12月14日(月) 昼
桐条宗家本邸
「以上が、今回の事の次第になります」
あの後。
夜も遅く、このようなことが起こったあとでは寮にも帰れないだろうという理由で優希と美鶴は桐条本邸に泊まることとなった。
寮を占拠していた(実際はメティスによって拘束され床に転がされていた)警備部も武治の声によってすぐに回収され、寮内も原状復帰とはいかないが壊れた家具などはすぐに取り換えられることになった。
寮にいた面子には桐条の別派がひとりでに暴走したことだ、という説明がされ優希が目当てだったなどということは伏せられた。そこがまた湊や奏子、そしてゆかりの不信感を若干煽ることになるのだが、まさか優希が桐条本邸を火の海にしたなどとは言えるわけもなく。
「“対シャドウ特別制圧兵装七式メティス”が自立稼働していた? …あれは人格が発現しないという欠陥により内蔵されていた黄昏の羽根を回収された後廃棄されていたと聞いたが……」
もう一つの報告を受け、武治は首を傾げる。
彼女のコンセプトは遠距離~中距離の戦闘が多いアイギスとの連携を意識した近距離特化仕様であり、戦闘成績の良かったラビリスの経験も応用して作られた真の意味でラビリスとアイギスの妹ともいうべき存在なのだ。メティスが突撃して敵の守りを切り崩し、アイギスがそこに重火器による弾幕を放ち殲滅する。といったような連携を目指していたという。
だがアイギスと同型であり後継機の機体でもあった“七式メティス”は黄昏の羽根を埋め込まれても動くことがなく神経回路に何らかの異常があったのではという予測の元、調査を繰り返されたのちに原因不明として廃棄されたのだ。
しかしそれが人格を得て勝手に動き、アイギスのことを“姉”と認識しており今回の襲撃で襲撃者たちを全て無力化してしまえるほどの性能を発揮したとなれば武治も唸るしかない。
いつ、どこで目覚めたのか。聞き取りを行った桐条の研究員は言いにくそうに口を開いた。
「12月2日の深夜に寮の地下物置──そうです、一階の床下のあそこです。あそこで彼女は目覚め、自ら扉を蹴破って出てきたそうです。彼女も自分がなぜ目覚めたのかわからないようで…いえ、目覚めた後の目的は七式アイギスと有里奏子と有里湊を守る、というものだったようですが」
アイギスに危険が迫っていたのか。そう考えるも、特に2日に何かあったという報告は聞かない。そしてなぜ寮の地下に。とにかく、わき道にそれるような形の話題であるメティスのことは特別課外活動部預かり、ということにしておこうと武治は置いておくことにした。
「それが…あの機体から黄昏の羽根の反応がするにはするのですが……問題が」
「なんだ」
武治がぶっきらぼうに聞けば、若い研究員の男はあせあせと焦りながら冬だというのに垂れる汗をハンカチで拭った。
「……検査を行ったところ、三上優希さんからも黄昏の羽根の反応が…」
「…!?」
「聞き取りを行った結果、あっさりと“体内に黄昏の羽根を内包している”とおっしゃられ…いかがなさいましょう…?」
困りきったような研究員の言葉に武治も困惑する。
どうする、と訊かれてもどうすることもできないだろう。
メティスと同じくいつどこで黄昏の羽根が体内に入ったのかわからない。7月末はそんな話はなかった。一体どこで、武治の知らないうちに何が起こっているというのか恐ろしさすらあった。
だがその異物である黄昏の羽根をいまさら摘出したところで身体が無事という保証はない。既に癒着・吸収されている可能性もあれば身体自体が弱っているという優希にそんなことをすれば耐え切れずに死んでしまうのではないかという予感もして、悩む。
だが黄昏の羽根自体を人の体内に埋め込んだという事例。それを武治はつい最近どこかで見たような気がしたのだ。
(そうだ。幾月の資料…“
人体に黄昏の羽根を埋め込めばどうなるか、という幾月の興味本位で実験に使う用にとエルゴ研に連れてこられた中でも最年少の孤児の少年がその“皆月翔”だった。
孤児の中でも幾月は優希と翔を気に入っていた。前者は道具としてだが。
翔に関しては幾月の秘蔵っ子とも呼ばれており、研究所内でも隔離されて別の計画の為に使われていたらしくその存在をほとんどの人間が知ることはなかった。恐らく優希ですらその存在を知らないだろう。
ストレガ計画が頓挫した際に他の孤児は逃亡もしくは死亡が確認されていたがその子供だけは未だに行方がわからない。死亡した、と書かれておらず最終的な記録は8歳ごろに何らかの手術が行われ、その結果昏睡状態に陥った、とまでしか書かれていない。
