君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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しばらく説明会が続きます。


「時間切れまで足掻けばいい」(12/3)

かたん、と音がして目を開く。

一面の暗闇。

自分は。

 

(おれは…そうだ、ニャルラトホテプに……)

 

死体に戻されたのだったか、と記憶を手繰り寄せる。

自分が──有里渚というこどもが元々死んでいた事には朝倉医院で古めかしい紙束を見て倒れた時に知ってしまった。気がついてしまった。

そして、その子供がニャルラトホテプの化身として作り替えられたことを。

 

侵食され、大型シャドウを食らったせいで死の宣告者になってしまったことはカダスを出た時点で気がついていたのでそこは関係ない。アイギスの反応が、いつもと違っていたことに嫌でも気づかざるを得なかっただけの話だ。

 

「………」

 

 

最初は、ただの現象のひとつだった。

『滅び』を得るためにシフトした実験の副産物。本来の目的だった『時を操る神器』。

問題が解決しない限り2010年3月31日を繰り返す『時のから回り』を起こした原因。

滅び(デス)』から分離し、独立した無形の現象。

 

そんな何物でもない自分が、なぜ意思を、人格を持ったのか。よくは分からない。もしかしたら、誰かのシャドウが核の元になっていたのかもしれないがそれも分からない。

ただ、特別課外活動部の住む巌戸台分寮を起点に観測していた。ぼんやりと、微睡むように。機械的に。

最初は、見ているだけだった。天からの視点、とも言えばいいのか。テレビ画面でひたすら垂れ流されるような感じで観ていた。

そこには湊もいた。他の皆もいた。

 

増えたり、減ったり。

 

喧嘩したり、泣いたり。喜んだり。裏切られたり。苦しんだり。

 

様々な感情を感じた。

人間というものを、『ペルソナ使いの高校生』というものを学習した。

滅び(デス)』と共によく見ていた機械乙女(アイギス)の事も、もちろん見ていた。

幾月が無自覚なニャルラトホテプの化身だということも知っていた。

同じ、普遍的無意識に住まうものだから、そういうものだと思っていた。あちらは明確な意思があり、こちらにはない。

敵や脅威だという認識でもなかった。

自らはただの現象であり、道具として求められていたのでその程度の認識しか無かったのだ。

人格を得ようなどとも思っていなかった。なのに、気がついたら肩入れしていた。道具としての領分を超えていた。

 

ある日、湊が死んだ。ニュクスを封印して、魂が身体から離れてしまったのだと知っていたから、「ただ身体の機能が停止した」それだけの認識でいた。

人というものを学習しても、死はよく分からなかった。どうして悲しむのかも、よくわからなかった。悲しいという感情は避けるべきだと思うのに、悲しいがなんなのかよくわかっていなかった。

 

けれどアイギスが、死んでしまった湊に置いていかれたくない。悲しいと言うのでそれならばと思い出に閉じ込めた。

皆が、終わりたくない。離れたくないと望むので3月31日を繰り返させた。そうすれば、望みを叶えれば悲しくないのだと思っていたから。

けれど、違った。

結果的に大丈夫だったものの、その選択はみんなを、メティスとアイギスを傷つけてしまった。

見たくないものを見せてしまった。選択肢を与えたつもりだったのに、解決法を用意していなかった。

 

救いたいという祈りを聞き届けた。

なのに、自分は何も出来なかった。遅すぎた。

 

だから、何度か繰り返させた。2009年の4月から、何度も。

他に燃やすものなんてなかったから、皆の思い出を勝手に消費して繰り返した。

選択した末の結末を、覚悟を、決意を踏みにじった。理解が出来なかったが故に。

 

引き継げたら、なにか変わったのかもしれないけど、それでもダメだった。

何をしても、湊は──奏子も──死んでいく。皆が悲しみ、メティスが生まれて、また自分は繰り返す。閉じ込める。

 

ある時、世界の記録そのものであるアカシックレコードを手持ち無沙汰に観測していたら、湊と奏子には生まれる前に死んだ兄がいたことを知った。

羨ましい、と思ってしまった。ヒトという生き物が、家族というモノがなんなのか、知りたかった。その時にはもう薄くても人格のようなものを得ていて。

異常なくらいに願いに執着していた。湊と奏子を救うことを優先していた。

もしかしたら、既に愛おしく思っていたのかもしれない。

運命に必死に抗おうとする姿に魅せられていたのかもしれない。それとも、彼らがニュクスを封印したせいで普遍的無意識にいたということもあって距離的には非常に近かったせいかも。

とにかく、理由はわからないけど執着していたのは確かだ。

 

ある時、いつもより多めに巻き戻していればニャルラトホテプが『ニュクスを封印する運命の者(奏子と湊)の兄』という事だけでその死んだこどもを実験の材料に使おうとしていた。

 

しめた、と思った。

 

同じものに目をつけていたことに歓喜した。自分に出来るのは時に関することだけ。元々生まれる前に死んでいるものを生き返らせたりはできない。

だからニャルラトホテプが介入し(生き返らせ)た時に自分も入り込んだ。その子には、魂がなかったから、なかったせいで生まれてこれなかったから。

自分が魂の代わりになった。ニャルラトホテプにも元々の『有里渚の魂』だったのだと認識させた。自分をそう、書き換えた。

 

