走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「いち、に、いち、に……スズカさん、目線は小指!」
「はいっ」
金鯱賞を越え、すぐに大阪杯もやって来るとある日のこと。私は珍しく、スズカのダンスレッスンを見に来ていた。
トレセンの生徒は、まあトゥインクルシリーズを主な目標に掲げている。その収益やファンサのためにも、ウマ娘達はウイニングライブを欠かすことはできない。場合によってはレースより、ライブでセンターに立ちたいと言うウマ娘もいるくらいだ。よって、トレセンには専属……専属なのかな、あんまり詳しくないけど、専門のトレーナーさんがついてダンス、ボイスレッスンを受けることができる。もちろん、スズカのようにウマ娘どうしでもファンが多くて大変な子だとほぼ専属で受けられる。
今日はダンストレーナーさんに指示されながら、曲は何だったかな……大阪杯は……『Special Record!』だったかな。あれを踊るスズカ。うーん可愛い。流石は私の愛バ。基本的に振り付けはもうできていて、細かいクオリティを上げる練習が主なのだけど、見て。こんなの私に手を振ってるじゃん。はー可愛い。見に来てよかった。
トレーナーがダンスレッスンを見に来るのは基本的にあんまり推奨はされていない。シンプルに見てもそうそう口を出せるわけじゃないからだ。そんな暇があったら他の仕事をしろって話。私? うるせえ。スズカを見るんだよ。
「はい、じゃあ十分休憩!」
「ふぅ……ありがとうございました」
と、一区切りついたようでスズカが私の方へ歩いてきた。隣に置かれていたドリンクを渡すと、ありがとうございます、と汗を滲ませてそれを受け取る。ウマ娘のスタミナがあっても、ダンスレッスンは疲れるらしい。まあ体への負担と言う意味ではそう無いから特に問題は無いけど。口を付けながら隣に座るスズカ。
「今はどこのダンス?」
「これは三着……だったかな……この曲、あんまり振り付けが変わらないからたまに解らなくなっちゃうんですよね」
「それは不味くない?」
「もちろん、本番までにはちゃんと覚えますよ? それに、区別がつかないだけでもう頭には入ってますから」
「そ……うなんだ。まあ私にはよく解らないけど」
私はその、性根が良いとは言えないので、スズカに一着以外を練習させる必要性と言うのを感じないでもない。まあ譲って二着だろう。バックダンスなんかは絶対に不要だと思うけど、ウマ娘達は冗談でもそんなことは言わない。スポーツマンシップの塊のような子達なので、自分が一着をとれなかった時、お粗末な振り付けをしてセンターの子のライブにケチがつくのを良しとしない。生まれつき純粋で穏やかな戦闘民族なのである。
「今日はブルボンさんは?」
「さっき坂路が終わって、そのまま寝てるよ。いつも通り」
「まだ厳しそうですか」
「いいや。想像以上に伸びてるよ。この分だと坂路を減らしてスピードを鍛えてもいいかもしれない」
「なるほど……それは良かったです。だったらブルボンさんと一緒に走れますね」
「スズカは走れないよ」
「え?」
「え?」
ブルボンは非常に順調だ。出会った頃の……まだ三か月だけど、あの絶望的なスタミナから考えたら果てしない成長を遂げている。このまま伸びれば実はステイヤーだったんです! と言い張っても問題無いくらいにはなるだろう。ちなみにスズカは調子に乗るので言わないが、そうなったらスズカとの併走も増やそうと思う。スズカはブルボンにとっての永遠の仮想敵になれる。
……まあ、二人とも仮想敵とかそういうの関係なくどこまでも頑張れるタイプのような気がするけど。スズカはこんな感じだし、ブルボンも病的に忠実だし。
「まあ、それは今度話し合いましょう」
「話し合いの余地は無いよ」
「話し合います。ちなみに、私とブルボンさんがもしぶつかるとしたらどのレースですか?」
「気になるの?」
「それなりには」
ごろん、と私の足に寝転がってくるスズカ。少し熱っぽいスズカを撫でながら、私は即答した。
「走るならジャパンカップか宝塚。でも私は二人がぶつかったらスズカを止めるからね」
「なんでですか?」
「二人が同時に走ったらスズカが勝つでしょ。別にスズカは何のレースでも良いんだからスズカが譲りなね」
「あー……それはそうですね」
なるほど、と私に向かってくるくると転がってくるスズカ。髪が乱れるでしょ、そんなことしたら。まあダンス中で元から乱れ気味ではあるけどさ。外で梳くわけにもいかないんだからね。何なら結んどくか。さっきから髪がかかって邪魔そうだったし。
「ブルボンは出るレースにはこだわるだろうし、三冠をとったらある程度出るレースも世の中が決めるからね。宝塚とジャパンカップは求められるでしょうね」
もちろん、ブルボンが勝てないと判断したらまた別で考えるしたぶん却下するけど。わざわざ惨敗するだろうレースとか、勝てないと解っているレースに出しても仕方が無い。もちろん、ブルボンがそうならないようにするのは私の仕事でもあるけども。
「なるほどですねえ……」
「スズカもそうなのよ? 宝塚記念と秋の天皇賞、ジャパンカップあたりは今から求められてるんだからね?」
「そうなんですね。たくさん走れて何よりです」
すりついてくるスズカの髪を結んでやって、イヤーキャップも一度外す。気持ちばかりのマッサージだ。私の腿とお腹に突っ伏したまま、スズカはされるがままに寝転がっている。
「頑張ろうね? スズカ」
「はい……頑張りますよ」
そのまま寝ようとするスズカを叩き起こし、続きのレッスンに行かせた。
────
「マスター。先日、チーム・エルナトへの編入試験を行ったと聞きましたが」
「ああうん、したけど」
その日の夜。夜坂路を終えたブルボンが、動けなくなってスズカに抱えられたまま私に聞いてきた。スズカもさ、できたらなんか、お姫様抱っことかにしてあげない? 肩で担ぐのは止めてあげたらどう?
