「どうしたの?」
「んー…いや、自分の絵が素晴らしすぎて見惚れてた」
そう言って目を逸らした兄を見て、湊はなにか兄が誤魔化したのではないかとすぐに気がついた。ただ、いつもの曖昧な笑みではなく不安げな顔をしているので誤魔化しているのが無自覚にも思えて追及することができない。
双子の姉である奏子ならば隠した兄の本心を察することが出来ただろう。だが、湊にはわからなかった。
なんとなく、何かを誤魔化したのではないかと予測をつけただけだ。
「…そう」
「……………」
一瞬言葉に詰まってから返事を返すも優希はうわの空、と言ったように不安そうな顔のままぼんやりと湊の手を見つめている。これでは返事が聞こえていたかも怪しい。
そこで、ふと湊は幼い頃に聞いた母の言葉を思い出す。
『お兄ちゃんがね、不安そうな顔をしている時は置いていかれないか怖がってるの。だから、湊と奏子は早く遊びたいかもしれないけれど一緒に遊ぶならあまり走れないお兄ちゃんのことを置いて走っちゃダメだからね』
思い返せば確かに、幼い頃の兄はあまり早く走れなかった。
だから元気の有り余っていた湊と奏子は遊びに行く時によく急いて兄を置いて行ってしまうことがあったのだ。
その後ろを不安そうな顔をしてぜえぜえと息を切らしながら必死に追いかける兄を見かねた母が、湊と奏子にそう言い聞かせたのだった。
もちろん、手を繋いで走ることも多かったがそれはもっと幼いとき、よちよち歩きのときかそう注意されて以降の話だ。
(もしかして、優希は──)
寂しいのだろうか。
なぜそう思ったかは分からないが湊はそう感じた。
「……ねぇ、いま寂しい?」
「え…? あ…わ、わからない…」
問えば、一瞬はっとするが不安げな顔のままに首を横に振る。
その目に涙が溜まっていることを、優希自身は気がついていないのだろう。
「わからない…?」
こくり、と頷いた優希が目を閉じる。
その拍子に溢れた涙がぽろりと零れた。
「ほ、本当に…そう思ってるのか、わからないんだ。さみしいとか、つらい、とか。だって、気のせいだろ? それに気の所為にしないと、苦しい、から…立てなくなるから…それで…俺は……」
支離滅裂だ、と湊は思った。しかし、これが紛れもない兄の本心なのだともわかってしまった。
ようは、誤魔化しているのだ。
寂しい・辛いと自覚してしまえばとことん甘えてしまうと優希自身が思っているために、感じた事を封じて無かったことにしようとしている。
だから、『わからない』と『気の所為にしなければならない』という矛盾した言葉がでてくるのだ。
本当は、そう感じてしまっていることに自分でも気がついている。けれど認められないから逃避のために自分に自己暗示をかける。
奏子や湊自身もそうだが、兄だって完璧超人だとか鋼の心を持っている訳では無いのを分かっている。人並みに傷つき、嫌なことは嫌だと思う。そんな普通の心しか持っていない。はずだ、と湊は眉を寄せながら考える。
だからこそ、この繰り返しの中でごく普通の親から愛されている人間としての心を持っていた優希の心は歪み壊れかけているだろう。
そこまで考えて納得した。
優希が自身を愛せないのはそこから来ている。
愛されていたおかげで臆病で穏やかな気性を持ち、そのせいで誰に当たることもできず、呪うことも出来ず、全ての矛先を外にでは無く内に向けてしまったが故に狂って麻痺してしまった。
もしくは目に見える形で呪ったとしても分からないほどに軽い段階で内に秘めてしまったかのどれかだろう。
順平が5月に言っていたとおり、兄は確かに臆病者だった。けれども戦うことから逃げるのではなく、怖がりながらも立ち向かう強さを持っている。自分へ向けられるものや心から目をそらす癖に運命からは目を逸らさず、あろう事か噛み付こうとしている。
大事なものを守るためだけに自分を顧みずに怯える心を奮い立たせ、ここまで歩いてきたのだ。
あくまで予測だが、おおよそ当たっているだろうという謎の確信が湊にはあった。
なぜなら、4月になるまでの兄はこんなに歪では無かったのだから。
そう、大きな違和感をこれまで感じられなかったが三上家で暮らしていた頃も転校してから今年の3月までも少なくとも優希はここまで情緒不安定では無かった。親戚が来た時を除くが。
優希の話の通り、4月6日が繰り返しの起点だとするなら優希の精神は終わった直後からその日に飛ばされる訳だ。