得た記憶も、感じた感情も、アカシックレコードを観測する権利も、その殆どを引き換えにして最低限の『時を巻き戻す』機能以外はすべて魂として自分を変換した。はずだった。

結局は情報であるので記憶や感情も魂に変換されたとはいえ、こうして大雑把に「そういうことがあった」と思い出せる程度には焼きついてしまった。

それに、見よう見まねで──しかもちっぽけなリソースから作られた魂もどきは歪で小さくて不完全で。

それだけでは足りなかった。自分だけでは足りなかった。

 

そんなこと知っていたと言わんばかりにニャルラトホテプはきらきらと輝く力強い魂をひとつ、持ってきた。

けれどそれは半分に割れていた。もう半分は、色を失って崩れていた。焼けて灰になっていた。もしかしたら、『有里渚』には魂が無いことを知っていて、不完全をわかっていて使うつもりで持ってきたのかもしれないけど。

 

そして、自分とそれを混ぜた。繋げて、混沌で補填して、ぐちぐちと混ぜた。

その時、認識がおかしくなった。

自分がなんなのかわからなくなった。ぴかぴか光る魂の──だれかの記憶と感情が混じって、弾けて、ばらばらに砕けて、自分とぐちゃぐちゃになって溶けていった。今も僅かな感情しか読み取れず、その内容をほとんど知ることは出来ない。そのだれかが誰だったのか、自分にはわからない。

 

そういうことを見越してわざとニャルラトホテプはそうしたのかもしれない。『時を操る神器(自分)』に本当はあの時点で気がついていて面白おかしくするために、わざと。

でもそれでも良かった。自由に動ける身体があって、たくさんのことを感じる心があって、なにかに触れられる感覚がある。

十分すぎるものを得ることが出来た。

 

そうして、“(ぼく)”が生まれて初めに得たのは『愛』だった。

母親からの愛。父親からの愛。

すぐ後に生まれた弟妹を愛しいと思う感情。

混沌と混ぜられていずれ無自覚の悪となってしまっていたはずの自分がそれを得られたのは幸運だっただろう。

マイナスを補うほどの愛に溺れた。愛されることを、愛することを覚えた。

 

それでもペルソナには目覚めなかった。

ヒトでは無いから最初からその資格がなかった。

どちらかと言えばシャドウではあるけれど神魔や超常現象に近い自分はヒトの形をしていてもヒトではなく。己のペルソナを得ることが出来なかった。

誘拐されたあとの実験の際に植え付けられ、自分の元に唯一残ってくれたヒュプノスをペルソナだと思い込むことでそれとしていた。

 

影時間への適正もタルタロスの塔から落ちた際に記憶と共にヒュプノスに封じられ、無くなっていた。

だからこそ最初、フィレモンと取引をする前は何も知らないただの三上優希だったのだ。

あれとしてもニャルラトホテプと同じく、その化身が罪だけを重ね、のうのうと何も知らず生き、本当に何もしなかったことにやきもきしたのだろう。だから、取引を持ち掛けてきて俺の中にある『時を操る神器』の機能に暗示をかけ、無意識に作動させるようにした。

それか、本当に善意か。

どちらかといえば結末を覆すという意味で10年前に()()()()()()()()()珠閒瑠市で起きた事件の当事者である、『周防達哉(ヤツらの犠牲者)』たちを唆した時のように、その選択肢をとることがニャルラトホテプに対する敗北だと分かっていながら差し出した時と同じなのかもしれないが。

 

何度も言うがフィレモンもニャルラトホテプと方向性は違えど同じ穴の狢だ。個人の感情をあまり鑑みず、世界の命運がそれで終わるのも仕方ないと思っているタイプだ。

天野舞耶(あまの まや)という大切な女性を失った『周防達哉(ヤツらの犠牲者)』に世界をリセットするかどうかを訊いてきたときにもそのデメリットを説明しなかったことからも伺える。

あいつはすべてを知っているくせに黙っているのだから、同じことだ。どうしようもなくなってから、「全てお前のせいだ」と嘲笑う。そういう、『決して善ではない』ところはなにも違いはない。

自分がニャルラトホテプの化身だということもわかっていて、あいつは四騎士の試練を持ってきた。

フィレモンとしては四騎士という死神の要素を補填することによって、こちらを死の宣告者として覚醒させやすくする為にやった事なのだろう。そうすれば、ニュクスと一体化し自動的にニャルラトホテプの化身の一体が勝手に消える。邪悪に目覚めることも無く。ただ世界の敵として。

 

しかし別の──それも宇宙のはるか外から来た神が途中で乱入してきたせいで奴らのシナリオ通りにはいかなくなった。

奴らが考えていたのは、「湊と奏子の代わりに俺が封印の要になって死ぬ」か「それもできずに完全に世界が滅ぶ」か「自分という存在が繰り返しによって摩耗して消えること」だ。

要は、実験も兼ねていたが、自分という“意志を持ってしまった『時を操る神器』”が別の要因でも世界に干渉できないようにしたかったのだと思う。

しかしシュブ=ニグラスが目覚めたせいで、奴らも焦っていた。シュブ=ニグラスはこちらを通じてニュクスの身体()だけではなく、ニャルラトホテプをも呑みこもうとしたからだ。あれはヒトがヒトの業によって自滅するのを見るのは好きではあるが、己が別の存在に意図的に呑み込まれ消され、別物(なかったこと)にされるのは好まない。

