君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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出会いと湯けむり(11/19~11/20)

11/19(木) 昼

今日は京都市内の散策だ。班で固まって自由行動である。もちろん、別の班同士でくっついて行動しても大丈夫だ。

お土産屋巡りをするもよし、観光地を巡るもよし、普通に市内のビル街に行ってワックをたべるもよし。これぞ修学旅行の醍醐味! といった感じだ。

自分も美鶴さん達と意見を合わせて観光がてらお土産屋の並ぶ新京極通(しんきょうごくどおり)までやってきたのだが、

 

(どうしよう…)

 

はぐれた。

迷子といっても過言ではない。ひとりぽつねんと人の往来する道路の端で立ち止まる。

観光シーズンだからか人が多く、ちょっと目を離した隙に皆の姿が見えなくなってしまった。

電話をかけてみたが美鶴さんも朔間くんも誰も出ず。高梨さんの電話番号は知らないので電話をかけることが出来なかった。

折角楽しめると思ったのに、早々迷子になるとはなんというか、運がない。ちょっとショックだ。

とりあえずメールで「諸事情により別行動するので気にせず楽しんで」と送って江戸川先生に電話をかければ「ムリに合流しようとせず、散策に満足したら旅館まで戻ってきてください。何かあればまた電話を」と許可を貰ったので気を取り直してお土産を見ることにした。

 

荒垣くんに頼まれた漬物を見ようと漬物の専門店で試食しつつどれがいいかと悩んでいると、ちょうど手を伸ばした先で誰かの手とぶつかってしまう。

 

「すみません」

 

はっと顔を上げて謝れば、60代くらいの女性もはっとしたような顔でこちらを見つめていた。

灰色がかった黒髪をまとめ上げ、頭の後ろで結わえたその人はがしっと俺の手を掴むとずんずんと引っ張って店を出る。

 

「ちょ、えっ、ちょっと!?」

「静かにおし」

 

突然のことに驚き、戸惑うも女性は止まらない。誘拐か!? と思うが自分なんかを誘拐してこの女性が得することは何もないしそもそも力関係で言えばたぶん、自分の方が強い、と思う。なのでいきなり連れ出された意味が分からない。

人気のない路地に入り、そこでやっと女性は立ち止まってこちらの手を離した。

 

「──悪かったね、突然連れ出して。ただ、そうさね…“イツマデ”、あの雑魚悪魔を燃やしな」

「まったく、悪魔使いの粗いばあさんだ!」

 

ケケケ、と笑い声がして、頭が骸骨の青い鳥のような悪魔が現れた。かと思えば自分の背後の虚空を焼く。

否、虚空ではない。そこには確かに何かがいて、ギャッと断末魔を上げることなく消し積みになった。気がつかなかった。というより、最近襲われることがめっきりなくなっていたから油断していた。

なにか──恐らく悪魔だろう──を焼いたイツマデはすぐに消え、女性はその黒い喪服のような自らの服をはたく。

 

「ったく、減らず口を…ああ、アンタ本当に()()()()()悪魔に狙われやすい(タチ)みたいだねえ。18代目とゴウトから聞いてるよ。黙示録の四騎士を神降ろしされてるっていう子だろ?」

「へ? あ、はい…?」

 

18代目とゴウト。ついでに黙示録の四騎士の関係となれば自分以外にありえない。つまり、この女性はライドウくんの知り合いか何かなのだろうか。少なくとも、サマナーに間違いなさそうだった。

 

「ほら、オトコノコなんだからもう少しシャキッと返事しな!」

「!?」

 

ナハハ、と豪快に笑いながら背中をバシバシと叩かれて目を白黒させればすぐにその手が頭へと乗せられてわしわしと撫でられる。

 

「ま、もう大丈夫だし帰んな。修学旅行で観光中だったんだろ。邪魔したね」

「え、あの…それだけ?」

 

頭から手を離し、さっさと踵を返そうとした女性を思わず呼び止めれば待ってましたと言わんばかりの茶目っ気のある笑顔で音もなく寄ってきた。

 

「そうかいそうかい。なら暇で寂しい年寄りに付き合ってもらおうじゃないか」

 

そしてそのままぐわしと腕を掴まれて女性の腕と組まれる。

この人は構って欲しいのかたまたま自分を見つけて助けてくれたのか、さっきからよくわからない。

ただ、嬉しそうな表情をしているので満更でも無さそうだ。

僅かにカタカタとモコイさんの入っていた管が揺れているような、ほんのりと暖かくなったような気が袋越しにした。

 

「ここらに行きつけの喫茶店があるんだよ。アタシが奢ってあげようねぇ」

「えっ、ええ…あの、ありがとうございます…?」

 

連れられて、引っ張られるまま薄暗い雰囲気のカフェへと入る。人はまばらでレトロな感じのカフェだ。

 

「ほら、好きなのを頼みな。遠慮しなくていいよ」

「けほっ…」

 

タバコを吸っている人がいるのか少し煙たい店内の窓際の席に女性と対面するように座ってメニューを開いた。

ソファーも店の内装通りずいぶんと古めかしく、少し穴が空いていたりほつれている。

メニューはパスタやサンドイッチなどの軽食からコーヒーフロート、メロンソーダなどのソフトドリンクが文字だけで羅列されている。その中のある飲み物を見つけてそれにすることにした。

 

「…じゃあ、これで」

「あいよ」

 

おずおずとそれを指さして注文してもらえば、しばらくして頼んだものが運ばれてくる。

目の前の女性はコーヒーをブラックで飲むらしく砂糖とミルクを外していた。対する自分というと、頼んだもの──ホットのミルクセーキをくるくるとスプーンでかき混ぜて小さく口をつけた。

 

「アンタ、それ、好きなのかい」

「ええ、まあ…」

「ふぅん」

 

あまり飲める機会はないけど、とは口に出さないでおけば女性は複雑そうにこちらを見つめてくる。

しばらく自分がミルクセーキを飲むさまをまじまじと観察した彼女は机の上に手を伸ばすと小さな瓶をとって差し出してきた。

 

「シナモン、入れるの好きだろう?」

 

どうしてそれを。なんて言葉は吐き出されなかった。

彼女の言う通り、自分はホットミルクと同様にミルクセーキにもシナモンを入れるのが好きだ。そして、自分はこの店に別で入れられるパウダー状のシナモンが置いてあるとは思っていなかったのでそれをおくびにも出さないようにしていたのだ。なのに、何故か彼女は会ったばかりだというのに自分がシナモンを入れることが好きでそれを入れたがっていると分かった。

ライドウくんやゴウトから聞いた可能性もないことには無いだろうが、そもそもそんな情報を彼らは知り得ないだろう。

だって、港区にある『喫茶シャガール』でも他の店でもミルクセーキを頼むことはおろか、今年に入ってからなにかにシナモンを振りかけたことがなかったからだ。そもそもミルクセーキが置いてある店が少ないというのも理由のひとつとしてあるが、知りようがない。

なのに知っている。

思わず警戒心を強めれば、フッと女性は軽く笑った。本当に、子供を見て笑うような感じで。

 

「そう警戒しなくてもいいさ。ただ、なんとなく──そうなんじゃないかって思っただけだよ。なんてこたぁない、年寄りのカンってやつだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦ってね」

「……」

 