ならばろくにケアもされずにズルズルと引きずることになるだろう。湊と同じく。
だが、湊はまだ9回だ。そのうちの1回は何かがあったのか記憶が無いが、十分辛いと思うものばかりだ。
そんなものを、数え切れないほど繰り返しているとしたら。その分の痛みと苦しみ、無力感を味わったのだとしたら。
このように壊れてもおかしくは無いし、救えなかった無力感が積み重なり自己肯定感は限りなく低くなる。
『繰り返し』について話した時に言っていた口ぶりからして最初から信じて貰えないだろうと諦めていた湊とは違い、最初は誰かを信用して優希は未来のことを話してしまったりしたのだろう。だが無慈悲にもそれは己か弟妹の死で返ってきた。
だからこそ以降は繰り返しにおいてのレッドカードを出されかねないために何も話すことが出来ないまま秘めた上に、「元々自分は居なかった」などと自身を否定したような形で認知していれば尚更本心からの“仲間”は居なかったのだろう。
優希はわからず屋ではあるが『わかろうとしていない』のではなく、本当に『わからない』ようになってしまったのだと湊は気がついてしまった。
まずは、その認識を変えないといけない。
湊が幼い頃の兄との再会で変わり、救われたように。
「優希は、本当はどっちだと思う? 寂しいか、寂しくないか」
「え…あ、えと…俺は……」
「べつに、なにも悪いことは思わないししないから遠慮しないで言って」
言葉に詰まる優希を促すが、そのまま俯いてしまう。なにか、アプローチを間違えてしまった? と湊は内心で不安になる。
湊にとっても兄は難しい。
後輩としてだったり弟として甘えるなら、簡単だ。好きなだけ優希は兄や先輩面をし、甘やかすだろう。
だが、そうではなく三上優希というひとりの人間として相対するのが酷く難しいのだ。
何も見えない。良かれと思ってかけた言葉がこうして全く響かなかったりする。
かと言って放ったらかしにすれば身を投げ出し、触れ過ぎればやんわりと、しかし明確に拒絶される。
未だ、湊には優希に対する的確な対応がわからなかった。
「……もし、か、すると…」
俯いたままの優希の口から小さく、そんな言葉が零れた。
そのまま湊は静かに待つ。
「さみしい、のかもしれない」
消え入りそうな小さなその声ははっきりと湊の耳に入った。
「湊も、奏子も…俺に…遠慮しないでほしい。さみしい。置いていかないでほしい。……でもわかってる。みんなが遠慮してるんじゃなくて、俺が…にげてるだけなんだ…」
もごもごとそんなことを吐き出し、優希はその言葉どおりにずる、と音を立てて腰を上げずにベンチの上で湊から逃げるように距離をとった。
醜い本心を見られたくない、とでも言いたげに。
「ごめん…やっぱり、さっきの無しにして。俺には、わからないから…」
言葉を撤回し、優希はそのまま黙り込んでしまう。
対する湊もその通りにした方がいいのか深堀するべきなのか、悩んでいた。
この対応を間違えれば優希の心を深く傷つけかねず、1発でこの
「…素直になってみる、とか。意外と寂しいとかそういうことを正直にみんなに言ってみたらウケが良いかもよ。奏子や桐条先輩とか喜びそう」
「……素直に、なる…」
小さくオウム返しされた言葉に湊は頷く。まずは拒絶されてない事にほっと胸を撫で下ろした。
「そう。優希ってわざと真田先輩や岳羽や山岸、順平とかと距離とってるでしょ。アイギスにもそうかな。自分で逃げてるってわかってるんだし寂しいなら優希から遠慮するのをやめてみたらってこと」
恐らく、湊だけではなく特別課外活動部の全員が優希が距離をとっていることを知っている。
遠慮や拒絶にも似たそれは、一見優希が普通の対応をするために気づくことができないものだ。だからこそ、クラスメイトは気がつかなかった。
だが寮生活は違う。生活を共にするためにクラスメイトやただの知り合いよりも長時間優希のことを見る機会が多い。しかも生死に関わるような戦いを共にしていればなおさらだ。
そのおかげで、8ヶ月ほど経てば歪みは分かるようになる。だだし『これまで』はその距離感故に本人に問えなかったのだと湊はわかっている。
過去を知らなかったために。しかし今はそうではない。変えることができる。
その心が開かれているため距離は確実に詰められるはずなのだ。あとは、優希自身が歩み寄るだけ。