だから、『前回』にニャルラトホテプは特別課外活動部と敵対したにもかかわらず最終的にシナリオから外れ、和解した俺を突発的にロンギヌスの槍で貫いて殺さなくてはならなくなった。

そしてフィレモンはフィレモンで即座にシナリオに修正を入れ、俺に更なる取引を持ち掛けた。

 

『今回の記憶を全て忘れる代わりに、フィレモン自身が足りないリソースの分の巻き戻しに協力する』

 

と。

そうして俺は、巻き戻すことを選んだ。

抑えていた部分がシュブ=ニグラスへと殆ど回収されかけ、それが目覚めかけていたからそうするほかなかったのだ。

俗にいう、“詰み”だった。それだけだ。

けれどその結果がこれだ。アレは今度こそ自分が死の宣告者として正しく倒されるように、シュブ=ニグラスが目覚めないように動いたつもりだったのだろう。試練を与え、明晰夢を見せ、神条さん──神取との接触を邪魔しようとした。だが、それが逆効果になった。神条さんの件はニャルラトホテプや神条さん自身がフィレモンをウザがったのもあるかもしれないが。

奴らにとって予想外だったのは、四騎士たちとトランぺッターが別口で合体しマザーハーロットになってしまったことだろう。アレのせいで自分は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()“シュブ=ニグラス”とのつながりをさらに深くしてしまったのだから。

 

 

奴らはどこまで行っても表裏一体で、『有里渚』という人間と何かの手違いで思考する核を得てしまった『時を操る神器』という現象を実験材料にしたことに違いはない。

俺はずっと、『時を操る神器(自分)』や、ニャルラトホテプやフィレモンに誘導された道を歩き、奴らから直接与えられたもので戦っていたというわけだ。

三上優希()と『時を操る神器(自分)』、そしてニャルラトホテプたる己は全て同じで全て違う。

 

マーガレットが言っていたことも、今ならわかる。

自分の足で歩いているつもりだった。

実際、自分の足では歩いていた。けれど、それは“三上優希”としてでは無い。無意識に『時を操る神器』として、願いを叶える為にひたあるいていただけだった。

ニャルラトホテプやイゴールたちの主──フィレモンの手のひらの上だった。

四騎士の試練だって、1番初めにメノラーを渡される際に拒絶しようと思えば出来たのだ。

けれど、受け取ってしまった。

 

マーガレットが言っていたことは、俺というひとりの“人間(ヒト)”が俺自身の足で歩いていかなければならない、ということなのだろう。どうやってヒトになるのかわからないけど。

 

それに1周目だと思っていたことが、本当の1周目(はじめの一年)ではなかったということに驚きはあれど、戸惑いはない。自分のやったことだとわかっているから。

 

ヒュプノスが俺の記憶を封印することに注力し、戦う力を失ってしまったあとは、ひたすらなすすべも無く殺される自分に飽きたニャルラトホテプからモルペウスを。それだけで足りないのなら次にポベートール、そして最後に心に焼きついていた千鶴さんを元に形作られたパンタソスを植え付けられ、ペルソナに目覚めたのだと誤認した。

彼らは最初からニャルラトホテプの欠片であり、カダスのナギサ(ノーデンス)と同じカダスにいた存在であり、己の心の内に住まうペルソナ(もうひとりの自分)ではなかったのだ。

誰かのペルソナに干渉できたのも、トランぺッターが勝手に出てきたのも、暴走した他者のペルソナに対し手を握り【吸魔】するだけで暴走を抑えられたのも、ニャルラトホテプの化身であって容易に心の海に触れることができたからだろう。要するに性質が近しいからこそ、無意識に親近感を持たれ内に入れられたシャドウや他人のペルソナに拒絶されにくかっただけの話だ。

 

ウィッカーマンはニャルラトホテプの化身としての己。たしかにもうひとりの自分とも呼べるかもしれないが、あれは繋いだ混沌部分であってペルソナではない。同じであり、別物だ。

 

ここまで整理して、けれどこうなってしまった以上立ち止まる訳にはいかないと決意する。

 

立ち上がる。

湊や奏子、美鶴さんが別にヒトでなくてもいいと言ってくれたのだから、今更身体が死んでいようがどうでもいい。動かなければ。燃やさなければ。自分でちゃんと、抑えておかなければ。

湊も奏子も、一ヶ月は魂がない状態で身体を動かして頑張っていたのだ。自分は、内を少し損なってしまっただけ。なら、時間切れまで足掻けばいい。自分の身体に対する自分の『認知』を悪用して生きていることにすればいい。

動く屍状態だろうが関係ない。

 

もはや『時を操る神器』やニャルラトホテプの化身という存在から変質していたとしても。

 

俺は、行かなければならない。

 

 

 

 

12月3日(木) 朝

 

 

目を開く。

今が何時で今日がいつなのかわからないが寮の自室のベッドの上だ。起き上がり、自分の状態を確認する。

心臓が動いて、息をしている。生きている。大丈夫だ。

 

