走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「トレーナーさんどうしたんですか?」
「動けないって。体調が悪いみたい」
「あー……どうします? 病院とか?」
「ううん。それは平気。ただちょっと色々あるだけだって」
十二月二十五日、日曜日。記録者、ミホノブルボン。本日、有マ記念及びエルナトのクリスマスパーティー。
エルナトのなかではスカーレットさんが最も早く目覚めます。多少の無理をして早く起きているらしく、誰もいない段階で身支度を済ませるためだそうです。マスターが作業内容により五時から六時、私は必ず七時起床、スズカさんは朝食ができる少し前です。
全員寝過ごすことはほとんどありませんので、本日も通常通り七時にリビングに来ましたがマスターが不在。その後起きてきたスズカさんに事情を聴いたところ、証言が返ってきました。
「重篤度によってはマスターの意思に関わらず通院させるべきです」
「たぶん大丈夫だと思うわ。何日も続いたら病院だろうけど」
「どんな症状なんです?」
「寝違えと風邪と生理が同時に来てるって」
「思ったより地獄……!」
今すぐ通院させるべきでは? 引きずってでも。
「あと昨日高いもの食べたからお腹がびっくりして下ってるって」
「それは……ちょっと面白いですね。呟こうかな」
しかし、マスターが不在となると本日の予定はいくつか変更しなければなりません。中山レース場まで車を運転できませんし、買い出しも不可能です。そもそも夜にパーティーをすることもできません。治ってからとなるでしょう。
ライスの有マ記念は是非現地で応援したいのですが……仕方がありません。走りましょう。一時間から二時間で到着するはずです。
「じゃあパーティーは延期ですかね。有マはどうします?」
「私は行きます。ライスの応援がありますので」
「私も……スペちゃんの応援もしたいし……」
「あー……じゃあとりあえず中山行きます?」
「そうねえ……トレーナーさん、置いていって大丈夫かしら……聞いてくるわね」
マスターを放置する許可をとり、走って中山に行く許可もいただきました。流石のマスターも、電車で行くようには言わないようです。負い目でしょうか。
「ううん。外にトレーナーさん無しで出たら私が我慢できないからだと思う」
「なんてこと自慢げに言ってるんですか?」
「ところでスズカさん。シャワーのあてはありますか」
「レース場の近くに銭湯があるわ」
「詳しい……」
そうして話しながらも、スズカさんは既にランニングウェアに着替え始めています。レースは夕方ですし、応援に行くにしてもまだ早すぎますが、やはりスズカさんにはそんなことは関係無いようです。
「もう一つ、スズカさん」
「どうしたの? あ、連絡はスカーレットさんにしてもらってね。二人ならちょうど良いでしょ?」
「いえ、私の方が速いのでちょうど良くはありません」
「は?」
「……失礼。そうではなく」
言語発声エラー。スカーレットさんを怒らせると怖いので気を付けましょう。マスターもよく言っていますが、エルナトが行動する時はどうしてもスカーレットさんが権限を持ちます。スズカさんは走ること以外に興味がなく、私は主体的に行動するには制限が多く、マスターは私達のことしか考えていませんから、意見を出すのも決定するのもスカーレットさんです。権力者に逆らうべきではありません。
……とはいえ、
「マスターの許可は中山レース場に向かう部分のみで、その他は含まれていないのではないでしょうか」
「……ん、ブルボンさん。確かにそうね。だから中山まで走るのよ」
「では出発は一時から二時で良いはずです」
「ああ、これは別に着てるだけよ。出発はそれくらいで良いと思うわ」
「え……てっきり中山まで迷うかもしれないから朝から走るとか言うと思ったんですけど」
「私のこと、何だと思ってるの?」
宣言通り、着替えを終えた段階でスズカさんは座り直し、はあ、とゆっくり倒れ込みました。会話ログ参照。確かにスズカさんは、マスターが病床であれば走らないと言っていました。
なるほど、今なら理解できます。マスターとスズカさんのやり取りは愛情表現の一つですし、マスターが倒れているという負い目が発生した時点で、許可無く走ってもそれについて注意を受けることはないでしょう。
