走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「と、トレーナーさん、絶対ですよ、絶対に手を離しちゃダメですよ」
「解ってるって」
ダービーが、来た。
五月後半、日本において圧倒的人気を誇るウマ娘レース、トゥインクルシリーズでも屈指の集客率を誇るのが、この日本ダービーである。
クラシック級限定かつ生涯に一度だけしか出走できないこのレースは、成り立ちからして日本一のウマ娘を決めるもののうえ、汚い話賞金額もかなり高い。前走皐月賞の大体二倍くらいだったかな。
ウマ娘が賞金目当てにレースを走るって話はそう多くないけど、まあそういう色々な理由があって、やはりこのレースは特別だ。トレーナーにしろウマ娘にしろ、これに勝てたら引退しても良いなんて言い出すのがいるくらいに強く懸けている。
「マスター。屋台を確認しました。ステータス『空腹』の改善を提案します」
「はいはい。何か買おうか」
当然それはスペシャルウィークも例外ではないし、その先輩であるスズカも皐月賞に続きかなり気持ちが入っている。今度は直接見られるということで、東京レース場へ来て、一般観客に交じっている。当然変装付きで。
……私はトレセンのトレーナーなので、その気になれば特別観覧席へ行けるんだけど、是非声の届くところで応援したいとスズカが言うので今日はこっちだ。
「スズカも何か食べる? 飲み物とか」
「あ、ええと……じゃあ何か甘いものがあったら……」
そのスズカはずっと私と手を繋いでいる。不安なので手を繋いで欲しいらしい。可愛いところ見せてくるじゃん。どこの人間が買うんだよ、というハチミツ入りの激甘ジュースを買い、その隣で大盛り焼きそばを買ってきたブルボンとともに観覧席へ。
「そんなにお腹空いたの、ブルボンは」
「いえ、『空腹』については特筆するほどの深刻なバッドステータスではありません。ですが、日本ダービー出走に伴い、記録と学習のため極度の集中状態になることが予想されます」
「お腹空いてると邪魔ってこと」
「その通りです」
素早く焼きそばを食べ始めたブルボン。出走までに全部食べきるつもりかこの子は。
「と、トレーナーさん、入場ですよ、入場」
「ん」
「どうですか? スペちゃんは勝てそうですか?」
「んー……」
地下通路から出てきたウマ娘達。一人一人名前を呼ばれながら、観客の方へ向く。キングヘイロー……うん、まあ……悪くはないけど適正とスタミナがね……ちょっとトレーニングを根性に寄せすぎじゃない?
セイウンスカイは……まあスペシャルウィークと互角くらい。良い勝負をしそう。やっぱりここは展開によるとしか言えないかも。
「……まあ良い勝負はできるでしょう。十分勝機はあるわね」
「勝機はある、ですか」
「……ごめんね。でも嘘はね、良くないから……」
スズカのウマ耳がぺたんとしてしまった。うーん……結局最後までスペシャルウィークは特に変化無かったからなあ。展開お祈りかなあ、これは……
「全力で応援しましょう、トレーナーさん」
「もちろん」
「ブルボンさんもですよ」
「了解しました。オペレーション『応援』を開始します。出力設定、全力で行います」
「待って怖いね。ブルボンの本気はマジじゃん。喉を潰さず応援が終わった後不調が起こらない程度にしてね?」
「出力を四段階低減します」
どんな声でやろうとしたんだ。
入場は最後にエルコンドルパサー……おっと? 抜け出てるねえエルコンドルパサーが。三強よりやや強い。少しスタミナが弱い気もするけど、周りよりスピードが抜けている。これは……
「……彼女が強いですか、トレーナーさん」
「強いね。強い。一番人気も納得だよ。NHKマイルからダービーは正気じゃないけど……やっぱりスペシャルウィークは『勝機がある』までかな」
スズカに見抜かれたので正直に話す。スズカを見ている私は、やっぱりスピードを一番重視してしまう。それが一番高いのはエルコンドルパサーで間違いない。スタミナは低めと言っても2400は十分走りきれるだろう。彼女の作戦にもよるけど、厳しいかなこれは。
「頑張れー……頑張れスペちゃん……!」
ゲートまで行き……おお。四人が握手しあっている。スポーツマンシップだ。素晴らしいことね。みんな頑張ってほしい。もちろんスペシャルウィークをメインに応援するけど。
そして、ファンファーレと心地よい口上が流れ、そして。
『──スタートしました!』
────
日本ダービー。私の憧れ。日本一のウマ娘になるために必要なこと。
グラスちゃんは怪我で出られなくなったけど、みんなでここで戦おうって決めた舞台。
エルちゃんに負けないように努力し続けた。
キングちゃんと並び立てるよう諦めなかった。
セイちゃんに追い付けるように特訓を重ねた。
グラスちゃんに誇れるように今日も全力で走る。
(もうすぐ第三コーナー……! ペースは速めかも……みんな前にいるし、外に抜けるルートも……大丈夫、ここからなら大外走っても体力はもつ!)
