12月10日(木) 夜
「三上、話がある」
「なに?」
夕食を食べ終えた後、部屋に帰ろうと立ち上がったところを美鶴さんに声をかけられ足を止める。
「先日、私の元許嫁に絡まれただろう。あの時の事は本当にすまなかった。私はあの男の言いなりになってきみに庇われたあげく約束を破る薄情者になるところだった。…それに、聞くに堪えない言葉を聞かせてしまった」
「そんな。いやあれは…仕方ないと思うし、美鶴さんだって俺のことを庇ってくれただろ。それで十分だよ」
頭を下げた美鶴さんに対し、首を横に振った。
というか、美鶴さんの中でも許嫁(過去形)はもう元・許嫁になってしまったのか。
あの時の美鶴さんの呆れようと許嫁(過去形)の奇行を考えれば仕方ないと思うけれども。
「あの後──話が終わった後、私はお父様に電話して色々なことを聞いた。元々、あの男と私が許嫁になったのも10年前の事故があったせいでな。事故で対応に追われぐらついた桐条を援助する条件が私と当時専務だった彼との婚約。南条や桐条には劣るが会社として強力な倉橋と提携を組めれば、それだけで我がグループはより強大なものになれるから、と。お父様からすれば幼い私を道具のように扱うのが嫌で、一時しのぎの話だったらしいのだが…結局、今までずるずると続いてしまったということだ」
美鶴さんが苦笑しながらどうしてこうなったのか、を説明してくれる。
要するに美鶴さんは人質みたいなものだったらしい。倉橋が桐条に協力をするための。
色々、大企業には黒い噂がつきものだというがその中でも倉橋はドブラックなのではないのだろうか。どこまでそこに祖父である倉橋黄盛が関わっているのか考えたくもないけど。
そもそも、あの元許嫁にしたって業務提携の条件に10年前とはいえども小学校低学年くらいの美鶴さんを許嫁にってわざわざ言ってくるのはヤバくないだろうか。だって美鶴さんよりふたまわりも上なのだろう。と、すれば18+24だから…42…? 10年前でも32歳…? あ、アウトでは…
いや、もしかしたら上流階級の人にとってはそういうことは当たり前なのかもしれない。ただ、24歳も差があるのに美鶴さんより子供っぽいのはいただけないと思うが。
地位と権力はあっても才能はなかったみたいだ。
アザミさんの話によれば才能があったのは元許嫁のお父さんの方で、元許嫁さんに代替わりしてからはあまり良い噂がないらしい。武治さんも他の人も、元許嫁の父親が優秀だったからこそ、それを信じて元許嫁との婚約を許したのだろう。
だが蓋を開けて見ればこれなので堪ったものではない。
「今回の事が父親にばれたら、あの男、大叱られじゃすまないだろうねえ」と、笑っていたアザミさんの目は笑っていなかった。絶対にタレこむぞという強い意志を感じた。
ちょっと怖かった。
「言ったよ。お父様にあの男とはもう付き合いきれない。三上と共に生きたい、と。……お父様は私が薄々あの男を嫌っていることに気がついてらしたようでな。縁談に関しては即刻破棄をすると約束してくださった。だが、その…やはり私や三上と一度直接話がしたいらしくて…よ、予定を、聞きたい。13日の朝からなんだが…」
本当に元許嫁は許嫁(過去形)になってしまったようだ。
武治さんが即答するくらいなのだから、そうとう気に病んでいたんだろうし滅多に我儘を言わない娘がヘルプサインを出したことをいい機会だと思ったのだろう。武治さんは背負うものが大きすぎるだけで悪い人ではない。多少、しょい込みすぎて誤解されがちだが家族である美鶴さんには理解してもらえてると思うしそれだけで大丈夫だと思う。
というか、そうでなければ桐条グループの社長なんてやっていけてないだろうし。
それはそうとして13日といえば横浜の天海市に停泊している“ビー・シンフル号”へと行こうかと思っていたところだったのだ。本当は、12月になる前に行きたかったのだが、触媒づくりに時間をかけてしまったのでいけなかった。
