走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「嫌です……無理です……」
「そう言わないで。あともうちょっと力緩めて。折れちゃうから」
「背骨より大切なことです」
「脊椎より大事にするべきものはこの世に無いと思うわ」
ある日、エルナトのトレーナールーム。今日は午後から稀に見る土砂降りで、外でのトレーニングは不可能な状態だった。小雨ならそういう練習として扱えるが、いくら何でもこの雨で練習はやり過ぎている。本番なら受け入れないといけないけど。
一月の重賞に向けて冬休みを返上するウマ娘もトレーナーもおらず、朝晴れているうちに来た私とスズカは部屋に取り残されている。お仕事は一段落したのでいつ帰っても良いんだけど、傘をさしてもどうにもならなさそうだし。
まあ、天気なんか今はどうでも良い。本当にヤバいのはスズカだ。私に抱き付いたままかれこれ一時間近く動かなくなってしまった。そして繰り出されるベアハッグ。私は死ぬしかない。
「仕方無いことでしょう? 子供みたいなこと言ってないで受け入れなさい」
「こんな理不尽を受け入れるくらいなら永遠に子供で良いです」
「天気とは往々にして理不尽なものなのよ」
「まだ解りません……!」
「何が?」
こうなったのも全部大雨のせいだ。いまだスズカの雨天中止のラインは解らないが、豪雨だと流石に走るのは取り止める。いや正確には走りに行くんだろうけど、ギリギリ私の心配を優先してくれる。
だが、今日は少しだけ事情が多い。何とこの度、スズカにテレビの取材がつくことになった。それも密着ドキュメンタリーである。
まだ誰もはっきりとは言っていないものの、スズカと黄金世代の最終決戦は宝塚記念だろう、というのがほぼ全国民の共通理解になっている。何なら以前、『#かかってこいモンジュー』がトレンドに入っていた。普通に失礼なので本人には届かないで欲しい。
それに合わせ、事前特集が大量に組まれることになった。それらはもちろん宝塚記念より少し前に放映され、撮影はさらにその前。あんまりたくさんの子が映ると面倒とのことでこのタイミングになった。
が、当然これはスズカにとって大ダメージである。数日間カメラに晒され続けるというのがそもそもストレスであり、それに加えてスズカの場合は普段通りに過ごすわけにいかない。
当然だが私との過度な接触は禁止。普通に不適切だから。そしてトレーニングをしていないかのような態度も禁止。普通に不適切だから。さらに過度に走るのも禁止。普通に不適切だから。
……不適切だらけじゃん。自主規制が多すぎる。
「私が走っていないから雨が降っているのかもしれません。勝負服を着て走ってきます」
「祈っても晴れないわよ」
「やってみなければ解りません。勝負服を出してください」
まあ、正直過度な接触は一億歩譲ってあってもいい。が、過度なランニングは本当に不味い。何が不味いって、前者は真似されてもトレーナー側が変な気を起こさなければ良い話だが、後者が真似されると脚を痛めるウマ娘が出る。それはいけない。
「巫女じゃないんだから祈って天気が変わるわけないでしょ」
「じゃあフクキタルから巫女服を借りてきます」
「もう本人連れてきた方が早いでしょ。神社の娘でしょ? あの子」
「今呼びます」
「この雨の中そんなことのために……?」