調査すべきことは山のようにある。とそれらを幾月に全部投げ、怠ってきた自分自身と自身に知らぬ間に問題を増やしまくったにも関わらず1人死に逃げをした幾月に武治は苛立ちとやるせなさを感じる。
確かに武治は多忙だったが幾月を信用し、任せきってしまったことにも問題がある。だからこそ、このツケは自分自身でなんとかしなければならないと再度決意したのだ。
「…彼に関しては何か健康的な異常がないか今から簡易的なメディカルチェックを行う。それが済み次第、こちらの部屋に美鶴と共に呼んでほしい」
「わかりました。あの、運動機能検査などは…」
「いらん。こちらで用意できる機材のできる範囲でいい」
つまるところ、専門病院のような本格的な医療器材をつかった検査はせず、あくまでも黄昏の羽根関連の検査と簡易的な健康診断だけでいい、ということだった。
あのような膨大な力を使ったのだから、その身体にかかった負荷はかなりのものだろう。美鶴の話によればあの後すぐから未だ眠り続けているようだが、特に発熱したり発作を起こしたりなど消耗しているような様子は無いらしい。
そこで武治はもうひとつ、問題があったのを思い出す。
五式ラビリスについてだ。
高寺によって無許可で封印処理がされていた屋久島から連れてこられ、優希と戦わされた彼女だったが、研究員が調べた結果神経回路の一部が焼き切れており、何故自立できているのかが不思議なほどだったという。だが、それでもラビリスは何の異常もなく武治には少々複雑そうだったが礼儀正しく対応し、はきはきと喋っていた。動作にもなにひとつ問題はない。
簡易な検査とメンテナンス。そして聞き取りをされたラビリスはいま、本人と美鶴の要望によりふたりと同じ部屋に居る。
何かあれば美鶴なら抑えられるし、なぜかこの短時間で懐いているらしい優希の手前荒事も起こさないといったことかららしい。
戦闘能力は以前と変わらず。ペルソナの発現はしていないが十分戦力になる彼女を、いっそのこと特別課外活動部預かりにしてしまおうか、と武治は考えた。このままここに居てもデータ取りにしかつかわれない。ならば、彼女の妹機たちや優希のいる巌戸台分寮で過ごした方がいいのではないか、という考えだったのだ。
それをまだラビリス本人や美鶴には伝えていない。だが、武治には優希がそれに近しいことを要求してくるのではないかという予感があった。
一時間ほど前。
「ウチは対シャドウ特別制圧兵装五式ラビリスいいます。改めてよろしゅうおねがいします。…ええと、美鶴さん? でええんかな…」
優希と美鶴に割り当てられた部屋で、メンテナンスから帰還し、研究者からそこへ連れてこられたラビリスはおずおずと頭を下げた。青い銀髪のポニーテールが前に垂れる。
そんなラビリスの様子をみて、美鶴は僅かに笑う。アイギスやメティスとはまた違った特徴のある性格らしい。
「ああ。大丈夫だ。よろしくラビリス」
「その、昨日のことはほんまにすみません…ウチが武器ぶん回してお庭穴だらけにしてもて…」
心底申し訳ない、と言う顔で謝っているラビリスの脳裏に浮かぶのは穴だらけになった綺麗だった庭園だ。操られていたとはいえ、流石に砂利を飛ばし土を抉り、芝を吹き飛ばし、ボコボコの穴だらけになった無惨な庭を窓から見てしまえば、謝らないわけにはいかなかった。
優希の炎によって焼けていればもっと悲惨なことになっていたかもしれないが優希は優希でそこをうまく調節していたようで足元の芝が軽く焦げ付いたくらいだ。被害で言えばラビリスのやらかしたことの方が大きい。
しかし、
「いいんだ。庭はいずれ元に戻せる」
美鶴は許した。
優希が避けまくっていたせいで穴が開いたとも言えなくはないが、そもそも避けなければ大怪我だ。誰も責めることなどできない。
唯一、責められるとすればラビリスを操り、使おうとした高寺くらいだろう。
「だれも傷つけなかった、というだけでも十分きみは立派だ。よくやった」
「え、あ…そう、ですやろか…? ほんまに?」
美鶴の言葉にラビリスの瞳が揺れる。まさか責められもせずむしろ褒められるなどとは思わなかった、という顔だ。
「ああ。本当だ。命令に抗うというのは機械としては難しい事だ。しかしきみは己の心で抵抗した。それを立派だと言わずしてなんになる。…勿論、抗いきれなかった、というのも身体が機械なのだから仕方ないともいえる。悪いのはそうさせようとした我々人間だ」
思った通りのことをそのまま言葉に出せば、ラビリスの顔がどんどん赤くなる。ぷしゅう、と湯気がでた。今のは恐らく排熱だ。
