走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
六月三日、水曜日。記録者、ミホノブルボン。
本日は、スカーレットさんの要請により二人でマスターの自宅に訪問することとなりました。どうやら、マスターの作る朝食がお気に入りのようです。夜のうちからお邪魔して、そのまま学園へ通学するとのこと。
スカーレットさんは優等生を目指していたはずで、外泊は嫌っていたような気もしますが、私も楽しみなので黙っていました。ダービーウマ娘は気も遣えるのです。
「お疲れ様二人とも。どうぞ」
「お邪魔します」
「お邪魔します……こんな当然のようにスズカ先輩がここにいるの、ツッコんだ方が良いのかな……」
今日は留守を任されているらしいスズカさんが出迎えてくれました。勝手に走りに行かないよう、既に走った後なのだとか。もちろん、流石のスズカさんも家を空にしてまで走りに行かないと予想されますが。
「当たり前じゃない。お留守番は大事なんだから、勝手に外へ行ったりしないわ」
「全然信じられないんですけど」
「あ、あら? 私、先輩じゃなかった……?」
首を傾げるスズカさんを置いて、家の中へ。寝室に荷物を置きます。いつの間にかベッドがダブルからキングサイズになっていますが、まさか、担当が増える度に大きくするつもりでしょうか。
個人的な話をするのなら、私とスズカさんが寝られればそれで良いのですが、マスターのやり方には従いましょう。
「ところで、マスターはどちらに?」
「ダービーのお祝いにってトレセンの人達に連れていかれちゃった。お酒を飲んで帰ってくると思うわ」
「トレーナーってお酒飲めるんですか?」
「好きじゃないらしいけど、吐いたりはしないわ。ちょっとお酒の臭いはするから、苦手だったら先に寝ていた方が良いかも」
「別に大丈夫ですよ。酔っぱらいの相手は一人じゃ大変じゃないですか? 手伝えることがあったら言ってください」
「ありがとう。十時くらいには帰ってくると思うわ」
「遅……」
トレセンで通常業務を行っている場合、六時には解放されるはずです。特にマスターは担当が少なく、トレーニングも半分近くはその場での判断だと聞き及んでいます。
エルナトは周囲の評判に違わず、才無きウマ娘でも強引に強くするチームです。もちろん、スズカさんやスカーレットさんはマスターも認める才能の持ち主であり、私ほどのトレーニングは必要ないと言われてはいますが。
そのトレーニングはマスターの信じられないほど正確に体力や調子を見抜く力があってこそ。事前の準備よりその場の判断の方が重宝される珍しいケースです。
「それにしても、やっぱりダービートレーナーっていうのは凄いんですね。最近は取材やらテレビ出演やら忙しそうじゃないですか」
「ええ。てんてこまい。ブルボンさんより忙しいんだ、って感じだけど」
スズカさんが夕食に使ったらしい食器や鍋を一緒に洗いながら、データログを参照します。確かに、メディア露出は私よりマスターの方が50%ほど多く割り振られています。
基本的に、私はメディア露出に向いていません。今でも余計なことを言わないようにとマスターに指示された内容を忠実に守ることしかできませんので、私自身の言葉で語れないわけです。
……これもダービーウマ娘の義務です、と自分だけで参加した雑誌の──普段マスターに話し掛けることの多いあの記者の方の雑誌ですが──インタビューで、感想を聞かれて「嬉しいです」しか言えなかったのは痛恨の極みです。
「お仕事は選んでいるんだろうけど……それにしてももっとこう、休んでくれた方が良いわよね……心配」
「スズカ先輩はこうしている間好き勝手走れるから嬉しいとか思ってそうですね?」
「あれ……? 辛辣……」
しょんぼりとするスズカさん。しかし、それは聞き捨てなりません。スズカさんの思考を読み取る力にかけてはスペシャルウィークさんにも劣らない私の、ダービーウマ娘による正確な考察をお見せしましょう。
「いえスカーレットさん。スズカさんはいつものやり取りができなくなったことでステータス:『寂しい』を獲得しています」
