走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
『さあ皆さん、ついにこの日がやって参りました。今年も春の盾に懸けて、18人のウマ娘達が淀のターフを駆け抜けます!』
天皇賞、春。私とブルボンにとっての運命の日。
京都レース場でのブルボンは最近の仕上げもあって、今までで一番強く見える。もちろん、私の目に映る数字も間違いなく過去最強のブルボンだ。やる気も最高潮、この子に勝てるのがいたら連れてきてほしい……と言いたいところだけど、今日に関しては本当にそれがいるのだ、あの場に。
『現在の一番人気はやはり昨年の三冠ウマ娘、ミホノブルボンです』
『長距離にはやや不安があると言われていましたが、菊花賞で克服したことを示してくれました。事前評価でも、今となっては3200mを簡単に走破してくれるでしょう』
『そして二番人気、ミホノブルボンへの黒の刺客、ライスシャワーです』
『菊花賞のあの鬼気迫る走りが印象に残っていますね。ステイヤーとしての圧倒的適性が発揮されるのが楽しみです』
「準備は良い、ブルボン」
「はい。バイタル、オールグリーン。最高のパフォーマンスをお見せできます」
「……ん。それは何より」
控え室、出発直前。これから私は嘘をつく。
「規定タイム、メンタルコントロールともに正常に把握しています。問題は起き得ません。マスターの指示通り、レコードタイムで走り抜けます」
「よろしい」
ブルボンのコンディションは最高、やる気も漲っている。負けるはずがない。ミホノブルボンより速いウマ娘はターフにはいないし、ブルボンより努力したウマ娘もいない。
ステータス上もあの場でブルボンが最強だ。紛れるような展開にもならないだろう。何もかも、ブルボンに有利になるように巡ってきている。負けようはずがない。
「どうぞ」
両手を広げ、勝負服で私を誘うブルボン。問題は、あそこにはライスシャワーというバグが存在することだ。
「……ブルボン」
いつもの薄着の勝負服を抱き締める。不自然なほどに落ち着いていて、しかし、いつもと違ってブルボンからも手を回してきた。ブルボンは私とは違って、今も信じている。いや、ウマ娘という生き物ならみんなそうなのだ。
練習段階や前走で負けていても、明らかに隔絶した実力差があったとしても、走る直前にはそれら全てを忘れて、自分が勝つと信じることができる。だからこそなのだ。だからこそ、どんなトレーニングも受け入れるし、怪我のリスクも承知で一歩一歩を全力で踏み込むことができる。
私のような三流のトレーナーにはそれが解らない。解るけど、全く共感できない。勝てない勝負からは逃げるべきだ。命あっての物種だ。痛い思いをしたくないっていうのは、生き物として当たり前じゃないの? 勝てないものは勝てないのよ?
「ブルボン」
「はい」
「……ブルボンは、立派ね。凄いわ」
「……はい」
ダメだ私。泣くな。ブルボンはきっと気付いている。私は今回に限って、一切ブルボンを信じていない。負けると思っているクズだ。だけど、それを直接ブルボンに伝えることだけはやってはいけない。菊花賞の時とはその言葉の重みが違う。今回に関しては頑張れば勝てるとかではなく、何をしたって勝てないと思ってしまっているから。
「ブルボンが一番頑張ってるわ。あなたは私の誇りよ。本当に強くなったわね。私のブルボン……さあ、今日もいつも通りに走るのよ」
「はい」
「それだけで勝てるからね。誰のことも見ないで良いわ。何も気にしなくて良い。あなたの実力が一番なんだからね。あなたの努力の通り、誰よりも強いんだから。誰にも負けない、私のウマ娘、ミホノブルボンが……見たいわ……」
「──はい」