もし、アイギスの言う通りモコイさんがカダスのどこかにいるのなら、生き返らせてあげることは可能だ。ただ、自分には封魔管から以外にモコイさんの気配のようなものを感じ取ることはできない。
カダス居るとひと口に言ってもあそこは広大だ。
しかもパレスにしたあのプラネタリウムという限られた場所以外は自分の管轄外で、反応すら探知出来ないために確認のしようが無い。正直、いるかどうかというのを疑いたくはないが信じきることもできていない状態だ。判断材料が少なすぎる。
最初は、モコイさんの管と共に溶けて消えるつもりだった。心中のような事も考えていた。もうそこにモコイさんは居ないし、アザミさんの事を疑うわけではないが本当に生き返らせれるかなんてわからなかったから。いっその事と思って。
けれどモコイさんからの伝言だ、とあんな事を言われてしまえばたとえ嘘だとしても死ねない。泣けない。
猶予ができたなら、死ぬより先にモコイさんを生き返らせて、自由にしてあげないといけないと思っていた。
しかし行こうと思っていた13日に予定が入るとなれば話は変わってくる。
学校があるが明日に行ってもいいかもしれない。勿論、横浜まで行くので遅くなるという連絡はして。
お金をかけて快速とかの電車を使えば多少はマシになりそうなのでこの際、財布は気にしてられない。
「大丈夫。空けとくよ」
「ありがとう…」
そう言えば、美鶴さんはほっとしたような顔で微笑んだ。
13日に武治さんに会って、話をする。十中八九認めては貰えないだろう。
会社の社長としても、父親としても。ある意味元許嫁よりも問題物件なのだから。
少しだけ、怯えている自分がいる。とはいえ、今更“友だち”に戻るだなんて出来るはずがない。
ならば、覚悟を決めないといけない。
12月11日(金) 放課後
天海市芝浜
「これが…ビー・シンフル号……この中に業魔殿ってとこが…?」
夕方。
夕日に照らされる大きい船を見ながら呟く。
電車やバスを乗り継ぎやっとの事でたどり着いたその船はとても大きかった。
あまりそういう船を見たことがないので自分のイメージの中の豪華客船と呼んでもおかしくないくらいには大きい船に気圧される。
しかし気圧されっぱなしではラチがあかない。意を決して入るか──! と第一歩を踏み出そうとした瞬間、横を白スーツの男の人が通って船の中へと入っていった。
とても自然に。手慣れているように。
すごく、見習いたいくらいだ。
「よ、よし…」
大きく息を吸って、足を踏み出した。
行かなければモコイさんを生き返らせることなど出来ないのだから。
そうして古めかしい正しくThe洋風ホテル! といった船内を歩き回っていれば、不意に声をかけられる。
「………業魔殿にようこそ。失礼ですがどちら様ですか?」
「え、ええと…」
顔を見る。
メイド服を着た血色の悪い女性だ。気配がただの人間では無いので悪魔っぽいがそうでも無いような気がする。
いや、船内の雰囲気自体が異様で暗い場所だからそう感じたり見えるのかもしれない。ついでに警戒するような目付きでこちらを見ている。不法侵入だと思われているのかもしれない。
「失礼ですが業魔殿ではご予約のある方以外、お通しすることが出来ません。お引き取り下さい」
まさかの予約制にぽかん、と口を開けてしまう。そこは予想外だった。
アザミさんはここに行けばいい、としか言ってくれてなかったし、すんなり行けるものだと思っていたのだ。ここに来て何もせず帰る、というのはもちろんダメだし、どうにかして入れてもらわねば。
「あの、仲魔? を生き返らせたくて…そしたらここに来たら良いって言われて」
「それはどなた様の紹介でしょうか」
「その、アザミさん…です」
感情の色のない声で問われ、アザミさんの名前を出す。アザミ、という名前がこういう所でも使われているのなら良いのだが、もしそうでなければ変な人の名前を出す変なやつ、だ。
「アザミ様のご紹介ですか。わかりました。確かにご予約賜っております。こちらへ…ご案内します」
(ほっ…)
表情を変えないままそう告げられ、ほっと胸を撫で下ろしてついて行く。
