君、死にたまふ事なかれ【本編完結】   作:月瓜里

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「空っぽだったんだよ、元から」(12/3)

奏子はひたすら夢を見ていた。

最初は、奏子と湊を巌戸台駅まで迎えに来た兄が、現れるはずのない魔術師(マジシャン)の大型シャドウから奏子と湊を逃がすための囮になり死ぬ夢。

 

次は、奏子が想いを寄せた荒垣を兄が庇い、ストレガのタカヤに銃で撃たれ死んでしまう夢。地面に広がる血溜まりに、ヒューヒューというおかしな呼吸音までもがリアルに耳にこびりつく。

奏子は、何も出来なかった。

 

3度目の場面は天文台の上で見せしめだと言われながら幾月によって撃たれて死んでしまう兄の夢。

カダスで見た、カダスのナギサが困惑していた場面そのもので、奏子は「だからナギサちゃんは湊の記憶なのかってきいたんだ」と納得してしまった。

これが幻覚ではなく、本当にあったことなのだと奏子は気がついてしまった。

 

4度目は、力不足を感じた奏子が不調を隠してタルタロスに登ったことが原因だった。

奏子、湊、明彦、そして優希という珍しい組み合わせで。

奏子は不調であまりよろしくなかった。それこそ、ふらふらとたまにふらつくくらいには。兄が心配そうに奏子に視線を向けていたのはわかっていた。わかっていたが、なんとかなると思っていた。

油断していた。

そんななか、後ろから不意打ちを食らってしまった。

真っ先に攻撃を食らうはずだった奏子を庇ったのは兄だった。その次に、別のシャドウから攻撃をされそうだった湊を庇い、兄は吹き飛ばされた。

タルタロスの壁に打ちつけられ、ごっ、と嫌な音がした。

ずるりと壁に血の跡を残して崩れ落ち、床に血が広がる。動けなくなった兄は更に追撃を受ける。兄は、ピクリとも動かない。

誰かが叫ぶような声が聞こえた。風花が何かを言っていたが奏子の耳には入らず、気がつけば病院のベッドの上で。

兄が死んでしまったことだけを遠慮がちに伝えられた。

奏子のせいだった。そう、自覚せざるを得なかった。

 

5度目は7月。

奏子はその日、特に何も無かった。問題という問題がなかった。だから、兄が神社にいるというコロマルという犬を守ろうとしてイレギュラーシャドウと戦って死んでしまうだなんて思いもしなかった。その兄が守ろうとしたというコロマルもシャドウと戦い、大怪我を負っているのだと。

奏子は呆然とした。

 

6度目も、奏子にとっては唐突で。

休みの日。昼に用があると出かけた兄が、翌日遠く離れた井の頭公園で見つかったと言われた。

ただし、遺体の損傷が激しく、獣に食い散らかされたような跡があったという。

奏子はその兄を見ていないが、今ならわかる。恐らく、祖父を食らったもの達と同じ存在──悪魔に殺されたのだと。

 

7度目。

奏子は、湊と共にニュクスを封印した。

兄はその時点まではきっと生きていた、のだと奏子は信じたかった。

その時の奏子は無邪気にも、兄が大丈夫だと言うのを信じきっていた。

たまに、苦しげに息を切らしているのを見ることはあったが、気の所為だと無かったことにしていた。見なかったことにして、不都合なことを考えないようにしていた。兄は、そういうことを詮索されることを苦手に思っているようだったから。

それでも不安だったから、奏子と湊は兄に「ニュクスとの戦いを乗り越えて、みんなで生きよう」と言ったのだ。

兄がどんな状態で、どれほど弱っていたのかも知らずに。

兄は、奏子と湊が目を離した隙にタルタロスの頂上で限界を迎えて死んでしまっていた。

奏子の不用意な言葉のせいで、休ませるべき兄を死なせてしまった。

 

8度目。

奏子に見えたのはどこかの薬臭い部屋でいつも静かな湊が我を忘れたように獣のように吼え、憎悪と怒りの表情で幾月に飛びかかろうとして、しかし皆に押さえられてできない場面だった。全員、恐ろしい顔をしていた。

床には血と、肉片のようなものがべたべたと落ちていて。

台の上には下腹部から胸にかけてぐちゃぐちゃに開かれた()()()()()()が乗せられている。

その目は、濁っていてどこも見ていなかった。

 

9度目。

奏子は願ってしまった。

カダスで見た、湊の罪だという光景。その時に奏子も願ってしまったことを思い出した。

ニュクスと相対すれば死ぬと記憶が無いなりに確信めいたものがあった。だから、一人で行かせてしまえば兄が確実に死んでしまうことも、なんとなくわかっていた。

兄が立ち上がる直前、湊と奏子はベルベットルームで“宇宙”のアルカナを得ていた。

あらゆる事象・どんな行いも奇跡でなくする力だという。

なら、ならば。

 

「行かせない…っ! お兄ちゃんを…ひとりで行かせない! だから、いま()()()()()!」

 

終わる瞬間ではなく途中で願ってしまったが故に。『無事に戻ってきて欲しい』ではなく色んなことを無かったことにして──全てを巻き戻して戻ってきて欲しいと願ったが故に。

『今』があるのだと気がついてしまった。

湊だけではなく、奏子も罪を担っていた。

片棒を担いでいた。

 

 

「ごめんなさい…お兄ちゃん……ごめんなさい…! わた、わたしのせいだ…! 私たちのせいで……!」

 

なにもない真っ白な空間で、ひとり、奏子は蹲って泣きじゃくる。全てを知ってしまった。夢だが、夢ではなく現実に起こったことなのだと知ってしまった。

綾時がファルロスで、本来の死の宣告者(デス)で。自分たちはそれを内に封印されて、この10年間過ごしてきたのだと。

そして兄が苦しんでいるのも、死にそうになっているのも、死んでしまったのも。ぜんぶ。

 

