走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 作:サイレンススズカ専属トレーナー
でも私は知っています。そんなものを読者は誰も望んでいないし、何より私も望んでいない。
「じゃあ、スプリングステークスからの始動で良い?」
「はい。一時目標を三月、スプリングステークスに設定します」
ある日。私とブルボンはトレーナー室で向き合って、今年の動きについて話し合っていた。
シニア二年目、それも基本的には私の言ったレースに出走するだろうスズカと違い、ブルボンには譲れないポイントというのが存在する。それがクラシック三冠であり、当然、まかり間違ってもそもそも出走できないなんて状況になっては困る。よって、しっかりトライアルレースから出走し、なんとしても優先出走権を勝ち取らなければならない。
……まあ、既にG1を勝っているうえ人気もかなりあるブルボンのこと、恐らく何も言わなくても皐月賞には出られるだろうけど、一応ね。
「出走ウマ娘はまだ解らないけど、まあ誰が出てきてもブルボンが負けることは無いと言って良いわ。距離もまだマイルの範疇だし、余裕のあるレースになると思う」
「はい。私自身の判断でも、1800mを走り切ることは十分に可能です。スプリングステークスにおいて一着をとり、優先出走権を獲得して皐月賞、でよろしいでしょうか」
「そうね。もちろん弥生賞でも良いわ。ブルボンなら楽に走りきれる。どう?」
「……マスターの指示であれば従います」
ブルボンがしゅんとしてしまった。まだちょっと自信が足りないかな。まあ、1600、1800と勝てばまた変わるだろう。ブルボンの中にインプットされた「自分はスプリンターである」という自覚は結構根強い。もちろん、ブルボンのお父さんも根拠があって言っていたんだろうし仕方ないことだけど。
「冗談よ。1800に行きましょう。それともそろそろ挑戦権使っておく? まあまだ勝てないだろうけど、走り切るくらいはできると思うけど」
スズカがブルボンにプレゼントした、ナリタブライアン、シンボリルドルフとの併走……というか模擬レース権。オークションにしたら間違いなく学園中のウマ娘が……特に中長距離を目指す子達なら絶対に飛びつくプラチナチケットを、ブルボンはまだ両方残している。
「いつ使うべきでしょうか」
「まあ……別にいつ使っても変わりは無いと思うけど」
クラシック戦線前に調子を付けるために使うでも良いし、菊花賞前にそれまでの成果を示すために使っても良い。どのタイミングで使おうとも、基本的に勝てる勝負ではないのだ。
「……マスターが勝てると思ったタイミングで使うことは可能ですか」
「良いけど今年は多分無理よ」
「……一日のトレーニングをどの程度増量すれば可能ですか?」
「無茶言わないで?」
当然のようにトレーニングの増量を申し出ないで。私のことトレーニングマシンだと思ってるでしょ。トレーナーだから。何なら人間だから。
無茶、と言われたのを「勝つのが無茶」と受け取ったのか、ブルボンはしゅんとしてウマ耳を折ってしまった。目から露骨にがっかり感が伝わってくる。シンボリルドルフに勝てないと言われてここまで凹むウマ娘も珍しいだろう。彼女はもはや存在が奇跡みたいなものだ。目標ではあるが壁ではない。あそこにたどり着くには同じように存在からして選ばれたような存在でなければ厳しい。そう、スズカだ。
「ブルボンが使いたいときに使えば良いから」
「……マスター。トレーニングを開始しましょう」
「まだ予約の時間じゃないって」
「単純なもので構いません」
立ち上がりこそしないものの、やる気に満ちた目でこちらを見てくるブルボン。こんなにころころ感情が切り替わるようになって。厄介だったり嬉しかったり。というか単純なものって何。走り込みとかのことを言ってるんだろうけど、そんな効率の悪い練習させたくありません。スピードを伸ばすならスプリントダッシュや……ああ、雑巾がけとかね。その方が良いじゃん。
「だめ」
「では坂路でも」
「坂路ならオッケーとかあるわけないでしょ?」
「そんな……」
そんな……じゃないけど。当たり前でしょ。むしろ坂路の方が厳しいんだから嫌がったらどうなの?
