花は散れども舞う風は 作:PP
プロローグ「
長いトンネルを抜けると、地獄であった。
別に死んだ訳ではない。
川端○成に恨みがある訳でもない。
ただ、少なくとも生きた心地はしなかった。
「クソッタレ」
一家3人の乗った車を運転する父は、高架上から見える景色を見て呟いた。
街は突然空から降ってきた異形の怪物に蹂躙され、所々から火の手が上がっている。
その後もいくつかトンネルを
『な……いめいたい……しゅうげき……まもなくにじかんがたち……』
ノイズ混じりに微かに聞こえるラジオによれば、化け物の来襲から既に2時間程経っているらしい。
カーナビには山陰自動車道の西端である “出雲IC” の文字が表示されていた。
「車を乗り捨てる事になるかも分からん。一応、持てそうな物の準備をしておいてくれ」
「分かった」
車には自分と父の他に、大きく膨らんだ腹にしきりに手をやる母が乗っている。
心配そうな雰囲気を感じるものの表情は柔らかく、大丈夫だよ、とお腹の中にいる新しい生命に話しかけている。
車が無ければ化け物から母が逃げ切る事は難しいだろう。
生き残れるか、喰われて終わるか。
ここから先は運の勝負になる、と思った。
「四国へ行こうと思ったけど、これじゃあ……ねッ!」
不意に車が大きく左右に揺すられ、ゴン、と窓に頭をぶつけてしまった。
痛みに顔をしかめながら後方を振り返ると、真っ白な身体に巨大な口を付けたような生命体が視界に入った。
いや、ロボットの可能性もあるから生命体ではないのかもしれないが。
とにかく
「ヤバイな……どこもかしこも大騒ぎじゃんね」
運転する父の目線の先にも
だが出雲市から逃げ出そうとする人が多いため、出雲ICを出てから県道337号線を出雲市内に向かって走る父のような考えをする車は皆無であり、化け物を回避する余裕は多少あった。
そもそもこの車は斐川ICを東向きに入り、山陰自動車道・松江自動車道・尾道自動車道を経て、SNSで安全だと騒がれている四国を目指すはずだった。
しかし斐川ICを入った所で、本線合流前の加速車線までも渋滞に巻き込まれている惨状を目の当たりにした父は、ここで止まっていて喰われたら本末転倒だ、と言ってひとまず西に車を走らせた。
四国へ行きたい人々にとって山陰自動車道の西進というのは逆方向であり、前後を走る車は1台も見なかった。
そうは言っても行く先に化け物がいない訳ではないし、さらに一般道には道中に乗り捨てられた車や崩れた家屋といった障害物もある。
現に、この先出雲大社方面へと伸びている国道431号線はオフィスビルの倒壊により通行できない状況であった。
運転者はそこかしこにせわしなく目をやりながら右折のウインカーを点滅させ、”大島” 交差点を曲がり国道9号を東進する。
だが、そこには
「ああっと、これは良くない……ッ!」
今しがた右折してきた事もあり、次の交差点の信号は赤になっている。
しかし生きるか死ぬかの究極の2択を突きつけられた状況で、破壊された街で意味を失った信号なぞに構っている暇はない。
車は時速30kmという曲がるには速すぎるスピードで右折・左折を繰り返し、住宅と畑の間を走っていく。
父はかなり焦っているらしい。
『運転中に焦るのは良くないんだ。どんな時も平常心さ』
平時はそんな事を言う父だが、今回ばかりはそうもいかない。
付近を走る車がいない事を幸いに、高速道路かと錯覚するようなスピードで一般道を駆け抜けていく。
所々にクレーターのような大穴ができている畑と、半壊ないしは全壊した家屋。
見るもの見るものが、テレビドラマや映画に出てくるゴーストタウンそのものに思われた。
「162号……ここを右に行けば多分山の方に逃げられるはず……」
最初に突き当たった信号を右に曲がりながら父が言う。
だが、事はそう上手くいくものではない。
「クソッ……また渋滞か」
「……!後ろッ!」
母の金切り声で後ろに向いた全ての目が、後方の家を絶賛破壊中の化け物を捉えた。