「目指すはメティスとか…ムカつくけどタカヤとかに対する距離感でいいんじゃない? まずは僕や奏子で練習してもいいしさ」
優希の反応は11月に変だった時と似たようなものだった。反論や否定もせずに素直に湊の話を聞いている。が、ふいに目を逸らして口を開いた。
「…でも、」
「遠慮しない。優希はいつも僕らにそう言うでしょ。それと同じ」
その言葉に遠慮の気配を感じた湊はすぐに言葉を上書きした。
兄に長く喋らせるとそのペースに呑まれてしまう。いつの間にか曖昧にされて、流されてしまうに違いない。
「……」
「…同じなんだ。優希が僕らに遠慮してほしくないって思うのと同じで、僕らも優希に遠慮してほしくない。たったそれだけのことなんだ」
返事はない。
迷うように視線が彷徨っている。
「すこし、考えさせてほしい。まだ俺には色々と難しい、から…」
ややあって、そんな返事が返って来る。
湊もそんなすぐに心を開けろとは言っていないため、そんな返事が返ってくることくらいは予測していた。
ただ早速「難しいから」と理由を言えているのは既に変わっている証だ。
以前なら「大丈夫」などと色々なそれらしい理由をつけてはぐらかしていた。それがなくなっただけ進歩だ。
「わかった。じゃあ、今日はもう帰ろう」
「…ん…」
立ち上がり、いつもの自分と同じような返事をする兄を見る。
優希はしんどければしんどい時ほど口数が少なくなる傾向が顕著だ。逆に湊は兄がそんな風だとよくしゃべるようになる。滅多にないが奏子が体調不良などで口数が少ない時も同じく湊か優希が喋る。
自分達三人はきっとそれでバランスをとり、補い合っているのだろうと湊は何となく思う。
──Rank UP!
XⅪ “
三上優希 Rank5→Rank6
“原型”のペルソナを生み出す力が増幅された!
「…!」
もう驚きに声を上げたりしないが順調に『コミュ』は進行しているらしい。
これまで一切進まず、途中までニャルラトホテプの手の上で踊らされていたにしてもこの前から普通にコミュが進んでいるというのはなんなのか、気がついていないわけではない。
恐らく、条件は『12月2日に優希を諦めさせる』ことだ。
いや、『1人やるのではなくみんなの力を借りなければいけないと心を開く準備をすること』なのかもしれない。それこそがこのコミュの真の始まりであり、変化したきっかけなのだ。
優希はなんとなくだがそうしようという傾向を見せている。無自覚なのだろうが、歩み寄ろうとは考えているように見えた。
全てカダスで見られ、やろうとしていたことを阻止されたために『諦めた』と表現してもいいのかもしれないが頑なだったそれが今、少しだけ緩んでいるのは確かだ。
あと少し。あと少しなはずなんだ、と湊は思う。
きっと兄はまだ死ぬことを諦めていない。消えたり死んでしまうことに対し抗おうとは本気で思っていない。
“人として生きること”を諦めてしまっている。それを変えられれば、きっと。
そんな望みを湊は持っていた。
夜
ラウンジ
夕食を食べ、ラウンジでくつろぐ湊に順平が今日も惚気を漏らす。
やれチドリが可愛かっただの、やれチドリにこの話をしただの、最近は会いに行けば寝るまでその話ばかりだ。
「って、ワケでよ。チドリがオレの為に絵をかいてくれたんだよ!」
「へー、良かったね」
それを湊は受け流す。
と、ふいに視線を感じてそちらを見れば優希が観察するようにこちらを見ており、湊に見ていると気がつかれていると分かったのか即座に視線を逸らして手元の雑誌に顔を隠す。
(…とても怪しい)
持っている雑誌が逆さまだ。どうせよく見ずに無意識に手に取ったのだろう。
「……」
それをジト目で見つめる。
順平と己の距離感を参考にしてもらっても困る。と湊は言いたかった。というより、順平の真似をしてバカな真似をしてほしくなかったというべきか。
いまの優希は誰かを真似しろと言われたら迷いなく完璧になりきるだろう。
一度スイッチが入れば止められない。
下手をするとこの前の変わり身に近いことをやらかしそうだったので、絶対に湊はそれを悪用できるとしてもしたくなかった。
あんなものを使われたらそれこそ優希という存在の中にある『迷い』すらなくなって誰にも止められなくなる。
「オレっちとチドリの話を聞いてないのかよ湊ぉ~…って、三上センパイなんかキョドってんな、珍し」