というわけで取材中は勝手に走るのを禁止するので、代わりにしばらく走っても良いことにした。そして今日がその初日である。取材の資料を読み終えたら走りに行っても良いよと言ったら、読んでいる間に豪雨となった。
当然走る機会を失ったスズカは暴走。理性を失いそうになったところを何とか宥めて抱き締めたら反撃を受けているのが今だ。
「こら。本当に電話をかけようとしないの。可哀想でしょ」
「可哀想じゃないです」
「いや流石に可哀想よこれは」
「でもフクキタルは開運に繋がるなら何でもするんですよ。この間は数時間私を撫で続けていました」
ははーん。さてはバカだな? 受け入れるあなたも。
「だとしてもこの雨で呼び出すのは人の心が無いのよ」
「でも今走れないとウマ娘として終わるんですよ」
「終わらないわよ」
「見てください。終わりそうですよ」
ベアハッグを解いて脚を上げ、見せ付けてくるスズカ。靴と靴下を脱いで、足の甲でぺしぺしと私の頬を叩いてくる。横抱きで頭を支えつつ、お返しに尖った唇ごとほっぺたを掴む。
「解らないわ」
「私の脚が……今走らないとダメになると言っています。これは私の意思ではありません。医学です医学」
「そんなスピリチュアルな医学は無いわ」
タコみたいな口になりつつ文句が止まらないスズカ。足の爪が頬に当たりそうで怖い。傷はやめてね傷は。いくらスズカにつけられたものでも顔はダメよ。
取材を断れば良かったと思いつつ、トレセン側からもこの一大ムーブに乗りたい、もちろんウマ娘の意思を尊重するが、というのを遠回しに言われている。言えば尊重してくれるのは間違いないが、それでもまあ、正直断りづらいのも事実だ。
「『サイレンススズカ』が言ってるんですよ。もっと走れって」
「勝手にサイレンススズカを代弁しないで。どこかのサイレンススズカもいい迷惑よ」
「そんなはずありません。走るしかない。私は常にそう思ってます。きっとどこかのサイレンススズカも思っています」
「主語が大きい……うわっ」
ヘッドシザースに私を捕えるスズカ。靴。靴脱いで。上履きとはいえ汚いって。
「走りますーっ」
「痛い痛い痛い痛いスズカ首はダメマジで体重かかってるって」
私の頭を挟んだまま腹筋で起き上がるスズカ。スズカの全体重がかかり無理やり腰を折らされる私。完全に起き上がると、表裏逆肩車で私の肩に腰掛ける。今日は随分とアクロバティックね。前を向くと息ができないので上を向いた私のおでこをぺちんぺちん叩き始める。
「もう一度よく考えてください。走ります。全国ネットでトレーナーさんにちゅーしますよ」
「脅しがあまりにも怖すぎる……カットよそんなもの」
「私が流出させます」
「なーにを言っているのかね君は」
その体勢のままソファにスズカを叩き付ける。すると、首から脚を外し、今度は私の腰に回してきた。
「練習しますか」
「待っ……」
ぐっと身体を引かれスズカの顔ギリギリまで行ってしまう。顔良。長い睫と大きな瞳、少し微笑んだ唇、鼻先がくっついて吐息がかかる。喉から出る「んー」という妖しい声。ちか、かわ、すき、あ、ぅ、あっ。
「良いんですか? もう私の掌の上です」
手をついて抗おうとするが、もちろん無理。スズカの手が私の顎にかかる。くすくす笑いながら、踵で私の背中をとんとんと叩く。いつでも何でもできるんだぞ、という余裕を感じる。
……が、残念ながら私はトレーナー。ウマ娘に負けるようではやっていけないのだ。私はスズカのことを世界で一番知っているし、スズカが強引に来たときのこともちゃんと考えている。対策をね? 対策をよ?
