。
そのくせ、“普通”の関係は続けていきたいだなんて狡い以外の何と言えるんだ。嫌われるなら嫌われた方が良いのに、自分はとことん臆病者なので予防線を張ってしまう。
(──ああ、そっか)
自分は、美鶴さんの事を『愛している』訳じゃない。単に、『好き』なだけなんだ。
“好意が持てる”。ただそれだけだった。そう思い込むことにした。
だって、閉じ込めて独り占めしたいだなんてそんな歪んだものが愛なわけがない。きっと、もっと他者へ向ける愛というものは綺麗なもののはずだ。映画の中のそれのように。
そう自覚した途端自分に対し、気持ち悪いという嫌悪感しか浮かんでこない。吐きそうだ。歪んでいるからどれだけ言われても、願われても、生きようとしない。美鶴さんの願いを優先しようとしない。
どこまでいっても自分本位。自分だけを愛している。
幾月が天文台で“パンタソス”に言ったことは何ら間違いじゃないだろう。ある意味、ニャルラトホテプの化身のひとりらしい幾月の言い得ていたところともいえる。
認めるのは癪だが、自分と幾月はよく似ている。
幾月は世界を滅ぼすことによって。
自分は、何度も時間を巻き戻しながら弟妹を救うことによって。
それぞれ自己愛を達成しようとしている。世界を巻き込んだ迷惑さはどっこいどっこいだろう。
だからこそ、似た者同士で同族嫌悪を引き起こす。自分が無意識に感じていた幾月に対する嫌悪感は、実験を受けていた時の物と同族嫌悪の二種類あったのだ。
似ていたからこそ、相容れない。相反するものになる。非常に似通っていても、まったく同じではないから。それぞれがそれぞれで認められないものがあったからぶつかっただけだ。
ごろりと寝返りを打つ。
気が滅入る思考ばかりしていたら落ち込むばかりなので気分を変えてこれからあることについて考えよう。
明日──月曜日に一度登校して、その次の日からは修学旅行だ。
荒垣くんから頼まれた土産を買い忘れないこと以外に修学旅行で気をつけることは特にないので懸念はないだろう。気を抜いて、ゆっくりのんびり観光だ。
シャドウの襲撃があるわけでもないし、危険はないはず。悪魔の襲撃は知らない
次にあるイベントと言えば22日のタルタロス前で起きるチドリやストレガとの戦いだがそれも今となっては起こりようがない。タカヤ達とは現在敵ではないし、伊織とチドリは相思相愛と言っても過言ではないくらいにイチャイチャしている…らしいから。起こるとすれば痴話喧嘩くらいだろうし、(チドリが伊織に手斧をブン投げなければ)命の危険はないはず。別に何か代替があるとしても誰かが死ぬようなことにはならないと思いたい。ただ、そうなると伊織のペルソナの覚醒がどうなるかというのは不安点だがもしかしたらそこも何らかのカバーが入るに違いない。そうならなくてももう大丈夫なところまで来ているが。
なら、問題は12月2日の満月の日だ。おそらくその日にアイギスは全て思い出す。
ムーンライトブリッジの上で全て思い出して、そして
大破することによって死にかけ、「死にたくない」と自覚するきっかけではあるがなるべく酷くならないように気をつけてあげたい気はある。かといって、できるかどうかは別問題ともいえる。
それに自分はその日の影時間に別に行くところがあるので皆と共にいけそうにない。ついでにいえばペルソナが使えないのに影時間に外出したとなれば大目玉を食らうこと間違いなしでもある。
なので別行動がばれないよう、出来ることならそのままアイギスも纏めて全員で影時間が終わるまで“ヒュプノス”と戦っていてくれる方が嬉しいのだ。双方に戦意があるかどうかは置いといて。
ただ、自分にとってはこの日が正念場だ。この日さえ、想定していること以外何事も無く過ぎれば湊と奏子の生存が確定する。1月31日まで待つ必要など、どこにもなかったんだ。
「くっ、ふふ…ふふふ……」
おかしくて、思わず笑いがこぼれる。
俺の、“勝ち”だ。
フィレモンや“奴”が何をしようと、もう覆らない。その前に地球を爆発させる、とかになったら流石に駄目かもしれないがそういう
今からその日が楽しみで仕方がない。まるで遠足の前の日の様に心が浮つく。
修学旅行の前々日と言う点ではある意味遠足の前の日、に近いかもしれないが修学旅行自体に浮ついた気持ちはない、はずだ。たぶん。
テンションが上がってきたことにより布団から出てもいいか、という気分になってきた。
修学旅行に持っていく物の準備もしなくてはならないし、そろそろ洗顔と歯磨きもしたい。
のそのそと布団から出て、欠伸をひとつ噛みしめた。
モコイさんという同居人がいなくなってしまった分、なにをするにも億劫になってしまった節があるが恐らくモコイさんと一緒にいて外出しまくっていた『今回』がおかしかったのだろう。
基本的に自分はインドア派だ。街を散策することはあれどもそれが終わってしまえば用があるときしか外に出ない。主に食べ歩きとか食べ歩きとか食べ歩きとか。
食べ歩きしかしてないというのはこの際気にしないことにした。
唯一積極的に外に出ていたのは──というより殆ど寝る以外に家に帰らなかったのはアパート暮らしかつ不良の真似事をして学校に行かなかった周ぐらいだ。外とは言ってもあの時は常にたまり場や薄暗いところにいた気がする。それも途中から寮暮らしになったので1年丸々というわけでもないが。
