走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「はぁっ、はあっ、はぁっ……」
「お疲れブルボン。良かったわよ」
「ちょっと……もう一回……! 今の無し……!」
ある日。ついにブルボンの菊花賞も目前に迫り、直前追切をどうするかというのを考え始めていた。
ブルボンのステータスは相変わらず申し分ない。例年の菊花賞なら問題なく……まあ、一部怪物を除けば勝てる。スタミナも十分だし、レコードタイムを出せといえば出せるだろう。
もちろん身体強化は重要だ。だけど、本当の本当に直前までやって疲れが残っても良くない。それなりのトレーニングならブルボンは数時間で回復するが、だからと言って脚の万が一は一生怖い。
そこで、精神のトレーニングに比重を置こうと思い立った。まずはブルボンをプールに入れて体力を消耗させ、それからスカーレットを後ろに先頭を走らせるのだ。当然スカーレットは抜きに行くし、その時の気迫は一流ウマ娘にも匹敵するものがある。ブルボンも疲れているから油断すると差されると。
「でも二バ身はちょっとね。平静を装うあまりスパートが遅れてたわ。合図と同時に加速しなさい」
「は……い……っ、改善、します……!」
「スカーレットは素晴らしいわ。また速くなったわね。この状態でももし差せたら大金星よ。もう少し早く加速して追い比べに持ち込みましょう」
「……それってブルボン先輩のための指示? それとも私へのアドバイス?」
「スカーレットへのアドバイス。あなた脚を溜めるの向いてないし、取り立てて瞬発力もないし。早めにスピードに乗って潰し合った方が根性勝ちできて有利でしょ」
「……そ」
天皇賞、菊花賞と終わればすぐにスカーレットもデイリー杯ジュニアステークスがやってくる。スカーレットの力は頭一つ抜けているので大丈夫だとは思うけど、この子はこの子で逃げ以外に向いていなさすぎる。前に行きたい気持ちが強すぎて、最終直線でガン有利、道中全部不利みたいな状態が直せないのだ。先行Aは嘘でしょ。
……まあ直す気も無いけど。私はスタミナを狙って効率的に鍛えることができるので、掛かるならそれでも上等、そのうえで粘れるスタミナをつければいい話なのよね。ブルボンと違って冷静に走る必要はない。スズカと一緒。
「よし、じゃあもう一本やって今日は終わりね」
「え? まだ全然行けるけど」
「スカーレットはもちろん続行よ。ブルボンの話」
「……私も十分続行可能です。問題ありません」
仰向けに倒れているところから起き上がってまっすぐ見てくるブルボン。スカーレットより早く脱落、というのが気に入らないらしく、ぴこぴことウマ耳を動かして抗議している。
ブルボンのお腹を撫でて落ち着かせて、諸々説明をして。スカーレットにダッシュを指示させて待っている間、ブルボンを私の足の上に乗せる。汗と土で汚れた顔を拭っておき、ぽんぽんとおでこを叩く。
「流石に三日前に動けなくなるまでやるのはやり過ぎ」
「……しかしライスが」
「もう実力を伸ばす期間じゃないわ。実力を発揮できるように調整するタイミングよ」
「…………はい」
少しは納得してくれたか、大人しくなって撫でられを受け入れるブルボン。ウマ耳もリラックスしているし、説得できて良かった。油断でも慢心でもなく、今日明日くらいは休むべきだと思う。
……それに、ここ数日何故か調子が微妙に下がっている。今までのことを考えれば今さら多少スパルタしたくらいでこうなるとは思えないんだけど……なにか心境の変化でもあったかな。
「……マスター」
「ん?」
と、ブルボンが私の手を取った。手のひらをマッサージするみたいに両手で弄ぶと、口元を隠すように持っていった。
「今日はマスターの自宅に行っても構いませんか」
「もちろん良いわよ。二人が良い?」
「……いえ」
これはどっちだろう。ブルボンの表情が絶妙で解りにくい。他を呼びたくないならもちろん呼ばないけど……微妙。まだ解らない感情があったのね。
しばらく目を揺らして、スカーレットが帰ってきてまた行って、それからゆっくりブルボンは私の手を胸に当てた。
