走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
ジャパンカップ当日がやって来た。
一着賞金三億円。レベルが低いと思われている日本のレースを海外に届かせるために作られた、日本で一番権威があると言っても過言ではない大レースだ。
中距離としては長めの府中2400mを、日本海外問わず有力なウマ娘が集って走る。オリンピックにも喩えられる賞レースに、私のサイレンススズカが出られることになった。控えめに言ってスズカのレーティングは他のウマ娘をぶっちぎっている。本日の主役は間違いなく彼女とエアグルーヴだ。他にこの二人に並ぶウマ娘はいない。
異次元の逃亡者サイレンススズカと、女帝エアグルーヴ。ファン達の論争はエアグルーヴがスズカを差せるかどうかのみに終始し、ネット掲示板では4:6でスズカの負けという印象だ。
もちろん、私からすればちゃんちゃらおかしな話で、スズカが負けるはずがないと確信している。エアグルーヴでは無理だ。彼女はとてつもなく強い。強いが、言ってしまえば『非常に強い』だけ。普通に走るだけでは話にならないがたまにバグるマチカネフクキタルとは性質が違う。
控えめに言って中距離だけに限るならシンボリルドルフやナリタブライアンにすら勝つ能力がスズカにはある。皇帝や怪物でなければあれを抑えるのは無理なのだ。残念ながら女帝では少し不足と言わざるを得ない。スズカ以外なら圧勝できる力がある以上、トラブルが無ければトリプルティアラは取っていただろうけど。
そんな大本命、一番人気、三枠五番サイレンススズカは、今。
「スズカ? 大丈夫?」
「はい。調子は良いです……イライラはしてますけど」
「ごめんて」
控え室にて特に緊張するでもなく私に棘を向けていた。手首には少し赤く手錠の跡が見える。外したらすぐ走り出すかと思ったが、流石に根は良い子、直後のレースのため少し我慢してくれた。
この、緊張していなさそうで実は緊張している……と見せかけて全く緊張していない気性もスズカの強さだ。誰といつどこで走ろうと影響を受けない。プラスもマイナスもだ。
「トレーナーさん。約束、覚えていますか?」
「覚えてるよ。勝ったら三日分、スズカは好きな時に好きなだけどこまでも走って良い。眠たくなったら車で寝て、ご飯も食べさせてあげる。シューズも新しいのを買ってあげよう」
「……約束ですからね」
もちろん。スズカにもご褒美は必要だ。既にキャンピングカーのレンタル手続きを終えている。何ならシューズも買ってあるし、三日間休むという申請もできている。どうせ今日から三日全部消費するだろうから。
白と緑の勝負服に身を包み、既にレース後のフィーバータイムに想いを馳せるスズカ。うんうん、彼女はこれで良いのだ。今頃エアグルーヴ陣営はいかにスズカを捉えるかを考えていることだろう。今日は差しではなく先行で来るかもしれないね。そうじゃないと届かないから。
「大差勝ちしたら五日に伸ばしてくれるんですよね?」
「もちろん」
流石にそれは厳しいだろうけど。G2じゃあるまいし。2400mはスズカのホームからは少し外れてはいるし。それはエアグルーヴも一緒か。どちらにせよ2400はステイヤーが手を掛けてくる距離だ。
『──レースに出場するウマ娘は、ゲートインの準備を行いますのでターフへお集まりください。繰り返します──』
呼び出しの放送が鳴る。音の無かったTVモニターが外の様子を映し出す。割れんばかりの歓声と、そこに散見されるエアグルーヴ応援の横断幕。スーパーウマ娘、サイレンススズカの敗北を待つ者もいる。
スズカの手を握る。心拍は不気味なくらい落ち着いていて、すっと細められた目に私の惚れた執念が燃えていた。強いウマ娘が負ける、それこそがレースの魅力と言う人がいる。それは否定しないし、できない。王者の連勝にも夢はあるが、ジャイアントキリングの方が盛り上がる。
「じゃあ、トレーナーさん。行ってきます」
「うん。行っておいで。見に行った方がいい? ここで待ってようか?」
だが、マイル中距離にてスズカには勝てまい。その絶対性はそんじょそこらのウマ娘がひっくり返せるものではない。スズカは必ず勝つ。
「ここで待っていても良いですよ……必ず勝って一番に帰ってきますから」
私の愛バは世界で一番速い。私もスズカも、それを一切疑っていないのだから。
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『さあ素晴らしいスタートを切ったのはサイレンススズカ! 2400mをものともしないハイペースで飛ばしていきます!』
レース展開は予想通りスズカが単独で突っ走る形で進んでいった。他にいたはずの逃げウマはスズカより前に出ることを諦め脚を溜める形。エアグルーヴは……五番手。かなり良い位置につけているわね。
スズカに勝てないから脚を溜めるなど愚の骨頂。むしろ無謀でも全開で走って先頭を奪わなければ話にならない。スズカに単独で逃げさせた時点でもう勝ち目はない。
『第二コーナーを回り向こう正面。先頭は依然サイレンススズカ! 快調に飛ばす飛ばす! 差がどんどん開いていきます今七バ身ほど!』