奏子はまた、兄に言ってしまった。「生きて欲しい」と。

7度目と同じではないか。

兄はもう限界なのだと今度は隠さずにちゃんと言っているのに。

けれど奏子には諦められなかった。受け入れられなかった。知ってしまった。

ニュクスに──否、シュブ=ニグラス(滅び)に相対すれば自分たち双子か兄のどちらかが必ず死ぬ。

それではいけないのだと。

 

3人ともが生きて、2010年の3月6日(卒業式の次の日)を迎えなければならない。

この物語は大団円でなければいけないのだ。そうでないと、終われない。

 

「でも、私にお兄ちゃんを助けられるような力なんて…」

 

ないのだと、奏子は閉じこもる。

兄や、湊ほどのすごい力は自分には無いのだと。

 

「そんなことは無いさ」

 

不意に、声とともに影が差す。

 

「え…?」

 

奏子が顔をあげれば、そこには兄が立っていた。兄は優しい顔をしてしゃがみ、奏子の頭を撫でる。

 

「大丈夫。繋がりを信じればいい。疑いようのない、自分の絆を」

 

見た目は兄なのに、奏子は不思議と目の前にいるのが兄ではないような気がした。

雰囲気は、兄のものに近い。だが、少し違う気がして。

 

「あなたは、だれ…? ほんとにお兄ちゃんなの…?」

 

そう問えば緩く、兄の姿をした誰かは首を横に振る。

 

「俺はきみだよ。きみの中にある原型(アニムス)。きみの兄と紡いだ絆の形だ」

 

そうして、兄の姿をした誰かは目を閉じた。

ちりり、と青い炎が床を焼く。瞬間、凄まじい勢いで燃え広がり兄──優希が青い炎に包まれ、姿が変わる。

青い肌に4本の腕。腰まである黒髪。奏子よりもかなり大きい背丈。兄や湊、そして自分の面影を残すような顔。

奏子の知る、シヴァによく似ていて、しかし違う姿。

シヴァであれば腰布がある部分や腕の1部、そして足先と踵が無機質な甲殻のような鎧に覆われている。

 

「──我は汝。汝は我。宇宙の炎。破壊を司るもの。“シヴァ・マハーデーヴァ(なり)…」

「“シヴァ・マハーデーヴァ” …それがあなたの名前…?」

「如何にも。我らは輪廻する旅人であり、宇宙の始まりを根源とする原型でもある」

 

シヴァ・マハーデーヴァの言っていることは奏子にはよくわからない。しかし、己の力だと言うことははっきりと分かった。

そしてこのペルソナが奏子の力になろうとしていて、兄との絆によって生まれたペルソナだということも。

信じてみよう、と思った。自分を信じて、やれるのだともう一度立ち上がろうと。忌むべきだと思ったはずのこれまでの兄との思い出に、背中を押された気がした。

これまでの全てが無駄ではないと肯定できそうな程には。

 

「ありがとう、シヴァ。私、頑張ってみるね。だから、力を貸してね」

「案ずるな。我らは常に汝と共に。来るべき時にはこの力を存分に振るおう」

 

口調は厳しいが、その表情は優しい。

微笑んだまま、シヴァ・マハーデーヴァは光となって奏子の中へと消えていく。

 

「…行かなきゃ。寝てる場合なんかじゃないよね!」

 

レッツ、ポジティブシンキング! と鼻息荒く立ち上がった奏子は目を覚ますことを選択する。

整理はついた。全て思い出した。なら、起きて兄の無事となぜあんな行動をしたのかを確かめねばと。

奏子はやる気に満ちていた。

 

 

 

 

夕方

 

ぱちり、と目を開く。

寮の自室で、窓からはオレンジの光がさしている。

 

「おれ、は……」

 

奏子の見舞いに行って、触ろうとした瞬間に頭の中で変な音がして──そこから記憶が無い。

ベッドの縁に垂れている左腕に、点滴の管が刺さっている。

のろのろと横を見れば、無理やり点滴かけが部屋に置いてあるのがわかった。

こんなもの、寮には無いはずなので荒垣くんに言われた通り朝倉先生を呼ばれてしまったのだろう。

そりゃそうだ。喉元過ぎるどころか数十分ほどしか経っていないのに気絶すれば容態が急変したと思われても仕方ない。

 

「………」

 

頭が痛い。

起き上がって、なんとなくぶちりと無理やり点滴を抜いた。

頭の痛みのせいか、点滴を抜いた時の痛みはない。

血がぼたぼたと垂れるのが不思議で、けれど床を汚すのはいけないと思考が働き緩慢な動きで傍にあったタオルを腕に巻く。

奏子の無事を確認しないといけない。それだけが、身体をつきうごかしていた。

 

部屋を出る。よたよたと歩いて、階段を上る。

3階について、奏子の部屋までまたよたよたと歩く。

ドアを開けようとして、すこし悩んでやっぱりドアノブに手をかける。

そしてそのまま開けようとして──力を篭める前にドアが開く。

 

「!」

 

目の前にいる人物が、一瞬誰だかわからなかった。

脳が処理しきれていないのか、声と顔はわかるのに誰なのか分からない。

 

「オマエ…あー……ここまでくるともう怒る気も起きねーわ…」

 

目の前の人物が溜息を吐いた。

 

「朦朧としてんのか…? おい、返事できるか?」

「………?」

 

首を傾げる。なぜ、そんなことをきくのだろうか。

 

「…オマエの妹は熱も下がってもう落ち着いてる。だから、安心してもうちょい寝てろ。オマエの方がヤベー状況なんだからな」

 

そっと、手を握られて肩を支えながら方向転換させられる。

奏子が落ち着いて、無事ならそれでいい。

大人しく、歩調を合わせて歩いてくれている──朝倉先生、に連れられる。

 

「喉、乾いてねーか? ちょっと水飲むくらいなら大丈夫だからな」

「……」

 

はい、と返事をしようとして、けれどそこまでの力が出せずにゆっくりと階段を下りる。

代わりに小さく頷いて、そのまま部屋まで帰れば床の惨状をみた朝倉先生が顔を顰めたような気がした。

 

