走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
新年。まだ明けてはいないけど、今年最後の夜がやってきた。
「案外空いてますね……」
「まあ、わざわざ遠くまで来たしね」
ウマ娘にとっては、ここが年の始まりである。いや、当たり前だけど……一般に日本で使われる四月三月の暦よりも、レース暦……一月十二月暦の方が重要なのだ。
大晦日の夜、私達は少し遠出して東京を出て、人が少なさそうな神社を選んで赴いていた。
「マスター。祈祷はおよそ一時間後のようです。それまでは……」
ぐぅぅ、とブルボンのお腹が鳴る。わぁ、なんて隣でスズカが微笑ましいものを見た目になった。確かに、アニメでもなかなか無いようなお腹の虫だったね。びっくりしたわ。
「ステータス『空腹』を検知。嗅覚による条件反射だと思われます」
「ん。まあご飯食べようか。夜も遅いしちょっとだけね。スズカも食べる?」
「いえ、あの……私はその、あれ……」
「え?」
ウマ娘は屋台でもお札が必要なくらい食べるけど……なんて思いながら座れるところを探し始めた私。しかし、スズカはじっとどこかを……近くの屋台に貼られたチラシを見ていた。
「何……」
新春マラソン大会、のお知らせ。どこかのご年配が手書きで書いたんだろうな、という味しかないチラシを食い入るように見つめるスズカ。賞品は金一封、距離は……三キロ。
発走は除夜の鐘のラストと同時だが、この手のローカルイベントにありがちの飛び入り歓迎! の文字が踊っている。
「トレーナーさんっ」
「ダメ。地獄絵図でしょ」
完全に目がお金……ではなく先頭に眩んでいるスズカ。出れば確定で先頭になれるレースに彼女は目が無い。
これがねえ、スズカの厄介なところなのだ。普通のウマ娘っていうのは、『勝ちたい』という気持ちなので相手にもこだわる。いわゆる格下狩りを嫌い、同格や格上をぶち抜くために日夜特訓をしている。
だけど、スズカははなっから周りなんて見ていない。先頭で走れれば……スズカに言わせれば、静かで綺麗で、自分だけしかいない世界で走れれば何でも良いのだ。相手は人間であっても良い。極論、私が挑んでもスズカは喜んで受ける。
当然だが人間がウマ娘に走りで勝てる道理はない。これが四十キロ五十キロ、あるいは何日もかけて走るような鉄人レースならウマ娘の脚が痛んで勝てるかもしれないが、三キロなんかウマ娘にとっては準備運動である。タイム差もえげつないことになるわよ。
「でも……走りたい……」
「落ち着いてスズカ。人間のレースだからね?」
「じゃあブルボンさんも走るわよね?」
「なんで?」
「オーダーであれば」
「なんで??」
突然のドリームレースに驚きが隠せない。ちょこちょこ……というか前に聞いてはいたけど、この子本当にスズカの指示でもノータイムで頷くんだよね。同一視とか何とか言ってたけど。
「だめよスズカ。人間は人間と、ウマ娘はウマ娘と競走すれば良いと思うの」
「でも……目の前でレースがあるのに参加できないなんて……」
「見なきゃいい話じゃない?」
ふらふらとチラシに書かれた受付デスクに向かっていってしまうスズカ。私は必死に止めようとするのだけど、浮かれたような歩き方のスズカを止めることすらできない。むしろ私が引きずられている。ブルボンに助けを求めて
「ブルボン、止めてブルボン」
「了解しまし……たたたた」
「あっ無理かあ。そうかあ」
みたけど、わあー、と二人してスズカに引きずられる。よく考えたらブルボンのパワーでスズカを止められるわけがなかった。
そのまま引きずられるようにして、スズカが受付デスクにたどり着いてしまう。気の良さそうなお父さんが、変装してはいるがウマ娘のスズカを見ておっ! と声を上げた。
「お嬢ちゃん、マラソン参加かい?」
「はい、あの……」
「ああ、気にすんなって! ウマ娘だからって来るなとは誰も言わねえよ! 何ならウマ娘が走ってくれたらおじさん達も盛り上がって嬉しいからな!」
お父さんだめですよそういうこと言っちゃ。この子は手加減とか知らないから。
「お父さん良いですから。ウマ娘が人間のレースに出るわけにはいきませんから」
「良いさ良いさ! お嬢ちゃん走りたいんだろう?」
「…………っ!」
「いやしかし……」
「走りたい人が走るのが一番だからな!」
こくっこくっ、とスズカが目を輝かせて頷く。そうかそうか、とお父さんが名簿に手を掛けてしまった。くそっ、スズカはともかくお父さんは善意で動いてるから何も言えない……!