ようやく湊は話を聞いていないのだと気がついた順平が湊と同じ方向を見やり、挙動不審な優希を見つけてそう呟いた。
順平から見ても今の優希は奇行をしているように見えるようだ。
原因は、夕方のあの話だ。
順平と湊の距離感がそこそこ近いためにそれを参考にしようと観察していたのだろう。
そういう変に空回りしている真面目なところが兄らしいと言うべきか。
中学の時にはその気質のせいなのか前日に急遽助っ人を頼まれた時などは食い入るように助っ人に入る予定の部活の練習風景を見ている事があったのだ。
そして、次の日には即戦力として貢献するということが何度かあった。
おかしいと思っていたのだ。
優希は確かに自分や奏子と同じく直感で物を扱うタイプだ。
けれど一点集中型の奏子や直感的にどれも上手く扱える湊とは違い、優希は何も知らされないままに使えと言われると困惑するタイプだった。
困惑して、その上である程度使えはするものの覚束無い。頼りないと言うべきか。
ただ、他に誰かが同じものを使っていた場合。それは変わる。それを見、覚え、適応する。
優希はそれが得意に違いないと今更気がついた。
そしてその特性が優希自身の在り方によるものだということにも。優希は常に、無意識に誰かをミラーリングしているのだ。だから距離が空く。
どちらかから歩み寄るしかないのに。
「そういえばさ、順平は優希が部活とかの助っ人してるとか聞いたことある?」
切り出す。中学時代はあれだけ引っ張りだこだったのだ。
こちらでも呼ばれてないはずがない。そう思った。しかし今は受験もあり強制的に何かの部活に参加する必要のない3年生だからか、その手の話題は全く聞かない。だからこそなにか知ってそうな順平へと話を振った。
「あー…そういや、1年の時に弓道部の助っ人に出てたっての聞いたこと事あるぜ。この話ならオレよかゆかりっチの方が詳しいんじゃねーかな。ゆかりっチ〜!」
順平がダイニングテーブルに座ってホットドリンクを飲みながら勉強をしていたゆかりへと声をかければ振り向いてから立ち上がって寄ってきた。
「なによ? 何の話? まさか、卑猥な話じゃないでしょうね?」
「ンなわけねーっての! いやな? 湊が、オレらが1年の時にあった三上センパイが弓道部の助っ人に来た話聞きてえって言うからさ。ゆかりっチなら詳しく知ってるっしょ?」
「あー…あれか…うん、知ってる」
遠い目をしたゆかりは挙動不審な優希が見えてないのか気を取り直して口を開いた。
「有里くん、あの時の話聞きたいんだよね。とは言ってもあんまり話せることないんだよね。ちょうど他校との練習試合があったんだけど急に家の用事が入っちゃった2年の先輩が休むことになったから、三上先輩がその先輩の紹介で助っ人というか代理で来たってだけで。公式の試合とかでもなかったし」
そう話し出したゆかりだが、微妙そうな表情をしている。
さっと、逃げるように優希が席を外して階段の方へと小走りで音もたてずに駆けていく。逆さまになった雑誌を持ったまま。
聞きたくない話だったのだろうか。
「三上先輩、その時に『自分は弓とかあまり触ったことの無い初心者だ』って言ってたんだけど、前の日の放課後にその代わる予定の先輩の練習をちょっと見て帰って次の日来たら全く同じ構えをして真っ直ぐ的に矢を当てたの。それも全部。1度も外さずに。もう驚いたっていうか……なんていうか、あんまりにも出来すぎてて嫉妬したって言えばいいの? ムカついた、のかな」
複雑な表情のまま、ゆかりは顔を下げた。
湊の予感は当たっていたらしい。それと同時にそう思っても仕方が無いとゆかりに同情した。意識してしまえば簡単に模倣できる兄が異常なだけであり、見本が無ければ本当に人並み程度かそれ以下に留められてしまうことに問題がある。どうやっても絵が下手なのが特にわかりやすいだろう。
優希自身の申告は何も間違っておらず本当のことであり、しかし変に自信が無い所から恨みを買いやすい。
ただし、殆どは内に留められる程度の軽微なもので、優希自身の人の良さもあってかわざわざ助っ人に来てくれているという負い目が相手にあるため問うに問えずゆかりのように内に秘め続け苦手意識ができてしまうようだ。
