ウマ娘短編集   作:カランコエ(Kalanchoe)

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《ラブコメ》
朝からキングと過ごす休日の一幕

仮題:恋は『積極策』
別題:キングと過ごす休日

書きたいこと全部盛り込んだら長くなってしまった


今宵、夜想曲にあてられて

コンコンコンコンとノックを四回。インターホンも押しておく。

 

少し待ってみるけれど、案の定返事はない。

 

軽く嘆息して最近貰った合鍵で扉を開ける。

大方こうなることを想定して合鍵も渡したのね。

 

玄関をくぐると、ブランド物の革靴と安物のスニーカーがいくつも乱雑に脱ぎ捨てられてグチャグチャに広がっており、上がってすぐの所には空のビニール袋が忘れさられていた。

 

「料理も仕事も音楽だって出来て、掃除も不得意じゃないはずなのに、なんでこういうところは適当にしちゃうのかしらね…?」

 

靴を脱いで上がり、見えている全ての靴を揃え、コンビニの袋を拾い上げて、右手に見える寝室の扉を無視してリビングへと入る。

目の前に広がる広々としたリビングは整然としていて、余計に玄関の散らかりようが際立つ。

 

そのままキッチンに入り、何度か開けたことのある冷蔵庫を開く。彼なりの基準で整頓されている食材の中から、料理初心者の私でも作れる料理を頭の中で思い浮かべ、必要なものをピックアップする。

 

今日の朝ごはんはトーストにベーコン、この間彼に教えてもらったチーズオムレツにしよう。

 

「ベーコンに卵、チーズ、バター……パンは向こうの棚だったわね」

 

機嫌良く好きな曲を口ずさみながら、まだ慣れないけれど、だんだん楽しくなってきた料理に取りかかった。

 

 

 


 

 

 

「あー……わざわざ朝から来て飯なんて作らなくてもいいって……」

「私がしたいからしてるって言ってるでしょ」

 

口論とも呼べない応酬をしながら食卓に座る。

私の向かいの席には、ボサボサの寝癖だらけの髪に、全身灰色一色の、控えめに言ってダサいスウェットを着た私の担当トレーナーがワシワシと頭を掻きながらドカリと座りこむ。

 

眠たそうにシバシバとしていた目は、私の作った朝食を見ると、鋭く睨みつけるような光を放ち、ハッとした顔を経て、申し訳なさそうな顔に落ち着く。

 

「すまん。料理の練習じゃなかったな」

「別に構わないわ」

 

料理を教えてもらう時、彼はさっきみたいな鋭い目つきになる。その鋭さと言ったら、ウマ娘の走りを見る時よりもはるかに厳しい。

 

料理に関する知識も並大抵ではないし、フランス料理が専門らしいけれど、それをどこでいつ学んだのか尋ねたことはない。

ポツポツと料理についての蘊蓄(うんちく)を語る彼の顔は、いつも楽しそうに、けど少し辛そうに歪んでいて、踏み込んではいけない一線が見えていたから。

 

「それで?」

「それで…って?」

「今日の朝食は何点かしら?」

 

面食らった顔をしたトレーナーは、ぎこちなく笑顔を浮かべる。

 

「まだ食べてない料理に点数なんて付けられねえだろ」

「そうね。じゃあ、早くいただきましょう?」

「そうだな」

 

二人同時に手を合わせて、「いただきます」と声が揃い、思わず笑みが(こぼ)れる。対面に居る彼も恥ずかしげに笑っている。

 

お互いの顔を見たまま固まること、おそらく数秒、ようやく再起動した私がトレーナーに一言。

 

「さあ、冷めない内に食べましょう。この後も予定が詰まってるのよ」

 

 

 

 

 

口数少なく黙々と朝食を摂った後、トレーナーがエスプレッソを片手にようやく本題に入る。

 

「で、今日の予定は?」

「このままデートよ」

「……俺はプラン練ってないぞ?」

「問題ないわ。今日はこのままこの家で『おうちデート』よ」

「はぁ?」

 

ポカンと口を開けたままのトレーナーの顔があまりにも面白くて、失礼だとは思いながらも、つい「ふふっ♪」と声を出してしまった。

 

