走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「良いことスズカ。ちゃんと約束は守ってね? お願いね?」
「はい。もちろんちゃんと守ります。破ったことありません」
凄いなこの子。こんな堂々とよく言えたもんだ。本当に変なところで図太いというか。
スズカの発作を抑えるべくやって来た温泉旅館だったが、当然スズカの興味は百割一度目の入浴の後、走って良い時間に向けられていた。走れる道の写真を見せたところ、ここで気持ち良く走るために行きの車では大人しくしてくれたうえ、ついさっきまでお淑やかで素直なサイレンススズカでいてくれた。
が、五人分の御膳をぺろりと平らげ湯船に浸かった瞬間、スズカは覚醒してドライヤーをかけていた私を外まで抱えて走ったのである。今頃脱衣所には誘拐現場のようなものが広がっていることだろう。
「時速50キロまでしか出しちゃダメ、信号とトレーナーさんの合図は必ず止まる、例の脚は使わない……ですよね」
「そう。ちゃんと守らないとそこでランニングは終わりだからね」
「ふふ、解ってますよ」
これ以上無いほどご機嫌なスズカ。ちなみに例の脚というのは、レース中スズカが先頭で最終直線に入るとハイにでもなっているのかさらに速度を上げるあの伸び脚のことである。どう見てもトップスピードからさらに伸びているこれは脚に悪いので基本的に禁止している。
ともかく、解ってくれたようなので不安だが私もスクーターに跨がる。ヘルメットを付けてエンジンをかけ、走る前の深呼吸を行うスズカの後ろについた。
「よし、じゃあスズカ、好きに走ってらっしゃい」
「はいっ」
ドゥンッ!
「はっや」
思い切りスクーターのアクセルを入れる。地を蹴り抉る轟音とともに駆け出していったスズカを、急加速した私が追いかける。
スクーターは、スズカに追い付くためだけに作った特注品である。急加速と急ブレーキに特化させ、可能な限りエンジン音を消した最高速度自体はそんなに出ないお高めのスクーター。街灯と星灯りの夜道を、スズカはギリギリの速度で駆け抜ける。
風を切って、スズカはどんどんと進んでいく。どうやらコース自体はお気に召したようで、舗装だけされてほとんど人の通らない田舎道を突っ切っていく。
後ろから追っているし、狭い道をノンブレーキで走らなければならない都合上スズカの表情を見ている余裕など無いけれど、たぶん死ぬほど幸せそうなんだろうな。走り方と息のつき方で解る。あと速すぎね。こっちはカーブで減速せざるを得ないんだから勘弁してほしい。
「あっスズカ、そこ右! まっすぐだと道が悪いから右に曲がっスズカ!? スズカ!!」
そしてナビもガン無視。というか、走ることに没頭していてまったく聞こえていない。イヤーキャップ取り上げるぞ。
「スズカ! せめて次右! 予定の道に戻ろう! このままだと山道に行っちゃうから! 右右右右スズカ! スズカ!!? ヤバいって!」
右折×。
────
「うわっ、あっ、うっうっうっ、す、スズカ痛っ舌噛んだァ!」
スズカの暴走が止まらない。何せランニング禁三日目に加え併走で敗北、しかも私の言質をとっている形だ。坂路悪路も何のその、真の勇者は道を選ばない。スズカは勇者でも変態でもなく
それに、スズカの速度がほんの少しずつだが上がってきている。ヤバい。私が異次元の逃亡者されてしまう。既に声が届くかもギリギリだ。このまま彼女が満足するまで走り続けてしまう可能性もある。
ひたすら走り続けるスズカ。こう見るとウマ娘のスタミナは無尽蔵だ。まあ本番のレースだとトップスピードが違うのでまだまだスズカでは不足しているが、こうして野良で走るとマジでどうかしている。私なら500mで倒れている。
そうして走り続けること十五キロ。スズカの脚がほんの少しずつ弱まり、しっかりと体に負担をかけないスピードまで落として止まった。小さな街灯のスポットライトの下で、ほんの少し息を乱したスズカが私の差し出したスポーツドリンクを受け取って口に含む。
「こらスズカ。道案内したんだから従わないとダメでしょ。こっちは道が悪いんだから」
「え? あ……はい。すみません、よく聞こえていなくて……」
「もう……約束通りランニングはおしまいね」
「待ってください。止まれとは言われていません。約束は破っていないはずです。ちゃんと考えてください」
「お? なんだスズカやるか? ぶっ飛ばすわよ」
冗談ですよ、と適当に言っているスズカ。どちらにせよ帰りの道は走ることになる。三十キロか。人間のランニングとしては狂気を感じる域だが、ウマ娘、特にスズカにとっては何てことはない距離だろう。
「帰りの道を先に説明しておきます」
「やです。考えながら走りたくありません」
「拒否するならここから二人乗りします」
「やです。まだ走ります。トレーナーさんだけ先に帰っててください」
「この栗毛っ言わせておけばっ」
取っ組み合いに持ち込もうとするが、魔王スズカに腕を掴まれれば人間など動くことはできない。蹴り飛ばそうにもまさか脚を狙うわけにいかないし、流石に良心もある。ふふふ、と非力な私を嘲笑うスズカ。完全にネジが外れている。このまま無限に走りそうだ。何とか止めなければならない。
「今日はおしまいってだけでしょ? また今度走れば良いじゃない」
「トレーナーさん、解ってませんね。こんなに気持ちの良い夜に虫の声を聞きながら月明かりの下走るより気持ちの良いコースがあるはずありません」
「ターフグラウンドは?」