本当にそうなのだろうか。

不思議に思いながらくるくるとミルクセーキの入ったティーカップの中でスプーンを回す。

そしてシナモンの入ったビンを手にとり中身を振りかけてからまた口をつけると対面に座る女性は嬉しそうに微笑む。

これではまるで、孫と祖母が仲良くカフェにやってきたみたいだ。少し恥ずかしいし実際は自分とこの女性は初対面かつ名前も知らない関係なのだけれど。

そんなことを考えていれば不意に女性の表情が微笑みから憂いを帯びた顔になる。

 

「ああ、そうそう。アンタの母方の爺さん、死んだよ」

「…?」

 

まさか、養母さんのお父さんが亡くなったとでもいうのか。だがそうなれば一番に電話が来るだろうし、先生からも連絡があるはずだ。それがないという事は、養祖父ではないということだ。

一瞬眉を顰めると女性が怪訝そうな顔をした後すぐに納得したような表情を浮かべた。

 

「わからんか。倉橋黄盛(くらはしおうせい)。産みの母親の方の祖父だよ」

 

そして、女性はやっとコーヒーカップに手を付ける。

倉橋。くらはし。

どこかで聞いたことがある。だが、いまいち思い出せない。思い当たる人物が居るにはいるが、正直関わり合いたくない人物だったような気がする。

結局また首を傾げることとなった自分を女性はまた、小動物を愛しく見るかのような目で見てくる。

 

「やっぱり、分かんないって顔してるね。いいよ、あの男は良い噂なんかないからね。生前のやらかしなんて知らない方がいい。ただ、アンタはあの男の死因とこれからアンタに与えられるものだけは知っといた方が良いとアタシは思うんだよ」

 

コーヒーカップに口をつけ、中身を静かに飲む女性は飲みなれている感じで絵になっていた。

良い噂の無い祖父と言われてちらりとあの老人の事がよぎるがまさか、そんなはずはないだろうと内心で否定しようとしたが、あの時『倉橋』という名前を出していたような気がして顔を顰めれば何を勘違いしたのか女性は真剣な顔つきになる。

 

「見つかったのは下顎と腕、それに脊椎だけ。バラバラ死体だ。食い散らかされた残骸って言った方が良いかもね。あの男、恨みだけは人一倍買ってたから、“まともな死に方しにゃせんだろう”って言われてた矢先にこれだ。誰かが呼び出した悪魔に食われて死んだって線が濃くてね。だからサマナーであるアタシの知る所になってこうして伝えられたのさ」

 

とんとん、と女性の細く長い爪の生えた指が机を叩く。

バラバラ死体。食い散らかされた残骸。恐ろしすぎる。一体何をやったらそんな死に方になるのか。ぞわりと鳥肌が立った。

 

「で、こっからが本題だよ。気を引き締めて聞きな。あの男が遺していた遺言状に、『初孫である“有里渚”に保有する株式を全て相続させる』って文言があってね。まあ、大方アンタが生まれてすぐか産まれる前に初孫フィーバーして書いたんだろうねぇ。んで、あの男のことだからすっかり忘れていた、と。狡賢いがそういう所が詰めが甘いというか…」

「へえっ!?」

 

全部。

全部!?

思わず手が震えてティースプーンを机に落としてしまう。

いや、老人が持っている株だ。大したことは無いだろう。平常心平常心、と心の中を落ち着かせて口を開いた。

 

「その、株ってどこの…」

「もちろん、倉橋商事さ。名前くらいは聞いたことあるだろう。大手商社、輸入業なんかでも有名だわね。一時期はあの南条や桐条にも並んでたくらいだ。いまでも十分力はあるよ。で、あの男はその会長。アンタの相続分はジジイが持ってた分全てだから…その倉橋商事の株式の20%」

「に、にじゅう…!? 五分の一ってことですよね!?」

 

おもわずあんぐりと口を開ければ「ハッ」と女性は鼻で笑いニヤニヤとする。

その顔は“ご愁傷さま”という感情も含まれているが大半は好奇心のような物で占められている。

いや、倉橋という名前はどこにでもある。それこそ、普通にありふれた名前だ。桐条や南条といったパッと聞いて『有名』という名前ではない。

だからこそ、知らなかった。産みの母親が大企業の会長の娘で、自分たちがその孫なのだという事を。祖父母に関しては殆ど会ったことがない、と思う。

幼少期の記憶を纏めて全て思い出した今も、母親から祖父の話は聞いたことがなかった。ただ、母方の祖母に関しては母の幼い頃に病気で亡くなったという事は聞いている。

それだけであって、祖父に関してはノータッチだったのだ。驚いても無理はないと思いたい。

 

「ああそうさ。一夜にして大株主だよアンタ。大企業の20%の株を相続したんだ。食う飯に困らないどころか全盛期の勢いがなくなってても倉橋商事って会社自体がいろんなところに食い込んでるからか余程のことがなけりゃタダ飯食いながら良い生活ができる。やろうと思えば経営にだって口出しできる。実質的に会長を継いだにも等しいよ。いよっ、会長!」

「茶化さないでください…」

「なんだい、堅物だねえ」

 

とんでもない事を平然と言ってのけた女性にこちらは戦々恐々しっぱなしだ。

遺言状に()()()()()()()()を遺したあの老人も大概だ。なんというか、死んだことに対して驚きはないが最後の最後までよくわからない置き土産を遺されたこちらの身にもなってほしい。

 

「…アンタは、産まれてくることをあの偏屈ジジイにすら望まれてたのさ。あの男、他人を食い潰す癖に気に入った自分の身内にはとことん甘いからねぇ。可愛い一人娘が産む初めての孫だ。そりゃあもう、可愛くて可愛くて仕方無かったんだろうさ」

 

今更そんなことを言われても、自分からすればあの老人は祖父と言うより見ず知らずのよく分からない怖い人だし、悪魔呼ばわりされて殴られた相手でもある。

あんな言い草をされて、産まれてくることを到底望まれていたとは思えない。

それを伝えれば、女性は顎に手を当ててしばらく何かを考えているようだった。

 

「あの男が、ねぇ…まあ、娘に絶縁されて晩年はトチ狂って変なモンに手を出してたって噂もあったしそういうもんなのかね」

「あの…そういうのって相続放棄とか、できないんですか…」

 

流石に自分にそんな遺産は持て余すどころか持ち腐れだ。そしてそれが湊と奏子に行かず、自分だけに行くとなればなおさら。

 

「してもいいけどあまりお勧めはしない。しない方が身のためだろうね。アンタには悪いけど、養父母や弟妹を守りたかったら無理に手放すよりアンタひとりが相続して管理した方が良い。四騎士が憑いてるなら雑魚悪魔や大概の呪いは跳ねのけるだろうしね。危ない事には変わりないだろうけど一般人よりかはマシさ。それに、何かあればアタシやライドウが出張ってやるよ」

 

女性の口ぶりは倉橋という老人がとんでもないところに敵を作っていると言っているも同然だった。

もう憑いてないんですけどね、なんて言えずに頭を抱える。どうしてこう、『今回』はこうも本筋から外れたトラブルが多いのか。自分はもっとこう、ぱっとしない普通の人間だったはずだ。適当に社会に埋もれ、歯車の一部として生活する一般人。

