走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「トレーナー。今日さ、私をでろでろに甘やかしてよ」
「は?」
「何言ってるんですか、スカーレットさん」
ある日のトレーナー室。スカーレットが突然そんなことを言い出した。基本的に促されない限り話に加わらないブルボンですら指摘してしまうほどの突然かつ意味不明な物言い。ついにスカーレットが壊れたか、こうなったのは誰のせいかしら、と考えていると、さらに畳みかけてきた。
「この間ついに重賞に勝ったでしょ? それで、やっと予定通りウマッターのアカウントを作ったわけ。それでまあ、この間のレースの挨拶を投稿したんだけど」
「ああ、見たわよ。死ぬほどバズってたやつね」
「でしょ! 思ってた百倍反応来てたでしょ!」
「いや、まあ……スカーレットなら当然じゃない? むしろまだあなたを知らない方が見る目が無いと思う」
「そ……ういうのは今良くて……そうじゃなくてね?」
隣で腕を抱いてうたたね中のスズカの頭を撫で、ウマ耳のぴこぴこふわふわを堪能しつつとりあえずスカーレットに甘い言葉を囁いてみる。ぐ、と歯を食い縛るスカーレット。あら可愛い。
「もう、めちゃくちゃテンション上がったわけ。でもね、このチームにいる限り、正直この自己肯定感もすぐに無くなると思うの」
突然切実な顔になるじゃん。
「そんなことは無いと思いますが」
「ブルボン先輩が原因その二ですからね」
「私は事実を伝えているだけです」
「チッ……こういうことだからさ、いい気分になれるときにできるだけなっておきたいわけ。嘘でも良いから一回。お願い」
「ああ……うん、まあ良いけど」
どうせその他大勢からいくらでも称賛されるような状態になれると思うんだけど、まあ、ちやほやされたいなら拒否する理由は無い。スズカをそっと抱き上げてブルボンに投げつける。しっかり受け止めてベッドに寝かせたところでスズカが目覚めた。
「な、何ですか……今何をされたんですか私」
「今からマスターがスカーレットさん専用になります」
「え?」
「おいでスカーレット」
「……そう言われるともう恥ずかしいわ、なんか……」
顔を赤くして私の横に座り、ぽんぽんと叩いた腿に寝転がるスカーレット。美容師さんみたいに頭を上げて髪をちゃんとしてあげて、きっちり決めた前髪をちょっとだけずらす。あまりこういうことはしないので難しいかもしれないけど……まあ、できるだけやってみましょう。要するにスカーレットの自己肯定感が高まるように褒めちぎれば良いのよね。完璧よ。
「ブルボン。可能な限りスズカを黙らせておきなさい」
「承知しました。筋力差等を考慮し、およそ三分間行動を制限できます」
「よろしい。こっちも三分で終わるわ」
「は? あのさ、こっちも今日一日でやられる覚悟なんだけど。それが三分とか甘く見てない? 私そんなにすぐ靡く軽い女じゃないけど」
「そういう言い回しをどこで覚えるの?」
まあ見てなさいって。
────
「──ね、そうでしょスカーレット。一番のスカーレット。私の大好きなトリプルティアラウマ娘のスカーレット?」
「ぁ、ぁ……」
スカーレットが壊れちゃった。
二分間の囁きにより情緒が壊れたスカーレット。私としては『一番』のワードを使った以外は本当のことしか言っていないが、よほど効いたようで、私のお腹に抱き付いて動かなくなってしまった。
「私トレーナーと結婚する……」
「はいはい。結婚しましょうね」
「なんて単純な子……」
「スカーレットさん、甘言で誘拐されたりはしないでしょうか。心配です」
「それで言うとブルボンさんも心配だけどね。三冠ウマ娘にインタビューとか言われて変な車に乗らないでね」
「……乗りませんが」
一応ブルボンにはスズカの制止を頼んでおいたんだけど、思いの外冷静だったので普通に座ったままになっている。圧倒的に大人になってるわね、スズカが。
さて、スカーレットには『今日』甘やかしてと言われたけど、実際のところこれ以上があるんだろうか。もうふにゃふにゃで立ち直れなさそうだけど。
「スズカこそランニングの新商品とか言われてついていかないでね」
「私が知らない新商品は企業の方しか知らない物なので、名刺で解ります」
「流石だわ」
ふにゃふにゃになったままおでこを擦り付けてくるスカーレットを撫でつつ、そこまで気分を害した様子もないスズカに感心もしている。スズカのことだし、浮気一回につき50kmで許すくらいのことは言いそうだと思っていた。
「私を何だと思ってるんですか?」
「いや言いそうだなって」
「20kmで許しますよ。私は寛容な妻ですから」
「将来の旦那は慎重に選びなさいね」
「寛容な夫の方が良いですか?」
「将来の妻は慎重に選びなさいね」
「ふふふ」
ふふふじゃないのよ。またまたぁ、みたいな顔して。こっちは吐きそうになりながらあなたのパートナーの話をしてるんだからね。スカーレットが犠牲になるわよ。
「私もスズカさんならそう言うと思っていました。これまでの言動から推察するに、浮気一回30kmかと」
「ほら見なさい。普段の言動が問題なのよ」
「じゃあ適用します。今から走ってきます」
「浮気とかじゃないじゃない。私達恋人じゃないんだから」