「ろくに練習もしてないはずなのになんでその時のエースだった先輩と同じ動きができるの? 私だって何度もその先輩の動きを見ているのにどうしてちょっと見ただけの三上先輩が…とか、初心者だってのは嘘で、私たちを馬鹿にするためにあんなこと言ってたのかな、とか。正直、それからちょっと近寄り難いカンジって言えばいいの? そういうのはあったかも…」
そんな疑念があったからこそ、ゆかりはどこかで人一倍優希に対して疑いの心を持っていたのだろう。
それがカダスで確信に変わり、爆発してしまっただけの話だった。
「でも、有里くんや奏子ちゃんを見てたらそりゃ三上先輩がああなのも納得というか。まあ…そうだよねって感じ。今は理由もわかってるし嫉妬とかそういうのはないかな。どう? こういうので良かった?」
「うん。ありがと、岳羽」
「いいの。なんか、私もこのこと愚痴りたかったし。ずっと溜めてたから話せて良かった」
スッキリした顔で笑うゆかりに先程までの陰りはない。
小さなことだが確かにしこりの様なものを残していたのが湊の話がきっかけで打ち明ける事が出来、過去のこととしてきちんと消化することが出来たのだろう。
「それに三上先輩、美鶴先輩とお似合いだし。…色んな意味で。だから私、応援してるんだよね。順平、もし邪魔でもしたらこうだからね」
「しませんしません! オレにはチドリも居るし馬に蹴られたかねーもん!」
ビッ、と親指を立てた拳を横にし、首を切るような仕草をする。
その仕草に順平は青ざめ、首を横にブンブンと振ったのだった。
「てか私はそういうの、まだなんか良いやって感じなんだよね。最近の三上先輩と美鶴先輩を見てるだけでおなかいっぱいっていうか」
「あー…なんとなくわかるわー」
順平が遠い目をして相槌を打つ。
初々しい距離感で楽しげにラウンジで話すふたりは以前の比では無いほどにイチャイチャしている。ように見えた。糖分マシマシ、というやつである。順平自身もチドリと同じような会話をしているので人のことをいえた義理ではないが。
「でも、有里くんになら私……構わないから…」
僅かに顔を赤らめ、小さな声でそう告げたゆかりに湊は応えるつもりはなかった。
バレンタインデーのとんでもないブッキングを避けるために湊は本命のアイギスひとりと決めている。なのでコミュがMAXであろうとも恋愛的なあれそれのお付き合いはしていない。風花に対しても他のコミュの女性メンバーに関しても同じだ。
美鶴は言わずもがな優希に首ったけなのでそもそもそういう選択肢すら出ず、優希についての相談事に奏子と共に乗るくらいだ。それでそれぞれのコミュが進んでしまうのだから驚きである。
黙っていた湊がゆかりに応えるつもりがないと伝わったのか、はたまた別の事情か、ゆかりはすぐに表情を変えた。
「その…何とは言わないけど。……えっとごめん、やっぱ忘れて」
最後に思考の端にエレベーターガールの選択肢も浮かんできたが咄嗟に振り払い、微妙そうな表情になったゆかりの忘れてという要望に対して頷いた。
微妙な表情をしていたゆかりであったが、ふと何か思い出したかのように「あ」と声を漏らすとまた口を開く。
「そういえば助っ人に来た時の三上先輩ね、助っ人になること自体は承諾してくれたらしいんだけど、最後までうちの先輩に『自分に頼むのは止めた方がいい』って言ってたみたい。…なんでなんだろ。あんなにやれるんなら普通、そういうこと気にしないと思うんだけど」
ゆかりが首を傾げる。
恐らく、ゆかりのようなタイプから中学時代やっかみでも受けたのだろう。もしくはそれが発端で休んだ面子に迷惑がかかったか。
助けるために出たのに頼んできた相手の立場を脅かすことになるのを嫌う。
兄はそういうところがある。だからこそ、高校に入ってからはあまり頼みを聞くことをせずに居て、その弓道部の一件ほどしか聞かないのだろう。
中学時代も三年生の夏になった時にぱたりとそれが止んだ。きっと、その時何かあったのだ。
高校で積極的に頼みを受けていないのはその何らかの理由と病気のことがあわさっているからに違いない。学区的な問題で中学と同じ生徒の多い聖エルミン学園にいた1,2カ月の間だけでも助っ人の噂を聞いてもおかしくないのにそれが全くなかったのは養母以外に隠して行っていたという医者から止められていたせいだ。
ただ、弓道部の先輩とやらはどこで優希が“できる”と知ったのか。そういうことを知らない限り優希に頼もうなどとは思わないはず。