こういう、御家事情などというごたごたには巻き込まれたくないのだ。

とは言っても12年前に誘拐された時点でそんな文句は寝て言え状態なんだろうが。幾月もよく自分なんかを誘拐できたもんだ。普通ならバレて桐条グループが倉橋商事を敵に回していたかもしれないのだ。いくら天下の桐条とは言っても倉橋商事というそこそこ名前を聞く大きな会社を相手にして無傷でいられるとは言えない。ただ、それがなかったという事は余程巧妙だったか、あの老人──倉橋翁が自分に興味がなくなっていたというのも大きいだろうから、タイミングが良かったというべきか悪かったというべきか。

 

「もし、もしですよ。俺が死んだら、その、相続した分ってどうなるんですか」

「アタシも法律に詳しくなんざないから恐らく、だけど。アンタが遺書を残さずに死んだらそのまま弟妹に相続されるだろうね。詳しい事はそっち専門のやつに訊きな。あとで書類がくるだろうし、いいとこのをクズノハから紹介してやるから」

「ありがとうございます…」

 

もうめちゃくちゃだ。

一夜で大株主になってしてしまったのを幸ととるか不幸ととるか。美鶴さんに近い世界の人間になれたと思えば良いのかもしれないが、正直その受け継いでしまったものの重さを考えて気が滅入りそうだ。

知らない間によく知らない祖父が死んで大企業の大株主になってしまったというのは間違いなく養父母だけでなく湊と奏子に説明しなければいけないだろう。

精神的に頭が痛い。単純に12月に死んではい終わり! という状況ではなくなってきたことにため息を吐く。

いや、ちょうどいい具合に影時間の記憶修正が行われるのでなんとかなるっちゃなるんだろうけど、過信しすぎるのも良くない気がする。膨大な遺産はトラブルのタネと相場が決まっている。

 

「本当は12月にアタシが東京に帰って説明する予定だったんだがねぇ…こんなところで会えたんだから運がいいにもほどがあるよ、アンタ」

 

自分を落ち着かせるためにミルクセーキを飲もうとカップを傾ければ、中身がもうない事に気がついた。

 

「おかわり、飲むかい?」

「遠慮しときます…」

「そうかい」

 

ニッコリとやわらかい笑みを浮かべてそう訊いてきた女性に対し、自分は首を横に振った。

喉は潤ったし身体は温まったが、話だけでお腹いっぱいになってしまった。

 

 

 

 

カフェを出て、はい解散とはならずに外の外気に一瞬ぶるりと身を震わせた自分を見た女性はじっと自分のことを見つめると「行くよ」とだけ言ってまた手を引いて道を歩いた。

そして、入ったのは高級そうな呉服屋。部屋の中に所狭しと反物や着物が置かれ、並べられ、自然光に照らされてテラテラと輝いている。そして空気感が違う。間違いなく、自分なんかが入っていい店ではないだろう。

 

「これはこれは、アザミさま。お久しぶりです。本日はどのようなご用件で?」

「ああ、今日はちょっとね。この子の羽織を作ってほしくてね」

「……後継の方でしたか。わかりました」

 

恭しく彼女──アザミというらしい──に接客した男性は頭を下げるとさっと奥へと入っていった。

 

「さて、アタシがアンタにいい羽織を見繕ってあげよう。いい男になるにはまず着物からっていうからね」

「え? え?」

「好きな色とかはあるかい? アタシゃ、この無地の紫色のなんかが良いと思うんだがね。浅葱色ってのも捨てがたいねえ」

「はあ…」

 

突然連れてこられて突然生地を選べと言われてもよくわからない。

こんな店に場違いな制服の小僧がカチコチになっているのはさぞかし滑稽な光景だと思うが、それを誰一人気にしていない。

奥から男性が戻ってきて制服の上着を脱がされ、てきぱきと採寸をされる。

まさかもまさか、この店、オーダーメイドであった。

 

「紫は紫でも、菫色もいいかもしれんね。ああ、アンタは派手な色じゃなけりゃなんでも似合うよ」

 

そうやって、よくわからないまま褒められつつ着せ替え人形という程ではないが小一時間ほど布と自分の身体をにらめっこされ、見本の羽織だったり仮縫いされた羽織だったりを着せられそして脱ぐを繰り返した。高級品だからか羽織っていても違和感どころか羽のように軽い。そして着心地もいい。

襟が擦れても全く痛くないどころか心地よさすら感じるのだ。

 

「うーん。どうやってもアンタにゃこの配色が似あっちまうんだねぇ…よし、ちょっと暗めにしてみようかね」

 

困ったようにアザミさん(と呼ぶことにした)がもう何着目かわからない仮縫いされた羽織を着た自分を見てそう呟いた。

流石にもう疲れてきたのでそろそろ終わりにしてほしい。

そう願って最後に出されたのは鉄紺の羽織だった。裏地は鮮やかな紫──葡萄染(えびぞめ)色をしている。

 

「よしよし、よく似合ってるよ。後はそうだね…ちょいと、羽織の裏に“いつもの”をつけといてくれ」

「ええ。場所はどうなさいますか?」

「そうだね…アンタ、モコイの入っていた管を出しな。後生大事に持ってるんだろう?」

「!?」

 

男と会話していたアザミさんの言葉に目を剥く。

突然話を振られたこともそうだが、どうしてモコイさんの入った管を持っているとわかったのだろうか。先ほどのミルクセーキの件といい、これといい、この人は謎だらけだ。

もたもたとベルトにつけていた管の入っていた袋を外し、中から管を取り出した。

 

「利き手はどっちだい?」

「えと、右です」

「なら、左側だね。両手で使う事を考えたら左右で6本ずつでもいいか」

 

何が何だかわからないが仮縫いされた羽織を脱がされ、また別の羽織を着せられてその内側にあったポケットのような部分で管を出し入れしてみろと言われる。

 

「どうだい」

「どう、と言われても…」

 

よくわからない。出しやすさで言えば、ちょっと引っかかるような気がする。

それが何を意味するのか全く分からないまま、必要かわからない謎のポケットについて試着を繰り返す。

 

「アンタはあの子よりすこし身長が低いから、高めの位置にあるやつを選んだけど微妙そうだね。あの子と同じ物を持ってきてもらおうかね」

 

そう思案気に呟いたアザミさんの一声でまた別の羽織が持ってこられ、着せられる。

それはすこしぶかぶかと大きかったが言われて触った謎のポケットの位置はちょうど良かった。慣れた場所、と言えばいいのか。サイズが合うなら召喚器をここに入れても良いくらいには物が取り出しやすい位置だった。

そんな自分の満足しているような雰囲気が伝わったのか、アザミさんも満足げに頷いた。

 

「よし。それがいいみたいだね。決まりだ」

「では、出来上がり次第ご自宅へとお持ちいたしますので…」

 

そう言って、恭しく頭を下げた男にアザミさんは首を横に振る。

 

「いや、今から書く住所に送っておくれ。ほら、この紙に寮の住所を書きな」

「あ、はい」

 

流されるままメモとペンを渡され、寮の住所を書けば丁寧にそれを男が受け取る。

 

「お疲れ様でした。1週間ほどでお送りできると思いますので、しばらくお待ちください」

「だってさ。良かったねえ。ちょいと出かけるのにも使えるし、野暮用で汚したって構わないよ」

 

良かったね、と言われたがちんぷんかんぷんだ。

こんな高級そうな店の商品。それも羽織一枚だけとはいえ、値段を想像すると恐ろしくなる。アザミさんは汚したって構わないと言っているが値段を考えると2桁万円は軽く超えてそうなそれは、汚せるようなものではないしちょっとしたお出かけなんかに使えるはずもない代物だ。

