走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「スカーレット!」
「スカーレットさん!」
「スカーレットさん」
「あ、トレーナーさん! すみません突然……!」
「ううん、ありがとうウオッカ」
スカーレットが倒れたという連絡を受けたのは、木曜日の夕方のことだった。クラスの方で少し用があるというので、スカーレットを待ちつつブルボンのトレーニングをしていた時だった。ウオッカから直電で私に連絡が来て、スカーレットが倒れたから保健室に運んだ、と来たのだ。
急いで保健室に向かうと、保健室のベッドにスカーレットが寝かされ、ウオッカがちょうど体温計を口から取ったところだった。保険医は今はどこかに出ているらしい。額には、部屋から調達したらしい濡れタオルが載せられている。制服を脱がせてジャージに着替えさせられたうえで、呼吸がしやすいようにと上着の前も大きく開けられている。流石はウオッカね。
見せてもらった体温計によると、40℃を越えている。あまりにも高熱だ。大きく口を開けて熱い息を吐くスカーレットもかなり辛そうで、ただの熱かどうかすらも怪しい。
私達はトレーナーであって医者ではない。スポーツ医学や最低限の医療知識はあるけれど、それにだって限度がある。覚えた知識の中でも、発熱を初期症状とする重度の病気などいくらでもある。風邪なら良い。何なら、感染するような病気であってくれればむしろ、日常で感染する程度の病気と割り切ることもできる。だけど、一日にしてこの高温となれば話が違ってくる。
「とりあえず、ありがとうウオッカ。変な病気がうつったらいけないから、後で連絡させて。ごめんね」
「あ、ああ……解りました。その、スカーレット……」
スカーレットを見るウオッカ。彼女すら泣きそうになっている。当たり前だ。これで間違いなくスカーレットはオークスに出られなくなったのだから。
脳裏に過る様々な病名。そのほとんどは私にはどうにもならないものばかり。ウマ娘用の解熱剤も薬局で買えるとはいえ、処方箋の方が良いのは明白だ。
そして、この状態のスカーレットを病院に連れていけば、まず間違いなく出走停止を宣告される。もしかしたらされないかもと言えないくらいスカーレットの体調は絶望的だ。
木曜日に出走停止を食らえばそれで終わる。たとえ回復しても復帰はできない。スカーレットのトリプルティアラはここで潰えたのだ。
「……お大事に」
それも全て理解しているから、ウオッカも軽口を叩かず出ていった。エルナトだけが残され、悩んでいても仕方がないのでスマホを手に取った。病院の予約を取るか、場合によっては救急車……どちらにせよ、今からスカーレットの夢を潰すボタンを押す。
「……トレーナーさん」
「……二人も、外に出ていたら。変な病気だったら」
「マスター」
やめて。そんな目で私を見ないで。今哀れまれるべきはスカーレットだけよ。私はスカーレットを管理しきれなかった。まただ。大事な時に私はいつも間違えている。スズカ、ブルボン、そしてスカーレット。胃が痛む。吐きそうだ。
それでも、トレーナーとしてやらなければいけないことがある。私は提携病院への通話ボタンを押
「……………………まって……」
すところで、下から腕を猛烈な力で掴まれた。
「いっ……ぐ、いぃっ……!?」
スカーレットだ。スカーレットが寝たまま手を伸ばし私の腕を掴んだ。明らかに加減できていない。ウマ娘の人外の握力で下に引かれ膝ごと崩れ落ちる。意識を失いそうな痛みとともにスマホを取り落とし、反射的にスカーレットを掴み返す。
何が起こっているのかは解らない。しかし、何だったとしても私にそれ以上の行動を許さない気迫があった。目も意識もこちらには向いていないのに、それでも、スカーレットから強い意思だけが伝わってくる。それだけは許さない、と、何かを訴えている。
「ごめん、ごめんねスカーレット……! 本当にごめんなさい……!」
しかし、逃れることはできないし、逃れるべきではない。むしろその怒りが腕一本で済むとも思っていない。殺されても文句は言えない。これまでのこともあるし、スカーレットの体調の確認はこまめに行っている。だとして、その身体に責任を負うのは私だ。
原因不明の骨折も、自傷に等しい暴走による怪我も、原因不明の発熱も。この子達は私を妄信し、何を指示されても必ず成し遂げる。その代わり、私は私の能力の範囲内で三人を最良の状態にしてレースに送り出す。だから、この子達がレースに出られない全ての責任はトレーナーとして私が負うし、人間として約束を破ることになる。
