走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「スズカすていっ。これ以上いらないって」
「ええ……? 絶対に必要ですよ……?」
ある日。ブルボンが加入したということで、三人の休みを合わせ、私達は近所の巨大ショッピングモールに来ていた。もちろんブルボンのトレーニング用品を買い込むためである。
一応スカウト前から多少は買っていたんだけど、まさか今みたいに超スパルタでやるとは思っていなかったし。それに、物によってはブルボンの希望も聞いておかないといけない。
……のだが、私はスズカの買い物を止めていた。
「ぜっっっったいいらないから。何枚あると思ってるの?」
「でも、これは夜走る用、こっちは昼走る用、こっちは汗が多い時の……」
「生理用品じゃないんだから」
というのも、スポーツショップに入った途端、スズカがふらりといなくなったのだ。ブルボンがメインだし問題無いか……と放置して、何故か大量のゼリー飲料を買おうとするブルボンを止めていたところ、スズカはウキウキで戻ってきた。
カゴに、大量のシャツとタオルを詰めてである。
「というかタオルなんか全部一緒でしょ」
「それは違います、トレーナーさん。微妙に違うんです。少しずつ違いますし、肌触りだって変わります。暑くてかく汗と運動でかく汗は違いますし、だったらそれを拭き取るタオルだってそれに合わせて……」
「ごめん解った。それはスズカが正しいから。悪かったから」
何枚あるんだよ、というレベルだが、本来のスズカはこれくらいなら普通に使う。なにせ、走って、タオルを使って、ふぅ……よし、走ろう! となる子なのだ。いくらあっても足りない。
でも、私はランニングを禁じているから関係無いよね? そもそもタオルだっていっぱいあるし。確かに私の洗濯も遅いかもしれないけど。
……まあ、勝手に走ってこっそり洗濯すればセーフと思っている可能性もあるけど。前科があるもんスズカには。
「ぁぅ……でも、いざというときのために……」
「来ませんそんなの。戻してらっしゃい」
「んぅ…………じゃあ自分のお金で買います」
「んんんんん……」
しょんぼりともせず当然のように財布を取り出すスズカの手を掴んで止める。
「解った、解ったからトレーニング用品で自腹は切らないで……私が死んじゃう……」
「じゃあ……」
「……買ってあげるから半分にしなさい」
「やったあっ」
スズカは本気でこういうことで自腹を切ってしまうから怖い。私としては大体のものは……本当にスズカが個人的に欲しい娯楽用品だとか、友達のために使うお金以外は出してあげたい。特にトレーニング用品なんて私の罪悪感が刺される。
「はぁ……あ、ごめんねブルボン。欲しいものは決まっ……ん? んんん? ブルボン?」
「はい。必要な分のウマ娘用カロリーゼリーを算出しました。ちょうど半年分は賄えると考えられます」
「置き場が無いから戻してね? あと食堂を使おうね。身体に悪いからね」
こっちはこっちで箱買いしてるし。いや良いけどさ。でも同じ味ばっかり収納度外視で買われるのは普通に困る。でも言って戻してくれるだけ良いか。二箱くらいにしておこうね。
「あとはシューズもたくさん買っておかないとね。行こうか、ブルボン」
「はい」
半分……と見せかけて七割は残っている布の山を持ってスズカも合流してくる。これはまあ、良いや。スズカも嬉しそうだし、新品の方が使いたいだろうし。
「うん……ここと、あとこっちを……」
ブルボンを椅子に座らせ、足のサイズを測る。ウマ娘御用達のトレーニング用品店であるここには、あらゆるサイズのシューズが用意してあるのだ。単純な靴のサイズ以上に、革靴レベルで精密かつピンポイントなサイズ差も考慮されている。
それを測るのも私の仕事だ。ウマ娘の素足に触れる、ということでめちゃくちゃ神経をすり減らしつつ、メジャーでサイズを見ていく。
「……よし。ブルボンもう良いよ……何してるの、スズカ」
「い、いえ、その、新しい長距離シューズが出ていて……これ……」
「ああ、あの大本命の……でも確か先月買わなかったっけ。あ、その緑のやつ」
「買いましたけど……その……」
ブルボンのシューズはこれかな。一応マイルシューズと……モチベーションのために長距離シューズも買ってみようか。
「その……何故か破れちゃって」
「何故かじゃないねえ。スズカが走ってるからだねえ」
「ちょっとしか走ってません!」
「ちょっとも走らないでって言ってるのよ?」
「ぁぅぁぅぁぅ」
まあ、一応スズカの分のシューズもカゴに入れておき……それはそれとしてデコピンを喰らわせておく。本来スズカは長距離シューズなど使わない。にもかかわらず普通のウマ娘より履き潰してしまうのだ。勝手に走る時は長距離シューズを使うから。
「まったく……はい、二人とも買い忘れは無い? もう良い?」
「あっトレーナーさん、制汗スプレーが減っていたと思います」
「ん、そう。じゃあそれも買おう。ブルボンは好きな匂いとかある?」
「いえ、特にはありません。強いて言えば無香料を使っていました」
「じゃあ私と一緒ね。トレーナーさん」
「そうね。じゃあ変えなくていっか」
