夢を見ているような……。
そのような心地をヘルは感じ、浮遊感とともに目を覚ました。
一面、真っ白な空間だった。
地面の感覚も覚束ない場所に、ヘルは立っていた。
(そうだ。確か、船が落ちて……)
ヘルは、アルマダの放った極光に包まれたところまでは覚えていた。
(そうだ。乗っていた船は、あの強大な攻撃に捕らわれて居たのだから、間違いなく落ちた。……んだと思う……)
ヘルは、自信の手を見た。
(じゃあ、ここにいる私は……?)
常識的に考えれば、間違いなく致命傷を負うか、そのまま死んだはずだった。
エミル世界には、死んだ人間が這い回っている滅んだ国があるとヘルは本で読んだことがあった。
(一度死んで……、不死者にでもなったのかしら……)
ヘルは自身の腕を見て、その後、身体を見渡した。ヘルは、足が生えていることに安堵した。
「はぁ。……それにしても、ここはどこなの?」
自我を保つためか、ヘルは独り言ちた。
自分が生きていることを確かめるためだったかもしれないし、突然独りになって寂しくなって、そうしたのかもしれない。ヘルは不安に駆られた。
動乱が始まった最初から、ヘルには
試しにと、ヘルは足を動かしてしばらく進んでみることにした。
しかし、方向感覚が定まらず、実際に自身が立って進めているのかすら分からなかった。
上下の感覚すらあやふやだ。
(……よし!)
しかし、ただ真っ直ぐと歩くことを決めた。
……。
…………。
………………。
しばらくたって、自身が呆けているのを察して、ヘルは自我を取り戻した。
足がだいぶ痛くなっている。
この何もない空間を、もうずいぶんと歩いたようだ……。
ふと、下げた顔をあげると無数のヒトガタを模した、黒い影に囲まれていた。
「……っ」
ヘルは、驚愕から喉が引き吊るのを感じた。
影は、距離がわからないほどの空間に無数にひしめき合っていた。
動揺していると、どこか温かみのあるが泡沫のような声が聞こえた気がした。
「良かった……無事なようですね」
ヘルの目の前にいる一際存在感の大きな影が、ヘルに話しかけたようだった。
存在感が大きいと言っても、認識が難しく、大勢いる影の中に薄い輪郭があるように思える。
存在感を感じるのは、その視線だろうか。
「あなたはいったい……?」
ヘルが誰ともなく声の方向へ問いかけると、大勢の影たちがざわめき始めた。
「オレは……」
「我は……」
「ボクは……」
「ぼくは……」
「アタシは……」
「アたしは……」
「わたしは……」
「俺は……」
「僕は……」
「あたしは……」
ひしめき合っていた影たちが、目の前の一際強い影に収束していく。
まるで、ヘルが認識したことによって、その存在感を増したようだった。
すっかりと集まりきった影は、黒い外套に、同じく黒いトンガリ帽子をかぶった
目はオレンジ色に、爛々と輝いていた。
「私達は……。アンドゥ。元に戻ることを望むものたちです」
ヘルに対して薄っすらと笑いかけ、アンドゥは答えた。
「アンドゥ? 元に戻る……?」
「ええ。やり直したい、元に戻したい。私達は、そういった願望の寄り集まりのような存在です。あなたの、強い
「次元断層?」
「あなたは世界の綻び、次元断層へ落ちたのです。ここは、あなたがいた〈ドミニオン世界〉と〈エミル世界〉の狭間のようなもの」
「狭間の世界……」
(そんなの、聞いたこともない……。老兵は教えてくれなかった)
ヘルは、なにか自分の及びのつかない事象に巻き込まれていると感じた。
「そうだ! 皆はどうなったの!?」
「私達には、なんとも。……あの船自体、ただではすまなかったでしょう」
「そんな……」
ヘルは影たちが船を、引いては自分たちを観察していたことに思い当たった。
アンドゥたちは、ヘルの記憶の一部を読み取って、
――どうして、助けてくれなかったのか。
――どうして、いつも奪われてばかりなのか。
ヘルが生まれてから〈ドミニオン世界〉では、DEMとの抗争が絶えず行われ、未だ弱いヘルは常に奪われてばかりだった。
両親を。
居場所を。
やっとありつけた暖かい場所を。
常に追いやられ続けた。
ヘルは、ゾッとするような行き場のない黒い感情の発露を感じた。
「お気の毒に……。ただ、その思念が……、おや?」
また、手元で
――そういえば、本の英雄は困難にどうやって立ち向かっていたか。
「貌を上げて前を見よ。」
「あなたには居るじゃない?」
「あなたを助けてくれた人が」
「あなたを想ってくれる大切な人が」
絶対になんとかなる。
なんとかできる。
みんなと力を合わせて。
でも、こんなに仲間が……。
「あなたは独りじゃない!」
「仲間……?」
「えっ?」
ヘルは、自分の命をかろうじて繋いだ縁を思い出した。
偶然、老兵に助けられた。
船に乗るまでのキャンプで、名前も知らない女性に良くしてもらった。
思い返せば老兵に助けられる前、名前も殆ど知らない兵士に助けられたりだってした。
みんな私に希望を見出して。
「私。
「……。あなたは、私が……。いえ、私達が
そう言ってアンドゥはニッコリと笑った。
