走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「あぁ……暑いですトレーナーさん」
「暑いねえ……」
ある日。夏合宿を翌日に控えた私達チーム・エルナトは、トレーナー室で荷造りを行っていた。ちなみにブルボンはしばらく実家に帰れていないということで今日は帰省である。
夏合宿。それはトレセン学園においてしっかりそれ専用の規則もあり、制度もあり、なんと参加率九割を超えるやべーイベントである。あ、まともなトレーナーがついていればの話ね。百人規模のチームはちょっと厳しい。
この期間は寮への外泊届け……うちはスズカがあまりにも出しすぎてもはや顔パスまで行っちゃってるアレを出さずに、最低限の日記だけで長期宿泊ができる。同時に、トレセンが多くの旅館やホテルに働きかけて提携を結び、うちは何人までならウマ娘を受け入れますよ、と発表をしてくれるのだ。
で、こっちは砂浜、坂路、宿泊施設に加えて慰安のプライベートビーチまで確保できる。向こうはしっかり調整すれば廃棄する食料も減り、部屋をトラブル率の非常に低いウマ娘という種族で埋めることができる。まあ汚い話だがウマ娘がいるということで集客もできるし、提携の時にそこそこのお金も入る。Win-Win。
一応合宿で山に行く選択もあるらしいんだけど、やっぱり砂浜というトレーニング施設は大きいし、海と温泉のどちらがモチベが上がるかは結構偏りがある。夏だしね。私? 温泉に決まってんじゃん。
「シューズ……うーん……二十もあればとりあえず良いかな……」
「向こうで極力買いたくないし、三十入れとこう」
「はい。えっと、悪路用だけで良いですか? 長距離用は……」
「スズカが走らなければいらないでしょ」
「じゃあ入れておきますね」
「なんだこの栗毛開き直ったな」
まあ、夏合宿中は私もスズカに走るななどとは言うつもりは無いけど。シューズ専用のバッグに詰めていくスズカに色々と言うものの、流石にこの期間はしょうがない、とは思っている。そういう期間なのだし、宝塚も終わったのだし。もちろん、毎日毎日気が済むまで走るなんて話じゃないけど。
「タオルは洗濯が面倒だから少なめにしてね。もしくは捨てて新しいの買うか」
「そんなもったいない使い方するんですか……?」
「私忘れてないからね。去年そう言うスズカを信じたら大変なことになったんだから」
「……ふふっ」
「ふふっじゃないが」
荷造りをしているのは主にスズカで、私は前日と言うことで最終確認とか、向こうの人とのやり取りとか、最終決定した他のウマ娘の宿泊先とかを見ている。同世代のウマ娘は無し、一つ下は……キングヘイローとグラスワンダーがいる。まあそこそこ広めのところだからね、他にもちらほらいるが、これは名前を憶えていないから気にしないことにして。
グラスワンダーのトレーナーさんには挨拶くらいはしておこう。どっちがお世話になったかはさておき、色々あったし。事前にメッセージをするのは合同トレーニングを申し込んでいるみたいな誤解をされたくないのでパス。本当はやった方が良いんだろうし、スズカの方が先輩な以上大丈夫だとは思うけど一応ね。
「エナジーゼリーはどうします?」
「持っていかない。ブルボンがすぐそれで済ませようとするから」
「あとお財布……うーんと……あっ、ドリンクの素と……あれ? この辺にあったはずですけど……もう飲んじゃったかな」
「それは後で買いに行きましょう。ドリンクね」
メモメモ。あとやることと言えば、トレーニングメニューの考案だけど、私の場合は行き当たりばったりでやった方が上手く行くし。もちろん概ねの方針は決めるけど、細かくはまあ、決めなくてもいい。適宜ブルボンの様子を見ながら、倒れる寸前までやらせればいいのだから。
で、そのブルボンの育成方針なんだけど……正直な話、スタミナはかなり補強できている。もちろん学園では坂路の効率が良すぎるのでそれをひたすらに続けさせるが、合宿まで来てそれをやるかは微妙なところだ。どちらかと言えば他のことをやらせた方が、学園での坂路に集中できる。と言うことで、どちらかと言えばパワーや根性と言ったところを伸ばしていくことになる。
合宿でそれらを伸ばすと言えば、そう、やはり砂浜走り込みだ。タイヤを引かせても良い。後は本当の意味での併走。うちはスズカの関係で併走の意味が壊れかけているが、本来の併走は並んで走り根性を煽る目的で行う。それに、一応賢さも上がる。特にブルボンにとって掛かりは致命的だからね。
「んー? トレーナーさん、これは何の充電コードですか?」
「見せて……あー……たぶんメガホンだと思うけど。試しに挿せる?」
「メガホン……メガホン……え? メガホンは持っていきます?」
「いや、持っていかない……かな。別に面倒だったら試さなくてもいいよ。片付けしてるわけじゃないし」
「はい。じゃあこれは後で……わーっ……」
「スズカ!?」
棚から崩れたトレーニング用品に、スズカがゆっくりと埋もれていった。なんて緊迫感の無い悲鳴よ。いや迫真の声が出ても焦っちゃうから心臓に悪いんだけどさ。荷物に埋もれたスズカを救い出し、片付けを手伝っておく。整理もしとかないといけないな。帰ってきたらやるか。