「……?」

 

胸の奥から、黄昏の羽根のような気配がして少しだけぞわぞわとした。

恐らく認知を悪用するまでもなく、湊が黄昏の羽根を使ったか埋め込んだかしたのかもしれない。一瞬でも死んでいるのは確実なので、効果を知っていたかメティスか綾時くんかに言われたんだろう。4月とは違いとっくのとうに限界だったので黄昏の羽根を使うくらいしか蘇生の方法は無かっただろうし。

それが無理でも認知の悪用と気力だけで身体を動かすつもりではあったけれど。

 

黄昏の羽根に意識を向けていると、近くにいる訳ではないというのに奏子と湊の気配をなんとなく感じとれて、変な気分になる。

もしかしたら持った拍子に遺伝子情報でも焼き付いてしまったのかと要らない思考を回す。最初に持っていたのは自分なので自分の遺伝子情報も焼きついているのかもしれないが、それはそれ。これはこれだ。

迷子になった時には便利そうだと思った。

 

ベッドから立ち上がり、腕を回してみる。問題ない。

足を踏み出し、足踏みする。少しふらつくけれど大丈夫。

視界は良好──とは言えないがまあ及第点だろう。

鏡で自分の顔色を確認すれば、青ざめていて不健康そうであまり良くはないがなんとかなると流すことにした。

 

軽い頭痛と体のだるさはあるが少し動く動作をするくらいなら問題はないと確認し、時計を確認すれば12月3日の早朝だった。

 

部屋を出たとして、初めにどうするかだ。皆の無事を確認した後に学校に行くか、休むか。

個人的には学校に行くのを優先したいところではある。しかし、奏子の気配がなにかおかしい。朝早くだというのに寝ている気配ではなく苦しんでいるような、泣いているような。そんな気配がするのだ。

湊に関しては揺らいではいるけれど寝ているような雰囲気で大丈夫そうなので、奏子の様子を見に行ってから決めるのもいいかもしれない。

 

かなり早いがいつものルーティーン通りに制服に着替え、学校に行く準備をして部屋のドアを開ける。

 

「あ…」

「…朔間くん、おはよう」

 

ドアを開ければいつからいたのか、そのすぐ横で体育座りをして座り込んでいた朔間くんに挨拶する。その顔は、憔悴しきっているようで見るに堪えない。

 

「怪我は大丈夫?」

「………」

 

ボロボロだったので怪我は大丈夫かと聞いてみたが、目を逸らされてしまう。

 

「辛い役を押しつけて、ごめん」

「なんでっ!!!!」

 

謝れば、朔間くんが叫ぶ。

 

「謝るのは僕の方でっ、僕がちゃんと全部受け止めきれてたら…優希は死の宣告者になんてならなかった!!! 僕がおかしくなって優希を傷つけたり、優希が1人で消えようだなんて決意したり辛い思いもしなくて済んだのに!」

「しーっ、まだ朝早いんだから静かに。でも、違うよ。違うんだ、モルフェ」

 

朔間くんの──否、モルフェの言葉を否定する。

モルフェのせいでは無い。確かに、最初に大型シャドウを喰らうようになったきっかけはモルフェだったのかもしれない。

モルフェが──ヒュプノスが大型シャドウを吸収しきれず、こちらに大半が回ってきてしまったことも原因かもしれない。けれどモルフェはちゃんと警告していた。大型シャドウには近づいて欲しくない、と。

悪いのは吸収できる土壌を持ってしまっていた自分とフィレモンとニャルラトホテプだ。

 

「俺は、最初からこうなる運命だったんだ。…あの時モルフェが頑張ってくれたから、俺はこうしてここにいる。辛い思いをさせて謝らなきゃいけないのは俺の方なんだ」

 

昨日、モルフェは介入しようとしてきていたニャルラトホテプを限界まで抑えていてくれていたんだろう。

だからこそ、自分は(一応)無事に帰ってくることが出来た。

謝罪と感謝こそすれ、こちらが謝られる理由はない。

それに逆に自分がモルフェを──ヒュプノスの力を取り込んで喰らったという表現もできる。謝るべきは、こちらのほうなのだ。

 

「モルフェさえ良ければ、これからは湊達に力を貸してあげて欲しい。……俺は、もしかしたら役に立てないかもしれないから」

 

そう言って頭を撫でれば納得してなさそうな顔でコクリと無言で頷かれる。

身体を動かせているとは言っても探索込みで連続した戦闘ができるほど動けるかどうか分からない所がある。来る決戦までには戦えるようにしておきたいので、慣らしはするが。

 

「ぼく…僕は、優希がみんなを救って消える事を望んでたから、協力しなきゃって思ってた。だって、それが優希の幸せならって! でも、優希の弟と妹の目を見てたら、ほんとにそうなのかなって疑問が湧いてきて……それで………そのせいでアイギスや特別課外活動部のみんなにバレちゃったから…優希がちゃんと終われなかった…また、苦しい思いをする羽目になってるのに、ぼく、いま何故か優希がまだ居てくれて、生きてて良かったっておもっちゃってて…!」

 