「あ、なんやろこれ…これが、恥ずかしいって、ことなんかな……えへへ、こう言うの、正しいかわからへんのですけど…ありがとうございます」
顔を赤くして頬を押さえるラビリスは美鶴から見ても普通の少女のようにも見える。
やはり、対シャドウ兵器は機械などではなく人の心を持ったひとりの人間なのだ。と美鶴は兵器扱いする大人の事を考え憂鬱になる。彼女は、これからどうなってしまうのだろうか。
操られていたとはいえ、高寺の計画に加担してしまった。その責任を、彼女は取らないといけないかもしれないのだ。
「だが、すまない…きみのこれからのことは私にはわからない上にどうすることもできない。最悪、今回のことの責任をきみも取らなくてはならないかもしれない」
「あー、せやね。結果的に大怪我した人はではれへんかったけど…ウチはまた沢山暴れてもたから…二度目はないでってことやね…わかってます。廃棄でもなんでも、受け入れます」
照れたような顔から一転。しゅん、と落ち込んだラビリスはそれでも縋るような目で優希を見やる。
「あの、ウチはそれでもええんですけど、ナギサさんはどうなりはるん…? あんな…強大な力をつこうて……なんもなしに放っておかれるわけ、ないですやろ…?」
優希を心配そうに見つめるラビリスは自分のことよりも優希のことを心配しているようだった。確かに、ラビリスの言う通りでもあるが今回大きな怪我をした人間はいなかった。
そしてこうなってしまったのは何度も言うが高寺がこのようなことを起こしたからであり、それさえなければ優希はあのような力を振るうことはなかったのだ。
なにかがあったとしてもあくまで私設部隊の隊員を相手取っていた時のように自衛にしか使わず人間に直接それを向けるなどということはしなかっただろう。だが実際は本邸を火の海にしたということであんな異常な力を見られてしまったからには実験体扱いに逆戻りしてしまうのではないかという心配がラビリスの中にあった。いくら優希の記憶と感情の断片を得たからとはいえ、ラビリス自身に美鶴たち桐条へのこういったことの信頼はあまりない。
否、むしろ優希の10年前の記憶を得てしまったからこそ、そう思ってしまったと言えなくもないが。
美鶴はベッドの上で眠っている優希を見やる。美鶴を抱きしめ、英恵とラビリスの元に向かった後はただ武治に言われたことに頷くことしかしなかったのだ。どちらかと言えば、湊のようにどうでもいい、といった態度と言えばいいのか。高寺や私設部隊の隊員の方を絶対に見向きせず、無いものとして扱っていた。
美鶴も疲れてはいたので諸々の処理を父に任せ、急遽割り当てられた新しい部屋で寝起きをしたが優希は未だに眠り続けたままであり、昨夜は気がつかなかったが火傷の跡がその身の至る所にある。
恐らく炎に巻かれただろう高寺は首を絞められたこと以外ほぼ無傷だと聞いたために一番火傷を負ったのが本人だという矛盾した状況に美鶴は困り果てた。
(恐らく、三上が…いや、優希が本当に焼いてしまいたかったのは高寺でも他の誰でもなく己自身だったのでは)
そうなのではないか、と美鶴は思った。
英恵の話によれば発狂状態に陥った優希は「高寺を殺し、自分も死ぬ」などと言っていたらしい。自殺願望はまだ治まっていなかったということなのか、それとも新たに噴出してきてしまったのか。
それほどまでに精神的に追い詰められてしまったのか。
美鶴には、どれもが原因であってもおかしくはないという気がしてならない。だがそんな状態である優希を美鶴は、無いに等しいが例え父が危険だと判断して引き離そうが引き渡す気も手出しさせる気もなかった。
「……大丈夫だ。優希に関しては私が絶対に手出しさせない。ところで…」
「はい? なんです?」
美鶴は気になったことがあった。どうしてラビリスが優希のことをナギサ、と呼んでいるのか。ふたりは旧知の仲なのか。何故そんなにも出会ってすぐのようにも思えるラビリスが優希に懐き、心配しているのか。
「何故きみは優希をナギサ、と呼んでいるんだ? 聞いたところきみはずっと屋久島の研究施設にいて幼い頃の彼との面識はなかったはずだ」
「ああ、そのことやね…なんて説明すればええんやろ……」
美鶴が問えば、ラビリスが困ったような顔になる。そして、ポッと顔を赤らめた。
「その…キス、されてもて…」
「キス!?!?!?」
小さく呟いたラビリスの言葉に美鶴は目を剥いた。キス。すなわち接吻。