私の声を聞いて、ようやくトレーナーが口を閉じる。

 

「おいおい、笑うなって。『おうちデート』なんて言うの初めてじゃねーか」

「そりゃそうよ。だって、この間初めて知ったんだから」

 

つい最近のスカイさんとグラスさんの会話で『おうちデート』という単語は初めて知った。

 

「今日は一日中、家でキングと過ごす権利をあげるわ」

「久しぶりに聞いたな、それ。まあ、断る理由もないけど」

 

ここまでは予想通り。

仕掛け所は夕方。お昼の間はスカイさんに聞いたみたいに映画を見たり、いつも通りに料理の練習でいい。

 

「じゃあ、後片付けが終わったら映画でも見ましょう?いくつか気になるのを持って来たわ」

 

 

 


 

 

 

画面の中の男女二人がヘビのように絡み合いながらベッドへと倒れこむ。

 

……とても気まずい。

私以上にトレーナーの方が気まずい思いをしてるのだろうけど。

 

やっぱりスカイさんとグラスさんにおすすめの映画を聞いたのが悪かった。

こんなに肌色が多い映画を勧めてくる理由は想像に(かた)くないけど、こんな雰囲気でどう振る舞えばいいのか皆目見当がつかない。

 

「あー……喉乾いてきたなー。キング、ジュース持ってきてくれないか」

 

流石私のトレーナー。

気配りも一流ね。

演技は棒読みで全然だけど。

 

「そうね。何か持ってくるわ」

 

彼に感謝しつつ、言葉数も少なくその場を後にした。

 

 

 

 

 

わざと時間をかけて飲み物とグラスを選び、部屋に戻ってきた時には濡れ場は終わっており、画面は暗転した状態で止まっていた。

 

「ウイスキーで良かったかしら?」

「ああ、そのスコッチは口当たりが良くて、後味も残らなくて旨いんだ」

「残念だけど、私にお酒の話をしても意味ないわよ。」

「まあな。成人したら一緒に飲もうや」

 

大人の顔で子供のように笑う彼から、やっとの思いで目を逸らし、ウイスキーをショットグラスに注いで手渡す。

自分のグラスにはニンジンジュースを注いで、彼の隣に腰かける。

私が座るのとほぼ同時に映画も動き出し、さっきまでのシーンはなかったかのように物語が続く。

 

まあ、その時の私の頭には、いずれ私と彼もあんなことをするのだろうと悶々とした考えでいっぱいだったのだけど。

 

 

 


 

 

 

「昼飯はどうする?」

 

映画が終わって感想戦も一段落するころ、当然の質問が彼から出た。

 

「もちろん作るわ。今日はパスタにチャレンジしようと思うの」

「種類は?」

「ペペロンチーノがいいんじゃないかしら」

「そうだな。凝ったのよりはシンプルな方が作り易いだろう。材料は……多分全部あるから買い物はいいか」

 

昼食は作ると昨日の時点で決めていた。

パスタを選んだのは単に食べたかったから。

ペペロンチーノにしたのは私でも作れそうだと思ったから。

彼が作れないなんて考えてもいない。

 

「さあ、キッチンまで行きましょう!私に料理を教える権利をあげるわ!」

「今日はテンション高いな。別にいいけど」

 

 

 


 

 

 

「……。」

「……まあ、初めてにしては上出来なんじゃねえか?」

「……。」

「次はもっと上手く出来るさ。何事も経験なんだから。不屈のキングはこれくらいでへこたれたりしないだろ?」

「……何点?」

「…………70点」

「今、絶対点数盛ったわよね?!」

「すまん。盛った」

「くっ…!トレーナー!もう一度作るわよ!?」

「……まあ、もう一人前増えても問題ないか」

 

 

 


 

 

 

三回に及ぶペペロンチーノへの挑戦を終え、昼食を済ませた私たちはそれぞれ別の作業を始める。

私は宿題、彼は読書。

彼がなんらかの指南書のページをめくる音を聞きながら、黙々とペンを走らせる。

 

ただ、いつもより入念に、時間をかけて問題を解くのを意識しながら……

 

 

 

 

 

「やべっ…」

 

焦りを多分に含んだ声が部屋に木霊(こだま)したのは、一面に雲が広がる空が薄暗くなってしばらく経ってからだった。

 

