走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
皐月賞が来た。来てしまったって感じもする。
いわゆる世代限定戦の一つである皐月賞には、生涯一度しか出走することができない。それは日本ダービー、菊花賞も同様で、だからこそ三冠というものの価値も高くなっていく。
「ブルボン、調子は大丈夫?」
「はい。心身ともに良好、問題ありません。普段以上のパフォーマンスを発揮できます」
「うん。流石ね」
スズカとスカーレットは二人で外で応援ということで、待機室には私とブルボンしかいない。私も本当は外にいたかったんだけど、普通にブルボンが心配だし、こう、大舞台はできれば勝って帰ってくるみんなを出迎えたい気持ちもあるのだ。外で見てから戻れば良い話なんだけど。
「ここからクラシックだからね。無敗三冠、取りましょうね」
「はい。必ず……ところで、スズカさん達はこちらには来ないのですか?」
「え? うん。いた方が良かった?」
「……いえ、聞いただけです」
二度目となるレオタードみたいな勝負服を着て、その上に上着を羽織っているブルボン。私から見ても、仕上がりは十分だ。元の実力と合わせれば、負ける要素はほぼ無い。
それを知っているからか、ブルボン自身もあまり緊張しているようには見えないし、むしろ非常に落ち着いているようだった、のだけど、突然にブルボンが口を開いた。
「マスター、少しよろしいでしょうか」
「どうしたの」
「緊張しています」
「……嘘じゃん」
「嘘ではありません」
そんな平然としていて何が緊張か。スズカを見過ぎたせいでレースの重みを忘れてしまったんじゃないかってくらいリラックスできている。ウマ娘の感情は表情より何よりウマ耳や尻尾に出るので解りやすい。
ウマ耳が横を向いているし、尻尾も少しだけ持ち上がっている。ブルボンが最初に言った通り、間違いなく本調子なんだけど。
「まあ、じゃあ緊張してるとして、どうしたのいきなり」
「いえ」
「……?」
「特には」
そう言って、私と一歩のところまで距離を詰めるブルボン。そして、じっと私を見つめる。心なしか顎を引き、身体を私に差し出しているかのように立っていた。
……なんだ?
「何か不調があるなら……」
「ありません」
「じゃあ」
「……どうぞ」
どうぞ、どうぞって何だ。何をどうぞされたんだ私は。
よく解らないがとりあえず、差し出された頭を撫でてみる。勝負服着用にあたって髪の手入れもちゃんとやってあるし、私が触れるのも申し訳無いくらいだけど。
どうやらとりあえず撫でられるのは嫌いではないらしいブルボン。目を少し細め、そのまま私の手を握った。そして、ゆっくり肩に降ろしていく。
「マスター」
「……ああ、うん」
なんて可愛い子だ、ミホノブルボン。これも良い傾向かな。こういう自己主張はやっぱり大事だ。と言うか気付けて良かった。もうあまり時間がない。両手をブルボンの肩に置いて、まっすぐ見つめる。
「ブルボン。ただのタイムトライアルよ」
「はい」
「あなたが一番速いわ。出走する誰よりもあなたが一番強い」
「はい」
「だから安心して走ってきなさい。誰も気にする必要はないし、勝つか負けるかを考える必要もないわ。何よりもブルボン、あなたが考えるべきは一つ、ペースを保てるかどうかよ」
「はい」
「あなたが他に付き合うことはないわ。そう、スズカみたいに、あなたの走りに周りを巻き込んで引きずるのよ。あなたはチャンピオンよ。胸を張りなさい。王者は王者らしく勝って当然と思いなさい。良いわね」
「……はい」
呼び出しの放送がかかる。最後に無表情のブルボンの頬を撫で、鼻の頭を指先で叩く。
「二冠目にして、まず一冠よ。あなたが一番強いのは解ったわよね。今日はそれを観客にも解らせなさい。無敗三冠ミホノブルボンがいるということを、2000mで知らしめなさい」
「……解りました。ミホノブルボン、始動します」
────
『さあ、各ウマ娘一斉にスタートしました! 先行するのはやはり例によってミホノブルボンです。ミホノブルボン前へ前へ進んでいきます』
実況を聞きながら、ブルボンのいつも通りのスタートダッシュを見届ける。ブルボン以外が少し詰まっていて解りにくいが、実況によるとライスシャワーは二番手の集団にいるらしい。
はっきりとブルボンが評価すると言い切ったのがライスシャワーだ。何度見てもどう考えてもブルボンに迫るようなウマ娘ではない。少なくともダービーまでは。スタミナは驚くほどあるから来年、春の天皇賞まで来れば脅威になるかもしれない。
やはり一番大切なのはスピードだ。絶対的なスピードと最低限のスタミナがあれば勝てるというのはスズカが示している。後ろの脚質だとそうはいかないけど、スズカにしろブルボンにしろスカーレットにしろ一瞬の加速力というのはそこまで必要がない。
スピードで圧倒していれば負けはしない。ブルボンはスズカに比べれば、もしくは想定より低いものの、それでもあの中では抜けている。だから先行争いにも負けないし、先頭のまま走り続けることができる。