前門の虎、後門の狼である。
「降りるぞ!車は捨てる!向こうへ走れ!」
左寄せした車のエンジンを切りつつ前方を指差す父に従い、車を出る。
「母さんは俺が連れていく。お前は先に行け。西出雲駅で落ち合おう。まっすぐ行って左だ」
「でも……!」
「いいから行けっ!!!!」
父は、彼自身が天変地異の原因ではないかと錯覚する程のものすごい剣幕で怒鳴りつけた。
が、すぐに柔らかい表情に変わると、こちらの肩に手を添えてこう続けた。
「いいか、どんなに辛い時も、京極の誇りを忘れるな。俺らのご先祖様は、政経様が出雲への出向を命じられて以来、世間の目を偲んで生きてきた。だがそんな中でも脈々と血筋が保たれてきたのは、皆々京極の誇りを捨てずに持ち続けたからだ。そうして出雲の京極は生き継いできた。今じゃ影は吹き飛び形くらいしか残っちゃいないが、お前はれっきとした武家の子孫なんだ。その事をしかと胸に刻んでおけ」
父の突然の変わり様が、自分の心を揺さぶってくる。
父は話し好きの人で、自分の知らない世界や京極の昔話なんかをよくしてくれた。
だがこんな話は滅多にされた事がない。
まるで心のあり様を、生き様を語るような、抽象的で掴み所のない話。
そしてこれまでではなく、これからの話。
ひょっとすると、父はここで——。
「分かったか」
「……うっ……うううぅぅ……」
「何、またすぐに会える」
「あなたが負けず嫌いなのは知ってる。昔からそうだった。でもね、人間、時には逃げなきゃいけない時も、頑張らなきゃいけない時もあるの」
母だってそうだ。
すぐに会えるとか言っているのに、これじゃあまるで最期の別離じゃないか。
無理だ。
そんなの、受け容れられる訳がない。
それならいっそ……。
「自分も死んでしまおう、なんて思うな。いいか。お前は生きなきゃいかんのだ。お前が生きる限り、俺たちも生き続ける。そうしてまた会おうじゃないか」
自分が生き続ける限り、父も母も、そしてまだ見ぬ下の子も生き続ける。
よく分からなかったが、なぜかストンと腑に落ちた。
「分かった……行くよ…….」
「よし、行け!すぐに追いつく」
「またね、■■」
「……」
一瞬だけ父母の手を握り、言われた方向に向かって一目散に駆け出した。
そしてそれ以降、2度と後ろを振り返る事はなかった。
いや、できなかった。
空飛ぶ白い戦車に恐れをなしたというのも間違いではない。
だがそれ以上に、両親が喰われるのを見たくなかった。
想像したくなかった。
とにかく迫り来る化け物の視界から消えなければと思い、直近の角を左に曲がったのは覚えている。
後は無我夢中に走り、気づけば山陰本線の西出雲駅にまでやってきていた。
小さなローカル駅の停電した駅舎内には誰もいない。
特急の発着駅である隣の出雲市駅にまで行けば頼れる人がいるかもしれないが、この状況下で1駅間もの距離を歩くのは危険すぎる。
跨線橋の上にある改札の前で座り込み、ひとまず化け物の一団をやり過ごす事にした。
窓から顔の半分を出して周囲の様子を確認すると、彼らは人の多い所を優先的に襲っているようだった。
さっき降りた車の方は死角になって見えないが、北東の出雲市駅方面には多く集まっているのが確認できた。
向こうにはむしろ行かない方が正解かもしれない。
「ここから生き延びるには、どういった点がポイントになってくるでしょうか……」
昨日友達と真似していたスポーツ中継の実況を思い出しながら、自分に問いかけてみる。
だが有効な手立てが思いつく訳でもなく、気休め程度にしかならない。
思考が行き詰まり、閉塞感が襲ってくる。
日はすっかり落ち、かろうじて得られる明かりは外で煌々と燃える住宅街からもたらされている。
それはまさしく地獄の業火であった。
* * * * * *
目を覚ますと、まだ夜だった。
気づかぬ間に寝てしまったのだろう。
ポケットから取り出した端末には、ちょうど午前7時という時刻が表示されていた。
(ん……?)