「キング、もうすぐ門限だぞ」

 

知ってる。

時計はずーっと気にしていたから。

 

いつもなら私から声をかけて帰る時間。

だから、トレーナーは油断していたのでしょう。

 

今から走ればギリギリ門限に間に合う。

 

でも、

 

「あら、言ってなかったかしら?今日は外泊届を出してあるのだけど?」

 

わざと言わなかった札をここで切る。

 

「それでもだ。男の家に泊まるなんて許さんからな」

 

どこに泊まるかなんて言わなくても、彼は理解している。

もちろん私が何を望んでいるかも。

 

そして、『一流のトレーナー』として『それ』を許してくれないことも。

 

……ここまでは想定通り。

ここからは作戦通りに進めるためにアドリブが必要ね。

 

スカイさんやグラスさんなら上手くいく作戦なのでしょうけど、私にはちょっと、ほんのちょっとだけハードルが高い。

 

「……私は『男の人』の家に泊まるなんて一言も言ってないわよ」

「ほーん。それじゃどこに泊まるつもりだったんだ?」

「……知人の家よ」

「誰だ?」

「この世で私が一番信頼している人よ」

「名前を言え」

「…………あなたよ」

「『あなた』なんて名前の人は居ないと思うんだがな。それはそれとして、やっぱり男の家じゃねぇか」

「細かいことを気にする男は嫌われるらしいわよ」

「細かくねぇよ。あとなんで伝聞なんだよ」

「『あなた』って名前の人が居ても、おかしくはないと思うけど?まあ、細かい話だと私は思うわ」

「そっちじゃねぇ!女学生が男の家に泊まるのは大事だろうが!」

「それよりいいの?もうすぐ門限に間に合わなくなってしまうけど」

 

額に青筋を立てながら、ソワソワと落ち着きなく歩き回っていたトレーナーがピタリと止まる。

 

スカイさん、グラスさん、ありがとう。

悪いけど私の作戦勝ちよ、トレーナー。

 

「…………(はか)ったな」

「ええ、これであなたは私を泊めるしかなくなったわ」

「ホテルに押し込んでもいいんだぞ」

「ならベッドはダブルでお願いね。ツインはイヤよ」

「……同衾するつもりか」

「もちろん」

 

大げさに「はぁ」と彼はため息を吐く。

 

「絶対、一切、なんにも起こらないからな」

 

自分に言い聞かせるように言う。

顔は無表情を取り(つくろ)っているけど語気が強い。

 

「そうかもね。でも、やってみないとわからないんじゃないかしら?」

 

トレーナーはそれを聞いて、わかりやすく渋面を作り、こちらをひとしきり睨み付けた後、もう一度大げさに「はぁ」と彼はため息を吐いた。

 

 

 


 

 

 

「晩飯は?」

 

その一言で短い沈黙は破られた。

短い言葉だったが、怒気は込められておらず、とっくに彼が私の宿泊を受け入れていることを暗に示していた。

 

「もちろん作るわ」

「何を?」

「思いつかないから、あなたに任せるわ」

「……じゃあ、ありもんで簡単に作るか」

 

おもむろに立ち上がったトレーナーはノッソリと動いて冷蔵庫の中を確認している。

 

「サラダとスープはテキトーで……鶏と牛があるからそれでアントレとメインかな。始めるぞ、キング」

「わかってるわ」

 

 

 

相変わらずすごい手際の良さでトレーナーは料理を作っていく。

私の料理の練習も忘れていないようで、付きっきりではないにしろ細かい注文を付けていく。

……いちいちフランス語で指示して日本語で解説するのは面倒じゃないのかしら?

