走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「んー……んぅ……トレーナーさん……走ってきても良いですか……?」
「外、大雨だけど」
「ですよね……」
ある日。大雨で他のトレーナーもいるなか、控えめにスズカが聞いてきた。小声でのやり取りの後しゅんとなって私に体を預けてくる。
私の仕事もあり、スズカのトレーニングは今日は休みにしている。外が使えない以上スズカにはパワートレーニングをしてもらうことになるのだが、室内トレーニングはできる人数も限られているからだ。
「雨の日でも私は良いんですけど……」
「風邪ひくでしょ。あとあんまりくっつかないでね。視線がヤバいからね」
「やです……」
走れないことが私でもスズカでもない要因によるものだと、案外スズカは簡単に退いてくれる。粘っても仕方ないのが理解できているからだ。その代わり本来の甘えたで大人しい性質が現れ、休みだというのにわざわざトレーナールームに来て隣に座る程度には私と関わろうとする。
ジャパンカップも勝ったスズカの評判は既にレジェンド級であり、本来ウマ娘が入らない場所にいたところで何も言われない。それどころか、桐生院さんが遠巻きにこっちを見てメモを取っていた。何が解るんだよこの状況で。
「そもそも雨の中出歩くのが意味解らないし。濡れるでしょ」
「でも気持ちいいですよ?」
「何が気持ちいいの」
「雨が思い切り当たるので冷たくて気持ちいいですし……自分のスピードがよく解りますし……」
「あー……まあ、わか……解んないや」
「あぅ……」
トレセンが用意して置いてくれた椅子を撤去して、スズカと並んで座れるように長椅子を置いているのだが、誰も何も言ってこない。歪んだ実力主義だよ本当に。
まあそのおかげで? 私はこうしてスズカと並んでお話ししながら仕事ができているわけだし? ありがたいけどね? もうちょっと誰か何か言った方が良いと思うよ? 気付いて? スズカの威を借る私の心の痛み。
「トレーナーさんは泳いだりするんですか?」
「まあ……海とかプールに行ったらね」
「濡れても気持ちいいですよね」
「たぶんだけどそれとこれとは話違うと思うわ」
でもまあ、雨の中を走るウマ娘は格好いいよ。スズカはそういうタイプじゃないけど、降りしきる雨を差しウマが突っ切ってくる時とかは流石に見ててテンションが上がる。
それはそれとしてスズカには走らせるわけにはいかないけど。体に悪いからね。風邪もそうだし、脚も。
「んー……あ、スズカ引き出しの二段目から青いファイル取って」
「はい。えっと……はい、これですね」
「ありがと」
雨の日の走りもそのうち練習させないといけないような気はしている。もちろん今日じゃないけど。現状スズカは確か良バ場レースしか……正確にはボロ負けした弥生賞は稍重だったけど、そういうレースしか出ていない。
まさしく最強無敵のサイレンススズカがその程度の不慣れで負けることはないと信じてはいるけど、練習するに越したことはないわけで。
「次の夏もスズカと一緒だし、海に行って泳いでも良いかもね。スズカは泳げるの?」
「ええ、一応……でもやっぱり走る方が好きですよ」
「それはそうね……泳ぐにせよ一緒に泳いで蹴られでもしたら私がバラバラになっちゃうし」
「うぅ……」
「スズカが凹むところじゃないけどね?」
種族差を噛み締めつつ一旦の作業は終わったので休憩とする。終わった? 何する? と期待を込めた目で見られるので財布の中を見るが……いけね、下ろしてくるの忘れてた。はい無能。満足にご飯が食べられない額しか入っていない。今から私はスズカの前でひもじく小皿メニューを食べることになります。見せ付けてるみたいで嫌だわ。
「あっ……トレーナーさん、お金、払いますよ……?」
「やめてスズカ……流石に学生にたかれないから……いや、ある意味たかってるんだけど……」
だが、昼時なのは事実。隣のスズカがおろおろ心配そうに見てくるのを無視して食堂へと向かっていく。
もちろん口座には目が飛び出るくらいのお金があるのだけど……この雨の中近くのコンビニまで行くのも面倒だし、トレセンにATMが無いことを過去イチで恨んでいる。
食堂に着き、私が頼むのは……お? 日替わりならギリギリ頼める。レディースにするとご飯は減るけどほんのちょっと安い。行けるじゃん。日替わりが何だか知らないけど。
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「あの、トレーナーさん……それ、足りるんですか?」
「足りないねえ……流石にねえ……」
日替わりは野菜炒め定食だった。運が無さすぎる。トレセンのご飯はウマ娘の栄養管理をしやすくするために薄味になっているのだ。油も控えめ。そんなものと普段から目減りした白米と味噌汁、お新香……成人女性を舐めていないか? 頼むからキッチンを別にしてくれ。
