英雄の歌姫   作:珱瑠 耀

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十一小節目

場の雰囲気を変える一言は、あまりにも軽かった。

 

「えいっ」

 

―――ぱしゃり

 

瞬間、いつもなら煩い筈の酒場が嘘の様に静まる。

 

客も、店員も、それを外から見ていた通行人も。

 

たっぷり10秒、そのままで時間が過ぎる。

 

 

その停止した時間を動かしたのは、真っ赤な安物のワインを頭から掛けられたベートだった。

 

ふらりと立ち上がり、襟元に手を伸ばしながら低い声で言う。

 

「………おいガキ、誰に向かってこんなこ―――」

 

「あら、お気に召しませんでしたか?」

 

―――召す訳無いだろ、とミーシア以外の全員がその場で項垂れた。

 

「先程からトマトトマトと【剣姫】様に繰り返しお喋りでいらしたもので……てっきり、【凶狼(ヴァナルガンド)】様は自分もトマトになって【剣姫】様の気をお引きになられたかったのかと……ご迷惑でしたか?」

 

―――多大なるご迷惑だよ、と今度は片手で顳顬(こめかみ)を押さえる。

 

そんな中、アイズだけは彼女をじっと見ていた。

 

そして当の彼は青筋の入った顔を歪め、ミーシアの襟を掴み持ち上げる。

 

 

「あ"ぁこちとら大ッ迷惑だよゴラァ!!こんな安っぽいワインぶち撒けられてありがとうなんか言えるかっつーんだ―――」

 

「では、()()してみましょう」

 

「―――あ?」

 

 

一切の表情をふんわりとした笑みのまま崩さないミーシアが、ゆっくりと目を閉じる。

 

そして。

 

「【それは愚者。笑みを纏う我は、旅の最中に偽りを被る】」

 

恐らく、至近距離に居たベートにしか聞こえないであろう声量。

 

殆ど囁き声であったその詠唱は、彼女の中にほんの一瞬だけ「()()」を宿した。

 

歌い終わった瞬間に頭に入る情報、その中で一番単純な解を正面にぶつける。

 

 

―――その刹那は、ベートにのみ感じさせられた。

 

 

「……ッ」

 

 

正面にいる弱者から、自分に向けて一瞬だけ発された濃密で重厚な圧。

 

その圧がダンジョンのモンスターならまだ解る。

 

それが、()()()()()()()()発せられた?

 

目を細めて強さを確認しても、もうあの瞬間の重すぎた感覚は一切が無かった。

 

そうして彼は思案する。

 

 

―――今、どうやって俺を狼狽えさせた?

 

 

たった一つだけ頭に浮かぶこの問いが、彼には酷く不気味に思えた。

 

「……オイ、お前今―――」

 

「んー……やはり難しいですね……」

 

「―――一々被せんなッ!!」

 

―――よく言った、と今度は数人がベートに向かってサムズアップした。

 

そんな周囲に目もくれないミーシアは、わざとらしく驚いて口元を隠す。

 

「あら、それは失礼をしました……でも、凄いのですね」

 

「あぁ?んだよ、突然……」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて、今までどのような生活を送ってこられたのかがとても気になります。えぇ、やはり【ロキ・ファミリア】の主力であり数も少ない第一級冒険者(Lv.5)ですから、さぞ強大な才能をお持ちなのでしょう……となれば、そんなお強い【凶狼(ヴァナルガンド)】様の故郷では幼少から周囲に英雄視されていらしたのでしょうか?―――戦闘の才能がある、貴方は強い、冒険者になれば最強になれる……だから強者である自分が弱者を見下し酒の肴として嘲笑うのは当然の事であるとは、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()かの様な人生ですが―――」

 

「うるせぇッ!!お前みてぇなガキに何が分かんだよ!!」

 

ぐいっ、とミーシアの口を無理矢理止めるかのように襟を持つ手を引いて叫ぶベート。

 

「―――貴方のお考えになる事など、ラプラスでない私にはこれっぽっちも理解できませんよ?」

 

「ッ―――んならなんでそんな知った様な口を―――」

 

聞いてんだ、と叫び散らかそうとする彼に対するミーシアの表情は、完全な「無」であった。

 

「では貴方は考えた事があるのですか?()()、そして()()()()()()()()()()()()()()()に肴にされ、貶され、辞めてしまえだのダサいだの無責任に嗤われる人の気持ちを」

 

彼女の綺麗だった瞳の奥が、どろっと濁る。

 

「体格差と能力差に大きく差のある強大な敵に向かって、自身が弱くても物理的に勝利が無理でも一矢報いようとした勇ましき者が自身と関わりの無い人に嗤われる気分を、貴方は知っておられるのですか?」

 

「―――ッ」

 

「一歩間違えたら死ぬ状況下で、一人逃げるでも膝を付き諦めるでもなく()()()()()という選択を一瞬でも選んだ人を……何も知らない方々が嗤う資格は、例え強者であっても―――絶対的な神であっても一切ありません。そのようなものなど、この世界で努力し勇気を持つ全ての人への冒涜です」

 

珍しく静かな酒場に響く彼女の声に、前を通っていた人達の居る外でさえも足を止めてその言葉に耳を傾ける。

 

―――そして最後に、この酒場を静めさせる原因であるミーシアはふわりと笑みを浮かべた。

 

「それとも、ですが……そんな強者に出会った時、第一級冒険者である貴方は一人逃げの選択を取られるのでしょうか?」

 

 

 

 

 

―――この後、ミーシアは酒場の入口で、

 

「それでは皆様、私はこれで失礼しますね」

 

と綺麗なカーテシーを披露してこの場を後にした。

 

未だに静かな客達をそのままにして。

 

 

 

 

 

周囲からの視線を気にもせず、持っていた赤ワインをグラスに注いで口に付ける。

 

「………ふぅ」

 

安物でもワイン。

 

強過ぎない香りとアルコールで冷やされ掛けた頭が再び淡い熱を持つ。

 

もう一口含んで味を堪能した彼女は、グラスを一瞥してから近くの路地へと入った。

 

そして少し進んだ所でピタリと立ち止まる。

 

 

 

「―――何か御用でしょうか?」

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