夜道は危険。
それは、この世界に住む人間たちの常識である。
特に、ここ、アルバトロス地区では────
そんな、危険と恐れられる夜道を、リーシャは進んでゆく。
怖くないわけではない。
身体が震えている。
交通手段である馬もいない。
昨日、魔獣たちに襲われ、食べられてしまったのだ。
武器は、背中に負っているクロスボウと腰の長剣だけである。
魔獣や妖魔のうろつく夜道では、頼りない武装であった。
では、そんなリーシャが、なぜ、恐怖に身を震わせながら、歩き続けるのか?
それには理由がある。
この道の途中に、旅人用の避難所があるのだ。
避難所は、この道で命を落とす旅人が頻発したことから、区の有力者たちが金を出し合い建てたものだ。
ここだけでなく、何ヵ所もある。
建物は、特殊な素材でできており、一旦逃げ込めば、超大型の魔獣や妖魔でない限り、旅人の身は安全である。
リーシャは、闇の中にある避難所を探し歩いていた。
真っ暗であるのにもかかわらず、まるで昼間であるように、ぐんぐん進んでゆく。
夜目がきくらしかった。
人間にはない能力である。
無論、訓練すればリーシャほどではなくとも、ある程度は闇の中を昼間と同じように行動することができる。
しかし、これは長い期間訓練をした人間のみである。
リーシャは、そんな訓練をしたようには見えない。
リーシャのは、生まれつきのものであった。
生まれつき夜目がきく。
この時点で、リーシャが人間でないのは確実であった。
よく見ると、耳が、人間よりも長く、尖っている。
そして、リーシャの美貌。
エルフと呼ばれる種族に間違いない。
リーシャが歩いていると、獣の呻き声がした。
闇の中に、6つの赤い光が現れた。
獣の眼らしかった。
3体いる。
その3体は、リーシャに近づいて来た。
リーシャは、咄嗟にクロスボウを構えた。
獣は姿がはっきりとわかる位置まで来た。
毛むくじゃらの二足歩行の獣だった。
狼のような顔をしている。
合成人狼である。
合成人狼とは、種族戦争が激化した際、人間の妖術師たちが、様々な技術を用いて生み出した、人造戦士である。
しかし、成功例は非常に少なく、失敗作が大量に出た。
成功作は、純粋な人狼よりも能力は低いが、知能が高く、制御もできる。
だが、失敗作は、成功作と能力こそ変わらないが、狂暴で、制御がとても難しいため、異種族が住んでいる地域に捨てられたのだ。
今、リーシャを狙っているのは、合成人狼の失敗作である。
リーシャは、真ん中にいる合成人狼に矢を射ち込んだ。
矢は、合成人狼の腹に突き刺さった。
しかし、一瞬よろめいただけで、何事もなかったかのように、こちらへと向かって来る。
リーシャは、矢を続けて射ち込むが、合成人狼は死ぬどころか、倒れさえしない。
顔面を狙っても、首を少し振って、ギリギリのところで躱される。
牙を剥き出しにし、よだれを垂らしながら、じりじりとにじり寄って来る。
リーシャは、クロスボウを背中に戻し、腰の長剣を抜いた。
だが、恐怖と緊張のせいで、へっぴり腰になってしまっている。
なかなか打ち込めない。
敵は、すぐそこだ
絶望がリーシャを襲った。
合成人狼が、鋭い爪をリーシャに向け、襲い掛かろうとした刹那、鋭い光芒が闇を一直線に横切り、合成人狼の右眼に吸い込まれていった。
合成人狼は、右眼を押さえながら、仰向けに倒れた。
右眼には、細い針が生えていた。
左右にいた合成人狼は、リーシャのことなど忘れたかのように、闇の奥にいるであろう、攻撃者に向かって、飛び掛かった。
2体の合成人狼が、闇の奥に消えた。
そのすぐ後、ひとつの人影が現れた。
男だった。
爬虫類のような、冷たい眼をしている。
ぞっとするような顔をしていた。
180cmのがっしりとした身体を、黒い軍服のような服で包み込んでいる。
男は、右眼を押さえている合成人狼のもとに向かった。
合成人狼は起き上がろうとしていた。
男は自分の腰の戦闘用ベルトに差し込んであった短剣を手に取り、合成人狼の首を刺した。
短剣の柄のあたりまで、深々と刺し込まれた。
合成人狼は、声ひとつ上げずに果てた。
「ありがとうございました」
リーシャが、ぺこりと頭を下げて礼を云った。
「構わん」
男は短く言った。