「マスターと二人が良いです」
「ん。じゃあ今日は二人でいようか」
はい、とブルボンは少し笑った。可愛い愛バ。菊花賞に勝たせてあげたい。頑張れ、ブルボン。
────
『そうですか。解りました。じゃあ今日は寮に帰りますね』
「うん。ありがとうスズカ」
『いえ。大丈夫ですよ』
何も言わないとスズカもスカーレットも普通に来てしまうので、しっかり連絡を入れておく。今日のスズカは日差しが柔らかかったという謎の理由で『走ってきます』とだけメッセージを残しトレーナー室に来ることすらなかったので、たぶん今頃どこか座れるところで水分補給でもしてるんだろう。
「ちゃんと帰るのよ」
『何言ってるんですか? まさか私が夜通し走るとか思ってませんか』
「思ってるけど。スペシャルウィークから聞いたんだからね。真剣な顔して『どうやったらトレーナーさん、京都まで走らせてくれると思う?』って相談したらしいじゃない」
『スペちゃん……口止めしたのに……』
「いつまでスペシャルウィークのことを信用してるの」
あの子はとっくの昔からこっち側だし、いくら口止めしても連絡来るんだって。雑談とかするわけじゃないから私とスペシャルウィークの個人チャット凄いのよ。『スズカさんが○○って言ってました』『ありがとう』『スズカさんが走ってました』『ありがとう』みたいな地獄が繰り広げられてるんだから。
「とにかくちゃんと門限までに帰るのよ。遅れても家には入れてあげないからね」
『ぁぃ……できたらそうします……』
「どうしてこんなことでそんな辛そうにできるの」
『だって、門限まであと一時間ちょっとしかありません』
「充分だなあ」
泣きべそをかくスズカに一瞬ビデオ通話をしてもらい、せっかくなので怪我率が無いことを確認して通話を切る。まあ今日は私からしても走りやすそうな天気だし解らなくはないけどね。ちょうど良い秋晴れだし。
それに、そろそろ走れなくなるスズカを放置してしまっているこっちにも非があるわけで。仕方無い仕方無い。
……いうて本当に仕方無いか?
────
「そこで、私とライスでじゃんけんをすることになったのですが」
「うん」
「なんとライスが五連勝しまして、フラワーさんのクッキーはすべて奪われました」
「ふふ……かわいそう」
その夜。宣言通りうちに来たブルボンは、私が作った豚野菜丼をひたすらかきこんでいた。せっかくならカツ丼を大量に作りたかったけど、流石に調理が追い付かないので断念。最初の一杯だけにした。
食べ終わったブルボンから食器を回収して、新しいものを渡しつつ片付けと調理をこなして、数台ある炊飯器でご飯を供給し続けながらブルボンの話も聞く。全部やらなきゃいけないのがトレーナーの辛いところね。
「ライスの不幸体質はじゃんけんには適用されないのではないか? とみんなで話していたところ」
「うん」
「教室のライスの椅子が壊れました」
「代償が重すぎる……いやでもニシノフラワーのクッキーは替えが利かないけど、学校の椅子は替えが利くしなあ」
「はい。ライスも『やっぱりバチが当たったんだ……! どうしよう、大変なことが起きちゃうかも……!』と言っていたので、椅子が壊れたことについてはあまり思うところはなかったようです」
基本的にはブルボンが話してくれるので、私は聞きながら相槌を打つだけ。大体は友達とのエピソード。ライスシャワー以外にも何人も登場人物が出てくる。関係も色々上手く行っているようで何より。友達がたくさんできたのね。お姉さん嬉しい。
満足するまで食べさせて、二人で残った洗い物を済ませる。偉い、と頭を撫でると、尻尾を振って微笑んでくれた。
そして。
「消すわよブルボン」
「はい」
お風呂も一緒と言うので一緒に入り、やたら口数が多いブルボンを洗ってあげて。一緒に寝るのは別に特殊なことでもないので先にブルボンをベッドに入れて、電気を消して後から潜り込む。
ポカポカノブルボンとかなり近付いて……まあ良いか。そのまま抱き締める。胸に抱くと、すぽんと顔を出して見上げてきた。
「寒くない? 大丈夫?」
「温かいです」