色んな可能性を探っている内にヤケになって興味本位からピアスホールを開けたりタバコを吸ったり飲酒をしたり喧嘩三昧だったり非行に走りまくってみた周でもある。
けど派手な非行は自分に合わなかったので二度としない。してない。あんなの、頭がどうかしてたに違いない。今過去の自分に出会えるなら頭ひっぱたいて「絶対にやめとけ」って厳しく言い含めたいくらいだ。
よくあの周は勘当されなかったなと思う。親不孝者にも程がある。もしかしたら養父母は知らなかった可能性もある。主に幾月が情報をせき止めてたとか。
でもまあ、悪いことをしたのに変わりはない。その非行のおかげで荒垣くんと繋がりができて巌戸台分寮に入ることが出来たとしても、だ。
不幸にした人が多すぎるしあの時は厨二病真っ盛りだったと言わざるを得ない。
恥ずかしすぎる黒歴史だ。絶対にこれだけは死んでも明かすつもりは無い。墓まで持っていく。
ちなみにタバコはめちゃくちゃ不味かったけどカッコつけて吸ってたし寮に入ってからは「寮に入ったから非行もやめたついでに吸うのやめました!」という建前でサッパリ止めた。ビールも無理。チューハイは美味しかったけれどジュースでいいじゃんってなったので1度きり。
その代わり棒状の砂糖菓子をポリポリ齧ってても生暖かい目で見られるだけで済んだ。困ったのは制服の臭いがタバコの甘い匂いだらけになったことくらいか。しばらくその匂いが抜けなかったのを思い出す。
人間関係は黒沢さんを含めた大人や美鶴さんや真田くんとか寮のメンバーからは不良だったからめちゃくちゃ評判悪かったしかなりギスギスした。
ギリギリ適正持ちってことと荒垣くんの紹介だからみたいなとこで首の皮が繋がった感じではある。元々寮のメンバーにあまり関わっていなかった周だからなのか、『今回』と違って一度も同じクラスにならなかった美鶴さんから明らかに信用ならないと言いたげな目で見られたのはあの時くらいだろう。見られても仕方ない行いをしたから妥当とも言える。ただ、同じような不良やどうしようもない掃きだめのクズ以外には手を出していなかったのでそこは許して欲しい。喧嘩を買っただけで売った覚えもない。
だから無関係で善良な人を殴ったりするほど自分は落ちぶれてない、と思いたい。
ヤケになった報いか針のむしろみたいな状況だったが、唯一、何故か知らないけどその周の湊だけが積極的に話しかけてきた気がする。湊にもこちらの記憶がなくて、自分はただの先輩で他人という関係だったのにかなりの頻度で部屋に来てたし屋上で隠れてタバコ吸う振りしてラムネを齧ってれば気がついたら横にいたし、とにかく行く先々で会っていたような気がする。自分は我関せず、といった感じで「好きにすれば?」って言うだけにして特に相手にしないようにしてたし、気にかけるにしてもこっそり気を使うだけで日常生活ではすぐ更生しても怪しまれるだけだったしイメージ通りの非行少年みたいな行動を心がけるようにしてたから気の所為かもしれないけど。
好奇心の旺盛な奏子ならともかく湊がこんなに近寄ってくるのは珍しいなと思っていたのだ。
ヤンキーとか不良に憧れがあったんだろうか。もしくは珍獣扱いか。どの周の湊も大抵は荒垣くんにも物怖じしないし、その可能性は大いにあるかもしれない。
「…あ」
そんなことを考えながら一通りのいつもの用意を済ませて荷物を確認していれば、『遺せる物』について何も考えていなかったことを思い出した。
ちょうどいいから修学旅行で適当にお土産として買ったものを──なんてことをしたらボッコボコにされそうなのでやめておこう。かといって、あまり思い出の篭ったものを遺しても重いだけだ。思いだけに。なんちゃって。
……。
自分でギャグを脳内で言っただけで寒気がしたのでやめておこう。幾月と自分は似ているのかもしれないが自分にオヤジギャグの才能は無かったようだ。
遺す物についてはなるべく役に立つものの方が良い、気がする。しかしあまり大きいものだと湊と奏子も困るだろう。
レシピ本とか良いんじゃないだろうかと思ったものの、自分の味というものがなく作れるわけが無いので却下。そういうのもなんだか重い気がしてきたし、形あるものを残そうとするのは凄く難しいと今更に気がついた。
特殊な処理をするにしても、しないにしても、あまり自分からの物だと悟らせないような、それでいて2人が持っていてもおかしくない違和感の少ないものを選ばなければいけないというのは難しい。
名前入りなんて論外だし、写真もアウト。
やはり、京都土産で適当な物を買った方が1番当たり障りなさそうな気がしてきた。どうにもこうにも滅びを受け入れるにしろ回避するにしろ記憶の修正は絶対に入るだろうから、記憶に残らないものの方が絶対に良い。何かのきっかけでこちらのことを思い出されて傷になったりしたら嫌だ。もし滅びを回避した後もギリギリ生きていたとして、今際に「死ぬな」って泣き叫ばれるのはもっと嫌だ。
死ぬ時はひっそり死にたい派なのだ。
出来ればベッドの上で、寝る前に「おやすみ」って挨拶してあっさり死にたい。持病の発作とか自然死に見せかけたい。ベッドの上はベッドの上でも病院のベッドの上は嫌だ。わがままだけれど、これくらいが1番自然な気がする。
でも確か、自宅や寮で死んだ場合は警察に連絡しなきゃいけないんだったか。事件性の有無うんぬんで。
それなら病院のベッドの上がいちばん迷惑がかからなさそうではある。
「!」
もしかして、自分が遺すべきなのはお金なのでは?