まだ私にもしてもらっていないのに、この機械の乙女にはそれをしたというのか!? と、美鶴の頭の中はパニックになる。
そんな混乱した美鶴の様子に気がついていないラビリスはそのまま語り続ける。
「ウチ、もう戦いたくなくて、辛くて、苦しくて。それで助けてって言ったらナギサさんがそうやって助けてくれはったんです。よく原理はわからへんのですけど、でも必死で呼びかけてくれて…まるでデータベースで見たヒーローみたいやった……」
顔を赤らめたまま大切な思い出だ、とでも言うかのようにラビリスは唇に手を当てて感触を思い出すかのように目を細める。
「その時に、ウチとナギサさんの記憶と気持ちみたいなのがぶわーって見えて…それでウチはナギサさんのことを知ることができたんです。たぶん、あの様子やとナギサさんもウチの記憶を見てはると思うんです」
ラビリスは思い出す。あの炎が弾ける直前の優希の言動を。
まるでラビリスの封じていた気持ちをも代弁するかのようなあの怒り狂いようはラビリスの記憶と感情を得ていなければありえない行動だ。
いや、どちらかといえば記憶と感情の伝播と共に
【吸魔】を行った際にマグネタイト以外のものも吸収していてもおかしくはない。そんなことは露知らず、ラビリスは固まったままの美鶴の様子がおかしいことにようやく気付き、首を傾げる。
「あれ、美鶴さんどうしはったん? しんどいとかですやろか…? 外におるメイドさん、呼びましょか?」
「あ、ああ。だ、大丈夫だ。大丈夫。そうだ、私は大丈夫だ。だが…」
狼狽えながらラビリスへ返事をした美鶴はしかし、むっとした顔つきで眠っている優希を見る。
「彼には詳しく話を聞かねばならん。場合によっては…処刑だ!」
それでも無理やり起こしたりしないところが、美鶴の優しさでもあった。
優希の簡易的なメディカルチェックを終え、書斎は天井に穴が開いたため改修中なので応接室に呼び出された美鶴と優希、そしてラビリスは椅子に座る。
対面には高寺と、書斎を占拠し美鶴に助力を頼んだ(ついでに書斎の天井に穴を開けた)私設部隊の隊員──どうやら彼は隊長だったらしい──そして警備部の隊長である男が並んで座っている。警備部の隊長の腕には骨折したのかギプスがつけらていた。
そして一番奥。議長席とも呼べる単独の椅子に武治が険しい顔をしながら座っている。
「此度の一件は当主である私に対する背任行為と見てそれぞれ責任をとってもらう。沙汰は追って下すが全員厳罰は逃れられぬと思え。特に高寺。首謀者のお前はな」
「……はい」
高寺は首に包帯を巻きながらもしっかりと着替えを済ませてきたのかスーツに汚れひとつない。しかし、その表情はまさに観念しました、といった表情だ。
「三上くんからは何かあるか。主な被害者はきみだ。最低限、こちらにできることをさせてもらう」
「じゃあ…」
武治が問えば、まだ虚ろな目のままな優希が口を開く。一晩経ち、昨日のような激情を見せることはないが不安定さは治っていなかったようで一見正常に見えて正常ではないことがわかる様子だ。目が、まったく笑っていないのだ。
「この話し合いが終わった後、この人を二度と俺の前に出さないでください。会わせないでください。謝罪も不要です。見てるだけで殺してしまいそうになるので、出来れば今すぐにも追い出してほしいんですけどそこは我慢します。居ないと話し合いにならないでしょう?」
にっこりと笑みを形作るがその空虚な笑みは美鶴や高寺からしたら最早恐怖でしかない。
美鶴は優希が壊れてしまうのではないかという怖さから。高寺からすれば昨夜の出来事を思い出させて、だ。
要するに優希は二度とその
「ああでも…社員の人のことを考えてるってのは本当みたいなので、降格や解雇処分などにせず代表補佐のままでもいいんじゃないんでしょうか。社員のこと“だけ”は考えてるみたいなので。でもなにもしないってわけにもいきませんし被害にあった物の賠償をさせたり報酬減額などでいいんじゃないんですかね」
だけ、という部分を強調した優希の声は平坦だ。思いやりからこれを言ったのではないことくらい武治にも美鶴にもわかっていた。要するに、裏には一切かかわらせず、力を没収し、表の仕事でほぼタダ働きをさせ、荷馬車の如く使えばいいと言っているのだ。
「だって、この人そっち方面ではかなり優秀ですよ。2部門の人間を秘密裏に動かせるほどの信頼もあるようですしね。あとは追い込み方とかその用心深さとか。ちょっと話しただけの俺がいうのもなんですけど。捨てて他社にヘッドハンティングされるよか桐条に居させてあげた方が良いですって」