もう戦々恐々しっぱなしである。そんなポンと買えるはずのないものを、ただたまたま出会っただけの高校生に買い与えるこの女性は一体何なのか。

 

「あ、あの…」

「金のことなら気にしなくていいよ。これはアタシからアンタに贈るプレゼントみたいなものさ」

「ありがとうございます…?」

 

だから、そのプレゼントの理由がわからなくて困っているのだ。

物好きなのか、それとも。

嬉しくないわけではないが申し訳なさの方が先に来てしまう。

 

「ほら、寒そうにしていたしこれでもつけてな」

 

いつの間に買っていたのか、彼女の手には青い手織りのストールがあった。

それをふんわりとこちらの首に巻いてまた満足そうに笑ったアザミさんは上から下まで自分を見つめてニヤニヤとしている。が、こちらは薄いのに暖かいストールの肌触りが良くてまたとんでもない代物なんじゃないかと寒さを抜きにして震えることしかできない。

 

「えと、これのお値段とか…」

「ああこれかい? 10万ちょいだね」

「10万ンンン!?!?!? あ、ありがとう、ございます」

 

頬が引きつる。もう金銭感覚がおかしくなりそうだった。

ストール1枚が10万。それを惜しげもなくポイと自分に与える彼女は本当に何がしたいのか。

特に見返りを求めているわけでもなさそうだし、相続する遺産目当てでもなんでもなく、単に自分に構いたいだけというか、なんとなくそんな気がする。ただ、そうなる理由がわからなくて怖いのだ。

 

「…そんなに怯えなくていいさ。アタシはアンタを怖がらせようってんじゃないんだよ。むしろその逆だ。けど、悪かったねぇ。見ず知らずの人間から与えられる無償のものなんざ怖いだけだもんねぇ…」

「い、いえ…そんなことは、ない、と思います」

 

何故だかわからないが彼女の悲し気な顔を見ていると、こう、妙に落ち着かない。

 

「アンタを一目見たときから、全く似てないのにバカ息子と重なっちまってね。つい世話を焼いちまったってわけだ。ごめんよ」

「そういうことなら…」

 

仕方ない、のだろうか。

むしろこの女性がオレオレ詐欺にひっかからないか心配になってきた。そうなると、茶目っ気もあって愉快な…愉快な? 女性ではないだろうか。

 

「そういうことで、アタシに付き合ってくれてありがとうね。羽織とストールはこれの駄賃だと思ってくれていいよ」

 

やったことと奢ってもらった物の値段を考えると、とんでもないパパ活ならぬオバ活だと思う。まるで自分がアザミさんを引っかけたようで罪悪感が増した気がした。なんというか、よからぬことをした、みたいな。

まったくもってそんなことは無いただただ買い物に付き合わされたというだけだが、値段が値段だ。

もう少し図太いか無関心なら気にすることは無かったのだろうか。分からない。

 

「そうだ。モコイを生き返らせたけりゃ、いま横浜の天海市に停泊してる“ビー・シンフル号”の“業魔殿”に行きな。各地に設置されている邪教の館でもできなくもないが…あそこの主は、いまSTEVEN(スティーブン)とかいう輩とあぷり制作? かなんかで忙しいって言ってたから、所在はつかめないだろうし、居場所がはっきりしてる業魔殿の方が良いだろうね」

「!」

 

まさか、悪魔を蘇らせられる場所があるとは思ってもみなかった。

そこに行けばまたモコイさんと出会えるかもしれない可能性が出てきて、浮足立つ。

 

「ほんとですか!?」

「ああ。けど、そこに行ったときアンタは“スケロク”って男と関わるんじゃないよ。“葛葉キョウジ”ならいいけど、()()()()()()()()()()()。ヤバけりゃライドウの坊ちゃんに電話したって構わないからね」

 

釘を刺すようにスケロクという男について忠告してきたアザミさんの顔は真剣そのものだった。まさか、危険人物なのだろうか。いや、この口ぶりは十中八九危険人物なのだろう。

スケロクという人物はヤバイ。そう脳内にメモして小さく息を吐く。

 

「それじゃあね、息災でいるんだよ」

「本当に、今日はありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうね。楽しかったよ」

 

ぺこりと頭を下げてアザミさんと別れる。

結局、アザミさん自身から名前を聞くことは無かったがそれでもいい。名前の有無は関係なく、あの人に付き合ったということが大事なことだったのだと思う。

日がもう落ちかけの夕焼けの街並みを見ながら、そういえばとんでもない爆弾を相続したんだったとすこしげんなりする。

これをどう説明すべきか。そんなことを悩みながら旅館近くまで行くバスに乗り込んでため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

遺産相続などと言う小難しい話は修学旅行が終わってから、もしくは正式に通達やらなんやらが来てからでいいかとすぱっと諦め、満月の日までのあと2週間弱の期間でやることをどうするかの考えを完璧に放棄した。仕方ない。後で考えよう。その後が無いかもしれないというのは別として。

そんなことを思いながらぶらぶらと旅館内を散策していれば、伊織が走り寄ってきた。

 

「おっす! センパイ、あとで露天風呂行きません? 最後くらい一緒に入りましょうよ! 人殆どいませんし貸し切りっスよ!」

「あとで? いいけど…」

 

伊織が笑顔で誘ってくるものだから思わずうなずく。

貸し切り。良い響きだ。

昨日入った時はちょうど夕食後すぐだったので酷く混雑していたのを思い出す。体調の面でもあったが、人が多かったからこそ短い時間しか入れなかったのは惜しいなと思っていたところだったので伊織の提案は渡りに船だった。

 

「じゃ、時間になったら部屋に呼びに行くんで!」

「うん、ありがとう」

 

手をひらひらと振って見送れば、浴衣のまま騒がしく伊織はそのまま走り去っていった。

温泉に浸かるのだから髪留めがいるので忘れないようにしよう。

そんなことを思いながら部屋へと続く廊下への道を歩くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

深夜

 

タオルを腰に巻いて更衣室から外に出る。

大きな岩から源泉が湧き出ているこの露天風呂は広く見晴らしもいい。

冬なので石で作られた床が冷たいがそんなものは湯の温かさですぐに気にならなくなるだろう。

 

「いやー、やっぱだれもいないっスね!」

「楽しみだねぇ! ね、湊!」

「……ああうん…そう…だね」

「?」

 

妙にテンションの高い伊織と綾時くん。それに対して妙にテンションの低い湊。

そして普通のテンションな自分と真田くんと言うメンツが今回の露天風呂のメンバーだった。

サッと身体を洗い、髪も洗ってゴムで後ろにお団子の様にしてまとめれば準備万端だ。

とはいえ逆上せてぶっ倒れたら困るしあまり熱い湯温のところには行けないので入口近くの端っこに居ようと思う。

 

「ヒャッホーウ!」

「わぁい! 貸し切りって凄いね!」

 

そうはしゃいで露天風呂にダイブする2人は風情もあったもんじゃない。が、こういう時にしかこんなことは出来ないだろうし、今なら誰も見ていないのではしゃぎ放題でもある。

こんなことならお土産屋にあったアヒルのおもちゃを買っておくべきだったか…と謎に惜しみつつも自分も露天風呂にちょんと足をつけて更衣室に繋がる入口に背を向けて入る。

 

「俺は…あんまり熱いとしんどいしこっちの浅いとこにいるから」

「ん、わかった」

 