現ナマ。またの名を葬儀代。ううん、生々しすぎるような、そうでは無いような。親の立場からしたら嫌かもしれない。
これは難しくなってきたぞ。
パソコンでも立ち上げて「遺す 家族へ 死ぬ前」ってキーワードで検索した方がはるかにマシな答えが出てきそうだ。遺書とかオススメされそう。
それにしても、どうして辰巳記念病院の担当医も朝倉先生も『何も悪くない』『健康そのものだ』なんて言ったんだろうか。
持病も身体の不調も治った訳では無いんじゃないかと疑念を持ったのはついさっきだ。
健康になったのなら、体温だって元に戻るはずだ。なのに、冬だということを差し引いても今の自分の体温は低い。かといって、特有のだるさやしんどさはない。ならもう
数日前に体調がマシになったと喜んでいたが、それも感覚が麻痺してきたからであって全く良くはなっていなかった可能性が出てきた訳だ。
かといって機械での検査もしていたし朝倉先生はカンの鋭い人だ。ちょっと変ならピシャリと言ってくるはず。
本当に、健康に戻ったのだろうか。臓腑を溶かすような薬を飲んで、何度も吐血していたのに?
未知なる力で治ったとか。
自分の感じている『死の気配のようなもの』は身体が持たなくて単に死にそうだからではなく、降臨が確定しているニュクスの気配だとでも言うのだろうか。だから、気の所為だと。それならそれでとても嬉しいのだが、そうなったとしても死ぬ事には変わりないので遺す物を考えていた方がいいのは確かだ。
(金の延べ棒とか…? 金は普遍的価値を持つって言うし、困った時に売ってもらえれば良いし万能なのでは)
と思ったが、自分が受け取る側なら微妙な気持ちになることこの上ないのでやはり却下になった。
修学旅行に持っていくもので足りないものがあったので、それを買いに行ったついでに神社にお参りをする事にした。
フィレモンやニャルラトホテプといった神はクソ喰らえだと思うが、こういった地域に根付いた神様は敬おうという気持ちが湧くのだから自分はとことん日本人なんだなと思わざるを得ない。
階段をのぼって境内に入れば、寒い日だと言うのに薄着の青年がひとりベンチに座っていた。そしてこちらを視界に入れた瞬間、驚いたように僅かに目を見開いて口を動かしたのが見えた。
はて、どこかで会ったことがあっただろうか。
自分には覚えがない。湊と自分を見間違えている、という可能性の方が高い。
湊と奏子の交友関係は自分と違ってとても広いのでこうして歩いているとたまに間違えて声をかけられることがある。身長は湊と奏子より大きいのだから見間違えようがないと思うのだが、何故か間違われてその後慌てて謝られるまでがセットだ。今回もおそらくそうなのだろうとぺこりと会釈してさっさとお参りしてしまおうと思った。
顔色の悪い青年が気にならない訳では無いが勘違いならあまり話しかけなくてもいいだろうしあとで交友のありそうな湊か奏子のどちらかが訂正してくれるだろう。
12月の満月の日にやることが上手くいきますように、と願掛けをして足早に立ち去ろうとした。
「…ごほっ、ごほごほっ!」
咳き込む音に足を止め、そちらを向けばベンチで先ほどの青年が激しく咳き込んでいた。
喘息だろうか。なんにせよ、無視をすることなどできない。今、自分がここを離れたらこの境内に彼は1人きりになる。もしその時にもっと悪化したら? 死んでしまったら?