「でもまず、病院に、その後でどんなことでも」
「アタシ………………病院、行かない…………から……」
「……え?」
か細い声。静かな保健室でもなお掻き消えてしまうほどの小さな声と、乾いた喉を震わせた掠れた声が聞こえた。同時に、腕の力が緩む。振り払ってスマホを取り直す気にはなれなかった。スカーレットが目を見開いて、私をまっすぐに見つめていたからだ。病人の目ではない。うっすらと熱に浮かされた涙を浮かべているが、それでも、眼光にはいつものように殺意すら宿っている。
「スカーレットさ……ん……」
スズカが何かを言いかけて止まる。手を伸ばして私の前に出ようとしたかと思えば、すぐに私を横目で見て下がる。深いため息……深呼吸をして、顔を覆うようにしてブルボンの肩を叩いた。
「……はあ……ブルボンさん。後はよろしく」
「……承知しました」
そしてそのまま、保健室を出て行った。何となく、声が強かったような気がする。スズカにしては珍しく、強く扉が閉まり大きな音が鳴った。
「何を言っているの、スカーレット」
「病院には行かない……嫌……」
「……スカーレット。あなたの今の状態はそんなレベルじゃ」
「だって、絶対に、出走できなくなる……! オークスに、出られなくなる……!」
……何が言いたいのか、目で解った。スカーレットとの付き合いは長い。理解はできているつもりだ。スカーレットにとってのトリプルティアラは、ブルボンにとっての三冠やスズカにとっての先頭にも等しい。いや、等しくなったのだ。母親に良いところを見せたい、みんなに認められたい単なる一番狂いだったのが、スズカを見て、ブルボンを見て、ウオッカを見て、スカーレットはそうも考えるようになった。それは、絶対に間違っていない。
そして、スカーレットの目は自棄になったそれではない。諦めているのではない。つまり、決断を迫られている。私が。
「スカーレット……私は」
「スカーレットさん」
とにかく何か言わなければ、だけど、何と言えば。そんな私を遮って、ブルボンが私の前に割り込んだ。後ろ手に私を押しのける。よろめいて、どちらの顔も見えなくなった。
「三冠を獲った先達として、あなたの意志は理解できます。私個人として、あなたの意思を尊重します。そして、あなたの提案も承知のうえで、スカーレットさん」
「……」
「自分が何を言っているか理解していますか」
ブルボンにも、確かな棘があった。
「確かに、マスターがこのままあなたを匿い治療に成功すれば、あなたは予定通りオークスに出走できるでしょう。そして、今医者の診断を受ければ、十中八九あなたは出走停止処分になります」
「……解ってますよ…………」
「しかし、数点、留意すべきデメリットも存在します」
ブルボンはゆっくりと掌を掲げると、声色を緩めることもなく、指を一本ずつ立てていく。
「第一に、スカーレットさんの病状がもし後遺症が残る、または命に関わるような病理の初期症状であった場合、初動の遅れは致命的なものとなります。通院しなければ看病は事実上マスターが一人ですることになりますから、それが感染症であればリスクはマスターも同じく負うことになります」
「第二に、スズカさんや私の時と違い、あなたを通院させなかったことによるマスターの社会的、道義的、職務的責任は多大なものとなります。いえ、場合によっては法的責任すら追及されかねません。私にも一応は通院記録と医師の診断があって、それでもマスターは形式上処分を受けなければならなかった。今回はその程度では済まされません」
「第三に、もしあなたのこれが非常に軽度かつ一時的なものであった場合、通院して適切な治療を受ければ一日で完治することもあり得ます。低い確率でしょうが、それを前提として出走停止処分が下されない可能性も考えられないわけではありません。マスターが行えるのはせいぜいが対処療法未満の家庭的な範囲の看病でしかなく、通院によれば治るものも治らない可能性はあります」
「最後に……スカーレットさんはマスターとスズカさんを見て、私を見て、このチームの現状と、各々の性質を知っているはずです。その上でなお、あなたがマスターにその要求をすることがどういうことか、解らないとは言わせません」
ブルボンの語気も強い。こちらは明らかに怒っている。ウマ耳を絞り、伸ばしたままのスカーレットの腕を掴んだ。しかし、ぐい、とブルボンの体勢が崩れる。スカーレットが引っ張り返してブルボンすら睨んでいる。
「全部……解ってますよ……」
「……そうですか」