「……点滴を外してるから覚悟はしてたが………オマエから目を離したオレがバカだったわ」

 

つられて見れば床のフローリング部分に小さな血溜まりが出来ていた。

つまり、点滴を外してすぐにタオルを巻いたと思っていたが、実はそうではなかったということなのだろうか。妙に、頭がクラクラするのはこのせいだったのか。

 

「どーーーーーしてオマエはこーーーーんなに問題児なのかね。今まで見てきたどの患者よりヤベーよ。倒れた当日くらい大人しく休めや! なんで、それが、できねーーーーんだよぉおおもぉおおおおお……」

 

朝倉先生が比較的抑え目な声量で文句を言ってくるがその通りなので黙る。というよりかは答える元気がないといえばいいのか。

自分をベッドに寝かせた後、ごしごしとタオルで床を拭いた朝倉先生はもう一度溜息を吐いてこちらを見た。

 

「オマエ、マジで、絶対安静な。外や学校も行くなよ。絶対だからな!」

 

こくこくと頷く。

そのまま、また点滴を別の所につけられるのを見つめながら、意を決して口を開く。

 

「せんせい、夜に藤堂さんたちを…呼んでください。おれ、全部話します。何があったか。おれがなんなのか」

 

そう伝えれば、朝倉先生はじっとこちらを見てくる。

その視線は真剣そのものだ。

 

「……いいのか」

「いいんです。話さなきゃ、いけないことだから」

 

朝倉先生は知っている。

自分があまりこういうことを話したくないということを。

黙示録の四騎士についても自分は朝倉先生に話さなかった。ライドウくんについても、トランペッターや大型シャドウについても。

なにも、話さなかった。聞かれなかったから。

モコイさんと同じく、藤堂さんや朝倉先生は何があったのかをあまり詮索してこない。だからこそ、居心地が良かった。

せめて、その恩に報うべく傷つけてしまったことを謝らないといけない。

 

「……わかったよ。呼ぶよ。けど、無茶はすんじゃねーぞ。やべーと思ったら無理やり中断させるからな」

 

また、こくりと頷いた。

 

 

 

ラウンジ

 

「全部、説明させて欲しい。俺が何で、どうなってるのか」

 

ソファーの上で口を開く。

夕食後、全員に「話さなければいけないことがある」と言って集まってもらった。自分は寝ていたため夕食を摂っていない。

腹も空いてないし、気持ち悪く何かを飲むだけで吐いてしまいそうだったのでちょうど良かったと思っている。

 

特別課外活動部の10人+メティスと綾時くん、それに朔間くん(モルフェ)+朝倉先生、藤堂さん、園村さん+更にストレガの全員という20人近い大所帯だ。

藤堂さんたちを呼んでくれとは言ったものの、タカヤたちも呼んでくれと頼んだ訳では無いので少し驚いている。

それでも、話さなければいけないので言葉を続ける。

酷く身体がだるいけれど意識ははっきりしているから、大丈夫だと誤魔化した。

 

「自分は、人間じゃない。元々は無形の──ひとつの現象に近いものだった。幾月の報告書にあったと思う、『時を操る神器』そのものだった」

 

自分の言葉をみんな黙って聞いてくれている。ただ、動揺は少なからずあるようで伊織はよくわからないといったように首を傾げている。

 

「ん? エ? センパイが実験で『時を操る神器』になったんじゃないんスか? だって、アイツ…幾月の話じゃそうだって…」

「逆なんだ。順序が」

 

それに答えて、少し目を下に向ける。

 

「三上優希が生まれたのが先じゃなくて、『時を操る神器』が生まれたのが先なんだ」

 

はっきりとそう答える。

 

「どういうことだ…? 祖父は既に18年以上前に完成させていたと…? いや、だがそれでは辻褄が…」

 

美鶴さんも首を傾げているので更に言葉を続ける。

 

「違う。三上優希が生まれたのは──有里渚という赤子が()()()()()()()()()()()()()のは、数巡目だ。既に何度かこの1年が俺がいない状態で繰り返された果てに、俺は生まれた。産まれることが出来た」

 

息を吸う。

 

「始まりは、『時を操る神器』である自分がここで──この寮で自我を持ったことだった。ただただ、自分はこの場所を観測していた。みんなのこと、観てたんだ。最初は奏子は居なくて、湊だけだった。1年が過ぎた。幾月に嵌められるところも、シャドウと戦うところも、学校に通うところも、喧嘩をするところも、誰かが死ぬところも、全て見た。観ていただけだった。……まあ、身体も形も無い現象に過ぎないからそうすることしか出来なかったが正しいんだけどさ」

 

自嘲気味にへらりと笑えば皆が目を逸らす。

荒唐無稽すぎるのもあるのだろうが、なにか事情を知っているであろうメティスが何も言ってこないことから、皆も何を問うべきなのかわからないのだろう。

 

「来年の卒業式の日。湊が死んだ。来る、滅びであるニュクスをどうにかするには…封印するには、魂を楔にしないといけなくて、だから死んでしまったんだ」

「!?!??!?」

「おい、待てよ! つまるところ…オマエら死にに行くって言うのかよ!? 許さねーからなそんなこと!」

 

事情を知っている者以外の全員に動揺が走り、そんなの認めないと朝倉先生が叫ぶ。

けれど今はその叫びは邪魔なので無視して遮る。

 

「…湊が死んだ後、みんなは──特にアイギスは塞ぎ込んでしまった。その時の自分は、死んだとか悲しいだとかがよく分からなくて、皆が…願ってしまったから、自分は3月31日に皆を閉じ込めた。永遠に繰り返すようにした。『時の空回り』という現象を引き起こした。そうすれば、願いが叶えば辛くないって思ったから」

「……三上くん…」

 

園村さんが同情するような目でこちらを見てくる。

 

