走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「準備は良い、スカーレット。後で泣き言言わないでよね」
「言うわけないでしょ。それより早くしなさいよ」
「はいはい」
ある日。オークスも今週末に迫り、スカーレットには最終追切を行っていた。
正直、ウオッカのいないオークスにおいて、スカーレットが負けるとは思えない。それだけこの子とウオッカはレベルが違う。だが、スカーレットに自信を持たせるのも大切なことだ。この子達に限っては自信などいくらあっても良い。スズカという圧倒的存在がいる限り、どれだけあっても問題は無い。そして、スズカを超えることが仮にあるならばそれはウマ娘としての頂点に立ったことを意味する。シンボリルドルフなんかも超えたような頂の話だ。
「スズカも大丈夫?」
「はい……本当にやるんですか? 止めた方が良いと思います。トレーナーさんの愛バにストレスがかかって死んじゃいますよ。私はとっても繊細なんですよ。今からでも何も無い原っぱでのびのびと走るってことにしませんか」
「繊細な人は自分を繊細とは言わないから大丈夫よ」
「ぁぅ」
そして、今回のスカーレットのお相手はスズカ。ひたすらスズカと競り合おうとしてもらう。スズカのランニングウェアを外で見たのも久しぶりね。ここ最近はベッドでしか見ていないから。ストレッチをしながら嫌そうな顔はするものの、身体は正直で尻尾を揺らしウマ耳をぴこぴこと動かすスズカ。
ブルボンでも良かったけど、まあスズカの方が速いし、たまにはスズカにも合法的に走れる機会を与えておこうかな、とも思うし。これが終わればちゃんと報酬としてフリーランニングを約束している。
「じゃあスカーレット、とにかくスズカに競り合いなさい。離されたらその場でジョグで良いから、周回してきたスズカに食らいつくこと。良いわね。私が良いと言うまで繰り返しなさい」
「了解。っし。行くわよ……」
正直競り合うなんて何秒もできるとは思っていないが、それで良いのよね。スカーレットにしろブルボンにしろ、「自分はこんなに頑張ったんだ」という自覚だけで自信に繋がる。スズカにぶっちぎられても良い。一秒でも二秒でも、それだけの存在と競ったという事実が重要なのだ。
「よし、スズカ。走って良いわよ。スカーレットが倒れるまでね」
「はい……」
声色が終わっているスズカ。トラック周回は本人的にも好みのランニングでもないのだろう。
「……どんっ」
しかし、それでも、走らせてもらえるとそんな不満が一息で飛んでしまうのが、サイレンススズカという悲しい生き物である。
私の号令と同時に物凄い勢いで飛んで行くスズカ。少し遅れてスカーレットがスタート位置についた。一周待って、そして、勢いに乗ったスズカが満面の笑みで走って戻ってくる。それを待たずに、スカーレットが走り出した。
「……っ」
一瞬にして私達の前を飛ばしていくスズカから、少し歯ぎしりのような音が聞こえた。スカーレットが自分の視界に入った瞬間に表情が消え、明らかに深く地面に踏み込んだ。さらに前傾してスピードを上げ、トップギアギリギリでスカーレットを追いかけていく。
みるみるうちに差が詰まっていくが、スカーレットもしっかりスイッチを入れているので何となく抗えているように見える。それなりに深いはずのコーナーでも、二人とも内ラチを擦るようにインを攻め、スピードを緩めずに抜ける。スカーレットはそれでも少し膨らんでいて、二人分くらいは空いてしまっているが、スズカは掠めるくらいにぴたりと沿っている。流石ね。
スカーレットが隙を見せて直線に入ったことで、スズカもそれを追ってインに入ったまま抜きにかかる。とんでもない速度の中で一切の駆け引きは行われず、たまたま外に膨らんだスカーレットに最短距離を攻めただけのスズカが並びかけた。
「……む」
ブルボンが隣で少し唸る。横に並ばれた瞬間、スカーレットが明らかに一段階速度を上げた。競ることもなく突き放されるスピード差がありながらも、一歩、二歩、と半分ピッチに踏み込んだような回転で粘る粘る。目を剥き怒ってるんじゃないかという表情で二秒、スズカを隣に縛り付けた。
