◇
翌朝、私は娯楽室に向かった。朝ごはんは食べたし調査機器もある。
でも忘れてはいけないことがあった。
今日もソファには大きな塊がひとつ。寝そべっている沙明に私はおはようと声を掛けた。
沙明は目を丸くして私を見上げる。娯楽室の機械はまだ起動していない。機械音のないこの部屋は普段と違ってしんとしていた。
「朝くらいゆっくり顔がみたいから」
「リアリィ? は? 何で? お前、思い出したわけ?」
「それは違うけど」
私が首を振ると沙明は嬉しそうにふーんと言った。それからまじまじと私を見つめている。
沙明の視線から、声から、期待が込められているのを察した。
その通りだからそのまま受け取ってもらっていいのだけれど、肯定する言葉を発する勇気は私にはない。
恥ずかしくなって私はうつむいた。
この沈黙が耐えられない。かと言って何か話題も見つからない。
今まで彼と、何をどんな風に喋っていたのか思い出せなかった。
「お迎えも来たことだし? 今日は真面目に行きますか」
沙明が起き上がる気配がした。それから、手をきゅっと取られた。
見上げると満足げに笑った沙明がそこにいた。
前は沙明の背中を追いかけて出た娯楽室の扉を今日は一緒にくぐった。
◇
話し合いが始まると私は誰かに促されるより先に報告した。
「私の調査を報告します。ラキオはグノーシア」
ラキオは絶対に敵だとジナが指摘してくれた。
「君達を侮っていたようだ」とラキオは言って黙った。そうだったのかもしれない。
実際、私はラキオを信じていたし、皆の票はドクターに固められていた。航海日誌だって潜伏しているグノーシアの情報はほとんどなかった。ラキオの想定通りに進んでいたのだろう。
「ラキオに投票しよう。これで全部終わるから」
私は皆に提案した。これでこの騒動は幕を下ろす。
沙明を凍らせることだってない。
「でも…気になるのです。もし沙明さんがバグさんだったらって」
そう思っていたのに、オトメは沙明を怯えるように見つめた。
彼女の言いたいことはわかる。もし沙明がバグだったら、ラキオを凍らせた後に待っているのは全員の破滅だ。
安全なのは沙明を眠らせてからラキオを凍らせることだろう。
わかっていても、私は弁護を入れた。これはエゴだ。私はもう骨抜きになってしまったのだ。
沙明はラキオと再投票にもつれこんだ。
残り時間は少ない。ここはもう外せない。私は口を開いた。
「SQとラキオの投票結果を見る限り、ジョナスはグノーシアで間違いないと思う。それなら沙明がグノーシアになる解析結果を出したステラも偽物。
ドクターに名乗り出た中で一番信用できる報告結果を持っているのは沙明だし、私は彼が本物のドクターだと思う」
どうすれば皆に納得してもらえるのか、いい案なんてなかった。ただ私にはあがくことしかできなかった。
「沙明には投票しないでほしい。確かに全員排除は安全だけど、本物のドクターまで凍らせる必要はないと思う」
ラキオのコールドスリープが決まった。
完全に敵対している私には退室するラキオを追いかけることはできない。
ラキオは強かった。もう敵同士にはなりたくないと私は心から思った。
◇
すべてのグノーシアが眠ったというLeViのアナウンスをメインコンソールに残っていた私は聞いていた。ラキオがコールドスリープ室に行ってから皆はもう部屋に戻ったようだ。
「よ。お疲れ」
聞き慣れた声に私はゆっくり振り返る。そこにいた沙明は、笑顔だった。
アナウンスが終わっても宇宙は崩壊しなかったし、導いてくれるはずのグノーシアがいなくなったと嘆いてもいなかった。
沙明は、本物のドクターだった。
信じていたけれどようやく証明されて、私はほっと息を吐いた。よかった。本当に。
「お前には守ってもらってばっかだったな。マジで感謝してる」
「どういたしまして。沙明が本物のドクターでよかった」
「やけに熱烈に庇ってくれたじゃん。何でですかねェ? ユーリさん?」
沙明は上機嫌に私の顔を覗きこんだ。にやにやと意地悪な笑顔をしている。
もう私の答えはもうわかっているのに、あえて聞いているんだろう。きっと言わせたいのだ、私の口から。
話し合いではあんなに言葉が出てきたのに、今は心臓がうるさいせいでうまくいかない。私は沙明を見上げると重くなった口をなんとか開いた。
「沙明に惚れたから」
「イイ子」
ぎゅっと沙明に抱きしめられる。もっと近づきたくて彼の背中に手を添えた。
胸の奥から思わず頬が緩んでしまうくらい幸せな気持ちが溢れてくる。相変わらず心臓はどきどきしていたけれど、聞こえないふりをして沙明の体温を感じていた。温かい。
唇が重ねられる。ぺろりと軽く舐められたときは少し驚いたけれど、彼に身を委ねた。だって私もしたいと思っているから。
(あ、でも…)
沙明にはまだ伝えなければいけないことがたくさんある。
記憶がないとはいえ疑ってごめんとか、
昨夜は寝かせてくれてありがとうとか、
また一緒にお酒が飲みたいとか。
口を塞がれてしまってはそれが叶わない。それはちょっと困る。これだって大切なことだから。
私の思考を咎めるように、沙明が舌を唇を割り開いて侵入してきた。
集中していないわけじゃない、むしろ沙明のことを考えているのにひどい。
言いたいけれどこれも受け付けてもらえない。後頭部を背中を抱き込まれては私は無力だった。
上あごをやんわり刺激されると駄目で、身体が震えてしまう。
それをされると何を考えていたのか分からなくなるくらい、溺れてしまった。
「…っ、は」
唇が離れると、私は息を吐いた。それからゆっくり吸う。頭の中もどうにかなってぐちゃぐちゃだった。
顔を隠したくて沙明の胸に顔を埋めた。けれど頬に手を当てられて目を覗きこまれた。
やめてほしい。今は見ないでほしい。それでも彼は満足そうにじっと私を見つめて、最後に頬にちゅっとキスを落とした。
「カワイー反応すんじゃん」
「…っ」
ふふっと笑って沙明は身体を離すと私の手を取った。
「じゃ、行くか」
「どこに?」
「お前の部屋」
取られた手は指の間を縫うように繋ぎ直されて、どきりとする。
それは確かに1つの意味を持っていたから、どうしてなんて聞くことはできなかった。
「つーか今まで我慢しすぎてもう無理なんですけど?
ずっとオアズケされてたとか褒められてもいいんじゃねえ?」
沙明にも気を使っていたところはあったようだ。それは嬉しい。
けれど問題はそこではなくて。心の準備だとか、そういう時間もほしいのだけれど。
私の部屋はもう見えてきてしまった。
「そのへんきっちり全部返してもらうから」
楽しそうに笑う沙明を見ると言い返せない。それに私には拒む理由がないのだ。
扉が閉まる。
お手柔らかにと観念してつぶやいた私の声はどこにも届いていなかった。