走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。   作:サイレンススズカ専属トレーナー

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トレーナーのことを信じていたサイレンススズカ

「はーしーりーまーすー」

「だーめーでーすー」

 

 

 ある日。というか大阪杯の二日前。阪神レース場への道順を私が確認している間にも、スズカは変わらず走りたがっていた。いつものことだ。私の向かいで寝転がって、ぱたぱたとばた足を繰り返す。ソファが丈夫で良かった。

 

 

「やー」

「やーじゃありません」

「ぅぁー……」

「呻いてもダメ」

 

 

 さっきまで筋トレをしていたとは思えない体力の残り方である。もちろんそこまで追い込んだりしていないので当然っちゃ当然だけど、だだをこねる余裕がまだあるのか。

 

 スズカはその特性上基本的には追い切りなんかはしない。基本的に逆効果……悪戯にリスクを増やすだけに終わるからだ。まあ、スズカの勝ちの七割はステータスだし。二割気迫、あと一割は運。

 

 

「でもこんなにお天気ですよ? トレーナーさんも走った方が良いんじゃないですか?」

「やだ。暑いもん」

「そうやって暑いからと屋内にいたら健康に良くないです。そんなんだからそんなひょろひょろなんですよ」

「うるせえなんだこの栗毛」

 

 

 痩せていると言え。それにスズカを抱き上げるくらいはできるんだからひょろひょろではない。これは真面目な話だ。私にそれ以上の力がいることがあるか? いや、無い。

 

 

「だから走りましょう。私も走りますから」

「関係無いよね?」

「私気付きました。たぶんトレーナーさんは走ってないから走る気持ち良さが解らないんです。良いですか? 走るというのはやっぱり何よりも自分が一人の世界に入るということなんです。色んな悩みとかそういうのを置いておいて、ひたすら自分を見つめ直すような素晴らしい行動です。もちろん、こんな深い意味じゃなくて、もっと単純に気持ち良さだってあります。流れる汗がスピードで乾いていって、ひゅんひゅんと耳が風を切って──」

 

 

 スズカの講釈が始まってしまったので、その間に後ろのベッドで横になるブルボンの様子を見る。一応私の力で体力や怪我は見ているが、こうして直接触ることも大事だ。あんまり信用はしてないけど。三割くらいは触りたいだけかもしれない。

 

 

「マスター」

「うん、問題無さそうね。筋肉増えてきたみたいだし……そろそろスピードも鍛えていこうか」

「スタミナは、マスターの合格点に届いていますか?」

「んー……」

 

 

 ブルボンのスタミナは、E。もう一押しでE+に届くだろう。私が思うに、皐月賞の目標はスタミナD+。あとちょうど一年だ。問題無く間に合う。メイクデビューを中距離にしても問題は無いくらいだ。

 

 最近はブルボンもトレーニング終わりに死んだように眠ることが少なくなった。体力を失うことに体が慣れてきているんだろう。負荷は上がっているはずだが限度はある。そのうち平気で最高負荷をこなすようになると思うと末恐ろしい根性だ。

 

 

「聞いてますか? トレーナーさん」

「聞いてる聞いてる」

「絶対聞いてないですよね。良いんですか? 私、何するか解りませんよ」

 

 

 本当に何をするか解らないやつはそんなことを宣言しない……けど、スズカに限っては本当に何をするか解らない。あの手この手で許可をもぎ取りに来て、取れなかったら最悪こっそり走るというのがお決まりだ。

 

 ……仕方無い。ちょっと乗ってあげよう。

 

 

「なに、スズカ。じゃあ走るのは身体に良いってこと?」

「そうですっ。トレーナーさんのためなんですよ? 大好きなトレーナーさんに長生きして欲しいので、一緒に走りましょう」

 

 

 なんて単純な子。

 

 

「……解った。じゃあ、私がおしまいって言ったらおしまいね。私が走れなくなるまでは付き合うから」

「本当ですか!?」

「うん。どこかランニングコース出ようか」

「やったっ。やった、やったっ」

 

 

 おもちゃを買ってもらう子供みたいになるスズカ。舞い上がって私のジャージを棚から出してくる。ニコニコで差し出すそれを受け取り、勢い良く尻尾を振りながらドアの前で待つスズカの視線を受けながら着替える。

 

 上機嫌に鼻唄なんて口ずさんじゃって、厄介なおてんばウマ娘め。こっちにも考えがあるんだからね。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「じゃあスズカ。さっき言った通り、私が走れなくなったら終わりだからね」

「はいっ」

「あの、どうして私が呼ばれたんですか……?」

 

 

 三十分後。とあるランニングコースに、私とスズカ、そしてスペシャルウィークが立っていた。今にも走り出そうとそわそわしているスズカの横で、意味も解らずとりあえず呼び出されたのがスペシャルウィーク。

 

 

「トレーナーさんが、私を止める子を誰か呼んでって言ったから……ごめんね、スペちゃん。トレーナーさんが心配性で……」

「来てくれてありがとうスペシャルウィーク。スズカがポンコツじゃなかったらこんなことしないでも済んだんだけどね」

「はあ……全然呼ばれるのは大丈夫ですけど……大丈夫ですか?」

 

 

 スズカが呼んだらすぐに快く来てくれたスペシャルウィークは天使かもしれない。舞い上がったスズカも大した説明もせず呼び出したわけだけど、嫌な顔一つせずに納得してくれた。

 

 そして、ウキウキスズカをちらりと見ながら私に聞いてくる。あら賢い。ちゃんと解っているみたいね。

 

 

「大丈夫よ。ね、スズカ?」

「はいっ。ふふっ。一時間……いえ二時間は走れる……ふふふっ……」

「絶対大丈夫じゃなさそうですけど……?」

 

 

 スズカから恐ろしい独り言が聞こえたが基本的に無視。走れば解る。スズカもまさか後輩の前で私を無視して走るわけにもいかないでしょうから、この人選はラッキーだった。少なくともブルボンにしなくて良かった。

 

 

「じゃあ走りましょうか。よーい……」

「すーっ……はーっ……」

「どんっ」

 

 

ドゥンッ! 