「それはどうかな」
「む……ひゃっ!?」
スズカの制服に手を入れて擽りを開始。どこが効くのか、私は全て解っています。手を沿わせた瞬間から笑い始めるスズカ。
「んふ、ふふっ、ふへははふっ」
「放さないと笑い死ぬまでやるわよ」
「ずる、ず、ふひふはははっ」
「うわっ!」
ふふふ。私の勝ち。スズカの癖に私に勝とうというのがおかしい。スズカは私には勝てない運命だ。顔が良いからって調子に乗らないでよね。
────
「んあ……ぅ……」
ただ、まあ結局、今スズカが走りに行けないのは私が禁止したからではなく雨がやまないから。私に言われてもどうにもならない。ひとしきり騒いだあとやっと大人しくなったスズカが私の腕の中で座りながら、新入生のデータを眺めている。
「興味あるの?」
「んー……別に、無いですけど」
後ろからスズカの髪型を変えて遊ぶ私。まだまだ雨はやみそうにない。ゴムやらピン、櫛からドライヤーまでこの部屋には揃っている。うちの子は三人とも髪が長いし、私もそれなりなのでヘアセットはほぼ趣味になった。
「もうスカウトしないんですよね?」
「ん……まあ、しないかな……」
「良いですよ? 別にしても」
「そうは言ってもね……できないわよ、今更」
芝CダートG、芝FダートD、芝BダートD……やっぱりダメだ。こんなこと思っちゃいけないんだけどね、トレーナーとしては。一番大切なのは才能だわ。ブルボンだってそう。本人はああ言ってるけど、芝A中長距離Aが既に特別な才能なんだから。
「一人くらいマトモな後輩がいても良いと思うんですよね」
「それはあなたがマトモなら言って良いんだけどね」
「二人よりマシじゃないですか?」
「そうね……五十歩百歩かな」
「む。私はもっと先にいますよ」
「じゃああなたが一番ダメなんじゃない」
後ろに進んでるじゃない。後ろだろうと何だろうと先に進んでるから良いんです。そう。
「あらこの子良いわね。才能あるかも」
と、どうでも良いことを話しつつふと見つけた芝BダートC。中長距離だからダートは限られるけど、適性は非常によろしい。マウスを持つスズカの手をとってくるくると囲むと、むっとしたスズカが上を向いてきた。
「何ですか? 浮気ですか?」
「あなたは一体どうしたいの」
「何かこう、良い感じにしてください。私はいつでも走りに行って良いんですよ。でも濡れた私を拭くトレーナーさんが大変だと思うので走っていないだけです。とにかく私を喜ばせてください」
「私はスズカの世界一速い走りが大好きよ」
「みゅ」
ちょろかわ。
「しょうがないですね」
「んー」
「んーっ」
私の手をとりスリスリとほっぺに押し付けるスズカ。ご機嫌になって私に思いきり寄り掛かると、そのままゆっくり力を抜いて寝息を立て始めた。
「もう……おやすみスズカ」
抱き抱えて膝枕に入る。抱えてベッドに寝かせても起きない。今日は走りたい気持ち先行で朝早かったものね。ゆっくり寝て、夜に晴れるようならその時は──あら?
カーテンを開く。いつの間にやら雨がやみ、雲に切れ間ができていた。薄く虹が見える。こんな短い時間でやむものなのね。残念。もう少し長く起きていたら走りに行けたのに。起こすのも悪いし放っておこうかな。
眠っているスズカの頬を撫で、長い睫を指で弾く。くすぐったそうに少し呻くスズカ。どこか時間を探して走らせてあげよう。カメラだって当然、夕方のトレーニングまでしか追ってこない。頭を撫でウマ耳を弄りつつ抱き付くみたいにスズカの肩に埋まる。ぽかぽかで暖かい。家なら一緒に寝ていたけど、流石に職場ではね。今更かもしれないけど。
「……久しぶりにスズカが外で走るところが見たいかも」
「見ますか?」
「きゃあぁぁああぁっ!!!???」
「みみ……みみが……」
め、目を覚ました……なんで? どう見ても寝ていたのに。私がスズカの狸寝入りを見抜けないはずが……まさか、私の言葉に反応して起きたの? 嘘でしょ?
「びっくりするから騒がないでください」
「び……びっくりしたのはこっちなんだけど……」
「走るところが見たいって……あ、晴れてるじゃないですか! 走ってきます行ってきます止めないでください」
ちゃかちゃか準備を終えて走り去っていくスズカ。心臓ばくばくの私。凄い地獄耳ね……ちょっと呟いただけなのに……あと準備が早すぎる。直前まで寝ていたとは思えない速度で出ていった。声をかける暇すら無い。全体的に恐ろしすぎる。
「……あ、GPS忘れた」
しばらく走っているところを見ていないから見てみたいのは本当。でもまあどうせ見られないし、それでスズカが満足ならそれも良いかな。
どうにも心拍が落ち着かないなか、数時間の暇をどう潰そうか、とりあえず昔に撮ったスズカの映像を見ることにしようかな、と棚のDVDに手を伸ばした。