「でも、その選択は皆を傷つけた。“時の狭間”という空間を生み出し、苦しい過去を引きずり出して、傷口を抉っただけだった。それどころか、皆が願った『出来ることなら湊を救いたい』という願いすら、叶えてあげられなかった。自分には死の渇望であるエレボスも、滅びであるニュクスもどうすることも出来なくて、選択肢を与えたつもりになっていただけだったんだよ」

「エレボス…?」

「そう、エレボス。それが、ニュクスの目覚める原因のひとつ。人類が生み出した死への渇望が形となった存在。アレがいることでニュクスが目覚めかねない。だから、かつての湊さんと奏子さんはアレからニュクス自身を守るために封印することを選んだ。まあ、ニュクス自体は人類の滅亡は望んでませんでしたし…結果、ふたりの命を奪うことになったとしても自分から眠りにつくという選択肢は人類に滅びを願われた時点で無理な話だったんです。良くも悪くも『願い』というのは受け取った神に強制力を与えてしまいますから」

 

天田くんの疑問に、自分がニュクスだと朝倉先生たちに名乗っていないらしいメティスがほぼ他人事のように説明をする。けれど、最後の辺りで同情するようにこちらを見てきたのはよく分からない。普通、いまのメティスは犠牲者という意味で湊と奏子を見るべきじゃないのだろうか。

 

「結局、時の空回りは解決した。自分は、その状態を解かざるを得なかった。みんな、前向きにはなったから。でも、自分だけは認められなかった。だって、皆の本当の願いである『湊を救いたい』という願いは叶えられてなかったから。だから、巻き戻した。皆の選択を無かったことにした」

 

膝の上で手を握る。

認められないだろう。こんなこと。

前へ進もうとしていたのに、全部無かったことにしたのだから。

 

「…次に来たのは、湊じゃなく、奏子だった。そこからは全部──いや、ほとんど同じだったよ。また、奏子が封印の楔になって、死んで、皆が願って、自分がここに閉じ込めて。その繰り返しだ」

 

自分は、巻き戻せば、なにか変わるのではないかと安易に思ってしまった。それが間違いだった。

 

「何度か、繰り返したよ。湊が奏子になったのだから、なにかが変わったんじゃないかって。だから、繰り返させればいずれ救われるんじゃないかって。自分にはそれしか出来なかったから」

「この一年が繰り返されてる…?」

 

園村さんが少しだけ、怪訝な顔をした。

最低だ、と自分でも思う。

 

「でも、湊と奏子が死ぬっていう結末は何度やっても変わらなかった。そんなある時、普遍的無意識領域の中にある、アカシックレコードっていう世界の情報が記録された場所で情報を見ていたら、奏子と湊には、産まれる前に死んだ兄になるはずだった子供がいたって知って──羨ましく思ってしまった。家族って、どんなのなんだろうって考えるくらいには、2人に肩入れしてたから。

その子がいれば、何とかなるんじゃないかって思っていつもより多めに巻き戻していたら、その子がニャルラトホテプに目をつけられたことを知った」

「なに、ニャルラトホテプだと…!?」

 

朝倉先生が、忌々しげに表情を変えたような気がした。

 

「その子は、産まれる前から死んでいた。産まれた直後に死んでしまった。だから、ニャルラトホテプに目をつけられた。……でもじゃあ、なんで生まれて来れなかったかって言うと、ホントの有里渚には、魂が無かったんだ。あるべきものがなくて、空っぽだったんだよ、元から」

 

湊と奏子が息をのむ。

その後ろで、藤堂さんと朝倉先生が僅かに目を見開いた。

 

「自分は…傲慢だけどその子の魂になろうって思った。誰かみたいにその子を駒にするんじゃなくて、自分で動いて、救わなきゃって。その時にほとんど全部、捨てたよ。時を巻き戻すって機能以外のほとんどを。今はアカシックレコードにも接続出来ないし、時を進めたりなんてことも出来ない。でも、それでも足りなかったんだ。ちっぽけな自分じゃ、ひと1人分の魂になることは出来なかった」

 

目を閉じて、息を吐く。自分の声は情けないくらいに震えている。

 

「……ニャルラトホテプはそれをきっと知っていて、もうひとり。たぶん、やつの犠牲者だと思う誰かの魂を持ってきて、自分と混ぜたんだ。ついでに、生き返らせなきゃならないから、有里渚をその化身にした」

「なるほどな…」

「そうか…だからか…」

 

そこまで話せば、朝倉先生と藤堂さんが納得したような顔をしている。

なにか思い当たる節があるらしい。

 

「そうして、俺が…有里渚は産まれたんだ。だから元から、人間じゃ無いんだよ、俺は」

「…………」

 

誰も、何も喋らない。

 

「……、そこから、俺は誘拐されて実験体になって、デスの器になり、後はお察しの通り。と、言いたいとこなんだど、その時の俺はタルタロスから落ちて以降、ただの三上優希になってしまって、春の日の……湊の葬式まで何も知らなかったんだ」

 

俯く。本当に何も覚えていなかった。

それが、どれほどの罪かというのもわからず、皆に尻拭いをさせただけだ。

 

「バカだよな。救うためって名目で1人のヒトになり替わって生まれてきたのに。その場所や貰えたはずの愛を奪ってしまったのに。すべて忘れて責任も取らず、救わずにのうのうと生きてるなんてさ」

「それは僕のせいで…! ヒュプノスである僕が! 優希の記憶を全部…実験の記憶やお父さんとお母さんの記憶だけじゃなくて…弟と妹の記憶まで纏めて封じてしまったから! だから…優希は…悪くない! …何もしなかったんじゃなくて、何も出来なかったんだ……優希が傷つかないようにってやったことなのに、記憶を封じることであんなに優希が傷ついてしまうなんて思わなくて…」

 

朔間くんは顔を手で覆ってしまう。自分は、それにかける言葉をもちあわせていない。

しかしそんな朔間くんの言葉を聞いたタカヤがなるほど、とこちらに視線を寄越してくる。

 