今、ブルボンはどう考えているのだろう。私のことを白々しいと怒っているのだろうか。それとも、今でも私のことを信じてくれているのだろうか? どうしても涙声になってしまうわたしのことを。信じてくれているんだろうな。ブルボンはそういう子だ。ずっと私のことを信じてくれている。応えたかったんだけどなあ。ダメだ私……。
「だから、勝っ──」
「んんっ」
言おうとして、スズカの咳払いが割り込んできた。それで気付いて、言い直しながら少し離れる。そうじゃなかったね。私がブルボンに言うことはこんなことではない。私の気持ちはきっと伝わっているのだから、その上で言うべきは一つしかない。
「信じているわ、ブルボン。あなたが誰より速く走り抜けてくるのを」
「オーダー受諾。『ライスシャワーに勝利』を必ず完遂します」
お互いに頬に触れながら、不可能を口にする。これで全てが終わる。ブルボンは今日ここで敗北する。それでもきっと、ブルボンは何も変わらないんだろう。本当に、凄いウマ娘だ、この子は。
「いってらっしゃい」
「……いってきます、マスター」
さあ、天皇賞だ。見せてみなさいライスシャワー。どれだけあなたが強くなったのか。
────
委細省略、記録者、ミホノブルボン。本日、天皇賞。
「ふー……」
マスターは、私が敗北すると確信しているようです。マスターは諸々の事項について秘密主義を気取ってはいますが、その実、私やスズカさん、スカーレットさんにしろ、マスターのことを少しでも理解していれば、その内心は簡単に推し量ることが可能です。
元々、マスターは菊花賞の時点でライスシャワーには勝てないと確信していました。それは私も概ね同意見で、私としても、走行中完全に敗北を認めていました。さらに、菊花賞は限界突破の強化モードを使用したうえで、発揮した能力を比べるのなら完全に私が負けていました。そして、ライスシャワーはさらに強くなっている。いくら努力を繰り返しても、ライスシャワーを突き放せているという実感がありません。
だから、私は敗北するのでしょう。
……敗北。もし本当に敗北すれば、それは私にとって初めての経験となります。私の、ミホノブルボンの当初の目標に、無敗であることは含まれていませんでした。偶然、それができてしまっただけです。そこに執着はありません。
ただ、私が敗北すれば、マスターは悲しむでしょう。スズカさんは私をより認めなくなるでしょう。スカーレットさんから向けられる憧れに変化はあるでしょうか。それは、『避けたい』、と思います。
「……ライス」
未来予測中、地下通路の後ろから、ライスシャワーが近付いてくるのが感じられました。 足音と、深く深くなされる呼吸音。地下の音響でより鮮明に聞こえてきます。同時に、菊花賞の時とは比較にならないほど圧倒的な、本能的に恐怖を感じるような威圧感が私の思考回路を埋め尽くしました。
……ライスシャワー。あなたは素晴らしいウマ娘です。やはりあなたは来た。菊花賞の時よりも強く、私を遥かに──いえ、これは、その威圧感だけで考えるならば、間違いなくスズカさん以上……あるいは、かつて一度走ったことのあるシンボリルドルフ会長や、ナリタブライアン副会長にも間違いなく劣りません。人生で一度も経験したことのない、そして金輪際経験しないであろう絶対的な『恐怖』を発しながら、半年ぶりの黒い勝負服に身を包んで私の横にまで並びます。
「流石です、ライス」
「……ブルボンさん」
「あなたは本当に、偉大なウマ娘です」
実力において、もはや敗北を認めるしかありません。あなたは圧倒的に私より強い。
──ですが。
「ライス、私は──」
「──ごめんね、ブルボンさん」
割り込むライス。こちらの方に視線を向けずに立ち止まり、いや、何か、気温が下がって……?
