走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
「あぁ……楽しみですね、トレーナーさん」
「だねえ」
「はあ……やっぱり我慢できません、今からでも走って向かった方が良いような気がします」
「しないよ」
ある日。通常トレーニングを早めに切り上げた私達は、その夜に車に乗って近くのレース場に向かっていた。目的は一つ、レースである。夜、元々あるレース場を貸してもらえることになったのだ。そこに来るのはスズカが適当に招集した面々。珍しく、スズカの方から誘ったレースである。
宝塚記念でスズカが見た、スピードの向こう側なる謎の領域。あれを見たい見たいとスズカが一昨日温泉でごねにごねた。最終的には全裸で絡まれ、誰かが温泉に入ってくる気配を感じた私がつい許可を出してしまった。もちろんスズカはそんなつもりじゃないんだろうけど、見られていたら一発アウトだっただろう。危なかった。
まあとりあえず考えたいから拒否していただけで、別にスズカが人を集めるならとやることになった。ブルボンにも良い経験になるし、夜の使っていないレース場を使うことは結構よくある。清掃と整備を頼むお金だけでやってくれるし、それだって結構トレセン側が持ってくれるからね。
スズカの意図なんか解らないだろうけど、それはそれとしてみんなはこぞって来てくれたらしい。それで、こうしてご機嫌スズカを乗せて向かっているわけだ。そのためにブルボンのトレーニングも早めに終わらせたのだし、ブルボンも後ろでやる気十分だ。
「良い、スズカ。みんなブルボンとは違うんだからね。走るのは良くて二回よ。一回だって危ないんだから」
「もちろん、解ってますよ?」
「どうだか……」
やっとたどり着いて、荷物を持って更衣室へ向かう。今日はスズカもできるだけ本気で走れるように、勝負服を持参している。スズカの相手達は全員が全員勝負服を持っているわけではないのでアレだけど。そういえば、ブルボンの勝負服も決めないといけないな。
「どう、スズカ」
「うん……やっぱりこれを着ると気持ちが入ります……すぐにでも走り出したいくらい」
「良かった。じゃあしばらく待機ね。私はいないけど、誰か来たらちゃんと対応するのよ」
「はいっ」
スズカが急に呼んでしまったということで、挨拶くらいしておかないといけない。まあこれもスズカのため。いくつかの部屋を訪れ、レース前の時間を潰した。
────
「行ってきます、トレーナーさん」
「ん。行ってらっしゃい」
そして、本番。メンバーは、正直私も覚えてないような感じ。唯一マチカネフクキタルは来てくれたらしいが、まあ、勝負になるのはそれくらいだろう。その彼女だって別に勝てるわけじゃない。ブルボンも残念ながら今回限りはその他大勢だろう。マチカネフクキタルから逃げ切れば大金星だが……まあ、2200ではちょっとね。まだ厳しい。
ただ、今回はそれで良いのだ。前回の宝塚も、結局ほとんどは相手にならないウマ娘ばかり。エアグルーヴとマチカネフクキタルが同等かと言われると微妙だけど、状況としてはそこそこ近しいはずだ。
一枠一番サイレンススズカを眺める。うん、集中状態も良い。いつもの逃亡者スズカだ。首をくるりと回して、スタートを待っている。ブルボンもちゃんと集中しているし、ブルボンはスタートが良いというよりスピードに乗るまでが得意なタイプだ。多少出遅れても……出遅れるのは普通に辛いか。
スタートし、予想通りスズカが一番、次に一人挟んでブルボン。ブルボンにはちゃんとラップタイムを指示してあるけど、守れ……そうね。すぐ後ろとすぐ前に先輩がいても問題無く無視して進めている。一方独走するスズカ。
スピードの向こう側は、宝塚記念のスズカの脚が一瞬止まったタイミング……最終コーナー近くで見えるはずだ。あの時とスピードは遜色ない。少し後続との差が離れすぎてはいるが、スズカの性格を考えるなら詰められるよりマシだろう。そして、スズカがそのままスパートに入り……何も起きていない。
少し止まることもなく、正しくいつものスズカのスパートが始まっている。そのまま直線でももう一度伸び、無事にゴール。圧倒的大差をつけ、二着のマチカネフクキタルをぶっちぎって帰って来た。ブルボンはラップタイムを忠実に守り、ちょうど半分程度の順位でゴール。まあそんなものよね。これ以上速くすると今のブルボンではバテてしまう。これがベストだ。
「お疲れスズカ。どうだった?」
「え? あ……ええと」
「見えたの?」
更衣室に戻り、どこか煮え切らない態度のスズカ。しっかり話を聞かなければならない。あの時のように発熱は見られないし、スズカも普段のポンコツスズカに戻っているから、これはダメだったんだろうけど……
「すみません、走るのに夢中で、全然覚えてません……」
「……もー」
「いひゃいいひゃいいひゃいれす」
「そのためのレースでしょーっ」
「ひゃめひゃめひゃめひぎれひゃう」
このあほあほ栗毛め。今まさに控室で死ぬほど反省会をしているだろう他のみんなに申し訳ないと思わないの。一頻り頬っぺたを抓って赤くしたそれを撫でて、落ち着いて座る。聞くに、別に意識せずに宝塚の時も入ったんだから問題ないだろう、とのこと。確かにそれはそうだけどさ。もうちょっとあるじゃん。