……つまり、スズカさんの中で、マスターとの関係は走ることよりも優先順位が高いということでしょうか。いえ、それは早計かもしれません。可能性の話であって、もし本当にそうだとすればこれは革命的な真実です。
「ではスズカさん。一緒に今から中山まで走りませんか」
「ブルボンさんがそう言うならしょうがないわね後輩のためだものお願いは聞いてあげないとねさあ行きましょうブルボンさん思いっきり飛ばすから付いてこなくても良いわよ」
「嘘です」
「は……?」
証明終了。やはりスズカさんはスズカさんでいたたたたた。頬に痛み。つねられています。脱出不可能です。
「からかっちゃダメよ。今ギリギリで耐えてるんだから」
「すうぃわへん」
「まったくもう……」
解放……冷却の必要あり。冷蔵庫から適当なペットボトルを取り出します。
「あれですね、スズカさんってただのジャンキーじゃないんですね」
「今我慢しなかったらただのジャンキーだと思われてたの……?」
「普段の行いを省みてもらえますか」
「どうしてそういうこと言うの……?」
────
「お待たせしました」
「あ、ブルボンさん。ちゃんと買えた?」
「買えました。スズカさんの分はこちらです」
時は経ち、午後三時半。有マ記念出走まであと一時間です。無事中山レース場に来た私達は、エルナトの名前でとった待機室にいました。予約確認のため電話で起こしたマスターは非常に苦しんでいる様子でしたが、とりあえず下痢は収まったようです。
私はスカーレットさんを連れ、投票券を買いに行きました。私はもちろん最高ランクの投票券を三枚、全て単勝:ライスシャワーです。スズカさんも同じく単勝:スペシャルウィークを三枚。スカーレットさんは特にこだわりが無かったようで購入はしませんでしたが、熱心に新聞を読んでいます。
「事前評価はスペ先輩とグラス先輩の二強ですね」
「まあ、そうよね……スペちゃん、ジャパンカップも凄かったし」
「一番人気はグラス先輩ですけど、かなり僅差ですね」
「勝ってないものね」
下バ評としては完全に二強、これまで直接対決では全敗している分でグラスワンダーさんが上の評価を得ています。ライスは……三番人気。素晴らしい。このレースにおいて一番、二番人気はほぼ決まっていたようなものですから、実質的に一番人気とも言えるでしょう。流石はライスです。ふふ。
スペシャルウィークさん、ライス両名ともにレース前の激励は断ったのでそのまま待機です。レース観戦時は下に行く……予定ですが、流石に有マ記念ともなると人の多さから身の危険すら感じます。ここで観戦でしょうか。
「どうなると思います?」
「ん? んー……まあ、もちろん私はスペちゃんを応援するけど、そうね……正直解らないのよね。トレーナーさん、前はグラスさんだけを警戒してたのよ。私に勝てるかもって。でも、スペちゃんにもそんなこと言い出して。酷いわよね。私が負けるわけ無いのに」
「こわ……」
「でも……確か、そうね、実力で言えばグラスさんの方が上……だったかな? あんまりよく覚えてないけれど」
ライスは勝てるでしょうか。マスター曰く、ライスシャワーは『ただの一流』であって、スズカさんのような……すなわち、GⅠも構わず勝ち切るような一部の傑物ではない、そうです。正直あまり実感はありませんが、マスターが言うならそうなのでしょう。
しかし、ライスには特定の場面で目を見張る力を発揮することがあります。それがもしこのレースで発揮されたなら。爆発力を発揮したライスは私をも凌ぐ実力を発揮します。大いに期待できます。
「どちらにせよ、最近の二人は調子良さそうだったし。たぶん悔いなく走れると思うわ」
「何よりです。ライスも同じくですから、きっと一着争いでしょう」
菊花賞から十分な休養をとっているはずですし、トレーニングも問題なく行っています。流石に菊花賞前のあの身を削るトレーニングはしていないと思いますが、それでもライスの普通とは一般から見たスパルタです。ある種ではエルナトと同じように。
「飲み物とか買う?」
「良いですね。私行きますよ」
「でも投票券も買わせちゃったし……じゃんけんにしない? そろそろ私、ちょっとは足を動かさないと死んじゃうから」
「あ……良いですよ。スズカさんが行っても」
「そう? ありがとう。じゃあ私が行くわね。確かレース場を出たところにスーパーがあったわよね」
「……レースまでには帰ってきてくださいね?」