俯いたまませきをきったように話しだしたモルフェは止まらない。

モルフェは優しすぎる。こちらの願いを叶えようと動いてくれて、己が死の宣告者なのだとわざとヘイトが向くように名乗っていた。恐らく自分が気がつかないまま過ごしていたら、そのまま死の宣告者を名乗って立ちはだかっていたことだろう。

そうすることが無意味だとわかっていながら。

 

そして自分が思い出してしまったあとは、精一杯特別課外活動部をムーンライトブリッジに留めてくれようとした。

アイギスが気がついてしまっていたからこそ、自分はひとりでカダスへは行かずに戻ってきた。

気づかれてしまったのなら、殺されてもいいと思った。演じて、敵意や憎悪を向けさせようとした。あのまま行けば、モルフェきっと倒されてしまうしいらない傷が増える。それも嫌だった。

しかしそれが間違いで、嘘がすぐに見抜かれるわ、湊たちは俺を殺すつもりなんて全くなくて。

何をやっても中途半端で、思いも中途半端なままこうして戻ってきてしまって、モルフェや皆の思いを踏みにじってしまったのは自分の方だ。

 

「いいんだ。モルフェは何も悪くない。悪いのは全部、なんにも決めきれてない中途半端な俺なんだ」

 

許してくれとは口が裂けても言えない。

許されることではないことくらいわかっている。

 

「でも…」

「ああやって思うのは正常だよ。矛盾してるかもって思うけどさ。それが、ヒトの心なんだよ、モルフェ」

 

モルフェは俯いたまま答えない。

こういうのはアイギスと同じでおいおいわかっていけばいいと思う。

モルフェの場合、幼い頃の『僕』だった頃の俺の人格くらいしか参考データが無いんだろう。

一方、自分はモルフェに記憶を封じられてから養父さんの真似をして『俺』と言い始めただけだ。そして口調は養母さんのものに近い。

だから、いまの人格は“三上優希”という人間とも呼べるかもしれないと勝手に思っている。

逆に、モルフェは“実験体だった頃の有里渚”を基準に人格を得ている。

なら、自分があのまま成長したらこうなっていたのだろうか。

 

………。

 

わからない。

どちらかと言うと今の口調のまま、『僕』呼びだったのでは無いのだろうか。うーん、なんだか胡散臭い気がする。

 

「…眠かったら俺の部屋で休んでていいから。朔間くんとしては慣れて無いだろうけど、モルフェにとっては慣れてるだろ? だから、寝てていいよ」

 

思考が逸れていたので修正して、「まだ朝早いし」とは付け足さずに申し出る。

この調子だと綾時くんやメティス、モルフェは作戦室かラウンジのソファーで寝ていたのかもしれない。この寮にはもう空き部屋がないので、寝られる場所といえばそこくらいしかないのだ。

 

「いいの…?」

「良いんだよ。ほら、ゆっくり休んでおいで」

 

奏子や湊に言い聞かせるように、部屋の鍵を渡してモルフェを部屋に入れる。

おずおず、といった様子で部屋に入ったモルフェは遠慮がちに制服の上着を脱いでベッドに寝転んだ。

スウェットかなにか、寝やすい服を貸してあげられればよかったけれど朔間くんとしてのモルフェと自分はかなり身長差がある(もちろん、朔間くんとしてのモルフェの方が圧倒的に低い)ので着てもぶかぶかになるだけだろう。裾を折ったとしてもなおあまりあるというのは想像に難くないのでそのまま黙っていることにした。

あと、借りること自体に負い目を感じて遠慮しそうではあるし。洗えばいいだけなんだけれど。

 

「おやすみ」

 

そう言って、部屋の電気をぱちんと消してドアを閉じた。そして二、三歩歩いて立ち止まる。

 

(さて…)

 

1度下に降りてから奏子の様子を誰かと見に行くべきか。それとも兄妹特権で部屋に直接行くか。悩ましいところではある。

とはいえ、家ではないし奏子もそういうのをあまり好まない──とは思う。たぶん。奏子の方は容赦なく湊の部屋やこっちの部屋に入ってきているけど。三上家では、自室の扉開けた瞬間こちらが買って置いておいたおやつを食べながら我が物顔でくつろいでる時もあって気にしてないような気もするがあれは家だからだろう。

それになにか不安定になっているのなら先に誰かに事情を聞いた方がいいかな、と思った瞬間、目の前の荒垣くんの部屋の扉から目覚まし時計の爆音が僅かに貫通してビクリと身を震わせる。

 

そうだ、荒垣くんがちょうど起きてくる頃だった。

荒垣くんなら何か知っていないだろうか。出来れば部屋に行くなら女子と一緒がいいが、この時間は美鶴さんでもまだ寝ているだろうし背に腹はかえられない。

荒垣くんなら一応、奏子の彼氏だし、部屋に行っても問題ない……はず。

いや自分単品の方が血縁関係ということを考えると問題ないっちゃ無いんだろうけど。うむむ。どうするのが最善か、分からなくなってきた。

 

(湊か? 湊と一緒に行けば1番問題ないのか?)