「でも、たぶんダメだったと思います。普通に楽しく走っただけでした」
「そっか……本番のレースじゃないとダメなのか、あの時の相手の中に特定の誰かがいたのか……あんまり考えにくいけど」
確かに一部、因縁というか、何故かこいつには負けたくない! と強く意識し合うウマ娘はいるらしい。でも、スズカにはいなかったはずだ。いや、いないからこそスズカは強いのだ。それでさらに速くなるとは思えない。
……もちろん、今まで私が見てきたスズカが間違っているなら、それもあり得る。そしたらもう……泣くわよ私。
「たぶん、レースじゃなきゃダメ……なんですかね……? でも楽しかったので……良いかなって」
「良いかなって……もう……はあ……」
じゃあ良いよ、となってしまうのが、私がスズカに対して弱いところだ。まあ今回については私も大したことはしていないし、借りるお金だって元はといえばスズカのお金だ。そもそも補助アリで格安だったし。
「で、ブルボン」
「はい」
「素晴らしかったわ。タイムは完璧、一度も掛かることなく走り切ったわね」
「はい。しかし、順位は良いとは言えません。スズカさんにも勝つことはできませんでした」
「まあ……そうね。それは仕方が無いわ。スズカに勝てるタイム設定じゃなかったし、それをやったらブルボンが沈んだし」
「そうですか……」
ウキウキスズカとは対照的に、ブルボンはしょんぼりしてしまった。いや、別にいい成績だったと思うけどね。あと、もう少し縮められたような気がする。ごめんね、それは私の設定ミスだ。へにょったアホ毛とウマ耳を立たせてあげて、ぽんぽん頭を撫でてあげればそれなりに機嫌が戻る。
その日はそれで解散とし、私達はそれぞれの合宿へと戻っていった。なお、スズカはマチカネフクキタルから謎の古びた鍵を貰っていた。
────―
その夜。お風呂から出た私が夜風に当たろうと外に出ると、スズカが既にそこにいた。
「あ、トレーナーさん」
「何してるのスズカ。体が冷えるわよ」
「トレーナーさんだってそうですよね?」
「私は大人だから良いのよ」
「お母さんみたいなことを言いますね?」
スズカは浴衣ではなく、普段着のようなものを着て寒そうにしていた。上に着ていた羽織をスズカに被せておく。
「なんで外にいるの。走りに来たの?」
「私が走ることしか考えてないと思ってませんか?」
「違うの?」
「……まあそうかもしれません。ここにいるのもちょっと気になっちゃっただけですから」
「気になった?」
「はい。スピードの向こう側……辿り着いたらどうなるんだろうって」
スズカのステータスはスピードがカンストしている。これは純然たる事実であり、しばらくまったく成長はしていない。そのうえで伸び脚を発揮しているのが今で、その先。つまり、カンストのさらに先がある、ということだろうか。
「トレーナーさんは言いましたよね。私が一番速いって。それは今も本気ですか?」
「本気よ。スズカより速い子はいないわ。だから選んだの」
んふふ、と首元をくすぐられたスズカが笑う。
「そうですか……じゃあもっと速くなったら、もっと好きになっちゃいますね」
「好きに……まあそうね、そうかも」
別に、それだけじゃないけど。ゆっくりと道を歩くスズカが、機嫌よく振り返った。
「じゃあ、何としても行かなきゃいけないですね、スピードの向こう側。今度のレースはいつでしたっけ?」
「毎日王冠」
「じゃあ毎日王冠で勝って、ついでに見てきますね。あ、でもG1じゃなきゃ見られない、とかだったらどうしましょう。こんなことなら、あの時怖がらずに走るべきだったかな」
「ふふ。見られると良いわね」
「はい」
頭を撫でると、ゆっくり近寄って来た。擦りつくような距離で、二度曲がって旅館までの道につく。やっぱりとても可愛い。しかも速いんだからもう言うこと無しだ。これ以上速くなる必要については正直解らないけど、まあスズカがそうしたいというならそうすればいい。んー、と擦り寄るスズカを優しく叩き、くしゃみをしたので足を速める。
「戻るわよスズカ。ほら。何してるの」
「え? いえ、その……もう少し星を見ていたいなあって」
「何? 急にロマンチックになったの?」
「あ、はい……そうですよ?」
「……ん? 待ってスズカ。そういえばあなた、どうして浴衣を着てないの?」
「いや、その……さ、寒かったので……」
「半袖の方が寒いでしょ」
いくら薄い上着があると言っても流石に無理がある。それに、今思ったんだけどスズカ、なんか、普通に靴……シューズじゃない?
「スズカ……まさか」
「ち、違うんですよ? これはその、そう、実験です。もしかしたら一人で走ったら見えてくるかもしれませんし」
「……」
「……そ、そんな目で見ないでください……」
はあーあ。ちょっといい雰囲気だったのが台無しになっちゃった。なるほど、だから必要以上に私にくっついてきてたのね。目を逸らすスズカ。その手を丁寧に取って、私はそのままぎゅっと両手で抱きしめた。
「帰るわよ、スズカ」
「あっ待って、その、もうスイッチ入っちゃってるんですっ」
「ダメ」
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけですから……」
「ダメ」
「あぁぁあぁぁ…………」
スズカの腕は温かかった。完全に走る気だったわね、この子は。