逃がすな。と優希の目は告げていた。逃がさず、甘い思いもさせず、お前達で一生こいつを飼い殺しにして見張っていろ、と言っている。
「それに、俺以外の家族に会いに来たり野放しになったら俺がこの人殺すので。どこに逃げても果てまで追いかけて殺します。苦しませたのちに殺します。だからちゃんと首輪は繋いでおいてくださいね」
そこで名案を思いついたと言わんばかりに優希はなんとなしに口を開いた。
「…そうだ。もしくは人のルールに乗っ取って上から桐条ごと叩き潰すのも良いですね。監督責任を放棄したとみなして」
追撃のように告げた。高寺に向かい、逃げれば殺すから絶対に逃げるなどと言うことは考えるなと。そして桐条には絶対に逃がすなとさらに釘を刺した。
こうなれば、武治ももとより監視はつけるつもりであったが桐条にまで余波がいくとなれば余計に高寺を逃がすわけにはいかなくなった。高寺のためにも、桐条のためにも。
「俺、今回のことで決めました。力がないとなにも守れないんだって。戦う力があっても人間として生活する上での権力もないとこうして舐められて大切なものを簡単に傷つけられるんだって。だから、短い間だとしても倉橋を継ぎます。俺は、“三上優希”をやめます」
声色は極めてにこやかだが、それ以外どこも笑っていない目のままでへらりとうすら寒い笑みを浮かべた優希の言葉から美鶴もラビリスも武治も感情を読み取れなかった。
わからない。何も見えない。ただ、あの穏やかだった気性を豹変させるほどの生半可な決意ではないものを秘めさせてしまったということだけがそこにはあった。
武治は、深く息を吐く。
「……わかった。全力でその希望に答えよう」
「ありがとうございます」
また優希が笑うが、その声に本気の感情は含まれていない。まるで、そういう喜んだ演技をしただけのような。そんな気さえ起きる。
「高寺や他の者の処遇に関し、他に言うことはあるか?」
「ないですよ。高寺さん以外のふたりや他の人は命令されただけらしいですし、別にお金とか謝罪とかいりませんし。俺からは昨日言った要望と、さっきのことを守ってもらえればそれで。あ、でもラビリスやアイギスたちを物ではなく、ひとりの人扱いしてほしいっていうのはありますね」
きたか、と武治は思った。優希の願いは予測済みだ。
そして桐条内部への体裁を保つための言い訳も既に作ってある。
「きみの要求をそのまま叶えてあげたい気持ちはこちらとしてもある。だが今回のことと五式ラビリスが行った暴走事件。それらを全てなかったことにして人間社会へと出すわけにはいかない」
ラビリスは情報としての知識はあれどもメティスやアイギスと同じく社会生活を行ったことがない世間知らずだ。そんなラビリスを軽い監視をつけた程度でひとりで現代社会に出し、機械だとバレてしまえば大問題になる。
だからこそ、武治は続けるように結論を告げる。
「罰として、“対シャドウ特別制圧兵装五式ラビリス”は
実質、罰と見せかけたラビリスを特別課外活動部へと送り自由に生活させるという宣言でもあった。無罪放免どころか手厚い対応に近いその行いは美鶴でさえも上手い落としどころだと父の考えに感心したほどだが、むしろ優希がわなわなと震え始め、立ち上がった。
「そんな…! 俺は認められません! 彼女は戦うのを嫌がっていた! 貴方まで被害者である彼女をまだ戦わせようと言うんですか…!」
「優希…! これは…」
「こうするのが一番いいんだってことはわかってる。わかってるけど…戦いたくもない子を戦わせてなんになるんだ! 辛い事の繰り返しだろ!?」
美鶴が諫めようとするも、優希は先ほどとは違う感情のこもった目で美鶴を見つめ返す。どうして理解してくれないのだという困惑がその目には浮かんでいる。
だが、美鶴はラビリスの意見を聞いていないにも関わらず優希が決めてしまっては彼女の意志を尊重できないと容赦なくその意見を却下した。
「本人の意見も聞いていないのにきみが決めていい事ではないだろう。まずは落ち着くんだ。な?」
「そう…だけど……」
複雑そうに下を向いた優希はあげようとした言葉の拳を下げた。確かにそのとおりであるのはわかりきっていた。これは、優希の我儘でもあったからだ。
そして当のラビリスは少し悩むような表情をしたのちに、笑顔で口を開く。
「ウチ、ええですよ。やります。元々廃棄されてまうんやないかって思ってたとこなんです。せやから、スクラップにもならんで良くて…ナギサさんの近くに居られるっていうこんな素晴らしい罰でいいのなら、ウチは誠心誠意償わせてもらいます」