良かった。アザミさんの名前はここでも有効だったらしい。ついでに予約もしていてくれたとなればほんと、感謝しかできない。
ただ、この人がヴィクトルという訳では無さそうだ。そんな風には見えないというのもあるけど。なぜか、そうでは無いという確証がある。彼女は、
ガコン、と音がして目の前にあった大きめの赤い登り階段が下がる。そしてそのままその階段は地下へと降りる階段へと変貌し、自分たちを迎え入れた。
「えぇーヴィクトルさん、そりゃないですよ!」
「無理なものは無理だ。諦めろ」
案内された場所ではさっきの白スーツの男の人と船長ルックのおじさんが言い争っている場面だった。と、いうよりかは白スーツの男の人が笑いながら食い下がっているだけのような。じゃれあいにもみえる。
「ヴィクトル様、失礼します。新たなお客様です。なんでもアザミ様のご紹介だとか」
「おお、メアリ。ご苦労だった。……なんだ、この奇妙な感覚は?」
いま、自分を見て顔を顰めた船長ルックのおじさんが恐らくヴィクトルだ。なぜだかそういう確信がある。そして白スーツの男の人もなんだか見覚えがあるような、ないような。既視感を感じるのだ。
「ともかく…業魔殿へヨーソロー。我が輩はヴィクトル。業魔殿の主だ。時に客人よ、COMPはもちろん持っているな? それを見せてもらおう」
「え…その、あの…」
COMPとやらは持ってない。もちろんと言われても無いものは無い。それがないとモコイさんを生き返らせて貰えないのだろうか。
「どうした? まさか悪戯と言うわけではあるまい」
怯えるこちらを見るヴィクトルの目付きが怖い。白スーツの男の人は先程までのヴィクトルに向けていた人懐っこい笑みを消して探るようにこちらを見てきている。
疑われている。なんなのか分からないが、疑われている。あの目を、自分は知っている。
「あの、COMPってモノは持ってないんですけど、管なら…」
「それは…!」
腰に下げた袋からモコイさんの入っていた管を取り出せばヴィクトルの顔が凍りつく。
「17代目のものか!? これをどこで手に入れた!?」
「も、モコイさんから…! 17代目って人の仲魔だったモコイさんからです! 俺、その子と一緒に暮らしてて…それで、それで……」
がっつくようにこちらの肩を掴んできたヴィクトルにたじろぎ、泣きそうになる。けれどそれはヴィクトルの顔が怖いからではなく、モコイさんを守れなかった悔しさで。
理由を告げればヴィクトルは肩から手を離し、納得したような顔をした。
「……そうか。もしや、生き返らせたい仲魔というのは」
「そう、です。モコイさんの…ことです。おれ、俺が…っ、弱かったから…モコイさんを死なせてしまって…俺を守ってモコイさんが……!」
我慢していたのにぽろぽろと涙が出てくる。泣かないと決めていたのに。泣くなとモコイさんからも言われていたのに。
「…わかった。試してみよう。確かにお前とモコイには強力な縁があるようだからな」
「あ、りがとう、ございます」
グズグズと泣きながら管を渡して涙を拭う。泣き止まなければ、モコイさんとどんな顔をして会えばいいんだ。また会う時は、笑顔がいい。
その方がきっと、モコイさんも喜ぶだろうから。
「……!?」
しばらく管を弄り、なにかしていたヴィクトルの手が止まって、すぐにこちらへ振り向いて寄ってくる。
その顔はあまり明るくない。いや、元から明るくないと言われればそうなのだけれども。輪をかけて明るくないと言うべきか。
「…残念だが、モコイはこの管から復活させることは出来ん」
「そ、そんな…! なんで…!」
確かにモコイさんの残滓はその管に宿っているはずなのだ。なのに、生き返らせることが出来ない、というのはどういうことなのだろうか。
やはり、アリスの特殊な技で殺されたのが不味かったのか。
「…モコイの方から拒否されてしまった、と言えばいいのか。お前との結びつきが強すぎて切り離せないのだ」
「え…?」
返ってきたのは予想外の答え。