ウマ娘用の制汗スプレーの違いなんて私には解らないけど。香料付きもあるんだけど、ウマ娘の嗅覚に合わせてるから本当に解らない。スズカに何度か聞いたけど、まったく違うとのこと。
あった。隣に置いてあるサンプルを嗅いでみてもやっぱりさっぱり解らない。全部匂い無しでしょこんなの。
「全然違いますよ。ほら、これは石鹸の匂いがします」
「……いや無理。ブルボン解る? これは?」
「すんすん……シトラスです」
「マジ?」
まあ、人間みたいに嗅覚の鈍い生き物がちゃんと気付くレベルだとかなり刺激になっちゃうってことだろうけど。しっかりパッケージを見てカゴに入れていく。
……そう考えると、そんな細かい匂いに気付くなら、私ももうちょっと気を遣った方が良いのかな。臭いとか思われてたら死ぬしかなくなるし。
「……私用のも買っとくか」
「……トレーナーさんは走らないしいらないんじゃないですか?」
「いや……気になるでしょ。自分の臭いとかさ」
「…………? 私は好きですよ?」
「あっ待って嗅がないでやめて死ぬ死ぬ」
襟元に近付かないで。ほんとだめだって。ヤバいって。
────
「トレーナーさん……お願いします、一生のお願いですから……」
「だめ。絶対嘘だから」
「でも、こんなの走るしか……」
「いや絶対にだめ」
ミスった。
元々、スズカは超が付く有名人だ。そりゃあシンボリルドルフやナリタブライアンレベルかと言われると微妙だけど、トゥインクルシリーズを追っているなら名前を知らないのはモグリと言っていい。顔を知っている人も多い。
それに、トゥインクルシリーズはウマ娘の間ではおとぎ話のプリンセス、人間の間でも最大手プロスポーツである。その知名度は半端ではない。
そのため、一応スズカには髪を結ばせ、帽子を被せた上で伊達眼鏡も着けさせている。私の顔は……まあ、インタビューとかちゃんと見ていれば気付かれる可能性もあるのでサングラスだけ。あと三人とも私服だ。
「その……あの……」
目の前にいるのは、小学生くらいの小さな男の子。先ほど変装を貫通してスズカに気が付いた大切なファンの一人であるらしい。建物を出て駐車場まで向かう道半ば、捕まってしまった。
「すみません、息子が変なことを……」
「いえ……私もできればお願いを聞いてあげたいんですけど……」
ちらっちらっ、なんてスズカが私を見る。なんとこの子、何を間違えたのかウマ娘に憧れているらしいのだ。しかも自分も走りたいという方向で。そして、スズカと走ってみたいと言い出したのだ。
いやまあ、ファンサは大事なのよ。それは解るの。相手は子供だし、走る場所もあるしね。子供が遊ぶ公園もあるし、ランニングコースなんてスズカが走るってなったら全員退くだろうし、そもそも誰も走ってないし。
だから、走ってもいい……けど。ブルボンなら即時許可を出してたけど。でもさあ……
「スズカ、大丈夫なのね? 信じて良いのね? その、色々考えてね? 大丈夫?」
「はいっ。もちろんです。信じてくださいね、トレーナーさんっ」
「……まあ、軽く一周ね」
「はいっ。じゃあえっと……行きましょう?」
「うん!」
スズカはなあ、とは思うのよ。だってあのスズカよ? 走ることしか考えていないと私のなかでもっぱらの噂になっているサイレンススズカよ? しかも、卸したてのシューズを履いてウキウキの。どうなるか予想がつくもんこんなの。
「よーい……」
手を繋いでランニングコースに出た二人。一応安全だけ確認して二人がスタートに付くと、親御さんが笑顔で手を上げ、合図を出してくれる。
「どんっ!」
と、そこからは一方的な虐殺が…………始まらなかった。
「…………おお?」
なんと、あのスズカが男の子のやや後ろをゆっくりと追ってあげているのだ。ウマ娘にとっては歩くに等しい速度だが、しっかり走っているかのようなフォームで走っている。
スズカ……偉い。成長したねえ。トレーナーさん嬉しいわ。
「マスター? 何故泣いているのですか……?」
「いや泣いてないけど……泣きそう。やっぱり良い子なのよね。スズカは……ファンの子のためにちゃんと欲望を抑えられる偉い子なのよ」
ご褒美に後で気持ちよく走らせてあげよう。うんうん。初めはね、今度は後輩のみならずファンまでダシにしてとか、親御さんの前で断り辛い空気を出すなんて余計に賢くなってとか思ったけど。でもちゃんと考えてあげているのね……。
歳のせいか……いや別にまだ若いけど、こんなことで不覚にも目が潤む。私の愛バがこんなにいじらしいというか……決めるところではちゃんと決める子だったなんて思わなかった。
広い公園だが、コースはたったの200m。ウマ娘にとっては何にもならないどころか最高速度に乗るのもやっとな距離ではある。すぐに二人は戻ってきて、当然男の子が先に……あれ? スズカの方が先だな。
「いつ抜かした? 見てなかったわ」
「50m地点で抜いていました。ちょうどマスターが俯いた頃です」
「うわぁ……」
うわぁ……。
結局スズカはじわじわと距離を離し、大差でゴールしてしまった。何とも言えない親御さんの表情と、泣きそうなのを我慢する男の子の顔に対して何を言ったか自分でも覚えていない。男の子だもんね。強く生きてね。その悔しさで強くなれるからね。
スズカのランニングについては考え直すことにするわ。