「今はですよね」
「将来的にもないのよ」
スカーレットが少し復帰したので、また一言二言囁いて黙らせる。面白くなってきたので、どこまでスカーレットをこのまま引っ張れるかチャレンジしてみたいと思う。まあお腹空いたとかトイレ行きたいとかそういうのは中断せざるを得ないけど。
────
「はい、スカーレット、あーん」
「あーん……ん……」
その夜。甘やかしは一日なので、しっかり家に帰ってからも継続している。いつも通りスズカもいる。スカーレット用に晩御飯を改めて作り、好物だけで固めて食べさせている。ここまで来ると甘やかしとかではないような気もするが、本人は嬉しそうなので大丈夫だろう。
問題は度重なる特別扱いを見たスズカの反応である。
「……、っ、……」
耳を思い切り引き絞り、誰がどう見ても不機嫌になって、突っ伏したままこっちを見つつこつんこつんとテーブルを指で叩くスズカ。可愛いその一。
怒っているというよりは拗ねているだけかな。ちゃんとスズカも解っているはずだし。今のスカーレットをちょっと甘やかしたくらいでどうこうなるわけがない。調子は不調まで落ちているけどこれは誤差だ。
それに、この子は何だかんだ言って一度自分が上だと感じたらそこに疑問を持たずそういうものだとして受け入れてしまう。私が一番好きなのは──まあその、実際一番好きどころの話じゃないんだけどそれが伝わっているかはともかく、一番好きなのはスズカだということは解っているはず。
「……トレーナーさん」
「ん?」
「走ってきても良いですか? 今過去最高に気持ちよくなれそうな気がします」
「すぐ過去最高を更新するじゃない」
「過去最高に高まってるんですよ。何かが」
「……日付が変わる前に帰ってくるのよ」
「やった、トレーナーさん大好きです。行ってきます!」
それに、走ることがちらつくと難しいことは全部飛ぶ。こういうあほなところも可愛くて好きなのだ。うきうきのままその場で全部脱いで、まだ二月の寒いなか平気で廊下に飛び出し着替えに行くスズカ。ウマ耳も戻り、調子も絶好調まで回復した。全部これで良いじゃん。
それ以上こちらに話し掛けてくることもなくドアが割と乱暴に開く音がした。相変わらず着替えるのが早い。でも一応毎回諸々の道具は持っていってくれるし、スマホを見ると発信器の電源も入っている。真面目な子ね。
「ほらスカーレット。食べてお風呂に入りましょう。一緒に入る? 寝るのはどうする?」
「……一緒に入る……寝るのはいい……」
「解った」
一瞬逡巡があったのはどうしてだろう。これ以上されると戻れなくなると本能的に悟ってしまったのだろうか。それとも寝る時くらい一人でいたい派……何回か寝たこともあるけど、結構一人の方が多いし。私とスズカと三人じゃ狭いってだけかもしれないけど。
そこからも予定通りスカーレットを甘やかし、囁いて褒め、認め、最終的に自己肯定感が高まりに高まったスカーレットを寝かしつけるまでそれは続いた。それが大体十時くらいのこと。
そして、玄関が開いたのが一時くらい。当たり前のように門限破るじゃん。
「お帰りスズ──わっ」
「寝ましょう」
顔だけだして出迎えてみたけど、普通に部屋をこじ開けられてそのままベッドへ。普通に押し倒されるみたいに引きずり込まれ、スズカは私の胸元に抱き付く定位置へ。
冬の夜に走ってきたスズカらしく、暖まった身体の芯と冷えた表面、ばくん、ばくん、と身体全体を揺らすほど昂る鼓動がベッドを軋ませる。仄かに汗の匂いが香り、ご機嫌に揺れるウマ耳が私の顎先を掠める。外にいた人特有の埃っぽさやちょっとだけキューティクルの無い髪を手櫛で鋤く。
「どうだった?」
「最高でした……過去最高かはちょっと悩ましいですね。走る時は心を空っぽにしていたいという感じはあるんです。やっぱり走るという行為に向き合って、景色や風、音を楽しむには余計なことは考えていてはいけないんです」
「うん」
「でも、考えごととかを走って振り切るのも違った気持ち良さがあるんです。どんどん私から余計なものが抜けていって、本来の私に戻る感じがします。走るために生まれてきたんだなあって心から思うんです。あ、私の悩みなんかどうでも良いんだなあって」
走ることになると急に早口になるスズカ。スズカの気持ちを真に理解できる日はたぶん今後来ないけど、まあ楽しかったようで何よりだ。ぐりぐり顔を押し付けて深呼吸を続け、少しずつ熱が冷めていくスズカ。
「なので、今私は最高に幸せです。何となく怒っていたような気もしますがどうでも良くなりました」
「どうでも良くなるくらいの怒りだったんだ」
「トレーナーさんの一番は私ですから。速さでも愛でも」
「愛って言わないで」
「性愛以外の愛もありますよね? 今何を想像しました?」
「…………」
「ふぁふぁふぁ」
うるさいので顔面を胸に叩きつける。何と生意気なことか。はあ、と落ち着くと、スズカは改めて私の背に手を回し、きゅっと密着して、ちらりと目だけ私に向けた。
「まあでも」
とことことこ、と背中を指が駆け上がってきて、頸椎を撫でる。くすぐったいなあ、もう。
「それと妬くかどうかは別なので、ちゃんと構ってくださいね」
「……、はいはい」
……今のはかなり危なかった。私、気持ち悪いなあ。