モコイさん自身が蘇生されたくないと突っぱねたらしい。どういう、ことなのだろうか。自分に会いたくないとか、そういうことなのだろうか。やっぱり、モコイさんを死なせてしまったから。
「モコイはお前の中からお前を守ることにしたらしい。そうすれば、お前が生きている限り、共に在れるからだろう」
「俺の、中で…」
目を見開く。そして、右手で己の胸に触れる。本当に、モコイさんは
モコイさんは俺を嫌った訳じゃなかった。むしろ、ずっと一緒に居てくれるために自由を捨ててしまった。その事に対して泣きたいような、嬉しいような、複雑な感情が湧き出てくる。
「…我が輩としてもお前のその奇妙な在り方に実験材料としての興味が無いとは言えん。が、触れればモコイが怒り狂うゆえに──手出しはしないでおこう」
モコイさんがぷりぷりと怒っても可愛いだけなのだけれど、ヴィクトルはそうでも無いらしい。顔を顰めながら管を返してくれた。
「あの、ありがとうございます。それとすみませんでした」
「なに、蘇生できなかったというのは結果だ。もし使役する悪魔が増え、合体が入り用になった暁にはまた来るといい。メアリ、この客人をこれからはいつでもお通ししてくれ」
「かしこまりました」
ぺこり、と頭を下げたメイドの人──メアリさんはそのまま持ち場へと戻っていくのか立ち去る。
自分も用は無くなったのでここらで帰らないと、とヴィクトルに頭を下げて後を追いかけるようにして階段を上がり、船の外へと出た。
冬は日が落ちるのが早い為か、ちょっとしか船の中にいなかったというのにもう外は真っ暗だ。少しだけ、海面が真っ暗で怖い。嫌なことを思い出しそうになって、けれどその思い出に心当たりがなくて顔を顰めるだけに留める。
「………」
モコイさんを生き返らせることは出来なかった。
けれど、それは悪い意味ではなくモコイさんが自分といることを選んでくれたということでもあるのでは無いのだろうか。いずれ自分がもっと力を使いこなせるようになったその時には、モコイさんが応えてくれればいいと思う。
けれどモコイさんの幸せを考えるなら、きっと、生き返った方がいいに決まってる。自分なんかより、新しい素敵な人の仲魔になって幸せを積み重ねていけた方が、きっと。
──はあー…チミのそのダメダメさんなマイナス思考はいつまで経っても治らないんだネ。世話が焼けるんだから。ボクはボクの意志で、チミが一番だからずっと傍にいるんスよ。
「!」
声が、聞こえたような気がした。思わず周りを見回すも、そこにはだれもいない。
気のせい、だったのだろうか。でも、確かにモコイさんの声が聞こえたような気がした。それは間違いない。もしそれが幻聴だとしてもモコイさんが自分の中にいる、という確証が得られただけで十分だった。
「あ」
そういえば、お代を払ってなかった。
さすがになにかしてもらったのに無料という訳にはいかないだろう。
そう思って船内に引き返そうと踵を返した瞬間──
──ぞわり、と殺気を感じた。
「っ…!」
転がるようにして横へと逃げれば銃弾が1発。地面に当たって弾けた。
避けなければそれは自分へと当たっていたものだ。
「ひっ…」
いや、今更銃弾くらいで怯えるというのも変な話だけれども、こんな影時間でもない街中で殺気モリモリの銃を撃たれるのは人生初だ。
怯えながら飛んできた方向をみれば、なんてことは無いどこにでも居そうな男の人が銃をこちらへ向けて立っている。
その顔を見た瞬間、どくり、と心臓が嫌な音を立てた。
知っている。知らないのに、知っている。顔じゃない。外見じゃない。
中身を、知っている気がして目眩がする。
「キョ、ウジ…?」
口が、勝手に知らない名前を吐き出す。
違う。この人は葛葉キョウジじゃない。いいや、こいつはキョウジだ。おれは、知っている。こいつは葛葉キョウジなのだ。
相反する思考がぐるぐると渦巻く。
「何故わかる? お前は何者だ? 答えろ」
男が、訊いてくる。
わからない。俺は、おれは。誰だ。
頭が痛い。気持ち悪い。自分は、『時を操る神器』だ。そのはずなのだ。
じゃあ、“おれ”は?