 

だがそうなるとあの寝付きの良すぎる湊をこんな早朝に起こさなきゃならないし、色々聞かれるだろう。

湊の睡眠時間とかを考えるなら素直に待った方が──……

 

そうやって決めきれずにうろうろと右往左往していれば、ガチャリとドアが開いて中から長袖タンクトップの荒垣くんが出てくる。

 

「…!」

 

寝起きだからか、荒垣くんの目つきはいつも以上に鋭い。

 

「おはよう」

「…おう」

 

荒垣くんの返事は短い。

チラチラとこちらを見てくるのでへラリと笑う。

 

「俺は大丈夫だよ。大丈夫。まだ、死ねないからさ」

「お前の『大丈夫』は全くもって信用できねぇんだがな」

 

溜息を吐かれてしまう。心外な。自分の『大丈夫』は大丈夫な時にしか言っていない。

()()()()()()()()()の『大丈夫』ではあるけど。

 

「そうだ、奏子になにか無かった? もしかしてあのクソ…じゃなかったニャルラトホテプに何かされたとか…そんなところのなにかが」

 

そう訊けば、荒垣くんは途端に目を逸らした。

何かを躊躇うように床を見て、そして俺を見る。30秒ほどだんまりを継続した後、覚悟を決めたように真剣なまなざしになって、口を開いた。

 

「てめぇの察してるとおり、…あのヤローに何かされたみてーでな、倒れて高熱を出してやがる。今は、アイギスや...アイツの妹だとか名乗ったあの…メティスとかいうのがついてるから安心しろ」

「は?」

 

それを聞いた瞬間、耳元でバチリと空気が弾けた音がした。

 

「あー、そうなのか。あいつ、奏子に手を出したのか。俺の、大事な、妹に。そうかそうか

 

──殺す

 

殺せないことはわかっている。けれど、一度完膚なきまでに消し飛ばさなければという激情が湧いてくる。おおよそ10年は浮上してこれないくらいに、完膚なきまでに。

荒垣くんの話だけでは奴が奏子に何をしたのかわからないが、十中八九ロクでもない事だろう。

 

「落ち着け! チッ、だから言いたか無かったんだよ…」

「なに言ってるの荒垣くん。俺は、落ち着いてるし、極めて、冷静だよ」

 

左手の親指の先を噛む。チリチリと、肌を焼くような感覚がする。

頭はとても冴えている。冷静に奴に対する最大限の嫌がらせは何かを考えるくらいには。

 

「そういうことじゃねえ! てめえは寮を火事にするつもりか!?」

「えっ」

 

聞こえてきた言葉に驚きに顔を上げればぴたりと肌を焼くような感覚が止まる。

 

「人間じゃなくなっちまったっつうのは、マジみてーだな。何もないとこで良かったが、燃えてたぞ」

「ええっ、えっ!?」

 

荒垣くんの呆れたような声に嘘じゃないと理解できるも、何もないところが燃えていたと言われて自分で受け入れられずに周りをキョロキョロとみる。

床や壁が燃えていないことから、発火したのは本当に何もない空間だったのだろう。それも、火災報知器が発動しないとなれば煙の出ないタイプか火が小さかったか。

そんな動揺している自分を見た荒垣くんは自分と同じようにぎょっとした顔をしてから次に怖い顔になって肩を掴んでくる。

 

「おい、いまのまさか、意図的でもなんでもなく、無意識だったっつーのかよ?」

「…お恥ずかし、ながら」

 

そもそも、元は人間ではないとは言えども入っている器は人間そのものなので、自分には感情が昂ったくらいで突然発火させる力を発揮できるほどそこまで人間をやめた覚えはない。

ガチャリ、と自室のドアが開き、朔間くん(モルフェ)がおずおずといった様子で顔を出してきた。どうやら、自分が無意識に練り上げてしまったらしい魔力に気がついてしまったのかもしれない。

 

「な、なにか…あった…?」

「なんでもないなんでもない。うん。なんにもなかった。大丈夫だから寝てていいよ」

 

苦笑いで答える。

自分としてもそんな簡単に異能を扱えるなどとは思っていなかったし心配されるほどのことでもない。

すこし境界線があいまいで、より『あちら側』に寄ってしまっただけだ。もしくは、もう1人の自分(ウィッカーマン)との境目が無くなってきているか。

炎、と来れば彼しか思い浮かばないから。

朔間くんはそのまま遠慮がちにひっこみ、沈黙が戻って来る。

 

「あれ、自由に出来たらライターない時にタバコの火をつけるのに役立ちそうじゃない?」

「バカ言え」

 

沈黙に耐え切れなかったので苦し紛れに冗談を言ってみたら怒られた。そしてはぁ、と大きく溜息を吐かれる。

 

「さっきのお前な、やべー顔してたぞ。まさにキマってた、つーかよ…」

「え…こわ…」

「いや、なに他人事のフリしてやがる。お前のことだっつの。なんだ、ストレガのアイツ…タカヤそっくりでビビったぜ」

「んんん…」

 

他人事のように怖がって見せれば真面目な顔でツッコまれる。そりゃそうなんだけども。そうなんだけども…面と向かってそう言われるとドン引きするというか。てかタカヤそっくりでキマッてる顔ってなんなんだ。ペルソナ召喚する時のアレか? 心外な。

とにかく。

 

「ええと、奏子の様子、見に行っても良いかな。俺にもなにかできることがあるかもしれないし」

「見にいくのは構わねぇがてめえも死にかけてたのを忘れんじゃねえ。なにかありゃあ問答無用で朝倉センセ呼びつけるからな。嫌がっても呼ぶからな」

「はい…」

 

