走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
ある日。私とスズカは戻って来ていた。そう、スズカのレース復帰その日である。三月も終わる直前の日曜日、スズカはG1、大阪杯で復帰を果たす。
スズカは更衣室で勝負服に着替えるべく部屋を出ている。今いるのは私とスカーレットだけだ。ブルボンは友達と一緒にスタンドで応援するらしい。
「本当に驚いたわ。本気で大阪杯で復帰するんだ」
「また言ってる」
「それくらいびっくりしたってことでしょ。せめて金鯱賞からとか無かったわけ?」
「優先出走権が絡むようなレースにスズカが出るのは考えものね。枠を一つ潰すわけだから」
「……余裕綽々って感じ?」
二日前スズカの圧倒的トラウマを受けたスカーレットもほぼ回復して付いてきた。というか本人の言い方的に毎回付いてくるんだと思う。まあ、聞きたいことがあればすぐに聞ける環境にいた方が良いとは思うし、全然構わないけど。
待つ以外にやることが無いというのもあり、スマホを弄りながら話すスカーレット。パックの牛乳を飲み切ってゴミ箱に放って、外したそれを拾いながら私も答える。
「余裕も余裕よ。そもそもあそこにはG1ウマ娘も二人しかいないし、どっちもスズカに届くような子じゃないから。そもそも片方は出走取消だし」
「フクキタル先輩がいるんじゃないの? トレーナー、いつもビビってるじゃない」
「ビビっ……てるか。ビビってるね。でも今日は大丈夫よ。そんなに調子良くなさそうだし」
マチカネフクキタルがスズカに届きうるほどの大吉を引いているのなら、パドックから解るほど浮かれていてもおかしくない。菊花賞の時はそうだった。今日はそれが無いということはそこまでではないということで、そうでなければスズカが負けることは無い。
「ヤバい時のマチカネフクキタルもそのうち見られると良いわね。本当にヤバいから」
「語彙力」
「いやほんと……私はスズカが一番強いとは思ってるけど、あのフクキタル相手には断言できないもの。今日じゃなくて良かった、本当に」
私の本気を理解してくれたのか、スカーレットはそうなの、と言ってそれ以上は聞かなかった。こればっかりはね……私の優位性がまったく活かされない場所だし、心から起こらないことを願ってるよ。本人には悪いけどね。
「じゃあ今日は一着?」
「九割勝てるわ。スズカの調子も良いし」
「あれで調子良いの?思いっきり入れ込んでるように見えたけど」
「良くなかったら走りたがらない……いや、スズカは調子悪くても走るか。じゃあ関係無いわ。忘れて」
「何言ってるのアンタ」
今日もスズカは朝から走りたがっていた。レース直前……当日朝でもお構いなしで。私が止めなければ本当に走りに行く。本人曰くウォームアップらしいが、どこの世界に当日朝からくたくたになるまで走る子がいるのよ。
そうこうしている間にスズカが着替え終わったらしく、扉が開いた。そこに、いつものG1勝負服に身を包んだスズカが立っていた。
「はあ……やっぱり落ち着きます。こう、走りたくて心がざわざわするというか」
「それは落ち着いているとは言わないのでは?」
「何言ってるのスカーレットさん。走りたいんだから落ち着いてるでしょ」
「ん、え? は? 今日本語話しました?」
スズカが勝負服を着て立っている。半年ぶりか。思えば早かった。脚を折ったウマ娘は命を奪われたも同然だ。走れないウマ娘は感覚を失うにも等しい苦痛を覚える。それに、そもそもレース中に転倒すれば実際に命が危うい。
だから、こうして立っているスズカが見られるというのは奇跡なのだ。走っている間に勢い任せに倒れていても、強く踏み込んで砕けていても、スズカの体の回復が少しズレてもこうはならなかった。スズカは何だかんだと言ったが、大事にならなかったのは私の腕でも何でもなく、ひとえに運とスズカの頑張りによるものなのだ。
そう思うと、このシンプルな勝負服にも意匠があるような気もしてくる。走ることのルーツになった雪の白と、今いる場所であるターフの緑だけの勝負服。これでスズカだ。どちらも無くてはならない。キッカケだけでは走れない。今ターフに立っているからこそサイレンススズカなのだ。これから走れるのだと上機嫌なスズカに私は痛い! なんだ!? 何があった!?
