走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「スズカ。大事な話があります」
「……? はい。解りました……」
ある日、私はトレーナールームにスズカを呼び出し、できるだけ真面目な顔で私の前に座らせた。今日のスズカは少し落ち着いている。というのも、昨日たらふく走ったからだ。特に駆け引きもなく、私の見ていないところで勝手に走った。嘘だろ。
「エアグルーヴ。お願いね」
「ああ。任せろ」
そして、スズカの後ろにエアグルーヴ。わざわざこの話し合いのために呼んである。しっかりと彼女にもメリットを提示して、その上で納得のもと突っ立ってもらっていた。生徒会会議の後なのでまだ制服だ。
「エアグルーヴ……? あの、話というのは……」
「うん。スズカ。ジャパンカップまであと五日になったわね」
「はあ……あっ、待ってくださいトレーナー、私嫌な予感が、あ、え、エアグルーヴ、待って、立たせてっ」
「駄目だ。お前を逃がさないように言われているからな」
何かを察して立ち上がろうとするスズカの肩をエアグルーヴが持って止める。彼女も賢いな。出来るだけ腕の力だけで押さえることで、パワーの差を測ろうとしている。
ちなみにだが成長ペースを考えてもエアグルーヴがスズカに追い付けないのは確定している。そりゃ当たり前だ。私が『スピードがカンストしたスズカに』『足りないトレーニングだけ』をやらせているのだから、満遍なく鍛えているエアグルーヴは少なくとも数字の上では絶対に追い付かない。
ただしパワーだけはスズカを僅かに上回るエアグルーヴ。スズカをしっかり押さえつけて、逃げようとする彼女を引き留めてくれる。呼んで良かったな。
「私はね、スズカの強さはその執念にもあると思うの。絶対に先頭を譲らないという気持ちがあなたの速さに追い付いているからこそ、あなたは勝てる」
「待ってください、聞きたくありません、やだやだ、放して……っ」
「それがスズカと他の逃げウマの絶対的な差だと思うわ」
私は、たとえスズカのステータスが凡百であっても変わらず勝てると思っている。その理由の一つがこれだ。
トゥインクルシリーズにおいて、『勝利』以外に重点を置いて走っているウマ娘はほとんどいない。色々細かな目標はあるだろうが、みな『○○がしたい』→『そのために勝ちたい』→『勝つために頑張ろう』となるわけで。
でもスズカは違う。『先頭を走りたい、気持ちよく走りたい』→『なんか勝ってた』なのだ。極端な話をすれば、先頭でゴールさえできれば降格処分でも構わず受け入れるし、出走停止になっても代わりに野原を走る機会があればご機嫌になる。逆に、途中まででも先頭でなければレースに勝っても不完全燃焼だ。
つまり、ハナを切るモチベーションが違う。そもそも逃げというのはストレスフルな作戦ではあるのだ。必死にリードを奪い、疲れて死にそうな終盤で後ろから足音で追い立てられ、じりじり差を詰められる。
これを楽しんでできる、むしろこの作戦に執着できる時点で、勝つために逃げざるを得ないウマ娘とは圧倒的に違うのだ。
「でもねスズカ……最近私、あなたに甘かったのかもしれない……」
「や、や、やぁ……」
「私はあなたに勝ってほしいので、レース前くらいトレーナーとしてあなたをちゃんと管理します」
「え、エアグルーヴ……助けて……」
泣きそうになりながらいやいやと首を振るスズカ。エアグルーヴに頼んでも無駄よ。彼女にはしっかり話をつけてあるから。
『エアグルーヴ。話があるの』
『何だ』
『あなたはスズカと戦って勝ちたい。そうよね?』
『……そうだな。この雪辱を果たさなければならん』
『でも、不調とか、本気じゃないスズカに勝っても仕方無いわよね?』
『当然だ。全力で、全力の相手に勝つ。これが女帝たる走り、勝利の形だ』
『うんうん。そうよねエアグルーヴ』
『じゃあ協力してね?』
「駄目だ。私としてもお前に調子を崩してほしくはない」
「うそでしょ……?」
「というわけで、スズカ。本番のジャパンカップでその執念を十分発揮するため……」