レースを作っているのはキングちゃんとセイちゃん。とても良いスタートを決めたキングちゃんがそのまま先頭を行き、セイちゃんはその後ろ。少し離れてエルちゃん。
冷静に、冷静に。少しずつ外に出ながら、位置取りを上げる。見続けるんだ。抜けるタイミングを考え続ける。
流れに乗って走ったせいかそこまで消耗は大きくない。一息だけ入れて、私は第三コーナーに差し掛かって少し速度を上げた。
(どう見てもキングちゃんは掛かってる……スパートに遅れなければ届く……!)
先行集団につき、展開を窺う。ほんの少し前を走るエルちゃんの動きを見逃すな。セイちゃんのスパートに遅れるな。キングちゃんを侮るな。集中っ!
そして、第四コーナーから直線に入った。
「今っ!」
セイちゃんが前に出る。一瞬遅れてみんながスピードを上げたのが解った。
「くっ……」
そんななか、キングちゃんも前に出ようとしているけど脚が残っていない。一瞬判断が早かったのはやっぱりエルちゃん。私がようやく先行集団を捲った頃に、既にセイちゃんの二番手につけていた。
「ま、け、る、かあぁあぁっ!!!」
セイちゃんが粘る。直線はまだ残ってる。
私も、ここからだ。
「うわあぁあぁっ!!!」
一番切れ味があるのは私だ。五番手、四番手、キングちゃんを抜き三番手。全力でスパート。負けられない、この末脚勝負で負けちゃいけない!
ターフを思い切り蹴り付け前を目指す。詰まってきてる。セイちゃんの影は掴んだ。これ以上は伸びない。私とエルちゃんがセイちゃんを置き去りにゴール板へ向かっていく。
でも、三バ身。まだ三バ身ある。長い。セイちゃんもエルちゃんも私が思うより伸びていた。
(息が……っ!)
歯を食い縛り詰め寄ろうとする。私の方が速い、速いけど、エルちゃんが速すぎる。差が詰まらない。こんなペースじゃ間に合わない。もっと、もっと速く走らないといけない、のに──!
「ぐっ……」
どう考えてもこれ以上速くなれない。私は今全力を尽くしている。それでも、三バ身が、遠い。ダービーが、勝利が離れていくような、そんな感覚がある。全てを走ることに注いでいるのに。これ以上無いほど踏み込んで、それで、それでも、私、は、
(負ける…………? そんな、でも……!)
気が遠くなる。それでも体は動く。ひたすらエルちゃんを追いかけ、私とエルちゃんを連呼する実況の人の声が聞こえる。歓声が、私達を包んでいる。二着の私と、一着のエルちゃんを。声が広がり遠くなる。時間の進みが遅い。私の脚とエルちゃんの脚。残酷なくらい比べられてしまう。これじゃ届かない。いくら詰めてもかわせない。
(そんな……)
心の折れる音、の、その一瞬前。スローモーションになっていく視界の中で。
「スペちゃぁああぁん!!!! 頑張れぇええぇ──っ!!」
声が、聞こえた。
(スズカ、さん)
私の先輩。一番速い人。誰より速く、自由な人。私のために練習に付き合ってくれて、それで、私は、
私は、
私……
私は、どうして諦めようとしてるんだ?