「岳羽は、どうしてその先輩が優希に助っ人を頼んだか知ってる?」
「え? えーと…確か……『中学生の時に別の学校の練習を見に行った時に目をつけた。あいつはすごい奴だ!』って…だから私、三上先輩が元々弓道部だったのに嘘ついてるんじゃないかって思ったの」
湊は頭を抱えたくなった。
月光館学園は意外と他校との交流が多い。奏子が夏に合宿をしに八十稲羽に行ったのもそれだ。
優希自身が中学の時の弓道部に助っ人に来た際にたまたま、その交流行事に来ていた月光館学園の中等部だった件の先輩とやらが優希を見つけたようだ。
ゆかりが見た時と同じことをしていたと仮定するなら、当時からその先輩の目には相当“できる”ように見えただろう。
そして高校で再会したというのに弓道部にはおらずフリーとなると惜しく見えたに違いない。“助っ人に来ていた”という前提条件を知らないがために。
それを説明するために湊は首を横に振った。
「……違う。優希は中学の時、弓道部じゃなかった」
「嘘でしょ? じゃあなんで居たの?」
「岳羽が見た時と同じシチュエーション。いわゆる助っ人。中学の時の優希は頼まれたら断れなかったから呼ばれたら何でも行ってたよ。文化部は吹奏楽以外行ってなかったみたいだけど、運動部はほぼ全部」
「…嘘でしょ……」
ドン引きです、と言わんばかりに同じ言葉を繰り返したゆかりは絶句した。
その気持ちもわかるので同情する視線を送りながらも、湊は溜息を吐く。
「べつに、優希は何でもできるわけじゃないよ。誰かの真似をしてるだけ。その場しのぎのやつなんだ」
続ければその限りではないだろうが肝心の優希本人に続ける気がないので意味がない。
何かが得意、なのではなく無理やり“模倣する”から得意に見えているだけだ。
優希自身は菓子作り以外、殆どのことに突出して秀でているわけではない──はずだ、と湊は思う。
ただ、菓子作りだけは優希自身が好んでやっている。
それもデコレーションケーキなどのかなり手の込んだものではなく、家庭でも作れるクッキーやパウンドケーキだったりがメインだ。しかし本人は製菓学校に行くほどの興味のあるものではないし手軽に食べたいからやっている、といった感じだ。
食べ歩きも趣味の範疇であるし、別にできないのならしなくても良いと思っているフシがある。
(……)
よくよく考えれば『たこ焼きが好き』以外のしっかりした優希の情報を湊も知らない。
家族として一緒に暮らしているはずなのに、一方的に優希だけが自分や奏子のことを知っているような感覚を覚えるのだ。
たこ焼き以外の味の好みを知らない──わけでもなかった。紅ショウガも好きだった気がする。
それを思い出して、湊はほっと胸をなでおろしかけて──いや、まだぼんやりとしたままじゃないかと考え直した。
それ以外が本当に不透明だ。作るお菓子のレパートリーはいつも湊か奏子の好きなものにあわされており、優希本人が好きな味というモノを知らない。
ファッションも基本的なものばかりで奇抜な格好をしないし好みがあるというわけでもない。
その相手の距離感に合わせる性質のせいか嫌いな人間というモノを喋らないので合わない性格の人間が居る、というのも知らない。苦笑交じりの愚痴のようなものは聞けども悪口は聞かない。感情に任せて怒らない。
日常生活を送るうえでの問題も湊が知る限りでは特に起こしていない。
戦いが絡まなければ本当に、ただの『良い兄』なのだ。
反抗期すらないのは兄妹三人共だが。
しかし何か『個性』と呼べるようなはっきりしたものを湊は知らない。奏子もそうだろう。
幼い頃はもっとなにかあったはずなのにそれらしいことを何も覚えていない。
実の両親と居た頃。優希が有里渚だった頃。そして、小学生だった頃。そのくらいまではまだ、優希は個性のようなものがあったはずなのだ。星や海を見るのが好き、と先日言っていたように、もっと前に何かを言っていた。味の好みだってもっと何かあったはずだ。
なのに10年前の事故以降、背伸びをするように優希はそれらをピタッとやめた。それはなぜだったのか。実験のせいなのか。
『コミュ』はもう半分を過ぎたが、自分と奏子はもっとそれ以外にも連れまわすなりなんなりしていろんな面を知っていく必要があるのではないか。目を逸らしていた分、相互理解をしなければいけないのではないか。
そんな気持ちを湊は覚えていた。