そう考えただけで何も知らない他人相手だというのにぞっとした。
「…き、みは…げほごほっ! 僕を…迎えに…」
「違います。あの、えと、楽になるまで横にいます。もし必要なら病院に連絡しますから」
「げほっ…」
有無を言わさずに隣に座って、ゼイゼイと苦しそうに息をする見知らぬ他人の心配をする自分は変な人間だろう。ただただ何もせずに見守るだけというのもおかしな話だ。けれど、素人が変に手を出して悪化させても不味いだろうしこの青年が咳き込んでいるのが喘息だという確証もない。ただ、見守ることしかできないのだ。湊か奏子がいればもしかしたらなにか分かったのかもしれないが、生憎と今日は一緒ではない。
しばらく咳き込む音を聞きながら、じっと収まるのを待っているとだんだんと咳き込む回数が少なくなり、落ち着いてきたようだった。先ほどは虚ろで焦点のあっていなかった目がしっかりとこちらを向く。
「収まってきた、みたいだ。ありがとう。…君は、あの変わったふたりの子の家族だろう? 女の子と、男の子の」
自分に似たふたりで変わった女の子と男の子と言えば十中八九奏子と湊だろう。それ以外に思い当たらない。それ以外だとしたらむしろ驚きだ。
やはり2人の知り合いだった、というわけだ。なので頷けば、嬉しそうに彼は笑った。
その瞬間、ふわりと嗅いだことのある匂いがした気がした。
「そうだと思ったんだ。けほっ…顔は彼によく似ているし…それでいて雰囲気は彼女に似ている」
ああでも、と青年は続ける。
「ちょっと違うな。ふたりとは、“何か”が違う。彼らといると僕はすごく穏やかなんだ。それに反して、君は冷たくて暖かい。まるで──いや、なんでもないよ」
言葉をはぐらかした青年はやんわりと弱弱しく微笑んだ。
何を言おうとしたのか気になるが、言うのをやめたという事はきっと彼の中では言い表せないようなことだったんだろう。自分は彼のことをよく知らないが、自分なら言うのをやめるときは言い表せない時か純粋に言えない時だ。
「なんとなくふたりを待っていたんだけどね。きっともう、今日は来ないだろうから」
恐らく約束を正確に決めたことではないのだろう。だから、彼も気にしていない。本当になんとなく、来てくれればいいなという程度の感覚でここにいた。こんな寒いというのに、だ。
彼はあまり身体が丈夫ではなさそうだし、こんなところにいていいのかという気持ちがあるが慣れた様子を見るに自分が止められるものでもないだろう。
「彼らとはもう一期一会を過ぎて何度も会っているけど、君とはなんだか本当に一期一会になってしまいそうな気がするよ。僕は君の名前を知らないし、君も僕の名前を知らない。けど、それでいいんだ。これが普通のことだから」
ほう、と息を吐いた彼は寒そうに己の腕を擦った。
「僕はもうすぐ死ぬ。遺伝性の難病でね。この前薬も止めたしもう入院も必要なくなった。あとは死ぬのを待つばかりともいえるね…それでも、僕は満たされているんだ。最期に彼らに出会えて生きた意味を知ったからね」
彼は“もうすぐ死ぬのだ”と自らの死期を悟っている。感じた匂いは間違いなく死の匂いそのものだろう。冬の足音に紛れて、この青年に忍び寄ろうとしている。手を伸ばそうとしている。
けれど彼はそうしてまた弱々しい笑みを浮かべる。
「──“出会えて良かった”と、最後に言えそうなんだ…」
その言葉に嘘偽りはなさそうだった。
死を目前にしているというのに清々しさすら感じる。きっと、この青年がこんな風になれたのは湊と奏子との出会いがいい方向に作用したからだろう。けれど湊と奏子もまたこの青年に影響されたことがあるに違いない。それが他者との交流というものだ。たぶん。
「勿論僕はこの一期一会の出会いにも感謝しているよ。君にも、出会えてよかった。例え君が──『 』でも」
「?」
「ああ、もうこんな時間だ。時が過ぎるのは早いね…ごほっ…」
彼の言葉は風に揺られた枝葉の音にかき消され、断片が聞き取れなかった。
けれど、なんとなく、本当になんとなくだが悩んでいたことについての答えを知れたような気がした。
俺が遺せるもの。それは──
11/16(月) 昼
久々の登校だったのでクラスメイトから心配されつつもそれを何とかいなし、美鶴さんと微妙な空気になりながらも色々はぐらかしながらようやく昼休みを迎えた。
放課後には江戸川先生との面接が待っているし、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが先週復帰できればこのぎゅうぎゅう詰めのスケジュールも何とかなったのではないかと己の不運と幾月を恨んだ。おのれ幾月。ファッキュー幾月。
正直、疲れた。
寮で過ごしているより他者と会話をすることが多いので圧倒的に疲れるのが早い。体力は大幅に落ちているとみてもいいかもしれない。