「はぇ」
「えー……これはチャンスとか思ってそうじゃないですか?」
「マスターとの身体接触の減少もあります。スズカさんはマスター曰く寂しがりやです」
「正解はどっちですか、スズカ先輩」
「私でしょう、スズカさん」
「ぁぅぁぅ」
どっちでも良いでしょ、とスズカさんが顔を紅潮させたままキッチンからリビングに駆け出してしまいました。食器洗浄は終わっていましたし、乾燥機にかける作業は私ではできないのでスカーレットさんに任せて私が追います。
「間違っていましたでしょうか。スズカさんの思考パターンのインプットは義務です」
「そんな義務無いでしょう……?」
「あります。スズカさんの後輩ですから」
ソファに寝転がったスズカさんの顔の横にしゃがみ、手で顔を扇ぐスズカさんに問い掛けます。体温上昇、血流増加を確認。羞恥心と焦りを感知。
「さあ」
「いや、さあ、じゃなくて……」
「嬉しい、と寂しい、どちらですか」
「へぅ」
「スズカさん」
目を見つめます。視線が彷徨い、くるりと回った後、スズカさんは私を押し退け始めました。
「も、もう……やめて……!」
「うわっ」
いかに鍛えているとはいえパワーの差は如何ともし難く、そのまま突き飛ばされてしまいました。まだトレーニングが足らないようです。
「お、お手洗いに行くから……」
そう言って走っていくスズカさん。手を拭きながら、スカーレットさんが追い付いてきます。
「なるほど、尿意でしたか」
「いや、あの……私もムキになっちゃったからアレですけど……やめてあげません? スズカ先輩、茹でダコみたいになってたじゃないですか」
「……茹でダコ」
確かに、排泄欲を気取られるというのは羞恥心に繋がると聞いたことがあります。いや、そういうことじゃなくて……え? 聞いたことがありますはおかしくないですか? ブルボン先輩は恥ずかしくないんですか? はい。生物なら当然の行動です。空腹や眠気を訴えるのと同等では? 何言ってるんですか?
女とは何たるかについて説教を受けました。
────
「そういえば、トレーナーさんって酔うとどんな感じなんですか?」
「え? そうね……」
ボードゲーム等で時間を潰すこと三時間。入浴中、スカーレットさんが湯船からスズカさんに問い掛けました。湯船には浸からず執拗に尻尾の手入れを続けるスズカさんが、ブラシを持ったまま首を傾げます。
「酔った大人の人を見ることが両親くらいしか無いんだけど……結構人が変わるタイプだと思うわ」
「え、そうなんですか? 意外……」
「ああ、暴れたり騒いだりとかじゃないのよ。それは大丈夫」
「え、あ、はい。ん? 両親しか知らないのに酔ったら暴れる発想が……?」
「それは……まあ良いじゃない」
湯船の縁に身体を預け、脱力するスカーレットさん。流石に私とスカーレットさんでは少し狭くはあります。特に理由無く三人で入りましたが、失敗でした。
「ほら、何とか上戸ってあるじゃない? それで言うと、泣き上戸って感じ。大泣きするの」
「ええ……面倒くさ」
「そう、とっても面倒くさい人なのよ」
ニコニコと笑うスズカさん。こだわりの尻尾のケアはまだ終わりません。
「でも、たまに見ると面白いわよ。子供みたいで可愛いし」
「……まあ、結構顔が良いですからね、トレーナー」
「トレセンの女性トレーナー番付でもそれなりに上位だそうです」
「そんなのあるの……?」
「はい、そのようです。男性版もあります」
私はどうやらトレセンの方々にトレーニング以外には何の興味も無いと思われているようで──実際興味が薄いのは認めますが──私を認識していても世間話を取り止めようとはしません。よって、恐らく生徒が知るべきでない情報もあります。
「そもそも男性版って誰に聞くのよ……ほとんど女性トレーナーなんていないじゃない。うちのトレーナーの好みが見えそうで嫌だわ……」
「民間人だと思いますが」
「まあ、それはともかく。見たいなら泣かせてみると良いわ。疲れたら寝るだけだし、明日に引かないから楽よ」
「赤ちゃんじゃないですか」
