走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
菊花賞。クラシック三冠レースの最後の一つであり、最難関とも言われるGⅠレースである。
まず、クラシック後期のこのタイミングは、早熟の子も晩成の子もギリギリ本気で戦える短い期間となる。極端に遅い子はシニア数年で開花するし、極端に早熟な子は夏で枯れるけど……一般的にはここが均衡点になる。
そして、クラシック級では初めてとなる3000mの大台であり、地力の高さが問われる。早熟がアドバンテージになる皐月、紛れもあり運が絡むダービーに続き、ある意味では真に実力が問われるといっても過言ではない。
「じゃあその通りに。問題は無いわね、ブルボン」
「はい。目標、許容誤差ともに実現可能です。指示通りの走りをお見せできます」
「よろしい」
スピード、スタミナともに十分。精神的にも非常に安定していることが尻尾とウマ耳で解る。調整は成功、後は本人に頑張ってもらうしかない。
「頑張ってください、先輩!」
「頑張ってね、ブルボンさん」
「ありがとうございます。必ず三冠を達成します」
スピードは圧倒的に勝っている。スタミナは……ライスシャワーの方が上。だが、スピードはともかくスタミナは過剰という概念もある。私がスピードの絶対値を見ることができるから解ることだ。スタミナは不足すれば問題だが、過剰にあってもほとんど意味はない。
分の悪い戦いではない。普段なら必ずブルボンが勝つと断言していただろう。普段なら。相手がライスシャワーでさえなければ。
「ライスシャワーがいつどうやって飛んでくるか、正直解らないわ。スタミナにものを言わせて中盤からロングスパートをかけてくる可能性もあるし、スピードでは勝てないと踏んで最終直線だけに全力で来る可能性もある」
「はい。シミュレーションは万全です。それぞれの対応策もインプットされています」
「よろしい。重要なのは、どういう風に来られても動揺しないことよ。最後まで冷静にね」
「承知しています」
人気はブルボンが圧倒的だ。世論で言えばブルボンが三冠確定と思われている。ライスシャワーはダービーの二着と京都新聞杯の惨敗がちょうど相殺して大きく開いての二番人気。
既に観客席に、三冠を祝う風船の準備等が見えていた。実況もかなりブルボン寄りになっている。三冠確実のブルボンに、ライスシャワーがどれだけ食い付けるか、という方向性だった。
「では、マスター」
「……ん」
ばっと両手を広げるので、二つ返事で受け入れる。鼓動を圧力で止めてしまうくらいに強く力を込めて、気力に満ちた体を抱き締める。勝負服越しに、ブルボンの高い温度が伝わってくる。
「信じてるわ、ブルボン」
「……マスター。勝敗予測をお願いします」
「……そう、ね」
いつもやっていることだ。スズカになら九割勝てると断言してきた。そして、ブルボンにもそう。『何か不測の事態が起きない限り、実力を発揮すれば負けることはない』と言う責任が私にはある。それを信じろと私が言ったのだ。
それは解っていても、ブルボンを信じていると大口を叩いていてもなお、はっきりと言葉にするのは白々しいのではないか、という意識が抜けない。
「……もちろん」
「マスター。正確な分析をお願いします」
「……そうねえ」
全部飲み込んでブルボンの勝ちを告げようとした私を遮って、ブルボンは強い瞳で私を見つめた。後ろからスズカが押すように背中に触れてくれる。
「順当に行けば、ライスシャワーが勝つでしょう」
「私に勝算はどの程度ありますか」
「一割あれば良い方じゃない」
「……そうですか」
一度俯き、ぐっと私の胸に埋めて、それから戻ってくる。押し付けすぎて鼻が少し赤くなってるじゃない。可愛い。赤らんだそこをなぞってそのまま唇まで進むと、ブルボンは私のその右手を包み込んで引く。
「では改めて、私の勝率はどの程度でしょうか」
「え」
何を……と言う前に気付く。そうね、そうよね。ブルボンだって全部解っているはずなのだ。さっきのも、一応聞いてみたかっただけなんだろう。やっぱり、私達が言うべき言葉はこれしかない。
「もちろん、九割ブルボンの勝ちよ。当たり前でしょ。ブルボンが一番強くて、一番頑張っていて、一番信念があるんだから」
「……はい」