『さあ第三コーナーを回ります。先頭はミホノブルボン、堂々リードを保ちます! やはり本日もこのまま逃げ切ってしまうのか、後続上がって参りました、二番手争いから前を狙います!』
そして、それでいてスタミナも十分にある。完璧だ。負ける要素が無い。爆発力のウマ娘がいたなら、既に目も眩むような輝きを発していてもおかしくない。いない。ライスシャワーも中団でもがいたまま出てこれていない。問題はなく、ミホノブルボンの勝ちだ。
『スパートに入った! 速い速いミホノブルボン! スピードを見せつけていきます! まだリードを保っております! これは決まったか!』
今までのような心のざわめきというか、万が一負けたらどうしようという緊張感が無い。良い意味で振り切った。私のどこかが、ブルボンは負けないとちゃんと確信できたということだ。そしてその通り、ブルボンはそのまま誰にも抜かされずにゴール板を駆け抜けていた。
『先頭はミホノブルボン! 堂々五連勝達成だ! ミホノブルボンが勝ちました! 無敗の皐月賞です! 皐月賞まで無敗!』
「……ふぅ」
とはいえちょっとくらいドキドキはしたかも。せっかく淹れた紅茶を飲むのを忘れていた。冷めてしまったので諦めて捨て、カップを片付けてタオルと水を取り出す。モニター越しで、勝負服のブルボンが観客に向けて少しのアピールをしていた。歓声がここまで届いている。
ブルボンが、無敗のクラシックウマ娘になったのだ。鮮烈に、観客に夢を押し付けた。無敗の三冠ウマ娘が生まれるのだと意識させた、その結果がこの大歓声だ。ブルボンが驚いてターフで止まっている。よーく浴びてきなさい。秋にもっとでかいの浴びさせてあげるからね。
ブルボンが帰ってきたのは、たっぷり数分、割れんばかりのブルボンコールを浴びた後だった。
「……ただいま戻りました、マスター。一着、達成しました」
「お疲れ、ブルボン。反省点は?」
「自己評価……申し訳ありません。現在、大幅な分析能力の低下を認めています」
「へえ」
タオルをかけて汗を拭き取り、丁寧に髪を直しつつブルボンに問い掛ける。普段なら即答するはずのその質問に、今日は言い淀むどころか答えすらしなかった。
「どうして?」
「……詳細は不明です。ですが、大きな感情の動きがあります。言語化は不可能です」
「いつから?」
「……ゴールから数十秒後、歓声を聞いた時からです」
ぼそりとブルボンが呟いた。やっぱりブルボンはサイボーグでもロボットでもないわね。歓声を聞いて心が動くのは物凄い成長よ。これまでだって冷血とかそう思ってたわけじゃないけど。
「朝日杯の感情も解った?」
「解りません」
「そう」
ブルボンを抱き締めると、やはりどくんどくんと身体が脈打っていた。朝日杯やスプリングステークスのレース後より激しい。消耗よりももっと違う要因だ。ぎゅっと私に押し付けて、肩に顔を埋めた。
「嫌いではありません」
「それは良かった」
「後程、スズカさんにも聞きます」
「……スズカじゃなくてシンボリルドルフとかの方が良いんじゃない? いや、聞きにくいかもしれないけど」
「ではそうします」
この後はウイニングライブだ。ブルボンも飾りを光るやつに替えないといけないし、いつまでもこうしてはいられない。全然落ち着かないのはもう諦めて水分補給をさせ、私はブルボンを送り出した。
────
「ブルボンさん、おめでとうございますっ」
「ありがとうございます」
「おめでとうございます、ブルボン先輩!」
「ありがとうございます」
翌日、トレーナー室。今日は一日オフのブルボンだったが、ついここに来てしまったというのでみんなでお祝いをしている。といってもジュースと、冷やしてあったケーキを出しただけだけど。
「凄い逃げ切りでした! 後続、差を詰められてませんでしたよ!」
「そうですか。走行中、ステータス『不安』を検知。足音も聞こえましたので、後方確認も何度か行いましたが」
「解ります、後ろから音が聞こえると気になりますよね……」
「スズカのそれとは違うから解らないで?」
「ええっ」
ニコニコでケーキを切り分けるスズカ。スカーレット曰く昨日もえらく興奮していたようだった。まあ昨日のブルボンはかなり安全に逃げきったしいつもよりマシだったとは思うけど。
「一緒ですよ?」
「一緒じゃないって」
「静かに走りたいってことですよね?」
「ほら違うじゃん」
「へぅ」
ずれたことを言うスズカの額を弾き、私もちょっとだけケーキを貰う。ほとんどはブルボンに分けられたので、本当に少しだけ。
ともあれこれでブルボンも一歩目を踏み出したし、危なげない勝ち方でこれからも安心できる。エルナトの未来も明るい。暗くなったことは一度しか無いけど。
「お祝いに一緒に走りませんか?」
「良いのですか?」
「良くないでしょ」
「と言うかお祝いに走るって何ですかその謎概念は」
途中からサクラバクシンオーがお祝いに駆け付けたそのパーティーは、結果的にケーキが無くなった後も外に出て続いた。
……サクラバクシンオー、ブルボンのことをヤバイ生き物だと思ってない? 大丈夫?