走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「こんにち……は、スズカさん……何してるんですか……?」
「お仕置き……?」
「ぁっ、ゃっ、ぁっ、たっ、たすっ、たすけてっ、スペっ、ちゃんっ」
ある日、スペシャルウィークがエルナトの部屋にやって来た。私はと言えば、スズカを膝に寝かせてぽこんぽこんとお尻を叩いている。ペットボトルで。
「今度は何をやったんですか、スズカさん……」
「おっ、おっ、おかしっ……どうして私が悪いみたいな……」
「いつもそうだからですけど……?」
スズカの後輩の中でもスペシャルウィークはやはり距離が一際近い。結構この部屋にも来るし、冷蔵庫の中には彼女が置いていった飲み物もある。何も言わずそれを取って、私達の向かいに座るスペシャルウィーク。
「この頃走らせすぎたからね。自由に走って良いと思っちゃったみたいで」
「ああ……そういえば昨日も走りに行ってましたね、スズカさん」
「でしょ? だからちょっとお仕置きって感じで」
ブルボンとスカーレットを追い込むのにスズカの存在は非常に便利だ。フリーで……つまりレース外で走っている限りスズカのスタミナは無尽蔵と言っても良い。ペースも恐ろしく早いので、消耗した二人とならばスプリントの練習にもなるのだ。
ただ、それを二日に一回やっていると、走ることしか考えられないサイレンススズカは勘違いしてしまうのだ。つまり、ダービー追い切り期間は無制限に走って良いのでは? と。
それに加えて、やはりトレセンのコースは他のウマ娘もいるし、ブルボンやスカーレットは故意に並ぼうとしてくるわけで。走って楽しい! の裏でストレスは溜まるんだろう。それを解消するために寮を抜け出したのである。
「仕方無いじゃないですか……! こんな、生殺しみたいなものです、走るなら、走るなら一人が良いです……!」
「じゃあ明日から追い切りにも出なくて良いわよ」
「それはやります……ぁぅっ」
「わがままねスズカは」
ばちこん。難儀な子ね。
「それで、スペシャルウィークは今日はどうしたの?」
「いえ、ブルボンさんとスカーレットさんが毎日大変なことをしてるって聞いたので、どんな感じかなって気になっちゃいまして」
「どんな感じ……まああんな感じ?」
後ろを指さす。エルナトのベッドに、スカーレットとブルボンが倒れていた。壁側で完全に眠ってしまっているのがスカーレットで、目だけは開いていてこちらをじっと見つめているのがブルボン。
今日は学園は休みだったし、だったら涼しいうちにやる方が良いに決まっている。お昼はもう過ぎてるから、そろそろ起こして食べないといけないんだけど……スカーレットが起きない。仕方無いけどね。
「うわあ……なんか……自分がやるのは良いですけど、人がやってるの見るのはなんか引きます」
「逆じゃないの……?」
「やってる時は必死なので……」
仮にもスズカの洗礼を受けたことのある子は深みが違う……天真爛漫を地で行くスペシャルウィークが、やけに悟ったような顔で言ったのにはびっくりしたけど。
「スペちゃんもやらない? ブルボンさんのダービーが終わった後とかどう?」
「次の私の目標、スズカさんに宝塚で勝つことなんですけど……」
「そうなの……?」
「私、寮で何度も話してますよね!?」
「……そうだったかしら」
逃げようとしていたスズカが一転して私に顔を押し付けて隠れてきた。
「こらスズカ」
「ひぇ」
「まあ、スズカさんが覚えてるわけないとは思ってましたけど……」
「ち、違うのスペちゃん、話は聞いてたのよ」
「ならより悪いじゃないですか」
「あぅ」
くすくす笑いながらのスペシャルウィークに負け、涙目で私に縋るスズカ。でもこれはスズカが悪いと思います私も。次はスズカさんと走ります! みたいに言われてるってことでしょ。