おでこをこつんとぶつけて、鼻の頭を合わせて笑う。目が輝いている。誰が何を言おうとブルボンは大丈夫だ。このブルボンが勝てないならもう一生勝てない。今の能力でのブルボンのベストはここだ。
「無敗の三冠ウマ娘、楽しみにしてるわ。あなたが伝説になるのよ、ブルボン」
「はい」
「あなたの力も、頑張りも、それに相応しいだけの名誉が必要よ。物語もある。ライバルもいる。後は勝つだけで良いの。最後まで先頭を走るだけよ。簡単よね? 私の愛バが先頭を譲るところは見たくないわよ」
「……はい。オーダーは必ず達成します。無敗の三冠ウマ娘として、マスターに最高のリザルトを報告します。ご期待ください」
「ん」
頬をくるくるしてブルボンを送り出す。良かった良かった。無事ブルボンをベストな状態で送り出せた。断言できる。ミホノブルボンという存在が生まれて今に至るまで、最も強くなれた可能性は今ここだ。
……ああ、良かった。とりあえず私がするべきことは終わったんだ。あとは結果に……ブルボンの勝ちを喜ぶか、負けて殺されるか、折れて人生を背負うか……責任をとるだけだ。
「はあ」
「お疲れ様です、トレーナーさん」
「ありがとうスズカ……」
後ろに倒れそうになった私をスズカが受け止めて、そのまま長椅子に引っ張る。スズカの腿に転がって、にこにこのスズカに癒される。
細指に耳や頬を弄くられながら深呼吸。後は野となれ山となれ。本当は観客席で叫びたいくらいだけど、どうせ勝つから見なくて良い、という態度を崩したくない。余計な不安をブルボンに与える……ああでも、応援してあげた方が良いのかな。応援したいなあ。
「……で、実際そんなに厳しいの、ブルボン先輩」
「そうねえ……まあここまで来ると、解らないとしか……気持ちの差じゃない」
「気持ちって……」
「最後は大体の勝負でそんなものでしょ、たぶん」
「……それもそうか」
モニターをつける。今日の淀は曇り、稍重。ポツポツだが降り始めている……が、どちらにせよ常にスピードを出し加速力を必要としないブルボンには有利な盤面だ。泥試合は私達の得意とするところ。
来なよ、ライスシャワー。
────
「ライス」
「ブルボンさん」
仔細省略。記録者、ミホノブルボン、本日菊花賞。
マスター達に見送られ控え室からターフに向かう最中、ライスに鉢合わせました。お互いに立ち止まり、横に並んだまま呼び合います。
「私が勝ちます」
「……ライスが勝つよ」
「私です」
「絶対に負けない」
マスターにも認められた通り、現在私のコンディションは過去最高といって差し支えありません。実力も目標値を上回り、あとはライスを越えるだけとなっています。
しかし、それはライスも同様のようで、今日の仕上がりは京都新聞杯の時とは比べ物になりません。オカルトの不存在は当然ですが、それでもなお、その眼光と気迫が立ち上るオーラを感じさせます。ウマ娘として高みにいるとしか形容できません。
これが、ライスシャワーの全力。私が越えるに相応しい名誉。
「良い勝負をしましょう。約束通り」
「うん。良い勝負にする。それでライスが勝つ」
「それでこそです。全力で挑み、私が勝ちます」
「ライスも本気で行く。絶対に負けない。ブルボンさんに、必ず追い付くから」
薄暗いトンネルの通路から、外の明かりが見えてきました。曇天、青空は見えません。最初から最後までスピードを上げる私は、雨が降ってもそう不利にはなりません。その場合の不安材料であるスタミナ不足は既に克服できています。
『さあ、来ました来ました! 本日の主役といっても良いでしょう! これまで無敗! 皐月賞、ダービーに続いて菊花賞で三冠を狙います!』
観客の方々に見えるタイミングで、場内にいつもと同じ実況の方の声が響きます。それと同時に、会場すべてを揺るがすような大音量の歓声。二冠ウマ娘である私に向けられた期待に、身体がびりびりと震えます。
『スプリンターと言われながら、あのエルナトで過酷なトレーニングをこなし少しずつ距離を踏み越える努力の塊! 顔色一つ変えずに無理を可能にする姿はまさにサイボーグ! 今日は初めての3000mですが、彼女なら必ず走破してくれると誰もが確信しています!』
「ではライス、先に行きます」
「うん……あの、ブルボンさん」
「はい」
影から出る瞬間、ライスが私を引き留めるように腰のユニットを掴みました。