スズカの脚に疲れや淀みは全く無い。もう見なくて良いレベルだ。直線もコーナーも変わらず誰より速いスズカに、やっと危機感を覚えた一部ウマ娘がペースを上げ出したがもう遅い。全く後ろを見ること無く駆け抜けるスズカ。一人だけ第三コーナーにかかる。
『さあ逃げるサイレンススズカ! 既に十バ身の差がついています! あーっとここでエアグルーヴ下がっていく! 厳しいか!?』
エアグルーヴだけは冷静にスパートを見ているけど、それはそれで無理がある。追い付けないわよそれじゃ。そもそもトップスピードがスズカの方が上である以上、仮に逃げ追込のスピード差があったとしても追い付けない。
早くも最終コーナーに入り、ここからスズカの本領発揮だ。いや、逃げウマの本領発揮がなんで最終コーナーからなのよ。我ながら意味解らん。
でも事実なのだ。溜まりきったフラストレーションも相まってスズカが伸びていく。姿勢を低くしたスパート姿勢のまま、誰より速く駆け出した。
『さあ最終コーナー回ってここからスパート! サイレンススズカただ一人がぐんぐん伸びていく! 差が詰まりません! ただ一人エアグルーヴだけが! 女帝が追い縋るがまだ最終コーナー半ば! 届くか!? 差はじわじわと詰まっています!』
「……まあ無理だろうなあ」
『さあ二人とも最終直線に入りましたが先頭は大きく離してサイレンススズカ! 400を越え200にかかろうかと言うところ! ここからエアグルーヴが爆発するか! セーフティリードとなってしまうか!』
TVを消した。もういい。後はスズカに聞く。ロッカーからタオル、クーラーボックスからドリンクを取り出す。ネクタイを締め鏡で前髪を直す。身嗜みは大事なのだ。スズカのトレーナーとして。
「こんにちは! お疲れ様です! 乙名史です!」
「いえ、早すぎるんですけど」
こういう、記者の取材なんかもあるから。まあこの人は別に適当に扱ってもいい人だけど。
「いえいえ、結果がどうあれサイレンススズカさんには何としても取材をしなければと我々も思っておりましたので!」
「はあ……じゃあまあ、とりあえずどうぞ」
「失礼します!」
乙名史なんとかかんとかさん。名前は正直覚えてない。ごめんね。彼女は月刊トゥインクルなる雑誌のライターで、なんとスズカにクラシック序盤から取材を入れていた慧眼を持つ人だ。たまにうるさくなるけどとても真摯だし、客観的な事実と妄想以外は書かない。妄想は書かないでよ。バカか。
でもいい人なので取材は受けることにしている。厳しい現実はともかくこっちを煽るような質問もしないし。そういう記者には私もイライラするので……
「今日のサイレンススズカさんの仕上がりはいかがでしたか? 調べによると、ここ数日彼女はどこか落ち着かない様子で、不調ではないかという見方もあったそうですが」
「そうですね……いえ、不調でもないですよ。今日も問題なく走っていますし。レースとは関係無い他の要因だと思います」
「なるほど……では、結果はまだ出ていないわけですが、今日の勝算はどの程度おありだったのですか?」
「スズカが自分の走りを貫けば十分勝てるかと思ってましたね」
そう言うと、乙名史さんは独特の震え上がるポーズでどこか虚空を見つめ立ち上がった。悪癖が出たわね。
「素晴らしいです! 自分の愛バなら世界一速く! 誰にも負けるはずがないと心から彼女を信用しているということですね! 彼女の力を信じ、絶対に勝てると断言できるほど普段から強い絆を結んでいる! 彼女のために私財を投じ、望むならどこへでも連れていくほどの関係性にあるということですね!」
こういう突然始まる妄想だけは少し苦手ではある……え? いやなんか違わない? 私が建前で隠したところまで読んでばっちり当ててない? この人エスパーか何か? 凄すぎるでしょ。全部あってるわ。もう話すことないわ。
「……まあ、それで良いですけど」
何か言っておこうと思ったが、そろそろレースが終わりスズカが戻ってくる頃だろう。少し前に地下を貫通する大歓声が巻き起こっていた。
「乙名史さん、少しの間だけ外に出ててもらえますか? スズカが帰ってきますので。続きはライブの後で」
「あ、はい。失礼しました。ではお待ちしてます」
「写真が必要ならスズカに着替えないよう言っておきますけど」
「是非お願いします! それでは!」
乙名史記者が去っていく。ウイニングライブ、ジャパンカップは何の曲だっけ……ダンストレーニングは専門の人に任せているから私は全く知らないのよね。スズカの歌が聞きたければカラオケで良いし……まあでもスズカがセンターで歌って踊るのはアガるかも。
「……ふぅ」
それを考えるのもスズカを出迎えてから。ドアの前に立ち少し待つと、控えめな速度でノブが回された。
「おかえりスズカ……楽しかった?」
「…………はいっ」
スズカは私の問いかけに笑顔で応えると、そのまま私にこつん、と頭を預けた。
「良かったね」
勝敗は聞くまでもない。彼女の熱っぽい頭を撫でながら、私はタオルを彼女に掛けた。
一着サイレンススズカ
二着エアグルーヴ(大差)
三着以下(大差)