無茶をするんじゃないぞ、と釘を刺される。

荒垣くんの中では自分は死んでいたのではなく、死にかけていたことになっているらしい。ということは、死んでいなかったのか。

ニャルラトホテプが嘘をついたということになるのか。

それは、ないと思う。アレはそう言ったサプライズはしないタチではあるし、そうなると黄昏の羽根の気配に説明がつかない。

いずれは溶けて完全に同化するだろうそれも、今はまだ異物みたいなものだ。

 

「あとで桐条やアキ、それに有里…てめぇの弟にも無事を伝えとけ。もちろん、他のやつらにもな。…他にも色々言いてぇことはあるが…俺からはこれで我慢しといてやるよ」

 

こつん、と軽く小突くように拳で額を殴られる。

本当に痛みも何も無い、下手をすればただ押しただけのその拳はこちらが死にかけたというのもあってか随分と優しい。

 

「……甘いなあ、荒垣くんは」

「あ? なんか言ったか?」

「…なんでもない」

 

頭の後ろを掻きながら、朝食を作りに下へと向かう荒垣くんを見送って歩き出す。

荒垣くんだけに限ったことではない。みんな、甘すぎるのだ。

なぜ怒るべきところを怒らないのだろう。なぜ、責めるべきことを責めないのだろう。

自分はみんなを一度殺したばかりか、自分が殺されるためだけにまた殺そうとしたというのにどうしてまだ味方だと──仲間だと思えるのだろう。

 

「また、ヘンなこと考えてません?」

 

突然、降って湧いてきた声にびくりを肩を震わせる。

顔を上げると三階の踊り場からメティスがこちらを覗き込んでいた。

 

「なんだ、メティスか…」

「なんだ、じゃないんですけど…?」

 

声をかけてきたのが岳羽や美鶴さんじゃなくて良かった、と胸をなでおろしていればメティスはムッとしたような顔をして不服そうに返してくる。

 

「ごめん、別にメティスが嫌なわけじゃない。ただ、」

「分かっています。もし美鶴さん達に見つかって、甘い対応をされたり許されるのが気持ち悪いんですよね? 『どうして』って思うんでしょう?」

 

どうしてわかったんだ、と口に出す前にメティスはやれやれといいたげに肩を竦める真似をした。

 

「もう、言ったでしょう。死の宣告者となった優希さんとニュクス()は繋がってるのだと。思考とかその他もろもろ、駄々漏れですよ。一方的に」

「あー…そういうことか…」

 

納得する。それなら、ここまで筒抜けでも仕方がない。とはいえ、少々プライバシーがないんじゃないだろうか。

 

「失礼ですね。私が読み取るまでもなく、あなたが勝手に漏らしてるんですけど? というか、ほんとに仕方のないヒトですね。私だって姉さんとのこともありますしこうして思考以外のこともしなきゃいけない上でいろいろ駄々漏れなの、面倒なのでこれからは接続を切りますけど。湊さん達に説得されて負けたんですから潔くシュブ=ニグラスをどうにかして生きる方法、探してくださいね。間違っても『差し違えてでも』だなんて考えないでくださいよ」

 

言葉が出ない。

考えていたことが全部筒抜けだったことに。というか『漏らしてる(その言い方)』は語弊があるからやめてほしい。

とても。

メティスも遠慮が無くなってきているのか、こちらが色々とやりすぎたのか、随分と遠慮がちにしていた最初の邂逅よりズケズケとものを言うようになってきた。

否、自分が意図してニャルラトホテプの力を使ったせいでニャルラトホテプと同様の扱いをされているだけかもしれない。それとも人間の犠牲者ではなく有里渚という人間になるはずだった命を弄んだ立場である『時を操る神器(奴らと同類)』だと分かったからか。

自分としては“目をつけた”はそれだけではなく、加害者になる十分な理由になると思うのだ。

 

「馬鹿ですか。馬鹿ですよね。馬鹿なんですね。あなたは優希さんであり、渚さんでもあることは事実なんですから、そこに被害者も加害者も無いでしょうに。一体なにを悩んでるんです?」

 

まだ筒抜けだったらしい。接続とやらを早く切って欲しいところではあるが、馬鹿の三段活用をされてまで言われるとは思わなかった。

そうしてこちらにそう訊いてきたメティスだったが、しばらく黙ってじっとこちらを見てきたかと思うと何かを納得したように頷いた。

 

「……なるほどなー。優希さんは自分がなんなのか分からなくなってるんですね。複合の存在ゆえに。何になりきることも出来なくて中途半端にさまよっている。だから、過去を思い出してもまだ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んですか。一種の乖離を起こしてますよね、それ。大丈夫なんですか?」

 

メティスが心配するような顔で問いただしてくる。

けれど、大丈夫かそうでないかなんてよくわからない。乖離を起こしていると言うのもよくわからない。

 

「俺は、大丈夫だか…うっ……!?」

 

まるでノイズが走るように視界がブレる。

ぞくり、と背筋に悪寒が走って身体に力が入らなくなり、ずるずると手すりにもたれるように膝を着く。

冷や汗が止まらない。気持ち悪い。嫌な音を立てて跳ねた心臓を鎮めるように胸を押さえる。

 