「この次元断層から出るのを手伝いましょう」
「本当に!?」
「ええ、本当ですとも。ただし、私達も連れて行ってください。ここでは、身動きがとれないのです」
「……いいよ。助けてあげる……。でも、どうすればいいの?」
「それでは……。私が、このとんがり帽子に宿りましょう。憑依という技術をご存じですか?」
アンドゥは、ヘルにそう伝えた。
――憑依。
古から伝わるタイタニアの魂操術であった。
特定の物品を媒介に、隣接した小世界に体を格納し物品に宿る技術である。
当然、物品に宿るため自発的な行動はできず、ただ観測できるのみとなるが……。
魂操術を極めれば、物に魂の位相を重ね、宿った物品を任意に強化でき、更には現実に干渉もできる。
ヘルは逃げる道すがら、老兵に教わったことを思いだした。
「知っているわ。あたしは、できないけれど……」
「私達はここから自発的に動くことができませんので、あなたは運ぶだけで良いのです。なにもないところですが、道案内は任せてください」
そう言って曲がったとんがり帽子に宿ったアンドゥは、ヘルの頭に収まった。
……。
…………。
………………。
アンドゥの案内によって、ヘルは歩き続けた。
アンドゥはどこともしれない方角を指したし、背後に突然移動もさせられた。
永遠と思えるほど長らく歩いていると、光が白い楔のように漂っている場所へたどり着いた。
「これが出口なのね」
なんとなくであるが、ヘルにもそう察せられた。
なにもない空間を彷徨っていたため、何かが在ることを鋭敏に察することができるように成ったようだった。
「そのようですね。空間が捩れています。小規模なものなので、すぐに消えてしまいそうですね」
「……いこう」
ヘルはアンドゥに、道すがら次元断層について聞いていた。
空間の歪み、世界の歪み。
どこかには通じているのだが、どこに通じているかわからない。
〈ドミニオン世界〉のどこかかもしれないし、別の世界かもしれない。
アンドゥの推察によると、ヘルもこの空間へは次元断層に飲まれてたどり着いたようだった。
一瞬の躊躇はあったが、考えても仕方がないとヘルは進んだ。
「まて」
ヘルは意を決して脚を踏み出したが、大人びた女性の声が背後から静止をかけた。
振り返ると、白く長い髪に凛々しい顔つきをした女性が浮かんでいた。
ドミニオン族だろうか。黒い翼を輝く緋色の被膜が覆っていた。
ドミニオン族の正式軍装のような黒服を着ているが、どこか古風な気配を感じた。
そういえば、船から次元断層に落ちるときに聞いた声に、どことなく似ている。
「あなたは誰?」
ヘルが尋ねると、女性はヘルではなく帽子を見て言った。
「我は何者か? ふん。……我が世界内に封じ込めていた世界の澱。封印の場で、何らかの力の胎動を感じたのでな。少し様子を見に来ただけだ」
女性は鼻を鳴らして言った。ヘルの問いかけには、答えなかった。
ヘルの頭に乗っていたアンドゥは憑依を解き、フワリと降り立つと女性に一礼をした。
「これはこれは、世界を守る守護者ドミニオンドラゴン様。私共になにか御用ですかな」
「定期的に間引いていたものなのだがな。いつの間にやら、自我を持ったと見える。……運が良かったな」
女性はアンドゥに対して尊大な物言いで、超然としていた。
――ドミニオンドラゴン
ドミニオン世界の守護者。並行した三世界には、それぞれに世界の名を冠するものが存在するとされる。
守護者の女性は、本当に様子見だけだったようで、特に何かを話しかけるまでもなく去っていった。
ヘルにはよくわからなかったが、アンドゥが言うにはそれが存在意義だと言うことだった。
そうして、ヘルは次元断層の光まで足を進めた。
「ヘル。一つだけ、言って置かなければならないことがあります」
「……なに?」
「いずれ貴女は、ああ言った存在と敵対することになるでしょう」
「えっ……? どう言うこと?」
アンドゥは、ヘルへそう語った。
「私たちは、ここへ封じられていたのです」
「……どうして?」
「守護者達は、世界を守ることをその存在意義としています。我々は、存在しているだけでそれを乱してしまうのです」
アンドゥは申し訳なさそうに、ヘルへ伝えた。ヘルには、アンドゥたちの言う危険さが欠片も分からなかったが、一つだけ言えることがあった。
「……あなた達は、私を助けてくれた。こんな場所に迷い混んだ私を、救ってくれた。その恩には、報いなければならない」
逃げる間、ヘルは老兵から、様々なことを教わっていた。教えを授けるとき、老兵は決まってこう言っていた。
『ヘルよ。助けられたら、必ず報いなければならない。それはいずれ、お前の身を助けることにもなるし、三世界を繋いできた冒険者は皆そうやって来た。〈英雄〉だってそうだったんだ……』
「やはり、……貴女は、私達が求めていたものに良く似ています……」
アンドゥの声が聞こえた時、進めていた足がなにかを踏み抜いた。
ガラスの砕けるような音が聞こえ、ヘルは宙に身を翻すことになった。
面白い小説の説明回は、文章の巧拙と設定どちらがウェイトが重いのですかねぇ。素朴な疑問です。