「ち、違います……ちょっとド忘れしちゃっただけですから、本当に……お、覚えてるんですよ?」
「じゃあ普段関わっている人達の次走、言えますか?」
「言……………………えるけど……?」
「目ぇ泳いでるわよ」
「言えますぅー」
完全に私に抱きついて、そのまま身体を丸めるスズカ。腕を広げて抱えてあげる。まあ言えないでしょう。他人に興味が無いんだから。菊花賞も話を合わせただけの可能性があるからね。
「まあ、良いですけどね。スズカさんらしいですし」
「でしょ?」
「……私が言うのもなんですけど、トレーナーさんは一回怒った方が良いと思います」
「あれ……?」
それはそうと、とスペシャルウィークが話を切った。スペちゃん……とさめざめ泣くスズカ。扱いが上手いなあ。これで誇張無しに心の底から尊敬してるというんだから凄い。尊敬することと持ち上げることは必ずしも一致はしないのよね、実際。
そういう意味であればスズカだってある程度他の人を尊敬しているはずだし。マチカネフクキタルのバイタリティとか、エアグルーヴの高潔さとか。あくまでレースに興味が無いだけでね。
「ダービー、勝てそうですか?」
「ん……まあ勝てるでしょうね。九割勝てるわ」
「じゃあ大丈夫……でしょうか。まあその、あんまりどちらかの味方はしないようにとは言われているんですけど……この間グラスちゃんと話をしたんですよ」
「うん」
「ダービーにグラスちゃんがいたら、どうなってたかって話なんですけど」
グラスワンダーは怪我によりクラシック前半を棒に振っている。とはいえ、その後しっかり年末までに成長してスペシャルウィークに勝ったのは物凄いことだ。爆発力と実力の両立、それも爆発力が侮れないレベル。バランスはスズカの上位互換と言っても良い。
「もしもの話をあんまりしてもしょうがないですけど、でも、きっと同じように徹底マークから追ってくるとは言ってました。怖いんですよねえ、グラスちゃんのマークは……」
しみじみ言わないで本当に怖いから。私も怯えてるんだからね。あれは標的が多すぎて自分で自分を縛っているだけで、それがスズカ一人に向くとヤバい。スペシャルウィークに勝ったのも、スペシャルウィーク一人を標的にできたからだ。まあ、元から強いから実力勝負をしても伯仲だろうけど。
「で、ここからなんですけど……今年のクラシックに、グラスちゃんが、『運命的なものを感じる子がいる』って言ってたんです」
「……ライスシャワー」
ブルボンが喋った……?
「その子は、ライスシャワーではありませんか?」
「え? いえ、物陰にいるのを見付けて、雰囲気とか眼が似てるって話だったので名前までは……」
「物陰というのは私がいる後方の物陰ですか? 黒髪で、小柄な方です。片目が隠れていて」
「あ、そんな感じです……そう言われればスズカさんとブルボンさんに話し掛けに行く途中でした」
「ではライスシャワーです」
ブルボンが少し満足そうに口角を緩めた。あの付き纏ってくるヤバい子ね。黒髪で小柄なんだ。なんていうか……その、メンヘ……いや、その。ごめんやめとくわ。
「最近ライスと仲良くなりました。彼女は恐らく今日も私を追い掛けてきています。マスター曰く、脅威ではないようですが」
「むむ……ま、まあ、そうだけど」
なんか皮肉られているような気がする。ちゃんと見た方がいい? ライスシャワーのこと。でも確かに、本当にグラスワンダーと同じタイプなら脅威ではある。脅威だったところで対策は私にはできないんだけど。
「やはりライスシャワーは脅威です。ですので、ダービー後もさらなるトレーニングが必要です」
「そうですよ、たくさん走りましょう、ね、ね?」
「……ブルボンについては検討しておきます」
「あ、あれ? トレーナーさん? 私は?」
何も言えなくなってしまった。心なしかふふん、とブルボンが誇ったように見える。ほえー、とスペシャルウィークがちょっと間抜けな声をあげた。