奥の源泉が湧き出る場所の近くは熱くてすぐにのぼせ上がってしまうためにそう伝えれば湊が聞いていてくれたようでしっかりと頷いて奥へと湯をかき分けながら去っていった。

 

しかし何か忘れているような、ないような。

でもまあいっかと肩まで湯に浸かりながらぼんやりと空を見上げる。

新月に近いほとんど欠けた月と少し曇り気味だが澄んだ夜空。

だいたい修学旅行に行くまでに死んだり色々焦ったりしててこんなにゆっくりここで星空を見たのは久しぶりかもしれない。

体調が悪すぎて修学旅行にいかなかった周もあるのでゴリ押しして本当に良かった。帰った後が怖いっちゃ怖いがその時はその時の自分がなんとかすると思うので放置で。いまは楽しいことだけを楽しむことにしたのだ。

 

「ふあ…」

 

なんだか、お湯でぽかぽかと暖かくなってきたからか眠くなってきた。熱すぎない端の方で浸かってるからか、ほんとうにちょうどいいくらいの温かさなのだ。

うつらうつらと船を漕ぎ始める。

寝ちゃいけないのはわかっているが、疲れからか身体が眠気に負けそうになる。

 

「はあ~~~~~~~…」

 

ぱしゃり、と湯を掬って顔にかければそこから顔がじんわりと温まってきて深く息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

優希が眠気に抗っているその頃、奥の岩場の影で湯に浸かっている湊に綾時がウキウキと声をかける。

 

「ほらほら湊、今回こそ成功させるよ!」

 

綾時が「成功させるぞ」と意気込んでいるのは女子とこの露天風呂でバッティングしてドッキリなハプニングを起こす事だ。そしてあわよくば裸を見る。とは言っても結果はわかりきっている。なので正直な話、湊はこうして負け戦に誘われることにうんざりしているのだ。

 

「どうでもいい…綾時と順平だけでやってれば。どうせ…」

「わー! それは言わないお約束だよ。もしかしたら成功するかもしれないじゃないか!」

 

ぷりぷりと怒る綾時を無視していれば、ニヤニヤと笑顔ですり寄りながら順平が湊の方を向いた。

 

「いやー、湊サン、頼みますよー。どうせ知ってるんだろー? ちょっとくらいいいじゃんかー」

「嫌だ。てか近い」

「ぐえ」

 

順平にチョップを喰らわせ、湊は少し距離をとった。めんどくさいし暑苦しいことこの上ない。

恐らく、順平は湊が『ループ』していると知っているのでこの先どうなるかを訊きたかったのだろう。あわよくば、協力してほしい。そんな気持ちも込めて。

だが湊の対応は冷ややかだった。それもそうだ。誰が進んで地獄へ向かうバカな行いの片棒を担がねばならないのか。

 

「協力なんかしない。綾時に聞けばいいだろ」

「へ? なんでリョージ?」

「ああ、そうか…知らないのか…なんでもない。ふたりの馬鹿な企みに協力もしない」

 

咄嗟に綾時の名前を出すも、そういえば自分以外綾時も自分と共にループしているとも元・デスだったとも知らないんだ、と思い出してはぐらかした。

だが、“馬鹿な”という言葉を前につけたことによって何か知っているのではと順平に勘ぐられてしまう。

 

「やっぱなんか知ってんじゃねえか! な、な、オレらどうなった?」

 

しつこく聞いてくる順平を無言で無視し、そう巻き込まれるこっちの身にもなってみろ、と湊は憤慨した。

バレれば処刑だぞ、とは口に出さないまでも、睨みつけることはする。

巻き添えで処刑された数は8回。ほぼほぼ露天風呂からの脱出に失敗しているので逃げられる確率はごく僅かだ。確かに、ここでそれを伝えれば早めに風呂から出られるかもしれない。が、この2人に関してはその結果を伝えても綾時が言ったように今回こそはとやる気に満ちてより悲惨な結果をうみかねない。ならばと湊は諦めた。そもそもこの風呂の誘いに乗らなければいいだけの話だが、ついついいつも頷いてしまう自分の愚かさにため息が出た。少なからず湊自身、こんなふざけたことで女子からゴミを見るような目で見られるのは勘弁したい所ではあったが男子でこうして固まって露天風呂でバカをやることに関しては悪い気もしていなかったのだ。その途中と結果に女子からの侮蔑の視線と処刑が含まれていなければ、の話だが。

 

「おい、何の話だ」

 

順平と綾時が湊に絡んでいるのを不思議がった明彦が怪訝そうな表情で2人を問いただす。

 

「い、いやーここの露天、男湯と女湯が時間交代制なんだって話を…ねぇ、順平くん」

「おおーそうだったそうだったー。じゃ、途中で変わってしまうかもね。でも、もしそうなっても、それは事故だよね」

「それは、そうでしょ。もしそうなっても、僕らに責任は無いよね」

「そんな話じゃなかっただろう…で、その男女が交代する時間というのはいつなんだ」

 

棒読みで白々しく話を逸らそうとする2人に痺れを切らした明彦がその『万が一』の間違いがあってはいけないともう一度問いただせば、順平と綾時は顔を見合わせた。

 

「えー、アハハ。そりゃ、確認してないっすけど。…ねぇ、リョージ君?」

「うーん、もしかすると、結構ギリギリかもねぇ、順平くん?」

「…お前ら、バカだろ? どうりでこんな妙な時間に…現実、鉢合わせしたら穏便に済むわけがないだろう?」

 

呆れた明彦に同調し、湊もうんうんと頷く。

まったくもって同意見である。

 

「ははは、冗談っスよ。確かに、ギリギリで来たっスけど…もう夜中だし、こんな際どいタイミングでわざわざ入ってくる女子なんて…」

 

ガララッ!

 

「「「「!!」」」」

 

順平の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで扉の開く音がした。一斉に身構え、順平は焦りのあまり狼狽える。

 

「えっ、マジかよ、誰か来たぞ! ど、ど、どうしよう…」

「…男子だろ」

 

そんな順平を一蹴し、明彦は眉を顰めた。

順平を一蹴したものの、明彦は少しばかり順平と同じ気持ちだった。どうか男子であってくれ、と内心で祈る。

 

「まぁ、そう焦らないで。湊のお兄さんが出ていっただけなんじゃないかな? お兄さん、入り口近くの浅いところにいるんだろう?」

「そ、そうだったな! その可能性もあるよな!」

 

そんな誤魔化しを話す綾時とそれに頷く順平を見ながら、湊は諦めた。今回も処刑は免れないだろう。

せめて目でもつぶるか、と考えていれば、きゃいきゃいとはしゃぐ女子の声が聞こえてくる。

 

「わぁー!! やっぱ、ここの露天、ひっろーい!!」

「わ、ホント…流れるプールみたい」

「あっそっか、風花ちゃんはこっちの露天初めてなんだっけ? ふふ、くるしゅうない、くるしゅうないぞー!」

「きゃあ、奏子ちゃん、と、突然くっつかないでー!」

「これが“ロテン”、でありますか。わたしには、効かない効能ばかりです。…ところで奏子さん、それは冬の風物詩ともいわれる“オシクラマンジュウ”でしょうか? わたしも是非参加したいです!」

「ちょ、危ないって! 風呂場ではしゃがない!」

 

「げげげ、アイツらだ…なんで、こんな時間に…」

 