「ジャパンカップですぐ走ることになりますから。それに、トレーナーさんがそう簡単に走らせてくれないことくらい私も解っていますよ」
ぐうの音も出ない。くそっ、私の計算ではランニング禁三日目までは大丈夫なはずだったのに、余計な併走が入ったせいだ。フクキタルめ。今度彼女の御神籤に凶をたくさん入れてやろう。
「解った。帰りは走って良いから。今来た道をそのまま戻ろう。ね? お願いスズカ。これ以上はいたたたたたスズカやめて手首ちぎれるちぎれる!」
「トレーナーさん……走って来て良いですか……?」
「だめ痛い痛い痛い痛い! 割れる! バラバラになる! 卑怯だぞサイレンススズカ! ウマ娘として恥ずかしくないのか!」
「私を走らせてくれないトレーナーさんがいけないと思います」
うおおおお手首が、私の手首がぐちゃぐちゃにされる……何とか、何とかしないと……そうだ。
「解った! 解ったスズカ、走って良い! 良いから一回脚を見せて! それだけ! ね!」
「本当にそれだけですか? 終わったら走らせてくれますか?」
「解った! 走らせてあげるから!」
仕方ないですね、とスズカが放してくれたので、早速荷物からシートを取り出して地面に敷く。何の疑いもなくスズカはそこに寝転がった。ふはは。トレーナーを舐めたなスズカ! お前のトレーナーは勝てば良かろう傍若無人の権化なのだ。
「じゃあマッサージ……をすると見せかけてこうだ! このっバカ栗毛! 大人しくしろ! オラッ!」
「きゃっ!? あ、ぁっ!? ふ、ふふっ、ふふふあはっ、あはははっ、と、トレーナーさん、やめ、やめて……!」
昼間のように乗っかって、イヤーキャップを取り外したスズカのウマ耳を擽る。人間の耳と同じく、ここはちゃんと触れば性感帯にもなり得る箇所だ。そんなことを知らないスズカでも擽ったさに体を捩ることになる。同時にめちゃくちゃに体を擽るのだ。
スズカのくすぐったいところ、痛いところは私が一番知っている。スズカのマッサージやストレッチは毎日私がやっているのだ。スズカの体に世界で一番詳しいのは私である。
「う、うそつ、嘘つき、ふふふふっ、と、トレーナーさん、うそ……っ」
「何とでも言いなさい! これもあなたのためよ! さあ、言いなさい! 帰りは十キロ以上出さずに帰る! 今から! さあ!」
「や、やはははは、や、やで、やですっ、いゃはっ、くくぅっ、ふ、ひははははっ」
「このっまだ解らないか! このこのこのっかくなる上はっ」
スズカのトレーニングウェアを剥がして素肌を弄くってやろうとチャックに手を掛けたところで……スズカの動きがピタリと止まる。解ってくれたか……?
「……解りました。残念ですけど我慢します。今日は帰ります」
「よ、良かった……じゃあスズカ、解ってくれたことだしもう少しスピードを出しても……」
「その代わり、お願い聞いてください」
「…………ものによるねえ」
簡単に何でもするとは言ってはいけない。ごねるかと思われたスズカだったが、非常に大人しく両手を私に向けてきた。少し私より背が低い彼女が、手を広げて私を待っている。
「我慢するので、ぎゅってしてください」
「……それで良いの? 私に痛くしないって約束できる?」
「約束します」
…………可愛いねえスズカはねえ! これがわたしの愛バだねえ!
「よーし偉いぞースズカ! もちろんぎゅってしてあげようね! ほらおいで、ぎゅーっ……」
ウマ娘特有の体温の高さに加えて、今の今まで走っていた熱と少しの汗の匂い。アスリートとは思えない柔らかな体。スズカが望むならと背中に手を回し、しっかりと抱き締めてあげる。
すると、スズカも私に腕を回し、こてん、と頭を肩に乗せてくる。可愛いやつめ。本当に、走りたくて暴走してなければ本当に良い子……なんかあれだな、DV彼氏から離れられない女みたいになってない? 私。違うからね。スズカは本当に良い子だから。私が悪いんだから。全部私が悪……うわっなになになに!?
「よい……しょっ……トレーナーさん、痛くないですか?」
「え、ああ、痛くないけど……どうしたの?」
「いえ、トレーナーさん、軽いなあって思って……」
私を持ち上げるスズカ。まあ、軽いと言われて悪い気はしないけど……ウマ娘からしたら重い人類なんて存在しないでしょとも思う。スズカは私を持ち上げたままゆっくりと歩き出す。自分より年下に抱えて歩かれるの、ちょっと嫌だな。
そのまま五十メートルほど歩いただろうか、スズカは突然私を降ろすと、すりすりと名残惜しそうに再び擦りついたあと、私から離れた。
「よし、じゃあゆっくり帰ろ……スズカ? どうしたの?」
「ううん……いえ、その……」
「ん……?」
ドゥンッ!
「嘘でしょ……!?」
やられた。わざわざ私をスクーターから引き離してからのスタートダッシュで逃げていくスズカ。たった五十メートルだが、スタートダッシュと先手必勝の鬼であるスズカはトップスピードに乗るまでの時間が異様に早い。スズカがわずか四秒で駆け抜ける一方私は十秒かかるのだ。しまった、完全にしてやられた。
「スズカ! 後で覚えてなさいよ!」
「ごめんなさいトレーナーさん! 私、走ります!」
片付けてスクーターを動かすまでの手間もある。あっけなく私は撒かれ、一人宿まで帰ることになった。
翌朝、大満足なスズカが何故か私のベッドに潜り込んで熟睡していたので、縛り付けてフジキセキに引き渡した。お仕置きとして五日間くらいランニング禁にしようと思う。今度こそ甘えても許さないからな。