 

 

 

順当に夕食を作り終わり……ここからが仕掛け所。

テーブルに配膳し終わった彼が赤ワインのボトルを持っているのを目にし、朝に持って来ておいたブドウジュースを冷蔵庫から取り出す。

 

「何のためにジュースが何本もあるのかと思ったら……」

「こういうのは雰囲気が重要でしょう?」

 

呆れたような口調で微笑む彼に、したり顔で答え、彼が持ってきたワイングラスを受け取る。

ボトルを置いてもう一つグラスを取りに行った彼を待つ間に、ワインボトルを手に取る。

既に封は切られており、コルク抜きがセットされていた。

 

「割るなよ?」

「割らないわよ。栓を抜くだけよ」

 

ワインボトルを手に持ち、「気をつけろよ」と心配症を発症している彼を尻目に、軽くコルク抜きを引っ張るとポンッと音を立て栓が抜ける。

 

「やったことあるのか?」

「初めてよ。見たことはあるから、見よう見まね」

 

喋りながらワイングラスにワインを注ぐ。

対面では同じように彼がブドウジュースをワイングラスに注いでいる。

 

テーブルにグラスを置き彼の方に差し出すと、対面からブドウジュースの入ったグラスが差し出された。

 

「そんじゃ……まあ、色々あったが乾杯」

「乾杯」

 

チンっと軽い音を立てグラスが触れ合う。

グラスに口をつけ、唇を湿らせる。

甘くてブドウの風味が香る液体が喉を(つた)う。

 

トレーナーがグラスを置くのを確認し、横にグラスを並べる。

 

「ま、冷める前に食べようや」

 

トレーナーが食べ始めて手が塞がるのを見計らい、グラスを手に取る。

怪訝な顔をした彼を視界の中心に捉えながら、一気にグラスの中身を(あお)る。

 

ブドウの渋味と酸味が口の中に広がる。

鼻に広がるのはブドウの渋い部分ばかりで、正直に言って、あまり好きではない。

が、吐き出す訳にはいかないのでグッとこらえて飲み込む。

 

「お前なぁ……」

「グラスを取り違えたわ」

絶対(ぜってえ)わざとだろ」

「見た目がそっくりだったから間違えたのよ」

「わざわざジュースまで用意してんだから確信犯だろ」

 

呆れ顔の彼が言う通り、マスカットやらリンゴやらいくつもジュースを用意してきた。

取り違えるのも作戦の内だ。

 

体もポカポカしてきてるし、これが酔いなのだろう。

おもむろに頬杖なんかついてみる。

 

「ねえ、トレーナー。私ちょっと酔ってきたみたい」

「かもな」

「明日は何も覚えてないかも」

「……かもな」

「だから、今晩……」

 

後は続けるまでもないでしょう。

察しのいいトレーナーなら私の言っていることくらい理解してる。

後は彼次第だけど。

 

「……なぁ、キング」

 

食器を置いて、優しい声音で彼は語りだす。

 

「お前にだって譲れない一線はあるだろ?俺にもある。だから、俺は絶対に婚前交渉はしない。

 キングを(ないがし)ろにしてる訳じゃない。それだけお前が大事だからだ。それが俺の一流の男としての矜持だ」

 

そこまで大真面目な顔で言い切った後、堅苦しい雰囲気を崩して呆れを多分に含んだ声で続ける。

 

「キング、なんで掛かり気味なんだ?この間まではこんな関係でも満足してたろ?」

 

確かに今日は掛かり気味かもしれない。

それも当然だと私は思うけど。

 

「私たちのチームメンバー全員があなたを狙っているからよ」

「…………マジ?」

 

ひきつった顔のトレーナーを前に、脳裏に『姫』と『ネコ目』と『ボブカット』が(よぎ)る。

 

「大真面目よ。卒業したら順番にアタックしてハーレムを作るらしいわよ」

「マジかよ……」

 

カワカミさんたち全員から聞いた情報だから間違いない。

ご丁寧に色んな『初めて』は私に譲ってくれるそうだけど、経験豊富そうな彼が『初めて』だとは到底思えない。

 

それに不幸な『事故』は誰にでも起き得るし、トレーナーが心変わりする可能性だってゼロとは言えないだろう。

 

「それで誰かに盗られるかもって不安になったってとこか?」

「まあ、そんなところ」

 

正確には違うけれど本人に説明する気にはなれなかった。

 

それ以外の理由として、スカイさんやエルさんは私より一歩か二歩進んだ関係になっていて羨ましかったのもあるけれど、この人にそれを言っても鼻で笑われるだけだから言わない。

 

「煮え切らない態度で不安にさせたのは悪かった」

「いいえ、私が勝手に掛かっただけよ」

「それでも何か埋め合わせをさせて欲しい」

「そう?なら……」

 