三バ身が何だ。たったの三バ身じゃないか。私は何回、影も形もないスズカさんを追い掛けていたんだ? あの時私は何を考えていたんだ? 勝てないって諦めていた? 違う。勝つにはどうするか、ずっと考えていた。
目の前にエルちゃんはいる。走っている。本当に薄く呼吸が聞こえる。大地を踏みしめる揺れすら感じる。影は私の目の前にある。私の届くところに、エルちゃんはいる。だったら、諦めてなんていられない。
スズカさんのトレーナーさんは言っていた。私が、私の強みが私を超えれば、勝てるって。私のトレーナーさんも言ってくれた。私の末脚は一級品だって。キレは誰にも負けてないって。
私の武器はなんだ。私はそれほど賢くない。スタミナが必要な距離じゃない。トップスピードだって大したことはない。
私にあるのは、だったら、やっぱり一つだ。
「っ…………」
折れるほど歯を食い縛る。一歩ずつ、一歩も無駄にできない。全て、全力で、走る。追い縋るんだ。根性は、最終直線は、負けられない。私の武器はこれだ。スズカさんとの勝負もそうだった。
わたしにできるすべてをやるまで、あきらめられない。
わたしのちからでターフをえぐる。それくらいやらないとおいつけない。
ぜんりょくじゃない。ほんきでもない。いっかいいっかい、かならずかつつもりではしるんだ。このからだの、ぜんぶをそそぐ。
いくよ、エルちゃん。みてて、スズカさん。
「────────ッ!!!!!」
これが、わたしの──―ッ
────
「おお……っ!?」
不思議なことが起こっていた。
スペシャルウィークとエルコンドルパサーのスピード差はいかんともしがたい。何せ後者はマイル戦の勝者だ。スペシャルウィークが差しであることを考えても、二人の差はほとんど縮まっていなかった。そして、ステータスを見るにゴールまでに差し切れないと、そう思った。
が。
『スペシャルウィーク並んだ! スペシャルウィーク並ぶ! エルコンドルパサー粘る! エルコンドルパサー粘れるか! 厳しいか! スペシャルウィークまだ伸びる!』
目の前で、スペシャルウィークがその絶望的な差を埋めていた。
「行けえぇぇっ!! スペちゃん!!!」
スズカの応援を聞きながら、私はエルコンドルパサーに並び、そしてなお前に進む彼女の姿をしっかり捉えていた。スペシャルウィークが、差し──
『エルコンドルパサーか! スペシャルウィークか! エルコンドルパサー! スペシャルウィーク! 今並んでゴールイン! エルコンドルパサー粘ったか! スペシャルウィーク差し切ったか!』
た……のかな?
……いや、なんにせよ、信じられない。本当にこの土壇場でスペシャルウィークが伸び脚を使った。どう見ても完成している。完全にトップスピードに乗っていたスペシャルウィークが、さらに前に出た。
「しゃ、写真……けほっ、ごほっ……」
「ああほらスズカ。あんまり無理しないの」
喉を痛めて咳き込んだスズカの背中を撫で、飲み物を飲ませておく。完全に隣のブルボンの声を掻き消す声量だったものね。普段出さないエネルギーを使ってしまったのかもしれない。
……レースの結果は写真判定か。
「げほっ、こほっ、んんっ」
「気を付けて飲みなさいね」
差し切った……ように見えた。差し切ったと思う。でも所詮観客視点だし贔屓目かもしれない。スペシャルウィーク単勝投票券とともに、三人揃って発表を待つ……そして。
「あ、と、と、トレーナーさん! トレーナーさん!」
「うん、見てる、見てるよスズカ!」
『一着はスペシャルウィーク! スペシャルウィークが差し切りました!』
今年のダービーウマ娘は、スペシャルウィークです! そんな実況の叫びと同時に、呆然と立っていたスペシャルウィークが勢い良く右手を上げて──
Tips!
伸び脚は二種類、条件を満たすと無意識に発動されるものと、任意で気合いや集中により発動できるものがあるぞ!ちなみにスズカの伸び脚は全て前者だ!