「ライス、ブルボンさんに酷いことしたよね」
「……菊花賞のことであれば、それはライスの責では」
「そうじゃないの」
私を遮って、ライスはこれまでにないほどの口調で、私との対話の意思など無いかのように静かに言い放ちました。
「菊花賞の時、ブルボンさんは『全力でやる』って言ったよね。でも、ライスはあの時、全然全力じゃなかった」
「そんなはずは……」
「そうだよ。だって」
ブルボンさんは走った後倒れた。でも、ライスは倒れなかった。ライスシャワーは、私にとって最も残酷な事実を突き付けます。
「ライス達は知ってるはずだよね。身体が限界だと思っても、本当はその先にもう一つ残ってる。だったら、あの日のライスは『本気』だけど『全力』じゃなかった。ブルボンさんは『全力』だったのに」
それは、私がエルナトで学び、そして、それを見てライスがさらに学んだことでした。彼女には、それを実現できるだけの力がある。だけど、それを菊花賞ではできなかった。あの時点で、それができるのは私だけでした。
それを、ライスは悔やんでいる。命を賭した私の菊花賞を、命を懸けて阻止できなかったことを。
「だから、この天皇賞、ライスは約束するよ。ライスは『全力』でブルボンさんに勝つ。遅くなったけど、今度こそ約束を守るから。必ずブルボンさんに勝ってみせる。ライスの『全力』で」
ライスの仕上がりは完璧です。ほぼ専属のトレーナーが付いていて、そのトレーナーも不可解な観察能力を持っている私より、さらに良い。金輪際ウマ娘界に、こんな存在は現れないでしょう。
しかし、私も負けたくはない。致し方ありません。限界地点にて強化モードを発動して、いえ、それでも勝てないのかもしれませんが、何もしないよりは……
「ライス、私は勝ちます。必ず」
「そうなんだ」
驚くほどに冷たい声色でした。これがライスシャワーなのでしょうか。常に不幸を憂いていて、気弱で、初対面の相手とは話すことすら困難で、私に対しても場合によっては遠慮してしまうような、あのライスシャワーの姿とは思えません。ライスシャワーとは、いえ、もはやウマ娘かどうかすら怪しいほどの気迫が感じられます。ほとんど殺意や敵意に近い、根元的恐怖を想起させるほどの圧力でした。
「でもライスが勝つから」
命の危険を感じても、ここまでの恐怖は無いでしょう。ライスに睨まれた私は、彼女が先に出た後も、しばらく呼吸すらできないまま立ちすくんでいました。
────
「……来た」
控え室のモニターに、地下道から出てきたライスシャワーが映る。今日の主役はあの二人だ。即座にカメラが寄って、彼女をアップに写す。ライスシャワーはカメラなど目にもくれなかったが、アップにされた瞬間、彼女の眼光が横目に映った。
「……っ!?」
その瞬間、猛烈な吐き気が込み上げてくる。背筋が凍った。心臓を直接捕まれているかのような威圧感と敵意。あのライスシャワーが、レース場のカメラを無視して堂々と歩いている。目に見えるステータスは変わらない。なのに、明らかに今までのライスシャワーとは違う。
「ひっ……」
「……はあ」
うちの子達も反応が違う。スズカやブルボンに慣れきったスカーレットすら怯えた表情でスズカの袖を掴み、そのスズカもそのほんの少しの揺れでスイッチが入ってしまっている。いくらスズカのスイッチが軽いと言ったって、入り方が違いすぎる。
何をしたの、ライスシャワー。私の目が無くても、その仕上がりが圧倒的なのが解る。群を抜いている。あの場で、圧倒的に格が違った。
「ぐっ……」
気持ちが悪い。頭も痛くなってきた。全身に神経痛が走ってくる。視界がぼやける。あれと戦うの? ブルボンが? いや、ブルボンだけじゃない。他にもたくさんいるウマ娘は、あれと同じターフに立つの?