はしゃぐ奏子とそれに巻き込まれる風花、そして便乗するアイギスにそれを諫めるゆかりの声が聞こえ、順平は苦虫をかみつぶしたような顔になった。

 

「ほら、他の女の人もいるしやっぱり時間、間違ってなかったんじゃん~!」

「それはそうだけど…結構早くなかった? まだ男子いたりして!」

「ふふ、そんなはずないだろう。だが、あまりはしゃぐと危ないからほどほどにしておくんだぞ」

 

順平たちは岩陰にいるためそこから顔を出しさえしなければ入口及びシャワーが設置されている洗い場が見えないようになっているが、声が響くために誰が来たかは一瞬でわかる。嫌でもわかってしまう。

 

「う、ウグ…やっべえ、桐条センパイまでいんじゃん…ど、どーしよ、退学とか…なっちゃうんスかね……こ、こんなの、出来心で…」

「出来心もクソもあるか…! 見つかったら“処刑”は免れんぞ…!」

「ひぃ…!」

 

明彦の処刑という言葉に順平がさらに青ざめる。綾時は素知らぬ顔だ。あの恐怖を忘れたとでも言うのか。

 

「いや待て、『他の女の人』、と言っていなかったか? 女子共が何の反応もなかったことから三上が先に出ていっているとして、女なんか入ってきてたか…?」

「ま、まさか…お化け…!?」

 

女子の話を盗み聞いていた4人に戦慄が走る。

先にいるという女が先に入ってきていた物音はしていなかった。そして、その気配も。

時間は深夜、影時間近くだ。丑三つ時には遠いが、幽霊が出てもおかしくはない時間とは言える。

日常的にシャドウと戦っているとはいえ、幽霊となれば話は別だ。そしてこんな()()()()()風情があるところで出ると言われたら。

明彦からすれば殴って倒す事に変わりないが女の幽霊となれば多少ためらいもあると言うもの。

 

「わっほ~い! 私いっちばんのりぃ~~~! …ん?」

「こら有里、飛び込むのはあぶない…ぞ……」

「ぷぇっ…うぅ…なん…、…うわああああああああああああ!!!!!!?」

「えええええええ!?」

 

バシャーン! と奏子の飛び込む音。それを窘める美鶴の声。そして聞き覚えのある声の悲鳴。ついでに小さな水音。

聞こえてきたそれらに明彦と湊は冷や汗を流しながら顔を見合わせる。

 

「おい、今のは…」

「まさか…」

 

岩陰からこっそりと入口辺りを覗き見ればしゃがむようにして己の身体をかき抱き、湯の中に肩どころか顎の下まで浸かった優希が下を向いてぶるぶると震えているのが見えた。そしてその横にはバスタオルを胸まで巻いた美鶴と奏子が立っている。

 

「う、うぅ…ううううう……ごめ、ごめんなさっ…ひぐっ…み、見ないで…見ないでくれ……お、おれっ…も、みない、からぁ…!」

「お兄ちゃんごめんね!? 深夜だからだれもいないでしょ~って思ったらまさか、お兄ちゃんが入ってるなんて…髪型いつものと違ったから女の人かと…」

 

奏子の謝罪に優希はふるふると頭を横に振ってまたしゃくりあげる。珍しく兄が本気で泣いている様を見てこれはやってしまったと奏子は顔を青くした。

まさかまさか、こんな時間に兄が露天風呂に入っているとは思わなかったのだ。

 

温泉でほんのりと紅潮した肌としばらく療養していた為に元々細身だったが筋肉が落ちて柔らかく見えるようになった身体。寮に入ってから見る機会が少なくなった兄の半裸。そしてタイミングが合わず切らずにいた伸びた髪。そしてその髪をいつものひとつ括りではなく湯につけたくないがために滅多にしない上の方でまとめて団子のようにしていたこと。湯けむりで視界が悪かったことに加え肩付近まで浸かり、大まかな身長や上半身全体が見えなかったこと。そしてこの時間に居るのは自分たちと同じ女性だろうという先入観。

それら複数の要素が奇跡的に噛み合い、パッと見た後ろ姿のシルエットでは完璧に女性に見えていた。そう思い込んでしまった。だからこそ、優希の後ろ姿を見慣れていた奏子ですら別人だと判断した。

その結果、こんな事態になってしまったのだ。

これはこんなギリギリの時間に風呂へと行くことを計画した順平と綾時が悪いのだが優希はすっかりこの処刑事件のことを忘れており、奏子はそもそも知らなかった為に起こった不幸な事故であった。そしてその裸をガッツリ見られたのは奏子ではなくお湯に浸かって眠気に負け、微睡みかけていた優希の方だったが。

とはいえタオルを巻いていたので大事な部分は見られずに済んだし見た相手は奏子だ。妹なので普段なら特に気にする必要も無い相手である。

問題は、あとから来た相手だ。

 

「な、泣かないでくれ! すまない、まだ男湯の時間だったのか…?」

「たぶ、ん…こんなことなら…ぐすっ…さっさと上がってればっ、よかった…!」

 

そう、美鶴である。

晴れて両想いになった2人だが、そんな矢先に美鶴と風呂場でバッティングしてしまうなど良い意味でも悪い意味でも意識しない方がおかしい。

優希はその実、好意には疎いが1度意識をしてしまうと好きな女性の裸を見るのはおろかキスをするのもまだ早いなどと思ってしまう初心なのである。手を繋げただけでも大進歩といえる。あれだけ荒垣と奏子の中をからかっていたのに自分の立場になるとセックスのセの字も言えないほどだ。

そんなバカ男子高校生が好きな人の裸を見て、己の裸も見られるとどうなるか。察するまでもない。

奏子が飛び込んできたことに優希が驚いて立ち上がった瞬間、腰にかけていたタオルが落ち…かけただけで済んだ。

が、それを見られてしまった、ともう思い込んでいる優希は多大なるショックを受け、情けなくも本気で泣いており「もうお婿に行けない…」などと冗談なのか本気なのかわからない呟きをブツブツと発しながら湯の中へと縮こまる羽目になってしまったというわけだ。どちらかと言えばそのセリフを言うべきなのは優希ではなく美鶴たち女子の方である。

これが両想いでなければ、もしくは入ってきたのが優希の方だったのなら。

優希が「ごめんなさい」と目をつぶってからの土下座のひとつやふたつである意味双方のダメージは比較的少なく軽く流されたのだろう。

もしくは大人しく処刑の流れだったのかもしれない。が、意外と好きな人に不意打ちのように裸を見られたこと(未遂)が堪えたのと、お湯の温かさに微睡んでいたら突然来るはずがないと思っていた女子が風呂に入ってきたという本人的によく分からない事象が重なった為に脳みそがキャパオーバーを起こして弱点を突かれた時の如くダメージが跳ね上がりパニックになって泣き出してしまったのだった。そしてついでに自分がぐずぐずと泣き続けていることも本人にとって情けないことであり、継続ダメージを与え続けている。どう足掻いてもダメージは免れないというなんとも哀れな状況である。

そんなこんなで精神的に癒えない傷を負い、未だ泣き止まないらしい優希を慌てて慰めているふたりは岩陰にいる湊たちに気がついていないようだった。恐らく、優希が1人でこの露天風呂をこっそり満喫しに来たと思っているのだ。

そういう所は信用問題と言うべきなのか、日頃の行いであると言わざるを得ない。

 