「……素晴らしい勝負根性です。流石はトリプルティアラウマ娘ですね」
「そうね。あれだけできれば少なくともオークスは安泰よ」
「やはり問題は秋華賞ですか」
「でしょうね」
スピードステータスの理論値も少し超えている。怪我率が上がっていないあたり、スズカやブルボンが使う限界突破ではなく、一流ウマ娘がみな扱う伸び脚だろう。これができるかが一流とその他の差と言っても良い。スカーレットはその域に立っている。
完全にスズカに抜かされた直後、脚を緩めるスカーレット。人間並の速度まで落として、軽く頬を叩いてスイッチを切った。この一瞬でかなり消耗したようで、まだ1600も経っていないのに息を乱している。
「ウオッカさんとのスピード差はどの程度ありますか」
「スカーレットの方が上ね。まあ、秋華賞は後ろ有利だし、何なら逃げが明確に不利……勝ったことないんじゃないかってくらいだから、あんまりあてにはならないけど」
「では、ウオッカさん有利ですか」
「スカーレットの勝負根性によるわ。あとはウオッカのバ群紛れ」
それも、今この現状を見るにかなり分は良さそうだ。それに、夏一回の伸びだけ見ればスカーレットの方が上……だと思いたい。これでウオッカに超えられたら泣くしかないわね。
へろへろのスカーレットが戻って来て、こっちを一瞥もすることなく再びウマ娘のスピードに戻る。軽く流しているうちに、再び後ろから迫ってくるスズカ……いやスズカが速過ぎるな。レベルが違いすぎる。ターフに解き放たれた異次元の逃亡者を相手に、ブルボンも大人しく座りながらも闘志が溢れてきている。怖い。
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……」
息遣いだけを置いて、コーナーに入ったスカーレットを追いかける展開は一周目と変わらない。平均スピードはさっきより落ちているが、それでも、斜め後ろにスズカが来た瞬間、さっきよりさらに強い殺気が溢れた。なんで殺気が溢れるのよ。
「秋には私の天皇賞もあります。是非よろしくお願いします」
「お願いされたくないなあ……」
「同距離ですから纏めてトレーニングできます。一挙両得です」
「そうね……?」
そうか?
────
「詰められてるわよスカーレット」
「うるさいッ!!! はあっ、はっ、はあっ……!」
四周目。流石のスカーレットもかなり脚が鈍って来ていて、声のやり取りができる速度になって来た。ほぼ止まっているような速度で、一周スズカを見送る。信じられないほど疲れ切っているが、それでも目が死んでいないあたりは流石スカーレットだ。
「……マスター」
「ダメよ、私はスズカを止めなきゃいけないんだから。あなたが走ったら誰がスカーレットを運ぶの」
「……はい」
スズカとは違うはずだが、ブルボンがそわそわし始めた。オーラをしまいなさい。
二人と対照的にどんどん調子が上がってきているんじゃないか、という雰囲気のスズカが戻ってくる。この周回は使いたいようで、スカーレットも走り出した。しかし、かなり脚色は悪くコーナー序盤で既にスズカが後ろについている。
……そろそろだろうし、ちょっと発破をかけてみようかな。
「耳を塞ぎなさいブルボン」
「はい」
「スカーレット! 終わりにする!!??」
気合のメガホンを入れ、強制的にスカーレットの頭に血を上らせる。歯を食い縛ったのがここからでも解る。疲労からかなり外に膨らんでいたスカーレットがぐんと内側に割り込んだ。ギリギリ斜行の動きにも、走ることのプロであるスズカはうろたえない。きっちりコースをとって、ちょっとイラついたような表情ではあるが外からに切り替える。
コーナー半ば、スズカがスカーレットに並ぶ。相手のことなど眼中にないスズカとは違い、抜かれる瞬間スカーレットは相手を見てしまう。そして、全力をもって芝に踏み込んだ。
「ぐっ、あああああ!!!!!!」
ここまでスカーレットの叫びが聞こえてくる。それでも、並べたのはほんの一瞬、一秒にも満たなかった。外を回しても、流石にそう簡単に抗えるスピード差ではなくなっている。