「やはり貴方がナギサの中にいたヒュプノスですか。ふむ、確かに、そう言われると幼い頃のナギサの面影がないとも言えない」

「待てよ、オマエ…ペルソナなのか!?」

 

ぎょっとした顔をして朔間くんを見つめる朝倉先生の声は想像以上に大きく、ビクリと朔間くんは肩を跳ねさせて顔を覆っていた手をゆっくりと離した。

 

「えっ、あっ、はい。僕は…ペルソナ…というよりシャドウだけど…」

「ンなのアリかよ…いや、アリか…シャドウも悪魔だとすりゃアリだわな…」

 

はあ〜…と大きく息を吐いて、朝倉先生はガシガシと頭をかいた。

 

「思った以上に色んなことが起きてんなこりゃあ…」

「全くだ」

 

朝倉先生と藤堂さんの大人組が困ったように唸る。

自分としても、こんなに複雑になってしまうとは思わなかった。

事の発端は10年前ではなく、ある意味俺が生まれた18年前だったかもしれないのだから。

ただ、こうなると卵が先か鶏が先かの話になってしまうのでどちらが先なのかという話は出来そうにない。

自分でも、俺を使わなかった場合の『器』がなんなのかよく覚えていない。

幾月が語ったという『ヒト』を使うのが1番適しているという話から、嫌な想像はしたくないが誰か別の人間を使ったのではという予想が浮かんでしまうもすぐにその思考を振り払った。

 

「…そうして、湊の葬式に行った俺は、そこで初めて湊の事を思い出した。でも、それが認められなくて…ショックだった俺は、式場を飛び出して……それで一人の男に呼び止められた。それが、フィレモンだったんだ」

「!!」

「アイツは、そこで俺に選択肢を出した。きょうだいを救うまで終われない繰り返しに身を落とすか、それともこのまま普通の人間として己の罪を知らずに生きていくか。全部、知っててアイツは何も説明せずに提案してきた。俺が、どちらを選ぶかなんてわかりきったうえで」

「そ、そんな、あの人はそんな人じゃ…!」

 

フィレモンの事を知っているらしい園村さんが焦ったように擁護しようとする。

気持ちも分からないでもない。

言動の表面的なところを見れば、フィレモンはニャルラトホテプに比べたら人に寄り添っていると言えなくもないからだ。

しかしそれを否定し、首を横に振る。

 

「いいや、園村さん…アイツはそういうやつなんです。どういってもニャルラトホテプと表裏一体の存在。園村さんが出会った時は、きっと、良い面しか見なかったんです。それを不幸ととるか、幸運ととるかは別ですけどね。逆に、俺にとってはニャルラトホテプの化身の一人である神条さん……いいや、神取と一緒にいる方が心地よかった。理由は、俺自身が同じニャルラトホテプの化身だったからなんですけど」

「ま、待てよ! お前だけじゃなく…神取が…ニャルラトホテプの化身だと!? ど、どういうこったよ!?」

「…俺と同じです、先生。神取も、ニャルラトホテプに化身として蘇らされた存在。俺と違うところは、魂を詰め込んだ死体を染め上げた継ぎ接ぎの化身か記憶と思考を模倣した純粋な化身かでしかない。あの神取は、“セベク・ショック”以降10年前の珠閒瑠での出来事も含めて、ずっとニャルラトホテプの化身として蘇らされ動かされていた…いわば模造品(デッドコピー)なんです」

「嘘だろ…いや、だからまた現れたのか…」

 

自分からすれば、あれは神取(神条さん)本人と言ってもいいとは思うが、そこに魂があるかも分からないので軽率に本物扱いすれば怒るのは神取の方だろう。あの人はあの人なりに求められた『神取としての道化』を演じようとしているし、汚い手はあまり使わない。自覚のあるなしに関わらず、ニャルラトホテプの化身の中でもかなり誠意があって優しい方だ。

誰かを嵌めようという邪気すらない。もしかしたら、ネガティヴマインドの中でも『哀』もしくは『ニャルラトホテプに対する皮肉』の側面を持つ化身として現れているのかもしれない。

同じニャルラトホテプとは言っても元は人類の感情から来ているのでニャルラトホテプを嘲笑うニャルラトホテプや、自分のようにニャルラトホテプに怒りを向けるニャルラトホテプがいてもおかしくは無いのだ。

なんだか、こんがらがってくるけれど。

 

とにかく一枚岩でもなければニャルラトホテプという化身同士で協力しているということもあまり無い。

あの本体気取りの化身が表立ってじゃかぽこほかの化身を増やして好き勝手やっているだけだ。

そしてそんな強大に思えるニャルラトホテプも普遍的無意識の住人なので他の神同様、変な『観測』をされたり、人の噂や認知にはどんなに不服な内容だろうと逆らえないという弱点がある。それを人間が意識していないだけで。

 

「ついでに、本物の幾月もセベク・ショックと同じ時期に死んでいて、ニャルラトホテプがそれに成り代わって桐条鴻悦を唆したみたいだ。神取を唆した時と同じく、破滅主義に走らせるのが好きだから。アイツは」

「祖父は……いや、だからといってしたことは許されることではないな。続けてくれ」

「あ! ちょっと待った!」

「どうしたの、イズミくん」

 

美鶴からは続けてくれと言われたものの、イズミくんから「待った」がかかって一旦話を止めて聞き返せば、イズミくんは話がよく分からないという表情で口を開いた。

 

「なんだ? えーっと? ごめんな、さっきの話でわかんないことがあってさ…つまり…俺たちやナギサを実験体にしたあの幾月はその、ニャルラトホテプ…ってやつなのか?」

「うん。それでだいたいあってるよ」

 

頷けば、タカヤ達が難しい顔をした。

複雑そうな、それでいてなにか決意を秘めたような。

自分は、その顔に覚えがある。

 

「…憎い、よね。俺でよければいくらでも…って訳には行かないけど、同じ化身だったから、いくらか当たってくれてもいいんだ。辛かったって捌け口にしてくれてもいい。俺は、大丈夫だから」