良い成績を残すでしょう。ペンライトの用意をすることとします。
────
「……ライス」
「……ブルボンさん」
今日は、有マ記念でした。ライスも投票で選んでもらえたので、せっかくだから出ることにしました。菊花賞でちょっと無茶をしたせいで、お医者さんにはしばらく休んだ方が良いって言われたんだけど……せっかくだから。ブルボンさんが出られなかった、っていうのもあるけど。
それで、一生懸命走ったんだけど……結果は三着。一着はまだスペシャルウィークさんとグラスワンダーさんのどちらか発表されていないけど、どちらにせよかなり差をつけられてしまいました。
控え室に戻ろうとすると、私服のブルボンさん。レース前は集中のために応援を断っていたので、何となく久しぶりなような気がします。
「称賛するべきか、慰めるべきか、解りませんが」
「うーん……ふふ、そうだよね……えへへ。負けちゃった、ブルボンさん」
「……はい。惜しかったです、ライス」
何を言うべきか迷いつつ、でもとりあえず来てしまった……そんな様子のブルボンさんが可愛くて、つい頬が緩みます。少し笑って歩き出すと、そのまま付いてきてくれました。
今日の結果は……うん。悔しい。本当に、悔しい。泣きそうなくらい悔しいです。全然勝負にならなかった。でも、良かった。ライス、ちゃんと悔しいって思えています。
「ごめんね、ブルボンさん。ブルボンさんの分まで頑張ったんだけど……」
「いいえ。素晴らしい走りでした。やはりライスは強いウマ娘です。きっと次は勝てます。私のことを気にする必要はありません」
ほんの少しだけ、心配になることもありました。だけど、ジャパンカップを見て、今日の走りをして、それで、レースに勝ちたいと思えます。
「うん……そうだと良いなあ」
もっともっと強くなって、それで、いつか勝ちたい。トゥインクルシリーズでもあの二人はもう一度走るはずだし、ドリームリーグだってあります。負けたくない。みんなと一緒に、行けるところまで行ってみたい。
負けているのに少し笑ってしまうライスを、ブルボンさんは頻りに覗き込みます。おかしくなったとか思ってそう。ブルボンさんってそういうの全然解らない人だし。
「本当に気にしていませんか?」
「え、うん。本当に気にしてないよ。負けて悔しいだけ」
「それなら良いのですが……ライスの精神は不安定なので心配です」
ほら、やっぱり。というかライスってそういう風に思われてたんだ。ショック。言っておくけど絶対ブルボンさんの方が不安定だからね。
「大丈夫。次は勝つよ。越えなきゃいけない。みんなを」
「……ええ。一緒に勝ちましょう、ライス」
「ブルボンさんにも勝つから」
「はい。かかってきなさい。そう簡単に勝てると思わないことです」
「うん」
控え室の中にも普通に入ってくるブルボンさん。冷蔵庫のドリンクをとって、うちわで扇いでくれました。真冬とはいえ走った後はかなり熱くなっているし、気持ちいいな……。
「ちなみにライス、ライスならセンター、悪くても掲示板だと思いまして、こちらを作ってあります」
「え? なになに……何? それ」
「ファンサービスを求めるうちわです。スマートファルコンさんからノウハウを得ましたので……事前に聞いておこうかと。どれが良いですか」
「いや……どれも嫌だなあ……!」
ブルボンさんが出したうちわに、派手派手な飾りつけで色々書いてあります。
投げキッス、ウインク、ターン、指ハート、色んなジェスチャーを求めるもの、とたくさんある……いやあの、全然、良いんだけど、ちょっとライスにはハードルが高いかなって……
「おすすめは投げキッスです。ライスの場合、ウインクをすると両目が塞がりますから」
「いや……まあ確かにいつも隠れちゃってるけど。踊ってたら見えるよ、片目」
「そもそも、最も魅力が伝わるのは投げキッスではないですか?」
「ライスドキドキして死んじゃうよ」
「そうですか……ではデフォルトのファンサうちわにします」
「うん、そうしてくれると助かるかな……」
解ってくれた……でも、ちょっと興味あるかも。有マ記念って物凄い人が来てくれるよね……ら、ライスのファンの人ってどんな感じなのかな……どこか振り付けに入れられたりしないかな……?
決意の刃。ライスはネットを見なかったのでとても前向き。
これでしばらくイベントがないので、エルナトがアクセルを踏み込めます。