「いつまで黙ってるのよ。何か言うことあるんじゃない、トレーナー」
「あ、え、あ……うん……」
お尻に強い衝撃が走る、振り向くと、スカーレットが脚を振り抜いてこっちを睨んでいた。変わらず私の前に立っているスズカに、衝撃で数歩近付く。今私何してた? もしかして飛んでた?
「……その、スズカ」
「はい」
「……似合ってるね」
「……ふふっ。なんですか、それ。変ですよ?」
「ごめん……」
あ、だめだ、私これ、だめなやつだ。実感が追い付いてくるにつれて目頭が熱くなってくる。言葉が出てこない。私スズカに何言ってたっけ。ブルボンにはタイムの確認と自信付けをして、スズカには……ええと……なんだっけ。
「トレーナーさん?」
「あ、えっと、その……か、体は大丈夫? 調子は悪くない?」
「とっても良いですよ。今朝走らせてくれたらもっと良かったと思います」
「むぐ」
「……もう、何してるんですか。そんな顔しないでください。私が悪いみたいじゃないですか」
スズカが私の口角を無理矢理上げた。私、どんな顔してるのよ。そんな言われるほど変な顔してる?
「私は早めにターフに行きますけど、何か他に言うことないんですか?」
「……その」
「はい」
「……スズカがまたレースに戻って来られて、良かった」
「はい。それで?」
「それで……だから……その」
スズカを抱き寄せて、ぎゅっと手を回す。思い切り押し付けると、なんてことはない、スズカだって物凄く動揺してるんだと解る。いや、これは私の鼓動かな、どうだろう。たぶんスズカかな。スズカってことにしておこう。
だめだ、声が、震える。
「……無事に帰ってきてほしい。ちゃんと私のところに、帰ってきてほしい」
「……トレーナーさん」
「トレーナー……」
ただ何となく口をついた言葉に、スズカも、スカーレットも、静かに呟いた。しんとなる室内で、スズカが返事をするまで、たぶん誰も話さないんじゃないかと待つこと十秒、スズカが突如として私を抱き返し、そのまま万力のような力を込め始め痛い痛い痛い痛い!!!!! 死ぬ!!!! ばらばらになる!!!!
「スズカ先輩!? 何やってるんですか!?」
「スズカ痛い痛い痛い痛い!!!!」
「……言う言葉が違います。言い直してください。そんなことが聞きたいんじゃありません」
「ああああああああ!!!!!」
「先輩! トレーナーがぐちゃぐちゃになりますって!」
「……あっ」
スカーレットの必死の訴えにより解放された。危なかった。流石に死が頭を過ってしまった。もちろんスズカのこと、ちゃんと手加減はしてくれていたと思うんだけど、にしても痛かった。いつもよりギリギリを攻めていたような気がする。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……」
「痛くしたの、スズカ先輩ですけどね」
「だって、トレーナーさんがおかしなこと言うから……」
再びスズカが抱き着いてきた。今度は痛くない。ちゃんと人間の範疇で強く抱きしめる。私の胸に顔を埋めたまま、淡々と、ちゃんと、それが当然だと言わんばかりに告げる。
「そんなこと言われなくたって帰ってきます。帰ってくるなと言われても帰ってきます。違います。ちゃんといつも通りにしてください。拗ねちゃいますよ」
「……あー、うん……ごめんスズカ」
段々と鼓動がゆっくりになっていくにつれて、私も落ち着いてきた。もう大丈夫。少し乱れたスズカの服を整えながら一歩引いて、ふふん、と笑うスズカの口元に触れる。
ああ……もう、可愛いわねこの子は。
「いってらっしゃい。今日も、いつも通りにぶっちぎっておいで」
「はい。見ていなくても良いですよ。勝ちますから」
そう言って、スズカはいつも通り自信満々に部屋を出て行った。
────
「あー……はっず……」
「でしょうね。見てるこっちが恥ずかしいもの」
「私変な顔してない?」