「では、私にも後輩ができるということでしょうか」
「ううん、誰も担当はしないからできないね」
「そうですか」
ブルボンがそんなことを聞くとは思わなかった。やっぱり興味はあるんだろうか。担がれたまま表情は上手く見えないし、声色からも正直判断がしづらい。
「後輩がいた方が嬉しい?」
「いえ。私の特殊性を鑑み、後輩の有無で私のトレーニングに変化は生まれないと推測されます。むしろ、これは『安心』ともいえる感情です」
「安心することがあるの?」
「はい。まだ私はスズカさんの足元にも及びません。その状態で後輩を迎えることは憚られますので」
「なるほどねえ」
「ふふふ。そんなことを言ってると一生後輩ができないですよ?」
スズカもちょっと嬉しそうに口を挟んだ。何だかんだ認められるのは嬉しいらしい。事実とはいえ、言ってることは魔王にもほどがあるけど。
「問題ありません。必ず追いつきます。マスターの指導により、私自身、成長を実感していますから」
「ふふっ。じゃあ走ってみますか? まだまだ先頭は譲りませんけど」
「可能なら是非走もっもっもっ」
「可能じゃないからね。二人で勝手に話を進めないでね」
ブルボンの頬をもちもちして口を塞ぐ。危ない危ない。たまに流れるようにスズカに喧嘩を売るな、この子は。まあライバル意識は大事だけど……それともこういうところから自分の成長を感じてるんだろうか。
確かに考えてみると、ブルボンがどうやって自身の成長を感じるんだ、というところはある。坂路のタイムは少しずつ上げているけど、たくさん走ることが目的なので劇的には上げていないし、同期と比べることも少ないし、坂路の後はこうして動けなくなったり、泥のように眠ってしまったりするわけで。
逆に、そんななかでも成長を実感するとか言えるのはブルボンの凄いところかもしれない。それはつまり、自分が圧倒的に負けている相手への誤差みたいな追い上げを認識できるということだし。
「トレーナーさん、今良い話をしてたんですよ」
「何が良い話よ。スズカが走ろうとしてただけでしょ」
「そんなことありません。私はブルボンさんの成長のことだけを考えてます」
「そうなの?」
「そうですよ」
白々しい嘘をつきおってからに。サイレンススズカがそんなことを考えるわけが無かろうが。うんうん、としたり顔で頷くスズカに、私は懐からメモ帳を取り出す。
「ブルボンの成長のためなら相手はスズカじゃない方が良いのよ。今度同世代の誰かと併走を組んでおくから」
「えっいや私がやりますよ?」
「ブルボンの成長のためよ、スズカ」
「……トレーナーさんに意地悪をされました」
折れるのが早すぎるでしょこのポンコツ栗毛は。
「スズカもブルボンも自分のレースだけ考えておけばいいの。というかスズカは今更何言ってるの」
「今の流れは走らせてもらえる感じだと思ったんですけど……おかしいですね……」
「おかしいのはスズカの思考回路でしょ」
「でももう一日走ってませんよ」
「何が『でも』なの???」
肝心のところでぼろを出すのはいつものスズカだ。自分の話から話題が逸れた瞬間黙るのもいつものブルボン。やっぱりしばらくはこの二人で良いな、私も。大体何人も纏めて面倒を見るなんて忙しくなくても私にはできないだろうし、合ってないわたぶん。
「次は大阪杯に向けてランニング禁止だからね、スズカ」
「でも金鯱賞は勝ちましたよ?」
「だから何が『でも』なの?」
トレーナー室のベッドにブルボンを寝かせるスズカを見ながら、私はそんなことを考えていた。