 

矛先を向けられても、自分は大丈夫。そして同じニャルラトホテプだったというだけで、恨みを受ける義務がある。

あの本体気取りの化身が聞けば、抱腹絶倒するような理論だろうけれど、自分がタカヤ達の受け皿としてしてあげられるのはこれくらいしかない。

それくらいでしか罪を償えない。

 

「憎いわ。けど、ナギサの事じゃない。あの男と貴方は別人でしょ。それくらい私たち、みんな分かってる。だからやめてよね、そういうこと」

「せや。なんで1番の被害者言うてもおかしないナギサに当たらんなんねん。ワシらはそこまで落ちぶれとらんし、落とし前くらい本人につけさせたる。相手が殴っても罪悪感ないくらいあくどい奴で良かったわホンマ!」

「あの、優希さん。チドリさんの言うように、そういうの本当に悪い癖ですからやめましょうね。自分がやった事でもないことを背負う必要はありません。必要以上の卑下は相手を信頼していないととられますよ」

 

チドリやジンに怒られ、メティスに窘められる。ほんとに『今回』は怒られてばかりだ。

 

「あ…うん。じゃなくて、俺は、そんなつもりじゃ…」

「わかっています。ナギサが我々を信頼していない訳では無いということは。貴方がこうなのは昔からでしょう。このくらいの言動、慣れています」

「ん、そう言ってくれると…なんだろう、ありがたい……のかな…?」

 

どやあ、となぜか誇らしげな顔をして湊達の方向を向いてそう宣言したタカヤは肩に手を乗せてくる。

何なのだろう。

美鶴さんがタカヤをめちゃくちゃ睨むし、湊と奏子も怖い顔をするしでちょっといたたまれない。

この状況を作ってしまったのはある意味自分だけれど。

 

「当然。ナギサはそちらではなくこちら側にいるべきなのですからこのくらいの理解は当たり前でしょう」

「!!」

 

湊と奏子の目つきがさらにきつくなる。

タカヤの発言は正しく火に油ではないのだろうか。

 

「それ、どういうこと? お兄ちゃんは()()()()お兄ちゃんなんだけど! …喧嘩売ってる?」

「か、奏子…?」

「よく言う。何も知らなかったというのに」

「はあ? あなただってお兄ちゃんのことなんにも知らないでしょ!」

 

いつになく喧嘩腰な奏子に自分はおろおろするしかない。

いつもより敵意が強いような、以前よりタカヤを敵視しているような厳しい対応だ。

急に、どうしたんだろうか。やはり高熱を出した後だったから、しんどいか余裕がないのだろうか。

心配だ。

 

「というか、優希もまとめて毒ガスで殺そうとしたくせによくその汚い手を乗せられるよね。優希が汚れるから触らないでくれるかな」

「湊までどうしたのさ!?」

「別に。思ってたことを言っただけ」

 

湊の追撃が来てもう叫ばざるを得ない。

湊までどうしてそんなにタカヤに攻撃的なんだろうか。いや、湊が覚えているという過去9周でタカヤ達と毎回敵対し、ごたごたを起こして戦っていたからなのだろうとは思うのだけれど、それにしたって攻撃的やすぎないだろうか。

ほら、隣の伊織と岳羽がビビってるし山岸もドン引きして……あれ?

どうして山岸はアイギスと一緒にうんうんと頷いているんだろうか。きっと幻覚だと思いたい。

もしかしなくても、毒ガス事件はかなりみんなの怒りを買っていたのだろうか。考えてみなくても死にかけたことには間違いないのでそれはそうなのだけれど。

 

「あなたがたがあの程度で死ぬなどとは思っていませんでしたよ。アレはただの神経性の麻痺毒かつ後遺症の残らない安全なものでしたからね」

「えっ」

 

嘘だろタカヤ。絶対アレ荒垣くんが来てなきゃ死んでた状況だっただろ。

というか朝倉先生の方をちらちらと伺い見て言い訳をしているということはバレたら叱られるのではないかとタカヤも分かっているからなんじゃないんだろうか。

同じくちらりと横目で朝倉先生を見やる。

 

「……」

(ほらぁ! 朝倉先生怖い顔してる!)

 

めちゃくちゃ真剣な表情で何かを悩んでいる。真剣な表情というよりも、睨みつけているに近い。

もう駄目だ。おしまいだ。説明どころじゃなくなって話し合いから説教大会にグレードアップするんだ。

絶対そうに違いない。

 

「とにかく、ナギサはあなたがたといるのではなく、本来はこちら側にいるべき人間なのです。ナギサ自身もよくその事をわかっているはず。でしょう?」

「え? あ、そう、なのかな…? ごめん、話聞いてなかった」

「…タカヤ。()()三上を誑かすのはやめてもらおうか」

 

朝倉先生の説教に怯えていたらタカヤから何かを問われたので素直に謝ったらなぜか美鶴さんまでもがさらに怖い顔になった。なんなんだ。どうしてなんだ。

 

「美鶴、まだ三上は正式にお前のものになった訳じゃないぞ。そういうことを言うのは早くないか?」

「事後承諾でも別にいいだろう。三上は私と()()()()()()()()のだと誓ったのだから」

「??????」

 

真田くんと美鶴さんが何かを話している。話の内容は聞き取れるのだが、中身を理解することが出来ない。添い遂げるって誓っただろうか。まっっっったくもって覚えがない。好きだとは言ったけど。

なんだか、雲行きが怪しくなってきた。

自分の知らないところで、話が進んでいるような、ないような。

さっき自分が人間じゃないとか元から死体だとか言ったばかりなのに、みんなそんなことは知ったことかと言わんばかりにどんどん方向がズレているような気がする。人数がなまじっか多い分、収集がつかないかもしれない。園村さん達は遠慮して下手に口出しできないだろうし。

ここはなけなしの勇気を振り絞るべきだ。

 