「いやっ、待って、トレーナーさん、私良い子にしますから、ちゃんと言うこと聞きますからそれだけはっ」
「ここからジャパンカップまでの五日間、一切のランニングを禁止します」
「あああああ…………」
と、いうわけだ。エアグルーヴもこれを快諾。スペシャルウィークではスズカに甘くしてしまいそうだし、併走を持ち掛けられたら憧れもあって受けてしまいそうなので、ファインモーションにも話をつけ部屋を代わってもらっている。
エアグルーヴのトレーナーの説得だけは面倒だったが、あれはエアグルーヴの尻に敷かれる悲しい男なので二人がかりでへし折った。
「お願いしますトレーナーさん、ちょっとだけ、ちょっとだけですから……」
「だめだね。たくさん我慢してジャパンカップで存分に走ろうね。何ならその後も死ぬまで走って良いから」
「むり、むりです、ぜったいにむり……」
スズカが泣き出してしまった……が、ここで折れてはいけないのだ。心を鬼にして後の事はエアグルーヴに任せる。恐らくスズカは毎日私に交渉に来るだろうけど……それもやむなし。何とか走ること以外で上手く調子をコントロールしよう。
────
「トレーナーさん、走りたいです」
「だめ」
「もう無理です」
翌日、早速スズカが来た。我慢できなくなるの早すぎね、君。薬物中毒でももうちょっと我慢できるでしょ。
私も仕事中ではあったんだけど、スズカのランニング禁を手伝う方が優先だ。久しぶりにこれはたづなさんに投げよう。常日頃から手伝わせてくれと言われてるし。
「はい座って。大丈夫、大丈夫よ。頑張ろうねスズカ」
「うぅ……むりです、だめです……」
ソファに移り、抱き締めて背中を擦る。スズカはうわ言のように何か呟いているが、逃げようとはしないし言葉巧みに交渉もしない。
我慢しようという意思がまだ残っているだけでマシかな。昨日含めて二日目で何言ってるんだって話だけど。というか痛い痛い。頭ぐりぐりしないで。おっぱいが。おっぱいがちぎれて肋骨も折れる。
「今日はじゃあどこか美味しいものでも食べに行こうか。走っちゃ駄目だけどバイクの後ろに乗せたげるから」
「やです……走りたくなっちゃう……」
「じゃあ車にしようね。中華と和食どっちが良い?」
「洋食……」
「なるほどね。エアグルーヴ……は来てくれなさそうだし、スペちゃん誘う?」
「二人でいいです……」
先行きが不安で仕方無いけど、まあ何とかなるだろう。
────
「トレーナーさん、走らせてください。もうだめです。私はもう無理です」
「……だめ。ほらぎゅってしたげるから」
「そんなことで誤魔化されると思わないでください」
「昨日は誤魔化されたでしょ」
やけになって大量食いをしたスズカのお陰で物凄い額が飛んでいった。もちろん元はと言えばスズカの稼ぎだけど。ウマ娘は人間の数倍食べる。私はほとんど食べていないのに、複数人で飲み会をしたレベルの金が無くなった。
「そもそもこのままだと私の調子が下がっちゃいますよ。本気で走れなくなっちゃいますよ」
「大丈夫でしょ。はい頑張ろうねー」
「ああぁ……」
膝にスズカを寝かせて、バシバシと背中を叩く。肺を叩かれあっあっあっと声を漏らすスズカ。これで二日半走っていないわけだし、普段ならこれくらいがスズカの限界かもしれない。寝たままぱたぱたと無意識に脚が動いている。
「トレーナーさん……」
「頑張れスズカー。あともうちょっとだぞー」
そのままマッサージに入りつつ、明日からの事も考えなければ。あと三日、何とか我慢させないとなあ……
「あっトレーナーさん脚に触らないでください」
「え、何? どうしたの?」
「動かしてないと我慢できないんです」
「…………」
────
「スズカさんのトレーナーさん!」
「うわっびっくりした」
次の日、スズカではなくスペシャルウィークがやってきた。鬼気迫る表情で私に駆け寄ってくる。
「スズカさんと何をしているんですか!?」
「え? まあ……色々と」
「スズカさんの様子がおかしいんですよ!」
「どんな感じ?」
我慢させ過ぎたか? でもまだ四日だし……明後日走れるって解ってるわけだし……それに、何だかんだ言ってもスズカは根は真面目で大人しい良い子なので、いくら何でも暴れ出したりはしないはず。