信じられない。死ぬんじゃないの? 全員。
『……あ、こ、これは驚きました、ライスシャワー、これは恐ろしい仕上がりです。信じられません。き、気合い乗りが違いすぎます』
『す、凄いですね……菊花賞の時すら可愛く見える仕上がりです。まさに究極といったところでしょうか……』
実況解説も言葉を失っている。当然だろう。小柄で華奢なあの子がまるで猛獣に見える。とてつもないオーラで空間すら歪んでいるんじゃないのってくらい。他人に当てられて気合いが入るスズカなんかそうそう見られるものじゃない。
狂ってる。いちウマ娘が再現できるような仕上げではない。菊花賞のブルボンすら鼻で笑える極致だ。
「勝……てるの、あれに……? ウマ娘が……?」
「……知らないわよ、そんなの」
上が向けないくらい気分が悪くなってくる。くらくらして、視界がぼやけてきた。訳が解らない……。
「スズカ……袋だけ用意しておいて……」
「はいはい」
「げっ……やめてねマジで、ここでやるのは。流石にそれやったら私外出るから」
────
『さあ天皇賞──スタートしました!』
ゲートと同時に始動。スタートは上々です。即座に目標ペースに移行します。
最長GⅠであり、ミホノブルボンという有力な逃げウマ娘の存在もあり、誰も私に競りかけてはきません。どちらにせよやることは同じですが、ともかく、妨害を受けることなく先頭に立ちそのままさらに加速します。
『行った行ったミホノブルボン……こ、これは大丈夫なんでしょうか、とんでもない飛ばし方です! 3200mとは到底思えないリードを広げていきます! これはミホノブルボン、掛かったか!』
加速、さらに加速。規定ペースで加速終了。
このペースも、私の要望を追加した上でのマスターの指示です。いつも通り、私がギリギリ走り切れる限界の速度──を、大きく越えたところ。
『飛ばす飛ばす! これは思い切りましたミホノブルボン、後続も追いません、さながら大逃げの様相を呈しています』
マスターには多大な精神負荷をかけてしまいました。しかし、ライスシャワーに勝つ僅かな可能性に賭けるしかありません。マスターにもそれを理解していただき、私の限界の先、すなわち、自壊を伴う強化モードを前提としたタイム指定をしていただきました。
ライスシャワーの最終的な速度には、勝てない可能性の方が高い。ですが、スタミナは別です。確かに、ライスのスタミナは無尽蔵ともいえるほど隔絶しています。ですが、3200mという限られた距離において、必ず私の後ろにつく彼女には、発揮できる能力に限度があるはずです。
このリードにすら追い付かれるようであればそれまで、付いてこないならライスがスタミナの全てを発揮して捲る前にゴールしてしまうしかない。スズカさんほどのハイペースは不可能ですが、確実に沈むと思われるペースならば、擬似的に大逃げを行うことはできます。
『ウマ娘達がスタンド正面に回って参りました。依然先頭はミホノブルボン。後続を大きく引き離して単独で逃げます。ライスシャワーは現在三番手。ミホノブルボンに誰もつきません』
やはり。このまま可能な限りリードを広げたいところですが……私の自律意思で動くわけにはいきません。スパートのタイミングも、一定のペースによれば一ヶ所に定めることができます。
……いつ来ますか、ライス。さあ、かかってきなさい。これが私の『全力』です。
────
「大丈夫なんですか、あれ」
「大丈夫じゃないわ……またブルボンが脚を壊す覚悟決めてたから止められなくて……」
「でも良いですね、あれだけ離れれば後ろの足音も聞こえないですよ、きっと」
破滅的なペースで先頭をひた走るブルボン。向こう正面に単独で立った。これだけリードをとれば普通なら負けない。ブルボンは最終直線では落ちない。しかし、それでも。
「……来ますよ」
「嘘……早すぎませんか?」
スズカが小さく呟いた。先頭への脅威についてスズカのセンサーは優秀だ。だから、スズカが言った以上必ず来る。映像の中、三番手に控えていたライスシャワーが、改めて圧倒的なオーラを纏って姿勢を低くした。