呟きや囁きの音量でも、覚悟の重みがあった。ブルボンの怒気が消え、手を放すと、私に頭を下げて部屋を出ていく。
……やはり最後の選択権は私にある。そして、私が選ぶことなど決まっている。私はこの子のトレーナーだ。この子が私を選んでくれたのだから。トレーナーとは、大事な愛バのためにどんなことでもできる人間のことなのだ。
スカーレットに近寄る。表情は、私がさっき見たものと変わっていない。いつもよりさらにつり上がった目で私を射貫いている。私がスカーレットの手を取ると、私が話し始める前に、スカーレットが口を開いた。ひゅう、と苦しそうな息が漏れる。
「トレーナー……私は……私はね……アンタを……信じてる、から……」
「……スカーレット」
「アンタについていくって……信じるって決めたから、ね……だから、私、アタシは……」
ずっと溜めていた涙が溢れ出した。スカーレットからも私の手を握り、体を丸めるようにして引き寄せる。私を近付けたかったのではない、と、一文字ずつ弱っていく語気が示していた。
「アンタを、信じてるから……それで、それでも、アンタが言うなら……アンタが……アンタが全部やって、それで、それで……」
高熱で舌が回っていない。意識が薄いのか何度も同じことを繰り返すばかりだ。
それでももちろん、スカーレットが何かを伝えようとしているなら、それは全て理解しなければならない。
「それで……アンタが、アンタが……アタシには無理って言うなら……」
「アタシに諦めろって、言うなら……」
とめどなく涙が溢れ、しゃくりあげてさらに言葉が詰まる。大切なもののように私の手を抱き込んで、口元に触れる。唇で挟むように押し付けた。骨が軋む。鈍い痛みが広がった。
「アタシ、あ、諦め……諦め、られる、から……!」
折ってもらっては困る。私は、あなたをオークスに連れていくのだから。
「アンタが無理って言うなら、嫌だけど、死ぬほど悔しいけど、でも、アタシ、アンタを信じるって決めたから、だから」
興奮からか、スカーレットの言葉が一時的にはっきりしてきた。体を起こすことはできていないが、乱暴に叫ぶように声を荒げる。
「ママに、パパに一番のアタシを見せたいの……! ウオッカの横で胸を張りたいの! スズカさんやブルボン先輩のところに行きたい! アンタが、間違ってないって、みんなに解らせなきゃ……!」
「でも、アンタが言うなら……アンタが走るなって言うなら、アタシ、アタシ、諦められるかも、しれないから……」
スカーレットが何度も、力を込めては抜いてを繰り返す。激情が現実に押し流されようとしている。縋っている。この子が。
「一番になれなくても……アンタの言うことなら……ちゃんと聞けるから……! だから、だから……」
応えなければならない。人間としての倫理を放り投げ、人生を棒に振ったとしても。それが何だというのか。私はトレーナーだ。人生も捧げられなくてどうしようか。バカを言うなと正しい選択を取るべきか?
「全部アンタがやってよ……! アタシを納得させて……! 全部、ぜんぶ、アンタが、アタシに……」
そんなはずがない。少なくとも二人はそんな気持ちで私のところに来ていない。この子達の覚悟は決して疑わない。私が代弁しよう。この子は、これで死んでも後悔はしない。
「助けて……」
「スカーレット」
膝を折って、息を吐き切ったスカーレットを正面から抱き締める。とてつもなく熱い。命を感じる。覚悟を決めろ。私はできる。きっとスカーレットもそうだ。熱に浮かされていなくても、スカーレットは必ず同じことを言う。それを信じている。スズカやブルボンがそうであったように。
たとえ無理だったとして、それは、スカーレットの人生を奪う義務は私にある。この先一生、スカーレットが私を恨めるようにしなければならない。
「私があなたを、必ずオークスに連れていくから」
「……トレーナー……」
「大丈夫。オークスに行けさえすれば、あなたが負けるわけないんだから。たとえこれが運命でも、私はあなたを疑わない。必ず勝てる。今ここであなたに誓うわ」
そのままスカーレットを横に抱き上げる。異様に重い。首筋まで真っ赤にしたスカーレットの頭を撫でると、胸元に力無く寄りかかってきた。
「必ず私が何とかする。信じて、スカーレット」
スカーレットは目を閉じたまま、片手だけをゆっくりと動かし、私の第二ボタンあたりを指で引っ掻いた。
「当たり前でしょ……」
そのまま寝息を立てるスカーレットを連れて、私は誰にも言わず、トレセンを抜け出した。
主人公適性の塊、ウオダス