「ライス、頑張るから。どっちが勝っても良い勝負に……悔いの無いように、約束」
「……はい」
決意と覚悟に満ちた瞳。私も彼女の腕を掴み、握手の形に変え、引き寄せて顔を突き合わせます。
「この
「……うん。ライスも全力で差し切る。逃げてよ、ブルボンさん」
私が笑いかけると、ライスもくっと笑いました。私は本当に幸運です。支えてくれる両親、すべて理解してくれるマスター、そして同じ覚悟で並んでくれるライス。
……いえ、覚悟は私の方が上と断言しましょう。
『本日も断トツ一番人気! チームエルナトの超特急──―』
私の身体はそのすべて、誰かの信念でできているのですから。
『────ミホノブルボン!!』
────
今日の菊花賞は重バ場、パワーとスタミナが要求される状態です。
ライスはどちらかと言えばスピードには自信がなく、一瞬の瞬発力も無い方だと思います。その代わり、スタミナには少しだけ自信がありました。
『さあミホノブルボン現在二番手、かなりのハイペースで先頭を奪おうとしています』
そのライスがブルボンさんに勝つためにはどうすれば良いか。トップスピード勝負ではたぶん勝てません。どんなに頑張ってもスピードだけはある程度以上は限界があります。
ライスの武器はスタミナです。ブルボンさんの強さはスピードと根性にあると思います。勝つためにそれをちゃんと受け入れて、それで勝つには。
『二番人気ライスシャワーは中団先頭、良い位置です。こちらも掛かり気味でしょうか。前二人のハイペースに比べバ群が短くなっています。これは恐ろしい消耗戦が始まっています! まだ正面スタンド!』
レース全てをハイペースにして、ブルボンさんに末脚を残させないのが一つ。そして、早くから仕掛けて最終直線で並ばずに抜き去ること。
ブルボンさんがスパートの加速を終える前に前に出て、ブルボンさんが粘る形に持ち込まないこと。そのために、序盤はブルボンさんの後ろにぴったり付くよりも、ライスの位置取りに拘ることにしました。
『さあペースが安定しませんミホノブルボン、大丈夫か! 先頭との差が縮まっています! パドックでの溢れるばかりの気力が悪く出てしまっているか!』
違う。ブルボンさんはそう簡単に崩れてくれない。ペースが乱れているのはむしろボーガンさんの方で、ブルボンさんはずっと同じペースで走っている。私には解ります。ずっとブルボンさんだけを見てきたから。
絶対にブルボンさんは自分のペースで走る。そしてそのペースは、ブルボンさんのことを世界で一番理解しているトレーナーさんが指定した、『ブルボンさんがぴったり走りきれるギリギリの速度』。それでもきっとこのペースは──たぶん、いえ間違いなく、一瞬でも掛かればそれで終わってしまうほどギリギリの設定のはず。
向こう正面に入り、直線で少しペースを落とします。坂の様子は一回目で掴んでいますし、問題はありません。ライスならいける。早めに勝負をかけないと勝てない。だから、この坂から加速を始めます。
「っ……!」
後ろのタンホイザさんが息を飲むのが聞こえます。ライスだって解っています。これは早すぎる。
……でも、ライスはライスのことを解っているし、それ以上にブルボンさんのことを解っています。コーナーから、最終直線からでは勝てない。並んではいけない。上り坂で追い付いて、下り坂で突き放す──最終コーナーではライスが前にいるように。
『う、動いた! ライスシャワーが動きました! 差を詰めている! これは仕掛けたか!? しかしこれも早すぎる、焦ったかライスシャワー!』
ブルボンさんの背中が近付いてきます。ライスの前に遮る子はいません。坂路は何度も何度も走っています。楽は求めません。とにかく踏み込んで、一秒でも早くこのズブい脚をトップスピードに乗せないと。
ブルボンさんの足音が聞こえるまで近付いて、斜め後ろからさらに伸ばします。上り坂を強引に進んで、上りきる頃にはブルボンさんの隣に立っていました。
ブルボンさんの表情はよく見えません。でもきっと、気付いているはず。ライスの仕掛け方と、それがどういう意味なのか。ライスの方がスピードがついています。ここから突き放して、そのまま勝つ。
見ててブルボンさん。ライスが勝つよ。ブルボンさんに応えてみせる。ライスに抜かれてもなお決してペースを崩さないブルボンさんを置いて、ライスは叫びながら下り坂を全力で駆け抜けていきました。