おれは、なんだ。死んだはずだ。居ないはずだ。なのに、どうしてここにいる?
三上優希? 有里渚? いいや、違う。おれは、なんだ? この既視感は誰のものなんだ?
「キョウジさん! なにやってんすか! 相手は高校生ですよ!?」
「関係ない。こいつは…人じゃない」
誰かが言い争う声が聞こえる。
わからない。おれは、ヒトだ。
ヒトを、護るために、おれは。
手が、震える。違う。違う。ちがう。
ヒトなんてアバウトなものを護りたかった訳じゃない。自分は奏子と湊のことを救いたかっただけで、
「あの子、苦しそうにしてるじゃないですか! たとえ人じゃなくても、この子は絶対悪い子じゃないですって! オレが保証しますから!」
「だからお前は甘いんだ。こいつはここで殺さなきゃならん。絶対にだ」
「なんだか、キョウジさんらしくないですよ! どうしたって言うんですか!」
おれは、
「俺は、存在しちゃいけなかったのか…?」
「ああ、そうだ」
肯定と共に刃の切っ先が向けられる。
殺されるのに、抗う気が起きない。どこかで、こうなることを納得している自分がいる。
死体に戻ることが正常だと思うおれがいる。
諦めて目を、閉じた。
「──おいキョウジッ!!! その子に手を出すんじゃあないよッ!!!」
のに、止めるような必死の叫び声が聞こえた。
ぱちん、となにかが弾けたような、微睡みから醒めたような音がした。
「なにしやがるッ!この、」
「うるさいよ!!! 嫌な予感がしたと思って来てみたらこれだ! アンタの方が何してんだい!!! この子には傷ひとつつけてないだろうね!?」
聞き覚えのある声だ。懐かしい、おれのよく知る大好きな声。恐る恐る目を開く。
そこに、いたのは。
「ししょう…?」
ごめんなさい。約束を破って死んでしまってごめんなさい。おれは、貴女と生きたかった。でも、それよりも貴女を守りたかった。おれを救って育ててくれた、貴女を。
「……アンタ、大丈夫かい? 怪我はないかい?」
キョウジを言いくるめた師匠が振り向いた。おれの敬愛する師匠。おれもこの人くらい口が上手ければキョウジの誤解を解くことが出来たのだろうか。
違う。あの人はアザミさんで、俺に親切にしてくれる人で、
「う……あ……あ、おれ…は…」
ちゃんと答えないと、叱られるのに。
「ああ、答えられないほどに取り乱して可哀想に…キョウジ! アンタ、この子に何したんだい!?」
「知らん、そいつが勝手にそうなっただけだ」
「いや普通の高校生の子ならキョウジさんに睨まれただけでビビりますって! 殺意モリモリで刀なんて向けられることも無いですし十分なにかしてますってぇ!」
「そうだろうそうだろう! “キョウジちゃん”の言う通りさ! キョウジ! 謝んな! この子はちょいと変わってるけどね、アンタが思ってるようなのじゃあないよ!」
「……おれは認めん」
「まあー! なんてやつだい! ここまで強情だとは思わなかったよ! とにかく、このままなんて訳にはいかないからアタシはこの子を連れて帰るからね! …立てるかい?」
ぐい、と抱き上げられて優しく立たされる。
そのまま手を引かれるように連れていかれ、軽自動車の助手席に乗せられて
「済まないねぇ…あのボンクラがアンタに迷惑かけたね。もう“スケロク”じゃ無くなってるだなんて思いもしなくてねえ…ポンポン身体を変えすぎなんだよあの男は…」
ハンドルを握り、前を見たまま
スケロクでは無くなった、という意味はわからないがあのキョウジはおれの知らない身体でありながら中身はおれの知るキョウジで、横にいた白いいつものスーツを着たリーゼントのキョウジが、キョウジの本当の身体であり、中身は