マスターが号泣している場面……見てみたくはあります。しかし、倫理的に泣かせるというのは良くない行為です。一方で、スズカさんが良いと言うのは絶対に怒られないという保証に等しいものです。
基本的に私達が見るマスターというのは通常の大人としての一面と、スズカさんを甘やかす時の一面、それからスパルタトレーニングを行う時の鬼の面です。そのどれもが理性の制御下にあります。理性が飛んだマスター……なるほど。
「是非見てみましょう。何と言えば良いですか?」
「何かお願いしたら何でも泣くと思うわ」
「ハードル低すぎません? 泣き上戸が過ぎるでしょ」
「試してみま……早速来たようですね」
扉の前で立ち止まる足音。この足音はマスターです。少しふらついていて不規則ですが、それでもドアを開け、廊下を進もうとしているようです。スズカさんが立ち上がり、迎えに行きました。
「ただいま……あれ、ブルボン、スカーレット……何してるの……?」
「お邪魔しています」
「何してるのっていうか……その、まあそれは良いじゃない」
スズカさんに肩を支えられてマスターが帰ってきました。まさかマスターの朝食が食べたいと言うわけにはいきませんので特に何も言わずにスカーレットさんに任せることにします。ダービーウマ娘は空気も読めるのです。
「んー……まあいっか……」
普段より小さく見えます。口元ははっきりしていますが立ち振舞いが酩酊状態のそれと一致しており、かなり大量にアルコールを摂取したことが窺えます。流石のスズカさんも鼻呼吸を止めています。
「今お水を持ってきますね。ここで待っててください」
「んぁ……ありがとー……」
こちらに目配せをしてキッチンに戻るスズカさん。なるほど、今ですね。では早速マスターに泣いていただきましょう。適当な要求をすれば良いとのことですので、ソファに座らされたマスターに対し、いつものように話しかけます。
「マスター」
「なに……?」
「久しぶりに明日、特別メニューを行いませんか」
「……だめ……」
にべもなく断られるのはいつものことですが、今日はそのまま飛び付くように私に抱き付いてきました。嗅覚、遮断……うぐ。
「ごめん……ごめんね……私、私ね、ブルボンに、勝ってほしいの、三冠も、その先も、ブルボンは勝てるのに、ブルボンは強いから大丈夫なのに、私がダメダメで、たくさん鍛えてあげられなくて……」
「本当に突然泣き出しましたね」
「ま……マスター……」
「ごめんね、ごめんね……私じゃなきゃもっとブルボンは強かったのに……ブルボンなら、きっと何だってできたのに……」
な、何を返せば良いのでしょうか……普段と言っていることが違い過ぎます。思考エラー。言葉が出ません。泣き出したマスターをとりあえず抱き締め返しますが、これは……これが、母性……?
「トレーナーさん、お水ですよ」
「スズカぁ……」
「わわっ。もう、溢しちゃうじゃないですか」
「ごめん……」
スズカさんが帰ってきて、すぐに解放されました。涙を流していたのが嘘のように落ち着き、マスターは差し出された水を飲み始めます。
「泣き止んだ……」
「面白いでしょう。情緒不安定なのよ」
「トレーナーとウマ娘は似るらしいですからね」
「何か言った?」
「いえ何も」
飲み終わったマスターがスズカさんに抱かれ、抱き付くようにして顔を隠してしまいました。赤んぼうのようですが、スズカさんの表情に悪感情は見られません。流石のお二人です。逆でもそうなのでしょう。私はバッドステータス:吐き気に襲われていますが。
「じゃあ、トレーナーさんは着替えさせて寝かせてくるから……部屋はたぶん臭いがキツいから布団敷いて寝てね」
「はい……」
「着替え、手伝いましょうか? 私は結構平気ですし」
「大丈夫よ。それくらい一人でできるわ」
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朝起きたら全裸だった。なんでよ。人を剥いておいて隣でそんな平和そうに寝ないで?
重そうに見えますが別に重くはないです。トレーナーに心の闇とかはこれまで開示された以外には無いです