「わたしは、リーシャといいます。あなたのお名前を教えてください」
「イギーだ。イギー・シグナス」
錆びた鉄を含んだ声だった。
これが、リーシャとイギーの出会いだった。
「旅人か?」
長い沈黙を破ったのはイギーだった。
「はい」
リーシャが答えた。
避難所に着いた。
広いとは言えないが、一晩過ごすには困らない。
「ここは危険だぞ。何をしに来た」
「父の仇をとるためです」
「仇?」
「はい」
「どういう奴だ?」
「ルシフェルです」
「ほう、あの堕天使野郎か」
「知っているんですか?」
「知ってるもなにも、ここらに住んでいる人間の中で、ルシフェルを知らん奴はいないよ。この地区の支配者だからな」
「そうなんですか」
「その様子じゃあ、おめえ、名前しか知らんのか?」
「いえ、顔も覚えています。それと、ものすごく強く、残忍であるということも」
「ふふん。まあ、その通りだよ」
しかし───
と、イギーが続けた。
「合成人狼が出るとは珍しいな」
「そうなんですか」
「昔はちょくちょく目撃情報があったが、討伐隊が2度送り込まれて、だいぶ数が減ったんだ」
「────」
「奴らは森の奥へ追いやられ、姿を消したと思っていたのだがな······」
イギーが立ち上がった。
「さあ、こんな話より、今夜は、もう寝ろ」
「えっ?」
「疲れが溜まったままだと、今後に響くぞ。部屋の隅に寝袋がある。軍用だから、おまえならすっぽり入る」
「ありがとうございます」
「さあ、早く寝ろ」
「はい」
朝になった。
冷たい風が吹いている。
冬のような寒さではなく、ひんやりとした気持ちのよい風であった。
「ゆこうか」
「はい」
「人のいるところまで連れてってやる。と言っても、40分くらいで着くがな」
「お願いします」
ふたりは歩き始めた。
30分経ったところで、アクシデントが発生した。
「なにか近づいてくるぞ」
「魔獣ですか?」
「いや、人間だ」
叢から、3人の男女が現れた。
3人の身体から、暴力の臭いが漂ってくる。
動きやすそうな格好をしている。
利き手に、得物を握っている。
「そこのエルフを引き渡してもらおう」
おそらくリーダーであろう細面の男が言った。
「いやだね」
「なに!?」
「理由を教えろ」
「その女は、将軍のお命を狙っておる」
金髪の男が答えた。
「あんた、この街の人間だろう。空気でわかる」
「ふふん、そうだよ」
「ならば知っているはずだ。将軍に逆らえば、待つのは、死のみであるということを」
「証拠はあるのか?」
「将軍お抱えの予知屋が、エルフの女が、かつて殺した親の仇を取りにくると未来予知した」
「なにが未来予知だ。ペテン師の類いじゃないのか」
「未来予知を行った予知屋は、100%の確率を誇る、当代随一の超能力者だ」
「わかったわかった。おまえの言葉、全てではないが、信用してやろう。だが、渡さん」
「抵抗する気か」
リーダーがドスの効いた声で云う。
「眼の前で女が拐われるのを見逃すわけにはゆかん」
「抵抗するということだな」
「出会う前から武器を手にしているんだ。どうせ、最初から消すつもりだったんだろう?」
「そうさ」
「ならば、なおさら素直に引けないね」
云い終えた瞬間、
「きえいっ!」
金髪の男が、山刀を打ち込んできた。
イギーは、かわしざま、手刀を男の首筋に叩き込んだ。
男は、顔から地面にぶつかってゆき、動かなくなった。
リーダーの後ろにいた、簡易装甲を身に纏った女が、イギーの前にきた。
リーダーの方は、リーシャと向かい合っている。
女は、手にした短刀で突きかかってきた。
女の短刀を、いつの間にか引き抜いた小剣で受ける。
鋭い金属音が鳴った。
その後も、互いに、何度か打ち込む。
女の攻撃は、女らしからぬ驚くべき鋭さを秘めていた。
常日頃から、猛訓練を積んでいるということが、この短い時間でわかる。
しかし、イギーの鋭さは、女のそれを遥かに上回っていた。
イギーの連撃を受け、女の身体がぐらりと揺れた。
その隙を、イギーは見逃さなかった。
女の首筋を、小剣で切り裂いた。
女は、糸の切れたマリオネットのように、その場に崩れ落ちた。
血が、赤い布のように広がってゆく。
イギーはすぐさま、リーダーとリーシャの方を見た。
何度かぶつかり合ったらしい。
リーシャは、肩で息をしている。