基礎トレーニングとか散歩くらいはしないと大事な時に動けなくなるのでその予定を頭の中にメモしておにぎりを齧る。今日は鮭と梅の気分だ。いつもは購買でパンを買うけれど、流石にあの争奪戦の中を今行く元気は無くて断念した。修学旅行前に骨折とかしたくない。
「み、三上くん、えと…良くなったみたいで良かった…」
恐る恐ると言った様子でやけに緊張しながらこちらに話しかけて来たのは朔間くんだ。
朔間くんが話しかけてこなくても、こちらは朔間くんに用があったので好都合だった。
「おかげさまで。この前はノートとプリントありがとう。返すよ。すごく役に立った」
「ほんと? それなら嬉しいなあ」
朔間くんは差し出したノートを受け取ってへにゃりと笑う。
幼さを感じさせるその笑みに笑い返せば安心したように眉を下げた。
授業内容が自分の記憶と同じものか確かめるために、ちょこちょこ合間を縫ってノートを見ていたりしたので実際に役に立っている。概ね記憶通りだったことが確認できたし早く返さないと朔間くんも困るだろうと思ったから手早く返すことにしたのだ。
「あ、修学旅行の班は僕と一緒になんだけど良かったかな…? 三上くんはお休みだったし、人数が奇数だった僕らの班に入れようってことになって…」
「いいよ。大丈夫。他には誰がいるんだ?」
「え…っと…その…」
そう訊けば朔間くんは少し言いにくそうにもごもごと口ごもる。
「…桐条さんと高梨さんだよ」
なるほど、そう来たか。
あまり美鶴さんという個人に関心がないメンツと仲のいいメンツで教師も固めたかったのかもしれない。下手にファンの子と一緒にしたり美鶴さんをやっかんでいる子とは一緒にできないだろう。何か問題があってからでは遅いのだ。美鶴さんなら大抵の事は自分でなんとかしようとしてしまうにしろ。
自分と朔間くんはともかく高梨さんはミステリアスでありながらクールであっさりとしているタイプの女子だ。口数があまり多くないと言うべきか。冷めたチドリのような子と言えばいいのか。たまに男勝りだったり大胆不敵に笑ったりするので油断出来なかったりするが美鶴さんの敵でもファンというわけでもなく、あくまでクラスメイトのひとりとして扱っているような感じの人だと思う。良くも悪くもフラットなのだ。
だからこそ、この班のメンバーになったのかもしれない。
ちなみに彼女も良いとこのお嬢様だったりするらしい。噂ではヤクザだとか拝み屋だとか色々尾ひれが着いているが大きな日本家屋の純和風な屋敷に住んでいるのは間違いなかった。
朔間くんはそもそも男女分け隔てなくこの調子なので下手なことはしないし、下心なんか無さそうだ。むしろこの見た目だと小さくて可愛いと女子に弄られてそうではあるが。
恐らく自分が旅行に行けなかった場合、美鶴さんと高梨さんに挟まれて気まずくなっていたことだろう。いや、自分ひとりであのふたりと同じ班となったら気まずくなるか縮み上がっていたかもしれない。縮み上がらない執拗い男はたぶん処刑されているか高梨さんにアソコを蹴られていると思う。
実際に俺は目撃したことがある。
7月に廊下で高梨さんのスカートをめくろうとしたバカが地獄を見た様を。
思わずこちらもヒュッと息を飲んでしまったほどだ。主に股間への痛みを想像して。
好意を持つことは悪くないが好きな子のスカートをめくろうとするなんてバカだ。なんでスカートめくりで気を引こうとしたのか意味がわからない。嫌われるだけだろう。
いや、パンツは浪漫っていうけども。
自分は嫌われたくないししたくもないのでしない。
ただ、その時のバカは「無言かつゴミを見るような目で蹴られたのがご褒美」になってしまったらしくより高梨さんのことがより好きになってソッチ方面に目覚めてしまったとか目覚めなかったとか。真相は定かではない。どのみち、高梨さんからすれば迷惑この上なさそうな話だ。
「大丈夫…? まだ体調悪い…?」
「ああ、大丈夫。ちょっと考え事してた」
「それなら、いいんだけど…三上くん、なんか今日桐条さんと気まずそうだったし休みの間に何かあった? 彼女になにかされた?」
思考に浸って黙っていれば僅かに怒っているようにも見える怪訝な顔をした朔間くんに心配されてしまった。何かあったかと言われればあったしなかったと言われればなかったのだ。
「……いや、なんでもないよ。俺が勝手に避けてるんだ。その、大きな声では言えないけど、俺が彼女を傷つけてしまったから…」
「えっ!? ゆ…三上くんの方が? 桐条さんを?」
「うん…まあ…色々…色々あったんだ」
はあ、と溜め息を吐く。
そんな自分を朔間くんは有り得ないものを見るような目で見た。
精一杯の気遣いからか、声を抑えてくれはしたんだろうが残念ながら朔間くんの声はよく通る。近くの席に座っていたクラスメイトの視線がいくつかこちらを向いた。
「ごめん、やっぱりこの話はやめにしてもいいかな。いくらきみ相手でもあまり話したくないんだ」
そうやって無理やり話の腰を折った。
「あ…ご、ごめんね…言いたくないこと、だよね…」