「良かった。じゃあお休み、ブルボン」
「お休みなさい、マスター」
いつの間にか調子が元に戻っている。よっぽど負けが込んでいるとか、そもそも走るのが楽しく感じられていないのにトレーニングだけ厳しいとか……そういう理由でもない限り、調子なんて最高なのが一番良い。ブルボンなんかは特にね。
三秒でブルボンは夢に落ち、私もそんなブルボンを抱き締めたまますぐに眠りについた。
────
どすん、どすん。
「……ん……」
どすん。
夜中。まだカーテンから光が見えない時間。加湿器がタイマーで止まったくらいの時間に目が覚めた。同時に、お腹から足にかけて鈍い痛みを感じる。寝ぼけた頭がすぐに覚醒して思考を取り戻し、滑るようにベッドを出る。
ブルボン……と声をかけてしまうと起きてしまうので、何も言わず部屋を常夜灯に切り替える。今日はかなり涼しい。そろそろ秋も深くなってくるし、三人のパジャマも考えないと。まあ各自持ってるとは思うけど。
で、あの衝撃は。ベッドで眠るブルボンを見る。もぞもぞと動いていた。それも、あまり良くはなさそうなように。私に当たっていたのは、かくん、がくん、と前に突き出される膝だったらしい。ウマ娘のパワーが乗っていなくてよかった。乗っていたら私の足はバラバラだった。
というかブルボンの汗が酷い。完全に魘されてるじゃない。呻く姿がとても痛々しい。すぐに台所で水を、脱衣所から濡れたタオルを持ってくる。起こすか……寝付きが良い子を夜中に起こすのは忍びないけど仕方がない。
「ブルボン、ブルボン? 起きて」
「……ぅ……ぁ……」
「起きてブルボン」
「……は」
いつもより反応の鈍いブルボンを揺さぶって起こす。ぱちん、と目を開けたブルボンが、そのまま私を見て、辺りを見回して、自分の体を見て、それからかくんと力が抜けたように深くベッドに沈んだ。
「起動が遅れました。申し訳ありません」
「良いのよ。飲む? 汗を拭いてあげるわ」
「……はい」
全身を軽く拭って、それから水を飲ませる。落ち着いてから寝る位置を交代して横になる。じとりと湿ったシーツの気持ちの悪さはともかく、眠ることなくこちらを見上げるブルボンの頬を手のひらで揉む。
「嫌な夢でも見た?」
「……マスター」
「ん?」
「……私は、ライスに勝てないんでしょうか」
ブルボンの調子が少し下がっている。これか。むにむにと頬から顎にかけて触れ、少しずつ下ろして肩から腕を撫でる。
「負けたの?」
「はい……直線で突き放され、一バ身のまま追い付けませんでした」
「いつもそうなの?」
「……夢の完全なメモリ保存は不可能です。ですが、負けたことは覚えています」
「そうかあ」
頭の先から髪を梳いて背中に手を回す。こつんとおでことおでこがぶつかった。少し震えている。体も、声も。
夢にまで見るか。どれだけ恐れているかがよく解る。それも一度や二度ではなさそうだ。夢にしては妙に差がリアルではあるけど。実際負けパターンはそんな感じだろう。ブルボンの根性もそうだし、ライスシャワーはブルボンに勝ちに来る以上そう圧倒的な差はつけない。
「私は……努力によって踏み越えられないものは無いと思います。それは、精神によって肉体や才能を凌駕できる……と判断したからです」
「うん」
鍛えられたブルボンの腕を擦る。同世代の中では間違いなく抜けている。数字を見るまでもない。それどころか、上の世代と比べても遜色無いレベルだ。
元々才能があったかどうかはこの際問題ではない。これはブルボンの成果だ。
「ですが、それはライスも同じではないでしょうか」
「うん」
「彼女の精神力は私を越えているように思います。であれば、私がライスに勝てる道理は無くなります」
「……うーん」
別に、一時的な不安だとは思う。ライスシャワーと比べた上で、これまでずっとブルボンの方が頑張っているということで進んできたわけだし。大レースの前でナーバスになっているだけなんだろう。
かと言ってそれを放置するわけにもいかない。うちの子達に限って自信過剰なんてことはないのだ。自信はあればあるほど良い。もちろん、指示を無視しても勝てる、とかいう方向性だと困っちゃうけど。