一方、リーダーは日本刀を青眼に構え、呼吸は一切乱れていない。
リーシャが剣に慣れきってないとはいえ、人間より優れた身体能力を誇るエルフを、無傷で追い詰めるとは────
リーダーが、一流の戦士であることは、疑いようがなかった。
イギーが、リーダーに小剣を投げた。
リーダーは後退しながら、刀で小剣を弾いた。
刹那、リーダーは、左頬に鋭い痛みを感じた。
リーシャのほうを見ると、右手に握った長剣の切っ先が、血に濡れていた。
どうやら、今の攻防の一瞬の隙を突き、剣を振ったようである。
リーダーが笑った。
蛇のように口から這い出てきた舌で、左頬の傷口から流れ出る血を舐め取った。
「中々やるなあ、女よ」
「どうするんだい。おれたちふたり、同時に相手するかい」
「やめておこう。おまえたちを同時に相手して生き残れるなんざ思っておらんよ」
「残念だ。だが、正しい」
リーダーの横で倒れていた金髪の男が、むくりと起き上がった。
「逃げさせていただく」
「そこで倒れているお仲間を連れていってやれよ」
「その女は戦士だ。闘って道端で死ぬことが本望だ。だから、そのままでいい」
「ふふん。逃がすと思うかい?」
「思っていないさ」
「じゃあ、どうするんだい」
「こうするのさ」
リーダーと金髪の男の身体が、煙幕に包まれた。
煙が消えたが、あの2人は、もういなかった。
イギーとリーシャの頭上を、黒い影が、静かに通り過ぎて行った。
「あれは?」
リーシャが訊いた。
「飛行車さ。音を立てていないから、おそらく消音機構が備え付けられているタイプだろうな。あんた、かなりヤバい立場にいるぜ。まあ、今の件で、おれも抹殺リストに加えられただろうがな」
「あ、あのぉ······すみません。関係ないあなたを巻き込んでしまって」
「ふふん。起きたことを今さら後悔したってしょうがない。このまま別れて、区外に逃げても確実に殺される。ならば、おまえの復讐とやらに加担して、少しでもあいつらに痛い目見せてから死ぬほうがいい」
「それって、つまり───」
「おまえの手伝をするってことさ」
「あ、ありがとうございます」
「だが、おれも命を懸けるのでな、タダとはいかん。だから、おれを雇え」
「ど、どういう───」
「おれは傭兵だ。おれは雇った奴のために働く」
「でも、わたし、お金持ってませんよ」
「報酬は、ルシフェルの野郎のところからいただく。これならよかろう」
「ありがとうございます。わたしのせいでこうなったのに、助けていただいて」
「恥ずかしいからやめろ。では、さっさと街へゆくぞ。とりあえず、奴らから隠れなければならないからな」
「どこか宛てはあるのですか?」
「知り合いの武器屋がいる。そいつの家にゆく」
「分かりました」
イギーとリーシャは、警戒しながら街へと向かって行った。
「失敗したかよ」
闇がしゃべった。
正確に云うと、薄暗い闇の奥にぽつんとある椅子に座っている黒い影が言葉を発しているのであるが、長いので、闇がしゃべったと云うことにしておく。
「はい」
若い男が云った。
迷彩服を着た巨漢であった。
身長190cmはあるであろう。
上半身は、はち切れんばかりの筋肉で覆われている。
左頬に、絆創膏が貼られていた。
「おぬしが手傷を負うとは珍しいな」
すごい嗄れ声であった。
「あの女、昨夜仕掛けた合成人狼に怯えていたので、ゆけると思っていたのですが、いざ闘ってみると中々の使い手でした。それに、人間相手にはビビらないようで、果敢に向かってきました」
「邪魔が入ったそうだな」
「軍服のようなものを着た男です。ジャックを一撃で倒し、アイラを殺しました。相当な手練れです」
「うむ。その男については、現在調査団を結成して、調べているところだ。分かり次第、全員に連絡する」
「承知しました」
「おぬしは休め」
「それは───」
「別に、今回の任務から外そうなどと考えてはおらんよ。おぬしは貴重が戦力だからなあ。だが、他にも戦闘員がいる。おぬしだけにやらせる訳にはゆかぬ。奴らの不満が溜まるからな」
「しばらく休みます」
「それでよい。さあ、もう下がってよいぞ」
「はっ」
男は立ち上がり、部屋の出口へ向かって行った。
そして、男は、
「失礼しました」
と云って出ていった。