走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「トレーナーさん、見てくださいこれ。凄いですよこのシューズ」
「どれどれ」
ある日。スズカが目をきらきらさせて私にくっついてきた。差し出されたスマホの画面に、新発売らしいシューズが大々的に載せられていた。スズカがよく推している会社のものだ。
「重量が1%減、なんとグリップは5%増でソールが同じという素晴らしいものです」
「1%……?」
「これは大きいですよ。流石です。利益を全部捨てて新商品ばかり作っている会社は違いますね」
「それは会社としてはどうなの?」
スズカは走ることジャンキーではあるが、それと同時にトレーニング用品……ちょっと語弊があるな。ランニング用品マニアでもある。シューズとかタオルとか、変わったところではサングラスとかイヤーキャップなんかも。
走るための道具については道具そのものや関連知識、会社情報まで詳しい。就活でもしているのかってくらい詳しい。もしサイレンススズカという名前だけで生きていけなくても、たぶんそういう会社に入れる。まあ大丈夫だろうし、私なり夫なりが養えば良いんだけど。
「最近失敗続きだったんですよ本当に。これで売れればまたほんのちょっと余裕ができます。半年くらい」
「経営がギリギリすぎる……」
「お金持ちが趣味でやってるらしいですよ」
まあ良いものは買わないと、とポチるスズカ。ついでにいくつか買い込んでいる。相変わらずランニング用品については財布の紐がゆるゆるになる子だ。買い支えたいんですと言うのでスズカの財布から出すことにする。
結構な額を買って満足したのかウマッターを開き返信を始めるスズカ。あれから数日、まだ日本のトレンドはスペシャルウィークだ。世界相手に堂々レコード勝ち、しかもそのレコードはスズカが作ったもの……流石にこれは沸かなきゃおかしい。スズカに対しても、スペシャルウィークとのことを聞くリプライが増えてきた。
「最近またリプライが増えてない?」
「増えてますね……そろそろ面倒だから全部無視しようかなって」
「全無視はやめてあげて?」
「でも返すことなくて……スペちゃんをどう思うも何も、正直に答えるわけにもいかないし……もうっ」
スマホを放り投げるスズカ。やることが無くなったようで、んー、と私の肩にすり寄ってきた。手を伸ばして首筋を擽る。んふふ、と小さく笑った。
「トレーナーさーん……走りたいです……」
「あなたこの後の予定を忘れたの」
「覚えてますけど……ちょこっとだけ」
「あと一時間もしたら出発よ。スズカが三十分で帰ってくるって約束できるなら許すわ」
「……むぐ」
もちろんそんなことは不可能なので、何も言えずぐっと背筋を伸ばして私の頬にぶつかってくるスズカ。ぴこぴこと揺れるウマ耳がくすぐったい。少し向いてふっと息を吹き掛けると、わぁ、と仰け反ってからその勢いで私の脚に倒れ込む。
この後何があるかと言えば、スズカの撮影である。とある企業のCMの。あんまり無いことではあるが、何とスポーツ用品のメーカーからのオファーだった。謹慎中の私だが先約は先約なので仕事しても良いらしい。
「でも撮影って勝負服ですよね……そんなの走らないと服に失礼です」
「お仕事よスズカ」
「むむむむ」
肩から尻尾までぎゅっと力が詰まった身体を撫でる。腰辺りに指を突き立てると、んく、と喘いで尻尾を思い切り立てた。
「何するんですか」
拗ねたように言いこっちに向くスズカの鼻先を爪で掠める。すぐに手を取られ弄ばれ始めたので、問題なくスタジオ入りできます、と連絡を入れつつ一応新入生の情報なんかを見ることにしたのだった。
────
「私も来て良かったんですか?」
「事前に言ってあるもの。スカーレットもそのうち来るかもよ、こういう話が」
「自信持ちすぎじゃないですか?」
「そりゃあトリプルティアラウマ娘には来るでしょ」
ぐう……と顔を押さえてそっぽを向いたスカーレットは放っておいて。諸々の話を終えて、一応メイクもしたスズカが勝負服でスタジオに入ってきた。
「トレーナーさん」
「あら綺麗。一割増しくらい」
「あんまり変わってませんね?」
「元が可愛いからね」
ありがとうございます、と待機の椅子に座るスズカ。スタジオ……というか撮影用の民家の玄関が今回の撮影場所になる。ヘアセットもちゃんとプロがやっている都合上触れられないので、隣にしゃがむだけにしておく。
PRするのはシューズ。走りに行こうとするスズカがドアを開けたあたりで気付き、新製品のシューズに履き替えて出ていく、というのが撮影部分。あとは録音だ。
まあ、普段のランニングを勝負服ではやらんでしょとは思うけど。いやたまにいるけどね? 勝負服を貰ってウキウキでそのまま走る子も。何ならスズカもそのタイプだし。
「走りたくなってきました……今走りに行ったら怒られますかね?」
「そりゃそうでしょ」
「んんん……トレーナーさーん……」
「すり寄らないで髪が乱れるわよ」
「でも我慢できないですよ」
「ほら寄りかからないの」
顔や頭には触れられないので喉を擦る。スタジオは慌ただしく動き回っていて私達をちゃんと見ているのは私達担当らしい女性社員のみ。まあ触れるくらいしたって良いだろう。
「あの、サイレンススズカさん」
「んー……あ、はい」
「……その、ファンです。応援してます」
「はい、ありがとうございます。頑張りますね」
「サインとか貰っても良いですか……?」