平時なら夜が明けていてもおかしくない。
ましてや今は7月の終わりだ。
夏真っ盛りの朝7時に朝日が無いなどという事は、普通ありえない。
(時計がおかしいか、世界がおかしいか……)
頭の回転数が徐々に上がってくるが、それにつれてますます訳が分からなくなる。
自分は実はどこかのタイミングで死んでいて、フィクションのごとく異世界にでも来てしまったのではないだろうか。
そんな想像さえできてしまう。
だが外の炎は、今生きている世界が昨日と同じだと告げている。
火は多少落ち着いたものの、依然としてその勢いを保っているものも少なくない。
(喉、乾いたな……)
最後に水分を口に含んだのはいつか思い出せない。
日が出ていない事が幸いし気温はそこまで上昇していないが、水が無ければ死んでしまうのはほとんどの生命に共通する事案だ。
駅前のロータリーに行けば、コンビニの1つでもあるだろうか。
そう思ってよろよろと立ち上がり、北口の階段を降りていたその時だった。
「あぁっ」
突如駅舎にドーンと大きな震動が響き渡り、その衝撃で体を宙に投げ出されてしまった。
舗装された歩道が目の前に迫る。
(死んだな……)
接地したのは右半身だった。
右の腕と胸が強く痛む。
痛いという事は死んでいないという事だ。
だが、それは今だけの話かもしれなかった。
(イタタ……あっ)
駅舎を震わせた元凶が視界に入る。
それは記憶に新しい、巨大な口を持った白い塊。
人はどうにもならない窮地に陥った時、呆然として一切の抵抗ができなくなってしまう事があると言われるが、今がまさしくその時だった。
逃げようにも体が動かない。
覚悟を決め、固く固く目を瞑った。
グチャ、グチャリ。
一瞬、それは自分の体が噛み砕かれた音なのだと思った。
だが自分は地面に倒れたまま、手も足も頭もある。
五体満足を保っている。
引き裂かれ消滅していったのは、今しがた自分の命を奪いにきた死神の方だった。
「大丈夫か」
白粘土を叩き切ったのは背丈から同じくらいの歳と思われる、居合刀を携えた1人の少女だった。
しかし落ち着き払った声色と威厳をたたえたオーラは、とても同年代のものに感じられない。
「はい……あ……あ……」
“ありがとうございます” と言いたいのだが、乾ききった声帯では無理があった。
「若葉ちゃん!」
「ひなた、この人を皆さんが待機している安全な所へ。私は少しの間、付近を警戒しておく」
「分かりました、お願いしますね。もしもし、立てますか?」
ひなたと呼ばれた女性が寄ってきて、上になっている自分の左手を持ち上げてくれる。
彼女の助けを借りて、痛む右腕で起き上がる体を何とか支え、立ち上がる事ができた。
「それでは、こちらへおいで下さい」
彼女の後について行くと、路地を曲がった所に数十人もの人々が固まっていた。
「上里さん、その人は?」
「先程駅で襲われていたところを、若葉ちゃんが救助したんですよ」
「そうだったんか」
「おいアンタ、喋れるか?」
「あ……う……」
やはり、声が枯れたようになってしまっている。
「あー水がいるな。ほれ、飲みよし」
無精髭を生やした中年のおじさんが、半ば強引に500mlのペットボトルを渡してくれた。
さすがに気が引けるので、結構です、と身振り手振りで断ったのだが、いいんだ、こういう時はお互い様さ、と言って譲らない。
一体どんな生活をしたらこんな聖人が出来上がるんだろうか。
好意に預かり、水を喉へと注ぎ込む。
4分の1くらい飲んだところでペットボトルを返した。
「あ〜〜、あ〜……ありがとう、ございます」
「おー声出たか。良かったの」
本当に気の良いおじさんだ。
こんな大人になりたいものである。
「あの、ひなた……さんで合ってますか?」
倒れていた時に聞こえた名前を呼んでみる。
「はい、何でしょう?」
「さっきは手伝ってくれてありがとうございました」
「いえいえ、ご無事そうで何よりです」
そう言って笑う彼女もまた、先の居合少女に似た大人びた雰囲気を纏っていた。
対照的に悲壮感が漂っているであろう自分の顔を想像し、一抹の恥ずかしさを覚える。
「さっき助けてくれた人は……?」
「あぁ、若葉ちゃんですね。彼女は昨日から私たちの事を襲う化け物を、先刻のように倒してしまう事ができるんですよ」