ややこしいが、そういうことなのだ。
きっと何かおかしな事件に巻き込まれて、ああなったんだろう。おれがこうなってしまったように。
しばらくして、一軒家の前で車が止まり、降りる。
知らない家だ。
「…ここは…し…アザミさんの家ですか」
「そうだよ。遠慮せず上がって良いからね。怖かったろう?」
おれの知る、あの自然に囲まれた屋敷ではない。住宅街の中にある、小さい、普通の一軒家。
「……引越し、したんですか」
「ん? ああ、よくわかったねぇ…確かにここにずっと住んでた訳じゃあ無くてね。ちょっと…倅を亡くしてからは思い出ばっかり詰まった家は辛くてね…匂いひとつで思い出しちまうんだよ。あの子がまだ生きてるんじゃあないかって縋ってしまいそうになっちまうし、それじゃああの子に顔向けが出来ないだろう? だからさね」
おれが、死んでから。
師匠は大丈夫だと思っていた。おれが死んでも、耐えられる人だと。割り切れる人だと。
でも、そうでは無かった。その事にちくりと胸が痛む。この身体は、おれのものではないのに。
「そう、ですか…すみません。辛いことをお聞きして」
「良いんだよ。さ、上がりな。シナモンを入れたあまーいホットミルクを用意してあげよう」
「…はい」
いや、違う。これはおれではなく、俺に向けたものだ。師匠は気がついていない。知らない。わからない。
でも、それでいい。おれは死人だ。俺ではない。いずれ消えてなくなる、残滓だ。きっと、たまたま今日浮かび上がっただけの、亡霊。
「今日は泊まって行きな。明日学校まで送って行ってあげるからね。ここは慣れない場所だろうけど、アタシが守ってあげるから、安心して眠るといいさ」
頷けば、頭を優しく撫でられる。
おれは昔からこの手が大好きだった。優しくて、暖かいこの手が。
「…ぁ…」
しかしそれはすぐに離れてしまう。
「じゃあ、ホットミルクを作ってくるからね。良い子にして待ってるんだよ」
師匠が立ち去ってしまったので部屋の畳の上でひとり、待つ。
携帯の履歴を見て今日は外泊するというメールをさっと送り、また沈黙する。やることが無い。
見回せば見慣れた羽織がハンガーにかけられ、吊るされているのが見えた。
あれは──おれの羽織だ。あの戦いに着ていかなかったから、屋敷に残っていたもの。
立ち上がって近寄り、しげしげとその懐かしい代物を眺める。
いくつもある修繕の跡と、薄く残り完全にはとれてない血の跡。袖を手に取ってくんくんと匂いを嗅いでみるがおれ自身の匂いはもうしない。
それがどんな匂いかもう忘れてしまったけれど、違うことだけはわかる。
大事にしてもらっている。それだけで十分だ。
すぐに興味が失せたので元の位置に戻り、背筋を伸ばし姿勢を正した状態で正座する。この方が、おれは落ち着く。
「待たせたね……って、そんな畏まらなくても良いんだよ?」
ややあって師匠がホットミルクの入ったマグカップを持って戻ってくる。懐かしい香りがして、少しだけ頬が緩んだ。
「いえ、こちらの方が落ち着くので、これで良い、んです」
「……そうかい? それならそうしてると良いんだけど…アンタ、そんな堂々とした子だったかい?」
「?」
堂々とはしていない、はずだ。
いつも通り、俺を装えて──いや、俺は、こんなことをしないタイプか。どちらかと言えばこういう初めての場所では背筋を丸めているタイプだ。これはぬかったか。
意識がはっきりと覚醒したのもつい先程だったものだから勝手がよく分からない。さっさとおれが沈んだ方が俺の為になるのではないか。
意識を内に向けてみるも、うんともすんとも返事がない。