……ブルボン、必ず戻ってくるのよ。これが最後なんて嫌よ。
『来た! 来た来た来た! ライスシャワーがぐんぐん上がってきた! 向こう正面半ば! ミホノブルボンは既にコーナーに差し掛かっているが、これは届くか……い、いや! これは届くぞ届くぞ! ライスシャワーすごい脚だ!』
「嘘でしょ……!?」
「ぁ、ぅ……」
ぶっ飛んでくるライスシャワー。その恐ろしい脚色に驚愕するスカーレット、先頭を奪われることを確信し目をレースの色に変えかけてしまうスズカ。そして、ずきんずきんと加速していく頭痛の中ライスシャワーに焦点を合わせる私。
──ステータスが見えない。怪我率だけが90%まではね上がっている。いつかのスズカと同じように。そんな彼女が、物凄い勢いで、ブルボンが命がけで稼いだリードを食い潰す。
「ブルボン……っ!」
まだ。まだよ。菊花賞のスパートはあれで限界だった。その性質上一回試しておくことはできないから、ブルボンの限界はあそこから変わっていないと見るべきだ。根本の体の丈夫さなど大して変わらない。
ここからスパートすれば逃げきれるかもしれない。でも、それだとゴールまで体がもたない。ブルボンもそれは解っているはず。
風とは違う要因で、ブルボンの耳が揺れた。
────
エラー。
エラー。
えらー。
体力が不足しています。スパート速度を維持できません。視界が霞み、呼吸機能に障害が発生しています。
ですが、唯一歓声と、ライスシャワーの足音だけが正常に聞こえてきます。私に敗北をもたらす刺客の足音が、そこまで迫ってきています。
私の強化モードは文字通り自壊のリスクを孕んでいます。痛みを堪えるのみで可能ならスタート直後から常に発動しておいても私は構いませんが、物理的に脚が壊れてしまえばそれ以上走ることはできません。
しかし、まだスパート可能地点にたどり着いていない今。
「~~~~っ!!」
ライスシャワーの噛み締めるような吐息が聞こえてきました。
『さあ真っ向勝負だ! ライスシャワー、三バ身まで迫った! 後続はようやくスパート! マッチレースとなった! 再び! この淀の舞台で、ライスシャワーがミホノブルボンに手を掛けている! 逃げきれるか! ミホノブルボン、脚色は悪くないがこれはどうだ!』
「っ……!」
まだスパート可能地点にたどり着いていない。そして、強化モードを使ったところで、ライスシャワーとの競り合いに勝てるとは思えません。
つまり、勝てない。最悪なのは、ゴールできないタイミングで強化モードを発動し、ターフに倒れてしまうことです。今ではない。しかし、今でなければ勝てない。
「っぁぁぁああっ!!!!」
『さあ捉えた! ライスシャワーがすぐ後ろ! ミホノブルボンここまでか! これは苦しいか!』
なるほど、ライスシャワー。
勝つのは、あなただ。
────
「ブルボ……っ、ん?」
ライスシャワーがブルボンに並んだ瞬間。
ほんの一瞬だけ、ブルボンの怪我率が99%まで跳ね上がったのが見えた。しかし、次の瞬間には5%まで落ちた。これが意味することは、つまり。
「賢くなりましたね、ブルボンさん。ちゃんと気付いてる」
スズカがそう呟いた。スカーレットも速度差で察したようだった。
「……良いのか悪いのか解らないけどね」
ブルボンが諦めたのだ。あるいは、後ろから迫るライスシャワーがブルボンの心を圧し折った。壊れる可能性を背負っても勝てないとブルボンに思わせた。
凄いウマ娘だ、彼女は。スズカやシンボリルドルフを相手にしても、ブルボンはいつか勝てると言い続けた。スプリンターだと言われ続けても、努力すれば三冠が取れるはずだと言い切った。そんなブルボンの心を折ったのだ。
「私が良くないって言いたいんですか?」
「……そうね。偉いわ」
伸び脚を使わなかったのだ、ブルボンは破滅的ペースの代償にその脚からみるみる速度が失われていく。並大抵のウマ娘では追い付けないが、ブルボンの同期、誰だったか……マチカネタンホイザか。彼女のような、相手が悪かっただけの有力ウマ娘なら話が違う。