「話を、戻すけど。俺がこの1年を繰り返してるって知った時みたいに、救える権利や救える選択肢があればみんな救いたいって思うだろ? 自分は、『時の空回り』を起こして2009年から2010年に来る決戦の日まで(過去)2010年3月31日(その時)の時間と空間を一時的にぐちゃぐちゃに繋いだ。だから、今からすれば未来の…決戦の日にも接続することが出来た」

「だからこそ、俺達はその『もしも』で死んだシンジや有里姉弟を救いたいと思っていたということか? ……確かに、死んでしまった人間を過去に戻って救えるとなれば…以前の岳羽のように羨ましがっても仕方ないだろうな」

「ちょっと先輩! それは…」

 

理解してくれたような真田くんの言葉に気まずそうに岳羽が口を挟む。

別に知られても悪いことではないだろう。

選択肢があることに対して、羨ましがることはなんら間違いではない。当然の感情だ。

 

「すまん。俺もあの時のことは蒸し返すつもりは無い。…ただ、過去を変えられるなら、大切な誰かを救いたいと思うのは誰しも思うことだからな」

 

真田くんが何かを悔いるように拳を握りしめながら目を閉じた。

真田くんが後悔していること。救いたいと思っていること。それを自分は情報だけなら知っている。

 

「アキ…やっぱあン時の事か…?」

「ああ、本音を言うのなら俺だって岳羽と同じく過去を変えられるのなら妹を…美紀を救いたいと思ったさ。そんなことができる手段があるのなら、諦めるわけにもいかないと。だが、その上で俺がこの世から消えたり死ぬことを、美紀が望むかと言われれば──それはないだろう。三上が昨夜やろうとしていたことは、そういうことだ」

 

美紀ちゃんというのは、真田くんや荒垣くんのいた孤児院で起こった火事で失った真田くんの妹のことだ。

真田くんと荒垣くんが救えなかった、大事なひと。

あの孤児院の火事だって、ニャルラトホテプ(本体気取りの化身)の声に唆された放火魔が原因だ。

ニャルラトホテプとしては直接燃やせと言ったわけではない。あくまで、本人の気質を増幅し放火を触発させただけだ。

それでも、許されることではないけど。

 

真田くんの言葉に自分が昨日何をしようとしていたのか、何故倒れたのかの理由の一端を知った朝倉先生が厳しい顔のまま、口を開いた。

 

「おいクソガキ、オマエ…何をしようとしてたんだ」

「……普遍的無意識にある、カダスの奥深く。ニャルラトホテプの根城よりも深層に、全てを溶かし、無にする“カズムの深淵”というところがあります。そこで、自分は消えるべきだったんです。滅びも、何もかも、全て抱えて。そうすれば、認知が作用して滅びも俺という存在ごと消えます。自動的に世界は救われるんです。ニュクスを封印すれば必ず死んでしまう奏子と湊を救うために、そう、しようとしてました。それが一番正しい方法だと思っていたから」

 

そう澱みなく答えれば朝倉先生は何かに耐えるような顔で俯いてしまう。

 

「…そうか」

 

朝倉先生は叱りもしなければみんなのように引き留めるような言葉も吐かなかった。

ただ、その言葉を受け取って飲み込んだような反応だった。

 

「でも、俺は…出来なかったんです。せっかくのチャンスだったのに、それをふいにした」

 

惜しむ。

あそこで消えれていれば。今頃。

みんなはもう使命から解放されて自由な学園生活を謳歌できているはずだった。命懸けでニュクス──ではなくシュブ=ニグラスと戦わなくても良くなるはずだった。下手をすればニャルラトホテプとも戦わなければいけないかもしれない現状が良いとはとても思えなかった。だというのに。

 

「いいえ、これで良かった。……だって、優希さんがニャルラトホテプやフィレモンとの取引(ゲーム)に勝っても湊さん達が負けてしまいますから」

「…?」

 

メティスは何を言っているんだろうか。

これで良かっただなんて。そんな訳、あるはずがない。

けれど湊達が負けるというのがなにか引っかかる。自分が“カズムの深淵”に溶ければシュブ=ニグラスも干渉して来なくなるはずだし、何に負けるというのか。

 

「ニャルラトホテプと取引をしていたのは、奏子さんと湊さんもなんです。そしてそれが、優希さんの記憶にない、9度の繰り返しの原因」

「なっ!?」

「奏子ちゃんと有里くんも…あの幾月のニセモノみたいなやつと…!?」

 

目を見開く。自分は、フィレモンとニャルラトホテプの合同取引のようなものだ。だが、奏子と湊までもが、ニャルラトホテプと契約(取引)していただなんて思いもよらなかった。しかし一体なんのために。

 

「はい。今から数えて1()2()()()。優希さんが死んでしまった時に奏子さんと湊さんはニャルラトホテプに唆されました。『兄を救いたいか?』と。ふたりは、その時、頷いてしまって…そして代償を選ぶことになりました」

「………!?」

 

言葉が出ない。

どうして、なんでふたりはその甘言に頷いてしまったんだ。

自分なんて、救う価値など無いというのに。無視してよかったのに。

ふたりまで、こんな酷い舞台に上がらないで良かったのに。

自分が居たから、ふたりにそんな選択をさせてしまったのだろうか。

 

………。

 

わからない。

 

「代償……もしかして、ニャルラトホテプが言ってた私が記憶を引き継がないことを選んだって言うのは…その時の契約のこと? だからニャルラトホテプは私に…覚えのなかった『9回分』の記憶を突然返してきたの?」

 

どうやら、自分が倒れていた間に奏子がニャルラトホテプから受けたちょっかいは記憶関連らしいと察することが出来た。

これまでにあった、湊が覚えているという『9周』分の記憶を一気に返されたらそりゃあ高熱を出して寝込むと思う。

そんな奏子に自分が触れてぶっ倒れた原因は分からないけど。

しかしそうなると奏子は既にその記憶を思い出していることになる。

だから湊と共にタカヤへの当たりが強かったのだろう。

 