どうやら、“俺”は疲れ果てて眠ってしまったらしい。色々あったのだから、仕方の無いことだ。
この身体が寝るまではおれが使うしかないらしい。
「…なんとなく、懐かしいので」
「そうかいそうかい! おばあちゃんみたいだと思ってくれてるのかい!? 嬉しい限りだねえ!」
また、わしわしと頭を撫でられる。少し乱暴だが、これも嫌いじゃない。
師匠が勝手に勘違いしてくれて良かったと思う。全盛期なら、おそらくこの嘘とも言えない何かの違和感に気づかれていた。
「今日のことは本当に済まなかったね。アタシが一緒に行ってやるべきだったんだ」
「いいや。おれが、諦めず師匠のようにキョウジを説得できていれば…ちゃんと説明できていればあんなに拗れずに済んだ」
「無駄だよ、無駄。あの男にゃいまのアンタの言葉は届かないよ。まあ、昔よりかは柔くなってるけどまだまだだ。アンタのせいじゃないよ」
その言葉を聞きながらホットミルクを飲む。シナモンの香りとはちみつらしき少し酸味のある甘みが口の中で広がって、安心感を与えてくれる。本当に懐かしい味だ。またこれが飲める日が来るだなんて思わなかった。もう二度と、飲めないものだと思っていた。
「美味しいかい?」
「はい。とても…好みの味です」
「口にあって良かったよ。じゃあ布団を敷いてあげるから、ちょっと待ってな」
「いえ、それはおれがやります」
立ち上がりかけた師匠を制して、自分でやると言えば目を丸くさせた。
さすがにおれはもうあの頃のように子供では無いので1から10までしてもらう必要は無い。自分のことは自分で出来る。
「あっはっはっ! 何言ってるんだい! アンタは客で、アタシがもてなす側だよ! それにアンタはここでの布団の場所を知らんだろうに! ほんと、面白い子だねぇ!」
バシバシと背中を叩かれながら笑われてしまった。なぜだ。
「いいんだよ、今日はアタシ任せて、アンタは寝て、身体をゆっくり休ませてるんだ。それが今のアンタの仕事だよ。アタシゃ、昔もアンタにそう言っただろう」
「…それは」
「ホラ! 言い訳しない! 落ち着いたのならちゃっちゃと飲みきって服を着替えな! その間に布団を敷いてやるからね!」
そう言われると言う通りにしない訳にはいかない。
師匠の言葉はほぼ絶対だ。名残惜しいが残り僅かなホットミルクを飲みきり、制服を脱いで用意されていた服に着替える。サイズは、今の身体には少し大きい。それに見覚えがある。これは昔の“おれ”の寝間着では。
師匠はこんなものまで大事にとっていたのか。とっておいたところでもう“おれ”は帰って来ないので邪魔になるだけだろうに。
そう思いながら匂いを嗅げば少しタンスの──虫除けの香りがする。くさい。
むっと顔を顰めた。いや、これは慣れなければいけないのだが、久しぶりに嗅ぐ香りで反射的に──そう、仕方の無いことだ。仕方の無いこと。
言い訳しながら袖と裾をまくり、ずらないようにして待つ。その横で、押し入れから布団を2組出した師匠は手慣れた様子で布団を敷いていく。
「用意できたよ。服も──うん、ちょいと大きいけど着れてるみたいだね。ほら、さっさと寝な」
「…おやすみなさい」
ぱちんと吊るされたヒモを引っ張り、師匠は電気を消した。が、師匠はまだやることがあるのか着替えていない。
おそらくは錯乱していた
ならばそれに応えない訳にはいかない。眠ってしまえばもう二度と“おれ”の意識は浮上しないだろう覚悟をして。これは、おれの出る幕ではないのだから。
そうして目を閉じればやはり身体が疲れていたのかすぐに眠りへと落ちていった。
暗闇の中で、アザミは優希がしっかりと寝た事を確認し、布団から出ているのその手を握り、ぽろりと涙を零す。