 

 

「はっや」

「あっ待ってくださいスズカさんッ!」

 

 

 手を振り下ろした瞬間スズカが走り出す。スペシャルウィークも後を追った。こう見るとスペシャルウィークのスタートダッシュもかなり洗練されている。もちろんスズカ相手には足元にも及ばないし脚質的に及ぶ必要も無いんだけど……ステータスもかなり仕上がってきている。これは皐月も楽しみだ。

 

 

 そして、私も走り出して、

 

 

 

 

 

 

「…………スズカ……終わり」

「は?」

「え?」

 

 

 十五分で倒れ伏していた。いやマジ、死ぬ。助けて……助けて……。

 

 

「え、い、いや、トレーナーさん? 大丈夫ですか? えっと、あの、す、スぺちゃんどうしようっ、トレーナーさんが……」

「待って……無理……ほんとむり……」

 

 

 走るのなんていつぶりだろう。少なくとも大学で四年は走っていないわけで、元々出来の良くない私の身体は走り始めて十分で悲鳴をあげていた。息が苦しい。足が痛い。終わった。

 

 ちょうど限界に達したところでスズカが横を通ろうとしたので、これ見よがしに崩れ落ちる。と言うかそうでなくても死にそう。なんだこれ。やっぱ人間は走るべきじゃないわ。ウマ娘がいるのに何故人間が走るのか? 哲学だ。哲学じゃねえよ。

 

 

「どうしたんですか!? 体調でも悪いんですか!?」

「いや……絶好調だけど……」

 

 

 と言うか、我ながらこんなに体力が無いとは思わなかった。スペシャルウィークも色々察していたみたいだけど、さらにそれを下回る私のひ弱さに、一緒になって驚いている。

 

 二人が倒れた私を囲んで声をかける図になっていることに気付き、何とか上体だけでも起こす。通報されてしまうこんなの。

 

 

「トレーナーさん、病院に行きますか……!?」

「違うのスズカ……本当に……疲れただけなの……」

 

 

 ええ……? と眉を顰める二人。いや本当にごめん。三十分くらいは走って、全然満足してないだろうけど約束だもんね? しょうがないよね? って言おうとしてたわ。こんなはずじゃなかったの。マジで。

 

 少しずつだがスズカもそれを理解したらしく、はあ、と大きくため息をついた。そして、少し笑って翻った。

 

 

「大丈夫そうで何よりです。じゃあ私は走ってきますね」

「いや……終わりって言ったでしょ? ダメ」

「へぅ……だ、だって、こんなのおかしいです! 私ちゃんと調べたんですから! ヒトは二時間くらいは走れるって!」

「それは普段から走ってる人の話でしょ。私みたいな頭脳派は無理」

「じゃあトレーナーさんは頭脳派じゃなくていいです。走りましょう!」

「泣きたくなってきたわ」

 

 

 無茶苦茶言うスズカだったが走り出すことはしない。スペシャルウィークがしっかりとスズカの腕を掴んでくれている。それが無ければスズカは走るということをしっかり理解しているスペシャルウィークはやはりスズカの立派な後輩になったのだろう。理解度が違う。

 

 ともかく、少しくらいは息を整え、何とか立ち上がってスズカに身を寄せる。脚がガクガクになってしまった。流石に危ないので運転代行を頼もう。明日の筋肉痛に備えてトレセンに車も出してもらおう。

 

 

「トレーナーさん……もうちょっと、もうちょっとだけ走りましょう? 大丈夫です、きっとまだ走れますよ」

「むーりー……」

「そんなこと言わないでください。応援しますよ。ほら。頑張れっ、トレーナーさんっ。頑張れっ。ほら、スぺちゃんもっ」

「いや、たぶんですけどスズカさんは走らない方が良いんだと思います」

「スぺちゃん……!?」

 

 

 ウイニングライブばりの満面の笑みで幻のポンポンを振るスズカと、謎に冷ややかな目で見るスペシャルウィーク。スズカの応援で体に気力は漲る……が、そこは気合や根性でどうにかなる部分ではない。もう走れません私は。スズカの肩を持って後ろから押していく。座りたい。いったん車に戻ろう。

 

 

 スペシャルウィークとオマケの私に押されてもびくともしないスズカ。拒否したって無駄なんだからね。私は限界なんだから。

 

 

「トレーナーさんに騙されました……こんなの酷いです。酷いので走ります」

「騙してません」

「こんなダメダメとは思いませんでした!」

「ダメダメなのは否定しないけどさあ!」

 

 

 中途半端に走らされたスズカの説得にはそこから一時間を要し、最終的には自分で運転できるくらいには体力が戻っていた。スペシャルウィークのトレーナーさんには許可を貰ったうえで三人でご飯を食べ、その日は解散に至った。

 

 

 そして、大阪杯が来る。


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