「よし、気づいていないな…今なら何とかなるんじゃないか…? 有里、いい考えは無いか?」

「茂みに隠れてやり過ごす、とか裏口から抜けて出るとか…」

「あそこか…宴会場に繋がっているが美鶴に処刑されるよりかはマシだな」

 

サッと顔を引っ込めた湊と明彦はなんとか脱出しようと作戦を練る。

もう見つかってしまっている優希は犠牲となったのだと諦めて、自分たちが助かる方法を模索しだしたのだ。が、

 

「ウッヒョ~~~丸見えじゃん!」

「おおっ、ホントだ。奏子ちゃんに桐条さん、ゆかりさんや風花さんもいる。お兄さん、羨ましいな~~~!」

「全くだぜ。オレっちもあの真ん中に座ってみてえ~~~~!」

 

先ほど処刑に怯えていたのも喉元過ぎればなんとやら。

バカ2人こと順平と綾時が岩陰から顔を出して優希を慰めている女子──ゆかりと風花があとから来てしまっているので4人いる──の姿を凝視していた。

 

「このバカ…ッ!」

「声が大きい…!」

 

慌てて明彦と湊が1人ずつ温泉の中に頭を一瞬突っ込んで黙らせる。

特に綾時に関してはすぐに抗議するのが目に見えたので湊が湯から上げたあとも念入りに口を塞いでおく。絞め落とさないだけ有情だと思って欲しい。

ついでに湊は内心で「というか綾時お前、奏子の裸くらいファルロスだった時に見慣れてるだろ」とツッコミたくなるのをなんとか抑えた。

肝心の優希はというと泣き止んできて色々と諦めたのか、それとも疲れたのか、湯から上がり足だけをつけて縁に腰掛けるようにしてぼんやりと俯いている様だった。

もしくは、女子に囲まれて戦々恐々としているのか。濡れた長い前髪が邪魔をしてその表情は窺い知ることは出来ない。

 

「ねえ…なにか聞こえなかった?」

「え、やだなあ奏子ちゃん! ねー風花、そ、そんなわけ……ないよね…?」

「ええっ、ゆかりちゃん、なんで私の方を見るの!? アナライズとかはできないよ…? この湯けむりでちょっと…それに恥ずかしいし…」

「ふふ、山岸の探知能力も裸では振るえないか」

 

どうか優希が女子に湊たち4人がいるのを暴露しませんように、と祈りながらまた様子を伺いみる。

ちょうどアイギスがざぶざぶと湯をかき分け優希の目の前まで立つと、その手を前に突き出した。

 

「失礼します」

「うわぁあ!? …ぷはっ、あ、アイギス、なに、して…!」

「?」

 

ぺたぺたと胸に触れるアイギスの手から逃れるために情けない悲鳴を上げながら身をよじった勢いで再び露天風呂の湯の中へと落ちた優希はすぐに顔を上げると、腰のタオルが外れないようにしっかりと押さえて一瞬抗議の声を挙げたが顔を上げた先に女子がいると分かるとまた湯の中で下を向いて縮こまる。

アイギスはそんな優希に対し小首を傾げ、続いて奏子のバスタオル越しの胸に触れた。

 

「奏子さん、失礼します」

「ひゃうんっ!?」

「アイギス!? なにをしているんだ!?」

 

そんなアイギスの暴挙とも取れる行動に、美鶴を含めた女子全員が目を丸くした。

 

「男女や個体に体形の差があるという情報は存じていました。ですが実際に見て、触れて計測してみたデータが無かったのでこの機会にと思いまして。ダメでしたか?」

「ダメに決まってるでしょ!? そういうのはやる前にちゃんと言わないと!」

「ですので、失礼しますと断りを入れました」

 

何が悪いのか、どうして悪いのかわからないと言いたげなアイギスに対し、ゆかりが目を剥く。ちがう、そうじゃないと言いたいゆかりの心情を読み取ったのか、風花がなだめる様にアイギスに言い聞かせる。

 

「アイギス、それだけじゃわかんないよ…ちゃんと、何をいつするかを訊かないとダメだよ? 三上先輩みたいにショックを受けちゃう人も居るから。ね?」

「なるほどなー。以後、気をつけます」

「うん、ほんとに…気をつけてもらえるとありがたい、かな……はあ…」

 

アイギスの返事に優希は疲れたように苦笑いしながら溜息を吐いた。少しぐったりとしているのは気の所為ではないだろう。

優希からすればのんびりするためにこんな時間にやってきたというのに、却ってトラブルに巻き込まれているという現状は疲れるし非常に不服であった。

それはもう、誘ってきた順平と己の不幸を呪うレベルで。

今回ばかりは誰かを恨まずにいられない。彼の機嫌は現状、かなり下降している。これは恐らく1晩寝た程度では直らないだろうことは確実である。

それを少ししか表面に出さないのは女子が悪い訳では無いというのをわかっているからであって、不満がなかったり怒っていない訳では無いのだ。

 

「優希さんと奏子さんのデータだけを採取できましたが…目視による確認だけでも個体によって違いがあるというのはなんとなくわかりました。はっきり言ってオドロキであります。男女の違いだけでなく、同性間での個体差もあるのだと。特に胸部の…」

「ああー、分かったから、アイギス。熱いしもう出よ、アイス奢るから」

 

つらつらと語り出したアイギスに、それ以上は不毛な会話になると察したゆかりがそれを中断させた。

アイギスに他意はなくとも、一応ここには優希という男子がいるのだ。胸の比較レビューなど語られた日には気まずいことこの上ない。そしてその比較には恐らく男である優希のものも含まれるだろうことは想像に難くない。

そうなればもっと微妙な雰囲気になること間違いなしである。

 

「アイスでありますか。クールダウンは大好きであります。ついでに、バニラアイスを所望します」

「はいはい。ほら、先輩も逆上せないうちに。言っときますけど、着替えは覗かないでくださいね!」

「言われなくとも覗いたりしないよ…なんかもう、いろいろと疲れた…」

 

アイス、という言葉にアイギスは食いつく。

パンケーキを食して以降、アイギスは食事に興味を持ち始めた。

ただただ成分を分析するだけでなく、味も楽しみたいと思うようになったのだ。特に最近のお気に入りは甘味。

本日の市内散策でもアイギスは風花や奏子と一緒に抹茶スイーツを食べたりお土産屋の生八つ橋の試食に精を出したりしていた。

そして風呂上がりにアイスクリームとなれば逃さない手はない。既にアイギスの思考回路の中はアイスの食べ比べでいっぱいだった。それこそ、先ほどの会話がすっとぶくらいに。

 

出ていく女子に対し先陣を切り、しょぼしょぼと下を向いて先を行った優希とそれに続くようにして女子の姿が見えなくなってガララと脱衣所への戸を開ける音がした瞬間、明彦と湊は安堵の息を吐いた。

 

「…行ったようだな。危なかった…もう少しで、美鶴の“処刑”を味わうところだった…」

「優希には悪いけど、本当に僕ら“処刑”されなくてよかった…」

 

本当に良かった、ともう一度安堵の息を吐く。

兄は犠牲になったが必要な犠牲だと思って合掌でもしておこう、と湊は思う。

そして同時に感謝した。自分が兄の立場なら順平と綾時のことを速攻でバラシてスケープゴートにでもしていただろう。

それで処刑を免れるかどうかは別として。

 

「まったくだ。…って、ん…?」

 