本当なら断るべきでしょう。

ただ、今の私はどこかフワフワと浮わついており、気付いた時には言葉を発していた。

 

「昔話を聞きたいわ」

「昔話?」

「あなた、トレーナーになる前は何をしていたの?」

 

言ってしまってからジンワリと後悔がやってきた。

普段はなんとなく聞いてはいけない雰囲気を彼が発していたから。

 

ただ、目の前の彼はあっけらかんとした様子で語り始める。

 

「俺が中途採用ってことは知ってるよな」

「ええ。私たちのトレーナーの中で最年少のスカイさんのトレーナーと比べて六つ歳上ってこともね」

「年のことは言うな」

 

苦り切った顔のトレーナーは手酌でワインを注ぎ、一息に飲み干す。

 

ワイングラスを置きながら、いつも通りの顔を作って話を続ける。

 

「俺は料理人だった」

 

遠くを見るような目でトレーナーは静かに語る。

 

「俺の料理を食べた誰かが『うまい』って言いながら喜ぶ顔が好きで、フレンチが得意で、それなりに腕が立って……自分の店も持ってた」

「……どうして辞めたの?」

「味覚障害になった」

 

トレーナーの顔が痛みを(こら)えるかのようにひきつる。

 

「当時は青かった。とにかくうまい料理を作れば、食べた人が喜んでくれて、人が人を呼んで、店も回って、客も店もみんな喜んで、全て上手くいくなんて本気で考えてた」

 

熱を帯びていたトレーナーの顔から、スッと感情が抜け、ゆっくりと自嘲気味な笑みを浮かべる。

 

「ま、当然回る訳もなく、ストレスで味も分からなくなって辞めたんだがな」

 

ケラケラと、まるで他人事のようにトレーナーは笑う。

「料理の師匠が経営で苦労してたのは見てたのにな」なんて付け加えながら。

 

「トレーナーになったのは、中央トレセンのカフェテリアに昔なじみが居て、トレーナーを勧められたからだ。人事に多少口添えもしてくれたらしい」

「……料理人に戻りたいとは思わないの?」

「思わねえな。とっくに未練はない。トレーナーだって誰かを喜ばせる仕事に変わりないしな」

 

即答した彼は満面の笑みを浮かべながら「こんなに可愛い相棒にも出会えたしな」なんて似合わないセリフまで言い出した。

 

顔も赤いし、もしかして、酔ってる?

普段はボトル2本空けてもケロッとしてるのに?

 

そんなことを考えてる間に、料理に手を伸ばした彼は固まる。

 

「どうしたの?」

「…………あー、くっちゃべってる間に冷めちまった。軽く(あった)めるから、ちょっと待ってろ」

 

ふらつきもせずに彼は立ち上がり、キッチンへと()()()()()料理を運んでいく。

 

照れるくらいなら言わなきゃいいのに。おばか。

 

 

 


 

 

 

「入って来んなッ!!」

「だから、背中を流しに来ただけよ」

「それでもだッ!!」

「タオルで隠れてるし、このくらいの露出はいつもプールで見てるでしょ」

「水着とタオルは違うんだよ!!だあああぁぁっ!!クソッ!!背中流したら出て行くんだよなァ!?」

「そのつもりよ。もちろん、お望みなら私の背中を流す権「とっとと背中流して出てってくれ!!」

「……おばか」

 

 

 


 

 

 

パチリと音が鳴り、部屋に漆黒の(とばり)が下りる。

電気を消す前に見ていた景色と、あたりに漂うトレーナーの匂いを頼りに、なんとかシングルベッドへとたどり着き、モゾモゾと布団の中へと潜り込む。

 

体を滑りこませると、少しもいかない内に柔らかい、けれどゴツゴツとした人肌程度の暖かさにぶつかる。

 

棒状のそれに腕を巻き付け、両足で挟む。

 

「トレーナー、まだ起きてる?」

「今電気消したとこじゃねえか。起きてる」

 

緊張もなにもしていない普段通りの声が返ってきて、ちょっとムカつく。

こんなにもアプローチしているのに。

ドキドキしている私がバカみたいじゃない。

 