「!」
そんなラビリスの快諾を認められなかったのは優希だ。
否、認めてはいるのだろうがまだ心配らしい。不安げな瞳をゆらゆらと揺らす。ラビリスからしたら、戦わない方がいいのは今の優希にも見えた。それだけ、不安定に見えたのだ。
「でも、きみが望むのなら、もう戦わなくてもいいんだ。だから──」
止めようとした優希にラビリスは首を横に振った。気持ちはうれしいが、ラビリスにもその“償い”は願ったり叶ったりなのだ。
「ううん。ウチ、ナギサさんやナギサさんの記憶で見た、ウチの妹たちの力になりたい。ペルソナは使えれへんし、戦うのはまだ、確かにちょっと怖いんやけど、それでも世界の危機や。対シャドウ兵器として生み出されたのにウチだけ戦わんってわけにもいかへんやろ?」
優希の記憶を垣間見たラビリスはシュブ=ニグラスのことやニャルラトホテプのこともわかっていた。特別課外活動部という高校生や小学生のまだ子供とも定義できる人間と妹たちが世界の命運をかけて戦わなければならないとなればラビリスは己の使命を全うせねばという義務感さえ生まれてきてしまったのだ。
そして、自分たちの“親”とも呼べる病気の少女が笑って過ごせる世界を守り、いつか会うために。
カラッとした笑顔でそう告げたラビリスに、優希は心配そうな顔のままだったがようやく納得できたのか武治に頭を下げた。
「……わかった。すみません、武治さんの取り決めに口出しして」
「いい。きみがそう思う理由もわからんでもない」
優希の意見もラビリスを思ってのことだったのだとわかっているからこそ、武治は口出しをしなかった。美鶴が諫めるのだと信じていたからでもあるが、今の優希を諫め、窘めることができるのはこの場では美鶴しかいないと思っていたからでもあった。ラビリスに対し優希はまだ守るべきだという感情を抱いているようにも感じ、その関係性は対等ではない。
好意云々もあるのだろうが美鶴自身が優希のことを理解し始めており、守り・守られの関係ではない美鶴からの言葉だからこそ優希は美鶴の言葉を素直に聞いたのではないかという気すらある。
「では、お父様。ラビリスはこのまま私達と共に巌戸台分寮へと帰還してもいいと?」
「ああ。機材などは後から搬入させる。あとは、七式メティスについても今と同様の扱いでいい」
「ありがとうございます」
美鶴はメティスの言い分は本当のことだったのか、と目を丸くした。
出自不明の彼女の扱いは一応部のメンバーとしてだが、いずれは武治に話して詳しく調査せねばと思っていたところだった。だが、許嫁の件などが重なり中々言い出せずにいたところ、今回の事件へと発展してしまった。
これを良かったこととるのか悪かったと取ればいいのか、美鶴にはわからない。
「以上で私からの話は終わりだ。高寺以外は席を外してもらって構わない」
その言葉でぞろぞろと部屋を出ていく者達を見送り、武治は高寺へと向き直った。
「此度のこと、何故起こした」
「彼の持つ倉橋の株を得られれば桐条のさらなる成長が見込める、と判断したためです」
「それだけではないはずだ」
武治に眼光鋭く見つめられ、高寺は冷や汗が出るのを感じた。見透かすようなその視線とまっすぐ目を合わせることができない。
「彼の…排除を。私はご当主のご理解が…得られると……」
「御託はいい。得られないとわかっていたからこそ、あのような手段に出たのだろう」
見透かされている。
いや、分かりきったことであったのだ。
「ただ、このような事を起こした私が言うのも差し出がましい限りであり、信じて貰えないかと思いますが…他のものは良くともあの少年だけは桐条に入れてはなりません…! あれはシャドウと同じ…いや、それ以上の化け物だ! あのような強力な異能を扱うものは今は良くともいずれは桐条グループの害となります!」
高寺は必死だった。あのような化け物を桐条に入れれば武治も美鶴も英恵も、あれに関わるもの全てを不幸にするという確信めいたものがあった。
実際、ここに連れてきた途端に優希が慰霊碑を建てろなどと言い出したのだ。桐条にとっては害にほかならず、武治を脅かすこととなっている。
武治がそもそもストレガ計画のことをはじめに口にしたという事実からは目を背けて。
だが、
「黙れ。それは三上くんを愚弄し、彼を選んだ美鶴や私をも侮辱する発言ととってもいいのだな?」
返ってきたのは高寺を射殺すような武治の鋭い視線と腹の底から響くような低い声だった。まるで、怒りを押し殺したような。そんな声だ。