謝ってそのまますごすごと自分の席へと帰っていく朔間くんの後ろ姿を見ながら緑茶の紙パックにストローを突き刺しし中身を啜った。冬場だからよく冷えている。本当、嫌になるくらいに。
放課後
屋上
ちょうど優希が保険医でもある江戸川と面談している最中、学校の屋上で美鶴はひとりで夕陽に照らされる街を眺めていた。
考えるのはこれからのこと。
来る滅びに立ち向かうべきなのか、記憶を消して滅びまで何もかもを忘れて過ごすか。
美鶴にはどうしても決められないでいた。特別課外活動部の部長として、そして全ての原因である桐条の者として、選ぶべきなのはもちろん滅びに立ち向かう事なのだろう。やってしまった責任を取らなければならない。尻拭いをしなければならない。
その責任感は父に「お前が負うものではない」と否定されてもなお、美鶴の中で燻っていた。
が、滅びに抗えたとして、美鶴は想いを寄せている優希と共になれるわけでもなければ、優希が生きているという保証もない。
それならば──と、仄暗い感情が鎌首をもたげる。
いっその事、皆記憶を失ってしまえば優希は死なずに済むし自分もこんな想いを背負わなくてもいいのではないか、と。
それがいけないことだというのはわかっている。だが、僅かに『影時間の記憶が消える』ということに希望を見いだしてしまっているのも事実だ。
“あの事故さえなければ”。
たらればだとわかっているが美鶴はどうしてもそう考えずにはいれなかった。
そもそも、10年前の事故がなければ優希や2人の弟妹は桐条と無関係の人間なのでこちらに引っ越してくることも無かっただろうということはわかっている。出会いすら、無かったのだ。
(だが…もしかしたら)
可能性は無いわけではなかった。
優希の祖父はあの倉橋商事の会長だ。何らかの理由で気が狂っていなければ、社交界に連れてこられた可能性だってある。なんせ、初孫で溺愛していたひとり娘そっくりらしいのだ。老いていたにしろ、倉橋翁はそれくらいの力を持っていたはずだったのだ。
そんな男があのような最期を迎えると誰が予想しただろうか。気が狂っていたのか、病に蝕まれていたのか。それとも、本当に悪魔に憑かれていたのか。
美鶴にはわからない。ただただ、父があのようになって欲しくないと怯えただけだったのだ。
そんなこんなで美鶴は珍しく悶々と悩んでいた。
優希との付き合い方にしたってそうだ。告白をした手前、あっさりと以前のような関係に戻れると思っていないし戻っていなかった。
避けられているのだ。
美鶴が。優希に。
話しかけても視線を外される。
妙に態度がぎこちない。
美鶴がラウンジに降りればすれ違うように部屋へと帰ってしまう。
まるでわざと意識しないようにされているようで、美鶴は心外だった。そんなに自分の告白が嫌だったのかと。それならば、言わない方が良かったのでは、と後悔すらしているくらいだ。
ずっと秘めたままでいてしまえば良かった。友達という関係のままでいればよかったのだ。今のこの、苦しさしかない状況よりその方がずっとマシだった。
優希は白馬の王子様とかいう美鶴が憤慨したような映画の中の存在ではないし、現実は映画のようにスッキリ終わったりしない。
そこまで例えて自嘲して、夏に優希と観に行った映画のことを思い出していると気がついて溜め息を吐いた。
一昨日からずっとそうだ。はっきりと断られたというのに1度言葉に表してしまってから美鶴は何気ない優希の一挙一動まで気になるようになってしまった。だからこそ、避けられていると気がついた。
美鶴がはっきりと異性として優希を意識するようになったのはあの映画を観に行った日だ。
特別ななにかがあった訳では無い。本当にいつも通りの優希の対応だった、はずだ。少なくとも、美鶴にはそう感じた。
しかし愛にまつわる映画をこれでもかと観たせいなのかもしれないが、隣を歩く優希の横顔が少しいつもと違うような気がしたのだ。
夏の暑さで頭がどうにかしていた可能性だってある。だが、「私は彼が好きだ」と美鶴がそれを自覚したのは確かにあの夏の日の帰り道だった。
美鶴は、優希とはもうすぐで2年の付き合いになる。もちろんクラスメイトとして、だ。
1年の途中で転校してきたという優希の事は幾月から訊いてきた。もしかしたら、仲間になるかもしれないと。
しかしそんなことはなく、2年が過ぎた。どんなときも優希は普通だったのだ。物怖じせず、美鶴に接した。
今から思い返せばそれは『ループ』していたから成せたことだったのかもしれない。だが、それだけではないような気がして少なからず悪い気にはならなかった。
なによりそのおべっかもやっかみも無いつかず離れずな距離が心地よかったのだ。穏やかな気性に救われた数は何度だったか。
しかしそれとは別に壁も感じていた。本当に、美鶴がそう気がついたのはなんとなくだったのだ。もうきっかけすら思い出せないその気づきは今となってはファインプレーだと思う他ない。