「そうねえ」
胸に抱いて、へなったウマ耳を後ろからゆっくり立てる。ライスシャワーについて脅かしたのは私だし、責任は取らないといけない。しかし、ライスシャワーに勝てる、なんてのはお互い嘘でしかないのは解っているはずだ。私達とライスシャワーは現状立場が逆転している。当のライスシャワーがそう思っていなくても、勝つのはライスシャワーで、それに抗うのが私達だ。
ただ、それでも。覚悟で言えばきっとブルボンの方が上だと思える。確信できる。この目があってもなお、爆発力の存在を認識してもなお、ブルボンのこの覚悟が勝敗に寄与すると信じたい。
だって私達は共有しているのだから。三冠を諦めるくらいなら抗って死ぬ方がマシで、脚が折れてでも可能な限り走る。それは絶対だ。
「別に、勝てないと思うならそれで良いんじゃない」
「……マスター」
「そんな不安そうな顔をしないで、ブルボン。だってそうでしょ? あなた、別に自分を信じて走り続けてきたわけじゃないじゃない」
またこっちを見上げるブルボン。心底弱った目で見つめて、私に頬を撫でられてそれを閉じた。半開きの唇が震え、何かを言おうとして吐息に終わった。
「自分を信じられないならそれでも良いわ。それは仕方ない。いつか信じられるように頑張りましょう。でもねブルボン。あなた人生を捧げられるくらい私のことを信じてくれたんじゃないの」
「……はい」
「だったら良いじゃない。今はとりあえずそれで」
足を絡めてさらにくっつく。体が丈夫だから、少しくらい強めに抱き締めたって痛くはないだろう。柔らかくて、その奥に果てしない強さがある。ミホノブルボンは努力の結晶だ。誰が何と言おうと……たとえブルボン自身が違うと言ってもだ。
その信頼を私は持ち続けなければならない。私はブルボンのトレーナーだからだ。三冠の栄誉は知らないけれど、ブルボンの夢だと言うのだから降りる選択肢はない。
「私はブルボンの限界を見ているわ。だから言う通り走りなさい。自分のことを信じていなくても良いから、私のことは信じていて」
「……マスター」
「全部知ってるからね。ブルボンの強さも、頑張ってることも。私は信じてるから。それじゃ足りない? 私に全部を賭けてくれたのよね?」
「…………ライスシャワーの脅威を初めに示したのはマスターです」
「それは……ごめんって。じゃあ一晩中ブルボンのすごさを語ってあげるわ。それで良い? 寝るまでずっと」
「私が即座にシャットダウンできることはマスターもご存じのはずです」
「じゃあお手紙書こうか」
「何枚書くつもりですか」
淡々と私に返しながら、ブルボンからもすり寄ってきた。両足を絡め終えて改めて頬を撫でる。少し安らかになった口角を指でなぞって、ちゃんと笑いかけてあげる。
どうにもならない恐怖から、少しだけ安堵して、深く考えるように目の色が変わる。まっすぐに目を合わせて
しばらく見つめあっているうち、ブルボンがゆっくりと目を開いた。
「マスター」
「ん」
「お休みなさい」
「お休み」
目を睨むように細める。
「脚を放してください。怪我をさせます」
「良いよ」
ぎゅっと離れないようにブルボンの口を塞ぐ。ぴこん、へにゃ、とウマ耳が動いた。スズカと違ってブルボンはここから振りほどくと私を傷つけてしまうかもしれない。私から抜け出せずもがくも、数秒で諦めてしまった。
「また魘されたらすぐに起こしてあげるからね。私が起きなかったら折って起こして」
「できません」
「それくらいの気持ちでいてってことよ」
全部嘘ではないことを教えてあげたい。こんな私だけれど、ブルボンのことを心から大切にして覚悟を決めたのだと伝えたかった。懸けるとはそういうことだと思う。
少しの間解放を待っていたブルボンだったけど、しばらくして諦めたのか私に顔を埋めた。ブルボンからも手を回して、ちょっと痛いくらい力を入れてきた。
「背中も折ります」
「……ふふ。良いよ」
ぽんぽんと頭を撫でて、それから数分。ブルボンは普段からは考えられないほどゆっくりと眠りについた。翌朝、肩は凝ったが足も背中も折れていなかった。
次回菊花賞(予定)。