「マスター」
「……待ってブルボン」
「私も走ってもいいでしょうか」
「……もう、好きにして…………」
私も出走します、とブルボンも寝返ってしまった。スズカ、そしてブルボンと名簿に名前が書かれる。ゼッケンを貰ったスズカが満面の笑みで戻ってきた。
「トレーナーさんっ」
「もー……スズカぁー……」
「ふぁぃふぁぃふぁぃ」
ブルボンは地図も貰い、私はスズカの頬をつねりながら歩き出す。出走は……もう少し後だけど、向こうもあんなに歓迎してくれたのに私の独断で辞退するのも申し訳無い。本当もう……このアホ栗毛ども。
「ブルボンも!」
「ぶぶぶぶぶ、しかしマスターあああああ、スズカさんがががががが」
ブルボンにも往復ビンタをしつつ、屋台エリアに。適当にいくつか屋台飯を買い込んで、少し通りからは離れてビニールシートを広げる。
「ああいうことは卑怯だと思うの」
「ああいうこと……?」
「何本気で解らない顔してるの? まず手続きからやるのはずるいでしょ?」
「んぅ……? ぇぅっ」
「とぼけた顔しないの」
焼きそばソースに汚れたスズカの唇を拭うついでに鼻をつつく。全く、変に賢くなっちゃって……と思ったけど、こういうことをしてたった三キロ走って、その後私に禁止をくらうことを考えられないあたりポンコツか。目先の欲望に負けてしまうからあなたはサイレンススズカなのよ。わかる?
「ブルボンも。スズカの言うことは聞かなくて良いのよ」
「しかし」
「いやしかしじゃなくて」
ブルボンもブルボンでかなりやる気に満ち満ちている。今のところのブルボンの最終目標の距離、3000mを、現状最強の逃げウマ娘であるスズカと走るのだ。
こう見ると、ブルボンはスズカと違い多少の対抗心というか……闘志というものが感じられる。ちなみに、テスト通りの回答をするならウマ娘には必ず『闘志』がある。スズカには絶対に無いけど。
「どうしてあんなこと言ったの、もう」
「申し訳ありません、マスター。スズカさんのオーダーであること……そして、謎の感情ステータスにより言語プログラムにバグが発生しました」
「謎の感情ねえ」
「スズカさんとともに走る機会を、逃したくありませんでした」
……やっぱこの子には闘志があるな。流石は根性に任せたパワーレベリングも可能なウマ娘だ。
「よし……じゃあブルボン、ちょっとおいで。スズカは食べてて良いからね」
「……? はい。解りましたけど……」
スズカへのお仕置きも兼ね、ブルボンを連れて少し離れたところまで向かう。ウマ娘の聴力といえど、人混みと距離で絶対に聞こえないだろう場所までたどり着いてから、私はブルボンに強めの口調で話す。
「ブルボン。スズカを打倒するため、あなたに指示を与えます。現状全てがスズカに劣るあなたが、唯一勝つ可能性がある方法です」
「……! 解りました。全力で遂行します」
「指示はたった一つ──―」
────―
新春マラソン大会が始まってしまった。ライトアップがされた三キロのコースを、新年と同時にスズカとブルボン、あとは人間が結構たくさん走る。完全に走る格好の人達と、私服にコートという格好の二人が非常に浮いていた。
だがもちろんこんなものハンデにもならない。あえて対等になるハンデをつけるなら……そうね……二人に問題集でも渡して解きながらやらせたらちょうど良いんじゃない? 知らないけど。
さて、除夜の鐘が鳴り始め、スタート位置では景気の良い実況のお兄さんの声とともにカウントダウンが始まっている。昼間みたいに明るい夜道のスタートラインの先頭が、スズカとブルボン。