美鶴は、美鶴が思っていたより垣間見得る『素』の優希に惚れ込んでいた。惹かれている、と言った方がいい。
もっと見たい。素を自分にさらけ出して欲しい。
もしかしたら、そんな高望みをするような感情を持ってしまったのが運の尽きかもしれない。
「はあ…」
美鶴は今日何度目か分からない溜め息を吐いた。
「ここかぁ…やっと見つけた。生徒会に出てないなんて、珍しいですね。探すの時間かかっちゃいましたよ」
その声にのろのろと美鶴は緩慢な動きで振り向けば、ゆかりがそこに立っていた。
「探して来いと頼まれたのか?」
発された声は美鶴自身が驚くほどに低く、掠れていた。
そんな美鶴にゆかりは苦笑しながらも答える。
「ええ、まあ。生徒会、関係ないんですけどね、私」
「そうか…済まなかったな」
「っていうか、忙しそうでしたよ? 修学旅行が近いとかで。ウチのは2,3年合同だし、生徒会長だって忙しいはずじゃないんですか?」
そうだな、と美鶴は言えなかった。
自分の悩んでいることが色恋沙汰かつ、そんなことで生徒会の業務をおろそかにしている自分を恥じた。
しかしいま生徒会室に行ったとして、この調子では役に立てそうにないどころか心配をかけてしまいそうなのも確かだった。だからこそ、美鶴は気持ちの整理をするためにここに来ていた。もう少し落ち着けば、戻るつもりでもいたのだ。
「先輩? なにかあったんですか?」
「……」
聡く何かに気がついたゆかりに美鶴はどう答えようか悩んだ。まさか、恋愛相談をするわけにもいかないだろう。気まずくなるか、これからの活動に支障をきたすかもしれない。
「あ、もしかして三上先輩と一昨日話をしたときのこととかですか…?」
「それは…」
「あったんですね!? もしかして、なにか酷いことされたんですか!?」
「いや、その、三上に、告白を…」
「告白ゥ!? 受けたんですか!? えっでもそうならそんな暗い顔してませんよね!?」
やけに食い気味なゆかりは鼻息荒い。
やはりゆかりも女子なのか、その手の話題には一瞬で食いついてきた。もう逃れられる段階ではない。こうなったらヤケだ、と美鶴は考えた。最後までゆかりにぶちまけてしまおうと。
旅は道連れ世は情けというのなら、お情けで地獄まで付き合ってほしいものだと美鶴はもうめちゃくちゃにヤケになることにした。
「…断られた」
「えっ、誰が、誰にですか!?」
「私が三上に好きだと告白して、三上に…はっきりと断られた」
ゆかりの目が大きく見開かれた。「嘘でしょ…」というぼやきもセットで。
嘘だと思いたいのは美鶴もだった。いや、断られることを想定していなかったわけではない。実際そのように弁明したし覚悟もしていた、しかしやんわりと逃げられるだけかと思っていたのだ。そうなったら押し切ってしまおうという邪な気持ちもあった。
しかしあんなはっきりと拒絶されるとは思ってもいなかった。一方通行だとは思って…いなかったわけではないが少なくとも好意はもたれているのだと思ったのだ。それが、蓋を開けてしまえば自分ひとりが勘違いして舞い上がっていただけだったという始末。これが笑い話でなくてなんというのだろうか。
「憐れな女だと、笑ってくれ…」
「……えーと、奏子ちゃんじゃないですけど、三上先輩のこと、一度ブン殴ってきましょうか?」
「…遠慮しておく」
乾いた笑みを浮かべた美鶴を見たゆかりは憤慨した。
それはもう、ありえないと思ったのだ。あれだけイチャイチャベタベタして、蛇頭黄幡神との戦いの時だって失われたはずのペルソナが勝手に出てきて美鶴を守ったくらいなのだ。
ゆかりはあの時に出てきた“オネイロイ”はゆかりと美鶴のふたりを守る為ではなく、美鶴を守ろうとして出てきたのではないかと今も思っている。それだけ、思いのこもった何かを向けられていた。そんな気が。
そのことでも、面白くないしやきもきするしでいい加減くっついてしまえと何となく思っていたのだ。しかしここに来て優希の方が断ったとなればむしろ憤慨せずにはいられない。あれだけの強烈な感情を美鶴に対して向けておきながら美鶴の方から告白すれば断るなど言語道断だと言いたくなるレベルであった。主にお前ら両想いじゃないのかはよくっつけ的な感情で。
「いや、だって三上先輩と桐条先輩、傍から見ててもいつくっつくのかってレベルでしたよ!? 話してる内容が事務的でもなんでも! そりゃあ、桐条先輩が勘違い…じゃないとおもいますけど、好意持っちゃうの仕方ないですって! だってあんな…あんなですよ!? 先輩には分かんないと思いますけど、三上先輩、桐条先輩といるときだけなんとなくなんですけど笑顔がちょっと違うんですよ! あんなに思わせぶりならそう思っちゃいますって!」
美鶴からしてみれば初耳だった。