「ぐっ……失礼、致しました…ですが代表、貴方も見たでしょう! あれは人と共に居て良いものでは無いのです!」
「それでも認められんと見える。ならば美鶴を三上くんに嫁がせる。私としても私の代で同族経営は止めるべきだと思っていたところだ。私も全ての罪を精算したのち、他のものに経営を引き継ぎこの座から降りる。きみは桐条グループに関わる人間を守りたいと思っているのだから、それでいいだろう」
「………違うのです…! そういうことではない!」
あっさりとそう言ってのけた武治に高寺は引き下がれなかった。
武治が美鶴を巻き込まんとしていることは高寺にもよく分かっていたからだ。そして、会社よりも娘の幸せを武治はとっただけだ。
だが、高寺がらすれば美鶴を当主の娘として大事に思うからこそあれは誰も触れてはいけない存在だと断定できる。人と交わり結ばれるなどと以ての外。殺せるものなら殺してしまった方が良い存在だ。
言葉を交わそうとする相手にすら災いを振りまくもののようにも思えた。じわじわと侵食し、知らないうちに関わった人間を善悪関係なく不幸にし、災害を撒き散らす。例えるなら禍津日神なのだと語る。
「いいか高寺。それは違う。彼は我々を写す鏡だ。我々が彼を人として扱えば人となり、邪なものとして扱えばその通りに牙を剥く。それだけの話だ」
なんの迷いもなく、武治はそう言う。武治とて優希の本質をきちんと理解している訳では無い。付き合いが長いわけでもなく、ほとんど書類の上でしかその情報を知らない。
だが、直感的にそう思ったのだ。短い付き合いだが誠意ある対応をこちらがすれば根は真面目なのでそれに応えてくれる。
逆に、手荒な真似やぶしつけな対応をすればそれなりに返してくる。至って普通の人間関係とも呼べるのだ。だが、今回は高寺が無理やりな実力行使をしたせいでその範疇を超えた。
誰かを傷つけるような力を使うならあちらもそれ以上の力をもって返す。武治からすれば高寺はそれをされただけでもある。
「古来からこの国は荒ぶる神々を丁重に扱い祀り逆にそれを守護としてきた。それらに比べれば彼は随分と甘いものだ。何せ生贄も何も望まない。ただ彼も人だ。我々と同じでそれぞれ大切で譲れないものがあり、守りたいものを守りたいだけなのだから。それにさえ触れなければ悪いことにはなるまい」
武治はなんてことは無いと言い放った。
禍津日神は災神ともされるが、一方で善神ともされている。その本質は心の内にある悪を許せぬ荒ぶる正義の衝動なのだ、とも。何度も武治が言うように、物事の見方によりその顔を変えるだけだ。
しかし間近で異能を体感し、殺されかけた高寺には到底信じることが出来ない。
あれは決して人などではなく、シャドウよりも恐ろしい超常の力が人の形をしているだけのものだ。いや、無差別に破壊しなかったからこそより恐ろしい。
まだ意思のない自然災害の方が適いっこない畏怖すべき自然の力なのだと割りきれる。暴走してくれていた方が良かった。暴走し見境が無く、無差別だったために仕方なかったのだと己に言い聞かせることが出来る。だがあれだけ取り乱していても殺すべき相手をちゃんと見ていた。話が出来てしまった。守るべき相手に傷ひとつつけなかったどころかその精神状況まで慮って動いていた。
わざわざ品定めしていたのだ。そして害悪と判断した相手を痛ぶろうとした。全力をもってされた事を返そうとした。それを恐ろしいものと言わずしてなんというのか。
「それに彼がああなってしまったのは元々は我々桐条の実験のせいだ。それさえ無ければ彼はただの人間で居られた。違うか?」
「……」
それはそうだった。ぐうの音も言えずに押し黙る。
幾月が優希を誘拐し、シャドウを受け入れる器作りの実験に使わなければ。
拷問した末に千鶴を殺さなければ。
桐条のストレガ計画などというもので孤児を苦しめ、殺さなければ。
対シャドウ兵器の開発の際に彼女らを慮り、メンタルケアをするなどただの道具ではなくもう少し人としての扱いをしていれば。
事故で両親が死に、弟妹が過酷な運命に立たされなければ。
幾月が優希を港区へと無理やり連れてこなければ。
優希はただの1人の少年としてなんの異能にも目覚めず桐条への憎悪を募らせることなく、シャドウやタルタロスなどといった超常とは無関係で平穏に人として生きていけるはずだった。
今回のことも高寺が優希に無茶な要求を脅して呑ませようとしなければ良かったのだ。