『ライスシャワー強い強い! これは圧倒的です! 完全に千切った! 競り合いすらなく先頭に立った! さらに引き離す! これは決まった! ミホノブルボンは二番手争い、マチカネタンホイザが並んできた!』
それでも競り合って粘っているブルボンは最高峰のウマ娘だ。それでも勝てなかった。まさに怪物だ。ウマ娘レース史上最も強いと言われても納得できる。
『今! 今! 今ライスシャワーが単身でゴールイン! ライスシャワーついにやりました! ついにミホノブルボンを討ち取った! やはりこのウマ娘でした! ミホノブルボンの無敗を打ち砕いたのは天才ステイヤーライスシャワーです!』
そして、圧倒的差を見せつけライスシャワーは一人ゴール板を駆け抜けていった。
────
『──きましたライスシャワー、まさに圧勝! 菊花賞の雪辱を完全に果たしました! ミホノブルボン、粘りましたが三着! 大逃げが祟った形となりました!』
……敗北。
マチカネタンホイザさんに遅れる形でゴールした私は、掲示板に早くも点った着順を、無感情に眺めていました。
ライスシャワーに負けた。無敗ではなくなった。『悔しい』。とても。
しかし、思ったよりも、感情は大きくは動きません。それはやはり、レース中のあの気迫に、私自身、敗北を確信していたからでしょう。そして、純粋に、親友の努力が実ったという事実が、『嬉しい』。
「はっ、はっ、はっ……ら、ライス……」
そして、私の視界の先でターフに沈むライスシャワー。菊花賞とは逆に、余力のある私が駆け寄る形になりました。
「……ライス」
「……ブルボンさん」
まだ意識があります。あの時の私より高出力を発揮しておきながら、声色も明瞭で、容易に聞き取れます。恐ろしいウマ娘です、あなたは。
「あなたの、勝ちです」
「……うん……ああ、もう……体があちこち痛いなあ……息が苦しいよ、ブルボンさん」
「そうでしょう。無理をするからです」
「そうかも……菊花賞の時もこんな感じだったんだ、ブルボンさんって」
うつ伏せから、仰向けになるライス。その表情は、驚くほど晴れやかな笑顔でした。
「でも、ライスが勝ったよ。『全力』で」
「……ええ、その通りです。確かに『全力』でした」
まさか、私にこんな思考力があるとは。自壊しても勝てないと感じ、それを取り止めるだけの賢さがあったとは。いえ、そうではなかったはずです。たとえスズカさんが相手でも、私は迷わず強化することを選ぶでしょう。
その私が『諦め』を選択させられた。完全に私の負けです。
「完敗です。まさか──私がまだ、自分の身を惜しむことができるとは思いませんでした」
「えへへ……やったあ……」
勝者を抱き上げるべく横抱きに構えます。全く動けないようで、ライスも抵抗はしません。
「お、重くない……?」
「……軽すぎます。死ぬ気ですか」
「それくらいやらないと勝てないと思って……うわっ」
「あっ……!?」
失敗。私も完全にスタミナが切れていることを忘れていました。彼女を取り落とし、ライスを下敷きに倒れてしまいます。いけません、私の方が体重がありますし、今のライスは全身がボロボロ、最悪の場合骨にもダメージを受けている可能性が。
「もうっ、気を付けてよブルボンさんっ」
「……ステータス、『憤慨』」
「なんで!?」
無用な心配だったようです。本当に、この……はあ。
「……ライス」
「……なに?」
それでこそライスシャワーです。あなたが私に勝って良かった。
「次は私が勝ちます」
「……次もライスが勝つよ」
これで永遠に、私達はライバルとして語り継がれるでしょう。もちろん、最後には私が勝つ形で、ですが。
────
「というわけですので、次のライスとの対決に向けてまた厳しいトレーニングをよろしくお願いします」
帰ってきたブルボンは、なんかよく解らないけどやる気に満ちたままだった。ついさっき負けを認めたとは思えないほど、ライスシャワーを抱き上げたまま普通にしていた。