まあ、こんなものかしら。次の一周はたぶん力が入らないかもね。一気に突き放され、今度は完全に止まってしまうスカーレット。内ラチに手を付いて、スズカが一周して戻ってくるまでそこで休んでいた。それからゆっくりと戻ってくる。私の目に映る怪我率の数字。ただ、休めばもう一回くらいは走れるかな。
「大丈夫スカーレット。もう終わりにする?」
「ふっ……ざけんな……舐めんじゃないわよ……!」
「でもあなた全然追い縋れてないじゃない」
背景でさらに走り続けるスズカ。邪魔者がいなくなったことでスピードも安定させられるようになり、とてもご機嫌だ。仰向けに倒れるスカーレットにドリンクをかけながら煽る。とっくに上着を脱ぎ捨てているので多少呼吸は楽だろう。うわおっぱいでっか。
「少しでも粘れないんじゃ意味無いじゃない」
「ぐ……ぅ、だ、黙ってみてなさい……次はどうなの!? 行けるんでしょ……!」
「行けるけど」
「勝負服……勝負服持ってきてくださいブルボン先輩!」
「構いませんが」
こちらをちらりと見るブルボン。勝負服バフかける? そりゃあ勝負服の方が強くはなるけど、それでどうにかなるのかしら。
「持ってきてもここで着替えるわけにはいかないでしょ」
「は……!? 良いから、持ってきなさいよ……! アタシは良いから……!」
「あなたが良くてもね」
仕方ないのでブルボンに頼むことにする。スカーレットを抱えて中に戻ると、二十分くらいかけて着替えさせ、勝負服のスカーレットを持ってきてくれた。その間の休憩で怪我率はゼロに戻っている。
「ラスト一回ね」
「チッ……!」
「ブルボンは向こうの直線で待機。スカーレットが倒れたら回収。スカーレット。向こうまで走り切れなかったら回収が面倒だからそこにはたどり着いてね。直線で競り合いなさい直線で」
「解ってるわよ……ッ!」
限界まで追い込まれて完全に素を見せるスカーレット。本来持つ圧倒的な負けん気をむき出しにして、オーラを振り撒きながらターフに戻っていく。ブルボンも配置についた。最終コーナーを終えたスズカを感じ取って蒼が走り出す。結び直したらしいツインテールがさっきよりも高く流れ、姿勢に合わせて低く落ちる。
勝負服はウマ娘の魂だ。どんな形でも、どれだけ重そうに見えても、それを着た時点でウマ娘には力が漲る。体力の底を削るように元気を絞り出し、二周目くらいのコンディションで先んじてコーナーに入る。ラスト一回、勝負服を着たからには、そんなバフがスカーレットを無理矢理駆り立て、コーナーを抜けるギリギリまでスズカを引きつけた。
「……流石ね」
もはや声すら出ない状態ではあるが、スカーレットは一つ数えられるくらいの時間は粘った。その後一瞬で突き放されはしたが、スタミナも完全に尽きている状態で、気合だけで一秒でも粘ったことは称賛に値する。そもそもの話、スズカ相手に粘れるだけでも大金星なのだ。
その後、燃え尽きて倒れたスカーレットをブルボンが受け止めて回収。なおも走り続けるスズカにメガホンで呼びかけて五周くらいかけて止める。
「はーっ……はっ……」
「ありがとうねスズカ。体調はどう? 大丈夫?」
「大丈夫なので……もう良いですよね、外に行かせてください……頭がどうにかなりそうで……」
「もちろん。日付が変わるまでには帰ってくるのよ」
本当にこの子化け物ね。なんでちょっと息があがったくらいで済んでるの。別種族だったりする?
「マスター。撤収しましょう」
「そうね。スカーレットは?」
「意識レベル低下。反応はごく僅かです」
「まだ落ちてないんだ」
スズカと入れ違いでブルボンがスカーレットを運んできた。こっちもこっちでめちゃくちゃ強くなったわ。これが負けるところが想像できない。今回も九割スカーレットの勝ちでしょう。オークスに出て勝って、秋華賞でダービーウマ娘のウオッカと激突。うわあロマン。未だかつて無いんじゃないこんなの。あるわけないか。
「スカーレットが起きたらシャワーを浴びせてご飯にしましょう。何が食べたい?」
「スカーレットさんに任せます」
「別メニューで良いのよ」
「……考えさせてください」
圧倒的安心感と共に、スカーレットのトレーニングは文句なく進んでいた。
スカーレットが倒れたのは、その週の木曜、オークスの三日前のことだった。