「じゃあスズカさん、私はこれで!」
「ええ、ありがとう」
どうすれば……と間抜けに口を開けて考え込んでしまうブルボン。扉が開き、スズカが入って来た。今日の付き添いはスペシャルウィークだったらしい。学園でのスズカへの付き添い……特に放課後トレーナー室までのものは結構日替わりになっている。こういうときスズカの人望を実感する。一週間で割っても違う人が来てくれるというのはよく考えなくても凄いことじゃないの。
まあ、それとは別にスペシャルウィーク、エアグルーヴが多いけどね。あの二人はスズカに並々ならぬライバル意識を持っていると同時に、スズカと仲が良いトップツーと言っても良い。特にエアグルーヴ。彼女、本来去年でドリームリーグに行くつもりだったところを、まだスズカとの決着が付いていないからと今年も少しだけ続行するらしいからね。
「お疲れスズカ」
「お疲れ様です、スズカさん」
「こんにちは、トレーナーさん、ブルボンさん」
一月も中旬、そろそろスズカの脚からも露骨なギプスが外れる頃だ。流石はウマ娘というか……ケガや病気に対する抵抗力が半端ではない。世間ではウマ娘は怪我しやすいだの何だのと言われてはいるが、一部不治ともいえるものを除けば回復は人間より早い。ガラスの脚というのは事実だけど。
ギプスが外れればとりあえず両脚をつけて歩くこともできるようになるし、まあ散歩くらいすれば気も晴れるだろう。いや、逆かも。歩けるようになったことでむしろ走りたくなって狂う可能性もあるわね。
「んー」
「はいはい」
ソファに座り、肩を預けてくるスズカ。手を回して撫でる。スズカは目を細めつつ、テーブルにあるメモ書きを眺めている。
「ブルボンさんの出走予定ですか?」
「そうよ」
「スプリングステークス……ああ、確かブライトさんが走ってたような」
「走ってたわね。二着だったかな」
どうでもいい雑談を挟みつつ、テーブルのお菓子を食むスズカ。んー、と体を伸ばし、クッキーを咥えて戻ってくる。
「ブルボンさんはどうですか?」
「勝てるでしょ。負ける要素が無いもの」
「じゃあ安心ですね」
「というか三月の話だからね。すぐに皐月賞だし、別にこのレースどうこうで喜ぶこともないわ」
「じゃあ皐月賞はどうなんですか」
「ブルボンが負けるわけないでしょ」
これから誰かが驚くような急成長を遂げるか、あるいは、マチカネフクキタルやグラスワンダーのような特定条件で全てを破壊するタイプでもない限り大丈夫だ。つくづく思うけど、グラスワンダーが同期に居なくてよかった。あれはそもそも才能がある上に格上殺しの素質がある。それがスズカに向いた時が非常に怖い。
話も終わり、ブルボンは何をするわけでもなく定位置でじっと私達を眺めている。少し機嫌が良さそうだ。スズカも上機嫌だし、今日も平和ね。
「お疲れ様でーす」
と、しばらくしてスカーレットが来た。もうそんな時間か。ただ雑談しているだけで時間は過ぎるものね。スカーレットはスズカやブルボンと違って色々と任せられることが多く、忙しい。まあ基本的にしっかりトレーニングには来るし、それらを理由に減らすことも要求はしないけど。
「……はあ。トレーナー、飲み物冷やすわね。さっき先生に貰ったやつ」
「お疲れ。良いよ。飲まれたくないなら名前書いときなね」
「別に誰が飲んでも良いわよ。先輩方は飲みます? 炭酸ですけど」
「私は炭酸は……」
「トレーニングに支障が出ないなら頂きます」
「ん、飲んでも良いよ。ちょっとね」
コップを用意して、注いでブルボンに手渡すスカーレット。扉を閉めた瞬間から口調が素に戻り、私のこともトレーナーと呼んでくる。新鮮だ。スズカもブルボンも距離感はともかく敬語だし、スズカ達の友達や後輩も敬語だからね。生徒会面子くらいかな、タメ口なのは。あれは誰に対しても……いや、エアグルーヴはマルゼンスキーやシンボリルドルフには敬語を使っていたような気もするな。じゃあ何故……?
「今日のトレーニングは?」
「スプリント。ブルボンも一緒」
「ふーん。どれくらいやるの? 倒れるまで?」
「いやいや……一般的な量だって」
「アンタの一般的は信用できないから」
「ええ……?」
妙に冷たいスカーレット。ズレてる自覚はあるけど、一般的って言う時はそれなりの量しかやらせないし……信じて信じて。
「倒れるまでトレーニングを行いますか? 是非」
「待ってブルボン。ダメよ。正気に戻って」
「しかし」
「いやしかしじゃなくて」
「目の前にスパルタにハマって強くなった先輩達がいるんだけど。これで信用するのは無理でしょ」
「うぅ」
ぴこんっとウマ耳を立たせたブルボンと、最近はもう何でも良くなってきたのか発作を起こしてうつ伏せになるスズカ。スズカのことはまだ話していないので、まだスカーレットの中では二人ともスパルタで全てを黙らせる子だということになっている。スズカは違うって。マジで。勝手に走るんだって。
「別に良いけど。たまにやってよ、アレ」
「うわあああ……」
「何そのリアクション」
部屋に鍵を掛け、制服からジャージへ着替え始めるスカーレット。同じタイミングでブルボンも着替えを始める。スズカの背中を太鼓みたいに叩いてんっんっと鳴かせつつ、早くも無茶を言い始めたスカーレットにクッションを投げる。服を脱いでる最中なのにいとも簡単に片手で止められた。投げ返され、顔面にぶつかった。
「す、スカーレットも染まっちゃった……スパルタの風……」
「染めたのはトレーナーでしょ。というか染まってないし」
「じゃあ何。あなたもブルボンと同じなんでしょ」
「アンタ自分のウマ娘を何だと思ってんの?」
そりゃねえ。何とは言わないけど。
「別にキツいからやりたいんじゃなくて、あれが一番成長できるならやりたいってだけよ」
「……まあ、一番成長できるのは間違いないけど」
「ブルボン先輩もそれで強くなったんですよね? 一緒よ一緒」
「はい。ですのでこれからも継続していきたいのですが」
「いやいや……」
まだブルボンのことがよく解ってないわね、スカーレット。まがりなりにも一年ちょっとブルボンを何度も気絶させてきた私を理解度で上回ろうなど甘い。というかスカーレット全部脱いでから着替えるタイプ? 鍵があるからってそれはどうなの? スズカやブルボンはもう諦めてるけど。
「言っておくけどブルボンは半分くらいはキツいことがしたいだけよ」
「そんなわけないでしょ。ね、ブルボン先輩」
「大きな負荷がかかることを期待してリクエストを行っています。成長への最善手を考慮しているだけです」
「そんなこと言って。倒れるほどトレーニングしてるって実感が好きなんでしょ? ブルボンは」
「否定はしません」
「ええ……?」
スカーレットが引いていた。残念でもないし当然。
「……あと、スズカ先輩に何やってるの」
「スズカ、こうされるの好きなのよ」
「……アレね、もしかしたらここ、マ──」
カタカナ五文字の良くない言葉を、私はクッションを投げて遮った。
これくらいのツッコミが好き。だいたいこんな感じで行きたい。でもちょっと時間は早めてそろそろスズカを治すかも。