笑顔などはまったく気にしていなかったのだ。「ああこの表情が好みだ」と思うことはあれども、美鶴からしてみればどれも優希が浮かべる表情の内、『外向き』か『素』のどちらかなのだろうなという感想でしかなかった。そして美鶴は『素』の表情を浮かべた時を見つけてはきゃいきゃいと内心で喜んでいただけだったのだ。つまるところ、美鶴は優希が近しい者に向ける表情と己に向けられている表情の違いがわかっていなかった。
「そ、そんなにか!? 私は友だちの関係を維持していたつもりだったんだが…」
「え…あれで友だちのつもりだったんですか? もしそうなら…ふたりとも、相当ですよ」
なぜかゆかりにドン引きされてしまい、美鶴は困惑する。
そこまで周りから思われていることにも驚いたが、もしかして、自分たちの関係はとっくの昔に『ただの気軽な友だち』を越えてしまっていたのではないかと今更ながらに自覚した。
普通の友だちは連絡するときにあんなに緊張しないだろうということを美鶴はよくわかっていなかったのだ。
「そう、なのか…」
「あっ、でも今回のことに関しては三上先輩が悪いですよ! むしろ桐条先輩を弄んでたってのが現実になっちゃったっていうか…あの、いまこんなこというのはアレかもなんですけど、カダスでのことは本当にすみませんでした…」
「いや、いい。過ぎた事だ…」
だが美鶴は弄ばれていたとは思っていない。好意の有無に関係なく、断られたのは理由があったからだ。しかしこの場合、美鶴が有責と言うわけでもなく一方的にフラれてしまった形になるのでゆかりの言っていることは傍から見ればそう見えるだろう。
「ありがとうございます。それで──」
「もうこの際、サボって気晴らしにでも行きませんか?」と正しく『友人』として傷心の美鶴を誘おうとしたゆかりの耳にばたんと屋上のドアが開いた音が聞こえた。
「あ、いたいた! おーい!」
聞こえたのはこの一週間余りで聞き慣れてしまった声。
それも、男子の物だ。振り向けばそこに長身で黄色いマフラーを巻いた生徒──望月綾時がいた。
ゆかりはなんとなく、頭が痛くなってきた。悪い生徒ではないが、彼が関わるとロクなことにならないのだ。
「探しちゃいましたよー」
「綾時くん…んー…なんで、このタイミングで来るかな…」
とてつもなくタイミングが悪すぎる。ただでさえ、美鶴は玉砕して傷心中なのだ。そんな美鶴に綾時がナンパされるようなことがあればゆかりは奏子に顔向けができなかった。
その兄が美鶴の傷心の原因だとしても。
「え…でもゆかりさん、会長さんを探しに来たんでしょ? 僕も同じですよ。知らない人に頼まれちゃって…」
「なにそれ」
「え、頼まれたの、僕だけじゃないですよ?」
不思議そうな顔をす綾時に訊き返せば、これまた不思議そうに返される。
「その人、会長さんを見つけないと旅行を中止するぞって」
その人、と綾時が言った人物にゆかりは覚えがあった。
2年生で生徒会の副会長を務める優秀な生徒だ。ただ、堅苦しく模範に厳しい生徒としても評判だった。
しかし最近は態度が軟化してきているようでなにかあったのではないかとゆかりは踏んでいる。美鶴ならなにか知っていそうだがペラペラと話すタイプでもないのでゆかりはただただその事実だけを受け取っているにしかすぎないが、良い変化なのではないかと思っていたのだ。が、こうして完璧に別人になったわけではなく、目的の中では法や規律を遵守した上で強引な方法をとることもあるのは変わりないようだった。
「副会長さん…誰彼かまわず頼むんだから…」
「という訳で、ええと、桐条美鶴さん。見ーつけた! …しかし、何と言う美しさでしょう。良ければ、今度ご一緒しませんか? 3ツ星ホテルの最上階…あなたのイメージにぴったりの、夜景が楽しめるレストランがあるんです」
しょうがない、という顔をするゆかりを
「…夜景?」
怪訝そうな顔を浮かべた美鶴は、なんとなくそんなところにいくよりまたゲームセンターに優希とふたりで行く方が楽しいのではないか、と思ってしまった。食事に限定するなら、あのバイクの飾ってあったファミリーレストランの方がよっぽど。
ここに来てまで頭の中を占領してくる未練に眉を顰めれば、それを見たゆかりがさっと顔色を変えた。
「せ、先輩! ここは、戻った方がいいですって!」
「あ、ああ」
ゆかりに促され、突然のことにどもった美鶴だったがすぐに気持ちを切り替えて歩き出す。が、途中で立ち止まった。
「岳羽…来てくれてありがとう。気が楽になったよ」
「? あれ…返事もらってないのに…」
去り行く美鶴を止めることなく見送り、「今回もダメだったかー」と内心でさほどダメージを受けていない綾時は気づいていない。
自分がとんでもないタイミングでこの場に来てしまったことに。
「うーん、あの調子だと吹っ切れてないよね…どーしようかな」
ぼやくゆかりにならばと綾時は口を開いた。もうおかまいなしである。
「あの、ゆかりさん、よかったら、今度ご一緒しませんか? 白河通りあたりの…」
「フンッ!」
「アウチ!?」
“白河通り”という単語と間の悪さに渾身の一撃をつま先に喰らった綾時は呻いたのだった。
修学旅行まであと1日。