その女性社員もファンだし。スズカほどのウマ娘はトップアイドルにも等しいから、そりゃこうなる。芸能事務所の人とかは線引きしてたりするけど一般の人だからね色紙代わりの名刺にサインを書くスズカ。といってもスズカ本人が凝り性でもないので、崩し字にちょっと飾りがあるだけのものだけど。
「あの、ら、来年走られるんですよね……?」
「はい、まあ」
「良かった、あの、宝塚記念、どうしても仕事でリアタイできなくて、せめてラストランはレース場で見たいと思ってて」
「ごめんなさい。じゃあ是非見に来てくださいね。ちゃんと勝ちますから」
「あ、ありがとうございます、絶対に一番高い投票券買うので!」
「ふふ。期待していてくださいね」
隣に立つ私の足を尻尾で叩きつつも、ファン対応はしっかりやるスズカ。いくら走りたくて心がぱんぱんでもこういうのはちゃんとやらないとね。たぶん向こうもこういうお喋りができる前提で配置してるだろうし、何ならそれが仕事の一貫まであるかもしれないし。
「サイレンススズカさん、お願いします!」
「あ、ではよろしくお願いします。サイン、ありがとうございました」
「いえ。これからもよろしくお願いしますね」
今日のスズカは結構真面目だ。やっぱり外のお仕事というのは大きい。これもスズカの大事な収入源だし。もちろんレースを除けば私ほどじゃないけど、税金の色々を考えるとなかなか貰っている。
しかしいずれは私から離れていくのだから、将来のことを考えるのは良いことだ。まあ考えた結果家を共同名義にしようとか言われたけど。ぜっっっったいに家の名義は単名にするし、結婚する時は売るから。スズカのために家も用意できない男なんかお母さん認めませんよ。
「何変な顔してるんですか」
「……してた?」
「はい。バカなことを考えていそうな目でした」
「神妙とか言い方あるでしょ」
「いやバカな顔でした」
やけに冷たいスカーレット。玄関の方でスズカがカメラを回されていた。普通のシューズで外に出ていこうとするシーン、何かに気付いて戻ってくるシーン、靴箱を開ける中からの視点、そして靴紐を結ぶ指先。うわあ可愛い。びっくりした。これは宣伝効果◎。
「様になってますね……今まで完成したのしか見たことなかったですけど」
「もう三回目だからねえ。まあスズカの場合は最初からこなれてたけど」
「やっぱり自然体って大事なんですね……」
「あなたはちょっと固い方が良……なんで腕を掴むの」
「公衆の面前で撫でようとしたからです」
手首が折れそうになったので撫でるのはやめる。スズカの方に目を向けると、何度かのリテイクとともに順調に撮影を進め、どうやら最後のシーンになったらしい。すぐさま撮影場所まで行って、少しスズカを引っ込めさせてもらう。
「何かありましたか?」
「いえ、少し、内々の話でして。ごめんスズカ、ちょっと」
「……はい」
そのまま更衣室代わりの部屋に入り、鍵をかけて部屋の奥へ。立ち竦むスズカの肩に手を置いて目を見る。
「トレーナーさん……」
「……スズカ」
震えた声で私を呼ぶスズカ。潤んだ瞳が私を少し見上げ、そっと私の胸に手を当てた。まだ何もしていないのに完全に火がついたその瞳を見て、私は吸い寄せられるかのように顔を寄せる。
CM最後のシーン。それは、背景は合成といえど外で走るスズカのフォームに注釈が入り、シューズのアピールをするというものだ。音声はプロの声優さんだかナレーターさんだか。とりあえずスズカはただ走れば良い。
「トレーナーさん……やっぱり今からでも変更してもらいましょう。広い草原を好きに走るシーンに差し替えませんか」
「無理に決まってるでしょ。はい深呼吸。大丈夫よスズカ」
「ふー……ふぅぅー……」
スズカの一番嫌いなこと。それはゆっくり走ることである。もちろん常にじゃない。たらふく走って満足しているときに限っては私のランニングの隣で走ることはできる。
ただまあ、それはそれとしてゆっくり走るのは苦痛らしい。当たり前といえば当たり前というか、スズカが走るのが好きなのは誰もいない景色と風を切る感覚と、要するに圧倒的なスピードがあってこその理由だ。だから、それが無いランニングは本質的に全部ゴミということになる。
「よしよし。もうちょっとだから頑張ろうね。終わったら走っても良いからね」
「むり……むりです」
「打ち合わせの時は我慢できるって言ってたじゃない」
「着たら全然無理でした……」
まだ走る準備もしていないのに既に鼓動が加速している。スイッチオンが早すぎるのよね。真剣に、服を着た瞬間からどんどんボルテージが上がっている可能性すらある。
背中をぽんぽん叩いて何とか落ち着かせて、既にぎらついている目を合わせて綺麗に伸びた睫毛を爪で沿って触れる。睫毛は自前なので触れても平気。少しずつ目が丸くなっていくスズカ。
「もう平気?」
「もうちょっと……」
「ダメよ。待たせてるんだから」
「んんぅ」
スズカからの接触でも顔なり髪なりが乱れてしまうのでくっつくわけにもいかず、少しテンションが落ちてしまった。まあこれくらいがちょうど良いだろう。首筋をつーっとなぞって、くすぐったくて少し笑顔になったスズカの肩を軽く叩く。
「よし、行っておいで」
「ぁぃ……」
重ね重ねの説得と仕事への責任感で縛られたスズカは無事CM撮影を完遂した……が、反動で鬼のように食べたし鬼のように走った。なお、CMが放映された時。
『速さの向こう側。異次元まで』
「……縁起の悪いキャッチコピーだこと」
「ですねえ」
「スズカさん、この製品は使っていないようですが」
「人間用だから……」
「アフレコ上手すぎません?」
「年がら年中演技してるみたいなものだからねこの子。あなたと一緒よ」
「は?」
は? じゃないが。