スズカを見送って、私達はモニターをつけて座り直した。スズカが入院した時はあんまりと言うか、それどころじゃなかったしスズカも結構いっぱいいっぱいだったから気にならなかったけど、なまじ今回はスズカが冷静なだけどっと恥ずかしさが押し寄せてきた。私、こう……メンヘラ気質なのかな。
「メンヘラ彼氏と理解ある彼女って感じはしたわね」
「ぐぐ……そ、そんな関係じゃないし……」
「そんな関係じゃないのにそんな関係ちっくなことしてる方がヤバいわよ」
ごもっとも。
「はあ……あーあ。今日はよく解らないけどパーティーしようかな。復帰とG1勝利の」
「……本当にそこだけは疑ってないのね。凄いわ」
「まあね。スズカが負けるわけないから」
「その言い方の方を恥じらった方が良いんじゃないの……?」
やたらとスズカを持ち上げる実況中継がモニターから流れてくる。冷静に考えるとレース中の怪我とはいえ半年での復帰だし、復帰が絶望的だったなんて事情も無いのでここまで奇跡の復活と言えるほどじゃないような気もするけど、持ち上げた方がURA的には旨みが多いんだろうね。収益とか。出走を決めてからもプッシュの量が半端じゃなかったし。
それに、スズカがどうなるかなんてスタートを見れば解る。ゲートインからスタートを待つ内枠のスズカ。そしてファンファーレが鳴った。
『スタートしました!』
「……はや」
「……わあ……」
そして、当然のように誰よりも早く飛び出していくスズカ。ブランクだとか、そんなものは欠片も存在しないかのようにぶっ飛ばしていくスズカに、流石の私達からも声が漏れた。逃げだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど、一人だけエンジンが違う。もう一人逃げの子がいるけど、競り合うつもりも無いのか大きく引き離している。
何なら序盤から大差をつけてそのまま押し切ろうとしている。あまりの差にスカーレットが動きを止めてしまった。無茶苦茶するなあ、スズカ。
『速い速いサイレンススズカ! 既にただ一人最終コーナーにかかっている! 既に圧勝ムードか!』
そのまま後続をちぎって突き進むスズカ。逃げを打つはずだった子と、今日は好位先行を選んだらしいマチカネフクキタルを筆頭に追いかけてくるが遥かに後ろ。圧倒的だ。そして、最終コーナーでさらに火が付いた。
『さらに伸びる伸びる大きな差がついています! これは! 落ちない! サイレンススズカ落ちない! 二番手三番手脚色は良いがこれは届かないか! 団子になって追いかけるが、しかし!』
しかし、先頭はサイレンススズカだ。いつまでも変わらず、そこが定位置。追いつけるのはほんの一部、壊れたウマ娘だけ。息もつかずに駆け抜けたスズカに、観客も数秒間黙ってしまった。だけど、その直後。
『──さ、サイレンススズカ一着! サイレンススズカ一着です! 帰って参りました! 異次元の逃亡者が今! ターフに完全復活です!』
割れんばかりの大歓声がレース場を揺らしていた。
────
「トレーナーさんっ」
「お帰り、スズカ」
戻って来たスズカは扉も閉めずに飛び込むように私に抱き着いた。大きく深呼吸をして、んー、と顔を擦り付けてくる。
「楽しかった?」
「はいっ……すっごく、楽しかったです……!」
「良かった」
それなら何より。満面の笑みを浮かべるスズカの頭を撫でると、さらに上機嫌になって尻尾を振り始めた。ぴこぴこのウマ耳を弄ると、目を細めてさらに密着してくる。レースの熱を持て余すスズカ。これは終わった後走り回らないとダメね。いつも通りか。
「スズカさぁん!!!」
「うわっびっくりした」
「スズカさああああん!!!!」
「ふ、フクキタル、落ち着いて……」
スズカに遅れて乱入してきたマチカネフクキタルが騒ぎ出してわちゃわちゃに終わってしまったけど、それでも良いかと思える。何よりもスズカが楽しく走れるのが一番だからね。勝敗は二の次……まあ、スズカは先頭以外嫌だから一着にはなるんだけど。