「えっ、いや、え? なんでライスシャワーを連れてきたの?」
「私単独では、マスターとの会話が不可能になる可能性があると判断しました」
「……」
「見抜かれてるじゃないですか」
「教え子が賢くて助かりましたね」
いや、まあ……抱かれてるライスシャワーを見て涙が引っ込んだっていう説もあったけど。でもなんかこう……あるじゃない。こっちは結構な覚悟でブルボンを送り出したし、二人で泣きながら負けを悔やむシーンとかを想像してたのに。
「まあ、良いじゃないですか。みんな笑って済むならそれで一番ですよ」
「そうなんだけど……もっとこう、感じるところがあっても良いんじゃないの……?」
「ライスが強いことは喜ばしいことです。それに、私は『無敗』にはこだわっていませんし、トゥインクルシリーズにおいてそれができるとは初めから考えていません。ですので」
マスターが良ければ、それで構いません。ブルボンはそう言って笑った。やはりウマ娘は強い……そして、ブルボンも強い。
「……私も、ブルボンがそれで良いなら良いわ」
「ありがとうございます。次こそライスに勝たねばなりませんので、よろしくお願いします」
ずっと抱かれているライスシャワーは今どういう気持ちなの。ずっとにこにこしてるし……ああ、もう。
……まあ、良いか。
────
「納得いきません」
「まあまあブルボン。解ってたことでしょ? それに、ブルボンだって今は勝てないって解ったじゃない」
「それとこれとは別です」
「ライスもびっくりなんだよ?」
京都からの帰り道。その後、ライスシャワーは病院にて、その体にいくつかの怪我を診断された。食い縛りによる出血とか、筋肉の多少の炎症とか。
……逆に、その程度の怪我しか負っていなかった。入院も無し。これには私もブルボンも驚き、彼女を連れて帰る道中ブルボンとは思えないくらいに不満を漏らしていた。
「それは私とライスで身体損傷のリスクを負って使うものという共通認識があったはずです。これでは何のために私が強化モードを取り止めたのか解りません」
「そういう心構えってだけで、別に確定で怪我するってものでもないでしょ。それに、たぶんブルボンがやったら普通に怪我してたわよ」
「ライスももう少し長かったら危なかったかもだし……」
「そんなバカな話がありますか。これではまるで、ライスの方が私より丈夫のようです」
「まあそうなんじゃない?」
「マスター?」
中列の座席から文句たらたらのブルボン。良いじゃない、とりあえず何も起きなかったんだから。気持ちは解るけど、覚悟と結果は無関係なのよね。
「マスター。帰ったら特別メニューを実施しましょう。ミホノブルボンの方が頑丈だとライスに解らせなければなりません」
「それであなたは何を得るのよ」
「ライスは別に丈夫って訳じゃないよ? ちょっとたくさん頑張っただけで」
「それが嫌だと言っているのです」
「ふぁふぁふぁ」
恐らく頬をつねられているライスシャワー。やっぱりウマ娘って違うわ。つい昨日無敗を失ったウマ娘とそれを奪ったウマ娘とは思えない。あとあんまり暴れると寝てるスズカが起きるし、高速では危ないからそこそこにね。
「必ずあなたに勝ちます、ライス。全てにおいて」
「えー……ライス別に丈夫さで勝ちたくないんだけど……まあブルボンさんがそれで戦うっていうならライスだって負けないよ。この二週間、物凄く辛かったんだから」
「マスター。ライスからトレーニングメニューを聞き出しますので、帰ったら再現をお願いします」
なんかちょっとブルボンからの感情が大きくなってるような気もするけど、仲は良さそうなので良し、ってことで。
その後、ライスシャワーから地獄のようなトレーニングメニューを聞き出したブルボンが、その再現にさすがに及び腰になったのは別のお話。
当然ですが伸び脚全開放ブルボンVS鬼ライスシャワーでも結果は変わりません。ブルボンが2着か3着かの違いです。