そんな湊の内心を知ってか知らずか、明彦は頷いた。が、横にいた順平と綾時が静かなことに気がつきそちらを見れば逆上せて真っ赤になっているふたりが仰向けで水面に浮いている。

 

「…逆上せたか」

「自業自得だと思う」

「……そうだな」

 

処刑されるよりかはまだ逆上せている方がマシだろう。同時にそう判断した湊と明彦は、女子の気配が脱衣所から無くなるまで騒げなくなった順平と綾時にジト目の視線を送った。

 

 

 

 

 

 

 

11/20(金)

修学旅行最終日。

夕方には京都駅に集合。それまでは昨日と同じく市内を自由に散策できるという。

 

「みんなー、京都駅に集合の時間、忘れてないわねー? 遅れたりされると監督責任で吊るされんの、私なんだからねー」

 

そんな鳥海の声を、湊たちは旅館内の土産屋近くに設置されている長椅子に座りながら聞く。

 

「京都なんてアリガチとか思ってたけど、あったな、結構…ってゆーか、昨日に集約されてるけど」

 

と、順平がぼやけば、湊、明彦、綾時の3人が頷いた。

 

「……」

「と言うか、オフロでしょ、オフロ。お兄さんの犠牲は僕、忘れないよ…」

「バカ、声がデカい…!」

 

風呂、という湊たちにとってはなかったことにしたい出来事に関するキーワードをそれなりに周りに聞こえる声で放った綾時を明彦が諫める。

そこへちょうどいつもと同じように髪をひとつにくくった優希が高梨や朔間と共に歓談しながら荷物を持って歩いてきたかと思えば、じっと4人を──特に順平と綾時を睨むようにして口をつぐんだ。

 

「ど、どうしたの三上くん?」

「……なんでもない。ちょっと用事があるから先行ってて」

「あら、あまり遅れないでちょうだいね。美鶴さんを待たせてるんだもの」

「わかってる」

 

ふたりと別れ、持っていた旅行鞄を床に置いた優希は目を逸らして小さくため息を吐いて微妙そうな顔になったかと思えば、再び口を開いた。

 

「昨日、なんで置いてったのさ。誰か出るときに一言くらい言ってくれれば良かったのに」

 

おかげで大変な目に遭った、と言いたげに恨みがましい目線を4人へと投げかける。

直接的な『露天風呂』と言う言葉を言わないまでも、どうやら優希は4人が先に露天風呂を出ていったのだと勘違いしているようだった。

 

「…いや、あの、なんだ……その、」

「たけ…もう女湯の時間だと思って入ってきた女子に女と見間違われたあげく“詐欺だ”って言われた俺の気持ちが分かるか? どうせ羨ましいとか思ってそうだから言うけど、すごく気まずかったんだからな! …うぅ…思い出したくない…」

「…すまん」

「…ごめん」

 

ゆかりの名前を出しかけて女子とはぐらかし、顔を手で覆って俯いた優希に見捨ててごめんという意味も込めて明彦と湊は小さく謝罪した。

が、むしろ順平と綾時は目をキラキラさせて謝るどころか興奮しだした。

 

「で、で! あの後ゆかりッチたちとはどうなったんすか!? まさか、ムフフなことが…?」

「あったんですか!?」

「あるわけないだろ。というか、あっちゃだめだから」

 

ただ着替えてアイスを食べたという事は言わずにむっとした顔で順平と綾時を睨みながら答えた優希は途中で違和感に気がついて小さく首を傾げて口を開く。

 

「ん…? 岳羽()()ってことは…もしかして、伊織…」

 

優希はゆかりの名前しか出していない。にもかかわらず、『たち』と複数形をつけた事から女子が入ってきてからも4人があの場に居たのではないかという事を察した優希は途端にゴミを見るような目になった。

 

「裏切り者。こんなことなら皆に話しちゃえばよかった。誘ってきたのも伊織だったし、分かってたか狙ってたんだろ」

「いやぁ…オレっちもまさか女子がくるまでは…予想できなかったって言うか、その、スンマセン…」

 

そんな視線に耐えかねてその場にいたことを暗に認めた順平が頭を下げるも優希の苛烈な視線は止まない。

しかし湊は優希もループしているのなら一度くらいは修学旅行の露天風呂処刑事件くらいは味わっているだろうことを思い出し、それを知らないということはないだろうと思い至る。

なら、どうして恨みがましそうな視線を寄越しているかと思うと、ひとつの仮説に思い至った。

 

「優希、もしかして奏子達が来るの忘れ…」

「ああそうだよ! …忘れてたんだよ。伊織も気が利くな~くらいに思ってた自分を殴りたい…湊も止めてくれれば良かったのに…」

 

優希はすっかりすっぽりそのことを忘れてしまっていたらしい。

そもそも、覚えていたのならさっさと上がっているだろう。だからこそ自分が忘れていたことを棚に上げ、誘ってきた順平とその共同企画者であるという事は思い出した綾時を睨んだのだ。

優希自身、これが八つ当たりだという事はわかっている。が、そのまま黙っているというのもどうにも腹の虫が治まらなかったのだ。

 

「…まあ、無かったことにするけどさ。“処刑”、されなくてよかったね」

 

ああ、珍しく兄がキレているな、と湊は思った。

これは皮肉だ。にこやかに笑っているが言葉の端々が刺々しい。これは「自分も無かったことにして黙るから、お前らも黙ってろよ」という脅しだ。

途端に青い顔になってコクコクと頷く順平と綾時を横目に、湊と明彦もしっかりと頷いた。

黙っていよう。その方がみんな幸せなのだ。後からバレて処刑されれば今度こそ“処刑”された際の氷を溶かす場所がないしゴミを見るような目は優希だけでなく他の女子からも浴びせられることになるだろう。

そんなことを満場一致で以心伝心させた4人へと近づいてきたのは奏子と風花とゆかり、そしてアイギスだった。

 

「あれ、みんな、どうしたの?」

「え、あ、イヤ、ちょっと、反省会をな」

 

優希の「言ったらどうなるかわかってるよな?」という目だけ笑っていないにこやかな笑みが4人に突き刺さる。言ったら別の意味で“処刑”される。そんな凄味をもったその表情に、順平はあせあせと焦りながらなんとか取り繕った。

 

「…何の反省よ」

「え? な、なんでもねえって…」

 

怪しいと思ったゆかりの追撃に、順平はまたしどろもどろになりながら言い訳したが先ほどの優希の表情にそっくりなジト目の奏子に怪しまれる。

 

「あやしー…なんか、悪い事でも考えてたんじゃない? たとえば、お風呂覗くとか!」

「ぎ、ぎくぅ!!」

「ま、私の予想なんだけどね! 湊だけならともかく、お兄ちゃんや真田先輩もいるし、流石にそんなことしないよねー」

 

大きく肩を跳ねさせた順平を見た奏子はしかし、これ以上追及せずにその疑惑をうやむやにした。

そしてそのまま奏子たちは女子の間での会話を再開し、去っていく。何もしないのなら興味もないと言わんばかりに。

優希も女子が歩み始めて話が終わったとみるや荷物を持ち直して手を振り去っていった。念押しはせずに、ただ無言で。

そんな優希と女子の姿が見えなくなり、安堵したような息を吐いた順平はほぼ無言だった湊を見る。

 

「イチレンタクショーだかんな。…墓まで持ってけよ」

 

こうして、以降この話は禁句となった。

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