「もうちょっとこっち来い。ベッドから落ちるぞ」

 

平然とした声でそんなことを言いながら、彼は自由な方の腕で私を抱き寄せる。

おかげで体の前側はほとんど彼と密着することになり、彼の鼓動まで聞こえる。

 

もっともドクンドクンと平然としている彼の鼓動と違って、私の方はバクバクと早鐘を打っているのだけれど。

まさか抱きしめられるなんて思ってもみないじゃない。

 

「ねえ、トレーナー」

 

男性らしいゴツゴツとした肩を見ながら喋る。

多分、今の私は闇の中でもわかるくらい真っ赤だろうから、彼の方を向けなかった。

 

「私に襲われるとは考えてないの?」

 

力ずくで襲う。

彼との距離を縮める作戦を考えた時に真っ先に思いついた手段だ。

過去に未遂は何度かしたし、ダメだとわかっていても今も頭から離れない。

 

もし私がもっと掛かった状態なら、さっき抱き寄せられた拍子にマウントを取って……なんて容易に想像できる。

 

「考えてねえよ」

 

即答だった。

 

「俺の最愛の女性は、力ずくで他人の矜持(プライド)を踏みにじったりなんて絶対にしない」

 

優しく、甘く、ささやかれる。

 

「それに今日一日襲われなかったしな」

 

おどけるように、そう締め括られた。

 

「ま、それはそれとして、だ」

 

彼の空いている方の手が私の肩を軽く押す。

ほんの少しだけ私たちの間に距離ができ、彼を真正面から見据えた。

 

その顔は優しく微笑んでいるけれど、どこか強張っていた。

 

突如、その顔はゆっくりと近付いてきて……

 

咄嗟に目をつむった。

 

 

 

 

 

「不安にさせて悪かった。これで許してくれないか?」

「とっくに許してるわよ。もう一回いいかしら?」

 

『もう一回』と聞いて、彼は苦笑する。

 

「何回でもいいけどディープなヤツはなしな。俺だって色々我慢してんだ。そんなことされたら襲うぞ?」

「あなたから襲われるってのは、なかなか魅力的なお話ね?」

「勘弁してくれ。俺はもっと段階を踏みたい。続きは卒業してからにしてくれ」

 

本当に舌を入れてみようかとか、実質的な合意を貰ったんだから襲っちゃってもいいんじゃないかとか悶々とした考えばかりが頭に浮かぶ。

 

けれど、目の前の苦笑いする彼と、唇に残る柔らかい感触が私の良心を引き留めた。

 

チュッと唇にキスを落として「お休み」とだけ告げて、彼の胸元に頭を預け、まぶたを閉じる。

多分、今日は眠れないと思うけど。

 

「ああ、お休み。キング」

 

彼のドクドクと鳴る鼓動を聞いていると、なぜかとても安心できた。

 

そのまま私の意識はゆっくりと夢の中へと沈んでいった。

 

 

 


 

 

 

それから、

 

 

 

「おはよう、トレーナー」

「おはよう」

 

朝練の時間中に私はわざわざトレーナー室まで足を運ぶ。

この時間にトレーナー室まで来るウマ娘は私くらいのものだ。

 

「ん」っと言いながら目をつむると、苦笑混じりのため息が聞こえ、デスクを立つ音がする。

 

チュッ

 

「ありがとう、トレーナー」

 

 

 


 

 

 

「トレーナー、今日のお弁当はなにかしら?」

「今日は普通に家庭料理だぞ?」

 

最近はトレーナーがお弁当を作ってきて、トレーナー室で二人で昼食を摂ることが週に二、三度ある。

 

もちろん目的はお弁当ではなく、

 

「ん」

「……まだ弁当食べてんだけど?」

「ん!」

 

チュッ

 

「ソース味」

「だろうな…」

 

 

 


 

 

 

「お疲れ、ゆっくり休めよ」

「お疲れ様。宿題も忘れずにやるのよ?」

 

他のチームメンバー全員が帰った夕暮れ時のトレーナー室には彼と私の二人きり。

 

「ん」

「二人きりになると、毎回これだもんな…」

 

チュッ

 

「あなたがキスしか許してくれないからじゃない…」

 

 

 

それから、私はキス魔になった。

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