かといって、いつもながらプレートに大の男三人分くらいを平気で盛ってくる彼女の分には手を出せない。そっちのご飯にトレーナーが手を出すと普通に怒られる。パクパクしてくれ。私は良いから。
「ご飯の後は何をしようかねえ」
「ぁむ……んー……」
「私も仕事はあるけど、別に一日あるわけじゃないし。せっかくだし遊びに行きたいけど……この雨じゃね」
私はスズカに休みを言い渡した日は積極的に遊びに連れていくようにしている。基本的に彼女の調子は絶好調か好調で心の底から走りたくなくなることはないけど、走る以外のトレーニングをやりたくなくなることは多いのだ。
また、私のところに来るということはスズカが私と一緒にいようとしていて、かつ他の友達との約束がないという意味だ。私にはスズカを満足させる義務がある。
スズカ、かなり友達多いというか、交遊関係が広いのよね。積極的に誰かに絡みに行くタイプじゃないんだけど、だからこそ色んな所で誰かと関わっていたり……あとは単純に速いからライバル視されていたり尊敬されていたり。とにかくかなり多くのウマ娘と関わることがあるのだ。
「良いですよ、私はお部屋でじっとしていても。トレーナーさんのおうちとか」
「そう? うーん……まあ、それでも良いけどね」
そうしたいって言うなら止めないけど……走れないなら別に他にやりたいこともないです、とか言いそうで怖い。
「走れないなら他にやりたいこともないですし……」
言うなよ。別に私が好きだからってことで良くない? なんでそういうこと言うの。傷付きそう。
「じゃあ私の家行こうか……帰りになんか買わないと晩御飯が無いけど」
「普段何食べてるんですか……?」
「いや、ちゃんと食べてるからそんな目で見ないでね? 大丈夫だからね」
……あ。そういえば。
「スズカ、冬休みは帰省とかするの?」
「いえ、別にそういう予定は……何かありました?」
「スカウト、スズカも見に来るのかなって」
「……? はい、行こうかなって思ってましたけど……」
「そか。今年はね、早めに模擬レースを始めるんだって。だからスカウトも前倒しになりそうだから」
「そうなんですね。私は大体お部屋にいるか走ってると思うので、呼んでもらえたら……」
「うん」
「……あ、いや、走っちゃ駄目だから。何軽く行こうとしてるの」
「へぅ……」
私がいくら禁止しても、スズカは割と勝手に走る。それを見越して我慢させる時は荒っぽい手段を使ってでも我慢させているわけだ。禁止を破られるならそれを見越して動かないといけない。
奇しくも……でもないけど、スカウトが早まったのも同じような理由ではある。十二月からトレーナーに接触したり、自主トレを始める違反ウマ娘が多すぎるのだ。でも彼女達も必死なわけだし……今までも黙認してきたんだからいっそ期限を早めてはどうかって。
果たしてスズカのお眼鏡に適うウマ娘はいるだろうか。本当にそれだけが心配だ。私にとっては何よりスズカが大切だし、一番考えるべきは彼女との相性なのだ。
それで言うとスペシャルウィークはとても相性が良い。輝くスズカを尊敬して、それに届こうという根性のあるウマ娘だからこそ、スズカも彼女を可愛がっているわけだし。
根性があって、一つに尖らせる練習に賛同してくれるウマ娘……あんまりいないんだろうなあ。
「スペシャルウィークって凄いんだねえ」
「……? ええ、スペちゃんは凄い子ですよ。素直で明るい良い子です」
「ね。最近はどう? 楽しそうにしてる?」
「はい。同期の……えっと……同期の誰かに宣戦布告されたから、弥生賞で初戦って言ってました」
「はー……良いねえ」
スズカにはライバルっぽいライバルがいないからね。強いて言えば自分を抜かそうとする全員をライバルだと思っている……か、他人のことを一切考えていないかどっちか。
エアグルーヴやマチカネフクキタルにも、『勝つべき相手』としては見られているがライバルと言われると……程度。普通に仲が良いと言った方が早いくらいだ。スペシャルウィークの今後を祈って。なむ。
「ごちそうさま。行こうかスズカ。そうだ、朝日杯の録画してあるのよ。それ見ようか」
「え……でも……」
「流石にスズカよりずっと遅いレースよ。走りたくは……なりそうね。スズカなら」
「はい……」
落ち込んでしまったスズカ。プレートを片付け、私達はそのまま私の部屋まで戻ることとなった。
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「っ……ふー……」
「あっ痛い痛い痛いスズカ、力、力入ってるっ」
「あ、す、すみません……つい」
朝日杯観賞会では途中スズカが暴走しかけたが、特に問題なくゆっくりと時間が経っていった。逃げを打ったウマ娘が脚を少し滑らせ減速し、大雨の中直線一気でぶち抜かれた瞬間のことである。感情移入しすぎね。
「スズカは滑っても勝てるから安心しなって」
「……ぁぅ」
流石にそれは嘘だけど。スズカを膝枕しながら頭を撫で、勝ったにも関わらずぎこちなく笑う栗毛のウマ娘に目が行っていた。ダービーで敗北した時のスズカのような、こんなはずじゃなかった、とでも言いたげな表情に。