「おそらくは。湊さんだけが記憶を持っていたのも。奏子さんと優希さんに記憶が無いのも。全てはやり直しの代償…いえ、ゲームの条件だったんです。ただし、やつは契約時の記憶をも黙って奪っていったので奏子さんと湊さんはかなり分の悪い戦いを強いられていたことになります。だって、知らないうちにゲームに参加させられてルールも終了条件もわからないまま放置されていたことになりますから」

 

「過去にあったように記憶を思い出したら世界が終わる、くらいの悪質さではありませんけど」とメティスは不機嫌そうに愚痴を吐く。

メティス──否、ニュクスとしても相当フィレモンとニャルラトホテプのやり方には腹に据えかねているのだろう。

自分も同感だ。あんな悪質なゲームとも呼べないクソゲーを1度敗北したにもかかわらず諦めず乗り越えられた『周防達哉(先輩ペルソナ使い)』たちを尊敬したいくらいだ。

 

しかし、突然奏子に奪っていた記憶を返した理由がわからない。

十中八九親切心からでは無いのは確かだが、意図が本当に分からない。

自分も記憶を思い出せば、世界が壊れてしまうとか、なのだろうか。

 

(いや…)

 

そんなはずは無い。この世界はまだ『こちら側』なはずだ。

ニャルラトホテプによって滅ぼされ、珠閒瑠市だけになった『あちら側』ではないし自分はニャルラトホテプと同じくその情報を持っているだけで『周防達哉(特異点)』ではない。

『あちら側』ではそもそも桐条が『時を操る神器(自分)』を完成させる前に世界が滅んでいるので、正真正銘自分は『こちら側』の存在だ。

だから思い出すような『あちら側』の記憶は無いし世界の統合からのぶつかり合って対消滅などという悲劇は起こらないはずだ。が、

 

(もしかして、過去9回の周回に『あちら側』に自分達が触れた形跡があったのか?)

 

思考を回すが一向に答えは出ない。

こんなことなら自我が揺らいでしまうからと最低限の情報だけを引き出すのではなく、全て奴の意図もひっくるめてぶっこ抜いてしまえば良かった。

 

「優希さん、なにか悩んでるみたいですけど、あなたは元々…『時を操る神器』に貶められてしまう前の自分がなんだったのか分かってないんですか? それとも、覚えがない?」

「え…?」

 

メティスの言葉の意味が分からない。

『時を操る神器』という存在に貶められる?

時を操る神器という現象よりも、更に高次な存在だったとでも言うのだろうか。そのままでも神魔や超常現象に近いのに。

自分はもっと別の何かだったというのか。ただでさえ自分を取り巻く状況は複雑だと言うのに、さらに訳が分からなくなってこんがらがってきた。

そしてこんな自分の考えをメティスが読み取れていないということは、既にダダ漏れのそれを遮断したのだろう。だから、メティスは見当違いなことを聞いてきたに違いない。

それにしたって戸惑うには十分なものだ。

 

「そもそも、『時を操る神器』とかいう『無形の現象』なんて有り得ないでしょう? たとえシャドウが(ニュクス)の欠片だとしても、ヒトの心の力だとしても、大元であるニュクスを呼ぶならともかく──時を操ることは有象無象にそう易々とできるはずがありません。なら、別の物を“わざわざそう観測した”って事も有り得る話です」

「待って、自分は…元々『時を操る神器』じゃなくて、更になにかから変わった結果、『時を操る神器』になったってこと…? じ、自分は…元は誰かのシャドウから産まれた現象じゃないってことなのか?」

 

さっぱりそんな認識も記憶も無いので頭を抱えながらうんうんと唸る。

なんだか説明会だったはずなのに暴露大会じみてきているような気がする。

 

「そうですよ。…だって、あなたには──今となってはあなたの大元だというべき存在には、ちゃんとした、もっと別の名前とカタチがあったんです。私からは言えませんけど」

 

時を操ることの出来た自分(神器)でさえ、その力のほんの一端なのだとしたら、己の元になったという存在はどこまで強大な存在なのだろうか。

もしかすれば、ニュクスやシュブ=ニグラスと同等かそれ以上かもしれない。

敵対だけは絶対にしたくないとぶるりと身震いする。

 

「怯えなくてもいいんです。あなたの大元は積極的に興味を持つほど自分からヒトに干渉をするかと言われれば、そこまででもありません。けど、ニュクスや他の神同様、接触されてしまえばどんなに悪しき願いであろうとも断れない、断らないというのはありますよ。だって、それがヒトの願いだから」

 

それを考えると、神や悪魔といった存在は良くも悪くもヒトに縛られていることになる。

ニュクスしかり、シュブ=ニグラスしかり、自分の大元だという存在然り。

酷く不安定で、ヒトによって在り方を変える。

実質、全ての元凶は俺たち人類であって、けれどそれを動かそうと──利用しようとしている神や悪魔がいるのも確かだ。

どちらも原因であり、どちらも利用されている側になる。

 

「なら──」

「ストップ! ストップ! メティスとお兄さん、ふたりだけの話はなしだよ。 僕ら、置いてけぼりになってるからさ」

 

思考をしたまま話を続けようとして綾時くんに止められる。

そうだった。せっかくみんなに集まってもらったのに、メティスと自分にしか分からない話をしても意味が無い。

 

正直、置いてけぼりなのは自分もだと思いたい。

会話はしているが内容は全く理解出来ていないので、置いてけぼり感は否めない。わかっているのはメティスだけだと思う。

 

「ごめん。えっと、じゃあ…ちょっと、休憩にしてもいいかな。俺も頭がパンクしそうで…情報も整理したいし、みんなも休憩は必要だと思うし…」

 

ちらりと美鶴さんの方を見ればしっかりと頷き返してくれる。

 

「10分後くらいにまた、ここで」

 

そう言って、ソファーの肘掛けにもたれ込む。

そのまま目を閉じて、深く息を吐いた。

 

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