という事は、彼女が今のところ生き残っている人々の中で最強という事なのだろうか。
「そして私、上里ひなたは、安全な道が何となく分かるので、皆さんをご案内しているところです」
(何となく……?学校で習ったヤバい団体の勧誘手口にしか聞こえないんですけど)
先週 ”総合的な学習の時間” の授業で学んだ怪しげな勧誘の仕方に似たところがあったため、少し警戒してしまった。
だが、こんな状況で下手に動いては最強の居合で三枚下ろしにされる危険がある。
生きるために死んでしまっては何をやっているのか分からない。
聞いたフリをしてやり過ごすのも手だが助けてもらった手前、一応信用して聞いてみる事にした。
「何となく……それって大丈夫なんですか?」
「えぇ、大丈夫です。出雲大社からここまで、歩いて来られた実績がありますから」
「それに、万が一奴らが出てきても私が斬り捨てるからな」
「っ……!」
「安心してくれ、人を斬りはしない。私が憎んでいるのはあの異形だけだ」
さらなる警戒対象が目の前に現れた。
助けてくれた点を踏まえれば、現時点で敵ではない。
とはいえ彼女を敵に回したその時、100%生きては帰れないだろう。
逆らう理由は特に無いのだが、何かの拍子に逆鱗に触れてしまう可能性がある以上、警戒して損は無い。
今はとにかく、敵意を見せない事が重要だ。
「どうした。具合でも悪いのか?」
「あ、いえ……助けて頂いたのはありがたいんですが、この先どうしたものかなと」
「とりあえず、私たちに付いてきて頂くのが最も安全だと思います」
「あぁ。私がいる以上、あなたを死なせはしない」
とりあえず適当に流しただけの返答に、これほどにも頼りになる言葉を返してくれる。
どうも、自分は彼女らの事を勘違いしていたのではないだろうか。
(……いやいや。一旦落ち着こう)
勧誘の手口というものは、相手を安心させて信用を取り付ける事に始まる。
いかに向こうにメリットが無いように見えても、裏ではとんでもない事がなされている事もあるらしい。
まだ信じきるには早い。様子を見るべきだろう。
「ありがとうございます……では、お言葉に甘えて」
昔から家に知らない大人がいる事はよくあったので、大人と話す事には慣れているつもりだ。
おかげで、小学生として最低限の礼節と敬語は身についていると思う。
とりあえず敬いの姿勢を見せておけば、死ぬ事は無いだろう。
「若葉ちゃん、周囲の様子はどうでしたか?」
「近くにはいなかった。ただ、駅の跨線橋がさっきの戦闘で破壊されてしまってな」
(近くにはいない……じゃあ、昨日のは……)
昨日襲ってきた一群はどこかへ散っていったのかもしれない。
「では、あちらの踏切を使って渡りましょう。行きますよ、皆さん」
自分は2人に守られる避難民に合流し、徒歩で四国を目指す事になった。
そしてそれが、勇者・乃木若葉、巫女・上里ひなたとの最初の出会いだった。
皆々、互いに励まし合いながら歩きに歩いた。
途中で歩けなくなってしまった者もいたが、肩を担ぎ声をかけ、全員が一丸となって進み続けた。
何日歩いたろうか。あるいは、何ヶ月かかけて歩いたろうか。
瀬戸大橋北端の吊り橋である下津井瀬戸大橋が行く手に姿を表し、誰からともなく歓声が上がった。
「遠路はるばる、よくぞここまでいらっしゃいました」
四国へと辿り着いてから2日が経った。
四国入りを許された避難民たちは、与島PAをはじめとしたいくつかの場所での検問を経て、“大社” という見た事も聞いた事もない組織によって決められた、各々の新たな住処を目指して方々に散っていった。
その中で自分が指定された場所は、香川県丸亀市郊外に位置する大邸宅。
中に招き入れられる際に見えた表札には “京極” とあった。
四国には京極の遠戚がいて、自分も生まれてすぐの頃に会った事があるのだと昔父から聞いた。
その人たちがここにいるのだろうか。
「私は京極
広間の中央に座った60代くらいの老人が、語りかけるように名乗った。
醸し出される物腰柔らかな雰囲気に、肩の力が抜けてくるのが分かる。
「大方の事情は知っています。京極の代表として、あなたを心より歓迎します」
深呼吸の後、ゆっくりと口を開く。
「京極氏13代当主・政経が末裔にして、京極
京極宗家の子孫にかかる部分はフィクションです。念のため。