「トレーナーさん、誰かを脅威に思うことあるんですね」
「私を何だと……いやまあ、滅多にないんだけど……」
「グラスちゃん、怖いですからね。物凄く」
「何かされたことがあるの?」
「無いですよ。私は」
「ああ……」
思い当たる節があるのか、小さく呟くスズカ。何かされたの、あなたじゃないでしょうね。
「なので、ダービーも気を付けてくださいねってことです。あと宝塚も。私もグラスちゃんも出て、スズカさんにも勝ちに行きます。最近、ちょくちょく一緒にトレーニングしてるんですよっ」
「へー。生半可なトレーニングで……いや、どんなトレーニングをしようとスズカに勝てる気にはならない方が良いわよ。無理だからね」
「……こういうところなんですよね。わざわざ言いに来たくなるのは」
ぐっとジュースを飲み干すスペシャルウィーク。ごめんね。私はスズカ最強を疑っていないし疑えないのよ。マイル中距離にてスズカは最強。一生そう思って生きていくと思うしさ。
解ってるじゃないですかぁ、とご機嫌になって起き上がり、肩に頭を乗せてくるスズカ。あなた今お仕置き中だからね。可愛いからしばらく許すけど、調子には乗らないでね。そんな意味を込めて鼻を摘まんだり放したり。
「ぷぁぷぁ」
「まあ、忠告はありがとう。私はそれは気付けないから助かるわ。ブルボンには三冠を取らせなきゃいけないし」
「凄いこと言いますね……三冠なんかなかなか取れるものじゃないんですよ。G1勝つだけでも大変なのに」
「ふふふ。普通のウマ娘は未勝利勝つだけでも大変って言うのよ。染まっちゃったわねスペシャルウィーク」
「はっ……い、いやいや! 私は良いんですよ! 私は今まで勝ったみんなを背負ってるんですから! トレーナーさんも、そういう心構えの方が私には良いって言ってくれてるので!」
「そうなの? やっぱあの人凄い人ね……」
心構えなんか私はほとんど言えないし、ブルボンもどう思っているやら。確かにスペシャルウィークはそういう芯が通っているというか、背負った方が頑張れるのかもしれない。
ダービーもブルボンに何か言ってあげたいけど、特別な思想は持ってないからなあ。とにかくライスシャワーが覚醒しないことを祈るばかりだ。
その後もしばらく話し込んだ。途中からはスズカとスペシャルウィークが話すのを私達が聞いている感じになってしまったけど、これはいつも通りのこと。彼女が帰った後、昼食をとりながら、ブルボンは言った。
「今度、是非お父さんが家に来て欲しいと。あるいは東京に出てくると言っていました」
「……それは、どうして?」
「ミホノブルボンがダービーを勝つことがあれば、それは元トレーナーであるお父さんにとっては生涯を捧げても足りないほどのことだと」
「……それはまあ、そうだけど」
「マスターにお任せします。私は提案するよう指示されただけです。マスターが私のお父さんを苦手としていることも理解しています」
教え子に気を遣わせてしまった……最低だ私って。戒めとしてお父さんとは連絡をとります。まあブルボンの大事な話だからね。何だかんだこういう連絡からは逃れられないしちゃんとやらなきゃいけないところ。
「ところで、マスター」
「ん?」
「マスターは、ダービートレーナーという肩書きにご興味がありますか」
「いや……まあ、あれば嬉しいなあくらい……?」
そうですか、とフォークを咥えるブルボン。そりゃあ、普通のトレーナーにとってはダービーなんて夢のまた夢なんだから。一度でも勝てればそのままレースの世界から消えても良いくらいの栄誉と言われてるんだからね。
……私は別にそこまで興味ないけど。
「では、マスターに必ずダービートレーナーの称号を差し上げます」
「え? うん……嬉しいけど」
ゆっくりお待ちください、とブルボンは言った。どういう心境の変化かは解らなかったけど、食べ物で頬を膨らませるブルボンは可愛かったので笑顔で頷いておいた。