「私、一緒にご飯を食べようって誘いに行ったんです。でもスズカさん、授業のあとすぐ寮に戻ったらしくて」
「うん」
「お部屋に会いに行ったら、部屋の真ん中でくるくる回ってるんです! その場で! スケート選手みたいに!」
「おー……凄いねそれは」
左回りの癖が速くなりすぎてその場回転になってしまったのだろうか。まあでもかなりギリギリっぽい。部屋から出ないあたりマジだ。必死に指示を守ろうとしているのが感じられる。普段からそれくらい頑張ってほしい。
「凄いじゃないですよ! あれじゃスズカさんおかしくなっちゃいますって!」
「うーんそうだねえ」
元々おかしいでしょ、とは言えなかった。必ず改善することを約束させられそうになったが、ご飯を奢ることで許してもらえた。
────
「トレーナーさん……もう私、本当に我慢できません。日夜エアグルーヴに監視され、走れず我慢して……今許可をくれないと、爆発しちゃいますよ」
「爆発は困るわね。ほらおいでおいで」
「もう誤魔化されません。走ります。走るんです」
「解った、話し合いましょう。一度座ろ? ね?」
あと二日。ジャパンカップは明後日。スズカがこれまでに無く息を荒げて、ゆらりゆらりと頭を横に振りながら近付いてきた。頬が熱でもあるかのように赤い。脚が震えている。なるほど……これはやべーわ。
とにかく隣に座らせるところまではいった。これは相当キている。ランニングシューズを履いているし。欠片の理性が働いたか左右で違うシューズだけど。
とにかく必死に対症療法を試みる。今までスズカの暴走を止めた私によると、スズカのこの欲求不満は以下の行動で抑えることができます。みんなも真似してみよう。
①人肌に触れさせる
「お願いスズカ、レースは明後日だから。ね? 頑張れっ頑張れっ。ぎゅー」
「やです。私はもう限界です」
「そんなこと言わないで……」
②食べ物で釣る
「甘いものでも食べに行く? パフェとかどう? あ、この間ケーキ食べたいって言ってたよね? よーしホールケーキ丸ごと買っちゃうぞー」
「向こう一年いらないので走らせてください。走らせてください。走らせてください」
「うお……」
③論理的に説教を行う
「スズカ。ワガママ言っちゃだめ。これもあなたが勝つためなの。あなたの強みを活かすためには、こうやってあなたにチャージの時間を与えないといけないの」
「このままだと調子を崩すと言ったはずです。それにトレーナーさん、ずっと言ってくれてますよね? 私なら負けない、私が一番速いって。嘘だったんですか? こんなに辛い思いをしないと勝てないくらい、私は遅いんですか?」
「いや…………ちゃうねんなそれは」
だめみたいですね……こんなのもう説得不可能でしょ。見て、このスズカの曇りの無い目を。今走らないと自分が爆発すると信じて疑わない純粋な欲望の目よ。
……まあ逆に言えば、まだ大丈夫なんだけどね。私だって、ウマ娘に走ることを禁じたら洒落にならないことになるって解ってるし。でもその場合、ウマ娘は欲望ではなく義務感のようなもので走ろうとする。要するに、お腹空いたごはん食べたいって思ってるうちは大丈夫で、お腹空いたごはん食べなきゃ死ぬって思い始めたら駄目ってことだ。
というかそういう健康被害は半年とかそのレベルで走らせなかったらの話だから。スズカのステータスは見えているけど、まだ絶好調だし体力も有り余ってるから。
「仕方無い……スズカ。目を閉じて。プレゼントがあるの」
「……何ですか?」
「良いから瞑って」
あほあほ栗毛なので目を瞑ってしまうスズカ。その隙に私は手際よく彼女の両手両足に手錠を掛けた。
これこそ④物理的に拘束してしまえである。
「あっ、トレーナーさんそんな」
「もうちょっと頑張ろうねー」
「むり、むりっ、トレーナーさん? トレーナーさん! 聞いてください、ほんとうにむりです、走りたいっ、ね、外して、はずしてくださいっ」
「はーい」
ごめんねえスズカ。でもスズカの競走成績は私のボーナスにも関わるからお願いね。