「よいしょ……っと。これで良いかな……トレーナーさん。たぶん準備できたと思います」
「ん。じゃあえっと……あった。一緒に確認しようか」
あらかじめスズカと決めて保存しておいた持ち物リストを開く。一つずつ上から確認して、持ってます、と真面目なスズカの返事が返ってくる。こういうことをさせるとスズカが優等生であることを再確認できる。走ることさえ絡まなければ基本的に真面目で几帳面で頭もちゃんと回る子なのだ。基本的に目立った欠点は無いと言ってもいい。走ることさえ絡まなければ。
しばらく確認が続き、とりあえず着替え以外の全てが用意できていることをしっかりと確認。適当に詰めるのではなく、しっかりコンパクトに中身が散らからないように入れてくれている。助かるわ。私はそんなに得意じゃないからさ。後は買い足すものがちらほら。まあそれはこれから行くから良し。あとは荷物をトレセンの業者さんに渡して、明後日には届いているという寸法で。
「じゃあスズカ、運ぼうか」
「はい。よ……っと」
「くっ……重……」
「私が全部持ちますよ?」
結局荷物は鞄三つ、それぞれがかなりの重さになってしまった。私がやっとのことで一つ持っている横で、平気な顔をしてお手玉でも持つみたいに持っているのが恐ろしい。ウマ娘ってすげえ。
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「はあ……トレーナーさん……」
「何、スズカ」
「走りたいです……」
「明後日から走れるんだから良いでしょ?」
「何度も言ってますけど。今日の気持ちと明日の気持ちは違うんですよ? トレーナーさんはご飯食べたいってなっても明日で良いかってなるんですか?」
「ならないけど」
「ほら」
「ほらじゃないが」
買い物ついでに、ブルボンを迎えに行くことになっている。流石に二か月完全にこちらが預かるとなるとブルボンの家族にも挨拶せざるを得ない。スズカの親はそういうところ緩いらしい……というか緩くないと小学生のスズカが夜中走りに出かけたりできないからね。もちろん一報は入れたけど、私が引率なら何しても構わないとのお言葉を頂いている。大体お母さんが出るんだけど、あの人あってこのスズカって感じ。スズカ本人は性格はお父さん似って言ってたけど。
……あと、あの人私が教え子に手ぇ出すとか考えてない? 最近スズカとはどう? じゃないんだよ。スズカの調子とトレーニングは話した後、学園での姿は担任から連絡が行っているはずで、それ以上何が聞きたいのよ。
ブルボンの家に続く田舎道に入り、スズカは当然のように走りたいと言い出した。ダメだからね。今から走ったらどうせ日が暮れて、またあの家に泊まらないといけない。私、お金の話とかでブルボンのお父さんを避けてるんだから。明日万が一にも別行動にならないために迎えに行ってるけど、できれば行きたくないんだからね。あの人はあの人で本気で私がもっと受け取るべきだって思ってるから困る。
「そうだ、トレーナーさん」
「ん?」
「さっきスぺちゃんから連絡がありましたよ」
「なんだって?」
「こっちに一回だけ来られることになったから、その時にみんなでレースをしませんか、って」
「あー……うん。良いんじゃない。みんなってみんなでしょ? あの子達」
「たぶんそうだと思います」
こっちもブルボンを出せるし、スズカも嬉しそうにしているから良いね。セイウンスカイとエルコンドルパサーがいるかは正直解らないけど、まあグラスワンダーとキングヘイローはいるんだろうし。うちでもレースでは後ろから追われる経験が積みにくいからね。
「えっと……わかったわ……っと……わっ返信早い……」
ここ右で、次の意味解らないくらい狭い道に入って……本当、何回来てもブルボンの家は迷いそうになる。東京ではないとはいえ都会生まれ都会育ちなので、田舎はどこも同じ道に見えるのだ。それでも何とか辿り着く。
「はい……どうしたのスズカ」
「待ってください、今、今かなり来てます……」
「もう。別に明日走っても良いから。頑張れスズカ」
「んん……」
人気のない空気の良い田舎道にテンションの上がってしまったらしいスズカ。座席から外をちらちらと見上げながら、脚をかたかたと揺らしてしまっていた。エンジンを止め、顎をこしょこしょしておく。すぐに我慢できなくなるんだからこの子は。困ったものね。この後帰って着替えの荷造りしなきゃいけないんだからね。
「んぅ……」
「はい、じゃあ行くよ。別に降りなくても良いけど」
「……じゃあ車で待ってます」
「そう? じゃあ手錠掛けとこうか」
「えっ」
「はい、がしゃんっと」
ウマ娘用の手錠をかけ、車に繋ぐ。一応よ? 一応。途中で我慢できなくなって走りに行ったら困るし。すぐ帰って来るからさ。一応エンジンをかけ直して、鼻をぷいぷいして車を出る。そんな捨てられた子犬みたいな目をしないで。普段の行いが悪いでしょ。こういうときのスズカは信じられないんだからね。まさかスズカ達にブルボンのお父さんが苦手なんて言えないし、スズカが勝手に走る可能性はあるのだ。
ブルボンを拾い、私達は東京へ戻っていった。なおスズカは拗ねて後部座席で寝ていた。聞くと、本気でちょっと走って帰ってくるつもりだったらしい。危ねえ。