優希は武治が要求を受け入れてくれたことにそれなりに満足していた。それだけで恨み辛みを割り切ろうとしていたのだ。全てが丸く収まるはずだったというのにぶち壊したのは高寺であり、それら全ての要因が武治の言う通り桐条が根底にあった。
そこまで考えて、高寺は武治の言った言葉の意味がようやくわかった。
(ああ、なんだ…そうか……)
先のことは単に高寺が優希を実験体扱いし、人として扱わなかったせいでやらかした事のしっぺが返ってきただけだったのだ。
そして武治は観測するにしても人という範囲のうちに留めておけ、とも言ったのだ。そうすれば優希はその範疇でしか牙を剥くことはない、と。ただしそうなった場合これからは倉橋の力を使い人として使える手を全て使い、全力で叩き潰そうとしてくるだろうという気はしていた。あの目は本気だった。どちらにせよやぶ蛇だ。
急に高寺を殺すことを諦めたのも、美鶴が優希を人としてのルールに当てはめて諌めたからだ。人として観測したから優希は無意識でそれに応え、その形に嵌っただけ。それまでは高寺を含む反逆者を本気で痛ぶった上で殺そうとしていた。
武治の言う通りであったのだ。
「彼はあのように驚異的な力を発揮したが結局は誰も殺さなかった。あの三上くんの口から直接殺してやりたいなどとまで言わせたきみですらな。それが答えだ」
静かに告げると武治はそれ以上話すことは無いと席を立った。
やろうと思えば制御されていたラビリスを蹴飛ばした時のようなその馬鹿力ですぐに首の骨をへし折ることも出来たろうになにかに耐えるようにそれを抑えていた。直接人へ向けて力を使ったのも喉を焼こうとした時くらいでそれも未遂に終わっていた。
優希が最後に告げたように一瞬で灰にすることも出来たはずなのに、それをしなかったという事実だけが転がっている。
例えその理由が高寺をじわじわとなぶる為だったとしても高寺やこのことに加担した隊員たちが大やけどを負っても仕方のない状況だったというのにほぼ無傷の五体満足で助かった事に変わりはない。
(彼はまさか、お嬢様が止めに来ることに賭けていた、とでも言うのだろうか…)
わからない。だが、あの長々と恨み辛みを吐いていた行動の理由がただの時間稼ぎだったとしたら。尚更訳が分からなくなってくる。そもそもその前にラビリスに止められていた時はその行動を止めなかった。なのに何故、美鶴なら良かったのか。否、美鶴の要求も1度は拒否していた。
高寺には、優希の行動の理由がわからない。酷く不安定なその思考が何一つ理解できない。
残された高寺は悶々とする蟠りの様な何かを抱えてその場に座り込むほかなかった。
「ところで優希。訊きたいことがあるのだが」
部屋に戻ってすぐ。美鶴は先ほどから訊きたかったことをついに聞くことにした。
「なに?」
「“キス”」
「!!」
その言葉だけで何かと察し、脱兎の如く逃げようとした優希を美鶴は逃さなかった。
「逃げるとは言語道断!!! 何かやましい気持ちがあったんだろう!? “処刑”する!!! “アルテミシア”!!!」
アルテミシアを気合いで召喚し、扉を凍らせて出入り口を塞ぎ、処刑の準備に入った美鶴に優希は誤解だとも言えずに顔を引きつらせる。そして口を開けて大きく叫んだ。
「死ぬ!!! 今の俺氷結と火炎弱点だからそれ喰らったら死ぬって!」
「うるさい! 私だってまだきみからキスしてもらったことがないのだぞ!! もう知らん!!!」
「うわああああああ!!! 待って、待って、あれはラビリスにつけられていた制御回路を壊すためだけにしたのであって他意はないし恋愛感情もないって!!!」
あまりの美鶴の剣幕にブンブンと首を横に振りながら否定した優希だったが、そこでラビリスの追撃が来る。
「え…じゃあウチのこと、お遊びやったん?」
勿論冗談だ。ラビリスとしても優希をちょっと揶揄ってみたくなっただけである。
ただラビリスはその処刑の恐ろしさを実際に味わっていないが為に知らない。
「遊びとか…そういうわけじゃないけど…」
「せやったらウチのこと、嫌いなん……?」
瞳をわざと揺らし、不安げな表情をしてみれば面白いくらいに優希はうろたえ始めた。
「ち、違う! 嫌いなんじゃなくて…その、えっと…好きだけど、恋とかそういう方じゃないっていうか……ごにょごにょ…」
狼狽える優希の様子を見、ここでこれまで沈黙していた美鶴がわなわなと震え、口を開いた。鬼の形相のままで。
「乙女心を弄ぶなど…! 尚更許すことはできん!!! 問答無用!!! 天誅!!!」
「うぎゃああああああ!!!! なんでさあああああ!!!!」
桐条本邸に悲惨な優希の悲鳴が響いたとか響かなかったとか。