「ごめんね…ずっと、アンタはこの子の中に居たんだねぇ……アタシは、最期までアンタのことを信じてやれなかった。だからこそ、償いって訳じゃあないけど…やれる事はやってあげたいと思うのは、そんなにダメなことなのかねぇ…」
優希の顔を見つめながらも、アザミは別のものを見ていた。亡くしたものを手繰り寄せようとしていた。
まさか、とは思っていた。ゴウトや18代目から聞いた報告と、11月の出会いの時点で疑念はあった。しかしアザミが優希を構っていたのはそれだけではなく、単に可愛かったからだ。全く似ていないはずであるのに雰囲気が似通っているこの少年が本当の孫のようにも思えて、愛おしかった。
だからキョウジについて警告した。四騎士なんて神降ろししていればその異様な雰囲気から絡まれかねないためだ。
けれども今日の出来事でアザミは別の意味でキョウジが脅威判定をし、この少年に刃を向けたことに気がついてしまった。
わかってしまった。
キョウジは、アザミが先日そう疑いかけたようにこの少年を“17代目葛葉ライドウ”を殺して取り込んだ強大な悪魔だと思って見ている。その事に気がついてしまった。
そしてその後の会話。本人は気がついていなかったのだろうがここへ引っ越してからもう10年以上経つというのに引っ越したのかと訊いてきた。なぜ、引っ越したという情報が出てきたのか。これはもともと住んでいた場所を知らなければ出来ない言動だろう。
さらに見覚えのあるぴんと背筋を伸ばしたあの正座は、アザミの息子のものそのものだった。
三上優希という少年を二度ほど見たアザミは、あれが本来の優希の仕草ではないとすぐにわかった。京都の呉服屋でも先日行った料亭でも、彼はもじもじと居心地悪そうに背筋を丸めるだけであったからだ。
それなのに、初めて来るこの家で真反対の──しかもアザミの息子と同じ仕草をして落ち着いた声色をしつつもアザミのことを師匠と呼べば気がつくなという方が無理な話だ。
ため息を吐く。
アザミがアザミと名乗るようになったのは、
以前は、16代目葛葉ライドウもしくは師であり、それよりさらに前はもっとちゃんとした、葛葉の血筋に生まれた女としての名があった。それをもう、名乗るつもりはない。
「おやすみ、“──”…」
アザミは別れを告げる。
次に起きたときはきっと、こんなおぼろげな死人ではなく優希に戻っているだろうと予感めいたものを覚えていたからだ。
18年前に言えなかったそれを告げ、アザミは電気もつけず立ち上がり、その部屋を立ち去った。
察していた方もいたかもしれませんがふたつある魂の光っている方──すなわち『時を操る神器』ではない“もう半分”はこれまで存在をちょくちょく出されては放置されていた“先代”でした。
主人公は“先代”の生まれ変わりではなく、そのまま魂を持ってきてぶち込まれただけ。死にぞこないの存在です。ゴウトの声を聴けたのも、刀の扱いを知っていたりクリシュナたちの結末を予測していたのは、混じった部分で感じ取っていただけです。だからこそ、クリシュナは“混ざりもの”“誰にそうされた”と言っていたわけです。
そして今回、かつての関係者に出会ってしまった・「お前は誰だ」という主人公にとって一番訊かれたくない質問をされ、揺らいだ瞬間に一番付き合いの長かった師であるアザミの声を聞いてしまい、“先代”としての意識をはっきりと覚ましてしまいました。
しかし人格自体はほとんど消えかけなので僅かな時間しか浮かぶことを許されなかった所詮ぬばたまの夢です。本人もしがみつく意思がないので尚更。ついでに結構マイペースなので危機感は無いです。