「頑張れ……」
どちらともなく応援を呟く。コースは三キロ、同じ道は通らないが、くるりと回ってゴールラインもここだ。しっかり見られる位置の飲食店の窓際に座り、私はブルボンに言った作戦を思い出していた。
『ブルボン。スズカの最大の武器は何だと思う』
『圧倒的なスピード、そして最終コーナーと最終直線の伸び脚と広く認知されています。私の分析においてもおおむね同様です』
『うん。間違ってない。でもね、他にもスズカの強さがあって、それは同時に弱点でもあるのよ』
除夜の鐘が、108を数えた。実況のお兄さんが明けましておめでとうございます! と挨拶を叫ぶと同時に、スズカ達も一斉に走り出す。
当然、ウマ娘であるスズカとブルボンに人間は一瞬たりとも勝つことはできない。スタートダッシュの蹴り脚が違う。あっという間に二人は孤立し、ちょうど前後に並ぶ。
そう、
「よし……」
なにも、スズカに負けてほしいわけじゃない。というかこの作戦だって、絶対勝てないブルボンにワンチャンスを与えただけだ。闘志を見せたブルボンに、せっかくだから付け焼き刃を焼き付けただけ。
だが、驚くほど順調に作戦は成功していた。
『スズカより前に出続け、掛からせまくる。そしてスズカの失速を狙い、最後に捲る。これしかないわ』
距離は三キロと、レースであればスズカは露骨に失速し走りきれない距離だ。だが、当たり前だがこんな日常でレース並みの速度は出さないし出せない。靴も服装も違う。
だが、そこはスズカの弱点を利用する。つまり、自分が先頭ではない事実に我慢できず、ペース配分を乱してでも追い抜こうとするのだ。もちろん、それを補うための普段のスタミナトレーニングなのだけど……
ただまあ、そんな風な弱点を突くにはやはりブルボンにもスタミナが要る。だから、無理に先頭を奪おうにも最初の1000mまでだ。そこまでで何秒間スズカを掛からせることができるか。そして、ブルボンはいかに冷静に、スズカに先頭を譲った後回復できるか。ブルボンにスタミナは足りないが、それ以上にスズカが消耗すれば勝ちの目があるかもしれない。
今、お互いのプライドを賭けた戦いが始まる────。
────
「はぁ……気持ちよかったです……」
まあ無理だったよね。そりゃそうだわ。スズカはまったく疲れた様子も無く、対照的にブルボンは疲労困憊で帰ってきた。結果として、スズカが先頭を譲っていたのはスタートから100mまで。冷静に考えればスピードが違いすぎる。作戦では何ともならんわこんなの。作戦もめちゃくちゃだし。反省しよう流石に。
「ごめんねブルボン。無茶言って」
「い、いえ……大幅なスタミナ不足を痛感、データベースに再度記録……しておきます……」
それを何とかするのは私だからつまり私のせいなんだよね。スタミナさえつけばこの距離なら勝てるはずだからさ。今も坂路とプールを交ぜて急ピッチでスタミナを伸ばしているわけだし。
「でも、ちょっとびっくりしました。最初だけとはいえ負けるなんて……もっと頑張らないといけませんね」
「まあ、そうね……」
だめかあ……嬉しいような悲しいような複雑な気分だ。まあ、結果としてブルボンもスズカも併走トレーニングの効果で成長していたし、怪我無く帰ってきたし万事解決ではあるけど……
「ふぅ……帰りましょう、トレーナーさん」
「……そーだねえ」
こてんと肩に頭を預けてくるスズカに適当に返しつつも、これは来年は負け無しだろうな、と末恐ろしいものを感じていた。