「……はっ……はあっ……はあ……はあ……!」

 

──いま、ほんの一瞬だが無理やりこちら側を()()()()

自分を通して、別の繋がりを持った相手が無理やりこちらやメティスを観測してきた。

いまの自分は、死の宣告者(ニュクスの端末)であってそうではない。

覗いてきた相手はニャルラトホテプか──それともシュブ=ニグラスか。

恐らく後者だろう。

 

今はもう化身という枠から外れてしまい、そうされていないが、ニャルラトホテプに対しては勝手にこちらの情報がネガティヴマインドという集合知に常に自動送信されているようなものだ。そして、己がニャルラトホテプだと自覚してしまった化身なら、共通意識の上である程度は好きな情報を引き出せる。情報の送信も読み取りもこちらに限った話ではないし、それはあの本体気取りの化身もそうだ。

 

自分が集合的無意識の深層で溶けてしまえばいいとはっきりと思い立ったのも、あの本体気取りの化身が10年前の珠閒瑠市でペルソナ使いたちに負けた情報を見たからだ。

なので、わざわざこうして見せつけるように、バレるように無理やり覗き込む必要すらない。

わざわざ覗き込む必要があるのは、この星に居ない存在だけ。

つまるところ、繋がりがあってこちらを覗く必要があるのは現在月に封じられているシュブ=ニグラスしか有り得ない。

 

「ちょっと!? まったくもって大丈夫じゃないんじゃないですか!」

 

慌てて踊り場から階段を駆け下りてきたメティスに対し首を横に振る。

 

「ほんとに大丈夫。ただ、ごめん、一瞬だけど俺を通してアイツに見られたかも。目的は分からないけど」

 

手すりを支えに立ち上がり、吐き気を抑える。

軽い頭痛と視界の揺らぎがあるが体調不良以外の異常は見当たらない。

 

「見られたくらいでは問題ないと思います。大したことを話していた訳ではありますせんし。ええと、身体を乗っ取られたりはしてませんよね?」

「そこ、は…平気。身体の自由が効かないとかないから」

 

流石に先程の発火現象とこの視界ジャック事件が短時間で重なると、ヒトであることをやめてきているのだと自覚せざるを得ない。

しかし昨日の今日でいささか急すぎる気もする。

 

「ならいいですけど…奏子さんの様子を見に行くんですよね? 姉さんがいますから、私もいないとダメでしょうし一緒に行きますよ」

 

メティスはアイギスと自分がごたごたを起こすだろうと警戒しているのだろう。

もしくは、アイギスから自分が奏子になにかするのではないかと思われるのを防ぐためか。

 

一緒に階段を上り、廊下を突き辺りまで進んでメティスが奏子の部屋のドアを開ける。

 

「姉さん、入りますよ」

「はい。...!」

 

メティスをちらりと見たベッドサイドにいるアイギスはその後ろにいた自分を見て目を見開く。

 

「どうして…」

「?」

 

小さく、声は聞こえなかったがそう呟いたように口を動かしたアイギスに頭の中で疑問を浮かべる。

そしてアイギスはそのまま己の両手を見やり、もう一度こちらを呆然と見た。

 

「──なぜ、優希さんからふたつの反応がするんですか…?」

「…え…?」

 

意味が分からない。

いや、もしかしたら黄昏の羽根の反応なのかもしれないが、そうなるとアイギスの戸惑いようがおかしい。

アイギスだって、黄昏の羽根の反応くらい知っているはずだ。そして、自分が黄昏の羽根を使われて蘇生されたところを見ている──はずなのだ。

だから黄昏の羽根の反応がしたくらいでそんな風には思わないだろう。

 

「姉さん、どういうことですか? 優希さんからふたつの反応がするというのは」

 

メティスが訊き返す。メティスにも、アイギスの言っていることがよくわからなかったようだ。

となると、メティスが感じていた反応は自分の中でひとつしか無かったことになる。

 

「…ごめんなさい、気の所為だったみたい」

 

メティスの言葉に対し、返事になっていないようにアイギスは首を横に振る。

 

「……そうですか。なにか、変わったことがあったらなんでも言ってくださいね。姉さん」

「はい」

 

メティスが何か言いたげだったがそれを抑えて在り来りな返事を返せば、アイギスはそれ以上何も言うことが無くなったのか黙ってこちらを見るばかり。

入口でもだもだしていても埒が明かないので、メティスに続いて自分も奏子の部屋に入る。

 

「はあ…はあ…ぅ……ううん…」

 

ベッドの上の奏子は苦しげに荒い呼吸を繰り返し、魘されていた。

その顔はよく見なくてもわかるくらいに紅潮し、汗ばんでいる。額には冷やしたタオルが乗せられているため、自分に出来ることはなにもない。

 

(辛いよな…楽にさせてやれなくて、ごめん…)

 

その苦しさを少しでも緩和できないかと奏子の手を握ろうとして触れた瞬間、

 

「─────────っ!」

 

頭の中でばちん、と変な音がした。

自分の喉から声にならない悲鳴があがる。

否、叫べていたかどうかも怪しい。

 

ごとんとなにかが床に落ちる音と共に意識が一瞬で途切れた。

 

 

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